「ICT活用における教師の役割」について講演

昨日は、小学校で「ICT活用における教師の役割」について話をしてきました。先日授業参観した(ICT活用授業の参観参照)ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

「授業での凡事徹底」をサブテーマに、まず、ICTを活用するしないにかかわらない授業の基本を確認しました。

・教室に笑顔があること
・子どもに外化を求めること
・子どもが安心して話せる環境をつくること
・教師が子どもを見ていること
・子どもが教師を見ていること
・子どもが友だちの言葉を聞くこと
・子どもが自ら考えようとすること

このようなことが前提となって、ICTの活用があるはずです。その上で、ICTの役割と教師の役割を明確にする必要があります。

たとえば、説明のビデオを見せているとき、教師も一緒になってビデオを見ていてはおかしいのです。子どもたちが集中して見ているか、どこが理解できていないかしっかりと観察している必要があります。この場合であれば、事前に子どもに予想させてどの予想があっているかビデオで確認する。ビデオ終了後説明できるようにする、グループで説明のプレゼンをつくるといった、課題を明確にすることが大切です。ビデオの説明の後にもう1度教師が説明するのは時間を二重に消費するだけです。

教科書をスクリーンに映すのは、子どもの顔を上げるメリットがあるからです。それなのに教師が子どもの顔を見ずにスクリーンを見ていては意味がありません。子どもの反応見ることを意識する必要があります。また、一人ひとりに線を引かせたところをスクリーンで共有するなど、子どもの考えをつなぐことが教師の役割です。資料などをスクリーンに映すときも同様です。

デジタルのフラッシュカードを使うのなら、教師が操作にとらわれていてはいけません。子どもの口が開いているか、自信を持って答えているかをチェックすることが教師の役割です。場合によっては全員がきちんと言えるまで、何度も同じカードやったり、戻ったりする必要があります。それがデジタルでうまくできないのなら、紙のカードを使えばいいのです。

このほか、デジタルならではの使い方をいくつか示しました。
たとえば、一人ひとりがタブレット上で作業しているものを途中で保存しておくことです。何か変更を加えるときは、変更前の物を保存しておくようにするのです。こうすることで、過程を再現できます。変えようと思った理由は? 変える前と後でどう違う? それぞれを見比べながらこのような発問をすることで、互いの考えや工夫を共有化しやすくなるのです。
また、グループに1台のタブレットを、額をつき合わせながら共同利用することで子ども同士のかかわり合いをつくることができます。インターネットの検索一つとっても、何をキーワードにするかをグループで決める過程で、互いの考えや発想を知ることができます。

約1時間半のお話でしたが、先生方は非常に熱心に聞いてくださいました。また、話の内容にうなずいたり、メモをとったりたくさん反応してくれました。特に新任の先生は、1人は小さく拍手をしたり、大きくうなずいたり体全体で反応してくださり、もう1人は怖いくらいに集中して話を聞いてくださいました。この学校の持つパワーを感じました。前回の訪問時は学期末で余裕がなかったのでしょう。この日は、先生方の素敵な笑顔をたくさん見ることができました。研究発表があるため、どうしてもICTは素晴らしいということを見せなければというプレッシャーがあるかもしれません。しかし、あえて「ICTは使わない方がいい場面がある」と言う勇気もあってよいのだと思います。多くの先生方にとっては、この方が意味のある情報なのかもしれないのです。このことを先生方に伝えて話を終わりました。

秋には研究発表会があります。当日は、この日見た先生方の笑顔がたくさん見られることを楽しみにしています。

楽しく充実した研修

昨日は小学校で研修をおこなってきました。先日2日間おじゃました学校です。学び合いを通じて子どもたちの学力(特に算数)を伸ばすことを目指している学校です。今回は、午前中は講演をおこない、それを受けて午後から先生方にグループで話し合いをしていただき、質問等を受けるという流れでした。

講演は、学び合いで学力がつくのか、つけるためにはどのようなことに注意をする必要があるのかを中心にお話させていただきました。学び合いというとグループ活動に目がいきがちですが、今回はそれを支える関係づくり、子ども同士をつなぐ教師の役割などを中心に話をしました。学び合いの授業イメージが先生方にあまりないということなので、当初の予定にはなかった、つなぐことを意識した授業がどんなものか伝わるような模擬授業形式のやり取りを入れてみました。

たまたま電車の広告で見た東大の入試問題の発想が、これもたまたま見た中学入試問題(有名な問題ではありますが…)と根本的には似ていたので、それを題材にしてみました。
先生方はとてもよく反応してくれました。首を振ったり、つぶやいたり、思いついたことを出力してくれます。先生方の言葉をつなぐことでこの問題のポイントである帰納的な考え方、1つ前、2つ前との関係に注目することを出すことができました。なんとか子どもの言葉を活かす授業のイメージを伝えられたのではないかと思います。こういう発想を身につけていくことで、高い学力もつくはずです。
学力をつけるためには、ただ学び合いをすればいいのではなく、どのような課題を扱うか、そこでどんな力を子どもたちにつけようとするのかも大切なのです。
そして、その学び合いを成立させるためには、子どもの言葉を教師も子どももよく聞く必要があります。そして、聞くことの価値を実感させることが大切です。
この学校は優秀な子どもがたくさんいます。しかし、その子どもたちが活躍していないことが課題の一つです。自分はわかっているから聞かなくてもいい、参加しなくてもいい。そんな子たちを活かすためにも、聞くことを大切にする必要があります。友だちの考えを説明するといった役割を与えることで、友だちの説明を聞くようになります。それをうまく説明して評価されることで、自己有用感も高まります。彼らが活躍することで、下位の子どもたちも伸びていくはずです。そんな授業を提案しました。

先生方がどう反応しても対応できるように、スライドはあらかじめたくさん用意していました。全部のことを話せないことはあらかじめ了承いただいていたのですが、それにしても、最初の模擬授業が楽しくてつい時間を使いすぎました。後半に予定していた算数の話をほとんどすることができなかったことは反省です。結局、先生方から省略した机間指導の話をしてほしいというリクエストがあったため、午後の時間も一部いただき、机間指導と○つけの話、教科書の読み方について話をしました。先生方のグループでの活動時間を短くしてしまったことは本当に申し訳なかったです。

午後の先生方の活動はとても集中していました。グループでの活動のお手本のような姿です。グループの活動の後、各グループから1人ずつ話し合いを通じて考えたこと、疑問等を発表していただきました。ここでうれしかったことは、実に多くの質問が出たことです。皆さんが真剣に話を聞き考えてくれた証です。皆さんが納得できるお答えになったかどうかはわかりませんが、私にとっては考えるよいきっかけとなりました。

研修終了後、前回授業を見せていただいた方からその後の報告がありました。
その授業の続きを子どもから出たキーワードを活かしてやったところ、子どもたちは一人残らずきちんと理解し、ちゃんと解けるようになった。子どもから、先生も予想していなかったよい発想が生まれてきたと、素敵な表情でお話いただけました。
また、別の方は、その後算数の問題文と国語の読み取りの力の関係を今まで以上に考えるようになったと話してくださいました。
こういった報告を受けることは、とてもうれしいことです。一気に疲れが取れるような気がします。

この後算数の部会でお話をさせていただき、最後に管理職の方と研修担当の方と一緒に今回の一連の研修の振り返りと今後について話し合いました。
先生方は学び合いのよさを少しずつ理解していただけているようですが、やり方を変えることで、本当に学力がつくのか、特に中学校入試に対応できるのかその不安とプレッシャーがとても大きいようです。これはいくら口で説明してもなくなるものではありません。少しずつ実践して互いに確かめあっていくしかないでしょう。授業での小さな成功体験をみんなで積み重ねていくことで、この学校の学び合いのスタイルが確立されていくことと思います。前向きな先生がとても多い学校です。今後大きく進化していくことと思います。

この日1日、皆さんとてもよく反応をしてくださり、多くの先生と楽しく話すことができました。おかげでたくさんの元気をいただけました。実はここ数日体調が悪かったのですが、帰るときには体が軽くなったように感じました。とても充実した1日でした。またこの学校に訪問できる日が来ることを楽しみにしています。

研修会の打ち合わせ

先週末は、毎年1講座を任されている、市主催の研修会の打ち合わせをおこないました。模擬授業を外部の先生にお願いし、それを受けて私が1時間講義をします。毎年どなたに模擬授業をお願いするか悩むのですが、今年は、ここ数年成長が著しい中堅の数学の先生にお願いしました。子どもたちの言葉を活かし、数学的な思考を深めることをとても大切にしている方です。無理なお願いにもかかわらず、勉強になることだからと快く引き受けてくださいました。

打ち合わせそのものは、あまり時間がかかりませんでした。というのも、子どもに何を問いかけるかが非常に明確なので、あとは、生徒役から出てきた言葉をどうつないでいくか、それに私がどう突っ込むかというその場になってみなければわからないことだからです。「いかようにも料理してください」と明るく言ってくださったことが印象的でした。授業が楽しくてしょうがないというオーラがあふれています。一緒にいるだけで楽しくなる。そんな雰囲気を身にまとっているのです。参加される若い先生のために、このような雰囲気を身につけられた過程も当日話していただこうと思っています。

数学の証明では、なぜそこに線を引くかは書かれません。線を引くところから始まり、証明が進んでいきます。証明が終わって「納得した?」ではなく、「証明はできたけれど、なぜそこに線を引いたの、どうしてその線を引こうと思ったの」と問いかける。そんな授業を実践される先生です。当日、子ども役の方はこのような問いにどんな反応を示してくれるでしょうか。子どもが考えるために必要な教師の働きかけはどんなことかきっと気づいてくれることと思います。

打ち合わせが終わった後は、学校のようすや授業の話で盛り上がりました。若い先生に積極的にかかわって、先生同士が学び合う雰囲気をつくっておられます。授業をビデオに撮って、部活動が終わった後に検討会をおこなったり、互いに授業を見あったりしているそうです。授業について話し合う土壌ができつつあるのを感じます。前回訪問した時にそのことを強く感じましたが、今回お話をうかがって以前よりもまた前進していると確信しました。この学校の若手の方は身近にこのような先輩がいてとても幸せだと思います。日々成長を実感していると思います。10月に再度訪問して若手を中心に授業を見せていただく予定になっていますが、どのくらい進歩しているか今からとても楽しみです。

研修当日は、子ども(役)が何を言っても受け止める、活かしてみせるという授業になると思います。授業者と子ども役、そして私の3者の真剣勝負の場です。期待感と心地よい緊張感で、まさにワクワクドキドキです。参加者だけでなく、私にとってもとても大きな学びの場になることでしょう。このような機会を得られることに感謝です。

市の全体研修の打ち合わせ

昨日は、夏休みにおこなわれる市の全体研修の打ち合わせをおこないました。全体の場で模擬授業をおこない、随時、私と授業者で解説をしていくという形式のもので、今年で3年目です。150名以上の先生が集まります。代表で授業をする先生には本当に大きなプレッシャーがかかることと思います。引き受けていただけたことに感謝です、

今回の打ち合わせは、授業の内容について授業者と検討することが中心でした。いただいた指導案を見てうなりました。子どもが考えた意見を全体で交流することが授業の中心だったからです。授業者の受け、返し、つなぎの技術が問われるものです。このような授業にチャレンジしてくださるということは、ふだんの授業でもこのことを意識しておられているということです。そのような先生とこのような研修を持てることをとてもうれしく思いました。子どもの考えをつないでいくということはよく言われます。私もお話することが多いのですが、具体的な場面がないとなかなか理解していただけないのが実情です。今回、模擬授業でこのような場面を扱えることは、研修に参加される先生方にとってもとても有意義なことです。
また、小学校5年生の理科の授業なのですが、道徳教育を織り込むことも考えておられました。学習指導要領でも「・・・道徳の時間はもとより、各教科、外国語活動、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、児童の発達段階を考慮して、適切な指導を行わなければならない」という文言があります。しかし、実際にこのことを意識した授業に出会うことはなかなかありません。そういう意味でも、とても楽しみです。

指導案をもとにいくつかアドバイスをさせていただきました。
今回のように子どもに考えさせて意見を言わせる場合、根拠となる知識がなければ無責任な発言の応酬になってしまいます。その根拠となる知識として何を前提とするかを明確にすることが求められます。導入でおこなうのか、まとめでおこなうかでも、前提とできる知識は異なります。第何時に位置付けるかも含めて検討をお願いしました。
また、子どもの相互指名も考えておられましたが、根拠を大切にするときに、子ども同士で指名するのはかなり無理があります。同じ考えをつないだり、論点が明確になるように指名し合ったりするには、日ごろから鍛えておかなければならないからです。具体的にどのような指導をしてどのような力をつけるのかを明確にしておく必要があります。その上で、模擬授業の児童役にどのような力がついているか意識して演じるようにお願いしなければなりません。授業展開も子どもに身に着けさせた力を意識したものにするようお願いしました。

本番でこの指導案がどのように変わっているかとても楽しみです。その変化の理由を全体の場で語っていただくことで、授業をつくる上でのポイントがはっきりしていくと思います。今回の打ち合わせから既に研修は始まっています。授業者の学びが全体の学びとして共有でき、模擬授業の場がまた新たな学びを生み出してくれることを願います。授業者も児童役も含め、すべての参加者が、楽しく、互いに学び合える研修会にしたいと思います。

道徳の授業撮影

10月8日の教師力アップセミナーで野口芳宏先生にご指導いただく授業ビデオの撮影に出かけてきました。小学校5年生の道徳の授業です。

授業者は経験年数が2年目ですが、子どもとの関係がよいことがよくわかります。授業開始前からとても笑顔の多い学級でした。
その秘密はすぐにわかりました。子どものどんな意見も「なるほど」と受容し、きちんとまるごと復唱しようとしています。とても2年目とは思えません。どのようにして身につけたのか興味があります。本人に聞いたところ、子どもを否定しないようにと思って授業にのぞんでいるとのことでした。とてもよい姿勢です。
しかし、発表者をしっかり見て、子どもの考えを聞きとろうとしているのですが、その間他の子どもを見ることはしません。また、全体に対して話をするときは、漫然と「みんな」の方を向いていて一人ひとりを見てはいません。授業者との関係はよいのに、子どもたちが今一つ集中していないと感じた理由はそこにあるのかもしれません。子どもたちの集中度が上がるのは授業者が板書をするときなのです。
また、子どもの意見はしっかり聞くのですが、その意見の根拠をたずねたり、他の子どもにつないだりはしません。そのため、意見や考えが深まったり、広がったりはしないのです。グループでの話し合いでも、自分の意見を言うことが目的であって、友だちの考えを聞いて自分の考えを深めることはあまり意識されていません。ですから、グループでの話し合いの後、発表意欲も上がらないのです。グループで自分の意見を言ったので、とりあえず満足しているからです。誰かが意見を言うたびに、似た意見の発表の機会がなくなるので、どんどん集中度が落ちていきます。授業全体が話すこと、発表することに重きがおかれて、聞くことの大切さ、よさが意識されていないのです。

今回の授業は「ありがとう」をテーマにしていたのですが、道徳として子どもたちにどのような変容を願っているのか明確になっていないのが残念でした。資料には大きく3つの山がありました。「本当のありがとう」を問う場面、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」とする場面、「自分のありがとうに対して、もっと素敵なありがとう」を言われた場面です。それぞれねらいとするものは微妙に違います。すべての場面を同じような重さで扱ったため焦点がぼけてしまいました。
授業者としては、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」を中心としたかったようです。であれば、できるだけ早く資料を理解させ、その部分を焦点化して、自分の思いをたくさん話させればいいのです。宿題として、「言ったありがとう、言われたありがとう」を書かせています。こんないい材料があるのですから、資料は問いかけのきっかけとして使って、この自分の経験をもとに考えさせればよかったのです。

また、主人公の気持ちを問う場面での発問も明確でありませんでした。「資料から」気持ちを読み取るのか、「自分だったら」どう思うのか、どちらかはっきりしないのです。「主人公の気持ち」を聞いているのですが、子どもは根拠のない想像で意見を言います。ただ思いついたことを発表するだけなのです。国語であれば、明確に本文のどこでそう考えたか根拠を求める必要があります。道徳であれば、自分のこととして考えるように迫る必要があります。主人公の状況をしっかり把握させた上で「あなたならどう思う」と自分の考えを求めればいいのです。この国語と道徳の違いが意識されていないのです。

授業後、参観された教師力アップセミナーの運営委員の先生と一緒に授業者とお話をさせていただきました。きちんと子どもとの関係が作れるのに子ども同士をつなごうとしないのは、何か考えがあるのか、授業観が違うのかとも思いましたが、そうではありませんでした。自分なりに一生懸命取り組んできて、まだそのことの大切さに気づいていない、意識できていなかっただけでした。2年目ですから当然です。私たちの指摘をとても熱心に、また素直に聞いてくれました。授業を見た時にてっきり4年目か5年目と勘違いしてしまうくらい、しっかりとしていた先生です。今回の授業撮影をきっかけにして大きく成長してくれることと思います。また、この学校の多くの先生がこの授業を参観されていたのも印象に残っています。先生方のこのような姿勢が授業者のこれまでの成長の支えになっているのだと思いました。私にとっても、たくさんのことに気づき、学ぶことができた授業でした。子どもとの関係がしっかりできているからこそ、足りない点も含めて多くのことを学べるのです。教師力アップセミナーで野口先生からどのようなご指導がいただけるかとても楽しみです。学期末で忙しい中、無理を聞いていただいた授業者と、その環境を整え、バックアップしてくださった校長に感謝です。ありがとうございました。

ICT活用授業の参観

昨日は、小学校のICT活用授業を参観しました。ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

第一印象は、ICT機器の活用を意識しすぎたため、本来できていたはずの授業の基礎・基本がおろそかになっているということです。教師が子どもを見ていない、子どもを見て話さない。子どもに発言を求めない、子どもをつながない。こういう場面が多くありました。特に、ほとんどの教師がICT機器の操作に気を取られて子どもに意識がいかなくなっていました。ディスプレイの画面を見て教師がしゃべっている。肝心の子どもは画面に集中していない。こういう場面が多いのです。

教師に余裕がないため、教室に笑顔が少ないことも気になりました。ICT機器の活用に時間を取られ、その少ない時間に教師がまた説明をしようとするので大変です。子どもの発言の場面も少なく、子どもの言葉を活かすことができません。子どもの発言を笑顔で受け止める、ポジティブに評価する余裕もないのです。全体的に授業中の教師と子どもの関係がまだしっかりとできていないように感じました。

また、全体的に子どもの集中力が低いことも気になりました。その理由の一つが、子どもが受け身になっている時間が長いことにあります。たとえば、動画を見せると基本的にその間は受け身です。それをもとに子どもが考える、話し合うという活動があればよいのですが、説明の動画であっても、そのあとまた教師が説明をしてしまうこともあります。これでは、子どもの集中力が持つはずがありません。ICT機器を使う時間が、情報を一方的に与えられる時間になってしまってはいけないのです。

もう一つ特徴的だったのが机間指導です。どう指導していいのか戸惑っているように感じたのです。ノートであれば、○をつける、書き込みをするといったことができるのですが、タブレットPCを使っているのでどう関わっていいのかわからないようなのです。漫然と歩いているか、できない子を集中的に個人指導しているのです。
一方、子どもたちは黙々と作業しているのですが、まわりと相談している姿は見られません。早く終わってしまった子どもが雑談をしている姿を見るくらいです。

残念ながら、ICT機器が教師と子ども、子ども同士を分断しているのです。この学校の先生方を非難・批判する気はありません。機器だけあってソフトがそろっていない。ソフトもまだまだ未消化で、インターフェイスもこなれていない。そんな環境で、ICT機器の活用を義務づけられれば、本来できていたこともできなくなってしまうことは十分に考えられます。もう一度授業の基本を確認することと、ICT機器の活用に関しては、子どもにどんな力をつけたいのか、どんな姿を見たいのかを明確にして、どのような活動を組み合わせればいいのか、教師はどのようにかかわればいいのかを整理することが必要だと思います。

夏休みに入って先生方にお話をさせていただきますが、一度肩の力を抜いて子どもたちに笑顔で向き合うこと、ICT機器を活用しているときの教師の役割を意識することを伝えたいと考えています。先生方に元気になっていただけるような話を心掛けたいと思います。

中学校で授業参観

先週末は、中学校で若手と一緒に授業参観をおこないました。子どものたちの姿から、授業で大切にしたいことや子どもたちを見る視点を説明しました。

社会科の文明と宗教についての導入で、野球の話をしている場面がありました。子どもたちも先生の話に反応しています。笑い声もでています。しかし、よく見ると野球に興味のない子なのでしょうか、あまり集中して聞いていない子どもいます。一部の子どものテンションが上がると、それに呼応するように集中力を失くす子どもも増えていきます。最後に「野球の神様」という言葉が出て、宗教につなげました。この間10分近くを費やしましたが、教科の内容につながる部分はこの「神様」という言葉だけでした。しかも、教科の内容に入ると、先ほど盛り上がっていた子どもたちも、集中力がなくなっていました。彼らは、無責任に話を聞いていられるこの10分で集中力を使い切ったのです。
これでは本末転倒です。授業の初めの一番集中できる時間を無駄に使ってしまいました。導入はできるだけ短く、集中力が上がった時点で、本時の課題に取り組めることが大切です。そのことがよくわかる場面でした。

数学の式の整理の練習問題の場面では、黒板で解答をしながら、教師がポイントを説明していました。黒板には模範解答が書かれ、そのほかには同類項に下線がひかれているだけです。思ったよりできていなかったということで、再度別の問題に取り組ませていましたが、なかなかできるようにはならなかったようです。間違えた子どもは、正解を写してもできるようにはなりません。解答の行と行の間を埋めるものが必要です。できなかった子どもがわかる、できるための手がかりが残っていないのです。教師の説明を聞いても言葉はすぐに消えてしまいます。理解して頭に残すか、板書を見ればわかるようにしておく必要があります。
同じ場面で、行間を子どもに言わせている教室もありました。いきなり最後まで解答するのではなく、最初の1行を書いた後、その1行はどう考えてそのように変形したのか、子どもから丁寧に引き出そうとしています。しかし、教師とその子ども2人だけのやり取りになってしまい、他の子どもたちはそのやり取りに参加できていませんでした。授業者にそのことを指摘すると、すぐに反応してくれました。他の子どもに納得したか確認する。もう一度他の子どもに言わせる。こういうことが必要だったと気づいてくれたのです。子どもを見る力がついてきているので、この状況を自分でも感じていたのです。この場面も、練習問題を解かせているとき、子どもたちがよく理解できていないことに気づいたので、途中で一旦止めて見通しを持たそうとしていたのです。子どもの状況をつかむことを意識できています。この意識を持って毎日の授業にのぞめば、自然に力がついてきます。今後の進歩が楽しみです。

以前に訪問したとき、新年度になってから3年生の緊張が緩んで集中力が落ちてきていると感じていたのですが、この日はずいぶん違っていました。どの教室もよい緊張感があり、子どもたちもよく集中していました。修学旅行が終わり、進路説明会もあり、それに合わせて学年団が意識して指導したのでしょう。子どもたちの姿にその結果が表れています。
その中でとても面白い場面を見ることができました。教師が説明しながら板書をしています。この場面は説明を聞かせるのか板書するのか明確にしておくのが基本です。そうでないと説明を聞いている子ども、板書を写す子どもとバラバラになります。この教室では、子どもたちのほぼ全員がノートを取っています。こういう時は、教師が板書をすると子どもたちは一斉に手を動かすのですが、この学級は違っていました。手を動かすタイミングが一人ひとり違っているのです。どういうことなのでしょうか。中学生では珍しいのですが、彼らは教師の話を聞きながら、ノートを取っているのです。教師の言葉を理解しながら、一人ひとり自分のリズムで写しているので、顔を上げるタイミング、手を動かすタイミングがばらばらなのです。さすがに3年生です。1年生から鍛えられ、よい意味でこの教師の授業スタイルに順応しているのだと思います。
隣の教室でも多くの子どもたちは集中していましたが、そのようすはだいぶ違っていました。よく見ると、体は起きているが集中していない子もいます。ノートを写している子どものリズムは一定です。作業に集中しているのです。先ほどの教室と比較してみるとよくわかります。一緒に授業を見ていた先生方もその違いに気づいてくれました。同じ集中でも質に違いがあることがよくわかりました。

また、2年生の理科の体の構造や働きの学習の場面では、子どもたちのよい姿を見ることができました。集中しているのでしょう、私たちの視線に気づくこともなく、教師の(呼吸の?)説明を自分の体を動かすことで確認している子どもが何人もいるのです。例外なくとても楽しそうな表情で、しっかりと教師を見ています。同行していた、この学年を担当している先生は、子どもたちが授業中にこんな表情をすることを知って驚いていたようです。教師の働きかけで子どもたちの姿が変わるということを実感できたようです。

英語のヒアリングのQ&Aの場面で気になることがありました。解答をする場面で子どもたちとあまり意味のないやり取りをしたり、正解者を挙手させてテンションを上げたりしているのです。ヒアリングが終わってしまえば、その後正解を言われても間違えた子どもは、間違えたと指摘されるだけで何も学ぶことはできません。正解の子どもも何らかの新しい学びがあるわけではありません。そこに多くの時間を使うことは無意味です。根拠となる文は何だったか子どもに言わせる。できなかった子どもはそれを聞いて修正する。これが難しいのなら、もう1度、該当箇所をゆっくり聞かせて、その意味を確認するといった、できなかった子どもができるようになるための工夫が必要になります。
この場面に限らず、解答をするときは、できなかった子どもができるようになるための手立てを用意すること。できた子どもにはできてよかったではなく、その手助けをするなどのかかわり合いを意識させることなどの工夫が必要です。単なる正解不正解の確認ならば、できるだけはやく終わらせるべきです。頭を使わないことに必要以上の時間を使う必要はないのです。

同行した先生方は、子どもたちの姿から何を学んでくれたでしょうか。「子どもたちを見るとはどういうことかわかった気がする」と言ってくれた先生もいました。まだ、教壇に立って3か月も経っていない方です。子どもたちから学ぶことを知ることが教師の成長の第一歩だと思います。このような経験をきっかけにして、彼らがどのように変化していくのかとても楽しみです。

算数の授業アドバイス(その2)(長文)

昨日は、引き続き小学校の算数の授業アドバイスをおこなってきました。

2年生は引き算の筆算の場面でした。2桁同士から3桁の数に拡張していく場面です。授業者は教科書を黒板に実物投影機で映しだしました。子どもたちの顔をあげたいという思いです。子どもたちのこういう姿を見たいという思いを持つことはとても大切なことです。しかし、教科書を映す前に今日は○○ページを学習しますと、教科書を開かせてしまいました。そのため、子どもたちはどうしても手元の教科書を見てしまい、顔が上がりません。黒板に集中させるためには、必要になるまで教科書を開かせないことも大切なことなのです。
0から9のカードを使って2桁の筆算の問題をつくる課題では、子どもたちに問題をきちんと把握させずに、いきなり、教科書のキャラクターの言葉を読ませ、その説明を求めました。挙手をした子どもを指名しましたが、うまく説明できません。子どもの言葉を理解しようと聞き返すのですが、よくわかりません。そこで、子どもたちに「賛成の人」と助けを求めました。子ども同士をつなごうとするよい姿勢です。ところが、誰も手を挙げませんでした。続いて「違うと思う人」と聞いてしまいました。たくさんの手が挙がりました。ここですぐに他の子どもに意見を求めました。この子どもの発言も不十分だったのですが、活かせそうだと判断して他の子どもとつなぎながらまとめていきました。授業者は最初の子どもを直接否定はしてないのですが、「違うと思う人」と聞いてしまうことで、結果的に否定してしまいました。これでは子どもの意欲は落ちてしまいます。
ここでは、「もう一度言ってくれる」「ちょっと待って、それってどういうこと」と子どもの言葉を短く区切りながら整理させ、まず全員でその内容を理解する過程を踏む必要がありました。その上で、活かせそうになかったら、「なるほど、そう考えたんだね」と認めて、他の子に意見を求めればよかったのです。あえて、否定する必要はなかったのです。
また、教科書のキャラクターの言葉をいきなり読ませましたが、教科書は子どもたちからその考えがでなかったときや自習することも意識してこのような構成になっています。できれば子どもたちからその言葉を引き出すようにしてほしいと思います。デジタル教科書では消すことができますが、実物投影機を利用するのであれば、白い紙でその部分を覆っておけばいいのです。ちょっとした工夫をすることで授業は大きく変わっていくと思います。
この時間の主たる課題である「筆算の仕方を考える」について、教科書は「筆算の仕方をもとに考える」と考え方の方向性を示しています。しかし、授業者は子どもに考えさせるのではなく、筆算のやり方の手順を一つひとつ子どもに確認し、その後、すぐに練習に取り組ませました。解答の解説の場面でも、子どもに発表させたのは手順です。最初に「筆算の仕方を考えよう」と課題を提示したのに、考えることや仕方を整理することはなく、解くための手順を言う、問題を解くという作業に終始しました。これでは、考えることは手順を覚えることになってしまいます。
ここでは、教師がピンポイントで発問するのではなく、「筆算ってどうやるんだっけ」と子どもに問いかけ、できるだけたくさんのポイントを子どもから出させる。その上で、「じゃあ、この問題やれそう」と子どもが見通しを持てたことを確認してから、解かせるとよいでしょう。解答、確認の場面では、子どもたちからでたポイントの何を使ったのかを意識させます。その上で、「今までの勉強したことを使って、新しい問題(3桁の問題)を解くことができたね。すごいね。みんなよく『考えた』ね」と評価するのです。
子どもをつなごうとする姿勢の見える授業でした。この授業で子どもの何をつなげばよいのか、そのために何を問いかければよいのかを意識すると、とてもよくなっていくと思いました。

6年生はかなりレベルの高い文章題の演習場面でした。昨年より、グループで演習をすることに挑戦されているということで、参観することをとても楽しみにしていた授業でした。
まず、答だけを確認した後、子どもたちに困っている問題を聞きました。子どもたちは、恥ずかしがらずにしっかり手を挙げます。とてもよい姿です。多くの子どもが最後の問題で困っているようなので、この問題を授業では取り上げることにしました。
授業者は子どもに問いかけながら進めています。子どもの反応を拾う力もあります。それだけに、子どもの言葉を受けて説明しすぎるのがもったいないと思いました。教師が説明するため、できている子、わかっている子は集中しては聞きません。わかっているから聞かなくていい、自分の出番はないからつまらない、そんな子どもの気持ちが見て取れます。ここは、教師が説明せずに、できている子どもにヒントを出させる、最初に何をやった、どんなこと考えたと初手を言わせる。その言葉を手掛かりにして子ども同士をつなげていく。こんな進め方に挑戦してほしいと思いました。優秀な子どもたちですから、きっと応えてくれると思います。
授業者は類題に気づかせ、その問題を図を使って解いていくことで、解決の糸口を見つけさせようとします。図が示されると、「あっ」「そうか」「わかった」というつぶやきが漏れてきます。子どもたちが動き始めました。授業者は、その上でもう少し説明を付け加えていきました。多くの子どもが反応しだします。このときには待ちきれなくて自分で問題を解こうとしている子も出てきています。そこで、授業者は説明を止めて、この先を自分たちでやるようにグループに戻しました。どのグループも一気に話し合いに集中しました。自分の説明でここまで子どもがよい反応をしてくれると、教師は一気に説明を続けたくなるものです。そこを、グループに戻す判断ができるのですから素晴らしいと思いました。ただ、最初に子どもたちが反応した段階で、子どもたちに気づいたことを言わせ、その気づきを広げていき、その時点でグループに戻せば、子どもたち自身でより多くのことに気づけたと思います。
この後の全体での追究場面では、2つの図が出てきました。比の基準を何にするかの違いです。それぞれに説明させ、「同じ図を書いた人」と問いかけ、子ども同士をつなぎます。ほとんどの子どもがどちらかの図をかけています。ここは、一気に深める場面です。「同じだ」という声も何人から出ています。この「同じ」という言葉、2つの図の「違い」を焦点化してほしかったのですが、そこまでは残念ながらできませんでした。2つの「違う」図を「同じ」だという意味がわかれば、何を基準にしたかの違いだけで関係は同じことに子どもたちが気づけるはずです。
ここは、「えっ、同じなの。2つの図は違うと思うけど」と子どもに問いかけて、説明させる。それが難しそうなら、「ねえ、この図の1て何が1なの」と問いかけてみるのもよいでしょう。ちょっとした働きかけで、流れは変わったと思います。
また、比における基準のように、意識すべきキーワードは、学年を越えた共通のものとしていつも子どもたちに問いかけることが大切です。色々な場面で同じキーワードが使われることで、子どもたちは基本となる考えを身につけていきます。
その後グループで、できなかった問題を教え合うことになったのですが、子どもたちのテンションの高さが気になりました。グループではなく、ペアや違うグループの仲のよい子と教え合っています。また、わからない部分を聞いてその部分を理解するというよりは、答の図や式を教えてもらっているというように見えます。一方、自分一人で解きたい子は話し合いに参加しません。これでは、グループ活動は崩れていきます。
グループの活用の場面は、全員で同じ問題を解く場面と個別に問題を解く場面の大きく2つ分かれると思います。
前者の場合、できる子がすぐに解いてしまい、みんなに教えて終わってしまうような課題ではあまり意味がありません。高めの課題を与える。行き詰まっているグループがあれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で、「どんなことをやってみた」と過程を共有し、その上で再びグループに戻す。できてしまったグループには、「全員が説明できるようにしてね」とさらなる課題を与える。説明の場面は途中で困ってもいいので、できる子にはあえて指名しない。説明につまれば、そのグループの子どもたちが助けるようにする。こんなことを意識するとよいでしょう。
後者の場合は、個別であっても、わからなかったら友だちに聞いてもいい、聞かれたら友だちがわかるまでしっかり教える。自分で解きたい子もいるので、聞かれないのに教えることは絶対しない。こういうルールを明確にしておくことが大切です。たとえ自分で次の問題を解きたいと思っても、友だちを助けることを優先するように指導してほしいと思います。また、聞く方も、ただ「教えて」ではなく、「ここがわからないから、教えて」と聞けるようになってほしいものです。
どのように聞く、どのように説明するといったグループ活動で必要な力は、グループ活動の場面だけではなく、全体追求の場面で鍛えておくことが大切です。「困っていることは何?」「何かいいヒントはない?」「どの言葉でわかった」「どの説明でピンときた」などと教師が問いかけ続けることで、子どもたちは自然にその力を身につけていきます。
また、先生方からは子ども同士で考えさせると時間がかかるので、教師が教えた方が結局効率的ではないかという疑問も出されました。解くべき問題を精選すること。最後まで解かずに、図にするところまでで止めるやり方もあること。そこから先は宿題にしてもこの学校の子どもたちなら自分で解く力があることなどをお話しました。

1年生は、引き算の問題をつくる場面でした。図の中から7−2となる問題をつくるという課題です。教科書の例は「ちょうが7ひきいます。ちゃいろいちょうは2匹です。しろいちょうはなんびきいますか」というものです。授業者は、図は使わずに、わかっているものは何、聞いているもの何と、問題を解く視点でこの例を子どもたちに分解させます。例を素早く終わると、次はわかっているところを与えて、最後の聞いているところをつくる問題です。ここで、教科書を振り返り、今までやった引き算の問題の聞いている部分を整理しました。「のこりは・・・ですか」「ちがいは・・・ですか」「・・・多いですか」といった言葉を使えばいいこと、最後は「か」で終わることを押さえ、こういった言葉を使えばいいと教えました。
残念ながら、教科書を正しく理解していません。授業者は算数の問題を解くために、言葉と演算を直接結びつけようとしているのです。こういう指導をすると、残りという言葉があれば引き算という、とんでもない発想をする子どもが育ってしまうのです。そうではなく、この問題で聞かれているのは図でいうと、これからこれを引いた残りの部分だから、引き算だという発想をしてほしいのです。ここまで教科書の引き算の問題は文章だけのものはありません。必ず図が一緒にあります。その意味をわかっていないのです。引き算などの演算と言葉を直接結びつけることは絶対にしてはいけません。言葉が表している事象や状態から、これは引き算になると理解することが大切なのです。算数の概念形成の段階では、式は図(具体的な事象)と結びつけなければいけません。文章に示されている数は図のどこに表れているか、求めるものは図のどの部分を指しているか。そして、その関係からこれは○○算になるという思考をすることが大切なのです。逆に式の数が図のどの部分になっているのかを確認したりすることで、数、式、図、言葉を子どもたちが自由に行き来できるようにするのです。
ここまで教科書は、「残り」を基準にして考えています。「違い」はブロックなどを使い、「残り」を求めればよいことに気づかせています。ではこの時間の課題は何を考える課題なのでしょうか。引き算になる事象を図から探し、それを言葉にすることで、図や式と言葉を結び付けることをし、今まで引き算を表す言葉を限定していたものを拡張していく課題なのです。ですから、例は「残り」も「違い」も使っていません。今まで引き算を表すキーワードだったものを使わずに、「しろいちょうはなんびきですか」と聞いているのです。キーワードがなくても、言葉が表す事象を考えることで演算が決定できることに気づかせるのです。この例文は算数の引き算の問題としては不適切です。正しくは「しろいちょうとちゃいろいちょうがあわせて7ひきいます」となっていなければいけません。それをあえてしていないのは、子どもにそれを求めていないということです。要は図を見てわかればいいのです。ですから、この課題で図を見ずに言葉だけで授業が進んでいくことはあり得ないのです。教科書はそこまで考えてつくられているのです。
授業者は、この例が算数の問題としては不適切だということに気づいていました。また、聞いている部分が今までのキーワードと違うのでしっくりきていませんでした。これまでの指導とずれていることが嫌だったので、できるだけ軽く扱いたかったようです。そこに気づけるのですから、もう1歩だったのです。それができなかったのは、問題を解くことにばかり目がいって、算数の概念形成という本質を見落としていたからです。教科書の意味することを理解できていなかったのです。パターンや手順で教えれば目先の問題は簡単にできるようになります。しかし、それではやったことのある問題しか解くことはできません。思考力は育ちません。残念ながらこの授業だけではなく、私が目にする算数・数学の授業の多くはこのことに気づいていないのです。
検討会では、先生の中から、この授業は黒板に教科書を実物投影機で映して、図と対応させながら進めればいいという意見が出ました。その通りです。それを受けて、授業者は、図でばらばらに配置されていて物は子どもがうまく整理できないので、図の物の上にブロックを置いて、それを移動して整理させればいいですねと、とてもよい発想をしてくれました。言葉の違いに気づける感性、ちょっとしたヒントから子ども目線の展開をつくりだせる発想力。とてもよいものを持っています。教科書を読みこみ、視点を少し変えれば大きく進歩すると思いました。最後に、「ブロックの移動は教師ではなく、子どもにやらせるといいですね」とアドバイスをして終わりました。

また、多くの授業で共通して気になることとして、宿題の答え合わせを授業の最初にしていたことがあります。ただ答を子どもが順番に読みあげて○をつけているだけで頭を使っていません。授業の一番よい時間を無駄に使ってしまっているのです。できるだけ早く済ます工夫、思い切って授業時間外で○つけをするといった工夫をする必要があると思いました。

検討会終了後、校長、研修部の先生方とこの2日間で気づいたことについてお話させていただきました。朝礼前の教室、放課中の廊下や運動場、登校、掃除、教室移動の場面での子どもの姿から多くのことに気づけました。子どもたちの持つポテンシャルの高さとそれを活かしきれていないことを先生方にお伝えしました。どなたもとても真剣にこの学校の方向性について考えていただけたように思います。

多くの先生が、時間を割いて授業を参観してくださいました。また、授業が終わるとすぐにたくさんの質問をいただきました。これほど多くの質問をいただいたことは経験がありません。次回は先生方の疑問や質問をもとに全体に対してお話をさせていただくことになっています。どのような質問が寄せられるかとても楽しみです。先生方の前向きな姿勢に応えられるようなお話をできるようにしたいと思います。次回の訪問が今からとても楽しみです。

算数の授業アドバイス

昨日は、小学校の算数の授業アドバイスをおこなってきました。どの学級も教師と子どもたちの関係がよく、よい意見を発表する子どもも多く、レベルの高い課題に挑戦していました。

5年生の合同の授業は、授業者と子どもたちの関係のよさをとても感じました。子どもたちに身近な合同の図形を発表させる導入の場面では、発表者の方を見るように指示を出し、子ども同士が互いに聞き合える関係をつくろうとしています。
2つの図形が互いに合同か迷う場面がありました。授業者は隣同士で相談するように指示を出し、その後、どちらかに挙手をさせたところ大きく分かれました。子どもたちに理由を問うのですが、互いに相手を納得させられません。問題点を焦点化できずに最後は授業者が結論出しました。まだよく納得できていない子どもいたのですが、教師が結論を出すと素直に従っていました。最後に正解を確認する場面ではどの子も大きな声で答を言っていました。教師の正解を素直に受け入れていることがわかります。時間の関係もありますが、教師が絶対者として結論を出すのではなく、子どもたちで結論を出すことをしたい場面でした。
この日のまとめとして子どもたちに合同な図形を見つけるポイントをノートに書かせ、発表させました。間違えた考えもあったのですが、授業者は否定することなく板書しました。とてもよい姿勢です。その後、一つずつ取り上げ子どもに意見を発表させました。正しい考えを知識として知っている子どもも、友だちの考えが正しいかどうかはちゃんと確かめてみなければわかりません。どの子どもも真剣に友だちの発言を聞いています。よい意見がでて、子どもたちが大きくうなずく場面がいくつもありました。残念なのは、その後、教師が「これは違うようだ」結論を出してしまったことです。うなずいている子どもに再度意見を言わせ、間違えていた子どもが納得したことを確認し、子どもたちで結論を出すようにしたかったところです。
子どもの言葉を大切にしようとしている先生なので、子ども同士をつなぐ、結論を子どもにゆだねることを意識すると、子どもたちの考える力はどんどん伸びていくと思います。

3年生のあまりのある割り算の授業は、基礎的な計算力をつけることを大切にしていると同時に、難しい問題にもチャレンジしていました。時間を切って問題を解くなどスピードを重視していました。子どもたちは集中して問題に取り組んでいました。上手にやる気を引き出しています。何問できたか競い合う必要はないのですが、自分の成果を評価する場面、たとえば前回と比べて伸びたといった、自分の進歩を意識させるとよいと思いました。
この日の課題は文章題でした。子どもたちに問題文を読ませるときに数字を大きな声で読ませるようにしています。おもしろい試みです。確かに数字は式を立てるときに必要となる大事な要素なのですが、文章題ではその日本語の部分に式の根拠があります。問題を解くための大切な言葉も意識させるとよいと思いました。
子どもたちのノートを実物投影機で黒板に映して発表させるなどの工夫もしていました。今回は図を使っている子どもが多いので、とても有効な方法です。子どもも一生懸命スクリーンを使って発表していました。ちょっと残念だったのは、発表のあとその考えを全体で確認し共有化する場面がなかったことです。なかなか難しい問題だったので、どうしても、教師が説明してしまうのです。子どもたちは、基礎力もあり、友だちの考えを理解しようとする姿勢を持っていますので、同じ考えの子どもに発表させたり、意見を聞いて納得した子どもに発表させたりする授業に挑戦してほしいと思いました。

4年生は線分図を使って文章題を解く授業の2時間目でした。この時間では、問題を解くのにスモールステップに分けずに一度に解かせていました。線分図と式を書かせて説明しますが、式の値を線分図で確認したり、書きこんだりはあまりしませんでした。前の時間にやったのかもしれませんが、線分図だけをまず押さえて、そこから解き方を考えさせ、見通しを持たせてから、式を立てて答を求める。そういう過程を一度経験させてから、練習に移った方がよかったように思いました。
子どもの説明の中で「そろえる」というとてもよい言葉が出ました。授業者はすかさずこの「そろえる」を使って説明をしました。後で聞いたところ、これはキーワードになると思いその場でとりあげたそうです。予定していなかった言葉をキーワードとしてとらえることができる柔軟さは見事です。しかし、とっさのことだったので、全体にきちんと押さえ確認することは徹底できませんでした。机間指導をしながら押さえようとはしたのでしたが、全員にはきちんと届きませんでした。授業者は、次の時間の最初にもう一度押さえたいと意欲的に語ってくれました。自分の足りなかったところを埋めようとする姿勢は素晴らしいと思いました。
この学級に限らず、できる子どもが、問題を解いた後、時間をもてあましている場面がありました。彼らにどのような課題を与えるかは学校共通の問題のように思います。正解がわかっているので真剣に話を聞いていないと感じる場面もよくあります。しかし、友だちの説明を聞くような場面では集中度が増します。このあたりに問題解決のヒントがあるように思います。
また、授業者は子どもたちの評価をするのに足りないこと、できていないことを指摘する傾向がありました。子どもたちは担任のさっぱりとした性格(お話をしていて個人的にそう感じました)をよく知っているのか、あまりネガティブにはなっていませんでしたが、ちょっと気になりました。思い切ってご本人にお話ししたころ、どのようにして修正したらよいかご自身も悩んでいるようでした。まず、できていることをほめること。本人が自分で気づくように仕向けること。自分で直したらほめることをお伝えしました。前向きに聞いていただけたようで、次にお会いする時にはきっと大きく進歩されていると思いました。

どの授業も自主的に参観する先生がたくさんいらっしゃいました。どなたも、真剣に子どもたちのようすを見られていました。子どもたちからたくさんのことを学ぼうとしていることが、参観後の質問の多さにも現れています。とても充実した楽しい時間を過ごすことができました。校長も終始先生方と行動を共にされ、自ら学ぶ姿勢を見せておられました。研修担当の先生の熱心な姿勢も印象に残ります。話をうかがっていると、学校全体の授業力アップのためにどのようなことが必要か、自分はどのように働きかければよいか、とてもよく考えられていることがわかります。
本日も引き続き授業アドバイスをさせていただきますが、子どもたちも先生方も素晴らしい姿を見せてくれることと思います。
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