失敗から学ぶためには

失敗から学ぶということはよく言われます。しかし、子どもたちは失敗するとがっかりしてやる気をなくします。そのため教師は子どもたちが失敗しないように先手を取って指示や指導をする傾向にあります。極端な場合、いざとなったら先生が助けてくれる、誰かが何とかしてくれると考えるようになってしまいます。

子どもがやる気をなくすのは失敗して、ネガティブな気持ちになって終わるからです。たとえば総合的な学習の時間のように調べて発表するような長期の取り組みは、最後に発表して終わるか、または発表を受けての反省で終わることがほとんどです。失敗して反省してもその反省を活かす機会はなかなかやって来ません。失敗から学ぶためには、失敗を活かす機会が必要になるのです。
総合的な学習の例であれば、中間発表を設けるとよいでしょう。中間発表では、欠けているところ、不十分なところを少々厳しく指摘しても大丈夫です。それを受けてどうすればよいかを考え、修正する時間を与えるのです。本番の発表では、中間発表から進歩したところを大いにほめます。たとえ絶対的には評価できなくても、中間発表と比べれば評価できるはずです。できれば中間発表で指摘されたことから何を学んだか、どういうことに気をつけたかも合わせて発表するとよいでしょう。こうすることで、失敗から学ぶことを意識できますし、その結果をポジティブに評価されますので、達成感も味わえます。

ふだんの授業でも似たようなことはたくさんあります。失敗しても必ずチャンスを与え、ほめて終わるようにすることが大切です。

「○○さん、△△さんの言ったことをもう一度説明してくれるかな」
「聞いていませんでした」
「もったいないことしたね。とてもいい説明だったんだけどな。△△さん、もう一度聞かせてくれるかな」
「はい、・・・です」
「△△さんさん、ありがとう。○○さん、どう」
「・・・です」
「よく聞けたね。△△さんと○○さんの説明でなるほどと思った人」
・・・

聞いていなかったことをしかると、失敗したことで気持ちはネガティブになります。しかし、失敗してもそのあとしっかり聞いてうまく説明できると、成功したとポジティブになります。このような経験を積んでいけば、失敗を恐れるのではなく、失敗した後どうすればよいのかを考えるようになります。

失敗から学ぶと簡単に言いますが、失敗をきっかけに成功する経験を積まないと、失敗ばかり続くことになり、気持ちが折れてしまいます。子どもは長い時間を待つことはできませんし、時間がたてば反省したことも忘れてしまいます。失敗した後、できるだけ早いタイミングでリカバーする場面を設けてあげることで失敗から学べるようになります。失敗を避けるのではなく、失敗から学ぶ子どもに育ててほしいと思います。

友だちの方を向いて話を聞く

子どもが友だちの発言を聞くときに、体を発言者の方へ向ける学級とそうでない学級があります。同じ学級でも場面によって変わるときもあります。子どもが発言者を見ずに聞いていても気にしない教師も多いように思います。このことについて少し考えてみたいと思います。

子どもが友だちの発言を、友だちの方を向いてまで聞こうとしないのは、そこまでして聞きたいと思っていないからです。「友だちの考えはどうだろう」「自分と同じ考えなのだろうか」と思っていないのです。友だちの考えを知ることが自分に影響を与えないのです。友だちの発言が問いに対する単純な答であればその傾向は強くなります。たしかに「計算の答は10です」という発言にそこまでして聞く価値はないかもしれません。しかも、友だちの発言の後、教師が正解、不正解を判断して説明をはじめるのであれば、そちらの情報の方がはるかに価値があります。集中して授業に参加している子どもにとっても、教師の様子から情報を得る方が大切になります。

先日、「とてもよい発言があった」と評価された授業場面の写真を見ました。発言している子どもは堂々として、いかにもよい発言に見えます。しかし、その写真に写っている子どもは、だれも発言者を見ていませんでした。全員よい姿勢で前を向いています。よい発言だったかもしれませんが、他の子どもたちはその発言を本当に理解しようとしていたのでしょうか。そのあと、教師が発言を評価してはじめてよい発言だと思う、教師がその発言を受けて説明してその内容を理解する。そういう授業だったかもしれません。

いつも述べていることですが、子どもにとって友だちの発言を聞く価値がある授業にしていかなければなりません。「友だちの発言は、友だちを見て聞こう」というルールをつくり、形から入る方法もあります。しかし、話を聞いてよかったと子どもが思わなければそれは形で終わってしまいます。
発言の評価をいつも教師がする。発言を受けてすぐに教師が説明する。発言に対して教師主導で進んでいくのであれば、子どもたちは教師の反応をうかがいます。もっといえば、教師の求める発言(答)は何かを探る授業になっていきます。発言者も自然に教師を向いて話をします。
発言に対して、他の子どもの理解を確認する、評価を求める。それだけでも聞く姿勢は変わっていきます。そのためには、子どもに求める発言は、結果(答)だけでなく、その根拠や過程でなくてはなりません。
「言っていること伝わった」「説明に納得した人」と問いかけ、納得した人がいれば、そのこと自体が発言への評価になります。納得した人に、再度説明を求めるようにすれば、発言を聞く価値が増します。

先日、ある研修会で参加者に自分の考えを持っていただいた後、一人ひとりに発表をしてもらう場面がありました。発表者に、参加者を向いて発表するようにお願いしましたが、それだけでは、他の方の視線は私に向いたままでした。しかし、発表に対して、私が「なるほど、よいことに気づきましたね」と受容し、「納得した人」「参考になった人」、「これが正解というものがあるわけではない」と私が判断をしないことを伝えたところ、参加者の視線は自然に発表者に集中するようになりました。私の反応を知ることより発表者に集中することの方が、価値が高くなったのです。

こういった働きかけがなくても、自然に友だちの方へ体が向くこともよく目にします。ほとんどの場合、子どもたちが自分なりの考えを持ってはいるが、完全に解決できずに疑問や課題が残っているとき、自分はこう判断したがみんなはどうだろうと友だちの考えに興味を持っているときです。子どもの中に聞きたいという欲求がでてくるような課題ということです。子どもにとって自分の課題となっていて、かつ一人ではなかなか解決できない、結論が出ない、他者の考えや助けが必要となる。そういう条件を満たしている課題です。

子どもの姿勢には子どもの気持ちが表れます。子どもが友だちの話を聞きたいという気持ちは体の向きでわかります。子どもが自然に友だちの話を聞きたいと思うようになるには、授業者の働きかけと適切な課題が必要です。子どもの体の向きを意識し、子どもが友だちの話を聞きたいと思うような授業を心がけてほしいと思います。
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31