多様な価値観に触れて自分の考えを深める道徳

昨日の日記の続きです。

3年生の道徳は子どもたちの考えを聞く場面でした。
この日の教材は、「大事に貯めていたお金とお祭りのためにもらったお小遣いでサッカーボールを買おうとしていた主人公が、友だちと祭りに出かけて予定のお金を使い切ります。これ以上お金を使うとサッカーボールが買えなくなるのですが、もう少しで景品が取れそうだから輪投げをもっとやろうと友だちに誘われ、どうしようかと葛藤する」というものです。

自分なら輪投げをやるかやらないかを子どもたちが答えているところから参観しました。
持っている3,000円を全部使っちゃうという意見が出ます。授業者は何のためのお金かを確認し、それでも使うかを問いかけます。「3,000円なくなるまでやる?」とたずねますが、それに対して「やる!」とはっきりと答えました。ここで気になるのが子どもたちの聞く態度です。今一つ集中していません。友だちが発表している間も手を挙げ続けている子どもも目立ちます。自分が発表したいばかりで友だちの考えを聞こうという姿勢が育っていません。
次に指名した子どもはサッカーボールを買えなくなるからやらないと答えます。すかさず「サッカーボールを買いたいから、やらないんだね」と授業者が理由を復唱します。「サッカーボール買えなくなるけどいいの?」とやると言っている子どもに問いかけます。「サッカーボールはいつかボロボロになる」という答に「6年は持つよ」「3年は持つ」といった声が上がります。その一方で全く反応しない子どもも目立ちます。授業者は発表している子どもばかりを見ていて、他の子どもの様子が見えていないようです。一部の子どもだけで話が進んでいます。
授業者は子どもたちを揺さぶろうとしていますが、子どもたちの考えは揺らぎません。その理由の一つとして、子どもたちがサッカーボールをどうしても欲しいものと思っていないことがあるように思います。「長い間ほしいと思って頑張って貯めていた」というところの押さえが甘かったのかもしれません。子どもたちに、どうしても欲しいけれどなかなか買ってもらえないものがあるかどうか聞いてもよかったでしょう。
祭りは年に一回だけど、サッカーボールはお母さんに買ってもらえばいいという意見が出ます。授業者が買ってもらえなかったから頑張って貯金したことを指摘しますが、授業者が反論するのではなく、「今の意見どう思う?」と子どもたちに指摘させるとよいと思います。授業者の揺さぶりや指摘はどうしても子どもたちをやらない方向に誘導しているように見えます。どれかが正解ではなく、子どもたちが多様な価値観の中で自分の考えを深めていけばよいのです。

結局子どもたちは、自分の考えを主張しどちらがよいかという勝ち負けを競うような議論になっていきました。そうではなく、友だちの考えを聞いてなるほどと思ったこと、意見が変わったこと、意見が変わらなかったこと、それぞれの考えを共有して、もう一度自分はどうするのかを振り返ることが大切です。

道徳では、1時間の授業で大きく変容することを期待するのではなく、多様な考えに触れながら、時間をかけて少しずつ子どもたちの考えが深まり、成長することを意識するとよいと思います。

この続きは次回以降の日記で。
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