パネルディスカッションから学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」午後の部の「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」をテーマにおこなわれたパネルディスカッションについて書きたいと思います。
堀田龍也先生のコーディネートで有田和正先生、佐藤正寿先生に加えて、前小牧市教育委員会教育長の副島孝先生と私の4人がパネリストです。愛される学校づくり研究会の会員のブログ)にそのようすと素晴らしい考察が書かれていますので、詳しくはぜひそちらをお読みいただくとして、私はそこで特に話題になったことを中心に少し書きたいと思います。

副島先生は、学習指導要領の目標「社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」に照らして、後段部分が多くの授業で意識されていないことを指摘されました。一方両先生の授業が、「6年生最後の授業」ということもあり、共に後段部分を絶対はずさないという強い意志を感じたと続けられます。
佐藤先生の模擬授業では「我が国の国土と歴史」をその前半部分で、「平和で民主的な国家・社会の形成者」を後半部分で意識した授業構成です。一方有田先生の模擬授業では、「平和で民主的な国家・社会の形成者」に向かって知識や資料をもとに子どもたちの考えを深めることに絞っていた。私はそのように考えました。
堀田先生の、「前段と後段の関係は授業ではどう考えたらいいのか」という突っ込みに対して副島先生は、「後段は公民的な資質の基礎」と答えられました。具体的には、知識を習得するだけではなく、「資料や情報を主体的に集め、判断すること」と説明されました。私が指導要領の後段の「平和で民主的な国家・社会の形成者」の部分に注目していたのに対し、それを支える「公民的な資質の基礎」とは何かに着目されていたのです。私は「資料や情報を主体的に集め、判断すること」を「公民的な資質」と特に関連させずに、漠然と社会科、それ以外の教科にも通ずることとしてとらえていました。「公民的な資質」とは何かをもう一度考えるきっかけをいただきました。

お二人の資料の扱い方の違いが話題になりました。副島先生は、「佐藤先生の資料は地図資料が多く、有田先生は地図2枚と表1枚という厳選されたものだった。その違いはテンポの違いとなって表れていた」と分析されました。佐藤先生は、6年生最後の授業ということで指導要領の目標をできるだけ取り入れたかった。それに対して、有田先生はいつものように少ない資料で深く考えさせたかったということです。
それと同時に、子どもの反応に対する受けの技術の大切さも指摘されました。よい資料を使っても、受ける技術がなければ子どもの考えは深まっていかないと有田先生も重ねられます。子どもが考えを深めるためにはじっくりと時間をかけて資料に取り組むことが必要だ。だからこそ、資料は精選する必要がある、いつもの主張です。
資料の扱いについて、皆さんの議論を堀田先生は次のようにまとめられました。
佐藤先生の模擬授業から
・軽重があれば資料の点数は多くてもよい。
・ICTがあればテンポよく提示できる。

有田先生の模擬授業から
・教師の都合で資料を変えない。よく見て考えさせる。
・子どもに見つけさせる、見つける力をつける。

私も資料について発言したのですが、時間の制約もあり十分に伝えることができなかったと思います。補足しながらここで整理したいと思います。
資料の活用には大きく3つの段階があります(資料集をどう活用する参照)。「必要な資料を見つける」「資料を読み取る」「読み取った内容をもとに考える」の3つです。有田先生の授業ではこの3つの段階を意識して、それぞれの力を身に着けさせようとしています。しかし、通常の授業では、いつもこの3段階をすべて子どもに任せるだけの時間の保証はありません。子どもに資料を見つけさせるのではなく、教師が資料を用意し子どもに提示するところから始めることもあるでしょう。与えた資料を教師がわかりやすく解説し、そこからじっくり時間を取って考えを深めさせることも時には必要です。この判断は、子どもがどれだけ育っているかでも異なります。鍛えられた子どもであれば、短時間で3つの段階一気にこなすことができます。資料をもとに考える経験を積んでいない子どもたちであれば、1段階ずつ立ち止まりながら丁寧に進めたり、途中をスキップしたり、時には資料を読み取るための知識を与えたりする必要もあります(資料と知識の関係参照)。佐藤先生はこのことを意識して授業を組み立てられていました。また、有田先生も子どもでは絶対見つけることのできない資料や知識は与えています。お二人とも資料の活用のステップと子どもの能力・状況という2つの軸を考えた授業になっていました。

ICTの活用について、有田先生は、ICTでどう見せるかということよりも資料を読み取る力が大切なのだと主張されます。佐藤先生は、「資料と同じくICTは必要な時に使えばいい。ICTが得意な分野で使う。隠すことは有田先生の得意技ですが、棒グラフを隠して見せるのはパワーポイントで作ったからこそできた隠し技。古い資料もインターネットを使えば手に入れることもできる」とICTのよさを伝えます。
堀田先生は、「ICTは必要な時だけ使えばいい」、問題は「必要な時」の見定めであるとまとめられました。そう、この必要な時をどう見定めるかというのが問題なのです。
そのためには、ICTで何ができる、どんな効果が期待できるかを理解していなければいけません。そして、授業の各場面で何が大切か、何が必要になるのかを考えて、ICTを利用するか、利用するならどう使うのかを考えるのです。
資料の見せ方を一つとって、ICTにはいろんなバリエーションがあります。例えばズームアップで焦点化し子どもを集中させることができます。瞬時に切り替えることで、ムダな時間を省き、授業にリズムが生まれます。リモコンがあると先生は資料の前から離れることができ、その場で資料を切り替えながら子どもとのやり取りに集中できます。もちろん、有田先生のように、しゃべりながらじわっと見せて「何だろう」と思わせるといったアナログならではの見せ方もあります。しかし、ICTを取り入れることでそのバリエーションは圧倒的に増えるのです。小さくて見えにくい資料に対して子どもから「大きくして」と言わせる。「どこ?」「そこ」「そこじゃわからない」と子どもとやり取りしながら、学級全体で注目すべきことを共有化する。こういう使い方もあるのです。
この日の佐藤先生の授業では、今まで学んだ多くのことをもとに「考えさせる」ことをねらっていました。単に1問1答で知識を確認するのではなく、資料をもとに考え、思い出させ、生きた知識にしようとされていました。ICTを活用することで、資料を効率的に利用でき、1時間の授業の中で無理なく知識の確認・復習の時間と考える時間を確保できたのです。

では、今回のテーマである「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」の答はどうなのでしょうか。私の考えを述べたいと思います。
資料をもとにじっくり考えるといった社会科の本質的な授業観はICTを活用するか否かで変わるものではないでしょう。ICTを活用して資料を見つけることはできても、その資料をどう読み取るか、それをもとにどう考えるかということについては、たとえICTに集中させる、資料を焦点化するといった一定の効果があるとしても、授業観を変えるほどの大きな影響力はないと思います。しかし、ICTを使うことにより授業の進め方の選択肢は広がり、自由度は増します。今までとは違った授業の構成をすることや進め方を変えることはできます。1時限の時間制限を考えて、復習は1問1答形式がよいと考えていた方が、ICTを活用することで資料をもとに復習するように変わるといったことは十分あり得ると思います。ICTを使ったからこう授業観が変わるという明確な方向性はないもの、教師の授業観を個々に変える可能性は十分にあると思います。

ところで、副島先生は学校における授業研究のあり方を研究されていますが、その視点で語られたことがあります。そのことについて少し触れたいと思います。副島先生は「名人・達人から個人的に学ぶことは大切だが、学校の授業研究において名人と比べて議論することには疑問を感じる」と言われます。「授業名人がいることが学校にとってはよくないことになることもある」という言葉を以前に何度か聞いたこともあります。その先生の授業はよくても、子どもたちがその授業との比較で他の先生から離れてしまうこともある。学校としてはトータルでマイナスである。みんなが名人になろうとするのではなく、どのような子どもの姿を目指すのか、そのためにどうしていくのがよいのか学校全体で共有することのほうが大切である。そのようなことであったと理解しています。教育長という立場だったからこその視点に、なるほど感心したことを覚えています。
この話と直接関係あるとはいえないのですが、子どもの姿が授業者によって大きく変わる学校に出会うことがあります。特に中学校に多いのですが、今まで、似たり寄ったりの授業だったのが、よい授業を経験するようになるとその授業では真剣に参加するかわりにそうでない授業では今まで以上に参加意欲が落ちてしまうのです。学校としてどう子どもを育てるか、そのためにどうするのかを共有することの大切さがわかります。
このことを含め、「フォーラムで考えたこと」と題してコラムを書かれています。授業に関して教師はどう学んでいけばよいのか、次年度に向けて「愛される学校づくり研究会」に大きな課題をいただいた気がします。

この難しいパネルディスカッションを見事におさめた堀田先生の手腕にはいつもながら感服します。期待通りに、新鮮な視点で私たちをハッとさせてくれる副島先生。いつでもどこでも、たちまちまわりを有田ワールドにしてしまう有田先生。笑顔を絶やさず、しかし、粘り強く、たとえ有田先生といえども主張すべきところは一歩も引かない佐藤先生。こうして振り返ってみると、私はこのパネルディスカッションで役目を果たせたのか、甚だ心もとなくなります。
とはいえ、自分のふがいなさは脇に置いておいて、このパネルディスカッションからはとても多くのことを学べました。会場の皆さんも、楽しく有意義な時間が過ごせたことと思います。盛会の内にフォーラムが終えられたことを参加者、スッタフ、登壇者の皆様に感謝します。

最後に、授業名人有田先生と授業の達人佐藤先生がそれぞれの模擬授業で提案したことを私なりにもう一度整理して、今回のフォーラムに関する日記を終わりたいと思います。

社会科の授業では知識ではなく、その知識をもとに考えることが大切であることを訴えている点では共通です。
有田先生は、学習指導要領の目標がどう変わろうとも、自身の社会科の授業観、子どもが「自ら資料を探し」「読み取り」「考えを深める」という追究の鬼を育てることはいささかも揺るがないでしょう。常に有田先生が目指す社会科の授業をつくり続けられると思います。世の中が変わろうが変わらない社会科の授業、それこそが名人有田先生の授業だと見せつけてくれました。(パネルディスカッションの中で迷い続ける迷人だとおっしゃっていましたが、それは個々の授業をどうつくるかと迷うということで、授業の目指す姿に迷っているわけではないはずです)
一方佐藤先生は、社会科の授業の中で求められるいろいろな要素、知識の習得、復習、資料を探す、読み取る、活用する、コミュニケーション、言語活動などをどのようにして実現していけばよいのか、ICTも駆使しながら提案されたと思います。時代の変化によって、学校現場に要求されることは変化してきます。新しいテクノロジーもどんどん入ってきます。授業の根幹は揺るがないが、変化に対応し常に考え得る最上の授業を追究し、実現しようとする。まさに達人の名にふさわしいと思います。今回の模擬授業では、自然体にこだわりながらも、できるだけ多くの授業技術、ICT活用を盛り込もうとされました。それは、参加者に一つでも吸収してもらいた、参考にしてほしいという願いの表れだと思います。

私の授業はこう考えて、こうつくっていますとすべてオープンに伝える有田先生。しかし、それはどこまで行っても名人有田先生の授業です。
社会科の授業にはこんなやり方もあります。こんな授業はどうですか。その根底には確固たる授業観が流れていますが、より広がりのある、多くの人がまねできるようなものを見せ、伝えてくれた佐藤先生。それは、社会科のテンプレート(ひな形)といってよい授業でした。
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