「自主か強制か」で考える

教師に対して保護者から宿題を出してほしいという要望が上がることがあります。中学校では、毎週課題を課している学校も多いのではないでしょうか。その一方で、学習は自主的にやるものなので、子どもたちに強制的な宿題や課題を出さずに、自分で計画的に学習させるべきだという意見もあります。学校や学年によっては両者の間で熱い議論が交わされることもあるようです。最近身近でもそういう話を聞くことがありました。

自主的に学習するようになるのが理想ですが、ほっておいても自主的に学習する習慣はつきません。どうしても、宿題などで強制する必要があります。しかし、宿題をすることが学習であり、宿題をやったから十分と思うようになる心配があります。学習塾に通っている子どもの中には、勉強は塾でやっているからと家庭ではほとんど学習しない者もたくさんいるようです。自主的に勉強しないのですから、学年が上がっていくにしたがって宿題や課題が増やされることになります。塾だって宿題を課したりします。そうなると宿題や課題をこなすことで精一杯になり、自主的に学習する時間すら無くなってしまいます。悪循環です。学習は課せられたものを受け身でこなすものだと体にしみついてしまい、高校生になっても課題だ、補習だと強制されなければ学習しない子どもができあがるのです。理想とは程遠いことになります。
自主性を重んじる方は、だから宿題や課題を課すことはよくないと言うわけです。しかし、そういってほっておいたり、自分で学習しなさいと言ったりするだけでは、自主的に学習するようにはなりません。ほっておいてもする子はする。個人の問題だと言ってしまうのはあまりにも無責任です。宿題や課題に代わる方法が提示されなければいけません。ほっておいてもする子はなぜ自主的に学習するのでしょう。目的や目標が明確にあるからでしょうか。それとも学習そのものが楽しいからでしょうか。わかる、できるから楽しいのでしょうか。それとも、評価されることがうれしいのでしょうか。こういう仮説を立てながら、そのための方法を具体的にする必要があります。目的意識を持たせるための手立てはとっているのか。授業で学習が楽しくなるような課題を与えているのか。子どもたちに力をつけて問題を解けるようにしているのか。子どもたちの努力や頑張りをほめているのか。そういうことが問われるのです。

自主か強制か、いずれにしても究極は自主的にやれることです。とりあえず目先を何とかするために強制しても、自主というゴールにたどり着く道筋をきちんと見すえないと全く違うところに行ってしまいます。自主という理想を言うだけで歩き出さなければ、いつまでたってもゴールにたどり着くことはできません。自主か強制かという問題に限らず、ゴールにはどうやってたどり着くかという見通しを明確に示した議論が必要なのです。
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