相関と因果の違いを意識する

学校で行ったアンケートなどのデータを見せていただく機会がよくあります。この時気をつけているのが、相関と因果の違いです。

例えば先日の新聞にあった「だらだらネット成績ダウン」という記事は、全国学力学習状況調査をもとに、ネットを長時間使う生徒は正答率が低かったという事実を報道しているのですが、ネットの利用時間と正答率に(負の)相関関係があるというだけであって、ネットを利用したから正答率が低いという因果関係があるかどうかまでは根拠しているデータからは言えるわけではありません。そもそも勉強が嫌いだからネットをたくさん利用したのかもしれません。ネットを利用しなければテレビを見ていたのかもしれません。学習時間と正答率、学習時間とネット利用の関係を調べて、学習時間が多ければ正答率が高く、同じ学習時間でもネットをよく利用する子どもの正答率が低いというような結果がでれば、どうもネットの利用は正答率に悪い影響を与えるようだということになります。同じ学習時間であれば、ネットの利用にかかわらず正答率が変わらないのであれば、ネットではなく学習時間が少ないことが原因と言えそうです。
相関関係を深く考えずに因果関係に置き換えてしまい、その結果もっともらしい結論が見えてくると、ついそれに飛びついてしまいます。このようなことがないように、因果関係が言えるためには他にどのような条件やデータが必要かを考える習慣を持つことが大切です。

先ほどのネット利用と正答率の関係は、ネットのない時代のテレビの視聴時間と学習成績の関係と同じような傾向があるのではないかと思います。子どもたちは、学習よりも目先の面白いものに時間を使う傾向があり、そのような子どもは学習成績がよくないということでしょう。このことを裏付けるデータを持っていませんが、もしそうであれば、ネット利用を制限することが正答率を上げることにつながるかどうかは、ネットの利用時間が減ると学習時間が増えるかどうかに依存するわけです。ネットの利用を制限しても、学習以外のことに時間を使うならばあまり意味はないということです。正答率に寄与する要因が何かを見極める必要があるのです。

もしネットと学習成績に因果関係があるかどうかを知りたければ、そのことがわかるためのデータを集める必要があります。学校のアンケートも相関関係を知りたいのか、因果関係も意識するのかでその質問項目やデータ処理の仕方が変わってきます。相関と因果関係を混同せず、その違いを意識して情報を集め、分析するようにしたいものです。

若い先生方の成長について考える

仕事の関係で若い先生方にアドバイスする機会がたくさんあります。若い先生方をひとくくりにしてどうこう言うことは乱暴なことですが、感じることを少しまとめてみたいと思います。

・目指す教師像、授業像がはっきりしない
何を目指して教師になったのかを聞いても明確な答えが返ってこない。強い思い入れも感じない。授業に関しても、目指す子どもの姿が具体的になっていない。

・意外に素直
なかには表面的に聞き流す人もいるが、総じて指摘されたことは素直に受け止めてくれる。愚直に指摘されたことをやり続ける人の伸びは大きいが、ちょっとやってみてうまくいかなければそれで止めてしまう人も多い。

・コミュニケーションが表面的
同僚とそつなくかかわるが、ぶつかり合うほど深くはかかわろうとしない。他者から盗むことや、互いに学び合うことができない。仕事上で苦しいことがあっても、自分一人で抱え込んでしまう。

・考えることが苦手!?
授業を振り返ってどうすればいいのか問いかけても、なかなか自分で答を見つけることができない。答を教えてくれるのを待つ傾向が強い。ネットなどを使って指導案などを手に入れることはするが、自分で考えてアレンジすることが上手くできない。

・表面的な学力しかない
たとえ自分の専門教科であったとしても、教科でつけるべき力は何か、見方・考え方は何かといった教科の本質に迫る部分がわかっていない。与えられた問題を解くことばかりをしてきたように感じる。教科書を見ても、なぜこの問いがあるのか、なぜこの資料が取り上げられているのかといったことを考えようとしない。

だからといって、私がどうこうできるわけではないのですが、いくつか心がけていることがあります。1つは具体的な場面でどうありたかったのかを引き出し、では具体的にどうすればいいのかを一緒に考える。もう1つは、アドバイスを受けて変化したところがあったら、たとえ上手くいっていなくても変わろうとしていることを評価する。そしてあと1つ、困っていることを聞かせてもらい共有することです。
しかし、このようなことを意識して接しても、教科の本質にかかわる力はなかなかついていきません。個々の授業技術や子どもたちとの人間関係づくりといったものは着実にできるようになっていくのですが、こればかりは一朝一夕で身につかないようです。具体的な授業場面で話をしても、それは点でしかありません。一つひとつの教材すべてについて話をすることも不可能です。本人がいつもこのことを意識して教材研究を行い、時間をかけて地道に学び続けるしかないようです。ただ、もう1つとても有効な方法があります。それは、教材研をみんなで行うことです。特別な授業ではなく、ふだんから同僚と授業について話し合うことで、確実に力をつけることができます。とはいえ、学校現場を見ていてこのことが一番難しいようにも思います。授業について話し合う時間が現実にはなかなかとれないのです。若い先生が育つための環境も厳しいのです。

若い先生方の成長には、まわりの働きかけがとても大切に思います。昔のように自分で盗んで成長しろということは通用しません。かかわる先生方一人ひとりが彼らの成長を意識して接することをお願いしたいと思います。

懇親会で考える

先週末、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会の懇親会に参加させていただきました。学校や教育についての話で盛り上がり、気づけばいつものように3時間以上の時間が経っていました。先生とは違った立場と視点の方のお話はいつも新鮮で、楽しいものです。

自分たちの思いを持って主体的に学校に働きかけるだけでなく、校長や先生方の思いをくみ取って実現への手助けや時にはアドバイスもする。そんな方々です。この10年余りにあったいろいろな出来事について、その背景や思いをうかがいながら、保護者や地域と学校がよい関係であるということはどういうことかを改めて考えました。
「子どもたちのため」になることであれば、互いに妥協できる。よい関係であるとは、子どもたちの成長のために譲り合い、協力できること。以前は、単純にそのように考えていました。しかし、時には互いにぶつかり合って、新しい考えや価値にたどり着くことが大切であることを、このおやじの会や地域の方々から気づかせていただきました。
保護者の中には、「学校に子どもを人質に取られている」ということを言われる方がいます。実際に、学校が子どもを人質にして何かを保護者に要求したということを聞いたことがありません。ぶつかることはエネルギーのいることです。それよりも黙って言われるままに動いた方が楽なこともあります。学校に対して自分の言いたいことを伝える、ぶつかることをしない言い訳に使っているのです。
学校と地域がよい関係であるということは、子どもたちの成長のために互いが協力することだけでなく、互いに学び合っていることだと考えます。子どもたちをその中心に置き、保護者と地域、学校が互いにかかわりあいながら自分たちも成長することなのです。そのことをこの会の皆さんの姿から学ばせていただきました。

先日の地域フェスティバル(地域と学校が一体となって子どもを育てる参照)に関連して、教室を使ったイベントを担当された方が、「まだまだ子どもが育っていなかった」とそのイベントであったトラブルと、自分が子どもたちを叱らなければいけなかった話をしてくださいました。子どもたちに任せると言っても、子どものことです失敗もします。そのことをきちんと叱れる大人の存在の大切さを感じます。来年このイベントを担当する子どもたちに、叱られたことがどのように活きていくのでしょうか。思いが伝わってくれることを期待します。

いつものように楽しく、またいろいろなことを考えるきっかけとなる会でした。いつもお声をかけていただけることを本当にうれしく思います。
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