深く考える道徳(長文)

前回の日記の続きは次回以降に更新します。
先週に訪問した小学校の話です。3年生の道徳での授業研究の助言者を務めました。

授業者は今年異動してきたベテランの方です。優しい笑顔で子どもたちをしっかりと受容できる方です。はじめの挨拶がきちんとできていない子どもがいれば、やり直させます。返事ができなければ、返事をするまで名前を呼びます。授業規律を意識されていることがよくわかりました。

この日の授業は、命を大切にすることがテーマです。小学校3年生にとっては難しい内容ですが、難病のため長期入院していた同年代の子どもの詩を元に考えさせます。
詩を全員に配った後、授業者がていねいに朗読します。その時、子どもたちがずっと下を向いているのが気になりました。この後個人で音読させるので、読めない漢字の確認というねらいもあるのでしょうが、ここは顔を上げさせるか目をつぶらせるかして聞くことに集中させてもよかったかもしれません。
「命」という題名の詩の内容は、命を電池に例え、電池は交換ができるが、命は交換できない、だからこそ命の電池が切れるまで大切に生きたいという内容です。この詩を子どもたちにしっかりと理解させたいというねらいでしょう、個人で何度も音読するように指示しますが、活動の目標を伝えていないことが気になりました。よくできる子どもなのでしょうか、大きな声で感情を込めて読もうとしていましたが、上手に音読することが目的ではありません。子どもたちは何度も音読するのですが、次第に声が大きくテンションが上がってきます。その一方で、集中を失くしている子どもも目につきだしました。授業者はこの状況に気づいたのでしょう、活動を止めて集中させます。よい判断でした。

「この詩を読んでよいところを教えて?」と子どもたちに問いかけますが、「詩のよいところ」という問いかけは、客観的に詩をとらえることにつながります。道徳では子ども自身が登場人物に気持ちを投影することが大切ですので注意が必要です。
すぐに何名かの子どもが黙って席を立ちます。授業者は、道徳の時間は挙手指名で進めるのではなく、起立した子ども全員に発言の機会を与えるようにしているそうです。発言を保障するよい方法のように思いました。また、すぐに指名せずに考えを持てた時点で起立すればよいようで、落ち着いて考える機会を与えています。しかし、音読する時にはこのよいところを教えてということは示されていません。いきなりの問いにすぐに反応できる子どもは少数です。多くの子どもが考えを持つ前に指名が始まってしまいます。そのため特定の子どもばかりが発言することになってしまいます。すぐに起立させるのではなく、ちょっと考える時間を与えたり、まわりと相談する時間を取ったりするとよいでしょう。また、発表された意見に対して、「なるほどと思った人?」と問いかけたり、「今うなずいていたね。どういうこと?」と聞いている様子を見て指名したりして子ども同士をつなぐことで、考えをすぐに持てなかった子どもにも発言する機会を与えることも大切です。

授業者は道徳だけはコの字型の隊形で授業をしているようです。道徳はいつもの授業とは違うのだと思ってほしいからだそうですが、子どもたちはコの字型での発表にはまだ慣れていないようです。教室の前の方にいる授業者の方を見てしゃべります。授業者は時々友だちの方を見るように促しますが、徹底はされていません。聞く方も多くは授業者を見ています。子どもたちが慣れないうちは、発表者のそばでしゃがんで全体を見るとよいと思います。授業者を見ようとする子どもの視線は自然に発表者の方に向かいますし、発表者は授業者が低い位置にいるので自然に友だちの方を向いてしゃべります。子ども同士がかかわりやすいのがコの字型のよいところですから、積極的にそのことを活かすようにしたいところです。

子どもたちの発表が終わって次に指示をするまでに授業開始から20分近くが過ぎました。この間子どもたちは活動をしてはいますが、自分に引き寄せて何か考えているわけではありません。少し時間がもったいないように思います。ここでは、詩の内容を子ども自身で読み取らせることよりも、主人公の気持ちを授業者が「この気持ちわかる?」と子どもに迫りながら伝えた方がよいように思いました。

続いて最初に読んだ詩の1年前に書かれた詩を全員で読みます。手術が怖かったこと、3回目の手術の時には怖かったけれど頑張ってくれるねと親に笑って言えたことが書かれています。授業者はこの詩の「手術はこわいな」と最初の詩の「せいいっぱい生きよう」という一節を離して板書し、主人公の気持ちがここからここへ変化したのはどんなことを考えたからなのかを考えるように指示します。離すことで大きく変わったことを意識させます。
これがこの日の主発問なのですが、「手術」と「生きる」が直接つながらないので、気持ちが変化したと言われてピンときません。「出術は怖いと思っていた時はどういうことが怖かったのか」「せいいっぱい生きようと思った時は怖くなかったのか」といったことを問いかけて押さえておかないと主人公の気持ちには迫れないと思います。
子どもたちは鉛筆を持ってすぐにワークシートに書き始めます。子どもたちが深く考えていたのなら、すぐに鉛筆は動きませんが、スラスラ書く子どもがかなりいます。第三者的に思いついたことを書いているのです。1行ほど書いて手持ち無沙汰にしている子どももいます。授業者はじっくり考えてほしいと時間を多くとったのですが、子どもたちがじっくり考えるための手がかりになるものが少なすぎるのです。

子どもたち発表させますが、半分ほどの子どもしか起立しません。書いてあるのに発表しようとは思わないのです。発表する子どもたちは、先に発表された意見と近いとか、ここは同じだがここは違うといった言葉を使うなどなかなか上手に発表します。よく鍛えられているように思うのですが、よく発表する特定の子どもだけのことかもしれません。全員が発表することも意識してほしいと思います。また、同じ意見だと発表せずに座るというルールもあるようです。展開を早くするためには重要な要素ですが、同じだからとすべて一つにしてしまうことは避けたいところです。同じと言っても発表させるとよい考えが足されていたり、微妙に違っていたりすることもあります。座る時にどうしようかなとためらう子どももいます。そういう子どもを指名してどういうことか聞いて見ることも必要でしょう。

授業者は子どもの意見を受容しながら発表させます。最後に、「先生はうまくみんなの意見をまとめられるかな、助けて」と出てきた意見をまとめます。すぐに板書せずに後から整理することはよいのですが、授業者の言葉でまとめています。自分の意見とは違っているように感じる子どもがいても、違うとはなかなか言い出せないでしょう。時間はかかりますが、「○○さんの意見ってどうだった?」と聞いていた子どもに問いかけることや、「△△さんの意見に近いのはどれ?」と本人に選ばせるといったことをして、できるだけ子どもたちの言葉でまとめるようにするとよいでしょう。
出てきた意見のどれに自分の意見が近いかを決めさせて挙手で確認します。ここで初めて全員が自分の考えを明確にしたことになります。別の言い方をすれば、考えを持てたということです。しかし、まだ考えというには浅いものです。ここから揺さぶり、切り返して深く考えさせたいところでした。
授業者は友だちの意見や考えを聞いてなるほどと思った意見、気に入った意見を発表させますが、もともと深く考えていないので、出てくるものも表面的になります。友だちの意見を聞いて「考えが変わった」「影響を受けた」といったことが出てくるとよいでしょう。友だちの話を聞いて子どもたちが「えっ?!」「あっ!」と声を出したり、うなずいたりといった反応を引き出すことを一つの目標にするとよいと思います。

「命を大切にするってどういうこと?」と発問が最後に出ました。この発問にもいつもの子どもたちがすぐに反応します。子どもたちの答は、信号を守るといった「命を守るための行為」ばかりが出てきます。それが授業者のねらった答かどうかはわかりませんが、どんな答も授業者はしっかりと受容します。「命を大切にする」ということは、その前に「命を大切にしよう」と子どもたちが心から思うことです。命は大切であることを言葉としては誰でも理解しています。死ぬのは怖いとだれでも思います。しかし、それ以上に生きるのがつらいと思うこともあるのです。そういったことを考えた上で、本当に命を大切にしようと思えるようになってほしいと思います。1時間の授業で子どもが大きく変わることは中々ありません。何時間もかけて少しずつ子どもの心を耕し、よい芽が育つことを願いたいです。

電子黒板を使って、校外学習やドッヂボール大会の写真を見せます。子どもたちの素敵な笑顔がたくさん写っています。子どもたちがとてもうれしそうにその写真を見ていました。みんなの笑顔をたくさん見たい、見られるといいという授業者の言葉に続いて、「生きているって」という教科書の詩を読んで授業は終わりました。
子どもたちに笑顔でいてほしいという授業者の思いを強く感じました。もしそうであれば、2つ目の詩で、3回目の手術の時には「こわかったけどがんばるねと笑って言えた」という一節を中心に扱ってもよかったと思いました。「恐いのにどうして笑って言えたの?」と問いかけるのです。そうすることで、親の気持ちや親への主人公の気持ちに気づく子どもが出てくると思います。子どもたちは自分が死ぬかもしれないという気持ちになかなか入り込むことはできないと思います。しかし、身近な人が死ぬかもしれないという気持ちには寄り添いやすいと思います。この授業のねらいからは少しずれるかもしれませんが、「自分の存在が他者にとって大切なものである」「自分の存在は自分だけのものではない」「命を大切にしたい」とつながっていくように思います。

道徳の授業では主人公だけではなく、主人公とかかわる人、第三者の3つの視点を意識すると授業を組み立てるヒントが浮かびます。同じ出来事でもそれぞれの視点で見えてくるものは違ってきます。また、時間軸を意識することも有効です。なぜそうした、そう思ったという「過去」、どうする、どう思うという「現在」、このあとどうなる、どう思うという「未来」の3つの視点です。この人物と時間軸でできるマトリックスのどこに焦点を当てればねらいに近づけるのかを考えるのです。
例えばこの教材であれば、授業者は主人公の時系列での気持ちで考えましたが、「“母親”は手術の時にどう思った」、最初の詩の時には「“母親”はどんなことを思うようになった」というように、主人公とかかわる“母親”の気持ちを時系列で考えるといった進め方も見えてきます。

検討会は、学年ごとのグループで行いましたがとてもよい雰囲気で進みました。学年団のチームワークのよさを感じました。出てくる意見も子どもたちの様子に即したものが中心で、先生方の視点が子ども寄りになっていることをうれしく思いました。
「考えを持てなかった子どもも、友だちの意見を聞いたり、友たちの意見で自分に近いものを選んだりすることで持てるようになっていた」「同じ意見だと座るけれども、その子どもたちの意見も聞いて見たかった。授業者が同じとまとめた意見でも子どもは違うと思っていたのではないか」など、よい気づきがたくさんありました。

この学校では深い学びを目指しています。道徳では子どもたちからは思いついたことや一般的で無難な答、授業者が言ってほしいと思うような答といった浅いものしか出ない傾向がありますが、そのこと自体はしかたのないことです。そこを出発点として考えを深めるという発想を持つとよいでしょう。深めようにも元が無ければ話になりません。できるだけ早く自分の考えを持たせ、そこからどう深めていくかを考えて教材研究をするのです。
例えばこの日の授業であれば、「命は大切?」と聞き、その理由を言わせます。続いて主人公が重い病気で手術をすることを話し、死ぬかもしれない手術の前にどんな気持ちになるかを問いかけて答えさせます。2つ目の詩を読ませて「それなのになぜ笑って言えたの?みんななら言える?」と返すのです。その上で1つ目の詩を読ませて、「命を大切にするってどういうことだと、みんなは思う?」と問いかけるのです。こうすることで子どもたちがこの1時間でどう変容したかも知ることができると思います。

この日の授業研究は、授業者が力のある方で基礎がしっかりとできた授業だったので、参加者も多くのことに気づけたと思います。学びの多いものでした。今年度の授業研究はよいスタートが切れたと思います。
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