次回の変化を楽しみにしたい授業

昨日は、中学校で授業アドバイスを行ってきました。

若手4人の授業を参観しました。この学校全体的に言えることではありますが、4人に共通しているのは先生がしゃべりすぎることでした。

講師の先生の2年生の社会科の授業は江戸時代の幕藩体制についての学習でした、授業を見て感じたのは授業者が何を目指して授業をしているのか、社会科の教師として子どもたちにどうなってほしいと思っているのかよくわからないことでした。「誰が江戸幕府を開いた?」「その趨勢を決めた戦いは何?」と復習しますが、数人が挙手するとすぐ指名して、はい正解ですと一問一答で説明をします。すべてが、この調子です。挙手するのは歴史が好きな一部の子どもだけで、常にこの子どもたちが答えます。
黒板に穴埋めの短い文を書き、その○の数に合う言葉を入れさせます。子どもたちは、ひたすらそれを写すだけです。授業者は黒板にばかり向かっていて、子どもたちをほとんど見ません。全体に対して話をしている時にも視線が下に落ちません。虚空を見てしゃべっているのです。子どもたちはよく耐えています。落ち着いている学校だからよいですが、ちょっと元気のよい学校だったら授業にならない可能性があります。
速く写せた人のため、復習の問題を一問一答で行います。多くの子どもは置いてきぼりで、歴史の好きな子どもとだけクイズ合戦をしているようなものです。
最後に、教科書を読ませながらここが大切だと用語に線を引かせて終わりました。
子どもたちはこの授業で何を学んだのでしょうか。何も考えることなく時間だけが過ぎていきました。授業者にはこれは授業ではないと厳しく伝えました。もう一度原点に戻って、何のために教壇に立っているのか自分に問いかけてほしいと思います。
次回訪問時に変化していることを期待します。

若手の2年生の理科の授業は、化合物の学習でした。
最初に20〜30問ほどの原子記号の小テストを行います。一部の子どもたちは問題配布前にしつこく教科書を見ていて注意をされました。また、採点は隣同士で行います。休みの子どもがいれば3人で交換するように指示しますが、ぐずぐずしてなかなかきちんとできません。先ほどの社会科の授業の後だったのですが、子どもたちが少し活動的になっています。決して授業を乱そうというのではありません。楽しそうに授業者とやりとりをしているところを見ると、授業者との人間関係は悪くないと思います。というより、この先生のことを好きなのだ思います。ただ、子どもたちは先生がどこまで許すのかを探っているようです。ちょっと強く指示をすればすぐに落ち着きます。基本的な活動のルールを決めて、それをきちんと守らせるようにすればよいだけです。小テストであれば先生が問題を配り始める前に、机の上は筆記用具だけにする。採点は隣同士交換で、休みの場合は3人で左(右)まわりに回すといったものです。きちんとできている人をほめながら徹底しておけば、子どもたちも余計なことをしません。ムダな時間が省けます。
問題を解く時間が少し長いように感じました。原子記号の問題なので、単なる知識です。考えて何とかなるものではありませんし、一生懸命思い出すことよりも忘れたものはまた覚えるようにすればよいのです。
解答を黒板に書きながら説明しますが、これにも時間がかかります。ICTを使って正解を黒板に映してポイントだけを説明したり、ちょっと面倒ですが解答を配って採点させたりすればよいと思います。
結局この小テストに25分もかけてしまいましたが、10分以内に終わらせたいところでした。
混合物、化合物、単体といった用語の確認を行います。授業者は子どもにたくさん発言させたいと思っているようですが、時間が足りなくなったせいか、一人に発言させるとすぐに自分で説明をしてしまいます。
いろいろな物を混合物、化合物、単体に分類して、化学式を書くワークシートを配り解かせます。中には、砂糖水の砂糖のように化学式を習っていないものも混ぜています。もちろん既存の知識や根拠をもとに解ける問題もたくさんあります。大切なことは答を知ることではなくどうやってそこにたどり着くかの過程や根拠ですが、そこが明確になっていません。
混合物、化合物、単体の定義は先ほど口頭で復習しましたが、これが根拠になるのですから、ノートや板書で確認して、明確にしておくことが必要だったと思います。
結局子どもたちから根拠を聞くことなく、1問1答で授業者が説明することになってしまいました。そうなると、子どもたちは最終的には授業者が教えてくれるので、真剣に取り組まなくても困りません。また、問題を解く過程を意識して価値付けすることがないので、正解かどうかばかりを気にする子どもに育ってしまう危険性があります。
混合物かどうかの根拠を説明させ、物質の化学式については(この時点では自分で作ることのできない知識なので)どうやって見つけた、どこに書いてあったといったことを全体で共有することが必要でした。
授業者は、子どもたちでは説明が難しそうなことは、どうしても自分で説明してしまいますが、そうではなく、子どもたちから説明が出てくるような工夫をしてほしいと思います。例えば、答の確認はグループでさせてもよいと思います。その後全体で、「大丈夫、みんな納得できた?」「自信がないところや、不安なところはない?」と聞くのです。子どもたちは、授業者が答を教えないと、わからないところや不安なところは確認したいと思うはずです。「同じところで困ったグループある?」「自信のあるグループはある?」「自信があるの?みんなが納得する説明してくれる?」とつなぐことで、子どもたち自身で考えて根拠を共有できると思います。
最後に残った問題を宿題にしようとしましたが、子どもたちからいろいろと言われ、問題数を減らす形で譲歩しました。子どもたちはこういう経験をすると、とりあえず自分たちに都合のいいことを言うようになります。こういう場面では、毅然としてダメと言えることが大切です。ここでも、子どもたちは先生がどこまで許すかを探っているのです。
授業をよくしたいという意欲のある方です。アドバイスも素直に聞いていただけました。次回、授業がどのように変化するかとても楽しみです。

この続きは次回の日記で。
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