学校におけるICT活用のあるべき姿について研究会で考える

昨年のことで恐縮ですが、愛される学校づくり研究会で、会員の岐阜聖徳大学の芳賀高洋先生の「考え続けるICTの『迷い』と『希望』」という講演を元に、会員で話し合いを持ちました。

芳賀先生は、インターネットの黎明期から今日までの学校におけるICT活用について眺めた上で、社会的なインフラとなっているICTが学校では未だに教具としてとらえられ、その枠の中での活用しか議論されていないことへの苛立ちを露わにされます。既に社会は、ICTやネット環境があることが前提となって動いています。簡単な例で言えば、学校で行われている原稿用紙に鉛筆での文章作成は、現実社会では一部の作家だけでのものでしょう。私自身、原稿用紙を前にして作文しろと言われても、数行書くにも四苦八苦しそうです。ワープロを使わずに文章を書くことはもう考えられない状態です。また、学校では子どもたちはごく一部の時間でしかインターネットを活用しませんが、家庭ではスマホでネット検索は当たり前の状態です。

芳賀先生の主張される、ICTは道具でありそれがいつでも使えることを前提とした教育を考えるべきだという考えは、その通りだと思います。しかし、他の会員との話し合いではなかなか議論がかみ合いません。現実に学習指導要領の枠の中で子どもたちに一定の学力を保障することが命題として与えられている先生方にとって、じゃあどうすればいいのかという具体的な対応が見えてこないのです。学力をつけることが目標である授業の中で、教具として有効な部分はどんどん使えばいい。このことはだれしもすっきりと腑に落ちます。しかし、道具として自由に使わせることを考えた時に、今ある授業の構造とは全く異なる学習形態が求められます。子どもたちにつける学力は何かということから違ってきてしまうように思います。
OECDの調査でも日本の子どもたちの学力は非常に高いものがあります。それを維持しつつ新しいパラダイムに移行する道筋は、まだだれも明らかにしてくれていません。ここに大きな断絶があると思います。この溝を埋めていくことが、大切でないかと思います。
「教具論」と「道具論」が対立してそれぞれの立場に固執するのではなく、互いがつながっていくための道筋を模索していくことが必要だと思います。

研究会では今後もこの問題は継続して検討していく予定です。また、2月6日(土)に開催される「愛される学校づくりフォーラム2016 in東京」の午前の部「愛される学校づくり“公開”研究会」の「テーマ4:授業における『真のICT活用』とは」でもこの問題が議論される予定です。まだ申込みは間に合いますので、興味のある方はぜひご検討ください。
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31