1学期を振り返って

1学期も終わり、学校へ出かけての授業アドバイスは一休みです。たくさんの授業を見せていただきました。多くの授業に共通して言えることがいくつもあります。また印象に残る授業にもたくさん出会いました。少し振り返ってみたいと思います。

・育てる視点で子どもを見ている学級は授業規律が確立している。
教師が「できていないことを叱る」姿勢の学級では、その瞬間は子どもが緊張して指示に従いますが、すぐに緊張が弛みます。そうするとまた叱られるので、子どもは安心して授業を受けることができません。教師が視線を外すとすぐに落ち着きがなくなります。授業者が子どもをチェックする視線で見ている学級では、一見落ち着いているように見えても子どもが集中していないことがほとんどです。授業規律が確立しているとは言えない状態です。
それに対して、「できている子どもをほめる」。できていない子どもに対しても「できた瞬間にほめる」。そういう姿勢で接している学級では授業規律が確立しています。子どもが緊張せずに、柔らかい雰囲気で集中している姿を見ることができます。

・教師の笑顔が多いと、子どもの笑顔も多い。
当たり前のことですが、教師が笑顔で子どもに接していると、子どもの表情もよくなります。しかし、意外にこのことができていない方に多く出会います。私は教師の基本は笑顔だと思っています。

・指示の徹底は授業規律の確立につながる。
指示をして、全員が指示に従うまで待っている学級では、授業規律が確立していることが多いようです。指示を徹底するためには、一度に複数の指示をしない、指示をしたら確認をするということも大切です。こういうことが意外とできていない場面に出合いました。

・教師が温かい視線で子どもを見ることが集中につながる。
子どもは作業を始める時は集中していますが、しだいに集中力を失くします。そんな時も、顔を上げて教師の優しい視線に出会うとまた集中力を取り戻します。音読をしている時なども、教師がしっかり子どもを見ていると集中力は落ちません。

・基本ができるだけで子どもの授業態度はすぐによくなる。
笑顔で子どもに接する。子どもの言葉を受容する。できたことをほめる。子どもをよく見る。こういった基本を意識することで、経験の少ない教師でも驚くほど授業が変わります。数か月、時には数週間で、子どもたちが落ち着いて、集中して授業に参加するようになった例をたくさん見ました。

・数人しか手が挙がらないときの対応。
数人しか手が挙がらないのにすぐに指名して授業を進める場面にたくさん出会いました。答がわかっていても手を挙げない子どももたくさんいます。安心して答えられる雰囲気をつくること。まわりの子どもと確認し合う時間を取る。挙手した子どもにヒントを言わせる。など、いろいろな対応が考えられます。挙手した子どもを指名しなければならないという思い込みは捨てて柔軟な対応をしてほしいと思いました。

・見たい子どもの姿が明確な教師の成長は早い。
1学期見た中で、急速に進歩したと思う教師に共通していることは、素直であることにプラスして、子どもたちのこんな姿が見たいということがはっきりしていることです。子どもが友だちの方を見て集中して話を聞く。自分の言葉で友だちに伝えようとするといった目指す姿が場面ごとにはっきりしているのです。このことを意識していれば、授業中にそのような姿が見られるか常にチェックをするはずです。うまくいった、いかなかった理由を毎日考え続けることで、確実に力がつくのです。

・子どもを受容することが学校全体で共有できていると、異動者が苦労する。
できていない子どもをチェックして指導してきた方は、そのやり方でそこそこうまくいったという成功体験を持っています。ところが、受容されることに慣れている子どもは、できていなことばかり指摘されたり、叱られたりすることにうまく対応できません。そのスタイルをなかなか受け入れられないのです。結果、教師は同じようにやっているのに今までのように上手くいかないので、この学校の子どもたちははやりにくいと思ってしまいます。子どもが悪いと思うと、自分を変えようとせずに子どもを変えようとします。ますます叱るようになっていきます。子どもとの関係が決定的に悪くなっていくのです。
こういう教師は基本的な指導力はあることが多いので、そのスタイルを変えることですぐによい方向に変わっていきます。難しいことではないので、そのことに気づく機会をどうつくるかが問われます。4月5月の早い時期に、そのような機会をつくった学校ではこの問題にかなりうまく対処できていました。

・学校全体を考えるとリーダー層の動きが大切。
全体がよい方向に変わってきている学校は、間違いなく教務主任クラスの動きが大きく影響しています。日ごろから授業に関する情報を発信する。先生方の授業を見て、よいところを共有するようにする。若手に対して、授業についての相談に乗ったり、授業を見てアドバスしたりする。スタイルは一人ひとり違いますが、間違いなくこういう動きをしているのです。

多くの先生から本当にたくさんのことを学ぶことができた1学期でした。授業を見せていただいた先生すべてに、あらためて感謝です。

懇親会で元気をいただく

先日、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会の懇親会に参加させていただきました。いつものように楽しい時間があっという間に過ぎ、気づけば3時間ほども話し込んでいました。

地域の住人として子どもたちに何ができるか、口先でなく実際に行動されている方々です。その言葉には重みと説得力があります。校区という狭い範囲を越えて、市全体での視点で考えられています。
子どもを取り巻く環境を考えるとき、物理的な環境と人的な環境があります。物理的な環境には、学校や保育園、児童館といった機関や施設、人的な環境には教師や保育士、保護者や友だち、それに地域の大人などがあります。これらの環境がうまく連携することで子どもたちが健全に育っていきます。そのための機関としてPTAや健全育成会などがありますが、いつも言うように、この会のメンバーのように草の根的に子どもたちを見守り、学校や地域との調整役も務めてくださる方はとても貴重です。時には辛口の意見を言われることもありますが、決して一方的に押し付けるようなことはしません。子どもたちだけでなく、学校や教師も育てようとしていることがよくわかります。視点が温かいのです。話を聞かせていただいてそのことがとてもよくわかります。

真剣に子どもたちの未来を考えながら、しかし決して肩ひじ張らずに等身大の自分でできる範囲で日常的に活動されています。10年にもわたっておつき合いさせていただいていますが、息の長い活動には感心するばかりです。
この日も楽しくお話させていただきながら、たくさんの元気をいただきました。お誘いいただきありがとうございました。

保護者会に「行けないのではなく、行きません」

先週、今週は保護者会を開いている学校が多いと思います。保護者会に関連して、こんな話を耳にしました。

この日保護者会(個人懇談)に母親が出席予定の生徒が、「母親が来ないかもしれない」と曖昧なことを言ったそうです。どういうことか尋ねても「いろいろあって」と言うだけで、なかなか答えようとしはしません。ようやく聞き出したところ、どうやら成績のことなどでけんかになったようです。勝手にしなさい。親は知らない。そういうことなのでしょう。しかし、本当に来ないのかどうかは生徒にもわからないようです。そうは言っても来てくれるかもしれないと思っていたのかもしれません。結果は、親からの連絡なしのドタキャンです。子どもを通じて連絡したから問題ないと思っているのかもしれません。担任が連絡を取ったところ、「行けないのではなく、行きません」という返事でした。
もう一人出席されない方がいるので、夏休みにでも都合のよい日を設定しようと電話したところ、「行けないのではなく、行きません」という全く同じ返事でした。子どもが勉強を頑張るという約束を破ったから、もう知らない。本人が好きにすればいいというわけです。よく似た話です。同じ言葉を1日に2度も聞くとはと、担任は苦笑していました。

これはいったいどういうことなのでしょうか。親の気持ちもわからなくはありませんが、それは家庭内のことです。子どものことなど知らないと言っても、保護者としての責任が無くなるわけではありません。また、社会人として、保護者会に出席すると担任と一度は約束したのですから、そんな簡単に反故にしてよいものとも思えません。何か変です。そもそも、親の思い通りにならないのが子育てです。だからこそ、子どもに寄り添い、見守ることが大切です。学校とも協力することが必要となるのです。それを、本人と学校に任せるというのは、自分勝手な責任放棄です。子どもは、喧嘩はしても、内心は自分のために保護者会に出席してくれることを願っているかもしれません。これも新手のネグレクトなのかもしれません。しかし、本人は自分の行動をいたって正当なものと思っているのです。子どもが家庭内で自分の居場所を失くしてしまわないか心配です。

モンスターペアレントが話題になりましたが、この種のネグレクトもこれから増えてくるのでしょうか。子どもたちを取り巻く環境は、以前とは変わってきているように感じます。本来家庭が担うべきことを果たせていないと思うことが増えてきています。解決策は簡単に思い浮かびませんが、学校が何らかの肩代わりを迫られるのは間違いないでしょう。学校と教師がその負担に耐えきれなくなることがないように祈るばかりです。

伸びる先生の条件(その3)

以前に伸びる先生の条件について書かせていただきました(伸びる先生の条件伸びる先生の条件(その2)参照)。「素直」「謙虚」「向上心」といった資質や「目指す教師像」を明確に持つことが大切であることをお伝えしました。私の授業アドバイスや授業研究をきっかけに伸びる先生は、先ほどの条件を満たしていることはもちろんですが、そのほかにも共通していることがあります。「非日常を日常に変える役割」でも書きましたが、私のアドバイスや授業研究は非日常です。それをきっかけに、指摘されたことを意識して毎日の授業をおこなっていることです。非日常を日常に変えているのです。

わずかな期間で授業がよい方向へ変わった先生に、どのようなことに気をつけたかを聞くと、多くの場合、ほんの1つか2つのことだけを意識したと返事が返ってきます。たとえ「子どもの言葉を否定しない」「いつも笑顔を忘れない」「指示は必ず確認する」といった基本的なことであっても、たくさんのものが上がってくることは稀です。今自分に必要なこと、やれそうなことを地道に毎日続けているのです。
複数の先生方に同時にアドバイスしても、何が残るかは人によって異なります。大切なことは何が残るのかではなく、続くかです。指摘されたことを全部「よし、明日からきちんとやるぞ」と意気込んでも3日坊主では何も変わりません。続けられそうなことに絞って、やり続けていくことが大切です。
意識しておこなっていることもやがては習慣となり、無意識におこなえるようになります。無意識にできるようになれば、次のことを意識しておこなう余力が生まれます。こうして少しずつ、しかし確実に進歩していくのです。

もう一つ共通していることは、子どもをよく見ているということです。意識しておこなっているからといって、実行することが目的ではありません。その先に必ず子どもの姿があります。彼らはどのような子どもの姿を見たいかも意識できています。人は、見たい、見ようと思っていないことには気づけません。漠然と子どもを眺めていても何も情報は入ってきません。意識して見ることが必要なのです。
最近よく例に出すのが信号の赤は右か左かです。これに即答できる人は意外と少ないのです。生まれて今まで何千回と見ているはずなのにです。しかし、意識して見れば誰でもすぐにわかります。子どもを見るということもこれと似ています。おこなっていることと見たい姿が対になって、子どもが見えるようになるのです。子どもを集中させたいと思って顔を上げるように指示したのなら、子どもが集中しているかどうか意識して見ます。集中していることがわかれば、自分の対応はよかったのだと自信がついてきます。集中していなければ、どこがいけなかったか、どうすればよいかを考えます。新たな工夫を自然にするようになります。子どもを見るというのはこういうことなのです。

授業では「一時に一事の原則」と言われるものがあります。指示はいくつかをまとめるのではなく、1つ1つに分けて、できたことを確認してから次の指示をするというものです。教師の成長もこれと似ているのかもしれません。自分にやれることを1つずつ地道に取り組み、確実にできるようにしていく。このことの積み重ねです。伸びる先生は、非日常で得たことを意識して日常に変え続けているのです。
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