道徳で授業者がどのような価値を意識しているのかを考える

前回の日記の続きです。

4年の道徳は、お手伝いを通じて働くことの喜びを知る読み物資料を使った授業でした。
この授業者は、道徳の研修で学んだ「授業者が範読し、所々止めながら子どもとのやり取りを通じて読み取りを素早く行う」という授業スタイルに挑戦していました。学んだことをすぐに実行しようというのはとても素直でよい姿勢だと思いました。

教科書を開かせて範読するので、教科書から目が上がらない子どもが目立ちました。範読で進めるのなら、教科書は開かない方が授業者に集中できてよいと思います。
母親との約束で、ゴミ出しするのですが、夏場なので主人公が「手も、くさいような気がしてきた」という場面があります。授業者はこの「手がくさい」という言葉を意識的に強調します。主人公がこの仕事を嫌に思う気持ちを表しているのでよい工夫だと思います。

主人公は隣のおばさんに「えらいね」とほめられて、「えっ」と思います。「おばさんの言葉が頭の中で何度も繰り返された」という言葉を子どもに問いかけて「グルグルまわる」という言葉を引き出します。「えらいね」という言葉が主人公に大きな衝撃を与えたことを強調するよい活動でした。

生ゴミにスイカが入っていたために重かったことを実感させようと考えたのでしょうか、スイカのゴミの絵をかかせます。重かったことを実感させるのであれば、重たいゴミ袋を用意して子どもに持たせるといった方法の方がよかったように思います。においを強調するのであれば、「手がくさくなるようなスイカのゴミってどんな感じ?ちょっとかいてみて」とするとよかったでしょう。

この後、「えっ」と思った気持ちを考えさせます。子どもからは単純に「うれしい」という言葉が出てきます。「ほめられることが意外だったこと」「ほめられるような仕事だと思っていなかったこと」が浮き上がってきません。主人公が「ゴミ出しを嫌な仕事と思っている」「意味のある仕事と思っていなかった」ことがしっかりと子どもたちの中に入っていなかったようです。また、「おばさんの言葉が頭の中で何度も繰り返された」という言葉の後でスイカのことに場面が戻ってしまっていたので、「言葉がぐるぐるまわった」印象が薄れてしまっていたことも残念でした。「この言葉がぐるぐるまわっていたのはどういうこと?」と問いかけてもよかったと思います。

時間の都合でここまでしか見ることができませんでした。
授業者はあまり意識していなかったのかもしれませんが、働くことを考えさせたいのであれば、「役立ち感」を大切にしたいところでした。「ほめられて」うれしいではなく、「だれかの役に立って」うれしい、「喜んでもらえて」うれしいというところにスポットを当てたいところです。授業者は終始主人公の気持ちを追いかけていましたが、母親の気持ちを考えてもよかったかもしれません。おかあさんの「ありがとう。……」という言葉に注目することで、「役立ち感」を意識させることができたと思います。

前回の日記でも述べたように、道徳では、子どもたちにどのようなことを考えさせたい、意識させたいかでだれにスポットを当てるかが変わってきます。授業者のねらいがそこに現れてくるのです。この授業であれば、授業者自身が働くことにどのような価値を見いだしているのかが問われるのです。そこをもう少し意識していれば、また違った展開になっていたかもしれません。

この続きは明日の日記で。
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