子どもの発言つなぐことを考える

子どもの発言をつなぐことがよくわからない、うまくできないということを聞きます。子どもの発言をつなぐことの意味と、その方法について少し考えてみたいと思います。

「他の考えはない?」と子どもの考えを次々に発表させてもつながりません。指名された子どもは自分の考えを発表して満足します。友だちの考えが自分と同じ考えだと、「言われた」と残念がります。「他の考えはない?」と聞かれるのでもう発表できないからです。友だちと自分の考えが違えば発表するチャンスがあります。そうとわかれば、友だちの話を聞くことよりも、自分の考えを発表することに気がいってしまいます。友だちの発表が終わるや否やすぐに挙手します。一方、自分の考えが持てない、よくわかっていない子どもはどうでしょう。友だちの考えを何とか理解しようとしても、理解する前に次々に違う意見が出てくるのでついていけなくなります。一見活発に見えても、子どもたちが互いの考えを理解し、深めてはいないのです。

では、どのようにすればいいのでしょうか。基本は同じ考えを大切にすることです(同じ考えを大切にする参照)。このとき、結論と根拠を意識するとつなぎやすくなります。

「○○だと思います」
「なるほど。どこでそう思ったの?」
「△△と書いてあるからです」
「なるほど。同じように○○だと思った人いる?」
「私も、○○だと思います」
「あなたは、どこでそう思ったの?」
「□□と書いてあるからです」
「なるほど。違うところをあげてくれたね」
・・・

同じ結論の子どもをつないで、その根拠を問うています。複数の根拠を挙げることで考えを深めていきます。
また、

「○○だと思います」
「なるほど。どこでそう思ったの?」
「△△と書いてあるからです」
「なるほど、△△と書いてあるから○○と思ったんだ。どう、△△からどんなことが言えそう?」
「私は、△△から◎◎だと考えました」
「なるほど、△△から◎◎とも考えられるんだ。みんなどう思う」
・・・

根拠となるものをつないでいます。同じことを根拠にしても違う見方をすることで考えを広げることができます

このようにつないでいくことで、考えを持てていなかった子どもも、「一つの結論についてその根拠を何度も提示される」「ある根拠となるものにこだわって話が進んでいく」ので、じっくり考えることができ理解しやすくなります。

「同じ」を意識してつないだ後に、「違い」を意識して他の考えを聞いていきます。先ほどの考えと「どこが違う」「なぜ違う」ということを意識して発表させます。

「じゃあ、○○とはちょっと違う考えだという人いる?」
「私は▽▽だと思います」
「なるほど、▽▽なんだ。それって○○とどこが違うの」
・・・

「私は▽▽だと思います」
「なるほど、▽▽なんだ。どこでそう考えたの?」
「◇◇と書いてあるからです」
「なるほど。さっきは、△△だから○○と考えたんだよね。じゃあ、△△と▽▽を比べてみようか」
・・・

「違い」を意識することで対立点が明確になり、話し合いが深まります。

このように、結論や根拠をつなぐことで、友だちの考えや意見に対してその根拠を意識し、自分の考えと比較するようになっていきます。友だちの考えや意見とかかわり合った発言を求められるので、自然と友だちの発言をしっかり聞くようになっていきます。自分の考えを持てなかった子どもも、発言と発言に関連があるのでじっくりと考えることができます。同じ考えの子ども、違う考えの子ども、自分の考えを持てない子ども、それぞれが互いの考えを共有していくことができます。子どもの発言をつなげるとはこういうことなのです。つなげることで、子ども同士が互いに影響し合い、考えを広げ深めることができるのです。

教師の説明は「無批判」で受け入れられる

友だちがせっかくよい意見を発表しているのに、教師の方を向いたままの子どもの姿をよく見かけます。こういう学級の多くは、子どもの発言の後、教師が正解・不正解を判断したり、子どもの発表をわかりやすく説明し直したりしています。子どもからすれば、不正解であれば聞いても無駄です。正解であれば教師が必ずもう一度わかりやすく説明するのですから、不十分な友だちの発言はやはり聞く必要はありません。教師がどのように判断するか、どういう説明をするか、それをしっかり見定めることの方が大切になります。自分が発表して教師に評価してもらうことに意味があって、友だちの発言を聞く意味はないのです。とはいえ、教師の話をきちんと聞くのであれば正しい知識は身につくからよいのでは、という考えもあります。どのように考えればよいのでしょうか。

教師の説明を中心に授業を進めることの問題は、教師の説明は「無批判」で受け入れられことです。子どもたちは、「教師は正しことを言う、だから教師の説明を理解すればいい」、そう考えているからです。同じことを話しても、友だちの言葉は正しいかどうかわかりません。無批判では受け入れません。ここが大切なのです。正しいかどうかの判断を教師がすれば、子どもたちはその判断を放棄してしまいす。考えなくなってしまうのです。このことが、将来にわたってどれほどマイナスになるか容易に想像がつくと思います。情報からその内容が正しいかどうか、自分にとってプラスになるのかといったことを判断する力がなければ社会に出た時に困ってしまいます。考える力、判断力をつけるために、教師ができるだけ説明しない、正解・不正解を判断しないことが大切になるのです。子どもの言葉で授業をつくることが大切である理由の一つです。

子どもが友だちの話を聞く必然をつくる(友だちの発言を聞く意欲を高める参照)。わからない子どもに寄り添って授業を進める(子どもの言葉で授業をつくるときに注意したいこと参照)。こういうことを大切にする必要があります。また、わざと間違えたりして、「教師が必ずしも正しいことを言うとは限らない」と子どもを揺さぶることも有効です。大切なこと、押さえたいことは、教師ではなく子どもが言う授業が理想です。子どもたちが結論や正解を効率よく学習しようとするのではなく、自分たちで間違いを修正し、足りないところを補いながら結論にたどり着く。そんな、過程を大切にした、子どもたちが考える授業を目指してほしいと思います。

子どもの言葉で授業をつくるときに注意したいこと

子どもの言葉で授業をつくるということがよく言われます。子どもの言葉足らずの発言を問い返し、整理し、つないでいくことで共有化し、深め、誰もがわかる授業を目指していきます。ここで注意してほしいことは、「わかった」子どもを中心に進めすぎないということです。このことについて少し述べたいと思います。

まず「わかった」子どもを中心にした授業を考えてみましょう。
多くの場合、「わかった」子どもを指名して答を発表させます。聞いている子どもは、自分と同じ答えであればとりあえず安心します。違った答えだとちょっと不安になります。ここで教師が「正解」と言ってしまえば、違った答えの子どもは間違えたので修正しようとします。正解だった子どもたちは、正解だったので自分の出番はとりあえず終わったと考えます。引き続き教師が説明をしてしまえば、正解だった子どもの集中力は下がっていきます。
そこで、子どもの言葉で授業をつくろうとするのであれば、「誰か説明してくれるかな?」と子どもたちに問いかけることになります。正解だった子どもの役割が出てきます。彼らの参加意欲はあがっていきます。また、友だちの説明は教師の説明と違って正しいかどうかわかりません。教師の説明を正しいと信じて無批判に聞くのと違って、より考えて聞くことになります。これは子どもの言葉で授業をつくるよさです。しかし、間違えた子どもにとっては、教師の説明が友だちの説明に変わっただけです。受け身の状態が続きます。
意図的に「今の説明で納得した人」と問いかけ、友だちの話を聞いてわかった子どもを活躍させることが必要になります。しかし、正しい説明を理解して初めて積極的に参加できるのです。このやり方でも、わかるまではやはり受け身の状態が続くのです。

では、正解が出たときに「正解」と言わなければどうでしょうか。同じ答えであっても違っていても、子どもの緊張状態は続きます。間違った答の子どもにも発言の機会はあります。互いに根拠を述べさせながら、ときどき「今の説明で考えが変わった人」と問いかけることで、子どもたち自身で根拠を持って正解にたどり着けます。これで十分に思えます。

しかし、自分の考えや結論を持てなかった子どもはどうでしょうか? わかった子どもの説明は、往々にしてわからない子どもがつまずいている部分を飛び越えた説明になりがちです。わからない子どもはそのギャップをなかなか埋めることができません。理解しようとしてもその足場がないため「わからない」状態が続いていきます。話についていけないために、途中で集中力が切れてしまうのです。「わかる」側から話が進むと、「わからない」側は自分がわかる話になるまで受け身の状態が続いてしまうのです。そうならないためには、「わからない」子どもの側から授業を進める必要があります。(「わからないところ」から始める参照)
「わからない」から出発することで、「わからない」子どもが受け身にならずに最初から参加することができるのです。「わかっている」子どもの役割も正解を「答える、説明する」のではなく、友だちがわかるのを「助ける」ことになります。一つレベルが上がるのです。

子どもたちが全員、自分の答や考えを持てているのかどうかといった状況によって、授業をどう進めるかは変わってきます。少なくとも、手がついていない子どもがいるような状態では、「わからない」子どもを中心に進めることを考えてほしいと思います。

子どもに自信を持たせる!?

授業中に子どもの挙手が少ない。特定の子どもしか発言しないというときによく先生方から聞かれる言葉が、「子どもに自信を持たせる」です。自分の考えや答を持っているのに挙手・発言ができないのは子どもに自信がないためだと考えているからです。その根底には、間違えて恥ずかしい思いをしたくないという子どもの気持ちがあります。教師は子どもの発言を引き出すためには「自信を持たせる」ことを意識すればよいのでしょうか。このことについて考えてみたいと思います。

自信を持たせるために、あらかじめ机間指導で○をつけたり、「よい考えだから発表してね」と教師が働きかけるといったかかわりが求められます。(子どもの挙手を増やすには参照)
ここで考えてほしいことは、だれもが発言できるようにするためには、全員が○にならなればいけないということです。もし、○がもらえない子どもがいれば、やはりその子は発言できません。ほとんどの子どもの手が挙がっているのですから、傷はより深くなります。また、○をもらって挙手して答を言えても、その理由を問われると言葉に詰まってしまうことがあります。せっかく正解しても、ダメだったと自信をなくすことにつながります。こういったことを忘れないでほしいのです。
もう一つ注意しなければいけないのは、正解しか発表されなくなってしまうことです。ますます自信がなければ発言できなくなってしまいます。間違いが発表されることで考えが深まることもあります。異なる答えが出てどちらが正しいか話し合うことで学び合えます。間違いが発表されることは大切なことなのです。

ここで少し発想を変えてみてください。「自信を持たせる」のではなく、「自信がなく」ても発言できるようにするのです。教師が正解を求めない。間違いでも「なるほど」と認めて、子ども自身で間違いを修正する機会を与える。発言すればかならずポジティブに評価されて終わる。間違いをもとにより深く考える。こういう経験を積ませ、間違いは恥ずかしいことではないと気づかせるのです。(子どもの発言を引き出すには参照)
とはいえ、自分の考えを持てなかったり、まったくわからなければやはり発言はできません。ペアやグループで友だちの考えを聞いて、その中から自分が納得する考えを選び自分のものとしていく。「わからないから教えて」と友だちに聞く。こういう活動も必要です。(子どもの発言量を増やす参照)
また、「わかったこと」を聞くのではなく、「わからないこと」「困っていること」を聞くということも大切です。こうすれば、わからない子どもが発言しやすくなります。子どもの「困った感」に寄り添うことができます。しかし、「わからないこと」「困っていること」と聞いても発言するのには勇気がいります。「わからないこと」をバカにしない学級の雰囲気が必要です。また、教師は首をかしげたといった子どものようすをとらえ、「今、首をかしげてくれたね。反応してくれたね。ありがとう。何か困ったことない」と問いかけ、挙手できない子どもが発言するきっかけをつくるような働きかけも意識しなければなりません。(子どもに寄り添う「わからないところ」から始める参照)

「子どもに自信を持たせる」ことは大切なことですが、すべての子どもに自信を持たせることは簡単なことではありません。「自信がなく」ても発言できる、参加できる、学べるような働きかけも意識していただけたらと思います。

子どもとの関係がよいことで満足しない

いろいろな学校を訪問して感じるのは、受容的な態度で接することで子どもとよい関係をつくっている教師が増えていることです。子どもは教師の説明をしっかり聞きますし、当然指示もよく通ります。教師にとって、とても居心地のよい教室になっていきます。注意してほしいのはここがゴールではないということです。このことについて少し考えてみたいと思います。

子どもが説明を集中して聞いてくれるので、教師の説明が増える傾向があります。指示が通るので、失敗しないようにていねいに、細かいことまで指示して動かそうとするようになります。子どもは教師の話をよく聞けば理解できるのでそれで満足しますし、指示にきちんと従えばうまくいくので、指示を待つようになります。受け身になっていくのです。
いやいや、教師との関係がよいので積極的に発言しようとするようになる、積極的に挙手するようになると言われるかもしれません。確かに教師のことが好きで、発言をポジティブに評価してもらえるので、指名されようと積極的になります。しかし、往々にして自分が発言することばかりに気がいってしまい、友だちの発言をきちんと聞かなかったり、自分が発言することで満足して、その後は集中力をなくすうようになったりします。(テンションを上げすぎない参照)
また、教師が発言者に問い返したりして考えを深めていく場面で、これは2人の問題で自分とは関係ないと無視するといった態度を見ることもあります。しかし、次の発言のチャンスがくれば、すぐに手を挙げます。友だちの話を聞いて理解することよりも、自分が指名され発言することの方が大切なのです。友だちとのかかわりがうすくなっていくのです。
作業中にわからないことがあればすぐに教師に聞こうとします。その間は教師を独占することができるからです。答がでると、すぐに「これでいい?」と正解かどうかの確認を求めるのも同様の理由です。ほめてもらうことへの期待もあります。自分でじっくり考えたり、友だちと相談したりするといった姿勢が育たないのです。
子どもとの関係がよいことで満足しているとこのような危険があるのです。

しっかりと聞けるからこそ、教師の説明を減らして子どもに問いかけることをし、考えることをうながす。指示を減らすことで、自分で考え、判断することを学ばせる。ときには失敗させることで、より大きな学びにつなげる(失敗から学ぶためには参照)。子どもの発言を他の子どもにつなぐことで関係をつくり、友だちに認められ、評価される喜びを経験させる(挙手の様子から何がわかる参照)。
教師に頼らず自分で考える、判断して行動するように仕向けたり、子ども同士のかかわり合いの場面を増やして関係をつくったりすることが求められるのです。

子どもとよい関係をつくるのは、教師の基本です。これができていないと何もうまくはいきません。しかし、でき上がった子どもとの関係の心地よさに満足してそこにとどまっていてはいけません。まだまだ途中なのです。、子どもたちの成長のために次のステージを目指してほしいと思います。

意欲・関心を練習量で評価する?

相対評価から絶対評価に移行したころから、子どもの意欲・関心を練習量で評価することが増えてきたように聞きます。たとえば、漢字の練習を何回やったか、算数の計算ドリルを何回やったか、その量で評価をするのです。確かにたくさん練習をする子どもは意欲があると言えるのですが、本当にそれでよいのでしょうか?

練習は何のためにするのでしょうか。もちろん、定着のためです。その目的を忘れて手段のみに目をうばわれてしまうと本末転倒です。往々にして、すでに定着している子どもほどたくさん練習をするというおかしなことになってしまいます。漢字をしっかり覚えた子どもがその漢字を何回も練習することや、計算ができる子どもが同じ計算を何回もやるのは無駄な努力です。そんなことより、新しい漢字を覚えたり、新しい問題に挑戦したりする方が意味があります。一方、定着していない子どもは、練習量だけを評価すると何回書いたから、やったから勉強したと考えるようになってしまいます。結果を問わない姿勢では学力はつきません。練習量はあくまでも手段の評価でしかないことを忘れてはいけません。

目標へ向かっての結果と到達するための手段を明確にし、個人の進歩を意識する必要があります。たとえば、漢字は今まで学習したことで試験をしなければいけないということはありません。ちょっと手間かもしれませんが、あらかじめ漢字の出題範囲をいくつかに分け、範囲ごとに小テストをつくっておき、合格すれば次のテストに挑戦するという方法もあります。小テストに合格していくことが目標になります。そして、そのためにどれだけ練習したか残させるのです。意欲・関心はどの漢字を練習したかにかかわらず、練習量で評価することができます。また、合格した絶対数は少なくても、2学期は1学期よりたくさん合格したのであれば、個人内の進歩は評価できます。このことを意欲・関心として評価してもよいのです。個人内相対評価は絶対評価と違うと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、伸びたということは意欲・関心があると考えてよいはずです。
算数であれば、たとえば一定時間にどれだけできたかの数を目標にすることと、ドリルの練習量を連動させることで同じように評価できると思います。

教科にかかわらず、子どもたちが進歩を実感できるような目標とその達成のための手段・方法を明確にして子どもたち提示することが大切です。結果につながる努力は子どもたちの意欲を高めることにつながります。結果と手段の双方を常に評価することが大切です。評価のための評価でなく、子どもたちが成長するための評価を意識し、工夫してほしいと思います。

グループ活動の後の発表

グループでの活動は集中していたのに、全体での発表になると子どもたちの集中力が切れることがあります。最初はしっかり聞いていたのに、次第に集中力がなくなる。自分たちのグループの発表が終わると、集中力が途切れてしまう。こんな場面にもよく出会います。グループ活動の後の発表はどのようにすればよいのかを考えてみたいと思います。

多くの方が、グループの代表を事前に決め(させ)て順番に発表させているようです。このとき、発表の準備をグループ全体で手伝っているところはよいのですが、発表者が一人で準備していることがよくあります。次の発表予定のグループが準備に追われ、発表を聞いていないこともあります。また、次々発表させるだけで、発表に対する子どもたちの考えを聞くこともなく、最後に教師がまとめて終わっていることもよくあります。似たような発表が続き、聞く側の集中力がなくなってしまう場面に当り前のように出会います。

私は、グループ活動では、結論を無理にグループでまとめない方がよいと思っています。みんなの助けを借りて「自分の答」を見つけることが大切だからです。また、修学旅行のグループ行動を決めるといった場合であれば、自分が行きたくないからといって拒否できませんが、課題の答であれば自分の考えを曲げてみんなに従う必要はないからです。
たとえグループで考えをまとめる必要があっても、発表者をあらかじめ指定する必要はありません。「自分たちの考えをだれかに発表してもらうからね」と、誰もが発表者となる可能性を与えた方がよいのです。グループとして発表の準備が必要であれば、だれが指名されても困らないようにみんなですればいいのです。

基本的に発表は個人への指名でおこないます。結論やその課程を聞くことになりますが、発表が終わってすぐ次の発表に移るのではなく、学級全体でその考えを共有し、評価し深めることが必要です。

「同じような答になった人(グループ)はいる」
「いるね、じゃあ○○さんの(グループの)考え聞かせてくれる」
・・・
「今のみんなの考えを聞いて納得した人(考えが変わった人)いる?」
「いるね、どこでそう考えたか聞かせてくれる」
・・・
「じゃあ、自分(たち)はちょっと違うという人(グループ)はいるかな?」
・・・・

このように、同じ考え、違った考えをつなぎながら、それぞれの考えやグループでの話し合いを共有して考えを深めていくのです。
こうすれば、各グループを順番に発表させる必要はありません。他のグループの人の発表を聞いて、「あっ、自分たちと違う。自分たちの考えを言いたい」と思った子どもも、順番を待ってイライラしなくなります。また、順番に発表するうちに前の発表が記憶から薄れ、関連する意見が出てもつながらないといったこともおこりません。
意見がつながらなくなったら、まだ発表していないグループの子どもに、「あなたたちはどんなことを話した(考えた)のか聞かせて」とたずねればいいのです。そこからまたつなぎ始めます。こうして、全部のグループの考えを引き出すのです。

また、子どもが発表するたびにその意見を板書する方もいますが、子ども同士がつながっているうちは、できれば板書を我慢して聞くことに集中させてほしいと思います。子どもたちの発表がひと段落してから板書しても遅くありません。

あらかじめ発表者を決めておかないと、指名しても答えられないと心配をする方もいますが、そんなときは、「ちょっと、グループの人、助けてあげて」と仲間に助けさせればよいのです。また、なかなか自分の意見が持てない子どもには、「みんなでどんなことを話したか聞かせてくれる」と問いかけ、「じゃあ、その中で一番納得した(なるほどと思った)意見はどれ?」と聞くことで、自分の考えを持たせるのです。そして、「なるほど、・・・が○○さんの意見(考え)だね。ちゃんと(よく)考えたね」と評価するのです。

集中してグループ活動に取り組んだあとの子どもたちは、友だちの考えを聞くことに意欲的です。その意欲を活かすためにも、順番に発表することにこだわらず、発言をつなぎながら、全体で共有し、より深く考えさせるような工夫をしてほしいと思います。

グループ活動の人数

授業にグループ活動を取り入れる先生が増えています。そのときの人数や配置について質問されることもよくあります。これが絶対に正解というものはないと思いますが、私の考えを少し述べたいと思います。

適正な人数を考えるときに、グループ活動で何をねらっているのかが問題だと思います。早く正解を見つけさせるのであれば、各グループに優秀な子どもを分散してその子の意見を聞くのに適切な人数を考えればいいわけです。子どもたちがまわりの助けを借りながら自分の答えを見つけることをねらうのであれば、話はまた変わります。
私は後者の考え方です。そして、グループの子どもたち全員が互いにかかわり合うことを大切にしたいと思います。

「自分の答えを見つける」という視点であれば、発言する、教えることよりも聞くことが大切になります。相手を説得するのではなく、相手の意見を理解し自分の考えを深めることが主となります。説得しようとするとどうしても声が大きくなります。大きな声は全体のテンションを上げることにつながり、落ち着いて話を聞く雰囲気がなくなっていきます。聞くことを大切にするのであれば、子どもたちのテンションが上がらないように注意するべきです。そのためには子ども同士の距離は近い方がよいのです。距離があると、どうしても声が大きくなります。額を寄せ合って、落ち着いて聞き合うためには机が近い方がよいのです。また、困った時に「助けて」「教えて」と聞けることを大切にし、グループの全員がかかわり合えることを意識すると、一人ひとりが他のメンバーと接していることも重要になります。だれにでも、すぐに聞くことができるからです。人数はあまり多くない方がよいのです。
それだけではありません。人数が多くなるとどうしてもグループの中にまた小グループができます。こうなるとグループの全員がかかわり合うことがどんどん難しくなります。子ども同士の人間関係をつくる視点からも、グループ内の誰とでもかかわり合うことは大切にしなければなりません。特定の子どもとだけの関係になることは避けたいところです。小グループになるのなら、最初からそのグループで活動すればいいのです。
実際、6人のグループでの活動を見ると、端の2人と他の4人または両端の3人ずつに分かれて話している場面によく出会います。5人のグループでも端の1人が孤立していることがよくあります。7人以上であれば、3つの小グループに分かれることもあります。
これらのことを考えると人数は4人以下がよいということになります。4人以下であれば、互いの距離が近く、誰もが必ず他の子どもと接しているからです。

もちろん4人でも1人と3人、2人と2人に分かれることはよくあります。1人と3人に分かれている場合、自分1人で考えたいために他の3人とかかわろうとしていない子でも、すぐそばで話し合われているので、その内容は耳に入ってきます。必要があれば、かかわりやすい状態です。また、うまくかかわれなくて1人が孤立しているときでも、話し合っている子どもとの距離が近いので、教師が互いにかかわるように働きかけることがしやすいように思います。
では、2人と2人に分かれる場合はどうでしょう。2人のかかわり合いはつながりが強いので、これを崩して4人のかかわりにするのは難しいものがあります。そこで、あえて男子2人、女子2人で構成して、男子同士、女子同士に分かれやすくするという考えがあります。ここで、男女を市松模様にすると、斜めでつながるので、2人ずつの話が交差してかかわりやすくなります。また、男子同士、女子同士どちらかしかつながっていなくても、目の前を言葉がいきかうので、残りの2人もかかわりやすくなります。また、男女で話し合う機会が増えるので、男子と女子の関係がよくなるというメリットもあります。これは思春期を迎えた中学生や小学校の高学年ではとてもありがたいことです。
一方、3人のグループは1人と2人に分かれた場合、1人がかかわろうとするときに2人の間に割って入ることになります。2人のかかわりは強いものなので、うまくその中に入っていけないことが多いようです。その点4人のグループの場合は、他は3人なので、その中の1人が孤立している子どもとかかわり合い、残りの2人とつないでくれることがよくあります。

色々な意見や考え方があると思いますが、私は以上のような理由で、グループは4人の市松模様での活動を基本とするのがよいと考えています。もちろん、これが絶対的な正解だと主張する気は毛頭ありません。グループ活動で何をねらうかを明確にし、子どもたちのようすをよく観察して、皆さんの学校、授業に最適な人数を見つけていただけたらと思います。
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