小規模校から多くのことを学ぶ(その1)

昨日は、小規模な小学校で授業アドバイスをおこなってきました。全体での授業研究1時間とそれ以外は個別に授業を見てのアドバイスです。

1年生の授業は生活科で、保育園との交流の準備の時間でした。
子どもたちが当日に向かって何を準備するのか、何を決めなければいけないのかを考える場面でした。
子どもたちが当日のプログラムやそのために必要なことを発表し、それが黒板にまとめられています。しかし、出かける前にすべきこと、準備することが出てきません。授業者は「出発する前のこと」を直接子どもに問いかけません。自分で考えさせたいからです。そこで、「もう大丈夫? 交流会ができる?」と揺さぶります。ところが、子どもからは「出発する前のこと」は出てきません。授業者は「なるほど」としっかり受け止めて子どもから出てくるのを待っています。子どもは先生が受け止めてくれるので、安心して自分の考えを何度も発表します。しかし、この日子どもは3人しかいません。なかなか出発前の準備に気づきません。ここが小規模校のつらいところです。授業者は、「じゃあ今からでも出発できる?」と子どもたちを起立させました。子どもたちは立ったまま一生懸命考えています。「動いてもいいんだよ」との声かけで動きが出てきました。何をしようかと考えて「紙芝居」「・・・」と何を持っていくかに気づきました。授業者は、直接答を言ったり、「何を持っていく」というヒントを出したりするのではなく、子どもにその場面を具体的に想像させることで気づかせました。「想像する」という考え方を子どもが獲得することにもつながります。さすがはベテランです。
最後に「よいことを気づいてくれたよね」とまとめていました。子どもたちが笑顔で安心して授業に参加している理由がよくわかります。

授業者との話の中で興味深いことを教えていただきました。他の子どもに「○○しなさい」と気づいたことを指摘する優等生タイプの子どもがインフルエンザで休んでいたそうです。そのためか、この日は子どもたちがいつも以上にのびのびしていたそうです。子ども同士の人間関係は面白いものです。教師が時には子どもの間に入って緊張関係を緩和させるように働くこともこの学級では必要なことのようです。大切な視点をいただきました。
このベテランの授業者は、前向きに授業を変えようとされています。「1ミリでも前進したい」とおっしゃっていました。その言葉に私も元気をいただきました。
最後に質問があると言われました。私の話やアドバイスは教師に対するものなのだが「教師のため」ではなく「子どものため」に聞こえる。どうなのかというのです。ちょっと驚きました。このような質問をされたのは初めてです。この先生も子どもの目線を意識されているのでこのことに気づかれたのでしょう。その通りです。子どもたちに安心して生活できる環境で、よい教育を受けてのびのび育ってほしいから、先生方の成長のお手伝いをするのです。めったにしないのですが、私が教師になった思いを少しだけお話しました。

2年生も生活科で、おもちゃ作りの場面でした。
子どもたちは机を寄せ合ってそれぞれの作品を作っています。授業者も机を子どもたちの机にくっつけて作業を見守っています。このような状況を見ていても学ぶことがないように思えるのですが決してそうではありません。授業者の机の上にはおもちゃが一つ置いてありました。実はこれは授業者が自分で作ってわざと置いてあるのです。子どもの目につくところに置いておいて困っている子どもの参考にするためです。実際に磁石で釣りをするおもちゃがうまくいかない子どもが、それを参考にして磁石のつけ方を工夫したそうです。教師が直接教えたり、指示したりしなくても子どもが自分で気づけるような仕掛けです。
オリンピックの五輪をつくっている男の子に女の子が何か話しかけました。私はよく聞き取れません。男の子もよくわからなかったようで無視しました。そのとき授業者は「なんかいいこと言ってくれたようだよ」と子ども同士をつなぎました。女の子の「マラソンの選手をつくったら」というアドバイスを聞いて、男の子は何かひらめいたようでした。ただ黙って見ているのではなく、必要な場面で必要なことをする。簡単なようですがなかなかできることではありません。子どもたちをしっかり観察しているからできることです。通常の規模の学校では、1つのグループをずっと見ていることはできません。教師のかかわりが必要な場面にうまく居合わせることは稀です。小規模校のよさを活かしたかかわり方を知ることができました。

授業者との話の中でその後のことも聞けました。女の子が割り箸を2本、端と端をつなげってまっすぐな1本の棒をつくったのですが、つなぎ目がぐらぐらして塩梅がよくありません。そのとき、自分の作業をしていた男の子が、端をずらして重なりをつくり、そこをテープで留めるようにアドバイスしたそうです。そのアドバイスを受けて女の子が作り直したところ、満足のいくものになったようです。この一連の子どもたちの動きを授業者は「ラッキーでした」と評価しましたが、決してそうではありません。授業者の細かい配慮とかかわりがこの状況を作り出しているのです。
教師が直接指導するのではなく、子ども同士をつなぐことに徹するようになってから、子ども同士の関係も変わったそうです。教える側、教わる側というでこぼこした関係から、互いの立場が柔軟に入れ替わる、柔らかい関係になったそうです。このことは、この学年だけでなく学校全体で感じることです。先生方の姿勢が変わってきたことの証だと思います。
授業者は私が訪問するたび何か一つ目標を決めて取り組んでいると報告してくれました。今回も目標となることを指示してほしいと頼まれました。「子どもが指示されて取り組むのではなく、何をすればよいか自分で考えて行動するように仕向ける」ことを目標にしていただきました。このような前向きな先生にはなかなか出会えません。しかも、ベテランです。この学校の持つよさをあらためて感じました。

4年生の授業は国語でした。
登場人物の行動の理由を考える場面です。子どもに意見を言わせ、その意見を板書します。子どもにとっては先生が板書してくれることが評価になっているようです。発言が終われば集中力をなくしていきます。友だちの方を見て話を聞いている子どもの態度をほめるのですが、広がりません。ほめたあと子どもが友だちを見るのですが、授業者が板書すると視線がそちらに移ってしまうからです。
時として授業者は子どもが発言している途中でも板書をすることがあります。これでは発言をしている子ども、聞いている子どもの表情や反応を見落としてしまいます。同じ意見の子どもをつなごうと、同じ考えの子どもを続けて発表させますが、その根拠を確認しないのでただ同じ意見が続くだけです。
違う意見を発表しようと何度も手を挙げる子がいるのですが、そのたびに「今は同じ意見だから」と指名してもらえません。その子どもにとっては、その間ただ待たされるだけで、聞く意味がありません。ただ同じ意見を発表させるのではなく、違う意見の子どもも聞く意味のある時間にする必要があります。「どこでわかった」と根拠を聞いて、「納得した?」「なるほどと思った?」とつなげるといった、同じ意見ではない子どもも参加できる工夫がほしいところです。
授業者は、一通りの意見が出あとで、本文から根拠となる記述を見つけ説明するように指示しました。根拠もとに考えを深める場面を後に持ってきたのですが、意見を出させるのに時間をかけすぎてだれてしまいました。

授業者にこの事実をもとに、結果をつなぐだけでなく根拠となる本文の記述をつないで、互いの考えを深めることが必要だったのではないかと話しました。授業者は普段はその場で根拠を聞いているのですが、今回はまず考えを出させて、意見の違いを明確にさせることを優先したようです。そのうえで、根拠を本文に求めて考えを深めるという、今までとは違ったやり方に挑戦したとのことでした。やはり、いつものようなやり方の方がよかったのかと反省していました。なるほど、それならば何をねらっていたのかわかります。反省する必要はありません。新しいことに挑戦したのですから、うまくいかなくても当然です。すぐにやめるのではなく、その失敗から学んでうまくいくように工夫をすればよいのです。そうすることで間口が広がり、子どもへの対応力が増します。
子どもの考えをそれぞれ発表させると微妙に発言の内容が違っているので、対立点を明確にするのが難しいことがあります。根拠もいろいろなので発散してなかなか焦点化ができない時もあります。まず意見を整理してから、どちらが正しいのか根拠をもとにもう一度しっかり考えさせるというやり方もあります。であれば、意見の整理はもっとスピーディーに進めることが必要です。根拠を問わない発言に時間を使うことはムダだからです。次々に指名をして考えを言わせ、授業者は細かく板書をせずに、できるだけ端的な言葉で書き留めます。「あなたの意見を聞かせて?」「それは、黒板のどの意見に近い?」「近い意見がない?」と全員の意見をグルーピングしながら進めます。子どもたちが納得する形で意見をいくつかにまとめ、一人ひとり自分の立ち位置を明確にしたうえで、対立点を明らかにします。その上で本文を根拠に相手を説得することを課題にするのです。説得を意識することで、自分の考えだけでなく相手の考えも考慮するのでより考えが深まります。考えているうちに意見が変わってもよいと伝えておきます。立ち位置を明確にしているので、自分の考えが変わったことも意識しやすくなります。2つの視点を比較しながら議論ができるので、考えが変わった子どもをキーマンとして積極的に取り上げるとよいでしょう。
今回の授業のように、自分のスタイルを崩すような挑戦はより多くのことが学べます。おかげで私も多くのことを気づけました。

この日も、とても多くのことが学べた1日でした。続きは、「小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)」で・・・。
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31