答辞・送辞の指導で考える

先週末は、答辞と送辞の指導をプロのアナウンサーの方と一緒におこなってきました。昨年までは事前の先生方の指導の質も年々上がってきていて、レベルの高い指導を求められるようになっていました。ところが今年はちょっと様子が違っていました。

原稿をいただいて困惑したのが、答辞が散文詩の形になっていたことです。生徒への指導の前に、このことについて担当の先生方にお話をうかがいました。なかなか本人から、具体的なエピソードや思いが出てこなかったので、このような形式にしたということです。しかし、詩の形式にするとどうしても省略が多くなるため、その場面を知っている者にはわかるのですが、初めて聞く者には何を言っているのかよくわかりません。今から大きく変更するわけにはいきませんが、本番までまだ少し時間があるので修正できるところは手を入れるようにお願いしました。

卒業生代表は、とても素敵な声で読み方も上手でした。しかし、文章中の「誇りに思います」「勇気のいること」といった言葉が具体的にどういうことを指すのかが明確でないので、言葉が浮いてしまいます。その言葉に込める思いを意識して話すようにアドバイスすることで、浮いた感じはなくなったのですが、伝わるとまではいきませんでした。また、倒置法が連の最後に何度か使われています。聞いている方は次にどのような言葉が続くのかと身構えるのですが、違うエピソードに転換されるので、はぐらかされたように感じます。
エピソードも「私」と「仲間」で語られるものと「私たち」と「みんな」のものがあります。意図的であるかどうかは別にして、前者は個人の経験であり、後者はみんなを代表して語っていることでした。しかし、これらすべてを受けての言葉は、私たちを支えてくれた「仲間」です。どう読み分けるのか、どう伝えるのか難しくなります。
上手に読むのですが、どうしても聞く方は話しに入りきることができません。言葉が頭の上を通り過ぎてしまうのです。そのためか、体育館での練習では、体が揺れる癖や足の開き方、姿勢などの些末なことに目がいってしまいます。読み方だけでなく、伝わる文章であることが大きな要素であることがよくわかりました。

送辞の内容は答辞と比べてある意味形式的でよいところもあり、内容ではなく純粋に読み方の指導になりました。まだ練習があまりできていないようで、原稿が入っていません。原稿に目がいってしまい顔が上がらない状態で読んでいます。間が空いてもいいので、目で読んで言葉を頭に入れてから、顔をしっかり上げて声を出すように指導しました。アナウンサーの方から、文の最初の言葉をしっかり出すことも指摘されました。息を吐いている途中でしゃべるのではなく、止めた息を吐くと同時に声を出すという指導は、さすがだと思いました。
句読点の通りに区切って読むことで変なリズムができている、句読点にこだわらず意味のまとまりを意識して読む。全体的に読み方が早い。特に、いくつかの言葉をつながって読むときに早口になってしまうので、ゆっくり読むよう意識する。こういったことを指導していただきました。代表の生徒は少し緊張する性格のようで、特に前半部分に指摘した傾向が強く出ます。後半になって慣れてくるとさほど気にならなくなります。この日の練習でも随分上手くなったので、本番まで練習することできっとよくなることと思います。

今回感じたことは、いろいろな意味で先生方の指導が大切だということです。答辞の内容に関していえば、本人から具体的なエピソードや思いをどう引き出すかといった文章を書くにあたっての指導。また、自分の思いを一方的に伝えるのではなく、聞き手を意識することの指導。送辞に関しては、日程の関係もあり十分にできなかったのでしょうが、人前での基本的な話し方の指導。このようなことです。
今年度は異動もあって、担当は経験の浅い先生方でした。今までの指導法が上手く継承されていなかったことがちょっと残念でした。これを機に、先生方で答辞・送辞の指導のポイントを共有してほしいと思います。また、今回は、話し方以外での指導が多くなったため、プロのアナウンサーの出番が少なかったことももったいないことでした。
2人の代表の生徒はとても素直で、前向きに取り組んでくれました。本番までに練習を重ねて、きっと例年に劣らない素晴らしい答辞と送辞になることと期待しています。
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31