グループ活動を活かすために

グループ活動を取り入れる授業が増えてきています。グループ活動を活かす場面やポイントについて考えてみたいと思います。

まず、どのような課題に取り組むのかが大きく影響します。
課題は何を求めているのかゴールがはっきりしている必要があります。授業者自身がゴールを明確に意識できていないまま、「○○についてグループで考えて」と指示する場面によく出合います。それまでの活動で、「考える」に対してどのようにアプローチして、何を出力すればよいかを子どもたちがわかっていればいいのですが、そうでなければ、ただ「思いついたこと」をおしゃべりするだけの活動になってしまいます。解決すべきものが何かがはっきりしていなければなりません。「○○についてどう思う。自分の考えを発表し合って」といった問いかけも同様です。「私はこう思う。あなたはどう?」と、ただ、発表するだけで考えが深まる活動にはなりません。根拠を求める課題、根拠を聞きあう必然性のある課題でなければなりません。子どもが育つまでは、「友だちの考えを聞いて、なるほどと思った意見をメモして」「自分の考えにつけ加えて」「一番納得した意見に印をつけて」「納得した理由を聞かせて」といった指示や、働きかけも必要になります。

数学などで「問題を解く」ことはゴールが明確で取り組みやすいものです。個人で問題を解くとき、グループにして「わからなかったら友だちに聞いてもいいよ」とすることで、かかわりあいながら取り組むこともできます。個人作業の共同化です。それに対して、グループで1つの問題を解くときには注意が必要です。比較的易しい問題だと、すぐに答がわかる子どもができます。額を寄せて考え合うことなく、わかった子どもがミニ教師となって教え始めます。聞く側が説明を聞いて、自分の言葉で説明できることを目指せばよいのですが、友だちの答を写して満足してしまうこともよくあります。全員が悩むような、ジャンプの課題を用意できればよいのですが、毎回それも難しいことです。答を出すことではなく、説明できることをゴールとする必要があります。グループ活動のあとは、答そのものではなく、どう考えたかといった過程や解き方の説明を発表させるようにすることが大切です。そうすることで、説明に対して、「それってどういうこと?」「よくわからない。助けて」と聞き返す場面が生まれてくるのです。

「○○って何?」と知識を問う場面で、グループ活動をおこなうこともよくあります。知識ですから考えても仕方がありません。調べることが活動になります。ゴールがはっきりしているので、取り組みやすい活動です。これも、個人で調べて見つからなければ友だちに聞くという個人作業の共同化とグループで1つのことを調べる場合があります。前者は、友だちの調べた結果を写すのではなく、どうやって見つけたか、どこでわかったのかということを大切にする必要があります。学び合うためには、単に結果を問うのではなく、そこに至る過程を共有することを意識させなければなりません。一方後者は、それぞれが調べたことを持ち寄って、それをもとにまとめるようなものである必要があります。資料や事典などで調べればその説明が載っていて、それを写せば終わるようなものではいけません。いくつかの知識をもとに、自分たちの言葉で説明するようなものである必要があります。
また、効率的に調べさせるためにグループを活用することもあります。考えるためには根拠となる知識が必要です。素早く必要とする知識を集めて全体で共有化し、今度はそれをもとに考える課題にグループで取り組むのです。

グループ活動に入る前の子どもの状態も大切な要素です。
課題を提示して、全体で子どもに問いかけても反応がない場合があります。意見が出なくて授業を進められなくて「じゃあグループで考えて」とすぐにグループ活動に移ることがあります。子どもたちがグループ活動になれていると、それらしく話し始めたりします。しかし、こういう場面では、子どもがどういう状態なのかをしっかり把握したうえでグループ活動に入るべきかどうか判断する必要があります。
子どもが反応しないのは、課題をきちんと把握できていないことが原因であることが多いようです。何をすればいいのか、何を答えればいいのかよくわからないので、反応できないのです。このような状態でグループ活動に入っても、何をしていいのかわからないのですからうまくいきません。それでも子どもたちが育っている学校では、何をすればよいのかを自分たちで考えることから活動を始めます。子どもたちに救われている授業です。子どもは立派ですが、授業としては「???」です。
また、課題が自分たちのものになっていないときも、子どもたちの反応は薄くなります。なぜこの課題に取り組むのかわからない、子どもたちとって必然性のない課題であれば、課題に対して意欲的にならないのです。この状態でグループ活動に入ると、課題自体は把握できているので活動は進みますが、何らかの答がでるとそれ以上追究しようとはしません。教師が一方的に課題を提示するのではなく、子どもとのやり取りの中から課題が生まれてくるように働きかける必要があります。
逆に、子どもが課題を自分のものとして真剣に考えているときにも、反応が現れないことがあります。すぐに答が出ないような課題に対して深く考えていれば、すぐに反応できないのです。こういう状態であれば、できるだけ早くグループ活動に入るべきです。すぐに口を開かないかもしれませんが、次第に額を寄せ合って相談し始めます。
子どものようすから課題に対する状態を把握することが大切です。見てわからなければ、確認するための方法を用意する必要があります。「わかった?」と聞いてもあまり意味はありません。もし聞くのなら「困ったことない?」と答えやすい言葉を選びます。「何を求めればいいのか」とゴールを確認する。「どうすればうまくいきそう」と見通しを全体で共有するといったことが必要です。

これとは逆に、グループ活動に入る前に子どものテンションが上がっていることがあります。子どもが課題に対して意欲的になっているのですから、グループ活動に早く移ればよいように思いますが、往々にして危険な状態であることがよくあります。子どもたちのテンションが上がるのは、根拠を求められない無責任な状態であることが多いからです。英語の授業で寸劇をグループでおこなう、つくるといった活動などでよく見られます。課題の提示で教師が見本を面白く見せます。活動が見えやすいので子どもたちは興味を持ってくれます。見本と同じ寸劇をやらせるのであれば、ただやればいいだけです。そこに、考えたり工夫したりする余地はありません。寸劇をつくる場合はどうでしょうか。この場合はその内容を考えるのですから、学び合いが成立するように思います。しかし、寸劇の内容を決める段階では、「面白そう」「こんなのはどう」と根拠なく思いつきで意見を言うことができます。内容を決めて英語に訳する段階では落ち着きますが、それまではテンションが上がるだけの、教科としてはあまり意味のない活動になっているのです。
先ほどの課題の話とも重なりますが、ただ活動するのではなく、発音やイントネーションの目標を設定することや、寸劇の流れはこちらで決めておいて英語に訳するところから始め、教科の内容と直接関係ない活動は省くといった工夫が必要になります。
テンションが高いことは、意欲的でよいことではありません。根拠を必要としないグループ活動は子どもを無責任な状態にしてテンションを上げるだけです。根拠がなければ足が地についた議論をすることもできません。そこでは学び合いは起こらないことを強く意識しておく必要があります。

全体での追究場面で、意見が分かれることがあります。子どもから出た意見が焦点化され、新たな課題が生まれてくる場面です。こういうときの子どもたちのようすは様々です。議論が白熱してきて活発に意見が飛び交うこともあります。自分の考えは持っていたのだが、話を聞いているうちに「わからなくなっちゃった」と混乱してしまう子どもも出てきます。子どもたちが考え込んで意見が出なくなることもあります。意見が飛び交っていればいいように思うかもしれませんが、議論についていけない子どももできます。次第に一部の子どもだけで議論が進んでしまいがちです。混乱しているということは、考えているということです。しかし、整理できていないわけですから挙手して発言することはできません。こういう場面は全体での話し合いをいったん止めてグループに戻すことが有効です。自分たちから出てきた考えや意見から課題が生まれているのですから必然性もあります。グループにすることで気軽に考えを聞きあえ、考えを深めていくことができます。
また、グループや個人の活動の後の発表で、考えてもいない視点や事柄に基づいた意見が出たときもグループ活動に移るとよい場面です。今までそのような視点で考えていなかったのですから、考える時間が必要です。その視点や事柄をもとにドンドン進まれても、ついていけません。「同じところに線を引いたグループはいる? いないね。すごいね。もう一度グループになってこの図で考えてみて」とその視点をもとに考える場をつくるのです。

発表の仕方もグループ活動のあり方に影響します。答をグループで一つにまとめる形をとると、どうしても力の強い子の意見が通ってしまいます。納得できない子どもに無理やり従わせることは意味がありません。意見の対立があってもそれが学級全体に広がることもありません。また、発表者を事前に決めると他の子どもが傍観者になってしまうこともよくあります。結論は極力各個人に任せるようにしてほしいと思います。グループの考えを聞くのであれば、あらかじめ発表者を決めるのではなく、その場で指名するようにするとよいでしょう(グループ活動の後の発表参照)。小型のホワイトボードなどを使って発表させるのであれば、ペンを何本も用意することで、みんなで書き込むようにすると共同の作業となります。発表もみんなでつくるような工夫が必要です。

グループ活動は、子どもたちが中心となっておこなうので、教師のコントロールはおよばないように思うかもしれません。しかし、課題の設定や発問の「てにをは」一つでも子どものたちの動きは変わっていきます。子どもたちの学び合いが生まれるようにするためには、細かな指示や直接教えること以外に、本当に多くの仕掛けや働きかけが必要なのです。ここに書いたことはグループ活動を活かすためのほんの一部分です。この他にも大切なことはたくさんあります。グループ活動を活かすために必要なことは何かを常に意識し、工夫し続けてほしいと思います。

子どもの発言、意見をすぐに板書しない

子どもの考えや意見、答などを発表させたあと、すぐにその内容をまとめて板書をする場面を目にします。中には、発言の途中で板書を始める方もいます。長い発言なので忘れてしまわないようにということなのでしょう。しかし、教師が板書することで、子どもは友だちの考えを聞いて理解しようとするのをやめ、板書されたことで理解しようとするようになります。教師がまとめてしまえば、不完全な発言を子どもの言葉で修正するという活動もなくなってしまいます。友だちの方を見て話を聞いていたのに、教師が板書を始めると黒板の方を向いて目で追う、ノートに写し出すといったこともよくあります。また、板書したりしなかったりすると、子どもは板書される考えがよいと判断します。ますます板書を写そうとするようになります。どのようにするとよいのでしょうか。

まず原則として、子どもが発言している途中では板書をしません。もし、発言が長いようであれば言い終わってから、「なるほど、しっかり話してくれたね。どう、みんな○○さんの考えわかった」と確認します。何人かが理解できているようであればその子どもに、ほとんどなければ本人に、もう一度説明させます。まずは子どもが友だちの発言を理解すること、理解してもらおうとすることを大切にするのです。その上で、もう一度説明させることで、じっくりと理解する機会をつくるのです。今度は、一度聞いた後ですから、途中で止めながら、「ここまで、どう? 納得した」と確認してもよいのです。
どうしても板書したいことがあれば(「何を板書するか」参照)、「ちょっと待って」と発言を止めておこないます。時間をかけずに、メモでよいのでポイントを絞り、できるだけ子どもの言葉をそのまま書くようにします。時間をかけると子どもの聞く意欲も、発言意欲も低下します。また、子どもの言葉を修正したり、まとめたりすると、子どもは自分の発言がまずかったのかと考えたり、教師の言葉を使って言い直そうとしたりして、子どもが混乱するからです。
いずれにしても、板書を見る、写すといった作業と友だちの発言を聞く場面ははっきりと分けることが大切です。

発言が終わったあとすぐには板書せずに、まずその考えを他の子どもにつなぐこと意識します。先ほども述べたように、教師が板書をすると子どもの思考は途切れます。「なるほど、今の○○さんの考えどう。なるほどと思った?」と学級全体に広げ、つないでいくのです。子ども同士でその意見をもとに発言を続けることで、板書に頼らず自分たちで理解し、納得することを目指すのです。こうなれば、あえてまとめを板書する必要はありません。もし、まとめが必要だと思えば、ノートに自分でまとめさせればよいのです。子どもが育っていないので、不安だというのであれば、まとめを子どもに発言させる方法もあります。何人かに発表させて確認するのです。「みんなの意見でいいと思ったところはどこ」と発言のよかったところやポントンに絞って確認するのもよいでしょう。板書をするのなら、できるだけ子どもの言葉のまま、もし修正するのなら「今言ってくれたことは、△△ということでいいかな」と子どもに確認をしながら書くようにします。

子どもの発言をすぐに板書することは、子どもの考えや発言を教師の言葉に置き換えることにつながります。自分たちで理解し考えを深めることを大切にするならば、子どもの発言や意見をすぐに板書しないとう判断もあるのです。

実物投影機でノートを映す(その2)

実物投影機でノートを映すときは、作業が終わったあとが多いと思いますが(「実物投影機でノートを映す(その1)」参照)、途中で使う方法もあります。子どもたちの多くが見通しを持てていないときや、作業の途中で手が止まっているときにヒントとなりそうなノートを見せるのです。このとき、ノートの内容の説明をする必要はありません。作業をやめさせてノートを見せるだけでいいのです。見せるノートはまだ途中でもかまいません。また、全体を見せる必要もありません。「ちょっと作業をやめて。○○さんのノートを映すよ」とポイントなる部分だけをズームアップして見せればいいのです。何人かのノートを見せたあと、「自分のやり方でもいいし、みんなのノートを参考にしてもいいからね」と作業を続けさせます。余計な説明を加えないことで、自分の力で情報を読み取ろうとするようになります。もちろん「よくわからなければ、友だちに聞いてもいいよ」とすることで、かかわりあうきっかけとすることもできます。

子どもたちが自分で読み取る力がまだ育っていないならば、「こんな図を描いているよ。このあと、○○さんはどうするのかな?」「最初に、こんな式を書いているね。これは何を計算しているのかな?」「これは、どの資料を見たのかな?」と、読み取る視点だけを示してもよいかもしれません。
本人に説明させるのも悪くはないのですが、どうしても時間がかかります。映されたノートを見て見通しを持てた子どもは早く作業に戻りたいと思います。ここは、テンポよく進めたいところです。

「わからなければ、友だちに聞いてもいい」といっても、なかなか聞けない子どももいます。まずは、友だちのノートを覗き込むことができるだけでもOKです。映されたノートを見ることで、友だちのノートを見るよさを知ればそのきっかけとなります。説明せずにただ見せることには、こういうねらいもあるのです。

意図的に使うことで、実物投影機でただノートを映すことも、とても効果的な手法となります。ICT機器は、こういう手間がかからず、効果的な場面で利用することを心がけたいものです。
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