学校全体で子どもたちと教師の関係がよくなっている

前回の日記の続きです。

高校1年生の現代文は、評論の授業でした。
本文を読んで子どもたち自身が出した疑問を、全体の課題として取り組みます。一つひとつの課題に対して子どもたちから答を出させ、それで納得したかを授業者が問いかけます。子どもたちから反対がなければ次に進みます。授業者が正解を言うことや黒板にまとめることはありません。教室の雰囲気はよく、子ども同士が相談する場面では積極的にかかわり合っています。しかし、全体の場面では発言する子どもは限られています。出された意見に対して、他の子どもが自分の考えを付け加えたり、反対したりすることはありませんでした。
授業者は「言葉の意味から考えてくれた」というように、子どもの考えを価値付けすることを意識していますが、意見に対してすぐに価値付けをします。まず、その考え自体を全体で共有しておくことが大切です。考えをしっかり理解しなければ、価値付けしてもそれがどういうことなのかよくわからないからです。
授業者が板書をしないので、友だちの意見を聞いてメモを取っている子どもが何人もいます。板書を写すのではなくメモを取れるということは高度なことです。こういう子どもを全体の場で活躍させることを意識するとよいでしょう。「○○さん、どんなことをメモした?」「どうしてそこをメモしたの?」「△△を納得したんだ」とメモをもとに、意見をつないでいくと面白いでしょう。
「経済」という言葉の意味が問題になっていました。挙手をしていなくても、授業者が指名すると子どもたちが辞書で調べた結果を発表してくれます。この子どもたちであれば、挙手に頼らず指名しても考えを言ってくれると思います。多くの子どもを指名して、発表したことを評価すればもっと積極的に全体の場で意見を言えるようになると思います。
子どもたちの発表は「お金の流れ、物の流れ」というように辞書の内容そのままです。「物の流れってどういうこと?」と子どもたちを揺さぶりながら、自分たちで納得のいく説明ができるようにしたいところでした。
授業後の検討会では、「友だちの考えに子どもたちから反対はでなかったが、本当に理解しているのか確認が必要なのではないか」という意見が出たようです。授業者が板書をして写させるという授業形態であれば気にならないところでしょうが、確かに心配になるのはわかります。子どもたちにまとめさせる場面をつくるとよいでしょう。ICT環境が整備されていれば、数人を選んでスクリーンやディスプレイにまとめたものを映して見せると、友だちのまとめと自分のものを比べることで、しっかりと確認、理解できると思います。授業後に子どもたちのノートを集めて、その中からよいものを選んで印刷して配るという方法もあります。少し内容に不足があるまとめを選んで、こういうことも書くとよいといったコメントを付け加えてから印刷しても面白いと思います。

高校2年生の理科系の数学の時間は、指数方程式の授業でした。
前回に私がアドバイスした、構造化を意識していました。素直にアドバイスを聞こうという姿勢をうれしく思います。「何を意識する?」「ここでどうするといいい?」といった問いかけや考えを整理しようとするのですが、子どもたちが自分で考える時間がありません。間を取らず、すぐに説明します。問いかけに反応できる一部の子ども以外は、結局板書を写すだけになってしまいます。ポイントとなる考え方などは、授業者の口から語られるだけなので、板書には残っていません。多くの子どもは考えることなく、ノートに写すことで正解を受け入れるだけになっていました。
問題を解く視点を与えた後、すぐに説明をするのではなく、そこで見通しを持たせて自力で解く時間を与えることが必要です。子どもたちが、自分で考えた解答に足りない部分を赤で書き込んだり、考え方のポイントや根拠を書き加えたりといった活動ができるとよいでしょう。
全員参加とはどういうことなのかを意識して授業を組み立てることができると、大きく進歩すると思います。

高校3年生の現代文は、物語文の読み取りの授業でした。井上ひさしの「ナイン」が題材です。
授業者が「決勝戦ではどんなことがあったから思い出になっているのか?」と問いかける場面でした。子どもたちは4人のグループで作業をしています。授業者は机間指導しながら、何かしらヒントになりそうなことをしゃべります。正解を出させたいのかもしれませんが、子どもたちの思考にとっては雑音です。子どもたちが課題に取り組めているかどうかを、しっかりと見ることから始める必要があります。また、子どもの書いた物を見て、その場でコメントをしますが、「他の人の考えも見せてもらったら」と他の子どもとのかかわりを促すような働きかけをすることを意識してほしいと思います。
授業者は「シンプルに答のあることなので、聞いていきましょう」と作業を止めて、挙手に頼らず子どもを指名しました。指名された子どもが答えると「いいですねえ」と言って板書をして、自分で解説を始めます。ここで面白いのが、多くの子どもが 板書を見ずに自分のワークシートを見ていたことでした。友だちの意見と同じだったのかもしれません。そのためか、授業者の説明をあまり集中して聞いていませんでした。
この授業者は正解があるという言葉をよく使います。しかし、根拠を説明せずに正解かどうかは常に授業者が判断しています。これでは、子どもたちは授業者の求める答探しをすることになります。正解と言うならば、本文をもとにした客観的な根拠が必要ですが、それが議論されることはありません。なかなか一問一答の答探しの授業から脱却することがでていません。
「この物語を読む上で、なぜこのことが課題になるのだろう?」と問い返したりして、課題を子どもたちにとって必然性のあるものにすることが重要です。子ども自身が疑問を持ち、自ら課題を見つけるといったことや、課題を子どものものとすることを大切にしてほしいと思います。
子どもたちはグループで作業をしながら、時々相談しています。一見するとグループが機能しているように見えますが、4人がかかわり合っているグループはあまりありません。隣同士だけで相談するといった分断された状態でした。なんとなく教室の中を散歩するのではなく、「2人だけでなく、他の人とも相談してごらん」と子ども同士のかかわりを促すことが求められます。
私は見ることができませんでしたが、県の高校野球の参加校の数をグループで考えさせる場面を組み込んで、子どもたちの意欲高める工夫もしていたようです。しかし、考える意味のないことで子どもたちを活性化してもあまり意味はありません。小手先のことに走るのではなく、子どもたちに考えさせることは何かをしっかりと考えて授業を組み立ててほしいと思います。

授業検討会では、以前と比べて子どもたちがどうであったかがよく話題になっていたように思います。子どもの発言やかかわり合いが大切であるという授業観が先生方に浸透してきたように思います。
社会科では、この日の授業でICT機器を活用するにはどうすればよいのだろうかということが話題になっていました。今後の1人1台環境を意識してのことでしょう。こういった環境の変化を先生方が前向きにとらえてくれていることをうれしく思いました。

私からは、こういった提案性のある授業を見合うことができることが素晴らしいことであることを、まずお話ししました。互いに質の高い授業を見合うことで、授業改善は進んで行きます。そして、こういった提案性のある授業が成立するのは、先生方と子どもたちの関係がよい状態であることがその前提にあることを強調しました。関係ができていなければ、どんなよい教材や発問を準備しても授業は成り立たないからです。この関係のよさは授業者と子どもたちだけのものではありません。多くの参観者がいる状態で子どもたちが緊張せず、のびのびと授業を受けることはできるのは、参観している先生との関係もよいからなのです。学校全体で先生と子どものよい関係がつくられているのです。
そして、次の課題として、授業者と発表する子どもとのやり取りだけで授業が進んでいることを示しました。子どもたちの発言を受けて、授業者がすぐに説明するというパターンが多いのです。発表者もそれを聞いている子どもも、友だちではなく授業者の方を見ていることがその表れの一つです。子どもの意見を他の子どもにつなぐことや、出てきた意見を焦点化して子どもたちに再び考えさせることで深めるといったことを意識してほしいと思います。
3年前と比べると、研修に参加する先生方の姿勢も大きく変わってきたように思います。授業改善への手ごたえを大きく感じさせられる先生方の姿でした。

この日も中学校の改革に関して、先生方が相談に来てくださいました。評価の方法について、具体的などのようにしていくとよいかということでした。知識的なことについては小テストですませて、定期テストでは思考力を測るという方向で考えられていました。私からは、これまでの考えにとらわれず、情報を与えてその情報から課題を見つけたり、課題を解決する方法を答えたりするといった問題を試験に組み込んではどうかとアドバイスしました。これまでの思考の枠をちょっと取り払うと、新しいものが見えてきます。今後、具体的にどのようなものが出てくるかとても楽しみです。
訪問するたびに新たな課題に関する相談をしていただけます。私自身にも大きな刺激になっています。よい学びの機会をいただいています。
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