どのような見方・考えたを育てるかを意識して教材研究をする

前回の日記の続きです。

6年生の少人数の算数は、比例の活用の授業でした。
挨拶の後、この日のめあて「比例を使って問題を解決する」を提示します。子どもにとっては、比例の学習をしているから自然なことなのかもしれませんが、唐突に思えます。いきなりめあてではなく、問題解決の過程でめあてが見つかるような形を取れるとよいでしょう。子どもたちの興味を引くような問題を提示して、比例をうまく使うと問題解決できることに気づかせて、めあてにつなげるといった形です。

この授業では比例の関係があることを使って問題を解くのですが、そのためには比例の定義や、性質をきちんと押さえておくことが必要です。前時までの復習をしておきたいところですが、すぐに最初の問題を提示して配り、大切なところに線を引くように指示しました。
問題は、紙の1枚の厚さを元に、紙の束の厚さから枚数を求めるものです。大切なところはどこでしょうか。一番大切なのは、紙の束の厚さと枚数の関係です。それはどこだと線を引けるものではありません。問題の解き方を形式的に教えるのではなく、問題に表わされている数量の関係に注目する必要があります。
関数をどのような言葉でイメージさせていたかにもよりますが、「この問題にはどのような数量が出てくる?」「何かが変化するとそれに伴って変わるものがある?」といった問いかけが必要だと思います。

授業者は、子どもたちが作業をしている間にいろいろなことをつぶやきます。子どもたちに伝えるべきことであれば、一度止めて集中させて聞かせる必要があります。中途半端な声の大きさでつぶやいても、子どもたちにとっては雑音にしかなりません。また自分がやるべきことをやっていれば、先生の話は聞かなくてもいいというヒドゥンカリキュラムにもなります。

子どもを挙手に頼らず指名しました。「1枚の厚さと束の厚さに線を引いた」と言うと、「賛成です」とハンドサインが挙がります。授業者は、「みんなそこに線を引きましたか?」と言って、すぐに「その2つを使えば答を求められそう?」と続けます。全員からハンドサインが挙がっているわけではありません。それでも、みんなと言ってしまうと、同調圧力がかかります。こういうことを続けていると子どもから違った意見や反対の意見は出づらくなります。授業者の求める答しか出なくなるので、授業者にとっては進めやすくなるのでよいかもしれませんが、子どもたちの考えが深まることはありません。それ以上に、わからない子どもが置いてきぼりになってしまうことが問題です。

うなずいている子どもを指名すると、「60÷4」という答が返ってきます。授業者が「60÷4?」と問い返すと「600」と返ってきます。「単位が……」と1枚の厚さと束の厚さの単位が違っていることを言います。答を出す時のポイントはでましたが、根拠ははっきりしません。ここで授業者は子どもたちに問題を解くように指示しました。

問題を個人で解かせた後、いきなり「式と答を教えてください」と問いかけます。挙手は半分もありません。それでもすぐに指名します。指名された子どもが答えるとすぐに挙手していない子どもも賛成ですとハンドサインを出します。この状況に授業者は疑問を持たなくてはいけません。本当に同じ答だったのなら、なぜ先ほどは挙手をしなかったのかを考える必要があります。「自信がないからでしょうか?」「間違えて恥をかきたくないのでしょうか?」、それとも「挙手して答えることに価値がないと思っているのでしょうか?」……。「この場面で子どもたちに挙手を求める理由は何か?」も授業者は意識してほしいと思います。形式的に授業が進んでいることが大きな問題です。

割り算を使って150枚という答を出したけれど、今度は比例を使って解くと説明を始めます。しかし、割り算で計算できることと、枚数と厚さが比例の関係にあることは同じところに根拠があります。割り算での計算は、紙の束の厚さが一枚の厚さ×枚数となることをもとに考えていますが、それは比例の関係を表わしていることに気づかせなければいけません。別の考えにしてはいけないのです。

授業者はいきなり表を書きます。なぜ表が必要なのでしょうか。これでは子どもたちはただ授業者の指示に従って作業をするだけです。まず関数の関係にあるものは何かを意識し、その関係を知るための道具として表を意識させる必要があります。式、表、グラフという異なった表現を自在に子どもが行き来できることが大切です。
表を埋める作業をしますが、その作業自体、比例の関係にあることを使っていることに授業者は気づく必要があります。ここでは、表を埋めることではなく、比例の定義や性質から比例関係にあることを考えることが大切です。

表を書かせてから、この表を使って式の理由を説明させます。因果関係がおかしくなっています。文章で説明するように求めますが、子どもは何を答えればよいのかよくわかっていません。表ではなく比例の性質から考えさせればよいのです。
思考の流れは、紙の枚数と厚さの間に比例の関係があることを押さえることが最初です。後は、比例の性質を使って考え方を説明するだけです。表をはさむことでかえって難しくしているのです。

子どもたちが困っているので授業者は作業を止めて自分で説明を始めます。何と何が比例関係にあるかを確認し、枚数が増えるとどれだけ増えると問いかけます。1枚分の厚さずつ増えることを説明し、束の厚さが問われている60cmになるのは何倍しているのかと問いかけます。子どもから60倍というつぶやきが聞こえます。混乱しています。授業者は一方的に説明を続けますが、子どもたちは授業者の問いかけに反応できず、表情はさえません。もともとの割り算の説明と何が違うのか、何を説明すればよいのかわからないのです。授業者の説明は、「1枚の厚さがわかっているから、全体の厚さから枚数がわかりますよね?」と変わっていきます。これでは最初の割り算での考えにもどってしまいます。再び「全体の厚さがわかれば何が求められますか?」と問いかけますが、反応はほとんどありません。結局言葉でどう説明すればよいのか明確にならずにこの問題は終わり、次の問題に移ってしまいました。

次の問題は釘の重さから本数を求める問題ですが、1本の重さが書かれていません。比例を使わなければ解けませんと説明しますが、1本の重さを知れば解けることには変わりありません。何が言いたいのかよくわかりませんでした。
また、大切なところに線を引くように指示をします。作業をさせた後、「釘は何本ありますか?」と問いかけますが、子どもたちは反応しません。何度も問いかけると、「解けない」とつぶやく子どもがいます。なぜ解けないのかと問いかけ、「1つの釘の重さがわからないと解けない」という言葉を引き出しました。「そうなの?」と揺さぶり「みんなも同じ?」とつなごうとしますが、子どもたちは反応できませんでした。
授業者は釘1本の重さがわからないから解くことができないと説明を始めます。「じゃあ、どうすれば解けるの?」と問いかけますが、この流れで「釘1本の重さがわかればいい」と答えるのであれば、そのままです。子どもたちは何をどう答えていいのかわからなくなっていました。「釘1本の重さがわかればいい」と確認し、グループの隊形にさせます。子どもたちの動きが遅いのですが、当然です。一体何をやっているのかさっぱりわからないからです。「釘1本の重さがわかればどうして問題が解けるのか」について考えるように指示します。先ほどの問題と同じで、釘1本の重さがわかれば解けるのは既に当たり前になっているのに何を考えればいいのでしょうか。

表を使うのであれば、比例は1組の値がわかれば、何倍になっているかを考えることで他の対応する値はすべてわかることを押さえる。比の値(比例定数)が一定になることを押さえて、それが1本の重さになることを押さえる。こういったことが必要でしょう。授業者が比例とは何か、この単元、教材で何を押さえるのかよくわかっていないため、発問がはっきりしません。問題を解くのなら、解けます。比例のどの性質を使っているのかと問われれば、答えることができたと思います。子どもたちは何を答えればよいのか、何を求められているのかよくわからないので戸惑っているのです。
子どもたちの話し合いは低調です。小型のホワイトボードに考えをまとめますが、ペンを持った子どもが仕切っています。発表は、1本の重さがわかれば答が出るからという説明に終始します。こうなることは予想できました。発問が悪いのです。
「比例していると言える理由は」「比例しているのならどんな性質があるか」「その性質を使うと何がわかるのか」「逆に比例しているのなら、何がわかれば全部の対応がわかるのか」といったことを整理しながら考えることが必要でした。

授業者自身が、比例を使うということの意味がよくわかっていないようでした。算数では問題を解くことではなく、その根拠や過程をもとに、見方・考え方を育てることが大切です。教材研究の段階で、見方・考え方は何かをしっかりと考えてほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。

子どもの言葉を活かして、全員参加を目指す

小学校で授業アドバイスを行ってきました。

4年生の国語の授業は、初任者の「ごんぎつね」でした。
子どもたちの準備が整うまで授業開始の挨拶を待つことができています。しかし、一部の子どもの動きが遅く時間がかかりすぎていました。多くの子どもが待たされることになります。ここは「みんなが待ってくれているよ」と行動を早くするように促したいところでした。
挨拶が終わると子どもたちの動きはバラバラになります。授業者は、今日はどこをやるのか教科書のページを指示しますが、顔が上がらない子どもが目立ちます。せっかく落ち着かせてもこれでは意味がありません。
教科書を開いた子どもに「早い」と声をかけますが、「違う」「違うじゃない」と注意もします。その間、教室の一部だけを見ていて、他の子どもたちは無視の状態です。全体を見回して、「○○さん、早いね」と固有名詞でほめ、自分もほめられようとする子どもを増やすことが必要です。素早くまねをした子どももすぐに固有名詞でほめることで、教室によい行動が広がります。間違ったページを開いている子どもが多いのは、きちんと指示をしなかったことが原因です。それを叱っていては子どもの気持ちが離れます。全員の顔を上げて、集中させてから指示することが必要です。今回のような場合であれば、隣同士で確認させれば済むことで、わざわざ注意する必要はありません。

授業者が音読して聞かせるにあたって、「これから言うことを考えてよ」と指示をします。「山場ってわかる?」と問いかけると、「山場?」というつぶやきが出ます。よくわからないようです。そこで「盛り上がったり」と説明しかけて、すぐに「じゃあ、あなたたちが一番大事だと思ったところや一番心が動いたところはどこ?」と言い換えます。この後もいろいろと言葉を足すのですが、その度に揺らいでいます。授業者自身が、「山場」の明確な定義をきちんとできていないのです。このような指示では、子どもたちは戸惑ってしまいます。既習であれば、「山場ってなんだっけ?」と子どもたちとやりとりをする必要がありますし、未習であれば、しっかりと定義をすることが必要です。
この場面に限らず、言葉が多く、その度に言葉が揺れているために、子どもは混乱してしまいます。短い言葉で端的に話すことが必要です。一般的に説明が長いのは自身がよくわかっていない時が多いように感じます。

授業者の音読は感情がこもっていますが、国語の授業ではこのことはちょっと気になります。文章から読み取る力をつけるのが目的ですから、もう少し淡々と読むことが必要です。教科書に付属しているCDなどの朗読は基本的にこのことを意識しているはずです。

音読を聞いていた子どもたちが、授業者が読み終って話し始めるとごそごそします。緊張して聞いていたからです。少し間を取って、子どもたちが集中するのを待ってから話し始めることが大切です。
この場面で「気なったところ」と問いかけます。数人しか挙手をしませんが、すぐに指名します。指名された子どもは前に出て発表します。発表後、子どもたちは「わかりました」「いいです」といった言葉で反応しますが、少数です。授業者がハンドサインによる反応を促しますが、ほとんどの子どもが「同じ」とも「違う」とも反応しません。それに対して、授業者は困ってくり返し問いかけます。一人の子どもがしっかりと手を挙げてくれたのですぐに指名しました。最初の問いかけで挙手が少なかったのですから、単純に挙手に頼っても無理があります。まわりと相談したり確認したりすることが必要でした。

授業者は、2人の子どもの意見だけを元にして、その場面の兵十の気持ちの変化を考えることを課題とします。ここでも、どんどん言葉を足していきます。「どんな気持ちの変化をしていったか考えてほしい」と言った後で、めあてとして「兵十の気持ちが変化していく様子を読み取ろう」と板書します。子どもたちに説明するたびにずれていきます。課題や指示はぶれないよう意識することが大切です。
子どもがめあてを写している間に、「定規を使っている」「早い」「姿勢がいい」といった言葉で子どもをほめるのですが子どもたちは授業者の言葉に反応しません。固有名詞でほめることが大切です。

ここで、前時の場面の復習を始めます。めあてが出て活動しようと意欲が出てきた時に別のことを考えるのは子どもたちにとっては肩透かしです。前の場面で子どもが考えたことを問いかけますが反応できません。そこで授業者がしゃべり始めましたが、教科書やノートを振り返っている子どもがいます。もう少し待つことが必要でした。意味のある沈黙かそうでないのかをきちんと判断することが必要です。

文章に沿ってごんと兵十の気持ちを問いかけ、書かせるのですが、すぐに反応できない子どもが目立ちます。今、何をやっているのか、授業についていけていないのです。
子どもたちに発表させようとしますが、数名しか手が挙がりません。すぐに指名し、授業者は黒板に向かって発言を一生懸命書いていきます。その間、発表者とも、聞いている子どもたちとも目を合わせることができません。発言者を見ようとしている子どももいるのですが、授業者が板書をするので子どもたちの視線は黒板に向いてしまいました。
子どもに根拠求めることもするのですが、本文とはつながりません。授業者はそれをすぐに納得して、結論だけを板書します。また、相互指名などもさせるのですが、自分の考えを言うだけで意見はつながりません。挙手する子どもも少ないため、全員参加とはならず、子どもたちが考え、それを深めることはできませんでした。

「ようし」という兵十の言葉に後に続く言葉を子どもに考えさせます。「やってやる」「決着をつけてやる」といった言葉がでてきます。「『ようし』という言葉で、兵十が『決意』したことがわかる」と語彙を増やし、何を「決意した」と問いかけたいところでした。

「あのごんぎつねめ」「ごんお前だったのか」の2つの文に注目させ、子どもから「言い方が違う」という言葉を引き出しました。「どこが違う?」と全体に問いかけます。よい返しなのですが、子どもたちはすぐには反応しません。一部の子どもの手が挙がるのですが、勝手にしゃべりだす子どもがいます。授業者はそれをしばらく聞いた後、みんなで言ってみようと指示をしました。しかし、数人しか声をだしません。授業者はその言葉を元に進めていきます。子ども同士をつなぐこと、全員参加を意識することが必要でしょう。

最後に、兵十が火縄銃を落としたときの気持ちを子どもたちに書かせます。ここでも、すぐに鉛筆を持たない子どもが目立ちます。授業者はすぐに机間指導に入るので、その子どもたちに気づきません。
個人で考えさせた後、グループにして交流させます。子どもたちの動きが遅いことが気になります。交代で司会役などを決めているようですが、4人のグループですので司会などに頼らずに聞きあえるとよいと思います。子どもたちの頭が寄らないことも気になります。交流することが、ただ自分の意見を発表することになっているように見えます。なるほどと思ったり、友だちの意見で考えが変わったりすることが大切です。

グループ活動の後、「自分の意見でも、友だちの意見の紹介でもいい」と子どもたちに発表を求めます。ここは単の自分の意見や紹介ではなく、「考えが変わった」「なるほどと思った」「自分と違ったけど納得した」といったことを問いかけることが大切です。こういった問いかけをすることで、「交流」することの意味を子どもたちが理解するようになります。
ここでもやはり、挙手は数名でした。最初の発言は「ごんを撃たなかったら、まだ栗とかもらえたのに」というかなりずれた意見です。授業者はそれをそのまま板書して、次の子どもを指名させます。「こんないいごんを撃って情けない」「ごめんなさい」「取り返しのつかないことをした」と相互指名で発表させ、授業者は板書に専念します。子どもたちの手は次第に挙がってきます。友だちの意見を聞いて、自分の意見でも大丈夫だと安心したのかもしれません。授業者は「いろいろな意見があったけど火縄銃を落とすほどショックだった」とまとめて、この場面を読んだ感想を子どもたちに聞きます。これでは国語の授業にはなりません。子どもたちの意見の根拠を問い、明らかに間違いである子どもの考えを修正させ、また、互いの意見を元に考えを深めさせなければいけません。結局、子どもたちは何となく考え、意見を言って終わってしまい、読解力にはつながりませんでした。

授業者は、子どもに発言はさせるのですが、一部の子どもだけです。また、子どもたちの発言とは関係なく自分の結論を説明して終わっています。発言を受容することはできるので、それを価値付けすることで、子どもたちの発言意欲を高めてほしいと思います。そして、その子どもたちの発言をどうつなげ、考えを深めるのかが次の課題です。まだ初任者ですので、あせらず一歩ずつ前進してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。
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