記録と記憶

私は、若いころ記録を取ることに対してあまり積極的ではありませんでした。記録を取ることにエネルギーを使うと頭に残らないので、その場で整理して記憶することに集中していたのです。もちろん、記憶から消えてしまうこともありましたが、記憶に残ったことが自分にとって大切なことだと思ってあまり気にしてはいませんでした。学校で授業アドバイスを始めたころも、まだこの習慣は残っていました。メモもあまりとらずアドバイスするのですが、その時記憶に残っていたことを元にお話ししていました。しかし、歳を重ねるにつれて記憶力が落ちてきたのでしょうか、アドバイスしようと思っていたことが記憶の淵からこぼれるようになってきました。メモの必要性が高くなってきました。しかし、メモを頼るようになると今度は、アドバイスをした内容が記憶に残らないようになります。経験が蓄積しなくなってきたのです。記録として残しておかなければいけないと思うようになりました。この日記でアドバイスの内容を細かく書くようになったのは、私にとって記録の要素が大きくなってきたということなのです。

同じ学校でのアドバイスの変化を追うとその学校の成長がよくわかります。同じようなアドバイスが続いていれば、そこに問題があるということです。また、私のアドバイスの効果がないわけですから、異なった視点でのアドバイスが必要とされているということです。自分の行動を記録として残し、後で読み直すことは客観視できるという利点があるのです。残念ながらこのあたりまえのことに気づくまでに、ずいぶんと長い時間をかけてしまいました。

私の知り合いで初任者の指導員をされている方がいらっしゃいます。その方は初任者研修通信をこの1年で167枚出されたそうです。これを製本して1冊の本として残されるということです(ブログ記事参照)。指導を受けた初任者にとっても素晴らしい記録となります。また、指導していた新卒教員に学級通信を製本するよう勧めたようです。製本にあたってまえがきを書かれたという記事が公開されています(ブログ記事参照)。自分の記録をきちんと残しておくことが指導されているようです。子どもたちにとって自分の成長を感じることは、とても大切なことです。このことは若い教師にとっても同じです。このことをきちんと伝えているのです。このことを受けて、ある校長がブログで初任者の時に学級通信を製本しておくように指導されたことを書かれています(ブログ記事参照)。こういった先輩を持つことのありがたさがよくわかります。
製本に当たって先輩からまえがきを書いてもらうことで、記録としての価値がより高まります。数年後に読み返すことで、また気づけることもあるはずです。こうして、経験したことが体の中に記憶され、力をつけていくのだと思います。

記録すればいいのではありません。経験を記録すると共に大切なことを体に記憶させ、自分の力とすることが大切です。バランスよく記録と記憶をしたいものです。

ビジネスと授業の共通点

これまで全く接点のなかった業界の方と仕事をしています。新しいビジネスの構築にあったって、いろいろとアドバイスをさせていただいています。私が顧客の視点に立つことで、専門家でないことを活かせると考えています。素人ですから何でも気軽に聞けます。こんなことを考えるのではないかと想像もつきます。質問することで、プロジェクトチームで課題が共有されていきます。
このことは学校での授業と考えることと同じ視点です。授業は教師が教えたいことをどう伝えるかばかり考えていてはうまくいきません。子どもがどう受け取るか、どう考えるかといった子どもの視点で考えることが大切になります。
子どもの視点で授業を見る、考えるための一つの方法が、模擬授業です。教師が子ども役になることで子どもの視点を意識できるようになるのです。模擬授業で子ども役がどんなことを感じたか、何を疑問に思ったかを伝え合うことで、教師の視点からでは気づけなかったことを共有することができます。

また、ビジネスを考える時に常に意識しているのが、かかわる人に最終的にどうなってほしいのか、それは具体的にその人がどんな場面でどのように感じる、行動することなのかです。ビジネスに関するいろいろな企画をしていると、細部に目を奪われて最終的なゴールが見えなくなってしまうことがよくあります。大切なことは、「何をするか」ではなく、この企画を実行した時、顧客や関係者が「どうなるか」です。その姿が目指すゴールと一致しているかどうかが問題なのです。このことも、授業を組み立てる時と同じ視点です。授業で目指す子どもの姿が具体的になっていつも頭の中になければ、授業中の子どもの反応に対応することができません。子どもにどうなってほしいのかが場面場面での判断の基本になるからです。

ビジネス書で学ばれる学校の管理職が増えています。学校経営だけでなく授業にもビジネスの世界と共通のことがたくさんあります。何かを達成するための視点は、ビジネスだろうが授業だろうがそれほど大きくは変わらないように思います。今私が経験のない業界でのビジネスで学んでいることも、授業を考える上で大いに役に立ってくれると期待しています。この経験を学校教育の世界によい形で還元したいと思っています。

校長が一番学んでいる

かつて、「いるかいないかわからないのがよい校長」「校長元気で留守がいい」などと言われることがありました。今はそんな言葉を聞くことはありません。校長が判断し、指示すべきことがとても増え、特色ある学校づくり、地域に開かれた学校、小中連携など、かつてないほど校長のリーダーシップが必要とされています。過去の経験に頼ってのんびりと学校経営をすることなど考えられなくなっています。地域や保護者を巻き込んだ学校経営手法、LINEに代表されるネットに関する情報など、校長が学ばなければならないことは多岐にわたっています。私が関係しているセミナーやフォーラムでも管理職の参加率が非常に高くなってきています。学校で一番学んでいるのは校長という時代が来ているようです。

新しい課題だけでなく、「授業」に関する研修にも多くの校長が参加しています。校長が授業することはほとんどありませんし、今までの授業経験も豊富ですから、授業に関して困ることもないはずです。なのに、なぜ授業なのでしょうか。もちろん授業が教師の基本であり、授業好きの方が校長になっているということも理由の一つですが、学校の授業の質を高めることが課題となってきていることが大きいと思われます。ベテランが退職して、若手がどんどん増えてきています。彼らを育てるのが喫緊の課題となっています。また、子どもの学習環境の差が大きくなり、今までの授業の進め方ではうまく対応できないことも増えてきています。学級崩壊は若手だけでなく、ベテランでも起こすのです。教務主任や学年主任に任せるだけでなく、校長自ら積極的に授業について発信する必要が起こっているのです。経験豊富な校長といえども、自らの経験だけを語っても相手に受け入れられるわけではありません。力がある校長ほどそのことをよく知っています。そのため、少しでも多くの引き出しを持つために、自ら授業について学ぶのです。
また、同じことでも、校長の言葉より第三者の言葉として発信する方が伝わりやすいこともあります。伝えたいことをセミナーで学んだこととして発信するために、外部に学びにいくという側面もあるのです。私は学校で授業アドバイスをしていますが、力のある管理職は、私が指摘するまでもなく、自校の教師の課題をよく知っています。そういう方は自分の代わりに第三者の立場で指摘する役割を私に求めています。同じ考え方です。

私が運営にかかわっている「教師力アップセミナー」では、若手と連れ立って参加している管理職の姿も目立ちます。口だけでなく行動で学ぶことを教えているのです。「いい話だったね。勉強になったね」とコミュニケーションをとっている姿を見て、ここまでしなければいけない時代になったのかとも思います。

元気な学校の校長は間違いなく積極的に学ぶ姿勢を見せています。そういった校長に会うたびに頭が下がる思いです。来年度も管理職対象の講演をいくつかいただいています。こういった素晴らしい校長の姿を伝えることで、少しでも多くの管理職に元気になっていただけることを願っています。

できることしかできない

年度末も近づき、来年度のお仕事の話もすでにいくつかいただいています。最近では学校や教育委員会以外からのお仕事も少しずつ増えています。子育てといった教育の延長上にあるものから介護関係といった畑違いと思えるものまで、様々です。子育てに関して経験豊富というわけではありませんし、また、畑違いのことに特に詳しいということもありません。それなのに何でそんなに気楽に引き受けるのか、はたからは不思議に思われていることでしょう。野口芳宏先生ではないですが、基本的に依頼に対する答は、「はい」か「イエス」しかないと考えるようにしています。私がそれに応えられると考えているからこそ依頼していただいたのですから、断ることは、その相手の信頼を裏切ることになると考えるからです。その上で、「私にできることしかできませんが、それでよろしいですか」と確認しています。「できることしかできない」というのはずいぶん無責任に聞こえるかもしれません。「今の自分に」できることしかしないというつもりで言っているのではありません。精一杯「考え」「勉強し」「努力する」が、結果としてできることしかできないということなのです。できるかどうかわからないことを「できる」という自信はありません。しかし、その信頼に応えるため、自分にできることはやる。「今の自分」ではなく、「未来の自分」ができることに対して「できることしかできない」と言っているのです。

いくつになっても、新しいことに挑戦することは勇気がいります。しかし、依頼していただけるということは、きっとうまくいくと信じてくださっているということです。そのことを支えにすることで、自信のないことにも挑戦することができるのです。ありがたいことに、この歳になっても、挑戦することで必ず何かしらの成長をすることができます。私にとって、畑違いの仕事を依頼されることは、成長をするチャンスなのです。
一昨日も、全く畑違いの仕事を依頼されました。正直まったく自信がありません。しかし、相手の方に教えていただきながら、自分にできることを考えることで、きっと何かを生み出すことができると思います。そのことを信じて、また新しい分野に挑戦します。このような成長の機会をいただけていることに感謝したいと思います。

高校入試における面接を考える

愛知県では公立高校の一般入試が終わりました。全国的にもほとんどの都道府県で2次募集等を除いて終了したと思います。高校入試では、面接があるのが普通になりました。学力だけでなく、総合的に人物を見るということが建前です。この時期になるといつも思うのが、高校入試で面接は意味のあることなのかということです。

県や学校によっても異なると思いますが、限られた時間でかなりの人数を相手にすることになりますから、一度に数人ずつ同時に面接することになると思います。一人当たりにかける時間はとても少ないはずです。私の過去の経験から言っても、名前や希望理由などの決まりきったことを聞くと、ほとんど時間がなくなってしまいます。このような短い時間で人物を見抜くことができるのか疑問なのです。
学校で答える内容も指導されているのか、同じ出身校の生徒が全く同じ答をすることも決して珍しくもありません。面接官は問い返すこともできるのですが、受験生が返答に窮するようなことは聞かないことになっているのが一般的です。将来就きたい仕事を質問して、「人の役に立つ仕事」といった間抜けた答をしても、「では、人の役に立たない仕事というのはどんな仕事ですか」と問い返すことはまずありません。本当はこういった問い返しに対する受け答えで人物がよくわかるのですが、パニックなってしまう危険性があるからです。意地悪な質問をされたと抗議される可能性もあるようです。

では、面接ではどこを見るのでしょうか。実は受け答え以外の部分が大きいのです。まず、明らかに身だしなみや態度がおかしいという生徒をチェックします。このような受験生はめったにいないのですが、いれば確実にマイナス点がつきます。そして、(少なくとも私は)質問されていない生徒の様子を観察します。他の受験生の受け答えを他人事のようにボーとして聞き流しているか、そちらに意識を向けてうなずくなどの反応しながら聞いているかを見るのです。このことは意外と指導されていませんし、指導してもすぐにはできないようです。日ごろから聞くことを意識した授業がされていると思われる学校からの受験生は、自然に他の受験生の言葉を聞く姿勢を見せます。このことが面接で大きな加点や減点になるかどうかわかりませんが、突っ込んだ質問ができない条件下では、他の受験生との差別化にはなるように思います。

とはいえ、制限された条件下での面接ではどうしても限られたことしかわかりません。評価に大きな差がつくことはあまりないのです。しかし、一人当たりにかける時間が少ないにもかかわらず、トータルではかなりの時間が使われています。これだけの人的コストに見合うだけの情報が得られていないと思うのは私だけでしょうか。選抜のためと言うよりも、中学校の生活指導上の要望の方が大きいように思うのは考えすぎでしょうか。高校入試における面接は形式的なものと割り切るべきなのか、それともより意味のあるものに変えていくべきものなのか、毎年この時期に思い悩んでいます。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

画像1 画像1
今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31