塾での子どもの姿の変化に考える

先日、塾の経営者とお話する機会がありました。難関大学を目指す高校生対象の塾です。
最近は以前とは生徒の授業に対する考え方が変わってきたということを聞きました。受験には直接関係はないが、教科の内容に付随して視野を広げるような話をしても、反応が薄いというのです。というか、ムダな話はいいから早く試験に出ることを教えてくれという態度なのです。問題の考え方、アプローチの仕方といったことよりも、解き方そのものを知りたがる、知識を広げることよりも、試験に出ることだけをムダなく覚えようとする。そういう傾向が年々強くなっているというのです。

この話には少なからぬショックを受けました。この塾の対象となっている生徒は、学ぶことに前向きで、たとえ受験勉強といえども興味関心を持って取り組んでいたという印象があったからです。受験に必要な情報をお金で買う。そういう消費者的な態度が学力の上位の生徒にも広がってきているということです。では、学力をつけ、自らを高めるために学ぶという層はどこにいったのでしょうか。
試験に出ることだけを覚えればいいという傾向は、推薦入試の増加とも関係しているように思えます。推薦入試での進学を考えている生徒は、学校での定期試験での成績が重要になります。定期試験はその時授業で習った狭い範囲から出題されますので、塾などで対策を立てることで点数を取ることが容易になります。塾に期待するものは、即効性のある定期試験対策になるわけです。

小中学校では子どもたちが興味関心を持ち、自ら学ぶことを大切にした授業に変えていこうという試みが広がっています。また、そうしないと授業が成り立たないという背景もあります。大学も学生にどのような力をつけたのか社会から問われるようになり、授業評価を導入したりして講義の質を変えようとしています。ところが、多くの高等学校はいまだに出口の大学受験を自らの評価としています。希望の大学にできるだけ楽をして効率的に入りたいという生徒の消費者的な態度と相まって、そこでは本来の学ぶということがおざなりにされているのです。推薦入試も受験対策に追われることなく、自ら興味関心を持って意欲的に学ぶ人材を大切にしたいというのが本来の趣旨だと思うのですが、どうもそのようには機能していないようです。入試の内容が変われば高等学校も変わるとよく言われますが、AO入試などの昨今の大学側の入試改革もあまり効果は表れていないようです。

根本的な解決の方法が私にあるわけではありませんが、少なくとも高等学校の教師が子どもたちのこの状態に危機感持つことが必要だと思います。最も身近に接する教師が何とかしようと思わないことには何も変わりません。
かつて教壇に立っていた時、私は子どもたちから見れば自分の思いを繰り返し話す暑苦しい教師だったに違いありません。私が話すことが子どもたちによい影響を与えていたという自信はありません。今なら、もっとうまい方法を考えることもできたでしょう。しかし、そういう思いもなく子どもたちに接するよりは、まだましだったのではないかと思っています。
危機感を持っていても打つ手がないのかもしれません。しかし、子どもたちに学ぶことの大切さを伝えようと努力し工夫を続けることで、ほんの少しかもしれませんが、この状況を変えることができるのではないでしょうか。これは、高等学校に限らず、どの学校にでも当てはまることです。教師が、目指す姿を明確に持って日々子どもたちと接すれば、きっとその姿を見ることができる。そう私は信じています。
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