中学校の授業研究に参加(長文)

中学校で授業研究に参加しました。教員は2時間の研究授業のどちらかに参加して、全体で授業検討をおこないます。

最初の授業は、ベテランの体育の授業でした。2年生の男子のバレーボールの試合形式の練習です。ベテランが率先して授業を公開することはとても素晴らしいことです。
準備運動は体育の係が中心となって進んでいきます。授業者は一切指示しません。子どもたちの声もよく出ています。しかし、注意してみると声が出ていない子どももいます。授業者は、子どもたちが自分たちでちゃんとできるので安心して授業の準備をしています。ある程度できているからこそ、評価する必要があります。毎度のことであっても、評価し、より高いところを目指してほしいのです。「○○君、よく声が出ていたね」「△△君、準備運動しっかりできていたね」と一言声をかけることで、よりよい状態になっていくはずです。
チーム分けは、毎回異なるようにしています。そのため、チーム内での役割を明確にできないという問題があります。逆に固定化しないので、いろいろな子どもとかかわれるというメリットもあります。どちらがよいというより、そのよさをどう活かすかです。
この日の課題は三段攻撃です。どうすればできるのか、そのポイントについてはあまり詳しく説明しません。子どもたち自身で気づいてほしいからでしょう。進め方について説明しますが、子どもたちの顔があまり上がりません。いつもと同じようなやり方であれば、組み合わせ表を貼っておき、チームの代表にチェックさせればいいのです。チームが固定化していいないので、難しいのかもしれませんが・・・。
チームに分かれた後、授業者がゼッケンを分けて各チームに配布します。見学者がいたので、できれば彼に役割として与え、「ありがとう」と言ってあげてほしいと思いました。見学者もできるだけ参加させてほしいのです。
ボールを持って子どもたちがサーブをしようとしているところへ、「足を動かして」と注意をします。動き始めてからでは、届きません。分かれる前にするか、一旦止めることです。
最初2ゲームは、漫然と進んでいきます。まず三段どころか返すのがやっとです。いわんやトスやスパイクを見ることはありませんでした。子どもたちは、三段攻撃を意識していましたが、何がいけなかったのか、どう修正するのかといったことは考えていません。だだ、ゲームをやっているだけなのです。当然互いの声かけもありません。点が取れて歓声を上げたり、おかしなプレーに対して笑い声が上がったりするだけでした。
2ゲームが終わったところで集めます。子どもたちにどうすればよいか問いかけますが、ほとんど意見は出ません。そんなことを考えてプレーしていないからです。何人かの意見を聞きますが、結局教師がまとめて、ビッグボイス、アイコンタクト、スマイルを大切にすることを説明します。コミュニケーション面です。しかし、技術面でも意識させるべきことがあるはずです。
グループごとに工夫して練習する時間を取るのですが、三段攻撃ができるようになる工夫は見られません。ほとんどが円陣を組んでパスの練習をしているだけです。授業者がグループごとにアドバイスをしますが、グループごとの問題というより、全体の問題のように思いました。
ローテンションの位置でセッターを指定する。レシーバーはセッターに返すことを意識する。他のメンバーはレシーバーに体を向けて、素早くフォローできる体制を取る。こういうことを意識させえる必要があります。具体的にすることで、セッターにレシーブが返った、レシーブミスのフォローができたと互いに評価し合えるのです。
ゲームを再開しました、子どもたちのようすはあまり変わりませんでした。声もほとんどでません。待機チームに、何回三段攻撃ができた、レシーブが成功した、トスが上がった、ミスをカバーした、声が出ているかなどをチェックさせて報告させる。ゲームごとに30秒でいいからチームで考える。そういう仕掛けをしないと意識されません。考えさせる場面をつくらなければうまくはなっていきません。子どもたちと授業者の関係は悪くはありません。子ども同士の関係もよいのですが、授業におけるかかわりや学びあいは機能していないようでした。
子ども同士のコミュニケーションを意識した授業だったのですが、指示するだけではうまくいきません。そうする必然性が起こるような仕掛けを工夫してほしいと思いました。

もう一つの授業は、若手による1年生のTTでの数学です。度数分布とヒストグラムの導入です。
この授業の流れが黒板の横に貼ってあります。これがあれば安心して授業に参加できると思ってのことでしょうが、数学は作業ではないので意味がありません。必然性を積み重ねて授業をつくることが必要です。残念ながらこの授業には数学的必然性が全くありませんでした。
指示に対する子どもの動きが遅いように感じました。指示が通っていないのに授業者がしゃべり始めます。紙コプター(細長い紙に縦の切れ目を入れて、広げたもの。クルクル回転しながら落ちていく)の羽の長さが異なるもの用意して、どちらかの滞空時間が長いのかを考えさせます。これは考えることではありません。根拠を持って考えるための知識を子どもたちがもっていないのです。隣の子に声をかけている子がいます。子ども同士の関係は期待できます。しかし、ほとんどの子どもは考えていません。考える必然もないのです。
指名した子どもが理由を聞かれて、「教科書に書いてあった」と答えました。授業者は扱いに困っていましたが、続けて他の子どもに聞きました。考えてといった手前、これで終わらせるわけにはいかないのでしょう。空気抵抗を理由に答えてくれた子どもを、「すごいね」とほめます。よい対応ですが、この場面自体がムダでした。
実際に2つの紙コプターをそれぞれ落として、時間を計りました。どちらの滞空時間が長いか、結果は明らかです。子どもたちに「1回で言えると」揺さぶりますが、「言える」と返ってきます。それ以上揺さぶることができないので、今日の課題はと進めていってしまいました。授業の流れを貼ってあったことと合わせて、授業は子どもたちの都合ではなく、教師の都合で進んでいくものだと言っているようなものです。
その場の思いつきですが、こんな導入を考えました。紙コプターを1つ見せて1度落として見せる。「何秒くらい?」と聞く。子どもに答えさせて、計ってみる。「○○秒で決まり?次は絶対当たる?」と挑発する。もう1度やって、値がばらつくことを確認する。じゃあと言って、もう1つの紙コプターを見せて、さっきのより早く落ちるかどうか子どもたちに問いかけ、「速いと思う人はノートに○、遅いと思う人は×を書いて」と態度を決めさせ挙手させる。1回実験して、「これで決まったね」と言う。子どもから「1回じゃわからない」とでてくれば、あとは簡単です。もしでなければ、「さっきの紙コプターのとき、ばらついたじゃない。ひょっとしたら、今度はものすごく速くなるかもしれない」と揺さぶります。子どもたちから「たくさん計らなければ言えない」という言葉を出して導入は終わりです。どうでしょう、5分はかからないと思います。たくさんのデータがないと結論をだせない場合があることが、統計処理の必然性なのです。
授業者は、教科書の50回のデータをもとに、理由を説明するように指示を出しました。最初に理由を聞いた場面で「空気抵抗」という物理的な理由をほめています。ここは、統計的な「理由」です。この違いを意識していません。発問も変えなければいけません。「このデータを基に・・・と言えそうですか」といった表現でなければいけません。統計的には信頼度などの言葉があるように、ある確率的な幅でしか結論は出せないからです。数学の教師であれば、中学校の教科内容の後ろにある膨大な数学の世界をある程度俯瞰できなければ、教科書の表現や教材の意味も分からないのです。教材研究が必要な理由です。
子どもに発表させますが、よく聞こえません。友だち伝える意思をあまり感じません。子どもに発表させるだけで、それを活かそうとはしないからでしょう。「同じことに気づいた人いる?」「気づかなかった人、本当かどうか確かめて?」と全員に広げなければ、ただ教師に向かって、私はちゃんとやりましたよとアピールする意味しかないのです。50の生データでは、確認するのも大変です。だから、度数分布表の必然性があるのです。度数分布表を使うと、もっとたくさんのことに気づけるとわかって、初めて使う意味が分かるのです。見やすいといっても全く説得力がないのです。
起立して教科書の度数分布表の説明を読ませます。読み終わると着席します。内容理解の確認のために、度数分布表の欄を指して、階級、度数といった用語を確認します。用語を覚えてもその意味を理解しなければなりません。度数分布表は階級の幅の取り方で見え方も変わります。そう言う本質的なことを考える場面がないのです。「以上」「未満」という用語は、それぞれ端の値を含むか、含まないかを確認します。3人ずつ指名するのですが、全員が本当にわかっているかの確認するための活動はありませんでした。
教科書は参考書のように読むことで理解できるようにつくられています。今の教科書はすべての内容を授業で扱う必要がないため、自学自習できることを意識しているからです。だからこそ、授業での活用は、もっとダイナミックなものであってほしいのです。
データから度数分布表をつくる練習をします。最初の階級の度数を全体で調べて、残りを個人作業にします。階級ごとに度数を調べる方法のほかに、データを1つずつチェックしてどの階級に属するか正の字を書く方法もあります。アルゴリズムとしては後者の方が早いはずです。どちらが正しいというわけではありません。子どもに好きにやらせて、それぞれの方法を共有して、どうするとよいか考えさせるといった活動も、視野に入れてほしいと思います。作業ばかりで思考がないのは数学の授業としては少し疑問です。
度数分布表を完成させた後の確認は、各度数を子どもに指で示させます。なかなか全員参加できません。教師はなんとか読み取れますが、子どもたちは全員の手元を見ることができないので全体の結果を知ることはできません。教師のみが常に上から判断するという姿勢に見えます。子どもの意見が分かれたときは、教師が「答は・・・」と正解を発表します。子どもたちは教師の求める答探しをしているだけです。意見が分かれたら、本来はそれぞれが再度確認して自分たちで結論を出せばいいのです。
途中でT1とT2が交代して、ヒストグラムの話になりました。ヒストグラムを見せて、小学校の時にやったことを思い出させます、棒グラフと柱状グラフという言葉が出てきました。柱状グラフという言葉は今後は使わないと説明しますが、棒グラフとの違いは明確にしません。最後までヒストグラムの定義は明確にされませんでした。
結局、授業は作業ばかりで、作業の結果をもとに度数分布表やヒストグラムのよさや必要性を考える場面はありません。子どもたちはまわりと相談することや、グループでの活動はちゃんとできます。しかし、それを活かすような活動がなかったのです。

授業検討会は単発での意見は出ますが、それらが焦点化されていきません。子どもの視点での意見もたくさん出ました。力のある教師がたくさんいます。一方で、その意見に対してうまくかみ合えない方もいます。学校全体で目指す子どもの姿が共有されていないことを感じました。授業観もかなり異なっています。
教師と子どもの人間関係は決して悪くはありません。しかし、授業の中で子ども同士の関係をつくることをもっと意識してほしいと思います。わかっている子どもだけで進む授業ではなく、どの子も参加できる授業を目指してほしいこと、そのためにはつなぐことを意識する必要があることなどを、少し具体的に話させていただきました。

授業検討会の持ち方も課題でしょう。全員での検討会は、視点が明確になっていないとうまくかみ合わなかったり、対立関係をつくったりします。目指す子どもの姿、授業像を共有化し、まずは少人数でじっくり話し合える関係をつくるところから始めるとよいことを教務主任お伝えしました。

検討会終了後、3人の授業者とお話しする時間を設けていただきました。とても素直な方たちでした。
体育のベテランからは、授業をもっとよくしたいという意欲を感じました。子どもとの関係もつくれる方なので、考えさせることを意識させることで大きく授業が変わっていくと思います。
数学の2人は、教科の知識がまだ不足していて、数学の授業観が育っていない状態です。素直でやる気はありますから、どの程度知識が足りないのか、今回の授業では何がいけなかったのかをあえて細かく伝えました。ちょっと打ちのめされたかもしれません。悔しく思ったかもしれません。しかし、きっと素直に受け止め、勉強してくれることと信じています。玉置崇先生の著書「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」(明治図書)(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)を紹介しました。今の彼らに必要なことが詰まっている本です。きっと彼らの力になってくれることと思います。

今回感じたのが、子どもたちと先生方のポテンシャルの高さでした。先生方のベクトルがそろえば、子どもたちが大きく成長する可能性を秘めています。学校の課題として認識していただけることを期待しています。
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