「ありがとう」を考える

私が意識的に使ってほしいと思っている、「なるほど」と「ありがとう」の2つの言葉のうち、今日は「ありがとう」について少し考えてみたいと思います。

子どもの行動に対して、「えらいね」「よくできました」「ごくろうさま」といったほめ言葉がよく使われます。実はこれらの言葉は上から目線の言葉です。もちろん相手は子どもですから、教師が上から物を言うのは当然という考え方もあります。しかし、視点を変えれば教師が子どもと同じ目の高さで話をすることで、子どもは自分がとても認められた気持になるということも言えます。例えば、校長から頼まれた仕事を提出した時に「ごくろうさま」と言われるのと「ありがとう」と言われるのと比べてみるとどうでしょうか。明らかに「ありがとう」の方が認められた気持になりますし、うれしく感じると思います。子どもたちでもこのことは同じです。このことは、子どもたちの学年が上がるにつれて重要になってきます。
中学校で生徒指導の力があると言われる先生のふだんの授業を見せていただく機会があります。不思議なほど共通しているのは、笑顔と「ありがとう」の言葉が多いことです。子どもにちょっと手伝ってもらった時、指名して意見を言ってもらった時、必ず「ありがとう」の言葉忘れません。というか、意図的に子どもに対して「ありがとう」を言う機会をつくろうとしているようにも見えます。子どもたちは、ふだん自分を認めてくれている先生だからこそ、その厳しい指導にも従うのです。生徒指導の先生はこのことをよく知っているのです。

「ありがとう」は、子ども同士でも使ってほしい言葉です。子どもたちが自然に「ありがとう」を言い合える学級づくりが大切です。配布物を後ろに送る時に、受け取る人が「ありがとう」を言うように指導している先生もいます。1日の終わりに、今日友だちに親切にしてもらったことを発表して、友だちに「ありがとう」を言う場を作っている方もいます。このように子どもが「ありがとう」を言い合える場面を意識してつくることも必要ですが、一番大切なのは先生が子どもたちにたくさん「ありがとう」を言うことです。授業中や学校生活のいろいろな場面で先生が「ありがとう」をよく言う学級では、子どもからも「ありがとう」の言葉がよく聞かれます。先生の姿勢が子どもたちに影響するのです。

人が他者から認められたと最も感じる言葉の一つが「ありがとう」です。「ありがとう」の言葉を子どもたちがたくさん浴びる学級をつくってほしいと思います。

「なるほど」を考える

細かい授業技術の前に大切にしてほしいと私が思っていることが、教師が笑顔でいることと「なるほど」と「ありがとう」の2つの言葉を意識的に使うことです。今日は、2つの言葉のうち、「なるほど」について少し考えてみたいと思います。

子どもは自分の発言を「間違い」と否定されると落ち込みます。自我が発達してくると間違えたことを「恥ずかしい」と思うようになり、そのような経験を重ねていくと次第に発言に消極的になります。そのことを知っている先生方は、「間違い」と否定しないように注意をしています。それに対して、「正解」という言葉はわりと気軽に使います。しかし、「正解」と言われなければ、それは「間違い」だと暗に否定されたことになります。「間違い」同様に「正解」も使うのに注意が必要なのです。また、よく聞く言葉に「他には?」があります。教師が、発言を取り上げずにすぐに他の意見を求めるということは、その発言は教師が求めているものではなかったということになります。子どもは「外した」と感じるでしょう。子どもの発言の受け止め方は、なかなかに難しいのです。そこで受け止める言葉として「なるほど」が浮上してきます。子どもの発言が正解だろうが不正解だろうが、教師の求める答であろうがなかろうが、「なるほど」と受け止めれば受容し、認めたことになります。「なるほど、・・・と考えたんだね」と言われれば、自分の発言をちゃんと聞いてもらえた、受け止めてもらえたと感じます。安心して発言できるようになるのです。「なるほど」を自然に使っている先生にも出会いますが、対応に困るような発言ではこの言葉が出ないことがあります。そういう時こそ、まず「なるほど」と受容しておくことが大切なのですが、困った時には自然には出てこない言葉なのです。日ごろから意識して「なるほど」を使う必要があるのです。

「なるほど」は、子どもたちに発言を評価させるのにも有効な言葉です。「今の説明でいいと思った人?」と子どもたちに発言を評価させることがありますが、発言者からすると友だちに自分の考えを正しいか正しくないかをチェックされたように感じます。友だちの手が挙がらなければ否定されたような気持ちになります。これに対して「同じように考えた人?」という問いかけは、同じ考えの子ども同士をつなぎます。同じ考えの人がいることは子どもの安心感につながり、子どもの同士の関係をよくします。しかし、違う考えの人とはつながりません。その意見を聞いて納得した人もいるはずですから、そういう子どももつなげることが必要です。そこで、「納得した人?」という聞き方がでてきます。ただ、「納得」というとその意見をしっかりと理解して、賛成しているというニュアンスになります。何となくいいと思った程度では手を挙げにくくなります。それに対して、「なるほどと思った人?」という聞き方があります。「なるほど」は「納得」ほど強い賛成でなくても手を挙げやすい言葉です。正解かどうかはわからないが、そういう考えもありそうだと思えば、「なるほど」と言えるのです。子どもたちに発言を受容させやすい言葉です。子どもの発言を子どもたちにポジティブに評価させたい時には、「なるほどと思った人?」と聞くとよいのです。

このように、「なるほど」は子どもを受容し認めるのにとても有効な言葉です。子どもの発言に対しては、とりあえず「なるほど」と受け止めておけば、子どもの発言意欲をそぐことはありません。しかし、発言の評価やつなぎを考えずに多用していると「先生は『なるほど』が口癖だね」と子どもに見透かされてしまいます。「なるほど」はとても有効な受けの言葉ですが、そのあとどのように評価してつなげていくかも意識して使ってほしいと思います。

ヒントを考える

課題はできるだけ子どもたち自身で解決させたいものです。そのために、時としてヒントを与えることが必要になります。ヒントについて少し考えてみたいと思います。

課題に取り組んでいる途中で一旦作業を止めさせて、「今からヒントを言うね」と教師がヒントを出す場面によく出会います。子どもたちは教師が言うヒントに対しては、それを素直に利用しようと考えます。教師の説明は無批判で受け止められるからです。せっかくどうすればいいのか考えていたのに、ヒントを出されるとそこでその思考は止まり、教師のヒントに従って動き始める子どももでてきます。思考が途切れてしまうのです。できるだけ子どもが考えたり判断したりすることを意識する必要があります。例えば国語であれば、「この文に注目してごらん」と具体的な一文をヒントとして示すこともあれば、「○○の言ったことに注目してごらん」、「会話に注目してごらん」とより範囲を広げることもできます。後者になるほど、子どもが考え、判断する要素が増えます。どのようなものを与えるか、子どもたちの状況によって判断することが必要です。「会話に注目してごらん」と言ったヒントは、課題に取り組む前に子どもたちに見通しを持たせるために使うこともよくあります。ヒントによる思考や判断が子どものそれまでの思考と上手くつながる保証はありませんが、いずれにしても、教師の言うヒントは、指示に近いものと受け取られます。
それに対して、同じことを言っても子どものヒントはとらえられ方が全く違います。「どの文に注目した?」と聞いて、「・・・に注目しました」という答が返ってきても、子どもはそれを無批判では受け容れません。困っていた子どもでも「そうかな?」と受け入れるべきかどうか一度判断します。友だちの考えと自分の考えを比較して考えることもするので、それまでの思考とつながりやすくなります。ですから、「いいところに注目したね」とその意見が正解へつながることを教師が示唆しないよう注意が必要です。もし評価するのなら「なるほど、○○の発言に注目したんだね」と、視点を評価するとよいでしょう。
また、算数などではより具体的なヒントでなければ手がつかない子どももいます。そういう子どもに対してのヒントを全体で言う必要はありません。机間指導などで、「・・・してごらん」と具体的に次の一手を指示すればいいのです。

教師の出すヒントは子どもにとっては指示になりやすいものです。ヒントは、子どもたちが自分で考え判断することを意識して、教師が言うのか子どもに言わせるのか、具体的なものにするのか抽象的なものにするのかを考えて提示してほしいと思います。
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