中学校で授業アドバイス(長文)

昨日は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。若手を中心に12人の授業を参観しました。時間の関係で一人当たりに多くの時間が割けなかったことが残念でした。

どの先生も自分の課題を持って授業に取り組んでいました。授業後に話をさせていただいて感じたのが、その課題を解決するための方法を手探りで探しているということでした。互いに聞きあったり、一緒に考えたりすることで糸口が見えそうなことがたくさんあるのですが、一人で壁にぶつかって乗り越えられずにいるのです。共通の課題と思えることもたくさんあるのですが、うまく共有化できていないようです。

共通の課題の一つに「授業規律」の問題があります。「授業規律」というと先生の指示に従う、友だちや先生の話をきちんと聞くといった現象面を意識しがちですが、そもそも何のために必要なのか、共通理解されている必要があります。教師が子どもたちを管理しやすい状態にするためではありません。子どもたちが安心して授業を受けるための環境が「授業規律」です。注意することで規律を維持させようとすると「注意されないようにする」ことに子どもの意識は向きます。そのため、どこまで逸脱が許されるかを子どもたちは探るようになります。厳しく注意する教師とそうでない教師で態度を変えます。もっと言うと、厳しい教師からのストレスを他の教師の授業で発散するのです。同じ学級でも、教師によって、授業の場面によって子どものテンションが高くなる場面がたくさんありました。教師が机間指導で近づくと子どもたちに緊張が走ったり、逆に背後ではざわついたりする場面があります。ムダ話をしているので教師が近づくと、質問したり話しかけたりして上手にはぐらかす子どももいました。教師の顔色をうかがう子どもたちになっていくのです。
「してはいけない」というネガティブで子どもの行動を縛るのではなく、「こうしよう」とポジティブでよい行動を広げるようにすることが大切です。子どもたちがテンションを上げて笑う場面には何度も出会いましたが、穏やかな笑顔で集中して取り組む姿を見ることはありませんでした。このことと無関係ではないように思います。今一度、「授業規律」はどうあるべきかを問い直し、学校全体で発想を変えていく必要を感じました。

また、指示が通るまで待とうとしているのですが、どうしても待ちきれなくて、注意したり、見切り発車してしまったりする場面によく出会いました。ただ待っていては、待たされる子どもたちにとってはムダと思える時間となります。指示にすぐに従わなかった子どもは、それでよいと思います。行動は改まりません。遅い子を注意しても、その子どもだけでなく、他の子どもも「あの子のせいで私たちは待たされた」とネガティブな感情を持ちます。指示が通るのを待たずに「みんなできたね」と進めてしまえば、指示に従わなかった子どもは「自分はみんなの中に入っていないんだ」と疎外感を味わいます。人間関係も悪くなっていきます。
こういう場面では、できるだけポジティブな言葉で、よい行動を促すようにしていくことが大切です。「○○さん、素早く動いてくれたね」「あっ、△△さんも」とよい行動をほめます。このとき、できるだけ固有名詞でほめるようにすることが大切です。「みんな」とほめられても、自分がほめられたとは意識されないからです。それでも、なかなか指示に従えない子どもがいれば、「あと○人だね」と今度は固有名詞を使わずに行動を促します。注意されて行動したのではなく、あくまでも自分で気づいた形にするのです。気づいて指示に従ってくれた時に「□□さんも動いてくれたね。ありがとう」「うれしいな。全員きちんとできたね」とIメッセージでほめます。ここで、「みんな□□さんを待ってくれてありがとう」「□□さん、みんな待っていてくれてよかったね」と自分の行動が他者に影響(迷惑)を与えていることをポジティブな形で知らせます。こうすることで、自然に次は素早く行動しようと思いますし、待っていた大多数の子どもも自分たちのことを先生は見ていて評価してくれているのだと気づきます。子ども同士の関係がよくなってくると、まわりの子どもが声をかけて素早い行動を促してくれるようにもなってきます。そのときは、声をかけた子どもに「ありがとう」と言うだけでなく、声をかけられた子どもにも「よかったね」と声をかけるようにしてほしいと思います。

どの先生も子どもたちを受容することを意識していることを感じました。とてもうれしいことです。ところが、子どもの発信を受容しなければいけないと思うあまり、子どもがちょっと思いついたことや、授業に直接関係ない発言をしても受け止めてしまう場面が目立ちました。教師にかかわってほしい、相手になってほしいという子どもなのでしょう。その子どもと2人だけでしばしキャッチボールが続きます。授業者はその子ばかりを見ているため気づきませんが、「またか」と白けて集中力をなくしている子どもの姿が目に入ってきます。積極的に教師とかかわろうとする子ども、行動面で気になる子どもといった特定の子どもとばかりとかかわり、大多数の子どもとはかかわれていない状態になってしまいます。
授業の内容に関係のある発信であれば、「いいこと言っているね。もったいないからちゃんと手を挙げてみんなに発表しようよ。もう一度みんなに話して」と受け止め、「今の意見どう思った?」と友だちにつなぐことをする必要があります。もし、関係のない話であれば、笑顔を見せたうえで、目でそれとなくたしなめるようにするとよいでしょう。全体の場面では子どもとプライベートな形ではなく、パブリックな形でかかわりを持つようにすることが大切です。もし、プライベートにかかわる必要のある子どもであれば、「あとでね」と個別の活動の時間にかかわってあげればいいのです。

全体会では、授業規律を話題としてこのようなこと伝えました。よい反応をしてくださる先生がたくさんいて心強く感じましたが、ベテランの方の中にはピンときていない方もいるようでした。よい授業規律が保たれている教室での子どもたちの姿を具体的に見ていただかなければ理解いただけないのかもしれません。力不足を感じました。授業規律がよい形で保たれているからこそ見られる集中力と笑顔を、この学校で見られるようにすることが先なのでしょう。私の課題です。

個別には時間があまりなかったため、授業者へはワンポイントのアドバイスになりました。
小学校から初めて中学校に異動になった先生方は、小学校との違いを意識しすぎて苦しんでいるようでした。入試や定期試験のことを考えて、点を取れるようにしなければと、問題を解く手順や試験のための知識を覚えさせることを優先しているように感じました。小学校から中学校へ異動した先生がよく陥ることです。スモールステップで指示しながら解かせたり、教科の本質から離れた細切れの知識を教えたりしている場面に出合いました。
試験も確かに大切かもしれませんが、目先の点数を追っても力はつきません。まず考え、理解するための活動が必要です。小学校と違い授業進度が早いと感じるようですが、だからといって考える活動を省いては意味がありません。小学校では子どもの考えを引き出し、受け止めることを大切にしていたはずです。点数を取るという呪縛から解き放たれて、小学校でのよい経験が中学校でも活かせることに気づいていただけたらと思います。

要約の課題を「中心となる文を見つける」「中心となる文に言葉を付け加える」といった手順を明確にして進めている授業がありました。とかく感覚的になりやすい国語で具体的な手段・方法を示すというのはとてもよいことです。授業は、個人作業に続いてグループで互いの要約を発表し合いましたが、考えは深まっていきませんでした。話し合うための根拠をどこにも求めたらよいかがわかっていないため、発表をするだけで終わってしまうのです。聞きあうことがうまくできずに、テンションが上がっていきます。「中心となる文」が違っていれば要約は当然異なります。また、「中心となる文を見つける」方法がわからずに先に進めない子どももいます。ここでは、結果である要約について話し合うのではなく、まず「中心となる文」は何かを明確にすることが必要です。
たとえば、個人作業の後、「中心となる文」を発表し、どのようにしてその文を選んだのかその方法や根拠を問い、共有します。ここで、対立する考えを焦点化することができれば、それを新たな課題としてグループで考えさせます。こうすることで、話し合いの視点が明確になり、またこの活動を通じて「中心となる文を見つける」方法もわかってきます。
意欲的な取り組みをしたことで、授業者にとって新たな課題も見えてきます。ぜひこの授業をブラッシュアップしていってほしいと思います。

グループでの活動の目標や課題をどのようなものにするか考えさせ、発表させている授業がありました。教師が目標や課題を設定するのではなく、自分たちで考え、工夫させたいという思いがよくわかります。各グループに順番に発表させるのですが、聞いている子どもたちのようすが気になります。最初は顔を発表者に向けて話を聞いていたのですが、しだいに下を向いて聞かなくなっていきます。発表者と授業者だけのやり取りで授業が進んでいき、他の子どもが参加できないからです。授業者は子どもたちの考えを深めさせたいと思い、発表者であるリーダーに問い返したりもしますが、そのグループの子どもさえ他人事のように聞いています。最後は、授業者が課題とすべきことを説明しましたが、そのころには子どもたちの集中力はすっかり切れてしまい、戻ることはありませんでした。
それぞれのグループの考えだとしても、学級全体で共有し他のグループの子どもにも意見を求めたりすることが必要です。他のグループの意見がよいと思えばそれを取り入れさせてもよいでしょう。最終的に教師が目標や課題を示すようなことが続けば、子どもたちは先生の求める答探しをするか、どうせ最後は先生が示すのだからおざなりに取り組むようになってしまいます。子どもたちなりの答を尊重し、自分たちで活動する中で修正するという経験を積ませることを意識してほしいと思います。

製作の実習は、子どもたちがただ作品を完成させることを目標にしているように見えました。同じキットを使うので作品の差が出にくいため、目標設定がしづらいことはわかります。だからこそ、どのような工夫ができるか、どのようにして自分だけものにするのか考え、一人ひとりの目標を明確にすることが求められます。自分だけのこだわりが明確になれば意欲も増します。自己評価もできます。もちろん友だちの評価も受けやすくなります。
また、教室には、「むだ話をしない」「立ち歩かない」といった「べからず」が実習中の注意として貼りだされています。「自分の席で、集中して作業をしよう」とポジティブな表現にしたいところです。それ以上に、各自の目標を明確にし、それを意識して実習に取り組ませるような仕掛けをすることを大切にしてほしいと思います。

目標を明確にして活動することは、英語でも求められます。たとえば、発音練習では、ただ聞いたことをそのままおうむ返しにしても力はつきません。何ができるようになることを目指した活動なのかを明確にして取り組むことが大切です。
ペアでのパート練習でも、互いに自分の担当の英文を言うことで満足しています。言えばよいのですからテンションは上がっていきます。自分の言葉が相手に伝わったか、相手の言葉を受けてどのように答えるのか。頭を使って練習をしてほしいのです。相手の言葉に対して、複数の選択肢から選んで答える。その答によって返答も変わる。そういう仕掛けを組み込んだ活動を工夫してほしいと思います。

子どもたちの興味付けを大切にしようとしている授業のことです。導入に工夫をして実験への意欲づけをするのですが、せっかく意欲を上げようとしているのに、実験の図を板書して子どもに写させます。実験の図を書くことに思考は伴いません。知的興奮を目指しているのに、わざわざ意欲を低下させる無駄な行為です。
手元に図が必要ならば、印刷して配ればよいのです。考えさせるのであれば、仮説を確かめるために、どのような実験をすればよいか考えさせる。時にはグループごとに異なる実験をし、それぞれの実験でわかったことを全体で共有して何が言えるか確かめればよいのです。
導入での意欲づけも大切ですが、子どもたちが考えるためにどのような活動をすればよいかを考えることにもっと力を使ってほしいと思います。

子どもが教師の方を集中して見ている場面に出合いました。とてもよい姿です。子どもたちは授業者に指名してほしくて一生懸命挙手します。授業者は子どもの発表をかならず受容しますので、指名された子どもは満足そうです。ところが、次第に集中力が落ちてきます。知っている子ども、気づいた子どもしか答えられない発問だったため、誰かに言われてしまえばもう発表できません。1問1答が続き活躍できなくなったからです。「同じこと思った人?」と他の子どもとつなぐ。説明を他の子どもにさせる。指名されなくても活躍する機会を与え、参加する意欲を高めることが必要です。授業者は子どもたちを受容できるようになってきたので、つなぐ、広げることを意識してほしいと思います。

ベテランの授業は、さすがといえるものでした。子どもたちは、黙々と作業をしています。指示が明確なので、どの子もよどみなく行動します。指示をすれば全員が行動できるまでちゃんと待っています。しかし、何気ない子どもの行動や表情が気になります。机間指導をしていると、子どもたちの表情がやや硬くなります。逆に死角に位置する子どもたちが緩みます。指示が通るのを待っているときの授業者の表情はやや硬く、子どもたちはチェックされていると感じているように見えました。実物投影機を使っての指示は、教室の後ろに投影し子どもたちを振り向かせます。子どもたちの表情は見えませんが、教師はスクリーンを見ながら子どもたちのようすを同時に見ることができます。これは面白い工夫ですが、子どもたちからは教師の表情が見えません。背後に教師の視線があるからでしょうか、子どもたちの背中には緊張が漂っているように感じました。
また、指示が通るため作業を細かい指示で進めていきます。失敗なく進んでいきますが、子どもたちは考えることしません。力があるからこそ陥る落とし穴のように思いました。いつでも、指示を通す力があるのですから、思い切って子どもたちに考えさせ、任せる場面を多くしてもよいと思います。自分の授業技術をあえて使わない勇気も必要だと思います。

この日の授業参観は、教務主任が同行してくださいました。専門が実技教科ということで、他の先生方の授業については少し引いた位置からかかわられているように感じました。しかし、自分の教科の授業を見る視点はとても確かなものでした。これだけの力があれば、教科を超えてアドバイスもできるはずです。一緒に授業を見ながら、自分の教科での場面に置き換えて考えていただいたところ、とてもよく理解していただけました。これならば適切なアドバイスも期待できます。今回のことをきっかけにし、自分の教科の視点を活かして、積極的に先生方とかかわりアドバイスをしていただけたらと願います。

最初に述べたように、どの先生も手探り状態でなかなか解決の糸口を見いだせていないようでしたが、お話させていただいた後、「明日の授業が楽しみ」「すぐにできるようになるとは思わないが、わくわくしてきた」「いろいろとやってみたいことができた」と前向きな言葉をたくさん聞くことができました。先生方の言葉に私もたくさんの元気をいただきました。
来年度はどのような形でかかわることができるかわかりませんが、先生方の進歩がとても楽しみです。ぜひ授業を見せていただく機会を持ちたいと思っています。
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