義務教育はただ!?

先日、お母さん方のこんな会話を小耳にはさみました。

「大学の授業料は高いわね」
「入学金も高いわよ」
「小中学校はただなのにね」

大学にお金がかかるというくだりはまだ納得できるのですが、「小中学校はただ」というのはちょっと感覚が違うのではないかと思いました。保護者の負担が原則ないという意味では「ただ」かもしれませんが、莫大な税金が投入されています。教師の給与、建物の減価償却、水道光熱費など諸々を考えると、1校当たり小規模校でも億単位、規模の大きい学校では10億を優に超えるお金がかかります。それだけのお金が義務教育には投入されているのです。
小中学校の保護者は若い世代が多いと思います。払っている税金の額よりも、お子さんに投入されている税金の方が多い方が、多数なのではないでしょうか。未来の社会を担う子どものためにそれだけの投資がされているのです。逆説的に言えば個人の費用で公教育と同程度の教育を受けることはとても難しいということです。私学や高等教育でも税金からの補助金がなければ経営は成り立たないことも知っていてほしいことです。
教育は個人的なものと思われがちですが、社会としての要素がとても大きいのです。そういう意味でも保護者は子どもに義務教育を受けさせる社会的な義務があるのです。

教育は社会的な投資であり、当然ながらお金がかかっている。子どもたちのために保護者に代わって社会が教育の費用を負担している。この当たり前のことをもっと学校はアッピールすべきではないでしょうか。
子どもがふざけて教室の窓ガラスを割っても、義務教育だから金を払う必要がないと主張される保護者もいます。学校が負担すればその分他にしわ寄せがいきます。教師が給食費の滞納家庭に連絡を取ることや、支払のお願いに家庭を訪問することに貴重な時間を費やする。そのためのコストはバカになりません。教師の本来の業務の時間を圧迫しているのです。もちろん家庭の事情もあるかもしれませんが、払えないとはどう見ても思えない方がほとんどです。「払わなくても、食べさせないようなことはしないから大丈夫」といった情報を流している方もいるようです。
もちろんこのような方は一部だとは思います。しかし、教育に大きなコストがかかるということを意識している方は少ないように感じます。

大きな額が投下されているといっても、学校の予算は決して潤沢ではありません。保護者に代わって社会が大きな負担をしていることを認識し、せめて最低限の負担には快く応じていただきたいと思います。お金のことはなかなか言いにくいことかもしれませんが、学校側もこのことをしっかりと伝えることが必要だと、お母さん方の会話を聞いて思いました。
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