自分に引き寄せて考える道徳

以前の日記の続きです。

6年生の道徳は大きな木という絵本を使った授業でした。
少年と大きな木のお話です。少年は大きな木が大好きで、大きな木も少年のことが大好きです。しかし、少年は成長と共にだんだん大きな木に会いに行かなくなり、たまに会ってもお金が必要だ、家が必要と願い事ばかりします。大きな木は大好きな少年に、お金にするために実を与え、家の材料にと自分の枝を与えます。最後に少年は外の世界に出ていくための船を望みます。大きな木は自分の幹を船の材料として与え何もなくなってしまいます。そして、少年はその船に乗って出っていってしまい、大きな木は独りぼっちになります。

ここまでを読んで、大きな木は幸せかと問いかけます。子どもたちは自分の考えを赤白帽で表示し、4人のグループで話し合います。帽子の色は赤白相半ばしています。子どもたちの実態に合ったよい教材だということです。子どもたちは、一生懸命自分の考えを友だちに説明しています。話をしていて考えが変わった子どもはその時点で帽子の色を変えます。子ども考えの変化を見える化するよい方法です。活発でよい場面なのですが、子どもたちのテンションが高いことが気になります。相手を説得しようと、話している子どもの声が大きくなっているのです。友だちの話を納得することを中心にしたいところです。「意見が変わらなくてもいいので、考えを聞いてなるほど思ったことを後で発表してもらうね」といった指示をしてもよかったかもしれません。その上で、「なるほどと思って意見が変わった」「なるほどと思ったけれど、意見は変わらなかった」といったことを聞いていくのです。

グループで話し合った後、木が幸せだったという子どもが増えているようです。授業者は、幸せだったという子どもの意見から聞いていきます。発表を聞いている子どもたちはよい表情で発表者の方を向き、自分の意見に近かったり、納得したりするとうなずいて反応しています。よい授業規律の中で子ども同士の関係がよいことがわかります。授業者は数人指名した後、友だちの話に反応していた子どもを指名します。子どもたちをよく見ています。

ここで授業者はもう一度グループで少し話をさせます。子どもたちは友だちの意見をしっかり聞いていて思うところがあるのでしょう。すぐに口を開きます。少し時間を取った後、今度は幸せでないという子どもの考えを聞きます。
先ほどでてきた、自分の体の一部である船を見てきっと思い出してくれるから幸せという意見を受けて、「だけれどももう遠くに行ってしまって会えないし、自分にはもう何もないから助けてあげることもできないから帰ってこないし、さびしい気持ちになるから幸せじゃない」という意見が出てきます。子どもから「うーん」という声が聞こえてきます。授業者は続けて幸せじゃないという他の子どもを指名しましたが、「うーん」という反応を拾って、どういうことかと聞くことで考えをつないでみても面白いと思いました。
次に指名された子どもは、先ほどの意見に、たとえ帰って来ても金をくれみたいなことだったら嫌だと付け足します。先ほど発表した子どもは大きくうなずいています。続いて、「お金は使ってしまっているし、家ももう無くなっているだろう。船ももう使っていないだろうから、何も残っていないはずだ。だから幸せでない」という意見が出てきました。子どもたちから「すげー」という声が上がります。そこで子どもたちに動きが起きます。まわりの子どもに話しかける子どもが出てきました。授業者はそのまま子どもたちに話を続けさせました。よい判断です。

少し間を取った後、指名して発表します。ここまで挙手による指名はほとんどありませんが、どの子どももしっかりと自分の意見を言ってくれます。「自分があげたものが無くなっても、それで少年が幸せになったのだから、木は幸せ」という意見のあと、授業者は木の少年への行為を一つずつ示しながら、その時木は幸せだったかを確認します。「最後に何も無くなっちゃって、そこまでしてそれでも本当に幸せ?」と揺さぶります。子どもたちは、一瞬沈黙して考え込みます。2人の子どもが手を挙げますが、授業者は「どう?」とみんなに考えを続けるように求めます。手を挙げた子どもも授業者の意図を察して手を下ろします。子どもたちと授業者の関係のよさが見てとれます。

「100%幸せと言える?」とさらに言葉を足すと、子どもたちに変化が見られます。よい揺さぶりだと思います。「幸せってどんな時?幸せな顔をして」と子どもたちに表情をつくらせると、すぐに反応してくれます。続いて、「今、木はそういう顔をしている?」と問いかけます。「してない」と声が上がります。授業者は「何で?」「じゃあ、幸せでないの?」と返します。子どもたちは、もう一度考えています。幸せ、幸せでない、挙手した子ども1人ずつに発表させます。それを聞いて子どもたちはまた考えています。
子どもたちの表情や態度は授業者の揺さぶりや友だちの発言で変化しています。ここは、子どもたち自身に結論を出させることよりも、そういった反応をとらえて、「今、どんなことを考えている?」と子どもたちの迷いを共有するとよいと思います。

授業者は全体に問いかけながら考えさせようとしていきますが、特定の子どもとのやりとりになっていきます。友だちの意見に反応する子どももいますので、特定の子どもばかりでなく、反応する子どもの考えを聞きたいところでした。
子どもたちは、最初は大きな木が幸せかどうかを客観的に考えていましたが、次第に自分のこととして考え始めていまので、ストレートに「じゃあ、あなたなら『ああ、幸せ!』と思う?」と聞いて、ドンドン発表させてもよかったかもしれません。

最後に、お話の結末を読みます。子どもたちはしっかりと集中しています。
ずいぶん時間が経って、年老いた少年が戻ってきます。子どもたちがそれを聞いて「戻ってきたんだ」「よく戻ってこれたな」と反応します。自分のこととして聞いているのでしょう。
木は少年にあげられるものは何も残っていないと言いますが、少年は「もう何も必要でない。最後に腰を下ろして休める静かな場所があればいい」と答えます。それならばと、木は切り株となった自分に座って休むように言います。少年は木に腰をかけ、木は幸せでした。
子どもたちは、最後は身じろぎもせず話を聞き、聞き終るとほっとした表情をします。どの子どもも木が幸せになったことを喜んでいました。子どもたちが木に寄り添って考えていたことがわかります。教材のよさもありますが、しっかりと教材研究をして、子どもたちが考える時間を多くとっていることが大きな要因だと思います。

ただ、少年が戻ってきて木が幸せになってよかったという結末で納得するのではなく、幸せとは何かについてもう少し深く考えさせたいところでした。
木の気持ちをもっと自分に引き寄せさせて、同じ状況を幸せと感じる人もいれば、感じない人もいることを明確にするのです。世間的な幸せではなく、自分にとっての幸せを何だろうと考え、それを求めることを意識させることができればもっとよかったように思います。
授業者は、この数年大きく成長しています。謙虚に他者の意見を受け止め、授業改善を続けています。私も多くのことを学ばせてもらっています。これからもきっと大きく成長すると思います。今後がとても楽しみです。

この続きは明日の日記で。
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