説明するとき意識してほしいこと

教師が説明をしたり、知識を伝えたりする場面で、教師の言葉が子どもたちに届いていないと感じるときがあります。「わかりましたか?」」と聞きますが、子どもたちに求めるのは「わかりました」という返事です。これでは、何がわかって何がわかっていないのかもはっきりしないままに進んでしまいます。教師が子どもに説明したり、伝えたりするときには、2つのことを意識してほしいと思います。

一つは子どもの視点で説明することです。教師にとって当たり前のことは説明せずについつい軽く流してしまうことがあります。用語や言葉もしっかり押さえずに使うこともよくあります。
たとえば、対角線は「頂点を結んだのが対角線だね」と簡単に確認することができます。しかし、「頂点」がしっかりと理解できていない子どもにとっては、この説明でははっきりしません。「結ぶ」のは直線(線分)で結ぶに決まっている、対角「線」というのだから線に決まっていると、教師にとっては当たり前のこととしてちゃんと押さえなければ、なんとなく「わかった」気になっただけで終わってしまいます。

「頂点てなんだっけ? この図形でいうとどこのこと? いくつある?」
「頂点と頂点を直線で結べる? 他にはない? 隣同士結んだのは何?」
「頂点と頂点を直線で結ぶと辺ができるね。辺しかできない?」
「隣り合わない頂点を結んだ直線(線分)を対角線というんだね」
「四角形には2本あるけど、五角形にもあるかな? じゃあ三角形はどうかな?」

子どもは一気に理解はできません。用語や言葉を一つひとつ具体的に押さえ、子どもの理解を確認しながら、段階を追って説明していくことが必要です。

もう一つは、わかったかどうかを確認する方法を意識して説明することです。この説明がわかったということは、何が言える、できることなのかを明確にしておくことです。先程の例でも、確認がいくつか含まれています。「頂点」がわかっているかどうかの確認を具体的な図形で指摘させる、いくつあるか答えさせることでおこなっています。対角線を理解したかどうかについても、他の図形で見つけさせる、実際に描かせる、図で指摘させるというようにいくつも考えることができます。確認の内容を意識すると、目標が明確になるため説明のポイントもはっきりします。教科書を読み解くにあたっても、教科書の確認場面を意識することで、そこに至る説明の意図が明確になってきます。

教師が説明をすれば子どもが理解できるわけではありません。子どもに理解させるためには、ちょっとした言葉もわからない子どもがいるかもしれないと意識して、子どもの視点に立って一つひとつ段階的に丁寧な説明を心掛ける必要があります。また、予め確認方法を具体的にし、そのことを意識して説明することが大切です。説明して終わりではなく、常に理解されたか、伝わったかを問いかけながら授業を進めてほしいと思います。

集中と緊張

子どもたちが姿勢を正して授業を受けている姿を目にします。しかし、必ずしも集中しているとは感じないことがあります。一方、背筋は伸びていませんが全員が集中している授業にも出会います。この違いについて考えてみたいと思います。

姿勢がよくても集中していないと感じる子どもたちは、身体や視線があまり動きません。友だちが発言したり教師が移動しながら説明したりしても話し手の方を向かないのです。次の課題や個人作業、グループ活動に移るときに、伸びをしたり体を揺らしたりする場面もよく目にします。身体が動かないということは緊張状態にあるのです。よい姿勢を維持するために緊張を続けているので、場面が変わると緩むのです。

話を聞こうとすると身体が話し手の方を向きますし、前傾姿勢になります。グループ活動でも話し合いが成立しているときは額を寄せ合うように前に傾きます。また、背筋を伸ばした状態で考えることはあまりありません。考えるときはリラックスしようと身体も動くものです。集中しているときはごそごそとは違う、自然な動きがあるものです。課題に集中していれば、次の活動に移るときでもムダな動きがなく素早く取り掛かります。

教師が子どもによい姿勢を求めすぎると、それが目的化して子どもを緊張状態にします。子どもがよい姿勢で聞いているので、ついついしゃべりすぎることもよくあります。子どもを受け身にしてしまい、ますます緊張を強いることになってしまいます。子どもの姿勢がよいからこそ、子どもに反応を求め、その反応をもとに次の活動をつくることが必要です。子どもを能動的に参加させることを意識しないと集中してはくれません。教師の説明を一方的に受けるのではなく、説明や友だちの発言を聞いて、考え・外化する場面をつくり、聞く必然性をもたせることが大切です。
子どもが集中しているのか緊張しているのかの判断をして、緊張を和らげ集中させることを意識してほしいと思います。

できる子どもをどう活かす

授業中に集中していない子どもを注意してみていると、意外とよくできる子どものことがあります。問題が解けたからいい、自分はわかっているから聞く必要はない。そう考えているのです。正解を言うことが評価されている学級でこの傾向が強くなります。互いに学び合う、かかわり合う場面でこういった子どもを活躍させ、評価することでより高いところを目指すようにさせることが必要です。そして、できる子どもをうまく活かして学級全体を伸ばすことにつなげていくのです。

日頃から、子どもたちには正解を求めるのではなく、その過程の説明を求めることが大切になります。そして、正解したことではなく、友だちが理解したことを評価するようにします。

「・・・になります」
「なるほど。それってどういうことか聞かせてくれる」
「・・・だから、・・・です」
「○○さんの説明で納得した人?」
「たくさんいるね。よくわかったんだね。すごいね。今、手を挙げたてくれた人。まだ納得できない人がいるようだから、もう一度説明してくれるかな。△△さん」
・・・

教師が正解を判断したり、説明したりせずに、子どもに説明を求め、子どもに判断させるようにします。説明すること、友だちに納得してもらうことに価値を置くことで、問題を解いて終わりではなく、どのように説明するか考えるようになります。

できる子どもには、自分の考えでなく友だちの考えを代わりに説明させることでより高い課題となります。

「・・・だから・・・。あれ、・・・」
「ちょっと困っちゃったね。誰かに助けてもらおうか。○○さんの考えを代わりに説明してくれる人いるかな。△△さん」
「・・・だから、・・・です」
「なるほど。○○さんこれでいい?」
「はい」
「○○さん、わかってもらえてよかったね。△△さん、よくわかったね。今の説明で○○さんの考えに納得した人?」
・・・

このようにすることで、自分は解けたからいい、わかっているからと友だちの発表を聞かないということはなくなります。意図的に、友だちの考えを説明する場面でしか指名しないようにすれば、集中して友だちの発言・発表を聞くようになります。

また、いつもわかった子どもの発表から始めるのではなく、わからない子どもを助けることから始めることも大切です(「わからないところ」から始める参照)。

教室の価値観を、「自分がわかればいい」から「みんながわかることが大切」に変えていくことが必要です。自分の説明で友だちがわかってくれる、友だちがわかってくれるからこそ自分が認められる。友だちの考えを理解することで評価される。友だちがいるからこそ自分の存在価値がある。このように変えていくのです。
他者とのかかわりで自己有用感を持つようにすることで、できる子どもがより高いところを目指すようになります。できる子どもを活かす・伸ばすことが、学級全体を伸ばすことにつながっていくのです。

授業技術は目指すところを意識して使う

授業技術を教えてはいけないと言われることがあります。形だけになってしまっては意味がないからです。私は、授業技術は必ずその活用場面や目指すところを明確にして伝えるようにしていますが、残念ながら技術だけがひとり歩きしてしまうこともあります。授業技術は何のために使うのか、その理由を意識することが大切です。

たとえば、「『間違い』という言葉を使わない、『なるほど』と受け止める」というのも、授業技術の一つです。ところが、「なるほど。他には?」とすぐ次の意見を求める。「はい、正解」「そうだね。・・・」と自分の求める答えが出れば正解と言って説明を始めるのであれば、「なるほど」と受け止めても「間違い」と言っているのと同じです。「間違い」という言葉を使わないのは、子どもを否定的な気持ちにさせない、子どもたちに自分で判断させたいからです。その目指すところを意識していないとおかしなことになってしまいます。

子どもをつなぐ、友だちの考えを聞くことを大切にするのに、「今の意見、なるほどと思った人?」と返すことがあります。「正解」ではなく「なるほど」というのは、明確でなくてもなんとなく納得した、よさそうだという状態でも参加できるようにしたい。子どもの意見をつなげ、自分たちで考えを深め明確にする過程を大切にしたい。そういうねらいがあるからです。ということは、手を挙げた子どもにもう一度説明させる、手の挙がらなかった子どもにどこがわからない、何に困っているかを聞くといった活動がそれに続く必要があります。多くの手が挙がれば「よさそうだね」と言って先に進んでは意味がありません。(同じ考えを大切にする子どもの発言つなぐことを考える参照)

静かにさせるのに、「口を閉じて、3、2、1」とするのはカウントダウンすることで、軽くプレッシャーをかけ素早く行動させるためです。カウントダウンが終わっても静かにならないのに先に進んでは、カウントダウンのプレッシャーがかからなくなります。逆に「口を閉じて、1、2、3、・・・」とカウントアップするのは、いくつでできたかを評価し、進歩をほめるためです。静かになったからといってすぐに進めては意味がありません。よく似た技術でも目指すところは違います。ポイントも異なります。意識して使うことが大切になります。(プレッシャーを考える参照)

授業技術が先にあるのではありません。どのような子どもたちの姿が見たいかがあって、利用する授業技術が決まってくるのです。見たい姿が明確になっていなければ授業技術は形だけで終わってしまいます。
この日記でもたくさんの授業技術を紹介しています。その技術が何のためにあるのか、どう使えば目指す子どもの姿を見ることができるのかを意識してほしいと思います。

活動の目指すものを意識して時間を使う

授業を見ていて、なぜ今この活動をしているのか、この活動に時間をかける意味はあるのだろうかと疑問に感じることがあります。限られた授業時間です。その授業で最も大切だと考えることに時間を使ってほしいと思います。そのためには、一つひとつの活動の目指すところを意識して、適切な時間の使い方をする必要があります。このことについて少し考えてみたいと思います。

たとえば、復習で子どもたちに確認する場面を考えましょう。すぐに手が挙がらないときは、思い出したり考えたりする時間をとるべきなのでしょうか。時間をとれば思い出せるとは限りません。考えるわけでもありません。教師や友だちから答がでるのを待っているだけなのかもしれません。答がわかっているが手を挙げないだけかもしれません。子どもが教科書やノートを調べようとしないのなら、待つ必要はありません。挙手していない子どもを指名するか、教科書やノートを調べるように促すかして、早く子どもを動かします。まわりと相談させてもいいでしょう。復習場面で考えさせることが必要であることはあまりありません。であれば、待つことにあまり意味はないのです(授業の導入を考える参照)。

資料や教科書の記述を探すことを考えましょう。見つける過程が大切な活動であれば、時間をかける必要があります。できるだけじっくり探させ、見つけた内容を問うことより、どのようにして見つけたかを聞くことも必要になります。早く見つけてその内容をもとに考えることが大切であれば、見つけることに時間をかける必要はありません。見つけたらまわりと確認するように指示したりして、早く全員がその記述に出会えるようにします(資料集をどう活用する参照)。

友だち同士が相談する場面でも注意が必要です。根拠をもとに話しているのであればいいのですが、単に答を見せ合ったり、確認したりするだけの場面であれば時間を多くかける必要はありません。テンションが上がっているようであれば、無責任な会話になっている証拠です。話が終わっていなくても問題はありません。すぐに活動を止めて先に進めばいいのです。逆に、子ども同士がかかわりながら考えを深めているような場面であれば、できるだけ時間をとりたいものです。たとえかかわりあっていないように見えても、個人が深く考えているような場面はとても大切な時間です。しかし、行き詰って手がつかなくなっているのなら無駄な時間です。いったん活動を止めて、全体で見通しを持つ時間をつくる必要があります。
これは、問題を解いているときも同様です。できていないからと余分に時間を与えても、見通しがなければ思考は止まったままです。時間を与えれば解けるわけではありません。次の指示を出していなければ、できた子どもにとってもムダな時間です(時間を与えることの意味参照)。
グループ活動後の発表でも、形式的に全部のグループに順番に発表させるのではなく、考えを共有したり、異なる考えに出会って考えを深めたりすることを優先してほしいと思います(グループ活動の後の発表参照)。

友だちと相談させるにはこのくらいの時間を与えよう。グループ活動はこのくらい、発表はこれくらいとあらかじめ決めておくことは大切です。しかし、それぞれの活動で目指すものを意識していなければ、漫然と活動するだけでムダな時間となってしまうことも多くあります。子どもの実態を把握し、目指す姿とのずれを修正し、ムダな時間を削り、大切な活動により多くの時間を使うよう意識して授業に臨んでほしいと思います。
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