研究発表会で学校の変化から学ぶ

昨日は、小学校の研究発表に参加しました。1年ぶりの訪問です。
まず驚いたのは、子どもたちの雰囲気が大きく変わっていました。落ち着いていて、笑顔もたくさん見ることができました。教室が子どもたちにとって安心できる場所になっています。先生方が目指す授業規律も徹底されてきています。簡単なことのようですが、学校全体となるとそれほど簡単なことではありません。先生方が互いに学び合った時間の積み重ねを感じます。以前は多かった、否定的な言葉や「正解」といった言葉が聞かれません。そのかわり、「なるほど」といった受容的な言葉が増えています。このあたりにも雰囲気がよくなった秘密がありそうです。こういう基本ができてくると、課題もたくさん見えてきます。ここで満足せずに次の課題を意識しないとせっかくの取り組みが活かされません。幸い、ここで研究を終わらずに来年度以降も継続されるようなので、今後の変化がますます楽しみになってきます。私の目に映った課題を少し挙げておきたいと思います。

授業規律は、顔を上げて教師の話を聞く、作業が終わったら静かに待つ、音読では教科書はきちんと立てて持つ、ノートは決められた形式で書くなど、形はかなりできています。授業者によってまだ差はありますが、発表の時に友だちの方を向いている学級もかなりあります。しかし、残念ながらまだ形だけなのです。友だちの方を向いていても、ちゃんと聞けていない子が目立ちます。形ができていることで先生が満足しているからです。指示もよく通るようになっていますが、確認が弱いように感じます。聞いているか、理解しているかを問わないからです。
子どもは教師が求める姿にしかなりません。形から中身へと、先生方の意識を変えることが必要になります。

習得では、フラッシュカードなどを使って全員で大きな声を出させる場面が多いようです。先生は声の大きさで子どもたちの取り組みを評価しています。自信と声の大きさはある程度比例するからです。しかし、注意して見るとテンションを上げて学級を引っぱっている子どもの陰で、口がしっかり開いていない子どももいます。まだ、スクリーンに目がいっている先生もいます。子どもを見ている先生でも、子どもの何を見るかが明確になっていないようです。子どもの状態でリズムを変えたり、一人ひとり指名して確認したりといったことはできていませんでした。子どもを一人ひとり見ることは大きな課題になってくると思います。
また、全員で練習することが多いのですが、活動によってその目標を明確にする必要があります。問題を全員で音読する。国語の教科書を音読する。子どもたちは大きな声を出すことを目標としているのですが、場面によってはもっと大切な目標があるはずです。残念ながら子どもたちのようすからは、それが何かは明確なっていないようでした。一つひとつの活動の意味を問い直すことも課題です。

基本となる知識を早く教えて、定着させて活用する。この方針で取り組んでいます。この考え方は決して間違いではありません。特に算数では問題が解けるという結果に直結させやすいので有効に見えます。そのせいか、公開授業も算数が多いように感じました。しかし、ここでは解き方などの結果だけでなく、考え方も教師が教えています。考え方は教師が説明し、話形で説明練習しただけでは身に着くものではありません。話形で言えれば考え方がわかっているわけではないからです。そのための活動が必要です。残念ながらそれが何かはまだ先生方は意識できていません。板書も結論や結果が中心で、そこに至る過程が残ってはいませんでした。
考え方にも基礎・基本があります。まだまだ結果の定着が中心で、考え方、考える課程を定着させることはこれからの課題でしょう。そのためには、教科の内容をしっかり理解することが必要です。教科書を大切にして取り組んでいますが、教材研究の必要性はますます高くなっています。

活用場面で顕著なのは、習得や定着の場面と違って子どもの挙手が少ないことです。このこと自体は決して悪いことではありませんが、問題はそこですぐに指名して進めてしまうことです。教師は指名した子どもを受け止めることはできていますが、他の子どもが理解したかはきちんと確認できていません。全体に問いかけることはしても、個に確かめることはしていないからです。わかった子ども中心の授業となっています。そして、子どもの発言を受け止めたあとは、知識を教えるときと同じく、ここでも教師が説明を始めてしまいます。このことは、復習の場面でも起こっています。復習ですから、子どもが説明できるはずです。なのに、結果を子どもに言わせたあと、最初に教えたときと同じように教師がまた説明を始めるのです。
しゃべらなくてもよい時にもしゃべりすぎてしまい、結果として子どもの活躍の場を教師が奪ってしまっていることも課題です。

子どもがノートを実物投影機で発表する場面もあるのですが、まだまだ発表の形だけで、本当に伝わったかどうかは確認されていません。教師も発表者に注意がいって、他の子どもたちが理解しているかに意識があまり向いていません。自分の考えではなく友だちの考えを発表するような、「つなぐ」ということが、この学校が次の段階へ進むための大きな壁になるかもしれません。

まだまだ、課題はたくさんあります。わずか1時間の公開授業でたくさんのことが見えてきます。これはこの学校がダメだということではありません。むしろ、素晴らしい進歩をしているということなのです。一度にすべてがよくなるわけではありません。いつも述べているように、できたことがたくさんあるからこそ、できていないことがたくさん見えてくるのです。

こうなると、わずか1年半でこの学校をこのように進歩させた講師の講演が楽しみです。全部で9回訪問されたということです。学校を変えるのにこの回数を多いと思うか少ないと思うかは人それぞれでしょう。私はこの回数で変わったことはすごいことだと思います。その秘密の一端が講演から伝わってきました。

講演は、この学校の実践を通して参加者に伝えられることを実にコンパクトにまとめていました。その見せ方には何か法則がありそうです。
全員がどの教室でもできていることは、そのことを指摘しそのよさを語ります。つぎに、一部の教師しかできていないことは、一部であることにはあまり触れずに、その場面を映像で示し、具体的かつ丁寧に説明されます。講師が教えるという形でなく、仲間のよさという形で伝えます(裏ではその教師を個別に指導していたのかもしれませんが?)。できていない教師にとっては、「おまえはダメだ」と指摘されるとネガティブな気持ちになりますが、このやり方であれば「こうすればいのか」「私もまねしよう」とポジティブになります。こうして、この学校のよいところだけを伝えます。しかし、「課題も明確にして指摘しなければ進歩しないだろう」「こんなレベルで満足していいの」「講師は課題がわかっていないんじゃないの」、そんな風に思われる方もいるかもしれません。そんなことはありません。この学校の課題は、とてもよく理解されています。意識して聞くと、一部の方ができていることを強調することで、その裏にある「できていないこと」が実に見事に浮き上がってきます。講演を聞きながら、私も再度この学校の課題を整理することができました。講師の話したことではなく、話さなかったことがたくさんメモできました。こういうことは非常に稀です。高次元の伝え方を知らされました。
もちろん、表面だけ聞いていれば課題は見えてきません。しかし、そこはぬかりありません。今までどのようなことを指導したという話の中で、さりげなく課題を再度明確に伝えます。できていないことを「課題」と言わずに「指導したこと」と一般論としてさらりと言うところがさすがです。たくさんの指導の中で、活用場面の練り上げを取り上げたところも見事です。そこには、私が気づいたような課題がコンパクトに凝縮されていました。そして、より高みを目指してほしいという気持ちを、他校の例を示すことで伝えました。
上から目線で指導するのではなく、先生方ができたという実感を持ちやすい「形」から入り、できたこと共有化し、根気よく自信を持たせながらここまで来たのだとよくわかります。私も学ばなければいけないことがたくさんありました。いつお会いしても、たくさんのことを学ばせていただけます。感謝です。

この学校がここまで来たのは、外部の指導者や先生方の頑張りだけではありません。管理職の方もここに至るまで意識を変革し、日々先生方の頑張りを支えるように動かれたことと思います。この地区はいくつかの事情もあり、今まで授業研究や研究発表といったことがあまり盛んでありませんでした。その雰囲気を変え、市全体の底上げをしようと教育長、指導主事を始め多くの方が陰になり日向になり研究を支えてこられました。この学校全体でできたことを今度は市全体に広げるのが次のステップです。困難はあるかもしれませんが、きっとよい方向に変わっていくと思います。
もちろん、この学校はこれからも市全体のよいモデルとして進歩してくれることと思います。こまでは比較的早く結果が出せる取り組みが多かったのですが、これからはそうはいきません。今まで以上に地道な努力が求められます。あせらずに、一歩ずつ進み続けてほしいと思います。多くのことを学び、元気をいただいた発表会でした。
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