「授業から学ぶ」とは

今年度の授業アドバイスは先週で終了しました。おかげさまでたくさんの授業を見る機会をいただきました。授業を見せていただいて気づくことがたくさんあります。毎年延べ数百人の授業を見ていることになりますが、いまだにその学びは尽きることがありません。というか、年々増えているように思います。私が授業から学ぶために、どのようなことを意識しているか少し書かせていただきます。

授業中に教師ばかりを見ていると、授業技術にとらわれてしまいます。説明の仕方、指名の仕方、板書の仕方、机間指導の仕方、・・・。どうしても批評家的に見てしまいます。これではダメだ、こうした方がよい。こんな目で見てしまうのです。もちろん名人・達人級の方の授業では、これは素晴らしい、なるほどこういう対応もあるのかと感動することがたくさんあるのですが、それでも冷静に、ここはこういうことを意図して、こういう技術を使ったのだなと分析していたりしています。私の場合、教師を見ることで学べることは実はあまり多くはないのです。
いつも多くを気づかせてくれるのは子どもです。子どもたちは、興味を持てば、目が輝いてきます。集中した瞬間、学級の空気が変わります。わかった瞬間に、思わず声を出したり、わからなくて頭を抱えたりもします。悲しい、悔しい思いに、時には涙を流すことさえあるのです。そんな教室のドラマから、実にたくさんのことが学べるのです。

同じような授業展開や教師の対応でも、子どものようすや反応は全く違うことがあります。それまでに子どもたちがどのような経験をしていたのか、どれだけ育っていたのか、その背景を想像します。ほんのちょっとした教師の言葉の違いが子どもの動きを変えてしまったのかもしれません。時間を空けて同じ学級をみると、大きくそのようすが変わっていることもあります。きっと子どもを変える何かがあったはずです。それは、何かを探ります。
子どもの姿から、子どもの視点から授業をながめると授業の風景は大きく変わります。教師だけを見ていれば、同じような展開の授業を2度見てもそこで学べることは増えません。しかし、子どもを見れば、必ず違いがあるはずです。逆に違いがなければ、その課題なり、授業の展開なりが本来持っている力だということです。授業を見ただけ学びが増えるのです。

私の若いころは、同僚の授業を見る機会はあまりありませんでした。わずかながらも私が教師として成長できた理由を考えてみると、子どもが私にその姿で大切なことを教えてくれたのだと気づきます。授業中に突然立ち上がり「わからーん」と叫んだ子ども、私の不用意な一言に涙を流した子ども、「よくわかった」と言っていたのに試験はさんざんだった子ども、・・・。その背景、理由を考え、どうすればいいのかを悩んだから、こんな私でも少しは成長し続けることができたのです。

子どもから学ぶ姿勢を持てば、他者の授業を見る機会がなくても、毎日の授業が即、教師としての学びの場に変わります。自分の毎日の授業から学べるのです。ですから、私は若い先生への授業アドバイスを頼まれた時、その先生の授業を見るより先に、まず一緒に他の先生の授業を見に行くのです。教師を見ずに子どもだけを見ます。そこに見える子どもの姿は、教師が日ごろ教壇から見る世界です。その子どもの姿から何がわかるか、何を知らなければいけないのか、それを伝えるのです。

「授業から学ぶ」とは「子どもから学ぶ」と言い変えてもいいと思います。この視点を持つことができれば、どんな授業からも学ぶことができます。子どもの成長を手伝うのが教師の仕事です。その子どもの姿からの学びが多いというのは当たり前のことかもしれません。しかし、そのことに気づいていない先生が多いのもまた事実です。
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