次の課題が見えた授業研究(長文)

前回の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語の文法の授業で行われました。接続語の学習です。授業者は今年小学校から異動になった7年目の先生です。
授業者は最初に授業の流れとゴールを明確にしました。「教科書を読む」「教科書の内容をワークシートにまとめる」「ワークシートの問題を個人で解く」「問題ができたら短文をつくる」「グループの全員が問題を解けたらグループで答えを確認する」という流れを簡潔に説明します。この場面だけでなく、授業のどの場面でも指示が簡潔で明快でした。ゴールも短文を全員がつくれると明確なのですが、ちょっと気になることがあります。それは、国語の授業として短文つくれることが目標でいいのかということです。そのことを意識しながら授業を見せていただきました。

授業者の話に小さくうなずく子どもが何人もいます。子どもがしっかりと反応してくれます。日ごろから、子どもに反応をうながし、評価していることがわかります。ワークシートの説明場面では、ワークシート見ている子どもと授業者を見ている子どもがいます。授業者としてはどちらの姿を望んでいたのでしょうか。実物投影機を簡単に利用できる環境であれば、おそらく全員の顔が上がるように指導していたのだと想像します。プリントを使う場面ではICTの環境が整ってほしいと改めて思いました。

授業者は範読している時に一度読み間違えました。理由は、視線を子どもたちと教科書との間を行き来させていたからです。この場面に限らず、子どもたちを見ることを常に意識しています。子どもたちがいつもよく集中している理由がわかります。
ペアでの音読では「記憶に定着させてください」と目標をはっきりとさせています。しかし、その目標に対して評価が明確ではありません。このことを意識するととてもよい授業になっていくと思います。ペアでの音読は、間違えたところを教え合っている姿も目にします。互いに向き合っているよい関係のペアをたくさん見ることができる反面、前を向いたままのペアも目立ちます。この学級に限らず、この学校ではだれとでもかかわれる人間関係をつくることが難しいように感じます。授業の中で子ども同士の関係をつくることをもっと意識する必要があると思います。

授業者はあまり机間指導をしません、しかし、子どもたちを非常によく見ています。机間指導よりも、全体を見ることの方が大切にしています。ペアの音読終了後、教え合っていた子どもたちのことを具体的にほめていました。ありがとうという言葉も、よく聞かれます。ポジティブな評価を大切にしていることがわかります。子どもたちとの関係のよい理由がわかります。

続く作業の指示も明確でした。確認をした時に、多くの子どもが反応します。当然、子どもたちは素早く作業に移ります。ムダのない進み方です。子どもたちに与えた時間は8分です。この時間は子どもたちが集中しないとできない時間なのでしょう。どの子ども集中して取り組んでいます。日ごろから、子どもたちが頑張らないとできない時間を設定しているのだと思います。時間が来てもまだ終わっていない子どもも何人かいますが、延長しません。問題を解いた後の時間にやっておくように指示します。安易に延長しないことも、子どもたちが集中する理由でしょう。
ここで、問題になるのは写すことの意味が何かです。子どもたちは教科書を写すことに慣れているのでしょう。目が教科書を追いながら一定のリズムで写しています。しかし、先ほどの音読と同じく記憶することがねらいなら、そのことをもっと意識した作業にすべきでしょう。音読の評価とあわせて、教科書を見ないで写す。接続語ごとに、一度でまとめて写すといった指示をするとよいでしょう。
子どもの作業に対して、丁寧に書いているといった評価も忘れません。しかし、国語の授業としてのねらいを評価する具体的な基準がないために、行動面での評価しかできません。

問題を個人作業で解かせます。個人作業ですが、わからなくて友だちに聞いている子どももいます。そういう関係ができているのであれば、最初からグループで個人作業を行ってもよいと思います。わからない時にわかるための方法を持たせていなければ、わからない子どもはそこで止まってしまいます。そのための一番簡単な方法が友だちに聞くことです。
授業者は接続語を選ぶにあったて、根拠を説明できるようにと子どもたちに求めます。根拠を大切にしていることがよくわかります。
グループでの答え合わせは、子ども同士がしっかり聞き合えていると感じました。しかし、この時間で学習した「順接」「逆説」「並列」といった国語の用語を使って説明しているグループはあまり多くはありません。子どもたちの活動だけを追えば自然につながったよい授業に見えるのですが、国語としてみると個々の活動がきちんとつながっていないのです。日常的な言葉を、定義や概念が明確な用語に置き換えて話すことでより正しく伝わります。それが用語を学習する目的の一つです。ここでは、そのことを意識してほしいのです。「この日学習した用語を使って説明しよう」という条件をつける。答え合わせの途中でいったん止めて、用語使って説明していたグループに発表させて、そのことを評価して全体で共有する。このような、働きかけをしてほしいのです。

全体での確認場面では、各グループで答の確認ができていた問題を「1番は全員ができている」ととばしました。よい判断だと思います。子どもたち全員が正解を確認できている問題の解答をしてもだれるだけです。
全体での説明の場でも、子どもたちから出てきた用語は「順接」「逆接」「付加」だけでした。国語の授業としては、用語使って説明したことを評価することが大切です。「他の例も用語使って説明して」とつなげていけばよかったと思います。

2文をつなぐ接続語を入れる問題で、接続語を1つ入れてから「何の仲間」と問いかけて、他の接続語を導き出していました。実はこれは論理としては逆なのです。2文の関係から「順接」や「逆接」といったことがわかります。そこから、入れるべき接続語が決まるのです。感覚で選んだ接続語をもとに考えるのはおかしいのです。現代文は私たちの母語ですから感覚で答を出すことができます。そうではなく、文法をもとに正しく伝わる文にする、解釈することが文法の学習の目的の一つです。試験で解けることだけを考えて感覚で答えることを教えては、高等学校で古文に出会った時に困ってしまいます。

問題の中に、「順接」「逆接」どちらも入るものが用意されていました。「頑張った」「結果が2位」という文をどうつなぐかです。「どちらかなのか」「どちらでもいいのか」子どもたちに説明させます。「順接」の場合は、今まではあまりよい結果でなかったので2位がよい結果と思える。「逆接」の場合はもっと上を目指していたので、2位が悪い結果と思えると何人かが説明をします。子どもの説明の後、「どうですか」と授業者が聞き、「いいです」と子どもたちが答える場面がありました。他の子どもに「もう一度、○○さんの考え説明してくれる」「同じような考えだった人いる?あなたの考えを説明してくれる」とつなぎたい場面でした。
子どもたちはそれぞれの場合の説明をしましたが、「だからどちらでもいい」という言葉は出てきませんでした。しかし、授業者は「どっちでもいい理由を言ってくれたね」とつないでしまいました。おそらく授業者は意識していないのですが、結論を自分が出してしまっています。子どもに根拠を持って発言させるのですが、正解かどうかの判断を授業者がしている場面が目立ちました。これでは「教師が根拠を求めるから、根拠を言う」ことになってしまいます。根拠をもって話すのは、みんなに納得してもらうためだという価値観を持たせることが必要です。子ども同士がかかわる活動を大切にしているのですが、教科の内容に関しては、教師とつながっているだけで、子ども同士はつながっていないのです。

接続語を選ぶことで伝わることが変わることもあることは押さえましたが、接続語を学んだことの国語としての意味は明確になっていません。この日扱った問題は、接続語がなくても2文の関係がわかり意味が通じるものがほとんどです。あたりまえです。だから、接続語を選べるのです。とはいえ、接続語を入れることで2文の関係がより明確になります。読み直したりしなくても、意味がよく伝わるのです。ですから、説明文では接続語に注目して読むことが大切になります。おそらく日ごろそのようなことは指導しているはずです。その根拠が明確になる場面でもあるのです。

最後に子どもがつくった短文を発表させました。子どもたちに使われている接続語が適切かどうか考えて聞くように指示をしました。とてもよい指示です。聞くことを大切にしていることがよくわかります。しかし、発表の後「いいよね」と授業者が適切かどうか判断してしまいました。これでは子どもが聞く意味がありません。判断を子どもに委ねることを意識してほしいと思いました。

検討会では、子どもたちの授業に取り組む姿、授業規律のよさが評価されました。目指す姿がはっきりしていて、それを徹底していることがクローズアップされます。その通りです。問題はその方法です。個性はあっていいのですが、できていないことを指摘するのではなく、できていることをほめるようにしてほしいことを皆さんにお願いしました。
今回の授業はこの学校が目指す授業の姿の中間地点を教えてくれるものだったように思います。授業者は「話し合い」ではなく「聞き合い」が大切であることを子どもたちに意識させています。子どもたちはしっかり聞き合うことができています。集中して授業に取り組んでいます。だからこそ、教科としてどのような学びがあったのか、どのような学力をつけたのが問われるのです。そのことを問うに足る授業を見ることができたのはとても素晴らしいことです。
授業者は自分では子どもの活動を全部見ることができないので、子どもの振り返りでは、自分の頑張ったことだけでなく、友だちの頑張りやよかったことを書くこと大切にしています。とてもよい発想です。子ども同士の関係づくりにはとてもよいことです。しかし、そこに留まってしまってはいけません。教科として学んだことは何かを子どもに明確に意識させることが大切です。逆に言えば子どもたちが何を書いてくれればよいのかを授業者が意識して授業に臨むことが大切なのです。今回の授業は、そのことを少し意識するだけで大きな進歩をすると思います。

検討会終了後、国語科の先生方とお話しする時間がありました。全体ではあまり話ができなかった教科のことを中心に話させていただきました。
授業者から学級経営と授業に関して迷いがあるという話を聞くことができました。自分の学級に学校に来られない子どもがいる。自分の学級経営や授業に問題があるのではないかというのです。謙虚に自分を振り返ることができるからこそ、あれだけの子どもたちを育てることができているのだと思いました。
教師と子どもの人間関係と比べて、子ども同士の関係が弱いように感じました。簡単に答を出せることではありませんが、ここに原因があるのかもしれません。子どもの発言や活動の評価を子ども同士でさせることを意識するとよいのではないかとアドバイスしました。

いつも言っていることですが、基本がしっかりできているから、指摘することや課題もそれだけ多いのです。授業規律が守られ、子どもの聞く姿勢ができているからこそ、教科の力をどうつけるかという課題が明確になってくるのです。この学校がたどり着こうとしているところと次の目的地を示してくれた授業でした。授業者だけでなく、学校全体にとって、そして、もちろん私にとっても学びの多い授業研究でした。

研究発表会は分岐点

昨日は来月末に研究発表会が開かれる中学校の現職教育に参加してきました。授業研究とそれに先立つ1時間授業の様子を観察させていただきました。

1年生は子どもと教師の人間関係のよさを感じます。教師の表情が柔らかいとそれに合わせて子どもの表情も柔らかくなります。裏を返せば、教師の表情が厳しい時は子どもの表情も硬くなります。授業者の話もよく聞いているのですが、姿勢がちょっと緩いように思いました。一般的に、子どもたちは話を漫然と聞いている時は体が少し後ろに反り、集中度が上がると身体が前に傾きます。背筋がしっかりと伸びている時は、集中よりは緊張が強い時です。そのいずれとも違い、体が傾いていたり、肘をついていたりといった姿勢が目立つのです。しかし、決して話を聞いていないのではありません。いや、むしろよく集中しているのです。この事実をどう解釈するかは難しいのですが、おそらく、集中するしないとは別に、緊張する場面が学校生活の中にはっきりあるのではないかと思います。子どもと教師の人間関係はよいので、教師が柔らかい表情で接してくれる授業では、緊張が過度に緩んでしまうのではないでしょうか。是非先生方でその答を見つけてほしいと思いました。

2年生は以前と比べて落ち着いているように感じました。子どもと教師の関係はよくなってきていると思います。教師の話を聞く雰囲気が出てきました。しかし、気になることがいくつかあります。研究授業の時間は該当する学級以外は自習なのですが、その最初の様子を見ると授業中よりも集中度が高いぐらいなのです。これもどう解釈すればいいのか悩むところです。先ほど述べたことと矛盾するようですが、まだ教師との人間関係に課題があるのかもしれません。生活面などで子どもが強制されているように感じる指導があるのかもしれません。子どもを認める場面をもっと増やしていくことが必要なのではないかと思いました。というのも、授業者が子どもをよく見ていて、ポジティブに評価し、「ありがとう」の言葉かけをたくさんしている学級では、子どもの集中力が高く雰囲気が違っていたように感じるからです。生活指導上の問題もあるので簡単に論ずることはできませんが、子どもをチェックするのではなく、見守る、育てる姿勢で接すること大切にできるとよいと思います。
もう一つ気になったのが、机に伏せっている子どもが目立ったことです。このこと自体よりも、まわりの子どもがその子どもにかかわろうとしていないことが問題なのです。グループ活動をしている時でも、伏せっている子どもに誰も声をかけないのです。グループ活動そのものを目的とするのではなく、子ども同士の関係をつくることを意識する必要があります。また、こんな場面もありました。指名された子どもが答えられなくて困っている時、ほとんどの子どもが無関心で他人事のような態度を取っていたのです。伏せっている子どもの問題と根っこが同じように思います。

3年生は子どもの表情もよく、意欲的に学習に取り組んでいるのですが、受験に関係のない教科ではちょっとテンションが上がり気味に見えました。子どもたちが教科によって態度を変えてなければよいのですが、どうなのでしょう。もう少し多くの授業を見る必要がありそうです。
ほとんどの子どもたちがよい表情で授業を受けているのにもかかわらず、授業に参加できない子どもがいることが気になりました。やってもダメだとあきらめているように見えます。まわりの子どももその子どもを支え切れなくなっているのでしょうか。難しいことだとはわかっていますが、何とか学級の子どもたちが苦しい子どもを支えられるような関係にもっていってほしいと思います。

全体的に子どもたちと教師の人間関係はよいようです。授業規律もかなり確立できているように思います。ただ、学習課題が子どもにとって必然性のあるものになっていないことが多くあります。教師の説明がまだまだ多すぎると感じる授業が目立ちます。そのため、子どもが受け身になっていると感じることが多いのです。子どもとの関係をさらによくして、子どもの言葉を活かした授業を目指してほしいと思います。そのためには、子どもが安心して発言できる教室をつくり、子どもの発言や反応をポジティブに評価し、子どもの言葉を他の子どもにつないでいくことが大切になります。
学校としてできていることが増えているから、課題もより多く見つかってきます。この課題を一つひとつ丁寧に解決していこうとすることが大きく進歩するきっかけとなります。研究発表会はゴールではなく、学校が進化していく過程のチェックポイントの一つです。これをきっかけにさらに大きく前へ進むか、それともできたことに満足してそのまま停滞するのかの分岐点です。この日の授業研究はまさにそのことを象徴するようなものでした。

授業研究については次回の日記で。

研究授業と検討会で考える

前回の日記の続きです。

授業研究は小学校6年生の国語の授業でした。意見文を書いてスピーチをする単元の第2時です。「平和のとりでを築く」という文をもとに平和について考えるという時間でした。
授業者はちょっと緊張気味でしたが、それでも笑顔をつくろうとしているのがよくわかります。子どもの発言をポジティブに評価しようとする姿勢も見られます。また、日ごろから板書を写す時間を明確にしていることにも気づきました。子どもたちは指示があるまで写すことをしません。集中して話を聞いています。授業規律を意識して学級経営をしていることがよくわかります。

前半は前時の復習に続いて題材となる文の内容の確認です。教科書をペアで音読させます。ペアでの読み方の指示は明確ですが、何を目的としているのかが明確ではありません。ただ交互に読んでいるのです。活動とねらいの関係が不明確なことが気になります。
筆者が原爆ドームの世界遺産登録を不安に思っていた要因を個人作業で本文から3つ抜き出させます。挙手した子どもを指名して、正解であればそれを板書していきます。戦争の悲惨さを伝えるものであること、過去の世界遺産と比べて規模が小さく、歴史が浅いことを抜き出します。後半に時間を使いたかったのでしょう。一問一答に終わっていました。であれば、個人作業をする意味はあまりありません。全体に問いかけながら確認していくので十分でしょう。せっかく作業をしても一問一答で終わるのであれば、「正解探し」をしただけです。このようなことが続くと子どもたちは根拠を持って考えることをしなくなってしまいます。個人で作業をさせるのなら、きちんと根拠を持って子どもが互いに納得して答を見つけていく過程が必要です。
筆者は原爆ドームと他の世界遺産とを具体的には比べていません。そこで授業者はタージマハルやモヘンジョダロの写真をスクリーンに映してその規模や時代を示します。最後に原爆ドームのデータを映して比較しました。他の世界遺産と比べて規模が小さく、歴史が浅いといっても子どもたちにその知識がないからです。ICTを自然に活用してムダな時間を減らそうとしていました。しかし、それでもかなりの時間を使っています。「平和のとりでを築く」という筆者の平和への思いをもとに子どもたちに「平和について考えさせる」のがこの時間の目的です。「戦争の悲惨さを伝えるもの」に対して、「規模や歴史の問題」はこの文章に関してはあまり大きな意味がありません。だから筆者はこのことを詳しく記述していないのです。数点の遺跡とその写真に比較できるように原爆ドームを同じ縮尺で重ねるなどの工夫をすればもっと時間を減らすことができると思います。

筆者は原爆ドームが世界遺産に選ばれたことから、最初の不安の裏返しで世界の人々の平和への思いを確認しています。授業者はその部分を抜き出させますが、きちんと不安との関係は押さえませんでした。この部分は筆者の主張につながる部分なので不安の要因よりはこちらに時間をかけたかったところです。続いて、筆者の主張「原爆ドームは平和のとりで」を抜き出しそれに賛成か反対かを子どもたちに決めさせます。それをもとに話し合いをしようというわけです。
ここで大切なのは「原爆ドームは平和のとりで」とはどういうことか、その考えの根拠となっているのはどのようなことかをしっかり押さえておかなければ、それをもとにして平和について考えることができないことです。1時間で平和について考えるところまで進めるのであれば、できるだけムダを排してこのことに時間を割くべきだったと思います。そのためには、前時に説明文の構成をしっかり意識して本文を読み、どこに筆者の主張があり、どこにその根拠となる事実や具体例があるかを押さえておくことが必要です。日ごろから説明文の読み方をきちんと意識して学習していれば比較的短時間でできることだと思います。メタな知識が必要になるのです。

子どもたちの意見は1人を除いて賛成ばかりでした。その状況で自分の考えをグループで話させます。しかし、話すことの目的や意味を明確にはしていません。考えが変わった人と聞きますが、ほとんどが賛成では変わりようがありません。授業者は子どもたちを揺さぶろうと自分は反対だと言います。反対の子どもを孤立させないためだったのかもしれません。しかし、そもそも賛成か反対かで意見を言い合う必然性が子どもたちにないのです。
コの字型にして全体で意見を発表します。コの字型といっても真ん中は空いていません。教師が中に入ることはできません。教師がコの字の中を移動することで子どもたちの視線を発表者に誘導したり、発表者のそばに行って発言を引き出したりといったことができません。この形がうまく機能するためには子どもが発表したりや聞いたりする姿勢ができていることが前提です。最初に指名された子どもが立ち上がると子どもたちの視線が集中します。しかし、着席したまま発言させたので多くの子どもの視線の行き場がなくなってしまいました。子ども同士の距離が近いので、友だちの体が視線を遮るのです。それでも、友だちの意見を聞こうとする姿勢は崩れません。しっかり聞こうとしています。聞く姿勢ができつつあります。
授業者は、最初の子どもの発表をしっかり考えながら言葉を発していたと評価し、子どもたちに拍手を要求しました。具体的に評価していることはよいことです。続いて他の子どもの挙手を待って指名します。今度は具体的に評価せずに拍手を求めました。次の子どもの発言の後は拍手を求めませんでした。何人かの子どもは拍手の準備をしていましたが、拍手を求められないので少し戸惑った表情をしていました。拍手することの是非は置いておいて、形式的に拍手するのなら全員にすべきでしょう。そうでないのなら、評価の基準を明確にすべきだと思います。
都合6回ほどの発言の間に2人の子どもが2回ずつ発言しました。一部の子どもたちだけで進んでいます。最初は集中していた子どもたちも次第に集中力を失くしていきました。一人ひとりの発言をきちんと全体で共有してつないでいかないので、何を話しているのかわからなくなっているのです。挙手はしないが友だちの発言に反応する子どももいます。「うなずいていたね。どういうことか聞かせてくれる」とそういう子どもにつなぐことが大切です。また、今自分たちがどこに向かっているのか子どもたちがわかっていないことも、このような状況をつくっている原因の1つです。
子どもたちの活動場面はいくつもあったのですが、その活動の目的や目標が明確でなかったことが問題でした。最終的に子どものどんな姿が見たいのか、そのためにどのような活動や知識が必要かをしっかり考えて授業を構成していなかったのです。

検討会はグループを活用した「3+1授業検討法」で行われました。教務主任が市内の他の学校で行なわれていたのを見て取り入れたようです。簡単に説明して始めたのですが、参加者にはゴールがよく見えなかったようです。よいところを3つ、改善点を1つと言っても、1人ずつ「3+1」で話すのか、1つずつ話し合って最後に「3+1」にまとめるのかよくわかっていなかったようです。司会者がよいところをどんどん話してくださいと言っても、なかなか活性化しません。ほとんどのグループが改善点や疑問点を中心に話し合っていました。ネガティブを話していると雰囲気は暗くなります。改善点を話しても自分の授業は改善されません。このような状況はあまり建設的ではないのです。よいところを互いに聞き合うことで、自然に自分もやってみようとする気持ちになっていくものです。他者の授業から学ぶ雰囲気を育てることが大切です。そういう雰囲気をつくるための検討法なのですが、見ただけ、聞いただけでは理解できないことがよくわかりました。授業検討法を伝えることの難しさも改めて感じました。

検討会終了後、この日一緒に授業を参観した若手の先生方とお話をしました。とても素直な先生方ばかりです。私の指摘を皆さん前向きに聞いてくれました。また、質問もいくつかいただきました。

子どもの学力差が大きく、課題や作業をこなすスピード差が大きくて困っている。早くできる子には読書をしてもいいとまで言っているということです。できない子どもに教えてもらうように働きかけることをするように話しましたが、なかなか自分から声をかけられないようです(作業スピードの差をどう埋めるか参照)。日ごろから子ども同士の関係をつくることを心がけるようにお願いしました。また、全員ができるのを無理に待つ必要がないこともお話ししました(時間を与えることの意味参照)。全体で「わかった」から始めずに、「わからない」「困った」から始めて、彼らがわかる、できるようになること目標とする方法もあるのです(「わからないところ」から始める参照)。

子どもたち(特に女子)からの相談が少ないことから、子どもとの関係が上手くいっていないのではないかと悩んでいる方もいました。同じ学年の他の担任と比較していそう感じているようです。担任が学級全員の相談相手になれるわけではありません。昔の担任や他の学級の担任でも相談できる相手がいれば問題ありません。情報交換をしっかりすればいいだけです。ただ、気をつけるべきことがあるとすれば、子どもでも保護者でも相手の言っていることは、たとえネガティブなことでもまず受け止め共感することです(悩み事の相談参照)。質問者はこの点に思い当たることがあったようです。このことを意識してくれれば、子どもたちとの関係もよりよい方向へ変わっていくことと思います。

今年度予定していた4回の授業アドバイスが終わりました。若手を中心に授業がよい方向に変わってきていますが、勝負はまだまだこれからです。今年度どれだけ先生方が意識して授業改善に取り組んでいくかで、来年度のスタートが大きく変わります。このことを教務主任も意識しています。どのように変化していくかとても楽しみです。来年度訪問する機会を持てることを期待しています。
私も4回の訪問でたくさんのことを学べました。ありがとうございました。

学校の変化の兆しを感じる

昨日は、小学校で現職教育に参加し、授業研究の合間に若手教師と一緒に学校全体の授業を参観しました。小学校では学級担任は学級に拘束されている時間が多く、1時間とはいえなかなか授業参観の時間を取ることはできません。教務主任は若手の教師が授業参観する時間をつくるために、担任のかわりにいくつも授業に入ってくれました。若手に勉強する機会を与えようという姿勢に感心しました。

教務主任の働きかけの影響もあるのでしょう。子どもたちへの指示が徹底できて、授業規律が保たれている学級が増えているように感じました。指示が徹底できるということは、子どもたち全員をよく見ているということでもあります。そのような学級では子どもと教師の間に良好な人間関係が築かれているように思いました。

今回、特に若手の授業で感心したのは子どもたちの挙手が少ない場面での対応でした。以前は挙手した子どもの誰かをすぐに指名していたのですが、ペアやまわりの子どもと相談するように指示します。するとほとんどの子どもが話し合います。子どもたちはまわりと相談することに慣れているようです。考えを持っているのに自信がなかったりしたのでしょう。このことは、まだ一問一答や「正解」という言葉を教師が発したりすることが多いことも関係しているように思います。
もう一度問いかけるとかなりの数の子どもの手が挙がります。ここで挙手指名してもいいのですが、できれば友だちとしっかり話し合っていた子どもを指名して答えさせたいところです。自信がなくて答えられないようであれば、「しっかり聞いていたね。どんなことを話していたか聞かせてくれる」と答でなくその過程を聞いてあげるといいでしょう。なかなか挙手できない子どもにも発言の機会を与え、自信をつけさせることを意識してほしいと思います。最初に手を挙げた子どもが指名させる機会を逃して不満持つようであれば、何人かに聞いた後、「○○さんは最初に手を挙げてくれたけれど、同じ考え?」と最後に確認すればいいでしょう。「すごいね、すぐにわかったんだ」とほめれば納得すると思います。

算数の授業で気になる場面がありました。授業の最初に子どもたちにめあてを写させるのですが、「あまりのある割り算」という言葉がありました。子どもが写し終わると授業者は導入の問題を提示しました。ここで、「あまり」という言葉が問題です。「あまり」はこの時間に初めて出てくる言葉です。それをめあてとして出されても子どもは理解できません。めあてを理解できないのにそのまま写させるようなことを続けると、めあてが形式的なものになってしまいます。導入部分で「あまり」が出てきた時に示すべきだと思います。後で授業者と話をしたところ、本人もどちらにするか悩んでいたようです。めあてを最初に明確にしておきたいのであれば、「『あまりのある割り算』って初めの言葉だね。この授業が終わるときにみんなが『あまりのある割り算』を説明できるようになろう」というような言葉を補うとよいことをお話ししました。

調べ学習に向けての説明をしている場面がありました。歴史と関係の深い地元の街道について調べるものです。子どもたちが集中して聴けるように机を片付けて黒板の前に椅子を丸く並べて座らせていました。そのこともあって子どもたちはとても集中していました。ところが、数人が教科書を見て何か話しています。今回の調べ学習に直接関係のない話とは思えません。後で授業者にたずねたところ、どうしたものか判断に迷い、あえて注意をせずに見守っていたということです。対応をどうするかは別にしてちゃんと気づけています。この授業者に限らず、若手の授業で気になる子どもの様子について話をすると、みなその場面のことをしっかりと把握していました。子どもを見ることができています。まずは、子どものことに気づいていなければ話になりません。基本ができてきています。
この例のように授業に関係ありそうなことを話しているようであれば、すぐに注意をするのではなく、「なにか話しているね。どんなことを話していたか聞かせてくれる」と全員に共有させるとよいでしょう。私的な話を公的なものに変えるのです。みんなに話せないようであれば、それは子ども自身が私的なものだと認めたわけですから、「じゃあ、話の続きは後にしようね」と言えばいいのです。その場で取り上げる価値のあるものであれば、「じゃあ、今の意見についてみんなで考えてみよう」、この場で取り上げるのはふさわしくないと判断すれば、「なるほど、これは後からみんなで考えることにしようね。じゃあ先生の話を続けるね」というように対応すればよいと思います。子どもの私的活動はすぐに注意をするのではなく、公的なものとして取り上げるべきことなのか、私的なものとして止めるべきことなのかを判断して対応することが大切で。

私的な言葉を公的にするという場面が他の教室でありました。子どものつぶやきを授業者がうまく拾ったのですが、それを言い直して伝えたのです。公的なものにしたのはいいのですが、子どもの言葉とは違ったものになっていました。つぶやいた本人は教師に聞いてもらえたとは思うのですが、教師が言い直してしまえば自分の言葉が公的にみんなに伝わったと思いません。私的に教師とかかわったことに留まるのです。子どもの言葉をそのまま復唱するか、「今いいこと言ってくれたね。もう一度みんなに聞かせてくれるかな。みんな、○○さんの話を聞こう」というように、本人の手で公的なものにさせるといった対応をするとよいでしょう。

全体的に教師が子どもの言葉を受け止めることはできているのですが、その言葉を他の子どもにつなげることができていません。「同じ意見の人」と挙手を求めるのですが、その子どもたちにもう一度発言を求めることはしません。子どもも、友だちに聞いてもらう。友だちに伝えるという意識を持っていません。発言して教師が受け止めてくれればそれで満足です。一問一答をやめて、何人も指名する。「今の意見、なるほどと思った人いる」「ああ、いるね。○○さんの考えが伝わったね」「□□さん、どこでなるほどと思った」というように、考えが他者に伝わったかどうか、どのように伝わったかを意識させるような教師の働きかけが必要です。また、子どもの聞く態度を評価することをもっと積極的にして、子ども同士のかかわり合いをうながすようことを大切にしてほしいと思います。

もう一つ、活動の目標や評価の具体的な基準がはっきりしないことが気になりました。子どもへの活動の指示が明確でわかりやすいので、子どもがしっかり活動できている場面をたくさん目にします。ところが、自己判断できる評価の基準が示されていないので、子どもたちは活動して満足しています。たとえばペアで相手に伝える場面であれば、伝わったかどうかを確認して評価する場面が必要です。活動主義になっているのです。一つ間違えば、「活動あって学びなし」の状態になってしまいます。
6年間を通じてどのような子どもの姿を目指すのか。この学年では、この教科では、この単元では、この時間では、この場面ではと、常に目標を明確にし、そして個の活動場面では子ども自身が自己評価できるような基準を伝えることが大切です。個の活動では教師が一人ひとり全員を評価することはできません。子ども自身が「やった」「できた」と自己評価できることが自己有用感につながっていくのです。

いくつかの課題がありますが、それはクリアした課題があるからこそ見えてくるものです。今年度最後の訪問でしたが、この先この学校が大きく変化していく兆しを感じることができました。

授業研究と、若手の先生方との懇談については次回の日記で。

介護関係者向けの研修

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。

今回は自分の行動が相手にどう受け止められるか、どう伝わるかを意識してもらうために、挨拶について考えるものとしました。コミュニケーションの方法にこれが正解というものはありません。このことをまず参加者の皆さんに伝え、何を言っても大丈夫だという安心感を持ってもらうことに努めました。
今回の研修では道徳の授業の手法を取り入れました。いろいろな挨拶の場面を想定し、自分はどのように感じるか、相手はどのように考えていたのか双方の気持ちをグループで聞き合うことを中心にしました。互いに聞き合うことでいろいろな視点や考えに触れることができ、自身を振り返ってもらうきっかけにしてもらうのです。

・挨拶は相手にいろいろなことを伝える。
・同じ挨拶でも人によって感じることは違う。
・全く違う気持ちでも、同じような行動になることがある。
・服装からも伝わることもある。

各場面の活動で、このようなことに気づいていただけたと思います。

参加者は同じ事業所でない方が混じっているので、最初は少しかたい雰囲気でした。学校での子どもたちの挨拶を例として話しながら、参加者の表情の変化やちょっとした反応をとらえて、ポジティブに評価して場を柔らかくしました。少し場があたたまったところで、グループ活動を入れました。最初は少し緊張していましたが、次第に打ち解けていきます。最初のグループ活動の後は、どのようなことを話し合ったかできるだけ丁寧に聞いていきました。すべての発言をポジティブに評価することで、安心感を与えると同時に正解を探すことを目的としていないことを実感していただくことを心がけました。グループ活動をするたびに参加者の笑顔が増えていきます。最初は少し距離を置いていた方もしだいにグループの輪の中に引き込まれていきました。時間の関係でグループ活動を止めるのがもったいないと感じるほどでした。

最後に、「挨拶でどんな気持ちを伝えたいと思うか?」「そのためにどのような挨拶を心がけるか?」について、それぞれの考えを聞き合ってもらいました。今までの活動の中でそれぞれに思うことがあったようです。自分の考えを聞いてもらおうという気持ちが伝わります。聞く方もうなずきながらしっかりと聞いていました。

研修終了後、何人かの方から「いろいろな考え方があることを知った」「自分も意識せずにやっていた」「見直すきっかけになった」といった言葉をいただきました。研修を前向きにとらえていただけたことをとてもうれしく思いました。
皆さんとても素直で前向きな方ばかりです。私も、皆さんの参加の様子から授業と同じようにとても多くのことを学ぶことができました。次回以降、またお会いするのがとても楽しみです。それと同時に、皆さんの学びが多い内容にしなければというプレッシャーもかかります。しっかり準備して次回に臨みたいと思います。

実りの多い授業研究

前回の日記の続きです。

英語の授業研究は3年生の、丁寧にたずねる表現 ”Would you like … ?” の学習でした。授業者は講師の方です。今年度の英語科の授業研究のトップバッターです。講師の方が最初に授業研究に挑戦してくださるその意欲に、まず感心しました。

「食事を勧める」という ”situation” で授業は進んでいきました。授業者は、「丁寧な」たずね方ということを強調して”Would you like …?” を説明します。そのこと自体はよいのですが、丁寧でない言い方と比較することでコントラストをつけることが必要と感じました。「丁寧な」と「食事を勧める」というだけでは ”situation” はうまく伝わりません。「友だち同士はどうたずねればいい」というような、使い分ける場面をつくればよかったように感じました。
ピクチャーカードを使いながら全体練習をするのですが、どうしても口が開かない子どもがいます。3年生ともなると学力差がかなりついていて、全員の口を開かせることはとても大変なことです。しかし、教師が全員参加を目指していることを活動の中で子どもたちに伝えなければ、参加できない子どもは見捨てられと感じてしまいます。このことを意識してほしいと思いました。
子どもたち同士で会話をする場面がありました。一方が “Would you like some more?” と自分のカードに描いてある食べ物の絵を見せて勧めます。それを受けて、”Yes, please.” 、“No, thank you.” のどちらかで答えます。相手を変えて次々練習をします。授業者の意図は、決まりきった言葉を言うのではなく、好き嫌いなど自分の考えで答を選ばせることをさせたいということでした。また、答を聞くことで友だちの嗜好がわかるといったコミュニケーションも意識していたようです。子どもはカードを見せて “Would you like some more?” と言った後、返事を聞くとすぐに次に移ります。中には、返事をろくに聞かない子どももいます。子どもたちのテンションも上がり気味です。この会話に相手の言葉を聞く必然性がないことが原因のように思われます。絵を見れば、相手の言葉を理解しなくても返事ができる。返事を聞かなくてもそれで会話は終わり。聞かなくても活動は成立します。自分の言うべきことを言えば済むので、あまり考える必要がありません。テンションも上がってしまうのです。
このことについて検討会でも話題になりました。ある先生は、ただ ”Yes, please.” 、“No, thank you.” だけでなく、もう1文 “I like … very much.”、”I’m full.” などをつけてはどうかという意見が出てきました。話す内容を高度にして考える必然性を高めようということです。こういう工夫は大切です。授業者も同様のことを考えたようですが、子どもたちの実情を考えると、もう1文を付け加えさせるのは難しいと判断したそうです。大切なのは、文の内容を高度にするよりも、簡単な文章でいいので聞く必然性を高めることだと思います。勧めるものは事前に決めておいてもいいので、絵を見せずに “Would you like some more … ?” と聞かなければ答えられないようにする。相手の答に合わせて、”Oh, you like ….”、”Oh, you don’t like ….” と返す。これだけでも、充分に相手の言葉聞く必然性が出てきます。” Oh, you don’t like …, do you?” として、”Yes. I’m full.” などと、子どもの力に応じて発展させることも可能です。また、勧められる側の子どもに、お客様か友だちか相手との関係を選ばせてもよいかもしれません。それによって “Would you” と丁寧に聞くかどうかを選ばせるのです。
面白かったのは、先ほど口を開かなかった子どもが、この活動のあととてもよい表情をしていたことです。実際にうまく活動できたかどうかは観察できなかったのですが、友だちと何らかのかかわりを持てたことは間違いありません。子ども同士の人間関係がよいことがうかがえます。

この時間の主課題は、食事を勧める場面で5文の会話文をつくるというものです。子どもに会話文をつくらせるというのは授業者にとっては初めての試みだったそうです。こういう挑戦をしてくださることはうれしいことです。授業研究を通じて互いに学び合うことができます。
子どもたちは、会話文をつくろうと一生懸命なのですが、微妙にテンションが上がっていきます。本来のねらいである英文をつくる以前に、会話そのものをつくることにエネルギーが使われているのです。こういう状況はテンションが上がる傾向があります。
このことについても、検討会で話題になりました。子どもが会話文をつくりやすいように、“situation” を具体的にすることに時間をかけているという方がいらっしゃいました。子どもたちがその “situation” にしっかりと浸ることで、自然に言葉が生まれてくるということです。そうすれば、その言葉を英文に直そうという意欲もわいてきます。スキットも体を使ったとてもリアルなものになるそうです。なるほど、納得させられる話です。慣れないうちは、具体的に ”situation” を与えておくのも手です。紙芝居を用意して、会話の部分を空白にしておく、音声をカットしたビデオを見せるといったやり方です。その ”situation” にふさわしい会話文をつくらせるのです。

子どもたちがグループで発表し合います。楽しそうにはしているのですが、ただ発表して終わりのようです。互いの活動を評価し合う視点が明確になっていないのです。
この点について、子どもたちの英語活動の何を評価するかを明確にする必要があることが、楽しい授業という今回の授業者の目指す授業像とあわせて話題となりました。「『楽しい』にはレベルがある。そのレベルを上げていくことが大切である。そのためにも、授業者が子どもたちの活動を積極的に評価する必要がある」という意見が出されました。その通りだと思います。これに関連して、子どもたちがグループに分かれて活動している時にどのようにして全体を評価すればいいのかも話し合われました。教室の真ん中に入って見るという意見に対して、斜め前から見るという考えが若手から出てきました。全体を見て、必要に応じて移動するというその説明に皆さん納得されたようです。とてもよい話し合いでした。
何を評価するかについて、できれば学校全体で共通のものが持てるとよいと思いました。授業者毎ではなく、共通のものにすることで子どもたちはどの教師が担当になっても安心して参加することができます。教師も毎年1から指導する必要がなく、学校全体に継続性が生まれます。今回の話し合いをきっかけにこのことが継続的に議論されていくと素晴らしいと思いました。

授業検討会は、司会者が上手に話題を振ることで、たくさんのことが学び合えました。もちろん授業者が積極的に挑戦してくれたからこそ、よい話題が生まれたわけです。今後もこのような充実した授業研究がおこなわれていけば、英語科全体の力量が上がっていくことと思います。私もよい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。

子どもの姿から学校の課題を考える

昨日は中学校で授業参観と英語科の授業研究に参加してきました。

夏休み明けということで、子どもたちの夏休みボケが気になるところですが、どの教室も子どもたちは落ち着いて授業に参加していました。
3年生は受験生という自覚があるのでしょう。苦手な子どもからも何とかついていこうという気持ちが伝わってきます。しかし、残念ながら何人かの子どもはその気持ちが折れかかっているように見えました。また、授業によっては子どもたちが教師の説明をあまり聞いていない場面がありました。やる気がないのではありません。むしろやる気があるのです。友だち同士で聞き合っていて、教師の説明よりもそちらを優先しているのです。このことをどう評価するか難しいところです。

2年生も全体的によい状態だと感じたのですが、授業中に完全に寝ている(倒れている)状態の子どもがいる教室が目につきました。まわりの子どもはその子どもを無視しています。寝ている子どもが本当に疲れているので、そっとしておこうというのならまだよいのですが、ちょっと気になる状況です。別の教室では、寝ている子どもを教師がちょっと厳しい表情で起こしました。しかし、起こされた子どもは少し反発をします。外部から軽々しく言ってはいけないことですが、授業が楽しくないから寝ているんだと態度で伝えようとしているように感じました。

1年生も教室は落ち着いているのですが、授業によって子どものやる気が大きく違います。このことも問題ですが、子どもたちが集中している授業で気になる場面を何度も目にしました。全員が集中している中、手のつかない子どもがいるのです。鉛筆を持って取り組もうとするのですが、すぐに止まってしまいます。教師の説明が始まると聞く姿勢を見せるのですが、途中で顔が下がってしまいます。似たような子どもを教室に1人か2人見かけます。1年生でも子ども同士聞き合う姿はよく見られますが、このような子どもは友だちに聞くこともできません。わかりたいという気持ちがあるのですが、自分一人ではどうにもできない状態のようです。一人で苦しんでいるように見えました。学びから脱落するかどうかの危ういところにいます。
また、ちょっと残念な場面に出合いました。教師が説明した後、「わかった、できた人」に挙手を求めました。勢いよく手を挙げる子どもいます。ほとんどの子どもの手が挙がりました。授業者は彼らをほめ、「90%の人ができている。素晴らしい学級だ。自分たちで自分をほめてあげましょう」と拍手をさせました。残りの10%の子どもはどんな気持ちだったのでしょうか。わからない、できない子どもが孤立感を深めていきます。
TTの授業で、気になることがありました。T2が監視者になっているのです。T1が説明している時に、自分で解いている子どもや友だちに教えている子どもがいました。その子どもに対して強制的に話を聞くように指導します。そのこと自体は間違ったことではないのですが、自分たちでやろうとしている子どもの意欲を認めることなく、問答無用という感じで注意をします。別の教室では、T1の説明中に姿勢の悪い子どもがいました。T2は手でその子どもの姿勢を正しました。T2がその場を離れた後、子どもは机に突っ伏しました。言葉にならない反抗です。しかし、T1と子どもたちは楽しい雰囲気で授業をしています。友だちの楽しそうな声を聞いて、すぐによい姿勢になり、笑顔で授業に参加してくれました。その子どもの表情に救われた気がしました。TTだからこそ、T2には子どもたちに寄りそう姿勢を大切にしてほしいと思いました

この日の学校の様子から、課題が明確になってきているように感じました。
全体として子どもたちは教師と良好な関係を築いています。子どもを受容する姿勢で接する教師が多いからです。多くの子どもは友だちと自然に聞き合うことができます。友だちと相談する、聞き合う場面を組み込んでいる授業が多いからです。この状況であれば、先生方は授業を進めるのに苦労はしません。危機感がないため、授業をもっとよくしようという、授業に対する向上心が全体的に下がっているのです。
また、授業者によって見せる子どもたちの姿は異なります。どのような子どもの姿を目指すのかが、教師間で共有されていないからです。共有されていなくても、取り敢えず授業が成り立つので、特に困らないのです。そのため、子どもは授業者によって態度を変えていきます。教師に対応するのです。この違いは学年が上がるにつれて薄れていきます。学年が上がるにつれて、友だちと学ぶことを覚えていき、教師に頼る部分が相対的に減っているからのように感じます。しかし、今後もそうなるという保証はありません。子ども同士のかかわり合いを大切にする教師の割合が減っていけば、逆の方向に揃っていくからです。
そして、一番気なることが、「わかった」からスタートしている授業が多いことです。できた子ども、わかった子どもの気づきから、授業が進んでいくのです。困っている子ども参加できる仕組み、わからない子どもがわかるようになる過程が授業から抜け落ちているのです。「子どもの困った感に寄り添う」「わからないからスタートする」がいつの間にか学校の中から薄れています。子ども同士で聞き合う姿がどの教室でも見られるので安心しているのかもしれません。しかし、わからないのに友だち聞けない、友だちとかかわれない子どもがどの教室にもいるのです。この子どもたちに目を向けてほしいのです。

教務主任や研修担当の先生もこのことは感じていたようです。今後どのように対応していくか真剣に考えていただけそうです。この学校が今後どのように進化していくか、その過程を共有できることをとても幸せに感じます。次回以降の訪問が楽しみです。

英語の授業研究については、次回の日記で。

中学校の現職教育に参加

昨日は中学校で現職教育に参加してきました。若手を中心に授業を観た後、3つの研究授業とその検討会の様子を見せていただき、最後に全体に対して私がお話をさせていただきました。

全体的に感じたのは、どのような子どもの姿を目指しているのかがよく伝わらないことでした。子どもの活動はあるのですが、それが何をねらっているのか、目的や目標が明確でありません。子どもたちの発言が少なく、教師の一方的な説明が続きます。簡単な問いにも挙手があまりありません。子どもたちが発言することに価値を見出していないことが気になります。
子どもたちに対する指示が不明確だったり、確認がきちんとされていない、指示に全員が従っていないのに教師が次の行動をとったりすることも目立ちます。授業を進めることに、より意識がいっているように感じます。子どもが教師を見ていない状態でも話をしている場面に多く出会いました。
また、子どもが作業中に追加の指示やヒントを話すことも常態化しています。子どもが集中をし始めた時に、教師自らが集中を乱す行動をとります。作業が終わったあとの指示もされていないことがほとんどです。終わった子どもが集中力を失くして、雰囲気を悪くしています。

グループでの活動も聴き合うことが中心に置かれていないと感じます。ムダにテンションが上がる場面に多く出会います。子ども同士の人間関係も気になります。かかわれない子どもが目立ちます。男子同士、女子同士で席がくっついていることもあり、男女間のかかわりが少ないのです。子どもたちが、単に解答を求めているだけで、その過程を共有して考えを深めることを意識していません。わかった子ども、できる子どもが仕切る構造になっています。
グループ活動に限らず、子どものわからない、できないから出発していないので、わからない子どもは授業に参加できません。教師が与える答を写しているだけです。一方わかっている子どもは、自分はできるので積極的に参加する必然性がありません。教室全体に参観意欲が感じられないのです。子どもの外化に対してポジティブな評価がまったくと言っていいほどないことも、その原因の一つでしょう。

そこで、全体でのお話は、当初予定していた内容よりも、子どもたちが安心して参加できる授業づくりに比重を置いたものに変えました。まず何よりも、教師が子どもの言葉を聴く姿勢を持つこと。目指す子どもの姿を意識して、そのためにどのような活動が必要か、授業規律はどうあるべきかを考えること。子どもたちに反応を求め、積極的に評価すること。このようなことをできるだけ具体的にお話しました。
先生方にとっては厳しめの話でしたので、反応が気になりましたが、思った以上に前向きに聞いていただけたと感じました。授業中には見られなかった笑顔もたくさん見ることができました。今回の内容は、意識するだけで簡単にできることがほとんどです。この日の若手の体育の授業で、子どもたちがしっかりと先生の方を見て話を聞いている姿を見ることができました。あとで聞いたところ、子どもたちが全員自分を見るまでは話さないようにしているということでした。これだけで、ちゃんと子どもは集中してくれるのです。先生方が少し考え方を変えてみよう、授業の進め方をちょっと工夫してみようとするだけで、子どもたちはきっと大きく変化すると思います。今回のお話がそのきっかけになれば幸いです。

全体の会の終了後、授業を見せていただいた若手の先生方とお話をしました。どんなことを思っているかを一人ひとりに話していただきました。どなたも、私の全体での話を自分のこととして聞いていたことがよくわかりました。とても素直な方たちです。あまり素直に反省の言葉が出るので、かえって心配になるくらいです。大切なことは明日からどうしていくかです。一度にたくさんのことをしようとせず、とりあえず一つでいいので意識して実行してほしいと思います。授業を見られることに慣れていないのか、私が見たみなさんの授業は表情がとてもかたいという印象がありましたが、こうしてお話をしてみるととても素敵な笑顔を見せてくれます。まず、授業中にこの笑顔をたくさん子どもたちに見せることをお願いしました。

先生方が、どんな子どもたちの姿を目指そうか、どんな授業をつくっていこうかともう一度考えてみるだけで、この学校は大きく変わる可能性があると思います。また訪問する機会があることを楽しみにしています。
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