研究指定校で授業参観と打ち合わせ

昨日は市の研究指定校になっている中学校で授業参観と打ち合わせをおこなってきました。3年間の研究の2年目です。今年からかかわらせていただくことになり、今回初めての訪問となりました。

研修主任は30代で、とても素直な方でした。自分たちの授業は教師の都合で一方的に教えているだけではないのかと考え、子ども同士が伝え合うような授業を目指したいと考えている方です。
教頭、教務主任、研修主任と一緒に2時間ほど授業のようすを見せていただきました。男子女子がとなり合っていますが、前後は同性です。子どもが相談しようとするとほとんどの場合となり同士ではなく、前後の同性で話し合います。グループもそのまま4人になるので、同性がとなり合います。せっかく4人のグループにしても同性で話してばかりで男女がかかわり合いません。しかし、3年生の家庭科では、4人グループで向き合った男女が話し合っている姿を見ることができました。話し合う必然性のある課題だったとも言えますが、男女が話し合うことを授業者が今まで求めてきた結果なのではないかと思いました。その前の場面からそう考えたのです。グループ活動に入る前に子どものころどんな遊びをしていたか質問しました。授業者は子どもの発言を明るい表情でしっかり受容していたのです。そのため子どもたちがどんどん挙手し積極的に発言していました。この授業者であれば、きっとグループでの話し合いでも男女が話し合うことを求めていたと思えたのです。
また、小学校でそうしてきたのでしょうか、1年生では教師が指導していないのに男女がとなり同士で相談している姿を見ることができました。

学校全体を通じて感じたのは、教師が子どもを見ていない、見守っていないということです。子どもたちのどんな姿を見たいと思っているのかが伝わってきません。子ども一人ひとりが集中しているかどうかといったかとも、気にならないようです。基本的にわかった子どもを指名し、子どもが答えて正解だったら教師が説明する。一方通行の授業です。校内を参観して、子どもの声が聞こえてこないことが印象的でした。

できなかった子どもができるようになるための活動がないことも気になりました。このことが一番よくわかるのは体育の授業です。体育はできる、できないがはっきり見える教科です。ですから体育の教師は子どもができるようになる手段をたくさん持っています。しかし、この日見たバスケットボールの授業は、教師が見本を見せてやってごらんという、ただ活動するだけのものでした。しかも活動している時間よりも待機している時間の方がはるかに長いものでした。どうすればうまくできるのか子どもも教師も意識していない活動です。
体育に限らず、教師が指示をして作業をさせる、形式的に指名し発言させるが子どもの発言にかかわらず教師が一方的に説明して終わる。そのような授業ばかりです。教師が説明すればできるようになるわけではありません。できるようになる過程を意識している教師はほとんどいませんでした。

教科書に載っている用語を子どもに説明させる場面で、友だちの説明を聞いてわからない子どもを助けてあげてという発問ありました。子ども同士をつなぐ発問です。その後の展開が楽しみになってしばらくその教室にとどまりました。しかし、多くの子どもは反応しません、まるで他人事なのです。子どもの関係があまりよくないと感じました。指名された子どもが発表します。続いて今の内容を言うように他の子どもを指名します。つなげようとするものではなく、聞いていなかったお仕置きのようでした。子どもは困りましたが、なんとか自分の言葉で説明をしました。それを受けて教師が「教科書にも載っているが・・・」と説明を始めてしまいました。子どもが他人事だった理由がよくわかりました。助けようとしても、最後は教師が説明するのですから、意味はありません。一生懸命説明した子どもは何だったのでしょうか。よくわからない子に「わかった?」と確認をなぜしないのでしょうか。「助けてくれる?」というのは教師の建前だと子どもは感じてしまいます。
このことに象徴されますが、この学校では子どもの外化に教師が反応しません。ほめる言葉や受容の言葉、うなずくといったしぐさや笑顔がほとんど見られないのが特徴です。一言でいうと「冷たい」授業なのです。子どもは決して悪くはないのです。先ほどの家庭科の授業や1年生の子どもが男女で相談している姿がとてもよいものだったのがその証拠です。素敵な笑顔もありました。しかし、ほとんどの授業でそのよさを顕在化させていないのです。

この日は生徒集会がありました。せっかくの機会なので参加させていただきました。子どもたちのようすはとても面白いものでした。
1年生は集中力があまりありません。頭が揺れる子どもが目立ちます。しかし、うなずいたり、顔をしっかりあげたりと反応があるのも1年生です。この反応が、学年が上がることでなくなってしまっているようです。
2年生は、ただ聞いている形をとっているという印象でした。前で人が話しているときも、交代の間でも姿勢は変わりません。ただ、絶対的に時間が経つことで集中力が落ちて頭が下がる子どもが増えてきました。教師から形を強制されてきたのではないかと感じました。
3年生は、上手に緩むことができていました。前で人が話をしているときとそうでないときで姿勢や集中力にメリハリがあります。いい悪いは別にして、さすがに3年生といったところでしょう。
この生徒集会で1番驚いたことは、生徒会や委員会の代表が壇上で礼をしても、だれ一人礼を返さないことでした。友だちの話にほとんど反応しませんし、終わっても誰も拍手をしません。信じられませんでした。しかも、どうもそのことを先生方はおかしいと思っていないのです。「冷たい」授業と共通するものを感じました。
ちなみに、校長や教務主任が礼をすれば全員ちゃんと礼をします。上下関係の中で強制的にしつけられているということなのでしょう。
各学年で指示をしている先生の言葉づかいも気になります。明らかに上から目線です。こういったことがこの学校の何とも言えない重い雰囲気をつくっているように感じました。

今回は私が感じたことを同行いただいた先生方に率直にお伝えしました。どう感じられたかはわかりませんが、子どもは落ち着いて見えるが決してよい状態ではないことをわかってほしいと思ったからです。

授業後、研修主任と中堅の先生2人で打合せをさせていただきました。この方たちは、この学校の授業を変えたいと思っている方たちです。非常に素直に学ぼうとする姿勢を感じます。私の指摘を、自分のこととして受け止めてくれていることがよくわかります。この学校の授業を変えていく第1歩をどうするかが問題です。研修主任は、まず「子どもを見る」ことから始めたいと考えてくれました。しかし、ただ「見よう」では見ることはできません。見たいものを明確にしなければ、目に入っても認識されないからです。見たい子どもの姿を明確にすることが必要になります。問題はその姿を言葉で伝えても見たことがなければなかなか理解してもらえないことです。実際にこの学校の子どもたちでその姿を見せることが1番の近道です。
次回6月の訪問時には、研修主任自ら授業を見せて検討会をおこなうことになりました。ここで、目指す姿を具体的に提案することで研究を1歩前に進めようというわけです。そのためには、たとえ一瞬でもその目指す姿が現れることが求められます。これから2月足らずの間に子どもたちを変えていかなければなりません。しかし、私は楽観的です。研修主任はとても素直で、今日の授業でも子どもをつなごうと意識して進めていました。打ち合わせに参加してくださった先生方もやる気十分です。彼らが協力して互いに助け合いながら挑戦すれば、子どもたちはきっと応えてくれると思います。何度も言いますが、今までそのように働きかけていないだけで子どもは決して悪くないのです。
この状態から先生と子どもたちがどのように変わっていくのでしょうか。次回からの訪問がとても楽しみです。
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