ワークシートの功罪を考える

中学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は2、3年生の授業での子どもたちの様子を1時間ずつ見ることと、道徳の授業のアドバイスを行いました。

子どもたちはとても落ち着いていて、教師との人間関係も悪くないと思います。しかし、授業は基本的に教師の説明が中心で進んで行きます。大切なところだからマークするようにといった指示が目立ちます。教師が子どもに問いかける場面も見受けられるのですが、一部の反応する子どもとのやり取りだけで、他の子どもは結論を教師が説明するのを待っています。そのため結論やポイントが板書されると話を聞くよりもすぐに写そうとします。一部の例外はありますが、教師に全員参加をさせようという意識が低いように思われました。また、教師の説明は覚えることや答の解説が中心で、考え方や思考の過程を共有する場面はほとんど見られませんでした。
この状況を作っている要因としては、ワークシートの利用があると思います。どの授業も必ずと言っていいほど穴埋めのワークシートを使って進めていきます。子どもたちは、穴が空いていると埋めなくてはいけないと考えます。試験対策のこともあって、穴を埋めることを第一の目的にします。そのため、穴埋めが目的化して、結論に至る思考の過程を意識しなかったり、そもそも自分で考えようとせずに結論だけを得ようとしたりします。一方、教師からすると、穴埋めすることで子どもたちは最低限の参加はしてくれますし、ノートを忘れた子どもがいても、ワークシートはその場で配るので叱らずに授業を進められます。何かと都合がよいのです。子どもが荒れていて授業になかなか参加しないような学校や地区では、このような理由でワークシートが多用される傾向があります。この学校のまわりでは、荒れ気味な学校が多いのかもしれません。
しかし、少なくともこの学校では子どもたちは落ち着いていて、授業に対する姿勢は前向きなのですから、ワークシートに頼る必要性は感じません。子どもたちは、教師が求めればもっと積極的に参加しますし(一部の授業ではそういう姿が見られました)、子どもの考えをつなぐことで(かかわることを求めれば、ちゃんとかかわれていました)より深い学びが実現できるはずです。今の状況で先生方が満足してしまっているように見えることが一番の課題のように思いました。

1年生の道徳の授業は読み物教材を活用するものでした。
授業者は、来年度の道徳の教科化を見据えて、教科書を活用することを意識した授業に挑戦してくれました。今回は教科書の活用を想定して副読本をもとにした授業構成でした。
授業者の範読後、読み物の内容の確認を行います。この授業でもワークシートが登場します。子どもたちはテキストを見ながら穴を埋めます。授業者は「時間がほしい人」と全員に穴埋めを完成させようとしますが、資料の読み取りのために時間をつかうのはムダです。道徳ではできるだけ短い時間で読み取らせる、理解させることが大切です。内容を理解してからが勝負なのです。こういう場面こそ、教師が一方的に説明してほしいと思います。結局、読み取りだけで15分ほども時間を使ってしまいました。
授業者は日ごろ道徳の授業を、自分で資料を探してオリジナルの教材でおこなっています。この日はふだんの道徳の授業と様子が違うので子どもたちが戸惑っていたのでしょうか、積極的に手を挙げて答えてくれる子どもがほとんどいませんでした。また、読み取りの場面などは正解がありそうなので余計に答えにくかったのかもしれません。授業者が整理して板書したことは写す必要がないのにワークシートに書き込みます。ここにもワークシートの弊害が表れているように思いました。
教材は相田みつをさんの息子さんの話で、相田さんが同じことでも異なった見方をする人であったことを子どものころの思い出とともにつづったものです。最後に相田みつをさんの矛盾するかのような2つの言葉が示されます。
授業者は「人の夢をつぶす」「暴力をふるう」人をどう思うと問いかけてから、実はこれはアンパンマンのバイキンマンに対する行為であると、視点の違いを考えさせます。とても面白いのですが、わざわざ読み物と同じ内容の話をもう一度することに意味があるかは疑問でした。また、授業者は「何が大切?どっち?」「共通のキーワードを探して?」といった言葉を発しますが、一つ間違えると正解探しにつながる言葉です。これも、子どもたちの積極的な挙手が少なかった一員でないかと思います。
発言に対して「いいですねー」と反応する場面も目につきました。行動や態度をほめるのならよいのですが、考えや意見に対してこのような言葉を使うと価値の押しつけにつながります。道徳では気を付けたいところです。
グループで考えを聞き合う場面がありましたが、最後にグループで発表させました。グループでの発表にするとどうしても一つにまとめようとする力が働くので、特に道徳では避けたほうがよいでしょう。「どんな考えがでてきた?」「他のグループでは同じような意見はあった?」「あなたはそれをどう思った?」というように、個人の考えを聞き、他とつなぐことを意識するとよいと思います。
また、発表されたことを授業者が板書しましたが、そうすると意見を聞くことよりもワークシートに写すことを優先する子どもが出てきます。こういう場面でもワークシートのありようを考える必要がありそうです。
教科書を想定しなければ、授業者は読み物を使わずに最初からアンパンマンを使って授業を進めたのではないかと思います。教科書を意識することで授業の自由度が狭められてしまったように感じました。教科書を使うと、教科書の内容を教えなければいけないような気持ちになってしまい、その結果、無意識に正解探し、価値観の誘導につながるような展開に陥ってしまうようです。教科書に縛られすぎず、目の前の子どもの状況に応じて、どうやって考えさせる、気づかせるかを考えてほしいと思います。
この授業は教科書を意識すると授業が窮屈なものになる可能性に気づかせてくれました。私にとってもよい学びとなりました。今回授業者が気づいたことを学校全体で共有して、今後の参考にしてほしいと思いました。

この日の見た道徳以外の授業については個別に先生方とはお話ししませんでした。その代りに、ずっと同行して下さった教務主任に時間をかけて私の考えを伝えました。教務主任は私の話を受けて自分の言葉で先生方に伝えようとして下さいました。教務主任が自ら動いて授業を変えていこうとする姿勢は素晴らしいと思います。私が年に数回訪問するだけで学校がよくなるということはまずあり得ません。よい方向に変わっていく学校は、必ず教務主任や教頭などが日常的に先生方にかかわっています。私がこの学校とかかわる機会はあと少しですが、どのように変化していくのか楽しみにしたいと思っています。
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