有田先生の模擬授業で考える

本年度第7回の教師力アップセミナーは、社会科授業名人有田和正先生の模擬授業を中心とした講演でした。

有田先生の授業について誰しもが感じるのは、その圧倒的な知識量と教材研究の深さでしょう。今回特に強く感じたのが、教材研究の中でも授業構想力のすごさでした。
江戸時代の資料や事実を結びつけながら、「日本人の富士山への憧れ」というテーマに向かって進んでいきます。富嶽三十六景の1枚目「日本橋」を起点に、江戸城、富士山、高瀬舟、魚河岸、神田山、佃島、酒樽、伏見、伊丹、江戸の人口、都市づくりのインフラ、富士見櫓、富士見坂、振袖火事、江戸城天守閣喪失、富士山への江戸市民の憧れ、江戸市民への無税、家康の思惑、参勤交代、歌舞伎、富嶽三十六景「東海道程ヶ谷」、江戸時代の旅、富士登山、八百八講、伊勢参り、五百羅漢寺、女人禁制、荒幡富士、富士塚、タコマ富士とつながって、最後に服部半蔵、本能寺の変、佃村の漁師を付け加えました。途中で自己投資、学生の就職、京都のお寺、ベネチア、杭打ちへと脱線もしています。
前半は江戸の町づくり、後半は富士山への憧れ、脱線は教員の自己研鑽がそのベースにあります。
一つひとつの資料や事実については、私ごとき浅学のものでも多少は知っていることです。しかし、それらを結びつけて一つなぎの破綻のない授業にするというのは、なまなかなことではできません。今回の授業のきっかけはシアトルにある「タコマ富士」のような外国にある○○富士に興味を持たれたことにあると思います。そこから、これだけのものをつなげて一つなぎの授業にしてしまうというのは、単に知識があればできることではありません。一つひとつの知識が有田先生の中で有機的につながり、生きたものになっているからです。
知識をつなげばいい授業になるわけではありません。一つひとつの資料や事実はどれをとっても歴史を考える入口となるものばかりです。
富嶽三十六景から、江戸の文化、明治時代の浮世絵の海外流出、文明開化、印象派、・・・。
魚河岸から、水路、流通、市場、築地、・・・。
佃島から、三角州、埋め立て、漁業、のり、・・・。
家康の思惑から、武家諸法度、禁中並公家諸法度、身分制度、・・・。
参勤交代から、鎌倉時代の参勤、江戸の武家屋敷、経済効果、水戸藩の江戸定府、御三家御三卿、・・・。
私のつたない知識でも、歴史だけでなく、地理、経済、政治へとどんどん広がっていくことがわかります。
もちろん今回の授業では、これらのことを深く扱うことはされません。あくまでもテーマから大きく逸脱することは避けています。しかし、どの事柄もそれに興味を持った子どもに広い学びの世界へと誘ってくれるものばかりです。「追究の鬼」を育てるための種を蒔いているのです。

1時間の授業で教えられことはどれほどの名人でも限られています。しかし、それをきっかけとして子どもが学ぶ意欲を持てば、その学びは無限に広がっていきます。一見すると有田先生の授業は知識伝達型の授業に見えるかもしれませんが、素晴らしい学びへの扉を開くものです。とはいえ、この名人の授業を誰しもが簡単にまねできるわけではありません。中途半端にまねしても、単なる教え込みの授業になってしまいます。表面的な知識の披露ではなく、社会科としてどのようなことを考えるための知識、資料、事実なのかをしっかりと意識することが大切です。
たとえば、鎌倉幕府の成立がいつだったかを覚えることに大きな意味はありません(1192年以前であるという考えが主流となってきているようです)。同じ武士でも平氏ではなく、源氏の政権がクローズアップされることはどういうことなのか、それが世の中にどういう変化をもたらしたのか。それ以前と以後では何が大きく変わったのか。そういうことを考えるきっかけとして、鎌倉幕府の成立をとらえてほしいのです。

有田先生の素晴らしさは、その知識や教材研究の深さだけではありません。いつも笑顔を絶やさず、子どもの発言が期待したものでなくてもかならずポジティブに評価されます。子どもから考えを引き出さす技術はその知識量に負けない素晴らしいものです。
教師の基礎基本は対応の技術と読書である。基礎基本を磨き続けてほしいと訴えられます。教師が50歳を越えると、学級崩壊が起こる。学級崩壊が起きた担任の24%は50歳以上の人である。30年も先生をしていても、その間に基礎となる杭を打っていない。反省をしなければ勉強もしない。優れた授業も見ない。1年目にしたことを30回繰り返したに過ぎない。新規採用者と同じ。社会は変化したのに、自分が変わっていない。こういう人が学級崩壊を起こす。こう警鐘を鳴らされます。
80歳に近づこうとする今も、常に新しい授業づくりに挑戦されている有田先生の言葉だからこそ説得力が違います。

有田先生からはいつも多くの刺激と考えるきっかけをいただいています。今回の模擬授業の底に流れる、社会科の授業はどうあるべきかという主張から、多くのことを考えさせていただきました。また、講演の前後では授業づくりにかかわるいろいろな話を聞かせていただき、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。
2日後に迫った「愛される学校づくりフォーラム2013 in東京」で有田先生がどのような模擬授業を見せてくださるのか、ますます楽しみになっています(パネリストとしては不安とプレッシャーに負けそうですが・・・)。
有田先生本当にありがとうございました。

体罰の問題をきっかけに校長の役割を考える

体罰の問題が学校を揺らしています。学校への調査もおこなわれていると思います。ここで体罰その是非を論じることはしません。体罰を知った時、校長はその教師へどう対応するのか、その苦しさと校長の役割を少し考えてみたいと思います。

体罰をしてしまうのは、指導に熱心な教師であることが多いでしょう。だからこそ、改めさせて、そのような間違いを再び犯さないように指導をするはずです。その上で考えるのが、ことを公にするかどうかです。体罰の事実があっても、それが大きなトラブルになっていなければ、処分の対象にならないように教育委員会へあえて報告しないことも十分に考えられます。その教師の将来のことを考えた温情のある校長と評価されるかもしれません。しかし、荒れている学校では力で押さえなければという教師の意識を変えることはとても難しいことがあります。「体罰もやむを得ない」という強い姿勢でなければ子どもたちを押さえることはできない。そう信じる教師は、繰り返し体罰をおこなってしまうこともあります。体罰を容認する雰囲気が学校にできてしまうことはとても危険なことです。校長として毅然とした態度で接するしかなくなります。「泣いて馬謖を斬る」のたとえもあるように、体罰の事実を報告して処分対象とせざるを得ないこともあるでしょう。当然職員の反発も出てきます。たとえ学校を支えている教師たちでも異動してもらわなければいけないかもしれません。校長として学校経営も苦しくなります。学校の再生もままならなくなります。そのことがわかっていても、決断しなければならないこともあります。

こと体罰の問題に限らず、状況をリセットして学校を再生するための最後の仕事が、それを進めた校長自身の異動である。学校が再生していく過程ではこのような皮肉なことが起こっていることがあります。引き継いで学校を再生させた方が評価されても、そのための地ならしをして去った方が評価されることはまずありません。報われないとわかっていても自分のとるべき行動を決断するのも校長の役割です。
体罰の問題をきっかけにこのような校長の姿を思い出しました。

教師のための「マネジメント」が届く

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先日、明治図書より、教師のための「マネジメント」が届きました。編著者の一人長瀬拓也先生からのプレゼントのようでした。ありがとうございます。
若い先生はもちろんのこと、ベテランの先生にも参考になると思い、少し紹介させていただきます。

「マネジメント」という言葉は教育の世界ではうまく広がっていません。訳語である「管理」「経営」という言葉のもつイメージがなじまないのかもしれません。この本では、教師にとってのマネジメントを、

1.組織をつくり、目的と使命を与える(プロデュースの視点)
2.組織を動かし、環境をつくる(システム・ルールの視点)
3.組織とその中を見て、促進する(ファシリテーションの視点)

と、3つの視点でとらえています。
この本のよいところは、この視点を踏まえて<学級経営>、<生徒(生活)指導>、<授業・学習活動>、<教師の自己成長戦略>について理論だけでなく具体的な場面ごとの実践が提案されていることです。
日々の学級経営や授業に悩んでいる若い先生は、具体的なアドバイスを求めています。今直面している状況を切り開くための、具体的なヒントがたくさんあります。ベテランの先生にとっては、こんなの当り前だ、知っていると思う実践例もたくさんあるかもしれません。大切なことは、それらの実践が点としてではなく、「マネジメント」の視点で戦略的におこなわれることです。日々の実践を見直すよいきっかけを得ることができると思います。

私は、この本で示される場面ごとに「自分ならどうするか」とまず考えてから読み進めました。「そうだよね」「そういうやり方もいいな」「ここは気づかなかった」とクイズを楽しむようでした。この本の著者は30代前半から40代前半の先生がほとんどだそうです。私から見れば若い先生方からたくさんのことを気づかせていただきました。そのエネルギー、意欲から元気をいただきました。この本から学ばせていただいたことをよい形で現場に還元したいと思います。一度手に取ってみることをお勧めします。

教師のための「マネジメント」 明治図書 定価1,860円+税
長瀬拓也・岡田広示・杉本直樹・山田将由 編著
西日本教育実践ネットワーク 著

研修を受けることで考える

先日、NPO法人の会計基準についての研修を受けてきました。法律が変わって会計処理の方法が変わったため、その内容と会計処理の方法を知るためです。日頃とは逆の立場で研修や授業について考えることができました。

講習内容に関するハンドブックが手元に配られていたので、まずは自分にとって必要なところ見つけ読んでいました。ハンドブックは読めばわかるようにつくられているものです。これで必要な情報はほとんど手に入ります。読んで確認したいと思ったところが明確になると、それ以外についてはあまり話を聞く気はしませんでした。研修を受ける目的がはっきりしているので、それが達成できればいいからです。

研修はハンドブックをそのままスクリーンに表示しながら、講師が席に座ったままで淡々と説明をしていくものでした。はっきりした声で聞きやすい話し方を意識されていましたが、聞き手をひきつけるような工夫はありません。しかし、これでも全く問題は感じませんでした。この研修を通じて考えることはほとんどありません。会計基準の変更について必要な情報を知ればいいだけです。しかも参加者は知りたい、知る必要がある方ばかりです。講師の話から必要な情報を手に入れればいいからです。
受け手が学びたいと思っていれば、内容さえちゃんとしたものであれば研修は成り立つということです。自腹の研修と強制的な研修とで雰囲気が大きく違うのも、学ぶ意欲の差です。学校などで研修の講師をおこなうときには、まずこの意欲をどう高めるかが問題です。参加者の問題意識を高めるための問いかけや参加者にとって意味を感じる課題を提示することが必要になります。これは授業にもつながることです。子どもたちの学ぶ意欲があれば、すぐに本題に入っていくことができます。そうでなければ、まず意欲を高めることが必要です。相手の状況で変わっていくのです。

今回の研修で私の目的は十分達成できました。知りたかったことはすべて知ることができました。しかし、研修の間私はずっと集中していたわけではありません。講師の話も必要なところしか聞いていません。これは、問題が解けた子どもと似た態度です。答を知ることが目的であれば、問題が解けた時点でほぼ目的は達成されています。自分の答が正しいことを確認できれば、それ以外は無駄な時間になります。残念ながら、答を知ることを目的としている子どもたちや授業に思いのほか多く出会います。一人ひとりが互いにかかわりながらそれぞれの成長をすることを学校では目指します。社会性は重要な要素です。自分が答えを知ることではなく、全員で答を見つける、答の見つけ方を考える、友だちにわかるように説明する。こういうことを目的としなければ、教室での授業は成立していきません。今回の研修と学校の授業とは目的の形が異なるのです。このことは意外と意識されていません。子どもたちの求めるものが、教師が求める答の授業ではいけないのです。このことを先生方がきちんと共有することが大切です。もちろんこのことは保護者とも共有する必要があります。ホームページや学校通信などで活用して、学校にかかわるすべての人で共有してほしいと思います。

研修を受けながら、このようなことを考えました。
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