子どもの言葉を活かして、全員参加を目指す

小学校で授業アドバイスを行ってきました。

4年生の国語の授業は、初任者の「ごんぎつね」でした。
子どもたちの準備が整うまで授業開始の挨拶を待つことができています。しかし、一部の子どもの動きが遅く時間がかかりすぎていました。多くの子どもが待たされることになります。ここは「みんなが待ってくれているよ」と行動を早くするように促したいところでした。
挨拶が終わると子どもたちの動きはバラバラになります。授業者は、今日はどこをやるのか教科書のページを指示しますが、顔が上がらない子どもが目立ちます。せっかく落ち着かせてもこれでは意味がありません。
教科書を開いた子どもに「早い」と声をかけますが、「違う」「違うじゃない」と注意もします。その間、教室の一部だけを見ていて、他の子どもたちは無視の状態です。全体を見回して、「○○さん、早いね」と固有名詞でほめ、自分もほめられようとする子どもを増やすことが必要です。素早くまねをした子どももすぐに固有名詞でほめることで、教室によい行動が広がります。間違ったページを開いている子どもが多いのは、きちんと指示をしなかったことが原因です。それを叱っていては子どもの気持ちが離れます。全員の顔を上げて、集中させてから指示することが必要です。今回のような場合であれば、隣同士で確認させれば済むことで、わざわざ注意する必要はありません。

授業者が音読して聞かせるにあたって、「これから言うことを考えてよ」と指示をします。「山場ってわかる?」と問いかけると、「山場?」というつぶやきが出ます。よくわからないようです。そこで「盛り上がったり」と説明しかけて、すぐに「じゃあ、あなたたちが一番大事だと思ったところや一番心が動いたところはどこ?」と言い換えます。この後もいろいろと言葉を足すのですが、その度に揺らいでいます。授業者自身が、「山場」の明確な定義をきちんとできていないのです。このような指示では、子どもたちは戸惑ってしまいます。既習であれば、「山場ってなんだっけ?」と子どもたちとやりとりをする必要がありますし、未習であれば、しっかりと定義をすることが必要です。
この場面に限らず、言葉が多く、その度に言葉が揺れているために、子どもは混乱してしまいます。短い言葉で端的に話すことが必要です。一般的に説明が長いのは自身がよくわかっていない時が多いように感じます。

授業者の音読は感情がこもっていますが、国語の授業ではこのことはちょっと気になります。文章から読み取る力をつけるのが目的ですから、もう少し淡々と読むことが必要です。教科書に付属しているCDなどの朗読は基本的にこのことを意識しているはずです。

音読を聞いていた子どもたちが、授業者が読み終って話し始めるとごそごそします。緊張して聞いていたからです。少し間を取って、子どもたちが集中するのを待ってから話し始めることが大切です。
この場面で「気なったところ」と問いかけます。数人しか挙手をしませんが、すぐに指名します。指名された子どもは前に出て発表します。発表後、子どもたちは「わかりました」「いいです」といった言葉で反応しますが、少数です。授業者がハンドサインによる反応を促しますが、ほとんどの子どもが「同じ」とも「違う」とも反応しません。それに対して、授業者は困ってくり返し問いかけます。一人の子どもがしっかりと手を挙げてくれたのですぐに指名しました。最初の問いかけで挙手が少なかったのですから、単純に挙手に頼っても無理があります。まわりと相談したり確認したりすることが必要でした。

授業者は、2人の子どもの意見だけを元にして、その場面の兵十の気持ちの変化を考えることを課題とします。ここでも、どんどん言葉を足していきます。「どんな気持ちの変化をしていったか考えてほしい」と言った後で、めあてとして「兵十の気持ちが変化していく様子を読み取ろう」と板書します。子どもたちに説明するたびにずれていきます。課題や指示はぶれないよう意識することが大切です。
子どもがめあてを写している間に、「定規を使っている」「早い」「姿勢がいい」といった言葉で子どもをほめるのですが子どもたちは授業者の言葉に反応しません。固有名詞でほめることが大切です。

ここで、前時の場面の復習を始めます。めあてが出て活動しようと意欲が出てきた時に別のことを考えるのは子どもたちにとっては肩透かしです。前の場面で子どもが考えたことを問いかけますが反応できません。そこで授業者がしゃべり始めましたが、教科書やノートを振り返っている子どもがいます。もう少し待つことが必要でした。意味のある沈黙かそうでないのかをきちんと判断することが必要です。

文章に沿ってごんと兵十の気持ちを問いかけ、書かせるのですが、すぐに反応できない子どもが目立ちます。今、何をやっているのか、授業についていけていないのです。
子どもたちに発表させようとしますが、数名しか手が挙がりません。すぐに指名し、授業者は黒板に向かって発言を一生懸命書いていきます。その間、発表者とも、聞いている子どもたちとも目を合わせることができません。発言者を見ようとしている子どももいるのですが、授業者が板書をするので子どもたちの視線は黒板に向いてしまいました。
子どもに根拠求めることもするのですが、本文とはつながりません。授業者はそれをすぐに納得して、結論だけを板書します。また、相互指名などもさせるのですが、自分の考えを言うだけで意見はつながりません。挙手する子どもも少ないため、全員参加とはならず、子どもたちが考え、それを深めることはできませんでした。

「ようし」という兵十の言葉に後に続く言葉を子どもに考えさせます。「やってやる」「決着をつけてやる」といった言葉がでてきます。「『ようし』という言葉で、兵十が『決意』したことがわかる」と語彙を増やし、何を「決意した」と問いかけたいところでした。

「あのごんぎつねめ」「ごんお前だったのか」の2つの文に注目させ、子どもから「言い方が違う」という言葉を引き出しました。「どこが違う?」と全体に問いかけます。よい返しなのですが、子どもたちはすぐには反応しません。一部の子どもの手が挙がるのですが、勝手にしゃべりだす子どもがいます。授業者はそれをしばらく聞いた後、みんなで言ってみようと指示をしました。しかし、数人しか声をだしません。授業者はその言葉を元に進めていきます。子ども同士をつなぐこと、全員参加を意識することが必要でしょう。

最後に、兵十が火縄銃を落としたときの気持ちを子どもたちに書かせます。ここでも、すぐに鉛筆を持たない子どもが目立ちます。授業者はすぐに机間指導に入るので、その子どもたちに気づきません。
個人で考えさせた後、グループにして交流させます。子どもたちの動きが遅いことが気になります。交代で司会役などを決めているようですが、4人のグループですので司会などに頼らずに聞きあえるとよいと思います。子どもたちの頭が寄らないことも気になります。交流することが、ただ自分の意見を発表することになっているように見えます。なるほどと思ったり、友だちの意見で考えが変わったりすることが大切です。

グループ活動の後、「自分の意見でも、友だちの意見の紹介でもいい」と子どもたちに発表を求めます。ここは単の自分の意見や紹介ではなく、「考えが変わった」「なるほどと思った」「自分と違ったけど納得した」といったことを問いかけることが大切です。こういった問いかけをすることで、「交流」することの意味を子どもたちが理解するようになります。
ここでもやはり、挙手は数名でした。最初の発言は「ごんを撃たなかったら、まだ栗とかもらえたのに」というかなりずれた意見です。授業者はそれをそのまま板書して、次の子どもを指名させます。「こんないいごんを撃って情けない」「ごめんなさい」「取り返しのつかないことをした」と相互指名で発表させ、授業者は板書に専念します。子どもたちの手は次第に挙がってきます。友だちの意見を聞いて、自分の意見でも大丈夫だと安心したのかもしれません。授業者は「いろいろな意見があったけど火縄銃を落とすほどショックだった」とまとめて、この場面を読んだ感想を子どもたちに聞きます。これでは国語の授業にはなりません。子どもたちの意見の根拠を問い、明らかに間違いである子どもの考えを修正させ、また、互いの意見を元に考えを深めさせなければいけません。結局、子どもたちは何となく考え、意見を言って終わってしまい、読解力にはつながりませんでした。

授業者は、子どもに発言はさせるのですが、一部の子どもだけです。また、子どもたちの発言とは関係なく自分の結論を説明して終わっています。発言を受容することはできるので、それを価値付けすることで、子どもたちの発言意欲を高めてほしいと思います。そして、その子どもたちの発言をどうつなげ、考えを深めるのかが次の課題です。まだ初任者ですので、あせらず一歩ずつ前進してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。
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