子ども同士がかかわり合い、考えを深めることが次の課題

前回の日記の続きです。

9年生(中学3年生)の国語の授業は、「和語」「漢語」「外来語」の特徴や語感を考えるものでした。
授業者は以前と比べると、子どもをよく見て授業を進めることができるようになっていました。挙手だけに頼るのではなく、子どもの反応を見て指名する場面も見られます。
「ディズニーシーでハッピーな時間を過ごすことができました」という修学旅行の思い出を学年便りに載せるならどう書くかという問いかけで授業が始まりました。自然にまわりと相談する子どももいます。授業者は「ハッピーを幸せと置き換える」という意見がチラチラ出てきたと、子どものつぶやきを拾って紹介します。子どもの言葉を拾うのはよいのですが、少し自分でしゃべりすぎているように思いました。きちんと全体に対して発言させて、授業者ではなく子ども自身の口で共有することを意識するとよいでしょう。
「幸せ」に置き換えた人がなぜそうしたのかを全体に問いかけます。友だちの考えを想像させるというのはよい発想です。反応した子どもがいたのでしょう、挙手に頼らずすぐに指名しました。しかし、質問から間を置かなかったので、他の子どもたちは考える時間がありません。指名したとたんに、他人事になってしまいました。一人ひとりが自分の考えを持てると、友だちの考えを聞きたくなります。子ども同士をつなげるために何が必要かを意識してほしいと思います。

「みんなが見るから」という意見に対して、「どこに載せるの?」「学年便り」とつなぎ、「みんなにに見られるから、学年便りに載せるから、ハッピーではダメなの?」と返します。「ハッピー」はどういう印象なのと問いを変え、挙手に頼らず次々指名していきます。一見するとテンポがよさそうに見えるのですが、個々の意見を全体で共有できていません。一部の子どもと授業者だけのやり取りで進んで行くことになりました。
「幸せ」という言葉と同じ意味の言葉に「幸福」があることを授業者が提示します。最初の文章の「ハッピー」を「幸福」に変えるとどうなるかを問いかけ、「渋い顔をした人がいる」と指名します。「ピンとこない」「おかしい」といった発言が出てきます。それらの言葉を受容しながら何人も指名します。「○○さん、今の意見聞こえた?」とつなぐことも意識しているのですが、やはり子どもたちの顔が上がらず、反応しません。「同じように思った人?」「似た意見の人?」と友だちの意見を聞くことを意識させる必要があると思います。

ここで、この日のワークシートを配ります。ワークシートには「新しく農業を始めるには、地域の(サポート・支援・手助け)が必要です」という文が書かれています。自分ならどの語を選ぶかを決めさせます。条件や目標がはっきりしていないので、根拠を持った答が期待できるものではありません。どれを選ぶかはきれいに分かれました。
選んだ理由を聞きますが、明確な根拠があるわけではありません。言葉には共通に感じる語感がありますが、そのどれを選ぶかは個人の嗜好にもよります。どこに焦点を当てているのかがはっきりしません。語感の共通性を意識させるのであれば、その言葉を選ばなかった人でも言葉から感じるものは同じなのかを聞いてみるとよいと思います。
子どもたちの発言は「伝わりやすい」「雰囲気がつかみやすい」といったもので、はっきりしていません。「それってどういうことだろう?」と問い返して、もう少し詳しく聞くことが必要でしょう。

この場面でも、子どもたちは発言者の方を向きません。授業者は発言者にみんなの方を見るように指示しますが、発言する側だけでなく聞く側をもっと意識させることが必要です。
授業者は言葉を選択することから根拠を発表するまでかなり時間を取りましたが、ワークシートを配る前に問題文を提示して、その場でどれを選ぶかを聞いてもよかったと思います。挙手で意見が分かれることだけを確認して次に進むのです。根拠を持って考えられる課題に時間を使うべきでしょう。
次の課題では、状況を設定して言葉を選ばせます。「友だち同士」「大勢の人の前」「初めて会うお年寄り」という3つの状況です。ここで、選択肢と状況が3つずつであることが引っかかります。当然のように子どもたちは3つの選択肢を1対1に対応させようとします。試験問題を解く感覚です。子どもたちは正解探しを始めます。そうではなく、状況をもっと増やして、同じ言葉を選んだ理由の共通点を考えることで、言葉の持つ語感に気づかせたいところです。「親に話す」といった場面で、「友だち同士」と同じか違うものを選ぶかの理由を聞くことで、語感を違うと感じているのではなく、親との関係が言葉の選択に影響していることにも気づけます。

子どもたちの意見は、選ぶものは違っても感じる語感は大きくは異なっていないように思います。どんな語感の言葉を使うべきかが異なっているのです。ここを焦点化せずに理由を聞いても、深まっていきません。子どもたちの意見を聞いた後、正解はないと説明して、この問いに関する国立国語研究所の調査の結果を発表します。これらの言葉の種類に違いがあると、「和語」「漢語」「外来語」という用語を定義します。語感には触れずに、これらの使い分けを考えてもらいたいのでこのような活動をしたとまとめました。
授業者は文で使われている言葉が、「和語」「漢語」「外来語」のどれかを答える問題に取り組ませます。単なる分類の練習になってしまいました。そうではなく、「和語」「漢語」「外来語」で語感がどのように違うかをいろいろな例で考える活動が必要だと思います。
答の確認場面では子どもの顔が上がらないことが気になりました。わかっているのでちゃんと聞かなくても大丈夫と思っていたのでしょう。

教科書の説明文にはてんぷらなどの外来語だと意識されなくなっているものがあることも書かれています。こういった例を使って、言葉が生きていることや、時代とともに変化し使われている内に手垢がつくことなどにも気づかせる活動を入れたいところでした。

最後に教科書のまとめを読んで、日常生活で「和語」「漢語」「外来語」を使いこなすことを意識してほしいとまとめました。授業者の伝えたいことを自分で説明することになってしまいました。子どもたち自身でこのことに気づくようにしたいところです。選んだ言葉によって、自分と相手との関係性がわかる、相手のことをどう思っているのか伝わるといったことに気づかせ、子どもたちがそういったことを意識して言葉使おうとするようになる授業展開を考えてほしいと思いました。

子どもの言葉をしっかりと受容できるようになり、子どもとの関係も良好です。子ども同士がかかわりながら、自分たちで気づける、考えを深めるような授業にするのが次の課題です。そのためには、教材研究も重要です。子どもたちのどのような活動をさせると、目指す姿が見られるのかを意識してほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

道徳で、子どもたち自身の問題として深く考えさせる

小中一貫校の中学校で授業アドバイスを2日間行ってきました。
昨年度と比べて、全体的に子どもたちが授業によく集中するようになったように思います。先生方が授業規律を意識していることや、グループ活動を意識して座席を男女市松模様にしていることがよい結果を生み出しているように思いました。

9年生(中学3年生)の道徳は、「人との接し方」という読み物を利用したものです。電車で優先席に座っているチャラチャラした感じの高校生くらいの女の子が、足の不自由なおばあさんに席を譲らないので、隣に座っていたおばさんが見かねて席を譲るように注意をします。それを見て主人公が考えるお話です。

最初に「人との接し方」という読み物のタイトルを板書し、修学旅行で公共交通機関を利用したことを思い出させ、思いやりのある人はどんな人かを問いかけます。こういった問いは、道徳では授業者が何を求めているのかを子どもたちが予想するので、注意が必要です。子どもたちはなかなか反応しませんでしたが、何を答えるべきか授業者の意図を計りかねているようにも見えました。子どもの本音を引き出したいのであれば、とりあえずまわりとしゃべらせて、どんな意見が出たかを聞いた方がよいように思います。

資料を配り授業者が範読します。子どもたちは手元の資料を見ながら聞いていますが、中には、すぐに自分で終わりまで読んでしまい、手持ちぶさたにしている子どももいます。
足の不自由なおばあさんに女の子が席を譲らない場面でいったん止めて、内容を確認しました。女の子役とおばあさん役を選んでその様子を再現させます。状況を把握したり、登場人物に感情移入させたりする方法です。この様子を見ている主人公の気持ちになって、「どんなこと思う?」「じゃあ、女の子は?」といった問いかけをして感情移入させるのかと思いましたが、授業者は状況を解説してすぐに先に進めました。おばあさんや女の子、主人公の心の声を子どもたち言わせても面白いかもしれません。内容の把握だけであれば、中学生ですからあまり必要のない場面のように思いました。

登場人物の気持ちを個別に問いかけながら丁寧に進めますが、子どもたちは資料を見たままで聞こうとはしません。自分の問いにはなっていないのです。読み取りが目的ではないのでここにあまり時間をかける必要はないと思います。資料を配らず、不要と思われる描写は省略して、確認すべきこと強調すべきことをその場で板書しておくなどして時間短縮を図るとよいでしょう。「女の子に席を譲るように声をかけたおばさんは思いやりのある人と言えるか?」という、本題に入るまでに15分を使いました。

子どもたちに自分の考えをまとめさせて、グループで意見を聞き合います。隣に座っているのだから自分が席を譲ればいいと言う意見も出てきます。実話だから仕方がないのですが、隣に座っている人が注意をするのでは今一つ説得力がありません。この時点でおばさんに焦点を当てるとちょっとずれていくような気がしました。

活動を止め、黒板に引いた思いやりが「ある」「ない」を両端にした線分上の位置で自分の考えを示させます。全員に記名されたマグネットを貼らせます。この後、それぞれの考えを聞きます。ハッキリと「ない」に置いた子どもの「自分の席を譲ればいいから」という意見を聞いて、多くの子どもが納得します。
実はこの話には続きがあります。涙を流しながら女の子は席を立ち、足を引きずりながら次の駅で降りていったのです。しかし、その場にいた主人公はそのおばさんのした行為は必ずしも悪いことだとは思いません。周囲の思いを代弁しておばさんなりの良心に従って行動した、無関心・不干渉の現代では意義のある行動だと感じたのです。このことで主人公は「思いやりを持って接するのはどういうことか」を考えるというものです。

席を譲るようにいったおばさんに対してどう思うかについては、あまり時間をかけて考えさせなくてもいろいろな意見が出たと思います。全体で意見を聞きながら、おばさんが席を譲ればいいとう考えには「もし、おばさんが立っていたらどう?」と返したり、女の子に関しての意見には「もし、女の子がチャラチャラしていなかったら意見は変わる?」といった問いかけをしたりしておいて、早く先に進めばよかったと思います。

女の子が降りていったところまでの続きの資料を配ると、子どもたちはすぐに読み始めます。資料は配らずに話を聞かせて、子どもたちの反応を見たいところでした。
女の子があわてて逃げるように降りていった理由を指名してたずねますが、もし女の子の気持ちに寄り添わせたいのであれば、「あなたがその女の子だったらどうする?」とたずねてもよかったかもしれません。「私は足が不自由ですと主張する」という意見が出れば、「この女の子はできなかったんだね?なぜ?」と返すといったことをすればよいと思います。
授業者は登場人物の気持ちや行動の理由を問いかけますが、子どもたちは客観的に答えます。状況を理解させるためだけに問いかけるのであれば、授業者が解説してもよいと思います。登場人物と同化してほしいのなら、それを意識した問いかけが必要だと思います。この使い分けを意識すると子どもたちに考えさせたいことが焦点化できると思います。

ここで、思いやりを持って接するとはどういうことかを考えさせます。グループで共有して出てきた意見をまとめて、黒板に貼りだしました。似たような意見をまとめて全体で共有しますが、相手のことを思いやる、人を見た目で判断しないといったものがほとんどです。この読み物に出会わなくても、子どもたちから出てくる言葉です。問題は、それを子どもたちがどう実践していくかです。ここから深めていくのが大切だと思いますが、数分しか時間は残っていません。最後に主人公の思ったことを読んで授業は終わりました。

「女の子の足が不自由だったけど、おばさんは思いやりのある人なの?ない人なの?」ともう一度おばさんについて問いかけ、「見た目通りの健常者だったかもしれないね?それで、おばさんの評価は変わるの?どうすればよいの?」といったことに時間を取りたいところでした。相手のことを考えれば、何も言えないという子どもがいるかもしれません。実際には私たちでもそういう行動をとりがちです。答が簡単に出ない問いを考えさせ、多様な意見に触れさせることで心が耕されるのではないのでしょうか。

授業後、授業者と子どもに深く考えさせるために必要なことについて話し合いました。どの登場人物のどの時点の気持ちに焦点を当てるのか、どう揺さぶっていくのかが授業設計で大切になることを確認しました。この教材では、「主人公」「おばさん」「女の子」「まわりの人」の「おばあさんが乗ってきた時」「おばさんが注意した時」「女の子が足を引きずって降りた時」の気持ちのどこに焦点を当てるかです。このマトリックスを整理して焦点化したいところと揺さぶりを考えることで、授業展開が見えてくると思います。
子どもたち自身の問題として深く考えさせるためにどうすればよいかについて、私もいっしょに考えることができました。よい学びの機会となりました。

この続きは次回の日記で。

事業改善に真剣に向き合っている先生

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

この日は主に新しくこの学校に勤務することになった方と一緒に、授業中の子どもたちの様子を見て回りました。
子どもたちは全体的に集中して授業に取り組んでいましたが、一部の授業で子どもたちの集中が落ちていました。そういった授業で共通しているのが、授業者が一方的にしゃべるばかりで子どもたちへの問いかけすらないことです。また、授業者が子どもたちに視線を落とさず、アイコンタクトを取らないことも共通です。一緒に回った先生方には、この事実を自分の授業を改善するきっかけにしてほしいと思いました。
また、グループやペアの場面を見てもらいたかったのですが、あまり見ることができませんでした。子どもたちと先生方との関係もよく、子どもたちが落ち着いて先生の話を聞いてくれるので、以前の授業形態に戻っているのかもしれません。ちょっと気になりました。

子どもたちがかかわり合い、学び合う授業について一定の知識のある方もいらっしゃいました。しかし、高等学校ではなかなかよい実践例を見る機会がありません。知識だけでは、具体的な授業に落とし込むのは難しいものがあります。話をうかがっていると、今までの授業の在り方からなかなか抜け出せていないように感じました。
答や結果でなくその過程や考え方を学ばせたいと思っている先生でも、子どもたちに気づかせるのではなく自分が教えてしまうことが多いように思います。何を教師が教えて、何を子どもたちに気づかせるのかを考えるだけでなく、そのための具体的な手立てが必要になってきます。子どもたちの実態によっても「教える」と「気づかせる」のバランスや、手立ては変わってきます。特に高等学校では、学校毎に子どもたちの層が大きく変わりますので、一概にこうすればいいということはなかなか言えません。ですから、目の前にいる子どもたちと真摯に向き合い、授業を改善し続けるしかないのです。正解がないからこそ、学校の実態に応じた教育メソッドをつくり、改善し続けることが大切です。
うれしいことに、この学校独自のメソッドがいくつかの教科でできつつあります。また、今年度から導入するタブレットの活用という新たな視点からも新しい授業の在り方が見えてくるのではないかと期待しています。

中学校2年生の理科の授業を見てほしいとお願いされました。授業は実験の次の時間の考察の場面でした。
最初に点数で評価した前回の実験のレポートを一人ひとりに返します。特によかったものを読み上げ、そのよかった理由を説明しますが、説明のスピードがちょっと速く、子どもたちにはよく理解できなかったように思います。評価理由がよくわからないこともあってか、子どもたちは誰が書いたのかに意識が行ってしまいました。手本となるレポートを価値付けするのはよいことなので、ちょっと残念でした。名前を隠し、筆跡から誰だかわかると困るのであればワープロで打ちなおして、一人ひとりに印刷して配るとよいと思います。教師が書いた物であれば模範解答と思いますが、友だちの物であれば参考にしようとして見るはずです。時間が少しかかりますが、自分のものとどこが違うか、どこがよいのかといったことを考えさせて、子どもたち自身に価値付けさせるとよいと思います。
子どもたちが落ち着かず、視線が集中していないのに説明を始めることがありました。子どもたちはしばらくすれば聞くようになるのですが、一度きちんと集中させた方がよいでしょう。また、集中していない子どもを指名することが何度かありました。まわりの子どもも、本人もチェックされたと気づき、先生は私たちをチェックしているのだなと思うようになります。できれば、「そばにいる子どもを指名して気づかせる」「集中を戻して顔を上げた時にほめてやる」といった方法を試してほしいと思います。
この学級では先生との距離が近い子どもがかなりいます。授業者の問いかけに、そういった子どもがすぐに反応します。それを拾って授業者が説明をするというパターンが目につきました。よく反応する子どもの陰に、結論だけ聞けばいいと考えている子どもの姿も見えます。つぶやきを拾うにしても、「みんな、○○さんの意見を聞こう」「ちょっと、みんなに聞かせてくれるかな?」というように公的に発言させ、「今の意見について、どう思った」と他の子どもとつなげるようにするとよいでしょう。
この日は、質量保存の法則について考えるのですが、授業者はどうしても、自分の求める答を誘導するように質問します。一問一答で進めますが、子どもたちは友だちを見ようとはしません。授業者の説明を待っています。
化学反応式からこういったものが出ているはずという説明は、分子説や質量保存を前提としたものです。その化学反応式が正しい、成り立っているということはどうして言えるのでしょうか。法則や原理といった知識を前提として考えることも大切ですが、その知識はどのようにして私たちが得たのかといった、知識を得る方法を知る、見つけることも科学的な見方・考え方として大切にしなければなりません。実験はその最たるものです。「この実験から、何がわかるのだろう?」「実験の結果から、どこまでのことが言えるのだろう?」「もしこの法則が成り立っているのなら、どんな実験をすると確かめられるのだろう?」といったことを子どもたちに考えさせることを大切にしてほしいと思います。
グループで、実験の結果をもとにいくつかのことについて考察を行いますが、子どもたちの動きが遅いことが気になりました。何をしてよいのか今一つよくわかっていないのかもしれません。よくしゃべっているグループもあれば、ほとんどかかわれていないグループもあります。しゃべっているグループもテンションが高すぎるように思いました。先生と関わりたい子どもたちのグループは授業者と盛んにやり取りをします。子どもたちが話しかけてくるのはうれしいことですが、グループ活動の時にはかかわりを促す程度にして、あまり説明したり話したりしないようにする必要があります。それよりも、うまくかかわれていないグループがいないか、全体を見て必要な支援をすることが大切です。
最後の課題についてはグループで1台タブレットを使うことができるのですが、気になったのがどのグループでも個人で検索していることです。タブレットを囲んで頭を寄せ合っている姿が見られないのです。タブレットを使っている子どもは、それまでのグループ活動でも、他の子どもたちとかかわっていなかった子どものように思います。一見すると明るくよく反応する人間関係のよい学級に見えるのですが、実は人間関係がうまくいっていない可能性があります。学級経営に注意が必要に思いました。

授業者は、とても素直で基本的な力もある方です。これまで自分が授業を変えようとしていなかったことを認めて、今真剣に授業改善に向き合っています。
タブレットを使ってみると、子どもたちがすぐにネット上で答を見つけてしまい、かえって使わない方がよいのではないかといった疑問も持ち始めています。とてもよいことだと思います。こういった疑問や課題を見つけることが、新しい授業をつくる出発点です。
ネットで答を見つけても、本当にわかったことにはなりません。答を見つけさせてから、考えを深める活動をすればよいのです。ネットの活用で浮いた時間を考えることに使うのです。ゴールを今までの授業よりも高いところに持っていくのです。
自ら授業の課題をみつけそれを解決しようとすることが、授業の改善につながります。新しいことにチャレンジしているからこそ、上手くいかないことや疑問がたくさん出てくるのです。今は苦しいこともあるかもしれませんが、こういった課題や疑問と真剣に向き合うことで、必ず素晴らしい授業スタイルをつくり出せると思います。今後の変化をとても楽しみにしています。

多くの先生方によって支えられた授業

前回の日記の続きです。

国語の授業研究は経験3年目の先生の1年生の国語で、説明文の単元でした。本文をバラバラにして、正しい順番並べ替えることを通じて説明文の構造を考えるものです。
今回一番うれしかったことは、まわりの先生方との授業者のかかわり方に変化が出てきたことです。自分から教えてもらおうという姿勢が出てきました。今回の指導案も先輩に助けてもらいながら完成させたそうです。本人の姿勢の変化に対して、教務主任を始め多くの先生が授業者のために時間を割いてくれました。この日までに他の学級で同じところを実践しましたが、毎時間だれかかれかが参観してアドバイスをしてくれたそうです。一人の先生のためにこれだけまわりがかかわってくれることに、この学校のチームワークのよさを感じました。

授業者は以前と比べると柔らかい表情が出てくるようになり、子どもの発言を受容することができるようになってきました。まだ自分で説明しすぎで、子どもに返して考えを深めるといったことはできませんが、子どもの発言を聞こうとする姿勢は感じられるようになりました。
授業は、毎回の反省点をもとにいろいろと変更していたようですが、この授業でつけたい子どもの力が明確になっていませんでした。根拠を持って考えることが一つのキーワードになっているのですが、根拠を子どもから意識して引き出すことができません。
序論と結論をまず明確にしてから次に進むという展開だったのですが、子どもから出てくる根拠は「始めっぽい」「まとめっぽい」といったあいまいなものです。授業者はそれを受容するだけで、「それってどういうこと?」「どこが始めっぽい?」と言った言葉を返さず、明確な根拠を示せずに次に進みました。
指導案を手伝ってくれた先輩の意図は、根拠を示しやすい序論と結論で子どもたちに根拠を示す練習をさせる事だったのですが、残念ながらそのことがよくわかっていないようでした。参考にさせてもらった指導案を自分のものとして消化することができていなかったのです。
指示語や接続語などがキーになることを伝えますが、なぜそれが大切なのかを考えることをさせません。「接続語あると次のどのような内容が来るかよくわかる」「文の関係がわかるから読みやすい」といった言葉を引き出し、文の関係が明確になり、わかりやすく意図を伝えることにつながることを意識させたいところでした。こういうメタな感覚を持てれば、文章を読み取る力がつきますし、表現力もつくはずです。

個人作業の後でグループにして意見をまとめさせたのですが、結局全体追求で明確な根拠を示すことができずに終わりました。自分の最初の考えとグループの結論が異なった人を指名して、どこで納得したかを聞くといった場面がほしいところでした。

授業については、まだまだ改善すべきことが山積みですが、それでも私はこの授業を評価したいと思います。授業者の変わろうとする意志を感じたからです。多くの先生方の力が注がれても、この拙い1時間の授業にしかならなかったと否定的にとらえることは簡単です。しかし、それでも授業を改善しようとし、まわりの先生方がそれに協力し続けてくれるのならば、きっとこの授業者は成長することができると思います。
正直、2年前にこの状態であればと思わないでもありませんが、これからの変化を見守らせていただきたいと思います。

ねらいを実現させるための場面

前回の日記の続きです。

今年異動してきたばかりの若手の先生の体育の授業研究は1年生の跳び箱でした。
感心したのが子どもたちの動きのよさです。授業者がせかさなくても子どもたちは素早く行動し、集合すると全員が授業者の方に顔を向けています。体育だけでなく、学年全体で意識して指導していることを感じます。

子どもたちが活動をしている時に授業者が大きな声で指示を出すことがありました。しかし、残念ながらそれは子どもたちには届きません。誰に対する指示かがわかりませんし、一生懸命にやっているからこそ、聞こえないのです。全員に対する大切な指示であれば、事前にしておくか、いったん活動を止めることが必要です。個別の指示であれば、大きな声ではなく、近くに行って対象となる者の注意を引きつけてから行う必要があるでしょう。

この日の活動についていくつかの確認を子どもに問いかけて行います。指名した子どもが答えるとすぐに授業者が説明します。ポイントとなることは全員に徹底しておきたいので、何人も指名したり、隣同士やまわりと確認したりすることが大切です。
大切な役割としてグループで補助者をだすことを指示します。補助のやり方については実際に子どもを指名して一緒にやって見せますが、ポイントが子どもたちに理解されたかはよくわかりません。時間がもったいないかもしれませんが、グループの代表一人ずつにやらせて確認するといったことも必要でしょう。また、この授業では跳んだ人にアドバイスすることが大切な課題でした。アドバイスの視点は授業者が複数与えます。視点を教えることは悪いことではありませんが、子どもたちがそれでアドバイスできるようになるかは別です。具体的に誰かが跳ぶのを見せて、どこをアドバイスすればよいかを考えるといった場面をつくってもよいかもしれません。

授業者はアドバイスをする人はローテーションするように指示しました。その後子どもたちはグループに分かれますが、すぐに活動に入れません。どのようにローテーションすればよいかよくわからないからです。一つのグループが跳び始めると、次第に他のグループも活動を始めましたが、ローテーションのやり方はバラバラでした。ローテーションというだけでなく、具体的なやり方を指示する必要があったようです。跳び終えた子どもがすぐにアドバイスを受け、続いて次の子どもにアドバイスする役になるというパターンのグループが多かったのですが、これは効率が悪いやり方です。アドバイスが終わらなければ次の子どもが跳べないからです。グループを2つに分けたりバディを組ませたりする方がよいかもしれません。
最初の内はアドバイスの声かけがみられましたが、「よかった」「いいよ」といったものばかりで、具体的なものはほとんどありません。よかったにしても、どこがよかったかを言わなければ意味はありません。その内だれも声をかけなくなりました。うまく跳べなかった子どもに対して何をアドバイスすればよいのかよくわからないのです。また、全員が跳べるグループでは補助の子どももいなくなってしまい、ひたすら跳び続けているだけになってしまいました。

授業者は跳べない子どもたちを集めて個別対応していますが、全体の様子が見えていません。補助がいなくなっていることに気づいて体育館の端から全体に注意をするのですが、授業者のすぐ横のグループは最後まで補助がいないままでした。
跳べない子どもに「もうちょっとでできる」と励ましの声をかけていましたが、これはあまり意味のあることではありません。「もうちょっと」とは具体的に何をすればよいのかわからないからです。何ができているのか、何がもうちょっとなのかを伝えることを意識するとよいでしょう。

授業の最後に、役に立ったアドバイスがあったかとたずねましたが、誰の手も挙がりません。当然だと思います。そこで授業者は、「アドバイスをした人?」と問いかけ、どんなアドバイスをしたかをたずねました。何人かの手が挙がり、指名して発表させますが、あまりよい対応とは思いません。アドバイスする側に視点が当たると、どうしてもできる子ども目線になってしまうからです。しかも、実際に役に立ったと言ってもらえていないのですから、独りよがりの可能性もあります。
授業者が、子どもたちにただ跳ぶだけでなく、他者とかかわりながらうまくなってほしいと思っていたのはよくわかりますが、そのための手立てをきちんと組み立てられていなかったのです。視点を複数与えただけで、「アドバイスしなさい」ではできないのです。
複数の視点を同時に見ることは大人でも難しいことです。視点を絞らせることが大切です。どの視点を意識して跳ぶかを決めて、そのことをアドバイスする人に伝えてから跳ぶだけでも様子はだいぶ違ったと思います。自分が意識する視点を決める参考にするために、最初に一人ずつ跳んで、どこがよかった、どこがもう一歩だったかをグループ全員で話す時間を取ってもよいでしょう。
ねらいを実現するために、どのような場面が必要かを考えることが大切です。

授業後、参加していた体育の先生方がすぐに集まり、跳び箱の前で話合っていました。体育教師のチームワークのよさを感じました。この集団の中にいれば互いに大きく成長していくことと思います。
次に授業を見る機会が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

中学校で、各学年の様子から考える

先週は中学校で授業アドバイスを行ってきました。

前回訪問時、1年生は授業者によって態度を変えたり、どこまで許されるのか探ったりしている感がありましたが、今回はそういったことが感じられませんでした。どの学級も落ち着いた状態で授業に向かっていました。学年全体でどのように子どもたちに対応するのかの意思統一ができているのだと思います。ただ、どの学級にも、わからない、手がつかない状況の子どもが目につきます。やる気がないのではなく鉛筆を手にして解こうとしているのですが、そこから先に進めないのです。この状態が続くと最後にはやる気もなくなってしまいます。かといって、授業者が個別に指導するにも限界がありますし、何より先生が個別に対応するとまわりの子どもたちがその子どもは先生が対応するから自分たちはかかわらなくてよいと思ってしまいます。子ども同士の関係が切れてしまいます。まわりの子どもに助けを求めるように声をかけたり、ペアやグループでの活動で教えてもらえる機会をつくったりすることを意識してほしいと思います。また、授業時間以外でも、困っている子どもたちが学習する機会をつくることも必要でしょう。「前回の試験でよくわからないところがあった子どもは勉強会をするよ」と、授業後に学習する場を設けたりするのです。互いに聞きあうことを中心にしますが、可能であればできる子どもも先生役を期待して参加させるとよいでしょう。先生は基本的に教えないことにして、教科に関係なくだれかがその場にいるようにすることで負担も分担できます。自分の専門教科外であれば、子どもと一緒に考えることをしてもよいと思いますが、答を教えるのではなく、教科書や資料を一緒に見たりして、あくまでもサポートに徹することが大切です。自ら友だち聞くことも含めて、子どもが主体的に学習に取り組むことができるようにしてほしいのです。
学習面で苦しんでいる子ども以上に気になったのが、できる子どもの一部の態度です。わかっているからと、説明を聞き流したり、挙手をしなかったりという子どもが結構いるのです。塾等で学習している子どもなのかもしれませんが、こういった子どもをきちんと授業に参加させないと、次第に授業規律も緩んできます。本来、行事などでもリーダーシップを期待したい子どもなのですが、一歩下がった冷ややかな態度を取る可能性もあります。こういった子どもには。自分が正解することではなく、他者の役に立つことで有用感を与えることが必要です。友だちの考えを代わりに説明してみんなに納得させるといった役割を与えるとよいでしょう。「○○さんのおかげでよくわかったね」とほめることで自己有用感を持たせたいところです。

2年生は、4月に気持ちがリセットされてやる気が出ていた状況から、少し変化が見られました。集中力を失くしたり、受け身になったりといった子どもたちの姿が見られます。頑張ってきたけれど達成感が得られていないため、エネルギーが低下しているように思います。だからダメだというわけではありません。子どもたちが頑張ろうという気持ちを失くしてしまった状態ではなく、4月からの緊張が切れた状態なのでしょう。これから盛り返すのか、下降していくのかの分岐点にさしかかっています。子どもたちは自分で自分を認められないので、先生方がほめてやることが必要な状況だと思います。結果が出ていないとほめられないと思うかもしれませんが、スモールステップで評価することで、子どもたちのエネルギーを引き出すことができると思います。子どもたちをうまく認めながら進めている授業では、子どもたちのやる気をみることができます。もうすぐ校外学習がありますが、これはチャンスだと思います。先生方から見ると満足できない状態になるかもしれませんが、できているところ、やれているところを認めてほめることを意識してほしいと思います。

3年生は修学旅行が終わってどのような変化がみられるか楽しみしていたのですが、4月とあまり変わらない状況でした。修学旅行でエネルギーが高まるでもなく、落ち着かない状況でもなく、淡々と授業を受けているという感じです。部活動の最後の大会が近づき、それが終わると受験勉強が本格化しますが、傍からはそこに向かって行こうとしている状態には見えません。落ち着いて授業を受けているのですが、下手に頑張れと声をかけても逆に「そんなに言わないで」と引いてしまいそうに見えます。様子を見ているというか、モラトリアムというのか、なかなか難しい状況です。担任が毎日少しずつ、受験という目先のことではなく、もっと将来について考えるように働きかけることが有効なように思います。「君たちが社会で働く時はAIの時代って言うけど、どんな時代だろうね?食事の時にお父さんやお母さんはどう思うか聞いてみたら?」というように、少しずつまわりから刺激を与え続けることが必要でしょう。

どの学年主任も、子どもたちをよく見て、その状況を理解しています。あとはどのように働きかければよいのか学年全体で意見を出し合い、最後は意思統一して取り組めるかどうかです。チームワークが決めてとなります。夏休み前までが勝負だと思います。

体育と国語の授業研究がありましたが、それについては次回の日記で。

子どもの視点で授業を工夫する

前回の日記の続きです。

講師の先生の2年生の理科の授業は、硫化鉄の実験で混合物と化合物の違いを考えるものでした。
節目節目で子どもたちを静かにさせて、授業者に注目させます。子どもたちを集中させようという姿勢はとてもよいと思いますが、いざ話し出すと子どもたちの視線は下がります。子どもたちは指示されたことに従うだけで、その行動の意味は考えていないのです。集中して話を聞いてほしいことを子どもたちに伝え、聞いている子どもを「○○さんしっかり聞いてくれているね。ありがとう」と誰のことかわかるようにしてIメッセージでほめることで、よい行動を広げていくことが必要です。
鉄と硫黄の混合物を熱することで硫化鉄をつくり、鉄と異なる物質になっていることを確かめる実験を行うのですが、実験を行う必然性がわかりません。ちょっとしたやり取りでよいので、子どもたちに疑問を持たせてほしいと思います。
子どもたちを前に集めて、実験器具を見せながら説明をします。子どもたちはよく集中していたのですが、受け身の時間が長いため、最後は集中が切れる子どもが出てきました。
硫黄と鉄をよく混ぜると口頭で説明しますが、どうなればよいのかわかりません。実験が始まると、「このくらい?」と子どもたちが先生にたずねることになります。混ぜる前と後の違いを見せるか、写真に撮っておいて黒板に貼るとよいでしょう。予備実験をする際にその様子をビデオに撮っておいて、それを見せるという方法もあります。途中で画僧を止めながら、ポイントを説明すればずいぶん時間が節約できると思います。
いくつもの指示を一方的に聞くだけでは頭にきちんと残りません。ワークシートには実験の概略しか書いてありませんので、子どもたちが途中で確認できるようなものが必要です。あらかじめ手順を整理して板書しておくとよいでしょう。
ガスバーナーが机の上にないので保管場所に取りに行くことになりますが、特に指示していないのでそのことに気づかず、ボーとしているグループもあります。
全体的に子どもたちの動きが遅いのが気になりました。仲よく実験をしますが、実験の結果に興味を持っているわけではないようです。友だちがやっている様子を何となく眺めている子どもも目につきます。何のための実験かがわからず、どうなるのだろうと疑問に思っていないようです。
時間の関係もあって難しいかもしれませんが、次のような展開を考えてもよいでしょう。
子どもたちは硫黄をよく知りませんが、鉄のことはよく知っています。そこで、まず鉄の性質をたくさん出させておきます。次に硫黄という物質があると紹介してこの2つの物質をよく混ぜます。違う色の物質になったことを確認して鉄は別のものに変わったかを問いかけます。変わらないという答が大半でしょうが、どうやって確かめるかを確認します。磁石で鉄を吸い上げて見せてもよいでしょう。「混ぜても鉄は鉄のまま?どうやっても変わらない?」と問いかけます。中には予習をしていて「温めると変化する」「燃やすと変わる」といったことを言う子どももいるでしょう。それに対して、「お湯につけたら変わる?」「本当?鉄は燃えるの?」「うんと冷したらだめ?」「どのくらい温めればいいの?」と揺さぶり、子どもたちにある程度自由に実験の内容を考えたり、選ばせたりするのです。バーナーで高温にすることはその選択肢の1つにします。教科書に載っている実験以外でも変化するかもしれないと子どもたちが思ってくれれば、実験に対する興味も変わってくると思います。
授業者は常に教科書の通りに実験もやらなければいけないと思っていたようですが、こういった話をしたところ、色々と工夫をして見ようと思ってくれたようです。授業を工夫する楽しみに気づくきっかけになれば幸いです。

初任者の授業は1年生の理科の葉の構造の学習でした。実物投影機で葉の写真を見せながら授業を進めていました。
前時の観察を基に葉の特徴を発言させて写真で確認します。挙手の数はそれほど多くありません。1問1答で、発言が終わると全体で拍手をさせます。しかし、子どもたちは友だちの発言をちゃんと聞いていません。その状態で形式的に拍手させると、拍手された時も形式的なものだと知っているのでうれしいとは感じません。また、「管がある」という発言に対しては、「別の言葉で言うと?」と他の子どもを指名して、「すじ」という言葉を引き出します。子どもたちに教師の求める答探しを無意識のうちに強要することになっています。こういう時は、「○○さんの言っていることわかる?」と他の子どもに問いかけて、「わかった」「どんなもの?」と何人かをつないで、「いろいろな言い方があるけど、これのことを言っているんだよね?」と葉脈の写真で確認するとよいでしょう。表現をどうしても統一したければ、教科書ではこう書いてあるねと押さえておけば十分です。
葉脈、葉緑体、気孔、孔辺細胞といった用語を確認した後、葉の表側、裏側の違いを子どもに整理させます。裏側には気孔、孔辺細胞があることはすぐに書けるのですが、授業者の期待する葉緑体が表側に多いことは出てきません。実際に葉の表側と裏側の葉緑体がどうなっているのか観察して確認しているわけではないからです。
授業者はヒントと言って葉の表側と裏側の色の違いを伝えます。それでも、気づけない子どもが多いため、大ヒントと言って何で葉が緑色かを考えるように言いますが、ヒントという言葉には注意が必要です。教師が求める答が明確にあると伝えていることになるからです。子どもが見つけたことを全体で共有しながら吟味することが大切です。考えるための手掛かりとなるものを、まず共有するとよいでしょう。葉の横断面の写真が教科書に大きく乗っていますが、この写真は葉の表と裏の細胞の様子を同時に見ることができるので比較しやすいことを押さえておきます。これを基にして子どもに考えさせるのです。グループで取り組んでもよいと思います。
子どもから葉の表と裏側では細胞の大きさが違うという意見が出ます。授業者はなるほどと葉の表と裏の細胞の写真を見せて、確かにそう見えると受容します。しかし、すぐに「倍率がわからないと実際の大きさはわからないので何とも言えない」と否定します。先生の求める答ではないと言っているようなものです。結局一人の子どもが正解を言うと、それを先生が説明して終わるという形になりました。
スクリーンに教科書を映した後、子どもたちに教科書を開かせます。指名して読ませますが、当然どの子どもも手元の教科書を見ます。スクリーンに映す意味は何だったのでしょうか。実物投影機を積極的に使っているのですが、今一つポイントがわかっていないようでした。
子どもを受容しようとする姿勢がみられますし、ICT機器も積極的に活用しようとしています。今後子どもの視点で自分の授業を見直すことで多くのことに気づけると思います。今後の変化が楽しみです。
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