トータルコストを意識する

昨日参加した会議の合間に出た話題で、考えさせられることがありました。

営業の担当者が、顧客からの「こういう機能を付けてほしい」という要望を、文字通りそのまま開発の担当に伝えていることがよくあるのだそうです。開発の側からすれば、その機能が必要な理由やその機能をつけることで何を期待するのかがわからなければ、細かい仕様を決定することはできません。場合によっては、他の機能で代替するなど、別の実現方法を提案した方がよりよくなることもあります。しかし、情報がなければ何ともしようがないので、営業担当者に再度確認をお願いすることになります。きちんと情報を顧客から聞き取って伝えることはお願いしているはずですが、これがなかなかできないようなのです。
その原因の一つに、営業担当が忙しいことがありそうです。時間をかけて聞き取りをしていられない。要望を開発担当に伝えれば、取り敢えず前へ進む。その場はしのげる。そういう心理が働くのでしょう。

似たことにパソコンやケータイの設定の話があります。たとえば、メールの設定がわからないので教えてほしいと頼まれたときのことです。後々のことを考えて一つひとつの項目の意味を説明しながら進めると、何をすればよいかだけでいいと言われてしまうことがよくあります。結局、手順だけを教えることになりますが、別の機械に設定するときには、また一から説明をし直すことになります。たまのことなので、理解する手間をかける方が時間のムダと考えるのでしょう。

ここには、大きく2つの問題があるように感じられます。1つは自分の都合を優先して、相手のことを考えていないことです。1つ目の例では、もし開発担当が言われた通りのものを作っても、その目的がはっきりしていないため顧客が満足するものにならなかったり、使ってみたところ不都合が出てまたやり直しになったりというリスクもあります。顧客の言う通りのものをつくったのだから責任はないと言い訳できても、結局作り直すのであればだれにとってもいいことはありません。2つ目の例でいえば、その場は双方とも短い時間で済んで効率的に見えますが、次の機会にはまた1から同じことの繰り返しです。教える側はそれが嫌なので、次回は自力でできるようにと一つひとつ意味を説明しているのですが、聞く側はそのことを想像できないのです。
もう1つは、目先の結果だけを見て、先を見ていないということです。今は時間とエネルギーを節約できたように見えても、結局は何度も同じことの繰り返しになってちっとも先に進めないのです。このことは学校の現場でもよく見られます。答を教えて、手順を教えてという姿勢です。取り敢えず目先の試験で点を取れればよいという、その場しのぎの考え方です。そのような態度で勉強しても身につかないので、受験の前になって、もう一度はじめからやり直すという情けないことになってしまいます。本当に学力をつけるためには、基礎基本に時間をじっくりかけることが必要です。時間をかけて身につけたことはなかなか消えません。しっかりした土台ができると、ある時点から急速に伸びます。結果的により早く、より高いゴールに到着できるのです。
いずれにしてもトータルコストという考え方が欠落していると言えます。自分だけでなく、かかわる人すべての時間とエネルギーを考える。今だけでなく、将来も見通してトータルで費やす時間とエネルギーを考える。こういう視点がないのです。

このことは、個人の資質と言い切るわけにはいかないと思います。元来、教育の現場できちんとこのことを理解させ、そういう姿勢を身に着けさせているべきなのです。それができていないから話題になるのです。いかに効率的に答や手順を教えるかに力を注いでいる授業。試験に出るところを「大切」だと言って覚えさせる教師。いや、それ以前に校務処理のようすなどを見ていると、教師自身がトータルコストを意識できていないと思う場面にたくさん遭遇します。これでは、子どもたちにトータルコストを意識させることはできるはずがありません。
ちょっとした話題から、あらためて学校現場でトータルコストを意識することの必要性に思いを巡らせました。

卒業式で学校と地域の連携を考える

昨日は、中学校の卒業式に来賓として参加させていただきました。

学校評議員として、日頃から行事等での子どもたちの姿を見せていただいているので、彼らの晴れ姿には感慨深いものがあります。私たちの席からは男子しか見ることができませんでしたが、子どもたちがこの式にどのような思いを持って参加しているのかとてもよくわかりました。
特に合唱での体を揺り動かしながら自分たちの思いを振り絞るようにして歌う姿は、一人ひとりがこの3年間、この学校で素晴らしい時を過ごしてきたこと示していると思いました。

この学校では地域との連携をとても大切にし、色々な活動やイベントを子どもたちと地域が一緒になって企画・運営しています。子どもたちと共通の時間を過ごした地域の方がたくさんいらっしゃいます。ふとその中心となっている方に目を向けると、泣いておられました。卒業式の雰囲気に流されて泣かれたのではありません。子どもたちの成長を願うが故に、時には厳しい態度で接したこともあったはずです、ぶつかることもあったでしょう。そういう濃密な時間を共に過ごしたからこそ、彼らの成長した姿を、保護者や先生と同じように誇らしく思い、感動して涙したのです。

最近は学校と地域の連携がよく言われますが、廃品回収や校庭整備といった学校に対する物理的なサポートのお願いにとどまっているところが多いように感じます。地域の方が子どもたち一人ひとりと直接かかわらなければこのような素晴らしい涙は見ることはできないでしょう。来賓の多くが、子どもたちとのエピソードを持っている方々でした。来賓控室では、卒業生との思い出話も聞こえてきます。
子どもたちの成長した姿に感動するとともに、学校と地域の連携がもたらしてくれるものが何かを感じることができた、とても素晴らしい卒業式でした。

「授業から学ぶ」とは

今年度の授業アドバイスは先週で終了しました。おかげさまでたくさんの授業を見る機会をいただきました。授業を見せていただいて気づくことがたくさんあります。毎年延べ数百人の授業を見ていることになりますが、いまだにその学びは尽きることがありません。というか、年々増えているように思います。私が授業から学ぶために、どのようなことを意識しているか少し書かせていただきます。

授業中に教師ばかりを見ていると、授業技術にとらわれてしまいます。説明の仕方、指名の仕方、板書の仕方、机間指導の仕方、・・・。どうしても批評家的に見てしまいます。これではダメだ、こうした方がよい。こんな目で見てしまうのです。もちろん名人・達人級の方の授業では、これは素晴らしい、なるほどこういう対応もあるのかと感動することがたくさんあるのですが、それでも冷静に、ここはこういうことを意図して、こういう技術を使ったのだなと分析していたりしています。私の場合、教師を見ることで学べることは実はあまり多くはないのです。
いつも多くを気づかせてくれるのは子どもです。子どもたちは、興味を持てば、目が輝いてきます。集中した瞬間、学級の空気が変わります。わかった瞬間に、思わず声を出したり、わからなくて頭を抱えたりもします。悲しい、悔しい思いに、時には涙を流すことさえあるのです。そんな教室のドラマから、実にたくさんのことが学べるのです。

同じような授業展開や教師の対応でも、子どものようすや反応は全く違うことがあります。それまでに子どもたちがどのような経験をしていたのか、どれだけ育っていたのか、その背景を想像します。ほんのちょっとした教師の言葉の違いが子どもの動きを変えてしまったのかもしれません。時間を空けて同じ学級をみると、大きくそのようすが変わっていることもあります。きっと子どもを変える何かがあったはずです。それは、何かを探ります。
子どもの姿から、子どもの視点から授業をながめると授業の風景は大きく変わります。教師だけを見ていれば、同じような展開の授業を2度見てもそこで学べることは増えません。しかし、子どもを見れば、必ず違いがあるはずです。逆に違いがなければ、その課題なり、授業の展開なりが本来持っている力だということです。授業を見ただけ学びが増えるのです。

私の若いころは、同僚の授業を見る機会はあまりありませんでした。わずかながらも私が教師として成長できた理由を考えてみると、子どもが私にその姿で大切なことを教えてくれたのだと気づきます。授業中に突然立ち上がり「わからーん」と叫んだ子ども、私の不用意な一言に涙を流した子ども、「よくわかった」と言っていたのに試験はさんざんだった子ども、・・・。その背景、理由を考え、どうすればいいのかを悩んだから、こんな私でも少しは成長し続けることができたのです。

子どもから学ぶ姿勢を持てば、他者の授業を見る機会がなくても、毎日の授業が即、教師としての学びの場に変わります。自分の毎日の授業から学べるのです。ですから、私は若い先生への授業アドバイスを頼まれた時、その先生の授業を見るより先に、まず一緒に他の先生の授業を見に行くのです。教師を見ずに子どもだけを見ます。そこに見える子どもの姿は、教師が日ごろ教壇から見る世界です。その子どもの姿から何がわかるか、何を知らなければいけないのか、それを伝えるのです。

「授業から学ぶ」とは「子どもから学ぶ」と言い変えてもいいと思います。この視点を持つことができれば、どんな授業からも学ぶことができます。子どもの成長を手伝うのが教師の仕事です。その子どもの姿からの学びが多いというのは当たり前のことかもしれません。しかし、そのことに気づいていない先生が多いのもまた事実です。
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