中学校で抱えている課題を伝える

先週、中学校で授業アドバイスと現職教育に参加してきました。

1年生は、授業者によって子どもたちの態度が大きく異なるという状況に変化があまり見られませんでした。というより、同じ学級でこれほど違うかというほどの差が見られます。授業が上手くいっていない場合、その理由の1つは、授業者と子どもたちとの人間関係が上手くいっていないことにあります。子どもたちに受容的な教師が多いため、高圧的で押し付けているように感じさせると子どもたちが反発します。席を立ったり騒いだりするわけではないのですが、教師の話に対して集中しないことで反発を示します。もう1つの理由は、教師の一方的な話が続くことにあります。ずっと受け身の状態になるので、集中力が切れてしまいます。子どもに問いかければ反応し集中が戻るのですが、授業者が受け止めたり取り上げたりしないので、すぐに元の状態に戻ってしまいます。
また、教師の説明の時に髪の毛を触ったりする女子の姿も気になります。授業者に対して「つまらない」「わからない」「参加させて」と訴えているように感じます。それでも板書は写しています。授業に参加する気持ちが全くないわけではないのです。こういう子どもたちを無視せずに、声をかけるといったかかわりを持つようにする必要があるでしょう。

2年生も授業者や場面で異なる姿を見せます。しかし、その様子は1年生とはかなり異なっています。例えば、教師の立ち位置で顔が上がるか、下を向くかが変わったりします。「今は聞き流してもいい」「あっ黒板の前に立った、重要な説明をするからしっかり聞こう」といった判断が働いているのです。状況を読んでいると言ってもいいでしょう。このことをどう評価するか難しいところです。「子どもらしくない、功利的な態度だ」と否定的にとらえるのか、「状況を判断して、力をコントロールするのは成長した証拠だ」と肯定的にとらえるのか、どちらの考え方もあるでしょう。いずれにしても、教師がこうあってほしいという思いを子どもに伝えれば、それに応えてくれるはずです。私には、その場その場で教師が望むことを忠実に写しだす、鏡のように見えます。
子どもとの人間関係の構築に失敗したと感じる若手の教師が若干います。テンションを意味なく上げる雑談をしたりして、一部の子どもとだけ盛り上がり他の子どもが離れていった。表面的には子どもを受容しているようにふるまうのだが、思い通りに子どもが動かないと、表情や対応から子どもを認めていないことが伝わってしまった。こういったことが原因のようです。このことを素直に自分で認めることができれば、変わることができるはずです。気づいてくれることを期待します。

この日見た授業で気になったり、面白いと感じたりした場面をいくつか紹介します。
結果だけが書かれる板書が目につきます。板書を見てもその結論が出てきた根拠がわからないのです。もちろん、何らかの形で根拠が語られているのでしょうが、それがどこにも残っていないのです。根拠が書かれていない板書を写すことで、子どもたちは結果のみが大切だと考えてしまいます。
また、数学で子どもに答を板書させた後の対応が気になりました。答を書いた子どもに一切発言させずに、教師が勝手にその答を判断し、時には修正しながら説明します。しかも根拠は一切書かれません。これでは、子どもに板書させる意味がありません。最初から教師が説明した方が時間の無駄がないだけまだましです。別の教室では子どもの書いた答にただ○をつけるだけの場面がありました。これも子どもに板書させる意味がわかりません。机間指導で全員わかっていると確認できているのなら、あえて板書させる必要はないでしょう。もしわかっていない子どもがいるのであれば、その子がわかるための手立てが必要です。
一方若手の数学の先生の板書が変化し始めました。大切なこと、まとめをわかりやすく色を変えるなどの工夫が出てきたのです。その日の授業で何が大切かをしっかり教材研究しなければできません。当然授業もポイントを押さえたものに変わりつつあります。ただ、まだ思考の過程や大切な根拠が何かは押さえられていません。次の課題でしょう。

TTの机間指導で子どものノートをよく見ている場面がありました。間違いや足りないことを指摘していきます。しかし、ほめる言葉は一言もありません。子どもは間違いをチェックされていると感じます。否定しかない机間指導です。発想を変えて、できていることをほめてほしいと思います。間違いがあれば、「ここまであっているよ」「ここはいいね」と言えば、どこがおかしいか気づきます。子どものやる気を引き出そうとすることが大切です。

ベテランの社会科で、日清戦争後の2枚の風刺画をもとにした授業がとても興味深いものでした。絵の表わしている当時の状況を教科書や資料集の事実と照らし合わせて読み取ろうというものです。かなり高度な内容です。子どもたちはしっかりと考えようとしていますが、一部の子どもしか意見を言うことができません。まず、絵に何が書かれているか全員で共有し、そこからこの絵に描かれた状況はどのようなものかを全体で確認する。それから、その状況は、どんな歴史的事実、状況を表わしているのかを教科書や資料集をもとに考えさせるというスモールステップを踏むとよいと思います。授業者は忙しい立場なので日ごろはなかなか授業について話すことができないのですが、この日は久しぶりにじっくり話し合うことができました。とても楽しい時間を過ごすことができました。

現職教育は、今年度の総括です。最初は、教科ごとのこの1年の実践報告でした。正直教科によって実践の密度は大きく異なっていました。教科全体でテーマを持って取り組んだところ、個人レベルで取り組んだところ、特に何に取り組んだのかよくわからないところといろいろでした。
研修主任からは、子どもたちにこうなってほしいという姿に対して、その姿を実現するための手立てとして何がベストなのかをより深く追究してほしいということが話されました。熱い思いが伝わってきます。

私からは、現在この学校が抱えている課題についてお話しさせていただきました。
1年生、2年生に見られる子どもの姿は、教師が子どもたちに何を望んているかを表わしています。顔を上げて話を聞いてほしいといった授業規律一つ取っても、そのことにこだわり続けた方の教室ではきちんとできています。意識しなくなってしまえば、いつの間にか子どもの姿はバラバラです。教師が望めばできる子どもたちです。逆に言えば、望まなければできないのです。
子どもを受容できる先生が増えています。しかし、挙手に頼る授業が目立ちます。挙手した子どもしか指名しなければ、わかっている子ども、自信のある子どもだけで授業が進んでしまいます。子どもの言葉を引き出す技術が必要です。発言を引き出すためには子どもに自信を持たせることも必要でしょう。机間指導で○をつけたり、「いいね」と声をかけたりするといった方法があります。もっと簡単なのは、間違えても恥ずかしくない雰囲気を教室につくることです。どんな答でも、「なるほど」と認めてもらえる。たとえ間違えても、修正する機会を与えられて、最後は必ずほめられて終わる。このようなことを意識して授業を進めるのです。
子どもの同士の関係は決して悪くはない、というよりかなりよいのです。ペアやグループでの活動もおおむね機能しています。が、かかわれない孤独な子どもも目立ってきています。人間関係の問題なのか、学力的にきびしくて話し合いに参加できないのか、教師はきちんと見極めることが大切です。特に、学力的な問題であれば教師が授業中に個別に対応しすぎないことが大切です。子どもたちが、「あの子は先生が対応してくれるからいい」と思ってしまうと、かかわらなくなってしまうからです。他の子どもとかかわれるように働きかけることが大切です。
子どもが授業に参加できていれば学力がつかなければおかしいはずです。先生方の教科力が問われます。そのためには教材研究が不可欠です。規模の大きい学校です。同じ教科の先生が複数いるのですから、日常的に授業のことを話題にしてほしいと思います。個人商店の集まりにならないように、教科で方向性を持って子どもたちの学力向上に取り組んでほしいと思います。
来年度からやろうでは、なかなか変わることができません。今年度は残りわずかですが、今から変えようとすることが来年度につながります。このことをわかってほしいと思います。

今年度もたくさんのことを学ばせていただきました。子どもたちと先生方に感謝です。ありがたいことに、来年度も授業アドバイスをお願いされました。どのような学びがあるか今からとても楽しみです。
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