子どもの言葉を活かすためには、教師が解説をしない

研究指定を受けている中学校で授業アドバイスを行うことになりました。2学期の始めに1回目の訪問をしました。

授業研究に先立って、学校全体の様子を見させていただきました。小規模の学校で、子どもたちの雰囲気はとてもよいように思います。主体的に取り組ませよう、考えさせようという意識は先生方にあるのですが、見せていただいた授業は従来からの知識や解き方を教えて答を求めさせるという進め方です。主体的といっても子どもが単に活動することが中心で、どうすれば子どもたちが考えるのだろうという視点が弱いように思いました。
授業によっては一方的な指示が多く、確認もないので子どもが素早く動くことができません。教師がいつも指示をするのではなく、次に何をすればよいのかを考えさせる時間を取るとよいと思います。一問一答も目につきます。単に知識を問うのではなく、知識をもとに考える場面がほしいのですが、そういう場面が少ないのです。動画を見せる場面では、その内容について先生が説明していました。子どもは単に観客になっています。動画を見た後に何を質問すると事前に伝えることで、子どもはもっと集中すると思います。相談する場面では、テンションの高さが気になりました。子どもたちは授業を楽しんではいますが、学びを楽しんでいるのではないのです。活動を通じて何を学ばせたいのか、どんな見方・考え方を育てたいのかを持って意識してほしいと思いました。

授業研究は1年生の数学でした。1次方程式の応用の場面です。
最初に、「1次方程式と言えば?」と問いかけます。面白い問いかけですが、何を答えればよいのでしょうか。子どもたちはよい表情でしっかりと挙手をしますが、まだ参加する準備ができていない子どもがいます。すぐに指名しましたが、全員が参加できる状態を待ちたいところでした。指名した子どもは「〇x=b」と答えます。授業者は「こっちがbだったら?」と問いかけ、「ax=b」と修正させます。形式的な式にこだわらず、数人を指名する中で、「ax=b」という発言が出てくれば、それを取り上げて最初の子どもに「どう?」と問いかけてもよいでしょう。
1元1次方程式をどのように理解させるのかは意見が分かれますが、「ax=b」とパターン化していることが気になります。教師が求める正解探しから、授業が抜け出せていないようでした。用語にどこまでこだわるかは別として、「未知数(わからない数)が1つ」「未知数の次数は1次」「方程式だから等式なっている」といった言葉を出せたいところです。1元1次方程式が活用できるということは、これらの条件を満たす式で問題の条件が表わせるということです。こういったことを意識させないと、1次方程式の授業だから1次方程式を使うという発想になってしまいます。
この日のめあて「方程式を立てて、問題を解こう」を板書します。方程式を「立てる」という数学用語を使っていますが、定着しているのでしょうか。ちょっと心配です。この日は、方程式を立てることができるのが目標ですから、押さえておきたいところでした。
授業者はMさん(授業者をカリカチュアしたキャラクター?)を登場させます。お約束なのでしょう。子どもたちはよい反応をします。子どもたちを惹きつけるための工夫としてはよいと思いますが、できれば教材の中身で引き付けたいところです。
Mさんは80kgのマントをつけていて、50kgの仮面もつけています。最初の謎解きは、「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さは、Mさん1人分の体重と50kgの仮面を合わせた重さの4倍になった。Mさんの体重は何kgか?」というものです。
授業者はしゃべりながら問題を書きますが、子どもたちは問題を写す方を優先します。そもそも問題を写す意味は何でしょうか。「いいスピードで書けています」と評価して板書を音読させますが、まだ書いている途中の子どももいました。何となくで流すのではなく、全員きちんとできているかどうかを確認してほしいと思います。
問題を提示してすぐに自分で解かせますが、式を「立てる」ためにどのようなことが大切かということを、まず押さえておいて見通しを持たせることが必要です。問題文を書くのに「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さ」と「Mさん1人分の体重と50kgの乾麺を合わせた重さの4倍になった」に線を引き、その間の「は」を〇で囲んでいます。ヒントを授業者が与えるのではなく、ここに自分で注目できる力をつけることが大切です。授業者が誘導しようしていますが、そうではなく、この問題は1元1次方程式で解けそうなのかから考えさせたいところでした。
自分で解いた後、席を立って友だちを見に行くことをさせます。席を立たせると落ち着きを失くしやすいので注意が必要です。また、相談する相手が固定化されて、取り残される子どもが出てくる可能性もあります。そういったことがないように注意が必要です。できれば、今いる席のまわりで誰とでも相談できるようにしたいところです。
机間指導しながら、子どもたちの取り組んでいるノートを撮影します。「言葉の式を書いている人もいます」とノートを写して説明しますが、作業を止めないので、注目しません。一度作業を止めて注目させることが必要でしょう。
式を立てはじめた子どもが増えたところで、「方程式をつくるには何を文字に置くかです」と問いかけます。指名された子どもは「M一人分の体重をxにしました」と答えますが、なぜそうしたかを問い返しません。「同じ所を文字にした人?」と確認しますが、一人を除いて全員が手を挙げました。手を挙げなかった子どもはどうだったのかが気になります。結果ではなく根拠を共有してほしいと思います。また、授業者は黒板にx kgとkgを足しましたが、勝手に修正するのではなく、子どもたちに修正させたいところでした。
絵を描いた子どものノート写しますが、その絵の解説は授業者がします。それでは意味がありません。本人に説明させるか、他の子どもに本人に代わって説明させるといったことが必要です。子どもの考えをもとに進めているように見えますが、結局授業者の都合のよいものだけを拾って、自分で説明している講義型の授業になっているのです。
「は」は「=」と説明しますが、文脈を考えずにパターン化しています。これでは、思考力は育ちません。問題のパターンに応じた解き方を覚えさせているだけです。数学的な見方・考え方、どんな力をつけたいのかをもっと考えて授業を組み立ててほしいと思います。
子どもから「先生、これで合っていますか?」と声が上がります。正解の判定は教師がするものだという考えが子どもたちの根っこにあることがわかります。他の子どもとつなげたり、答が違っている時にどうやって考えればよいかといったことを問いかけたりすることが大事です。意見が違っていることを「いいね」と評価し、「比べながらどこが違うか見てごらん」と解決の方法を教えることが大切です。答が出たら本当に問題の条件を満たしているか確認するといったことも重要です。現実の問題に数学を応用する時は出てきた答が条件のすべて満たしているかを確認することが大切です。ある問題だけ、突然答として適当か確かめようとすることがありますが、そうではなく、いつでも確かめなければいけないのです。
子どもを指名して子どもの言葉で進めようとするのですが、常に授業者が確認、質問し、解説します。結局は教師主導型の授業なのです。
仮面と体重の4倍を4(x+50)ではなく、4x+50としてつまずいた子どもがいますが、「ここがひっかけというか、今回のポイント」とまとめます。この言葉は、問題を解くことは教師の意図を読むこと、教師の求める答探しというヒドゥンカリキュラムです。授業者は無意識で、子どもたちに解き方を教えようとしてコントロールしているのです。子ども同士、教師と子どもの関係はよいので、数学の授業でどんな力をつけるのかということを見直すことで、授業の質は大きく変わるのではないかと思います。

次回以降、具体的な授業改善につなげていきたいと思います。
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