小学校で授業アドバイス

昨日は小学校で授業アドバイスと授業研究の助言をおこなってきました。

午前中2時間を使って全学級を参観させていただきました。事前に授業の流れや意識していることの資料もつくっていだき、充実した時間となりました。これだけ準備をいただいたにもかかわらず、少しの時間しか参観できなかったことが残念で、申し訳なく思いました。

全体的に授業規律を意識されている先生が多く、子どもたちは落ち着いていると感じました。しかし、子どもたちの表情や動きがやや硬いことが気になりました。教師の笑顔が少ないことと関係がありそうです。また、子どもの発表や行動に対してポジティブな評価が少ないことも影響しているように思われます。指示をする時、徹底させようという気持ちが強いためか、教師の表情も硬くなりがちです。そのため、子どもたちも指示されると瞬間緊張します。しかし、子どもたちが動き始めると教師が安心して次の行動に移るので、子どもたちの緊張も緩んでしまい、全員が指示に従えない場面も目にします。
そうではなく、笑顔で指示を出す。全員が指示に従うまで見守る。少し時間はかかりますが、こういうやり方にも挑戦してほしいと思いました。
早く動けた子どもは待たされることになりますので、「○○さん、速いね」とほめ、教師が認めていることを伝えます。最後の一人が指示に従ったときにその子にうなずいて見せて、笑顔で「全員○○できたね」と確認します。全員ができているのを確認しないで進んでいくと、自分が指示に従わなくても授業に影響がないと考えるからです。一方、指示に従わないと授業が進まなければ、自分の行動がみんなに影響することを知ります、教師が自分を待っていてくれることを知ります。自己有用感が出てくるのです。遅い子を待っていると時間がかかるからと「○○さんがまだだよ」と注意をしてネガティブな気持ちにさせるより、積極的に指示に従おうとさせていくことの方が結果としては速く指示が徹底するようになります。
指示が徹底されるまでの時間を速くしたければ、「何秒でできるかな」と時間を意識させればよいのです。「5、4、3、2、1」とカウントダウンするという方法もありますが、これはできて初めて評価されます。もちろん意図的に「にー、いーち」とカウントを遅くして必ず達成させることもできますが、カウントアップにすると、「○○秒でできたね。次は何秒でできるかな」「今日は△△秒だね。この前より速くなったね。進歩したね」と子どもたちの進歩を評価できます。この方法であれば目標も持たせやすく、子どもの努力を評価しやすいのです。

1年生の授業で、子どもたちがとても集中する瞬間を見ました。指名された子どもが正解を言った後、授業者がしばらく黙って様子を見たのです。子どもたちに緊張が走りました。「えっ、間違っていた?」「じゃ、答は?」、子どもたちが考えようとしていることがよくわかりました。すぐに教師が、正解、不正解を判断する。期待した答でなければ次の子どもを指名する。こういうやり方でなく、子どもが理解し、判断するための時間を与えることのよさがわかる場面でした。

特別支援学級では、授業者が子どもたちをとても温かく受け止めていました。笑顔を絶やさず、常に子どもを受容しているので子どもたちが安心してそこにいることができます。今年初めて特別支援を受け持った先生とは思えませんでした。
一人の子どもが足をバタバタさせて興奮状態になりました。どう対応するのだろうと心配になったのですが、にこやかに子どもを見つめ、落ち着くのを待ってから、子どもを自分に引き寄せました。落ち着くように声を掛けたり、体を押さえたりしそうな場面なのですが、ちゃんと待つことができていました。とてもよい対応を見せてもらいました。

子どもたちの表情や動きが硬いと言いましたが、子どもたちの潜在的な力を感じさせる場面も目にしました。子どもたちに個人追究させたあと、グループで考えさせる場面です。グループになるように指示があった後、行き詰まっていた子どもはすぐにグループでの活動に入りました。わかりたいという意欲が高まっていたのです。とてもよい姿でした。全体での友だちの説明も食い入るように聞いています。グループ活動に全員が参加することで、自分の課題となっていたのです。
おしかったのは、全体追究の場面で「説明できる人」と問いかけたことです。4人しか手が挙がりませんでした。あれだけしっかり話し合っていたのにです。あとで授業者にどうして4人しか手が挙がらなかったか聞いてみました。「自信がない、間違えて失敗したくない」とちゃんとわかっています。次からは、「どんなことを話した」「どこで困っていた」と問いかけてくれることと思います。
また、指名した子どもが説明しているときに、授業者も子どもと同様に発表者に注意を向けてしまいました。大切なのは、その説明を他の子どもが理解しているか、どこで反応したかをしっかり見ることです。説明にうなずいている子どもがいたのですが、その子どもを活かすことができませんでした。
1人目の説明を子どもたちが理解できていないようすなので、次の子を指名しました。教師が子どもに代わって説明をしないことはとても評価できます。しかし、ここも気をつけたいところなのです。子どもたちは1人目の説明を理解しようとしています。そこで続けて次の子どもを指名した時、違った考えが出てくるかもしれません。こうなると、聞いている子どもたちは混乱します。こういう場面は、「○○さんの説明で納得した人」と問いかけ、「どこで納得したか説明してくれる」と発表させる、「○○さんの考えを説明してくれる人」「助けてくれる人」と問いかける、というように、発表者の考えをつながなければ、子どもたちの理解は進んでいきません。
とはいえ、授業者が、子どもの活動、子どもの言葉をとても大切にしていることはよくわかります。子どもたちもそれに応えてよい姿を見せてくれました。次回訪問する時には子どもも教師もより成長した姿を見せてくれることと思います。

授業研究は2年目の教師の算数の授業でした。1年生の繰り上がりのある足し算でした。
授業を見てびっくりしました。以前見た同じ教師かと我が目を疑いました。まず子どもをよく見ています。板書しながらも、何度も振り返って子どもを見ています。指示の時も、子どもが全員うなずいているかよく見て確認しています。「早く手を挙げた○○さん」と言って指名するなど、子どもの行動に対してポジティブな評価をしようとしています。実物投影機を使って、子どもにブロックを操作しながら説明させる場面では、子どもの説明に余計な助けをせず、そのまま復唱します。教師が復唱することで、言葉が途切れていた子どもも安心して言葉を続けます。以前であれば、ここで授業者が自分で説明するところですが、続けて子どもを指名します。前の子どもと違う言葉が出てきたときに、「○○ははじめてできた」「新しい」といった言葉で、つけ足されたことポジティブに評価しています。子どもから加数のブロックを「分ける」という言葉が出るたびに必ず復唱して、意図的に印象付けようとしています。子どもから正解が出ても、正解という言葉は使いません。そのかわり、続けて子どもを指名します。「みんなそれでいい」と問いかけ、子どもたちがしっかりうなずいたのを確認して進めていきます。子どもに対して「ありがとう」という言葉も自然に出ます。子どもたちは落ち着いて授業に参加していました。また、9+3の計算で、「9に1をたして10、10に2をたして12」と話形を使って説明させる場面で、指名した子どもが「9に3をたして12」と答えてしまいました。授業者は一瞬凍りかけましたが、「9+3を計算してくれたんだね」と言って、問題の式の後に12と答を書きました。「そうじゃなくて、・・・」と修正しようとするところですが、しっかりと受容をしました。
以前はこういったことは、ほとんどできていませんでした。いったい何がこの先生をここまで変えたのかとても興味を持ちました。授業後、真っ先に聞いたところ、今回の授業研究に先立って、先輩方、特に教務主任にそれこそつきっきりでアドバイスをしていただいたということでした。この授業を見て一番感激し、喜んでいたのが教務主任だったことがなるほどとうなずけました。

もちろん課題もたくさんありました。いつも言っていることですが、授業がよくなればなるほど、課題もはっきり見えてくるからです。
何人か理解の遅い子どもがいました。彼らにも納得させようと頑張るのですが、少し時間を取られすぎました。個にかかわりすぎると全体を把握できなくなります。隣には面倒見のよい子を意図的に配置していたのですから、教師が常にかかわるのではなく、子ども同士のかかわりに少し任せて、全体のようすを見ることにもエネルギーを割くとよかったでしょう。
「9に3をたして12」への対応も、もうひと工夫ほしいところでした。フォローしたあと次の子どもを指名しましたが、最初に答えた子どもは、どうやら自分の答が教師の期待したものでなかったと気づいたようです。表情がさえませんでした。「12の10はどうやってつくったの?」「9に何をたして10になったの?」というような問い返しをして、この子自身に答えさせてほしいところでした。
また、教科の面でも、10の補数の押さえが弱い、子どもの思考の順番をきちんと押さえて進めていなかったなどの反省がいくつかありました。

教材研究に関しては、経験を積みながら日々学んでいけば力をつけることができます。しかし、子どもたちに向き合う姿勢は経験を積めば身につくものではありません。2年目でこのような姿勢を身につけたことは、とても素晴らしいことです。基本となる姿勢のよさが光る授業でした。

協議会では、この授業のよかったころをしっかりと挙げていただけました。教科面についても経験豊かな先輩から貴重な意見が出てきました。皆さんがこの授業から多くのことを学べたことと思います。

協議会終了後、無理を言って希望する方と個別にアドバイスする時間を設けていただきました。全員の方が希望していただいたと聞きとてもうれしく思いました。ところが、私が時間の配分をきちんとしなかったため、一部の先生にはせっかく希望いただいたのにお話する時間を取ることができませんでした。とても残念で、また申し訳ないことをしてしまいした。次回はこのようなことがないように、注意をしたいと思います。
たくさんの授業を見て、たくさん話をさせていただいた、充実した1日でした。多くの前向きな先生方と話ができたことに感謝です。次回の訪問が今から楽しみです。

中学校で授業アドバイス

昨日は、中学校で授業見学と授業アドバイスをおこなってきました。

廊下から授業を見ていて学年のようすの違いがおもしろく感じられました。
3年生はどの学級も授業に集中していました。進路意識も高まっているのでしょう。問題を解いたり、まとめたりといった個人作業でも非常によく集中していました。廊下から授業を見ている私たちに気づいても、すぐに自分の作業に戻ります。わからなければ男女を問わずまわりの友だちに聞くこともできます。子どもたちがよく育っているのがわかります。社会の授業では、最後に授業者が話をしている場面で、子どもがとても柔らかい表情でしっかり聞いている姿を見ることができました。この学校が目指している子どもの姿がよくわかる場面でした。

2年生は合唱コンクールをひかえての、担任による話し合いなどの事前の活動を見ましたが、学級による子どもたちのようすの差が大きいことに気づきました。私たちの姿に気づいて次々にこちらに注意を向け、それがなかなかおさまらない学級。一部の子どもだけが集中を失くしてこちらにずっと注意を向けている学級。すぐにおさまる学級。いろいろでした。中でもある学級の子どもたちは私たちにほとんど注意を向けず、自分の作業、友だちの話、担任の話に集中していました。しかも、硬い表情ではなく柔らかい表情でです。友だちと話し合う場面では、一生懸命自分の思いを友だちに説明しています。聞く側も身を乗り出して聞いています。自分の思いをしっかり受け止めてもらえた女生徒は、真っ先に手を挙げてみんなに話をしました。学級全体に安心感があふれています。いつまでもその場にいたいと思わせてくれる素敵な学級でした。ここにも、この学校が目指す子どもの姿がありました。

1年生は、良くも悪くも教師が何を求めるかでした。教師が話している場面でもほとんどの学級は子どもが板書を写していました。作業中に教師が補足説明をしても聞いていない子がたくさんいます。子どもたちの動きはバラバラな学級がほとんどです。表情も乏しく感じます。ところがある学級の社会の授業では、笑顔でしかも集中して授業者の話を聞いています。全く違う姿です。授業者は自分の言葉を子どもが理解できたか表情を見ながらじっくり間をとっています。教師の説明で子どもが受け身になりやすい場面ですが、ちゃんとコミュニケーションが取れています。後で授業者に聞いたところ、「この子どもたちは板書するとすぐに写そうとします。そこで、じっくり聞いて考えてもらいたいので板書せずに話をしました」ということでした。子どもに求める姿がはっきりしています。子どもは教師が求める姿を見せます。この学級の子どもが特別ではないのです。教師によって見せる姿を変えるのです。どのような姿を子どもに求めるか、もう1度学年全体で話し合ってほしいと思いました。

このほかにも素敵な子どもと先生の姿を見ることができました。
2年生の英語の時間、どのような内容かはよくわかりませんが、カードを使ったグループでの活動場面でした。一人の女生徒が仲間に入れずにじっとしています。この子はやりたくないのだろうか。気になって観察しているとちょっとカードに手を触れました。が、すぐに離します。どうやら、参加はしたいのだが内容がわからない、きっかけがつかめない、そんな感じです。少し間をおいて授業者がこの子に気づきました。すぐにその場へ行き少し話をして、隣の子どもにも声をかけました。そのあと、すぐに2人はペアで活動を始めました。子どもの困ったにうまく寄り添い、子ども同士をつないだ教師の動きでした。

3年生の数学の時間です。授業の開始から参加できない女生徒が一人いました。この子はやる気がないのだろうか。いつ授業に参加できるのだろうか。気になります。最初の復習の間は集中できていませんでした。しかし、次の練習の時に隣の男子の手元をちらちら見ています。どうやらその男子が解き終わったのでしょう。教えてくれるように頼んで説明をしてもらいました。その後は、教師の説明もしっかり聞いて、授業に参加し始めました。やる気はあったのですが、わからない、わかるきっかけがなかっただけだったようです。

子どもたちが授業に参加しないのは、やる気がないからだとは限りません。やる気がないと頭から決めてかからずに、子どもが参加できるきっかけ、手立てを考える必要があります。子どもの人間関係ができていれば、友だちとかかわる時間を与えるだけでも変わります。このことをあらためて気づかせてくれる場面でした。

授業アドバイスは経験3年目と2年目の数学の授業でした。1つは、3年の平行線で区切られた三角形の辺、線分の比の問題の練習。もう1つは1年の方程式の文章題への応用でした。
おもしろいことに2人の抱える課題はほとんど同じでした。授業がわかった子どもの視点で進んでいることです。比の問題では、わかった子に○:○=○:○という式を発表させて、それが成り立つことを確認し解いていきます。解答としてはそれでよいかもしれません。しかし、数学の問題を解けるようになることは、解答に納得することではありません。自分で解くためには、どの線分とどの線分に注目すればよいかを見つけることが1番大切です。この部分がすっぽり抜け落ちているのです。答案には書かれませんが、値がわかっている線分と求める線分で対応を見つける作業が最初にあるのです。同様のことが方程式の応用でもありました。食塩水の濃度の問題で、この塩の量とこの塩の量が等しいという説明からスタートしているのです。問題の中で等しいものを見つけなければ方程式は使えません。逆に等しい関係が見つかるから方程式が使えるのです。ここを意識して問題に取り組まなければ解けるようにはなりません。「濃度の問題は、・・・」「速さの問題は・・・」といった言葉を使うことも気になります。パターンで覚えなさいと言っているようなものです。これでは見たことのない問題は解けません。バリエーションが劇的に増える高校の数学ではつまずいてしまいます。

ところが、どちらの学級も子どもたちは実によい動きをします。問題を解くとき、わからない子どもは自分から友だちのノートを覗きこんだり、「ぜんぜんわからん」と聞いたりします。わからないことを隠したりしません。実によい姿勢です。いたるところで子どもがかかわり合っています。授業者が、子ども同士相談することを肯定的にとらえている証拠です。にもかかわらず、発表場面では、「できた人」と聞いてしまうのです。するとあまり手が挙がりません。かなりの数の子どもたちが解いているのにです。結局、挙手した子を指名して授業が進んでいってしまうのです。何ともったいないことでしょう。2人に聞いてみました。

「なぜ、手が上がらないのかな?」
「自分の答えに自信がないから」
「間違って、認めてもらえなかったら嫌だから」

うれしいことに、ちゃんとわかっています。そこに気づければ授業を変えることができます。

「どこで困ったか、教えてくれる?」
「何をやったか聞かせて?」
「どんなことを相談した?」
「だれの話でわかった?」
・・・

相談できる子どもたちなのですから、その内容を共有化すればいいのです。子どもたちの「困った」に寄り添えばいいだけです。友だちに「わからない」と言える子どもを育てるという、一番難しいところをクリアできているのです。ここからはそれほど難しくありません。きっと授業が変わってくれることと思います。

また、2年目の教師の板書は1年目よりも進化しています。色チョークを使ったり、式と式の間を埋める言葉が書かれたりするようになっています。次のステップは、何を強調するか、どんな言葉で行間を埋めるかです。式と式の間に書かれていた言葉は、「100倍」といった、何をしたかでした。目的と根拠がないのです。

「分数は計算が面倒だ」→「何がじゃま」→「分母」→「分母がなければいいな」→「分母とおなじ数を掛ければ消える」→「掛けていいの?」→「『方程式』は『両辺』に『同じ』ものを掛けてもいい」→「これは『方程式』だから『両辺』を100倍しよう」

こういう思考が働いています。これをどこかに残すのです。いつもこんなことを書く必要はありません。しかし、このことを全員が自分のものとするまでは、何らかの形で残さなければいけないのです。何をしたかしか残さなければ、「分数は分母を払う」と機械的に覚えてしまいます。式の変形で分母を勝手にはらったり、一方の辺にしか分数がなければその辺にしか数をかけなかったりといった間違いにつながります。こういうことを意識した板書に変わってほしいのです。

長時間の話になりましたが、まだ若い教科主任も、研修担当の先生もずっとつき合ってくれました。また、授業アドバイスに先立って、教務主任と研修担当の先生とも、彼ら若手をどう育てるかについて1時間ほど話をすることができました。若手を育てることにこれだけのエネルギーを使ってくれる学校はそれほど多くはありません。このような学校に勤務できる幸せを彼らもわかってくれると思います。まだまだこれからの先生方です。きっと、新しい1歩を踏み出してくれることと思います。

この日も、子どもたちと先生方の素敵な姿に出会え、とてもよい時間を過ごすことができました。いつものことですが、またたくさんのことを学ぶことができました。子どもたちと先生方に感謝です。

公開授業で考える

昨日は、フューチャースクールの公開授業に出かけました。1学期の終わりに授業を見せていただき、夏休みにお話をさせていただいた小学校です。ICT以前の学習規律について2学期は意識されたと聞いていました。今回どのような変化があるか楽しみでした。

各学年1学級ずつ1時間の公開でした。研究の性格上、1人1端末を活かすことが求められます。実はこのことが授業をつくる上で大きな制約になっていました。まだまだタブレット端末の機能、ソフトの完成度が低いからです。その中での授業づくりは厳しいものがあったと想像します。残念ながら、どの授業もその教科、単元のねらいを達成することとICTの活用が連動していないように感じました。ICTを活用しなければならないため授業のねらいがおかしくなっていると感じるものもあれば、ICTを活用する必然性を感じない場面もたくさんありました。象徴的なことがありました。電子黒板を使っての子どもの発表場面です。突然電子黒板の調子がおかしくなりました。授業者はしばらく復旧に努めましたが、「そんなときは、これを使って」と黒板に貼った写真を利用して発表するように指示しました。用意周到です。トラブルに慣れているようです。さて、この後どうなったかというと、私の目には電子黒板を使わなくてもこれで十分に思えました。電子黒板を使う必然性がなかったということです。

学習規律については、立て直すまではいっていませんでした。意識したのは2学期になってからですから時間が足りません。しかし、意識続けることで来年度には必ず結果が出るはずです。変化がないからといってあきらめないでほしいと思います。

また、「ICTを利活用した協働学習」ということがテーマとしてあげられていましたが、ICT以前に「協働学習」について根本的に先生方が学ぶ必要があるように感じました。1台のパソコンを前にグループの子どもたちが顔を寄せて作業しています。子どもたちに笑顔が見られ、一見学習が成立しているように見えます。しかし、どうもキーボードを操作する子どもが主導権を握る傾向にあります。子どもたちからでる指摘も、個々に思いついたことを言うレベルで、それがグループ全体に共有化され検討される場面はまずありません。1台のパソコンを使って、グループで1つのものをつくるこの形態では、「協同学習」を成立させることは難しいのは確かです(機器やソフトの問題もとても大きい)。しかし、そもそも発表やまとめることが目的化し、協同作業の結果はどういうものになればいいのかというゴールが不明確で、互いの意見を検討し判断するための根拠を持たないまま作業が進んでいるのです。「協働学習」を進めるにおいて、ICTのあるなしにかかわらず注意しなければならないことです。ICTがあれば「協働学習」が成立するわけではありません。ICTがなくても立派に「協働学習」が成立する子どもたちと教師であって初めてICTが活きるのです。

授業公開後の実践発表では、ICTは「協働学習」に有効であるとのことでしたが、「ここに気をつける」「こうすればうまくいく」という具体的なものは提示されませんでした。公開授業からICTの活用が有効な場面を見つけることが私はできませんでしたので、根拠が明確に示されなかったことは残念に思いました。

全体講演は岐阜聖徳大学教授石原一彦先生の「未来の扉を開くフューチャースクール」でした。その中でICTが学習の道具から学習環境へと変化していくということが示されました。その通りだと思います。教室の中に従来の黒板に加えて電子黒板や実物投影装置が、子どもたちの手元にノートや教科書に加えて(代わって?)タブレット端末を通じてデジタル教科書やネット環境が提供されるようになることは間違いないでしょう。しかし、残念なことにここでもその環境を具体的に活かす方法については語られませんでした。あるフューチャースクールでは資料集を買わなくなったそうです。その事実に対しても、今までの資料集を捨てるに至る根拠は示されませんでした。ネットは目的を持って調べるときにはとても有効です。しかし、あまりに多くの情報の中には、信憑性のないゴミのようなものもたくさんあります。情報選択能力がなければ使いこなせません。資料集という限られた世界の中から情報を収集選択するという経験も前段階として重要に思われます。また、資料集を読むという行為も子どもの学びにとってはとても大切なことです。単純にネット環境で代替できるものではないように思います。フューチャースクールは名前の通り、これからの学校の姿を模索する事業です。だからこそ、その環境だけでなく、その環境を活かすために必要なことを示す必要があるはずです。
今回の公開授業と講演からはフューチャースクールの姿は私には見えてきませんでした。

このように書くと、この学校での研究は意味のないもののように思えるかもしれません。そうではないのです。今までICTを特別に研究していなかったごく普通の学校に未来の環境(主にハードですが)を持ちこんだ時に何が起こるかを先生方が身を持って示してくれたのです。当り前のことですが、どんなに素晴らしい環境があっても、それだけで授業が成立するわけではありません。学ぶ姿勢を持った子ども、教科知識と指導技術を持った教師があって初めてその環境が活かされるのです。あらためて、そのことを教えてくれました。また、この学校で使われているハードもソフトも、以前教育ソフトの開発に携わっていたものからすれば、とても教育のことがわかっている方が開発したものとは思えません。そのことは、先生方が身を持って感じているはずです。その不満や問題点をどんどん挙げることが、フューチャースクールに求められる真の環境をつくることにつながっていきます。フューチャースクール事業は3年目の今年で終わりです。予算的には苦しいものがあると思います。しかし、ここで止まらずに進み続けることを期待します。

この学校の子どもたちと先生方は、新しい環境に適応するために多くのエネルギーを割いてきました。その労が報われるのはこれからです。ICTを使わなければいけないという頸木から解放されて、もう一度授業の根本を見直してください。ICTにとらわれずもう一度目指す授業の姿を描き直してください。まず授業を成立させる基礎基本をしっかり押さえてください。必要な場面でICTを利用できるスキルは子どもも先生も身についています。本当に必要とされる場面、活かされる場面に絞って使えば、ICTは大きな力を発揮するはずです。それこそが、フューチャースクールだと思います。

公開授業と全体会の間、とても多くのことを考えました。日本の教育の未来の姿を考えるとてもよい機会となりました。ありがとうございました。これまでの先生方の努力に敬意を表するとともに、これからに大きく期待したいと思います。

愛される学校づくり研究会に参加

先週末は愛される学校づくり研究会に参加してきました。今回は、前半に私の方から「最近の授業参観、指導から思うこと」と題して、お話をさせていただきました。
初任者、若手の授業を見て感じること、校内の研修をうまく活かして学校を変えるポイント、あとトピック的なことを話題にしました。ほとんどはこの日記で触れてきたことですが、事例から共通して感じることまとめてみました。

初任者に共通して感じることに、アドバイスを素直に受け入れる姿勢を見せるのですが、なかなかそれを実行に移せないことがあります。指摘されていることに具体的なイメージが持てていないからなのでしょうか。自分が受けてきた授業以外に手本とすべき授業を持っていないのかもしれません。また、子どもの視点でしか授業を見てこなかったため、よい授業の評価がずれているのかもしれません。子どもたちに「うける」授業を目指しているように感じる教師に多く出会います。よい授業を見ることとその授業のどこがよいかを知らせることが必要に思えます。そうであれば、初任者指導の中にこのような要素をしっかり入れることが求められます。あこがれの教師、授業像が持てるようなプログラムが必要なのです。

それに対して、経験年数3年目くらいの教師はぐっと伸びる率が高くなります。伸びる方の条件は、指摘を「素直」に受け入れて実行できることです。「素直」に受け入れて実行するということは、性格が「素直」ということもあるのですが、自分の授業の課題が見えていて、それなりに悩んでいることが要因として大きいように感じます。壁にぶつかり具体的にどうすればいいのか困っているため、指摘されたことをとりあえず試してみようするのです。3年経っても変わらない方は、自分ではとりあえず授業はできていると思っている、問題を感じていない方です。指摘されても必然性、緊急性を感じないために、それよりは部活動や、生活指導などの目先の仕事にエネルギーを使ってしまうのです。目指すべき授業像が明確でないため、自分のいたらなさに気づけないのです。個人で持てないのですから、組織として全員が共通して持てるようにしていかないとこういう方は変化していきません。学校として目指す授業像の具体化と共有が大切になるのです。

このような点からも、学校の研修体制はとても大切になります。効果的な研修を進めるためには戦略性が求められます。まず何を変えるべきかを明確にし、そのための何をするのかのステップを明らかにするのです。管理職や教務主任が明確な方向性を持って継続的に研修を進めていくことが必要だということです。とりあえず年何回かの研修のコマを埋めていくといった発想では、学校はよくなってはいきません。系統的、継続的な研修で、学校の進歩が見える形にしていかなければ、先生方の意欲も続きません。うまくいく学校に共通しているのが、管理職や教務主任が先生方の授業をよく見ていることです。リーダーが実態を知り、先生方の変容をポジティブに評価し先生方の進歩を見える化することが基本になります。

トピックとして、3つのことを話しました。
小規模校では、教師が個別指導に頑張りすぎてしまうこと。指示が通るので、指示が増えてしまい子どもの自主性が損なわれてしまうこと。これらのことは、少人数授業にもつながること。
若手だけではなく、ベテランの先生こそちょっとしたことで大きく進歩すること。
TTに関連して、最低限その日の授業のポイントや子どもの何を見るかを事前に共有しておいてほしいこと。また、子どもから出てほしい意見や考え、間違いが出なかったら、T2が役者になって子どもの代わりに発言するといった役割を明確にしてほしいこと。

後半は、来年予定されているフォーラムの午前の企画についての打ち合わせをおこないました。今回の企画は、校務の情報化を会員による寸劇で紹介しようというものです。言うのは簡単ですが、どのようなものにしていけばよいか手探り状態です。「できるかしら」としり込みしそうな企画ですが、さすがこの会のメンバーは違います。皆さん前向きに取り組もうとされます。当日は5つのグループに分かれての発表の予定ですが、それぞれの個性が感じられるおもしろい発表になることと思います。常に何か新しいことをやらなければ気のすまない某先生の思惑通りにことが進んでいくようにも見えますが、さて、この先どんなドラマが待っているのか!? 楽しみでもあり、ちょっとドキドキでもあります。当事者でなければ味わえない刺激に満ちた会です。このような会のメンバーであることに感謝です。

今、この記事をアップしようとしたころ、会員のメーリングリストに、今回の感想をブログにアップしたとの報告がありました。早速読ませていただきました。このように感想をいただけるのは、とてもありがたく、うれしいことです。具体的でありませんでしたが、私の考えに反論したいことがあったようにも書かれていました。ますますうれしくなりました。次回お会いしたときにこの話を聞かせていただくのがとても楽しみです。意見をいただければ必ず学びにつながります。このような反応をいただけるのもこの会の素晴らしいところです。学びを豊かにしてくれるメンバーと出会える素敵な会です。

小学校で授業アドバイス(長文)

昨日は小学校で、授業アドバイスと授業研究での助言をおこなってきました。初任者、2年目、3年目の教師の授業でした。

初任者の授業は、2年生の算数でした。かけ算の定義、何のいくつ分をもとに式をつくり、その計算を足し算を使って求める場面でした。例題は箱を4つを重ねた高さを求める問題でした。そこで、実際にティッシュペーパーの箱を持ってきて子どもたちに見せることで問題把握させようとしました。しかし、箱の高さはどの部分か、箱を重ねて求めるのはどこかを示すだけで、すぐにかけ算の式を書くように指示しました。かけ算になることは確認していません。教科書が例題に箱を選んでいる理由は、箱を操作することでかけ算が足し算で計算ができることを理解しやすいからです。その意味をわかっていませんでした。子どもたちに指示をするときに式だけであることを強調しました。式を書けば答を書きたくなります。九九をすでに知っている子、計算方法を意識せずに答がわかる子もいます。多くの子どもが既に答を出していました。子どもたちに式で止める必然性がないからです。続いて説明もなしに足し算で計算するように指示します。何で足し算なければならないのか、何を足し算すればいいのかわからない子どもがたくさんいました。
箱を操作しながら、1つの高さの4つ分が求める高さになることを押さえる。1つずつ積み重ねながら高さを足していけば求められることに気づかせる。子どもたちとこういうやり取りが必要だったのです。結局、子どもたちは指示に従って作業するだけで思考がうながされる場面はありませんでした。
子どもたちが答を発表した後、授業者はさかんに「どうして」とたずねます。しかし、根拠となるものを意識する場面がなかったためうまく答えられません。かけ算の定義から2つの要素、何の(同じものが)いくつ分(いくつある)を明確にすることが必要だときちんと押さえられていなかったからです。
決定的だったのは、式でかけ算の順序が違っていた子どもの発表があったときです。教師がどちらがよいか問いかけたときに、ある子どもが順番を入れ替えても答が同じだからどちらでもよいと答えました。子どもの中から「答は違う」という声もありました。子どもたちは混乱し始めました。授業者はその声を無視して「先生はどちらかに決めてほしい」と返しました。「どちらでもよい」といった子どもは結果的に自分の意見が否定されたのでその後授業に参加しません。他の子どもも入れ替えても答が同じなのか違うのか、そもそもなぜこのことを考えなければいけないのかわかりません。しかも、教師が一方的に説明しだしたのでついていけずに、結局最後まで集中は戻りませんでした。

授業後のアドバイスでは、まず子どもたちどうなってほしいのかをたずねました。授業者は、「しゃべる」と答えました。それはどういうことか、具体的に聞いていってもなかなかシャープにはなっていきません。「どのような場面」で、「どのようなこと」を、「だれ」と「どのよう」にしゃべるかを具体的にイメージできていないのです。ただ、ばくぜんと思いついたにすぎないのです。したがって、授業中にそのような場面をつくる手段・方法は考えられません。思うだけで実現はしないのです。また、「なるほど」と受容する、できている子を「ほめて」よい行動を広げるといったこともするのですが、たまたま目についたとき、思い出したときにするだけで、常に意識してできているわけではありません。彼なり勉強はしているのでしょうが、それは「つまみ食い」状態であることを指摘しました。いろいろとやってみることもよいのですが、とりあえず何か一つのことを決めてそれを徹底するようにお願いしました。ありがたいことに、大変素直に受け止めてくれたようです。まだまだこれからの先生です。あせらずに、じっくりと授業に向き合ってほしいと思います。

3年目の先生の授業は、5年生の算数の分数の大小の授業でした。授業から伝わってくるのは子どもたちに考えさせたいという思いです。できるだけ子どもの発言で授業を進めていこうとしていました。とても好感が持てるものです。目指すものが明確なので問題点もはっきりします。一人の子どもの発言を教師が理解し説明し、わかったか子どもに聞きます。不十分であれば他の子どもを指名して説明させる。教師が子どもの発言をしっかり受け止めているので、参加意欲の高い子どもがたくさんいます。しかし、子どもたちを見ていると友だちの発言をあまり聞いていません。教師を見ています。また子どもの発言は、前の発言とつながるものではなく、自分の考えが多いことも気になりました。わからない子どもが考えて解決していくというよりも、手を変え品を変え説得されているといった感じでした。
これは、わかっている子を中心に授業が進んでいるからです。しかも順番に指名された子どもしか発言しません。ここで発言できるのは、わかった子どもだけです。わからない子どもはわかるまで発言のチャンスがありません。自分がわかる説明に出会うまで受け身の状態が続きます。すぐにわかればいいのですが、わからない時間が続くと集中力が切れてしまいます。一方すぐにわかった子どもは、自分はわかっているので聞く必要はありません。自分の意見を発表すればもう出番はありません。集中力が切れやすい状態です。

授業後のアドバイスではそのことを指摘しました。事実を指摘されると、すぐにその問題を理解します。どうすればよいか考えようとします。ともすると、うまくいかない言い訳を考えようとするのですが、この先生は自分の問題にしっかりと向き合う姿勢を持っています。この先生は伸びると直感しました。具体的な方法として、「困っていることはないか」とわからない子どもに寄り添うこと。出てきた困ったことを他の子どもと共有すること。「みんなで解決しよう」「助けよう」と学級の全体の問題にすることを示しました。「わかった」から出発するのではなく、「わからない」から出発するのです。できる子どもも自分がわかればいいのではなく、友だちがわかるように説明するという役割を与えることでより真剣に課題に向かいます。正解を出すことはできるがなぜそうなるか説明できない、いわゆる「できるけど、わかっていない」子どもにとってもそのことに気づくよい機会となります。また、まわりと相談したり、グループで話し合う場面をつくることでわからない子どもが積極的にかかわり考える機会をつくることができます。半分くらいの子どもがわかっていれば、まわりと相談させることでほとんどの子どもが理解できるようになります。ねらいが明確であれば、そのための方法を見つけることはそれほど難しいことではありません。この先生なら、きっと自分のスタイルを見つけることと思います。
また、「どうやって分数の大小を見分ける」という問いに「数直線を使う」という子どもの意見がありました。授業者はそのことを板書したのですが、それがどういうことかは全体で確認・共有しませんでした。数直線で説明しようとした子どもがいましたが、うまくいきませんでした。数直線の活用をしっかり押さえていなかったためです。逆にこのことを押さえておけば、考えるヒントにもなっていたはずです。
実は授業者も数直線をきちんと意識できていなかったので、この子どもの考えをうまく修正して活かすことができませんでした。そのことについても、自らの教材研究不足を素直に認めていました。この素直な姿勢が教師を伸ばす原動力だと思います。
この先生の成長がとても楽しみになりました。

授業研究は2年目の先生の授業でした。1年生の算数、3項の引き算でした。授業者と子どもとの関係はよいと感じました。話を聞く前や、一斉に声を出す場面など要所要所で全体がしっかりと集中します。子どもたちを上手にほめて動かしています。そういうよい場面があるため、逆に教師が話す場面や友だちの話を聞く場面では、集中力が落ちることが目立ちます。授業者がその場面での子どもの姿をどうしたいか意識していないことが原因です。基本はできているのですから、意識するだけのことなのです。
課題は、10個から、3個を取り出し、また2個を取り出す事象を式10−3−2で表し、その計算の順序を考えるものでした。前時に式の計算は左から順にやると押さえています。この授業では、考える根拠をどこに置くかが明確になっていなかったために混乱してしまいました。何が定義か規則なのかが不明確だったのです。もし、式は左から計算するということを規則として考えるのなら、この規則からどのような式になるかを考えさせる。そうではなく、事象の順番に式を書くということを規則にするのなら、この事象を表す式はこう書くと定義して、どういう計算すればよいか考えさせる。どちらかに方向性を決めておく必要があります。そこがはっきりしないまま子どもたちに理由を問うので、根拠が揺れる場当たり的な説明になってしまいました。よくわからないが、最後は結局式は左から計算するのものだと教え込むことになっていました。そうであるのなら、最初から教え込んだ方がかえってすっきりしたかもしれません。また、3+2を先に計算して10から引くといったことを答えた子どもいました。想定はしていたのですが、授業者はうまく説明する自信がなく無視することに決めていました。無視をするにしても、「すごいね、これは2年生でやるから今考えないでおこう」というように、うまく認めてあげる必要があったと思います。
この子どもは、与えられた式を計算したのではなく、問題の事象を考えることで別の解き方をしているのです。ですから、「式を教えて」と問えば、3+2=5、10−5=2が出てくるはずです。時間があればその意味を確認する。時間がなければ、「別の式でも求められるんだね」とすれば、問題なく活かせたのです。

検討会での意見の多くは子どもたちの理解のようすでした。それぞれの子どもに何が起こっていか、先生方はとてもよい雰囲気で意見を交換しています。グループからの発表は教材や授業の進め方についてのものが多く、子どもたちのやり取りやつなぎの問題についてはあまり触れられませんでした。そこで、私からは子どもたちのテンションが上がる場面はどのようなものだったか、そしてその理由が考えなくてもよい場面だったからということ。ほめてうまく子どもたちとの関係をつくっているが、意識していない場面はゆるんでしまうことをまず話させていただきました。そして、子どもたちのつなぎ方を具体的な場面をもとにいくつか説明しました。後半は、算数において根拠となるものは何かを意識すること、何が定義で、何がそこから導き出された結果かをしっかり教材研究してほしいことをお願いしました。

この日は、教務主任や指導員の方が私の話を聞きながら授業参観をしてくださいました。授業アドバイスの場面も一緒に参加されます。少しでも学ぼうとする姿勢はとても素晴らしいものでした。また、ベテランの方が個人的に学校の現状に関しての自分の考えと前向きに頑張っていきたいという思いを語ってくださいました。とてもうれしいことです。
授業研究や授業アドバイスを少しおこなったからといって学校がすぐに変わるわけではありません。しかし、先生方やリーダーの方が積極的に改善しようとする姿勢を持つことで、確実によい方向に変わっていきます。今回の訪問がそのきっかけになってくれればと思います。私も落ち着いて授業を見ることで、たくさんのことを考えるきっかけをいただきました。ありがとうございました。

模擬授業で多くを学ぶ(長文)

昨日は中学校で現職教育の講師を務めました。今年度2回目です。担当の教務主任には、講演以外の内容での実施をお願いしました。授業を見ての研修が望ましいのですが、あいにくその日は定期考査です。そこで、どなたかに模擬授業をお願いして、私が解説するという形を提案しました。研修まで時間のない中でのお願いだったので難しいかと思っていたのですが、教務主任が自ら授業者をかってでてくれました。この学校では模擬授業自体ほとんど経験のある方がいらっしゃいません。初めての試みなので指名した方にプレッシャーがかかってはいけないと考えられてのことでしょう。教務主任のこの姿勢はとても立派だと感心しました。

模擬授業は数学です。開始前に、私から少し模擬授業について説明しました。先生方に数学の得意な方とたずねてみたところ、数名しかいません。これはきっとうまくいくと思いました。子どもたちと同じ目線で参加することができるからです。授業者にこの授業のねらいをうかがったところ、「考える」がキーワードでした。このことを意識して開始しました。

導入で授業者は「日記をつけたことがある人」と聞きました。2名しか手が挙がりません。指名して、いつつけていたかを聞きました。このとき授業者は発言を受容的に受け止めます。ちょっと硬い雰囲気が柔らかくなりました。そこで、もう一度たずねると今度はほとんどの人の手が挙がりました。たくさんの人がつけたことがあるねとコメントして、この授業の課題を配りました。課題は、姉と妹が異なった日から日記をつけ始めているときに、姉のつけた日数が妹の□倍になるのは何日後かというものです。2分ほどの導入で、テンポのよいものでした。しかし、最初は手を挙げなかったのに、次に聞かれたときにたくさん手が挙がったことをどうとらえるかが問題です。その理由を2人の方に聞いてみました。1人は、「挙手して答えることを求められているのかよくわからなかった」。もう1人は「恥ずかしかった」ということです。前者については、挙手して指名されたのを見て発問の意図がわかった、後者はそのやり取りを見てこれなら大丈夫と安心したということです。実際の授業でも起こりうる場面です。ここで、後から手を挙げた人を指名しないと、子どもたちは、友だちの発言ややり取りを見て発問の意図を理解できた、安心して発言できそうになったのに、最初に参加しなければ後からは参加できないと感じてしまいます。せっかく友だちの発言を聞くことのよさを感じるきっかけができたのにそれが無駄になってしまいます。ここは、「たくさん手を挙げてくれてうれしいな。もう少し聞いてみようか」ともう何人か指名してもよかったところです。

課題のプリントを配った後、「読むのがうまそうな○○さん」と指名して音読してもらいました。「たまたま」ではなく、「あなた」だから指名したというのは、指名された側のやる気を引き出し、自己有用感を感じさせます。これに限らず授業者は、子ども役の発言や行動に対して受容的な態度をとっています。実際の授業でも子どもとの関係はきっと良好だと思います。
さて、音読をしているときの子ども役はほぼ全員がプリントに集中していました。全員やや前傾姿勢で集中しています。ところが、仕事で目が疲れていたのでしょう、1人の方だけは目を押さえてプリントに集中していませんでした。授業者は子ども役と同様にプリントに集中していたためそのことに気づいていません。集中していない子どもを注意しろということではありません。子どもに活動をさせているときにその様子を見ることが大切なのです。今教室で何が起こっているか、常にそのことを把握するように意識するのです。実際の授業では、このあとその子どもの集中力が戻るかどうかを注意することになります。その状況に応じて次の対応を考えるのです。教師は教科書の文章やプリントの内容は頭に入っているはずです。一字一句目で追わなくても、ちらちらと見るだけで大丈夫です。子どもたちを見ることを第一にするのです。

読み終わった後、「問題の意味はわかりますか」と課題を理解したかを問いました。「質問がある人」と聞いてもだれも手を挙げません。そこで次に進みました。しかし、「わかりますか」と聞かれれば、わかるのが前提です。質問がある人と聞かれても、手を挙げて聞くのは勇気がいります。誰も手を挙げないから先に進む。これは教師のいいわけ、アリバイ作りなのです。
このときの子ども役の動きは少し乱れていました。ちょっと落ち着かないようすの人、小首をかしげる人、気になる動きがありました。ここは、「困ったことはないですか」と聞き、動きのある人に「どう、何か困ったことない」と声をかけることや、「・・・と書いてあるけれど、どういうことか説明できる」と具体的に確認することが大切です。課題を全員がしっかり把握できずに進んでしまうと、この時点でもうついていけない子どもが出てしまうのです。把握できたかどうかを確認するための発問もあらかじめ用意しておくことが必要です。

続いて、□倍の□にどんな数字を入れようということになります。最初に指名された子ども役は「20」と答えました。まわりから笑いがもれますが、バカにした笑いではありません。しかし、授業者は、しっかりと笑顔でその答えを受け止めフォローします。続いて指名された子ども役は「3」倍、次は「2」倍と答えます。その時には笑いは起きませんでした。3人指名した後、授業者は、「20」倍という数字を考えてみることはとても意味のあることだと説明しました。数学的にはこの数字のときには答が負になるため、より深い追究につながるからです。さすがにこの教材のことをよくわかっています。しかし、子ども役はその価値にはまだ気づいていないようです。「ふーん」といった感じで聞いています。具体的な話ではないし、教師からの一方的な説明だからです。
授業者は黒板に「20」、「3」、「2」と書きます。そのとき、一人ひとりと目を合わせて確認しながら書きました。「20」と答えた子どもにはしっかりとうなずいて見せています。笑われた子ども役が安心できるとてもよいやり取りでした。
その子ども役に聞いてみました。何で笑われたのかよくわからなったが、授業者がちゃんと板書して取り上げてくれたので安心したということでした。

ここで問題なのは、この一連のやり取が教師と当事者だけで進んでいたことです。「20」で子どもたちが笑いました。その理由は何だったのでしょうか。「普通は2とか3だろう」、「そんな数のはずはない」、中には「そんな数では答が出ないだろう」と推理している子がいるかもしれません。教師が判断するのではなく、子どもに聞いてみると違った展開になったかもしれません。
「そんな数のはずはない」と子どもが言えば、「みんなそう思う」と返し、異論がなければ「本当にそうか、確かめてみなければいけないね」と押さえる。「答がない」という言葉が出れば、その推論を聞いてみる。こうすることで、「20」が子どもたちの課題になります。教師が「20」の価値を説明しなくても、子どもたちが「20」のときはどうだろうと考えて課題に取り組むことで、自分たちでその価値に気づくはずです。
「20」ではなく、「3」と答えたときに聞いてもよかったかもしれません。「3はおかしくないの?」と聞き、「3」と「20」の違いを明確にすることで、課題をより深く考えるきっかけにできます。

まずは、「2」の場合で考えることにしました。できる人と聞くと何人かの手が挙がります。「すごいね」とほめ、考え方も書くように指示をしました。できた子どもに次の指示を与えることが大切です。しかし、いくつかのやりが出てくるので、授業者としては当然それを比較したいと考えているはずです。ただ解くのではなく「できるだけたくさんのやり方を見つけてね」という課題にした方がよいでしょう。あとで「色々なやり方があるね」と展開した時に、そう言ってくれれば別のやり方も考えたのにと思われずに済みます。

子ども役が課題に挑戦し始めました。すぐにあちこちでまわりと相談する姿が見られます。先生同士の人間関係がよいことがわかります。課題もよかったのでしょう。解きたいという意欲の表れでもあります。その間、授業者は机間指導をしています。ヒントを与えたり、子どもたちがどんな解き方をしているかを把握したりしています。取りあげたいやり方をしている子ども役を2人指名して黒板に書かせました。黒板を見ながら自分と比較している、ヒントにして解こうとしている、ずっと2人で聞き合っている、一切誰ともかかわらず黒板も見ないで解いている、実に様々な姿がありました。しかし、授業者は机間指導で子どもたちの間に埋もれているために、このようすに気づけませんでした。授業者は2人を指名した段階で次のシナリオができています。この時点で子どもたちのようすは授業の展開に大きな影響がないので意識されないのです。時間の関係で模擬授業はここまでにしました。

このあと、板書した子どもに前で説明させる、他の子どもに説明させるといった方法がありますが、いずれにしても板書の内容を理解しようと見ていた子どもとここで初めて見た子どもでは理解度が違います。そのギャップを埋めることは実はなかなか大変です。特に自分で解くことにこだわっていた子どもは、いきなり違う解き方を説明されても戸惑います。また、板書は考えた結果です。考え方の糸口や発想はそこには現れません。ここをどう明確にして共有するかが問われるところです。

ここで少し違った展開の仕方を考えてみました。
一番熱心に聞き合っていた子ども役に、何を話していたのか聞いてみました。「考え方を書いてと先生に言われたので、式を書かなければいけないと思って聞きました」ということです。その結果はどうだったと聞くと、後ろの方に聞いてわかったということでした。とても面白い話です。教師の「考え方」という言葉が子ども役には「式」に変わっています。授業者は式で書くことを求めていたわけではありません。微妙にずれているのです。このずれを起点に授業を進めるのです。いくつかの流れが考えられます。

「最初はどうやったの」と聞き、それを共有して上で、「それで、○○さんからどんなことを聞いたの」と、式にたどり着いた過程をみんなで共有する。

「なるほど、式なら考え方がわかるんだ。それってどういうこと」と聞きながら式を使うときと使わない場合を比較しながら2つのやり方を共有していく。

「式なら考え方がわかるんだ。なるほどね。じゃあ、式以外に考え方がわかる方法はないの?」と揺さぶり、言葉の説明、表や図で考え方を示すことを導く。

いずれにしても、これが正解というわけでもなければ、これらを組み合わせることも可能です。ポイントは子どもの考えや発想をもとに深めたり、広げたりするということです。私も事前に何を話していたか聞いていません。だから他の子ども役と同じように真剣に聞き、理解できないこと、聞き洩らしたことを聞き返します。そうすることで学級の全員が理解し共有できるのです。子どもたちのようすを観察していて、何を考えていたか、何を話していたか聞きたいと思った子どもに「教えて」「聞かせて」とたずねる。そこから、展開するという方法もあるのです。(事前に子どもの考えを知ることの落とし穴参照)

わずか1時間ほどの模擬授業でしたが、「授業の基本であるコミュニケーションがしっかりしていたこと」、また「教材がきちんと練られたものでかつそれを授業者が理解していたこと」、そして、「子ども役の先生方がこんな学級だったら本当にいいなと思う、とても素敵な雰囲気をつくりだしていたこと」が、とてもよい学びを生み出してくれました。特に子ども役の先生方の、明るく素直な反応、互いに積極的にかかわろうとする姿勢はとても素晴らしいものでした。私の話に対しても前回以上に反応していただき、とても気持ちよく進めることができました。感謝です。

研修終了後、校長・教頭・教務主任と長時間にわたってお話をさせていただきました。学校をよくしていきたいという思いがひしひしと感じられます。とても充実した時間を過ごさせていただきました。特に教務主任は、皆さんとより近い立場から、今後どのような働きかけや取り組みをしていけばこの学校の授業がよい方向に変わっていくのかを真剣に考えておられました。
私が年に1度や2度出かけたくらいでは学校がよくなるわけはありません。日常の先生方の変わろうという思いと取り組みがあって、初めて向上的変容をするのです。今日見せていただいた先生方の姿と管理職・主任の姿勢があればこの学校はきっとよい方向に変わっていくと思います。次回訪問の機会があれば、必ず新たな姿が見られることでしょう。皆さんのおかげで本当によい学びができました。ありがとうございました。

中学校の授業研究でアドバイス

昨日は中学校で、数学の授業研究のアドバイスをしてきました。今回は、若手の先生3人に子どもたちのようすから何がわかるかを解説しながら授業を見学しました。

TTでおこなわれた、1年生の1元1次方程式の活用の最初の時間でした。T1は以前と比べてずいぶん柔らかい雰囲気をつくることができるようになっていました。そのせいか、子どもたちは授業者ととてもよい関係で、実に素直に自分たちの気持ちを態度で表現していました。おかげで、子どもたちの動きから授業の課題が明確になってきます。学ぶことの多い授業でした。

最初に小テストで方程式の解き方を確認します。すぐに全員が集中していたのですが、できた子どもたちは、何もすることがないので集中を切らしていました。落ち着いていてじっと待っていますが、何かを考えているわけではありません。手遊びを始めている子もいます。テスト形式にこだわると、このような弊害があります。そのデメリットを越えるメリットがないのであれば、テスト形式にこだわらず、まわりと相談したり確認し合ったりを許す、練習問題形式の方がよいように思います。
答え合わせは、式の変形の1行ごとを子どもに言わせるのですが、残念ながら子どもたちは発表者の方を見ません。子どもたちの関係はできているのですが、発表をすぐに授業者が板書するので、そちらの方がわかりやすいからです。また、変形の結果だけを問われているので、友だちの言葉を聞く必然性もあまりありません。子どもたちは自分にとって聞く価値のあるものしか聞かないのです。なぜ先にカッコを外すのか、なぜ同類項をまとめるかといった、一つひとつの手順の意味、価値を問うといったことをしなければ、教師の板書を写せば済むのです。逆に手順の確認だけであれば。早いテンポで進めないと、考える必要の無いところで無意味に時間が消費されます。

最初の課題は、3か所穴のあいたレシートから、買った商品の単価を求めるというものでした。教科書の例題は同様のレシートから、問題を文章化してそれを解くというものです。この例題の前にまずこの課題に挑戦するという流れです。
子どもたちは、黒板に貼られたレシートを見て大いに興味を持ちます。集中力が上がりました。授業者が黒板にリンゴ1個の値段を求めようと書くと、全員が集中して写していました。課題は写すというルールがある意味徹底しているのでしょう。

「こういう問題を解くときに最初に何をする」という問いかけで「図を書く」を子どもから引き出しました。先ず図を書いて問題把握をするということです。ここで図を授業者が書きました。今度は子どもたちの動きはバラバラでした。授業者が書くリンゴの絵を1つずつ写す生徒、じっと図を見ながら切りのいいところで写す生徒、写さずにじっと図を見ている生徒、実に様々です。
この場面は図を写すことにはあまり意味はありません。そもそも図を書くことが最初の一手であれば、自分で書けなければ問題を解くことができないわけです。であれば、自分で図が書けることの方が大切になります。この場面の扱いはもう少し変わったものになるはずです。
教科書の例題がレシートと文章から構成されていることの意味をもう少し考えるべきだったのかもしれません。レシートは実は表構造になっています。教科書は文章と表を行き来することで問題を把握したり、その構造を理解させたりすることを意識しています。この文章題を解くには図よりもレシートの方が整理されていてわかりやすかったはずです。レシートだけで問題を考えるのであれば、あえて図に頼らない方がよかったのです。また、穴が3つあるのに単価をだけを問うことは唐突です。「3つの穴をどうやって埋めよう」とレシートから何がわかるかを考えさせた方が課題としては自然だったように思います。

子どもたちに、ペアで解き方を考えさせたとき、うまくかかわれているペアと2人ともお手上げで話し合えないペアに分かれました。さっさと解決したペアは手持ちぶさたです。ペア活動は逃げられない関係です。ペアにこだわる必然がないのであれば、まわりと相談させた方が、活動が停滞しにくくなります。

子どもたちの考えを発表させていく中で突然xを使った方程式が出てきました。塾等で予習している子どもは、前の発言と関係なしにいきなり本命の方程式を発表してしまう可能性があります。授業者としては前の発言につないでくれると思っていたのですが予想外だったようです。ここで、方程式の「6xがわかる人」と聞いてしまいました。ここで「わかる」と聞いてしまったので、「わからなければいけない」「わからないとダメ」という負の感情が起きてしまいます。突然で理解出なかった子どもは、ここから心理的についていけなくなります。一方、わかっている子にとってはもう聞く必要のないことです。うまく子ども同士をつなぐことができなくなって、テンポが悪くなってしまいました。「わかった人」ではなく「困っている人」と問いかけ、「困っている人」を「わかった人」が助けるようにして進めていくとつながっていったと思います。

授業者は予定した次の例題にいくことをあきらめ、立式の説明が終わった後、少し時間をかけて方程式を解かせました。今回の授業は立式できることがねらいなので、方程式を解くことはいったん止めるか、全体ですぐに解いて、次の例題に移るという判断もあったと思います。

授業検討会は、司会者がどうすればより学びの多いものになるか色々と試行錯誤していることがよくわかりました。各グループの発表をつなげる工夫から、ふだんの授業でもうまく子どもをつないでいることが伝わってきます。
今回、授業が予定した流れの通りに進まなかったこともあり、先生方の話し合いは、教材部分にかなり深入りしていました。そんな中でも、子どもたちが集中した場面とその理由は何か、子どもたちに聞くのか板書を写すのかどちらを求めるのか、ペア活動でかかわれなかった子どもたちにどういう支援をすればよかったのか、全体での場では自分たちの言葉ではなく、教科書の記述のようなかたい言葉で話そうとするためなかなか気軽に話せないといった、子どもの動きに関することがたくさんでてきたことは、日ごろの授業で子どもを大切にしていることの現れです。先生方のレベルの高さがうかがえます。

子どもたちに「わかった」と聞かないこと、「困ったこと」を聞いて困り感を共有することが安心して話せる授業につながるなど、時間の中でできるだけアドバイスさせていただきました。

授業後、授業者2人と話をさせていただきました。私が指摘するまでもなくT1の授業者はこの授業の課題に気づいていました。しっかり成長しています。ただ、うまく対応できずに修正できなかったのです。これからは受けの技術を磨いていく必要があります。そのためには、子どもの視点で教材や発問を見るということが大切です。子どもはどこでつまずくだろうか、何が壁になるだろうか、発問に対してどのようなことを考えるだろうか。こういったことを事前にしっかり考えることが教師の引き出しを増やし、受けの技術につながっていくのです。また、教科書の記述の意味をしっかりと考えておくことも大切です。もう一度教科の内容をしっかり勉強し直す時であることも伝えました。
もう一つ伝えたのが、できる子どもが退屈しだしていることの危険性です。学級を崩すのは、大抵はこういう子どもたちです。今は人間関係がよいので大きな心配はありませんが、一つ崩れだすと一気に崩壊する危険性もあります。より高い課題に挑戦し、できる子どもと困っている子どもをつなぎながら、一人ひとりが進歩していくような授業を目指してほしいとお話しました。
何年にもわたってつきあってきた先生です。着実に進歩していることをとてもうれしく思いました。これからの課題は、時間をかけてクリアしていくものです。休まずに一歩ずつ前進してほしいと思います。

研修を担当している教務主任が、先生方のよりよい学びを常に目指していることが色々な場面で伝わってきます。自分のなすべきことを常に意識しているその姿は、他の先生方にきっとよい影響を与えてくれることと思います。この日も本当に学びの多い1日でした。先生方に感謝です。

素直な先生方から元気をいただく

昨日は、小規模な小学校の現職教育に参加しました。学校全体を1時間参観し、その後6年生の研究授業を参観しました。

全体を通して感じたことは、教師の指示が多いことです。子どもたちは教師の指示によく従います。少人数なので指示や注意が届きやすいこと、また教師が個別に子どもと接触する時間が多く取れるため教師と子どもの人間関係がよいことがその要因でしょう。ところが、意外と集中力が続きません。理解できない子どもがいても個別に何度も説明できるので、教師の説明が中心となる授業スタイルになっているため、受け身の時間が多くなるからです。教師は目が届くので、集中力を失くした子どもに気づきます。ここで声をかければ集中力は一時的に戻るので、授業は崩れません。ますます教師の指示や注意が増えてしまい、結果として子どもの受け身の時間が増えるという悪循環になってしまいます。
子どもに発言を求め他の子どもにつなぐことや、子どもが活動する時間を増やすことが求められます。しかし、子どもの数が少ないため挙手して答えてくれる子どもは限られてきます。このことも教師の説明が増える要因になっています。正解しか認められないのではなく、安心して間違えられる雰囲気をつくることで発言しやすくすることが大切になります。教師が笑顔で、子どもの考えや困ったことを聞く。考えを学級で共有し、困ったことをみんなで解決する。そういうことを心がけるとよいと思います。

全体を参観する中で、素敵な場面に出会いました。4人しかいない学級で算数のグループ活動をしているときのことです。行き詰っている子どもがいるのですが、授業者はじっと子どもたちのようすを見ています。なかなか動きださないので授業者が子どもたちのところへ行きました。ここで個別に説明を始めるかと思ったのですが、わからない子ども他の子どもをつなぐように働きかけました。わずか4人の学級です。個別指導をしたくなる場面です。ここをぐっとこらえて子ども同士に任せたのです。
後でお聞きしたところ、前回訪問時に私が子ども同士のかかわりが少ないことを指摘したことをきっかけに、子ども同士で聞き合い、教え合うことを大切にしようと意識するようになったということです。とてもうれしいことです。

参観後、一人ひとりとお話する機会をいただいたのですが、先ほどの先生に限らず、どなたも素直に他者の言葉を受け入れる姿勢をお持ちでした。ベテランの方々は自分のスタイルをきちんと持っておられ、学級もきちんと経営できています。それでも話をしていく中で、自らの授業の改善点を見つけられ、こうしていきたいと自分の言葉で語られました。とても前向きです。若手も素直に自分に欠けている点を理解してくれたようです。

授業研究は、資料をもとに意見を書く単元で、学級の友だちが書いた文章のよいところ、改善点をみんなで共有する場面でした。
子どもたちが根拠を持ってグループで話し合えることを目指していることがとてもよくわかる授業構成でした。「資料の使い方のよいところ、改善点を見つける」という課題を提示した後、よいところは「資料を効果的に活用している」と規定しました。この「効果的に活用している」とはどういうことかを全体で共有して、話し合いに移ろうというわけです。ところが子どもたちに問いかけても、一部の子どもが意見を出したあとは深まりません。また、教科書に載っている「活用のしかたについてのまとめ」を以前学習していたため、発表内容は「活用のしかた」に偏っています。時間をかけているうちに、一部の子どもは集中力を失くしていきました。授業者としては、意図的に使った「効果的」に注目させて、そこを深めたかったのですが、子どもたちは気がつきませんでした。
各自が見つけたよいところ、改善点に線を引かせた後でグループでの話し合いをしたのですが、「数字を使っているからよい」「資料を見て感想をいっているからよい」といった根拠を示すにとどまり、深まりません。最後に各グループの代表が発表するのですが、同じような発表が続き、よく聞いてはいましたが、互いの考えがつながるような場面はありませんでした。

子どもたちから出た意見で授業を進めようとする姿勢はとてもよいのですが、教師が意図的にかかわることも大切です。子どもたちから出てきた活用についての意見は、「いつ」勉強した、「どこに」書いてあったかを確認しあって共有化してから打ち切り、「活用についてはわかったけれど、効果的ってどういうこと」と焦点化することで、「効果的」に注目させることができます。ここで、「よくわかる」「使わないときよりも伝わる」といった言葉を引き出せば、「何が」よくわかるから効果的に活用されている、資料を活用することで「何が」よく伝わるかという、根拠の示し方を見つけることにつながっていきます。
また、発表も同じところに注目するグループが多いはずです。代表に順番に発表させるのではなく、まずだれかに発表させ「同じ場所をいいと思った人いる」と問いかけ、他のグループの人にもその理由を聞きます。「他にもいいと思った理由が言える人」「そこに線を引かなかった人は、今の理由を聞いて納得した」とつないでいけば、グループで順番に発表するよりも子どもたちのかかわり合いをつくれます。こうしてすべての意見が出るまで全体で話し合えば、資料のよい活用のしかたを全員で共有できます。こうすれば、次の時間に各自が文章を見直す時の視点をしっかりと持たせることができるはずです。

授業者が授業の目指すところを明確にして取り組んでくれたことで、課題もはっきりしました。参観した先生方にとっても学びの多い授業になりました。
検討会もとても前向きで、この授業のよいところをたくさん見つけ合うことができました。今回は途中から私が口を出してしまいましたが、次回の検討会では互いの意見を自分たちで焦点化できることを目指してほしいと思います。

素直で前向きな先生方からたくさんの元気をいただきました。次回の訪問時にはまた違った子どもの姿、先生の姿を見ることができることと思います。この学校からますます多くのことが学べることと期待しています。次回の訪問もとても楽しみです。

中学校で子どものメッセージを感じる

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。今回は、先生方に授業で子どもたちに何が起こっているかを私の解説とともに見ていただくことが主でした。

この学校の子どもたちは授業に落ち着いて参加し、授業規律もよく守っています。しかし、よく見てみると、黙って授業に集中しているように見えても、ちょっとしたしぐさや態度で色々なメッセージを発しています。そのことをわかってもらうと同時に、この学校の目指す子どもの姿を知ってもらうことを意識しました。

3年生はよい状態でした。1学期と比べて授業に対する集中力が違います。体育大会が終わったあとでも浮つかず、進路実現に向けてのやる気が感じられます。教師による態度の差が少なかったのが印象的でした。

2年生は、授業中に笑顔が多いのが印象的でした。このこと自体はとてもよいのですが、その笑顔の質、現れるタイミングがさまざまでした。多くは教師がしゃべっている時ではなく、ペアやグループで活動しているときでした。子どもたちの関係がよいということです。1学期よりもよいように思えます。しかし、総じて教師の話を聞いているときの集中力が低いのです。また、テンションが高いことも気になります。子ども同士がかかわりあっている場面でも、注意して観察すると授業内容に関係ないことをしゃべっていたりします。どうやら今回の子どもたちの関係は、授業でつくられてきたものではなく、体育大会のような行事でつくられたもののようです(行事でつくる人間関係と授業でつくる人間関係参照)。
そんな中、ある学級の子どもたちの表情がとてもよいことに気づきました。非常に柔らかな表情で授業者の話を聞いています。安心して教室にいられる。授業大好き、先生大好きというメッセージを子どもから感じます。他の時間に見せた姿とは違っています。授業者はその学級の担任だったのですが、子どもたちをしっかりと受け止めているように見えました。学級経営もうまくいっているのでしょう。この学校が目指す子どもの姿の一端を見せていただきました。

1年生のようすには、少々戸惑ってしまいました。小学校でもこの学校の目指す授業と同じ方向性できちんと指導がされてきた子どもたちです。1学期にはうまく中学校生活になじんだと感じていました。ところが、授業中の集中力がおかしいのです。一見話を聞いているように見えるが、姿勢が立ち気味で教師や友だちの話に集中せず、板書を写すことを優先する。教師が立ち位置を移動しても視線が動かない。気になる態度です。ある学級では、子どもたちが集中せずにごそごそしていました。授業者が黒板に向いて板書をしながらしゃべっていたのです。ところが、急に背筋が伸び前を向きました。教師が振り返ったのです。しかし、よいのは姿勢だけで、集中して話を聞いてはいませんでした。このことを他の先生方に話したところ、「自分の授業ではとてもよい子たちだ。指示への対応も素早い」「説明もきちんと聞いていて、作業にもすぐに集中する」と私の見た姿とかなり異なります。子どもたちが教師によって露骨に態度を変えているのかもしれません。話をうかがったのが技能系の教科だったからかもしれません。次回の訪問時には、もう少し細かく見てみたいと思います。

この日、唯一授業アドバイスしたのが初任者の社会科の授業でした。グループ活動とその発表の場面しか見ませんでしたが、とても気になるものでした。「国の成長に何が必要か」ということについてのグループ活動です。子どもたちはグループに1つ用意されたホワイトボードに要素を書き込んでいくのですが、各自が勝手に書きこんでいる姿が目立つのです。友だちの考えを聞いたり、これでよいか吟味をしたりしません。3グループほどが発表したのですが、ただ一方的に要素をあげていくだけです。一人の生徒が、「○○だから△△になって、これとこれが関係するから・・・」とたくさんの要素が必要なことをやや早口で芋づる式に次々説明していきます。発表が終わると自然に拍手が出ました。よい発表だと授業者も評価します。しかし、その内容は一度聞いただけで理解できるようなものではありません。子どもたちは、たくさんのことを一気に発表したことに圧倒されましたが、その内容を理解したわけではないのです。これで次に進んではいけません。どこがすごいか、発表から何がわかったのかを聞いている子どもに問うことが必要です。雰囲気に流されてしまっているのです。
授業者に、「この活動で何を考えてもらいたかったのか」と聞いても、「国の成長に何が必要か」以外に何も出てきません。「人、物、金」といった要素に分かれるとか、上げた要素をもとに考えることはまったく意識にはなかったようです。また、「子どもたちが考えるための材料や根拠は何」と聞いても、「今まで持っている知識」としか答えられません。視点を与える、気づかせるといったことも、全く考えられていませんでした。
子どもたちに授業を通じてどのような向上的変容を期待しているのか、そのために何を必要と考えているのか。このことが意識されていないので、アドバイスもなかなかシャープになりません。何を聞いても抽象的な言葉しか出てきません。表面的にしかとらえてないことがよくわかります。先輩教師は他の学校と比較してもとてもよく面倒を見ています。しかし、なかなか変化は見えてこないようです。彼らと協力しながら、長期的な視点で授業観をどう育てていくかを考えてみようと思います。

授業後、一緒に授業を参観した先生方と懇談しました。この日はベテランが多かったのですが、「自分の授業でも同じことが起こっているのではないかと気になった。次の時間は子どもを意識して見た」「次の時間、笑顔を意識したら教室の雰囲気が柔らかくなった」「学級全体が見える位置から子どもを見ると、背中の傾き具合から集中度がよくわかった。集中度が落ちてきたら作業を止めるように心がけた」とすぐにこの日気づいたこと、学んだことを自分の授業に活かそうとされていました。若い先生よりも素直なぐらいです。ベテランは意識をすれば若い方よりも早く変化していきます。もともと持っているものが多いからです。次回の訪問時に、ベテランの方がどのような授業をされているかとても楽しみです。

この日もたくさんのことに気づき、学ぶことができました。充実した1日をありがとうございました。
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