用語の説明を考える

新しい用語を説明する時に注意してほしいのが、ゆるぎない定義と感覚的な理解です。用語は概念や事象を互いに共有するための大切な言葉です。人によってその意味するところがずれてしまっては困ってしまいます。ずれた時のよりどころになる、ゆるぎない定義が求められます。一方、ゆるぎない定義は、論理的ではありますが、感覚的にはわかりにくいことがあります。定義をまる覚えしても、その用語を理解したわけでも使いこなせるようになったわけでもありません。感覚的に理解できることが大切なのです。
したがって、用語を扱う時には、まず教師がその用語の正しい定義を理解しておく必要があります。その上で、子どもたちの成長に応じた定義や感覚的に理解するための説明や活動を考えることになります。

たとえば、社会科の緯度・緯線、経度・経線を考えてみましょう。正しい定義はどのようなものでしょう。

ある地点の緯度とは、その地点における天頂と赤道面のなす角の大きさで表され、赤道面より北を北緯、南を南緯という。
ある地点の経度とは、その地点と北極・南極を通る円(大円となる)(この線を経線と定義してもいい)と基準となるグリニッジ天文台と北極・南極を通る円のなす角(それぞれの円を含む平面同士のなす角)の大きさ(180°以内)で表され、基準より東を東経、西を西経という。
同じ緯度の点をつないだものを緯線、同じ経度の点をつないだものを経線という。

このようなものになるでしょう。小学生には、このような定義では理解できません。そこである教科書では、地球儀の横の線を経線、縦の線を緯線として感覚的に定義しています。その上で、経線は北極と南極を結ぶ線と説明をつけ加えています。これが、本来の定義に近いものですが感覚的なものを優先しています。角度も180°ずつに分ける、90°に分けるといった感覚的な説明です。
しかし、これだけではまだまだ理解できるわけではないので、都市の緯度や経度調べたり、その逆に緯度や経度から都市を見つけたりする活動が必要になります。方位と東経西経の違いを理解するために、テープで日本の東や西にある場所を見つけるような活動も必要でしょう。

これが中学生になると定義はより正確になってきます。縦の線、横の線といった表現は感覚的に理解するためには使ってもよいでしょうが、北極と南極を結ぶ線、南北の線といった表現、赤道面と平行な平面で切った線といったより正しい表現を使うようにすることが必要です。
緯度や経度の大きさがどこをはかっているのかも明確にします。
こうすることで、ゆるぎない定義に近づけていきます。
その一方で、緯度や経度を使って位置を示すようにしたのかを考えるような活動をすればより論理的な思考ができるようになります。
地球における絶対的な基準が地軸であること、なぜ、距離ではなく角度を使うのかといったことにも気づけると思います。

教材研究では、まず用語の正しい定義をしっかり調べて理解した上で、教科書の定義や説明と比べることをします。あえて教科書が感覚的している部分があればその意味を考える、感覚的に理解するためには、どのような言葉に置き換えたらよいのだろうか。どのような活動が必要だろうかを考えます。そのとき正しい定義に含まれている内容を教師がしっかり理解していれば、どこをポイントとすればよいかすぐにわかると思います。
教科書に出てくる用語については、教科書の定義を鵜呑みにして授業を組み立てるのではなく、必ず一度は自分で調べてきちんと理解してから、どう理解させるか考えてほしいと思います。

道徳で大切にしたい問いかけ

新学習指導要領でも道徳の充実が言われています。今まで特別活動の時間などに奪われがちだった道徳の時間が重視されてくることと思います。
道徳の授業で大切にしたいことの一つに自分に引き付けて考えるということがあります。資料の登場人物の行動について、どうしてと理由を聞いたり、その是非をたずねたりする授業に出会うことがあります。しかし、登場人物について離れた立場から考えても、それはあくまでも他人事です。自分と違う考えに出会っても、「そういう風にも考えられる」となってしまいます。そこで、「あなたならどうする」と、自分に置き換えて考えさせることが大切になります。互いに「私」が考える行動を聞き合うことで、違った考えは「私」に対する問いかけになります。同じような考えは「私」に対する承認になります。こうしてより広い視野で、より深く考えるようになります。こうしたことの積み重ねで心が育っていくのです。

そのためには、自分の問題として考える前に、資料の状況等をきちんと理解しておくことが必要になります。国語の授業と違って、教師が資料を読みながら「○○したら・・・、××したら・・・、どうしたらいいか困ってしまったんだね」といった解説を入れるなどして、できるだけ早く正確に状況を理解させるようにします。その上で、「あなたならどうする」と問いかけるのです。

道徳の授業では、正解求めたり、こうしろと強要したりしても意味はありません。極端な例ですが、万引きをする人は、万引きは犯罪であることは知っています。万引きは悪いことだ、万引きをしてはいけないと言ったところで意味はあまりありません。自分がしてはいけない思うことが大切なのです。それは、外部からではなく、自分の内側からしか変われないことです。
ですから、子どもの考えに対して、よい悪いといった視点でのコメントは必要ありません。それぞれの考えに接して、自分の考えをもう一度問い直せばいいのです。

「○○さん、・・・すると言ったけど、それってどういうことかもう少し詳しく聞かせてくれる」
・・・
「なるほど、同じようにするという人いる。じゃあ△△さん」
・・・
「私は違うようにするという人いる。××さん」
・・・
「色々な考えが出てきたね。最後にもう一度、自分の考えを書いてみてくれるかな。最初と変わってもいいよ」
・・・

こうすべきだ、こちらが正しいといった議論ではなく、人の考えを聞き、自分の考えと比べ、もう一度考え直す。このことを繰り返すことで、次第に深く考えて行動できるようになっていきます。子どもたちが色々なことを「私」の問題として考える時間の一つとして道徳を活かしてほしいと思います。
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