子どもの言葉を活かすためには、教師が解説をしない

研究指定を受けている中学校で授業アドバイスを行うことになりました。2学期の始めに1回目の訪問をしました。

授業研究に先立って、学校全体の様子を見させていただきました。小規模の学校で、子どもたちの雰囲気はとてもよいように思います。主体的に取り組ませよう、考えさせようという意識は先生方にあるのですが、見せていただいた授業は従来からの知識や解き方を教えて答を求めさせるという進め方です。主体的といっても子どもが単に活動することが中心で、どうすれば子どもたちが考えるのだろうという視点が弱いように思いました。
授業によっては一方的な指示が多く、確認もないので子どもが素早く動くことができません。教師がいつも指示をするのではなく、次に何をすればよいのかを考えさせる時間を取るとよいと思います。一問一答も目につきます。単に知識を問うのではなく、知識をもとに考える場面がほしいのですが、そういう場面が少ないのです。動画を見せる場面では、その内容について先生が説明していました。子どもは単に観客になっています。動画を見た後に何を質問すると事前に伝えることで、子どもはもっと集中すると思います。相談する場面では、テンションの高さが気になりました。子どもたちは授業を楽しんではいますが、学びを楽しんでいるのではないのです。活動を通じて何を学ばせたいのか、どんな見方・考え方を育てたいのかを持って意識してほしいと思いました。

授業研究は1年生の数学でした。1次方程式の応用の場面です。
最初に、「1次方程式と言えば?」と問いかけます。面白い問いかけですが、何を答えればよいのでしょうか。子どもたちはよい表情でしっかりと挙手をしますが、まだ参加する準備ができていない子どもがいます。すぐに指名しましたが、全員が参加できる状態を待ちたいところでした。指名した子どもは「〇x=b」と答えます。授業者は「こっちがbだったら?」と問いかけ、「ax=b」と修正させます。形式的な式にこだわらず、数人を指名する中で、「ax=b」という発言が出てくれば、それを取り上げて最初の子どもに「どう?」と問いかけてもよいでしょう。
1元1次方程式をどのように理解させるのかは意見が分かれますが、「ax=b」とパターン化していることが気になります。教師が求める正解探しから、授業が抜け出せていないようでした。用語にどこまでこだわるかは別として、「未知数(わからない数)が1つ」「未知数の次数は1次」「方程式だから等式なっている」といった言葉を出せたいところです。1元1次方程式が活用できるということは、これらの条件を満たす式で問題の条件が表わせるということです。こういったことを意識させないと、1次方程式の授業だから1次方程式を使うという発想になってしまいます。
この日のめあて「方程式を立てて、問題を解こう」を板書します。方程式を「立てる」という数学用語を使っていますが、定着しているのでしょうか。ちょっと心配です。この日は、方程式を立てることができるのが目標ですから、押さえておきたいところでした。
授業者はMさん(授業者をカリカチュアしたキャラクター?)を登場させます。お約束なのでしょう。子どもたちはよい反応をします。子どもたちを惹きつけるための工夫としてはよいと思いますが、できれば教材の中身で引き付けたいところです。
Mさんは80kgのマントをつけていて、50kgの仮面もつけています。最初の謎解きは、「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さは、Mさん1人分の体重と50kgの仮面を合わせた重さの4倍になった。Mさんの体重は何kgか?」というものです。
授業者はしゃべりながら問題を書きますが、子どもたちは問題を写す方を優先します。そもそも問題を写す意味は何でしょうか。「いいスピードで書けています」と評価して板書を音読させますが、まだ書いている途中の子どももいました。何となくで流すのではなく、全員きちんとできているかどうかを確認してほしいと思います。
問題を提示してすぐに自分で解かせますが、式を「立てる」ためにどのようなことが大切かということを、まず押さえておいて見通しを持たせることが必要です。問題文を書くのに「Mさん6人分の体重と80kgのマントを合わせた重さ」と「Mさん1人分の体重と50kgの乾麺を合わせた重さの4倍になった」に線を引き、その間の「は」を〇で囲んでいます。ヒントを授業者が与えるのではなく、ここに自分で注目できる力をつけることが大切です。授業者が誘導しようしていますが、そうではなく、この問題は1元1次方程式で解けそうなのかから考えさせたいところでした。
自分で解いた後、席を立って友だちを見に行くことをさせます。席を立たせると落ち着きを失くしやすいので注意が必要です。また、相談する相手が固定化されて、取り残される子どもが出てくる可能性もあります。そういったことがないように注意が必要です。できれば、今いる席のまわりで誰とでも相談できるようにしたいところです。
机間指導しながら、子どもたちの取り組んでいるノートを撮影します。「言葉の式を書いている人もいます」とノートを写して説明しますが、作業を止めないので、注目しません。一度作業を止めて注目させることが必要でしょう。
式を立てはじめた子どもが増えたところで、「方程式をつくるには何を文字に置くかです」と問いかけます。指名された子どもは「M一人分の体重をxにしました」と答えますが、なぜそうしたかを問い返しません。「同じ所を文字にした人?」と確認しますが、一人を除いて全員が手を挙げました。手を挙げなかった子どもはどうだったのかが気になります。結果ではなく根拠を共有してほしいと思います。また、授業者は黒板にx kgとkgを足しましたが、勝手に修正するのではなく、子どもたちに修正させたいところでした。
絵を描いた子どものノート写しますが、その絵の解説は授業者がします。それでは意味がありません。本人に説明させるか、他の子どもに本人に代わって説明させるといったことが必要です。子どもの考えをもとに進めているように見えますが、結局授業者の都合のよいものだけを拾って、自分で説明している講義型の授業になっているのです。
「は」は「=」と説明しますが、文脈を考えずにパターン化しています。これでは、思考力は育ちません。問題のパターンに応じた解き方を覚えさせているだけです。数学的な見方・考え方、どんな力をつけたいのかをもっと考えて授業を組み立ててほしいと思います。
子どもから「先生、これで合っていますか?」と声が上がります。正解の判定は教師がするものだという考えが子どもたちの根っこにあることがわかります。他の子どもとつなげたり、答が違っている時にどうやって考えればよいかといったことを問いかけたりすることが大事です。意見が違っていることを「いいね」と評価し、「比べながらどこが違うか見てごらん」と解決の方法を教えることが大切です。答が出たら本当に問題の条件を満たしているか確認するといったことも重要です。現実の問題に数学を応用する時は出てきた答が条件のすべて満たしているかを確認することが大切です。ある問題だけ、突然答として適当か確かめようとすることがありますが、そうではなく、いつでも確かめなければいけないのです。
子どもを指名して子どもの言葉で進めようとするのですが、常に授業者が確認、質問し、解説します。結局は教師主導型の授業なのです。
仮面と体重の4倍を4(x+50)ではなく、4x+50としてつまずいた子どもがいますが、「ここがひっかけというか、今回のポイント」とまとめます。この言葉は、問題を解くことは教師の意図を読むこと、教師の求める答探しというヒドゥンカリキュラムです。授業者は無意識で、子どもたちに解き方を教えようとしてコントロールしているのです。子ども同士、教師と子どもの関係はよいので、数学の授業でどんな力をつけるのかということを見直すことで、授業の質は大きく変わるのではないかと思います。

次回以降、具体的な授業改善につなげていきたいと思います。

数学におけるアクティブ・ラーニングのポイント

2学期に、高等学校の数学の先生対象の研修で講師を務めました。アクティブ・ラーニングをどのように進めたらよいかという内容です。

高等学校でもアクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)に対する意識は高まってきているようです。参加者のかなりの方が挑戦しているようでしたが、数学では子どもたちがグループで問題を解く活動と考えておられる方が多いようでした。「できる子どもが教えるので、他の子どもが考えないのでなかなかうまくいかない」といった声も聞こえてきました。
数学でアクティブ・ラーニングを考える時のポイントとして、次のようなことをお話ししました。

・子どもたちのレベルに合わせた課題(仲間の助けが必要になる、相談したくなるようなもの)であることが必要
 そのためには、教師が子どもをしっかりと把握することが大切である。

・主体的に取り組むためには仕掛けが必要
 明確な根拠がなくてもよいので、まずは自分の立場を持たせるとよい。自分の考えが正しいかどうか意識することによって考えたくなる。

・正解を教師が解説しない
 教師の解説を聞けばよいと思ってしまうので、自分たちで取り組む意欲がわかない。受け身ではなく、子ども同士の説明で納得する場面が必要である。

・余韻が必要
 子どもたちは、説明を聞いてわかったつもりになっていることが多い。深い学びは、新たな疑問が出てくることや、もう少しと考えたいと思うところから生まれてくる。「もやもやする」「もう少し考えたい」といった言葉が聞こえてくるような授業を目指すとよい。

具体的に「鈍角三角形をハサミで2回切った図形を組み合わせて長方形をつくる」という問題をグループで取り組んでもらうことで、アクティブ・ラーニングを子どもの立場で体験してもらいました。
最初に何種類できるかを問いかけます。2通り、4通り、・・・とかなり意見が分かれます。中にはできないという声も上がりました。挙手で確認した後、グループで問題に取り組んでもらいました。数学の先生方でしたが、意外とてこずります。こういった問題は高校の授業や大学入試で扱わないからなのでしょう。1つ見つけたグループから声が上がります。それを聞いて、まだ見つかっていないグループの動きが活発になります。こういうところは、子どもたちと同じです。
すべてのグループで見つけるだけの時間を取れませんでしたが、発表してもらいました。実際の授業でも、よくあることだと思います。一つのグループの発表が終わった後、反応をする方がいました。その方を指名すると、先ほどの答をもとに別のやり方を見つけたと説明してくれました。発表者と聞いている者がつながりました。全員が解けることにこだわらなくても、このようにつながっていけば、どの子どもも授業に参加できます。
この他にもまだ何通りかあることだけを伝えて、この場面を終わりました。この問題に再度取り組む方がいれば成功ですが、どうだったでしょうか。この活動で、主体的に取り組み、他者とかかわりながら、考えを深めることを目指すというアクティブ・ラーニングのイメージを持っていただければ嬉しいのですが。

最期に評価についてお話しして終わりましたが、時間配分が上手くできず、予定した内容をすべてお伝えできませんでした。申し訳ないことをしました。
今回久しぶりに、私の専門教科の数学についてお話をすることができました。数学におけるアクティブ・ラーニングについて考えるよい機会となりました。このような場をいただいたことに感謝です。

科学的な見方・考え方を意識して実験に取り組む

前回の日記の続きです。

理科の授業研究が2年生で行われました。唾液によるデンプンの消化の実験です。
小学校の復習で、ご飯を口の中で噛んでいると別のものに変わったことをヨウ素液の変化をもとに調べたことを思い出させましたが、一部の子どもの発言ですぐに授業者が説明していきます。記憶がはっきりしていない子どももいるので、もう少し他の子どもにも発言させて確認させたいところでした。ご飯を食べている時に別のものに変わっている実感が子どもたちにないことを確認し、「まずは実感してもらう」と、用意した小さな餅(団子)を子どもたちに配ります。音楽に合わせてしっかり噛むことを指示し、餅を口に入れさせます。テンションがかなり上がりましたが、口に入れれば、しゃべることもできませんので落ち着きます。1分ほどしっかり噛ませて、どんな変化があったか、変化がなかったのかを問いかけます。子どもからは「おいしい」「甘かった」という言葉が上がります。授業者は「甘くなった」と言葉を変えました。「甘くなったという人?」「おいしかったという人?」と子どもたちをつなごうとしますが、「甘い」「おいしい」ではなく、「変化」したことをしっかりと押さえたいところです。「甘かった?最初から?」と問いかけ、子ども自身に「変化」を意識させたいところでした。
授業者は、他の意見も子どもから引き出そうとします。液体になったという発言もしっかりと板書をします。「変化あった?」と問いかけられた子どもは、「あまり変わらない」と答えます。授業者は「あんまり変わらないね」とこの発言も受容します。どのような発言も受け止めようするのはよい姿勢です。「味は主観的なものなので、中々難しい」と言ってから、「中学校では別のものというのは、こういう風に教えます」と言って、「糖」を天下りで出しました。「今やったように、甘くなった、変化した、しなかった、おいしい、まずいではよくわからないから、理科的には困ります」と説明して、「糖になったことを確かめよう」とこの日の課題を提示しました。

子どもの発言を引き出すための手立てとして餅を食べさせるというのは面白いと思います。発言を受け止めることもできています。しかし、子どもの発言を焦点化して、課題をつくることが上手くできていません。前提となることをきちんと整理し、小学校の知識ともうまくつなげる必要があります。
まず、餅はお米から作られていて、小学校で学習したデンプンであることを知識として押さえておく必要があります。その上で、噛んだ後変化した、しなかったと意見が分かれたことから、舌では変化がよくわからないこと確認します。甘いとい意見もあったので、甘いものに変化したかもしれないことを押さえ、糖になったと結論づけるのではなく、甘いものの例として「糖」を出し、もしかすると糖の仲間になったかもしれないという仮説を立てるのです。

どのように実験するのか、手順は授業者が天下りで説明します。デンプン溶液は2つ用意してあります。ここで、なぜ2つあるのかと問いかけますが、何を知りたいかという実験の目的で手順や実験内容は異なります。手順の説明に入る前に、このことをきちんと整理していないことがとても気になりました。唾液を入れたのと入れないのをつくるためと言うのですが、温度については小学校の時に温めたのでと何も考察せずに40度と指定します。比較実験を意識しているのですが、どの条件を変えて比較すべきかは仮説によって変わります。デンプンを噛めば糖になることを示すのであれば、先ほどの餅を噛む前と後で試薬を使って確認するだけで十分です。比較をする必然性もきちんと考えさせることが大切だと思います。
丁寧にやるには時間の関係で工夫が必要ですが、まず先ほどの餅をもとに、試薬の説明や糖になっているのかの確認を授業者が演示し、その上でどんな実験をするとよいか考えさせると面白いと思います。例えば、餅ではよくわからないので、どんな実験をしようと問いかけるのです。米粉を溶かしたデンプンを使う必然性が生まれます。また、失敗から学ぶことも大切ですが、失敗させる時間を取ることはむずかしいので、あらかじめ常温で実験をしてうまくいかなかったビデオを見せて、どうしようと考えるという方法もあると思います。上手くいかなかった原因を考え、仮説を立て、どんな実験をするのかを構想するのです。デンプンのせいなのか、時間が短かったのか、撹拌が必要なのか、唾液の量なのか、子どもたちから出てきたものをもとに実験をグループごとに考えさせ、それらの結果を集めて考察するのです。

授業者は実験の条件を同じにするために、唾液は全員のものを入れるように指示します。こういった実験全般に共通する注意を手順の途中にはさみます。このことは大切なのですが、手順の中で説明すると押さえが弱くなります。実験に関する共通の注意、比較実験であれば「条件をそろえる」「比較する時は条件を一つだけ変える」といったことですが、を最初に子どもたちに問いかけてまとめておき、その上で、実験を構想したり、手順をどうすればよいか、なぜこのような手順を踏むかを問いかけたりするとよいでしょう。

糖の検出の試薬としてベネディクト液を使いますが、授業者は実際に反応を見せずに口頭で糖があるとオレンジ色に変わると説明します。ビデオ等を使ってデンプンと糖との反応の違いをきちんと確認しておくとよいと思います。この時、糖として何を用意するかが問題です。子どもたちは糖というと砂糖しかイメージしませんが、ベネディクト液はショ糖(砂糖)とは反応しません。そこで、麦芽糖やブドウ糖などをいくつか用意して、代表者になめさせて甘いことを確認した後、それらで実験した結果をビデオで見せるとよいでしょう。中学校の範囲を逸脱するのでショ糖をどう扱うかは難しいところですが、ショ糖は反応しないことを実験で押さえておいてもよいかもしれません。

手順に沿って、注意事項もその操作といっしょに説明するので説明が長くなり、子どもたちは長時間受け身の状態が続きます。よく集中していたのですが、さすがに集中が切れてくる子どもが出てきます。説明が終わると子どもたちは一斉に体を動かしました。それだけ受け身の状態が続いていたということです。
子どもたちは素早く実験に取りかかりますが、注意事項が多かったため、徹底できていません。試験管を突沸させてしまうグループもありました。また、温度計は使うたびに洗うことを指示していませんでした。唾液が混ざってしまう可能性もあります。授業者は途中で気づいて指示をし直しましたが、授業者自身も注意が多すぎて整理できていませんでした。
子どもたちの集中力を考えると、実験の流れを説明して全体像をつかませてから、注意事項を説明するとよいでしょう。ディスプレイにスライドで実験の流れを映しておいて、注意事項をその横にポップさせておくといった工夫をすれば分かりやすくなると思います。口頭だけではなく、視覚に訴えることも意識するとよいでしょう。注意事項ごとにその場面をビデオで見せるといった方法もよいと思います。

一度実験をした後、比較実験を意識して、デンプンの種類、温度など、自分たちで条件を変えて実験をさせます。しかし、その必然性がありません。条件を変えることで何を知りたいのか、何がわかるのかといったことを意識させることが必要です。子どもたちが思考する場面がほとんどなく、実験という作業に終始してしまいました。

実験終了後、グループを混成にして何を変えてその結果どうなったかという実験結果を共有しますが、子どもたちは互いの結果を写しているだけです。条件を変えた意図、実験結果から何がわかったということを共有して、それをもとに何が言えるかを話し合わせたいところでした。
もとのグループに戻り、個人で考察を書かせた後、個別に発表させます。最初に指名した子どもは「唾液を入れたものはベネディクト液でオレンジ色になったので、糖に変わった」という事実を発表してくれます。子どもたちは授業者が板書をするとすぐにそれを写します。発表をもとに考えを深めるという経験を日ごろからしていないことがわかります。結果、結論だけが重視されていることが気になります。続いて、それ以外に何かないかとたずねると「デンプンは唾液によって糖に変わる」ということが出てきました。授業者は、それを軽く流してしまいます。これらの発言は、もっとていねいに扱う要があると思います。「唾液を入れれば糖に変わるの?絶対?」といったやり取りが必要なはずです。というか、条件を変える実験の前にこのやり取りをするべきなのです。そのことを確かめるために実験をするのですから。

この授業をつくるために予備実験を含めてずいぶん時間をかけたようです。条件を変えて比較実験をするなどの工夫も見られるのですが、科学的な見方・考え方として何を大切にするのかが明確になっていません。実験をする必然性を子どもたち持たせることができていませんでした。「何がわかっていて、何がわかっていないのか」、「どのような実験をして、どのような結果が出れば仮説は正しいといえるのか」といったことと、実際の実験がつながっていないのです。活動中心の授業になってしまったのが残念でした。実験のアイデア自体はよいので、科学における実験とはどういうものかをきちんと意識して、授業を構成できるとよかったと思います。
まず、実験する前に何がわかっているのかをしっかりと押さえ、その上で、子どもたち問いかけたり揺さぶったりしながら、何がわからないのか、どうなりそうなのか予想させるといったことから授業改善を始めるとよいでしょう。
まだ若い先生なので、この経験を活かして次につなげてほしいと思います。

授業規律を全員参加、授業への集中につなげる

2学期初めに訪問した中学校での授業アドバイスです。

1年生の数学の授業は、子どもの姿がバラバラなことが気になりました。やるべきことがはっきりしている時は参加できるのですが、指示がよくわからなかったり、問題が解けた後にすることが無かったりすると、ボーとしている子どもが目立ちます。机間指導をしてはいるのですが、できた子どもに対してほめることや具体的な指示はありません。困っている子どもには個別に指導をするのですが、その子どもにかかりきりになると、全体を見ることができずに他の子どもがだれてしまいます。
指示をした時はできた後のことも先に指示しておくとよいでしょう。そして、すぐに机間指導するのではなく、全体の様子を見て指示が通っていないようなら、再度指示をし直すことも必要です。また、困っている子どもが多いようでは個別に対応することは難しいので、まわりと相談させるとよいでしょう。
指名した子どもに問題の答を板書させますが、他の子どもはそれを見ているわけでもなく、ボーとしています。これではその時間がムダになってしまいます。答ではなく過程や根拠を意識させることで、この時間を有効に活用できるかもしれません。具体的には、板書の説明を本人ではなく、他の子どもにさせるようにするのです。そうすることで、友だちの板書を真剣に見る必要が出てきます。
子どもたち全員が参加することを意識してほしいと思います。

1年生の社会科の授業は、授業規律がしっかりできていて、子どもたちがよく集中していました。ディスプレイに課題や指示を大きく写すので、子どもたちの顔がしっかりと上がります。また、子どもたちに作業を指示した後も、ディスプレイに指示を残しているので、内容がわからなくなった子どもも安心です。いずれもちょっとした利用方法ですが、うまくICTを活用できていると思いました。
子どもたちはノートやワークシートが必要な場面では素早く取り出します。授業者が話に集中させようとして「顔を上げてください」と言えば、すぐに全員が反応します。しかし、この時期であれば指示しなくても顔が上がってほしいと思います。いつまでも指示をして子どもを動かしていると、指示されたことしかやらなくなるので注意が必要です。
資料をもとに考える場面では、「共通点」「相違点」を見つけるという視点をはっきりと与えていました。1年生なので、こういったことを教えることも大切です。子どもたちが資料をぱらぱらめくりせず、きちんと読みながらめくっていました。課題に集中している証拠です。
この学年で気になるのは、同じ学級でも、授業者が変わるとこういった子どものよい姿が見られなくなることです。授業規律は学年全体で意識するようになって、どの授業でも一定のレベルには達しているのですが、それが形式的になって全員参加や授業への集中につながっていない時があるのです。このことを授業者が意識しているかどうかにかかっているようです。子どもたちが授業者に合わせていると言い換えてもよいかもしれません。この点が学年の課題だと感じました。

3年生の社会科は自衛権や戦力について考える場面でした。
授業者は日本の現状で「うん!?」と思うことを子どもに出させます。子どもの疑問から課題をつくりだそうとしているのですが、疑問と言わずに「うん!?」という言葉にすることで、意見を出しやすくしています。面白い問いかけ方だと思いました。
ただ、日本の現状と言っても子どもたちにどれだけの知識があるのかちょっと疑問です。新聞記事、教科書の資料などを与えることも必要でしょう。この学校では環境的に難しいのですが、ネット等の利用を選択肢に入れることができれば、かなり状況は変わると思います。
子どもたちは授業に前向きに取り組もうとしています。すぐに鉛筆を持つことからもわかります。しかし、そこから手が動かない子どもが結構います。相談してよいと言うと、困っている子どももかかわることができるのですが、座席の距離が空いているのでやりにくそうに見えました。グループの隊形にして作業をさせてもよかったかもしれません。
相談しても、互いに考えがないので何も書けていない子どもが結構いました。授業者は書けた子どもを指名して考えを聞いていくのですが、書けていない子どもとつなぐことをしてほしいと思います。「似たようなことを書いた人?」と書けた子ども同士をつなぐだけでなく、「書いていないけど、『うん!?』と思った人?」とつなぐのです。
この授業者の目指す方向性はとてもよいと思います。「子どもが考えるために必要なものを考え、それをどのようにして子どもたちに与えるのか」、「考えを持てなかった子どもをどのようにして参加させるのか」といったことが次の課題だと思います。まだ、若い先生ですので、今後の成長が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

ルールを類推させることを意識する

夏休みに、市主催の初任者対象の研修で講師を務めました。初任者と希望する先生方が参加します。初任者の代表の模擬授業をもとに授業解説を行い、その後私が講演をするという流れでした。

初任者の模擬授業は小学校3年生の算数の授業でした。単元は一億までの数です。
授業者は子ども役の言葉をとてもよい笑顔で受容できます。日ごろから子どもを受容することを意識していることがよくわかる授業でした。
最初に数字を使ったクイズを行います。「6944」と書いた紙を見せてこの数が何の数かという問題です。単に数字の羅列にも見えますから、子どもたちに一度読ませるとよかったでしょう。実際の子どもであればもう少し反応してくれたでしょうが、大人なので反応が出てきません。一人が「人間の数」と言ってくれたので、「どういう?」と聞き返します。「世界中の」という答に笑い声が起きますが、授業者は「いいね。いいねえ」と上手に受けます。ちょっとずれた答、笑いを誘ってしまう答に対してこのような受容の仕方ができるのはたいしたものだと思います。きっと学校では安心な学級づくりができていることと思います。

「みんなに関係のある数です」とヒントを言って子ども役に答えさせようとします。しかし、この数が何なのかは、算数的に意味はありません。時間をかける必要はないのです。子どもの反応の多寡にかかわらず、すぐに「○○市の小学生の人数」と答を言ってしまった方がよいでしょう。
答を言った後、「愛知県では?」「全国では?」と問いかけ、大きな数になることを子どもたちに意識させ、この日の授業につなげようとしていました。そうであれば、実際の愛知県や全国の小学生の数を提示し、その数を例にして授業を進めた方がよかったかもしれません。

「一億までの数」という単元名を書いて、「一億や大きい数って……」と説明を始めますが、億はまだ学習していないので、大きいということもよくわかってない子どもがいるはずです。全国の小学生の数や日本の人口などを与えて、「億という言葉が出てきたね。これがどのくらいの大きさかわかるようになるのがこの単元だよ」といった導入でもよかったかもしれません。
大きな数を実感させるために、1を表わす小さな紙をもとに、それを10集めた紙、100の紙、1000の紙と見せながら、大きさを視覚化します。このこと自体はよいのですが、何を押さえるべきかが曖昧です。ここは、「位」という言葉を意識することが大切です。束が「10集まると次の位になる」ことを子どもに言わせることが必要です。
「千の次は?」と問いかけると「1001」という答えが返ってきました。授業者は笑って受け止めました。大人だからの発言かもしれませんが、言葉が曖昧であったことは否めません。「千の束が10集まると?」とか「千の次の位は?」といった聞き方をする必要があったと思います。
子どもたちに1万がどのくらいの大きさになるか想像させ、手で示させます。千単位で色を変えた紙をつなげたものを折りたたんでおいて、「2千」「3千」と言いながら一つずつ開きます。記数法を意識しているのだとは思いますが、大きさを確認して終わります。
続いて丸めた紙を見せて、子ども役を一人手伝いに呼びます。子ども役から「2万」「1億」と声が上がり、「1億。おお、とんだ」と返します。最初に「億」を出したために「億」が出やすい状況になっているのでしょう。「とんだ」と言われても何のことかわからない子どもはたくさんいるはずです。ここは、「なるほど」とさらりと受け止めるべきでしょう。
紙を広げていくと窓側から廊下まで届くほどです。数の大きさを実感させる面白い工夫でした。

「これで何万ですか?」とたずねますが、この発問は要注意です。「一万」「二万」・・・と数えて行くと、自然に「十万」が出てきますが、これは当たり前ではないのです。千までと同じルールであれば、次の新しい位の名前が出てこなければいけないからです。万以降はこれまでと位取りのルールが変わっていますので、ここは「1万がいくつ?」と聞くべきなのです。「1万が10だから次の位になるね」と位取りのルールを意識させるとよいでしょう。また、百が十集まっても十百とは言いません。億と言った子ども役は、万の次の位が億だと考えたのかもしれません。大人にとっては当たり前かもしれませんが、異なったルールになっていることをきちんと押さえなくてはいけないのです。
この後、めあて「一万の位のまでの数の表し方やしくみについて調べていこう」を提示します。これまでの場面では、位という言葉も押さえられておらず、大きさを実感させるだけでめあてにつながっていないことが残念でした。

位ごとにまとめた紙の束の図を黒板に貼り、下の位から順にその数がいくつになるか答えさせます。数字を貼って、漢字でその表わす数を書いていきます。数を数えるのに、位ごとの束にすることが前提になっていますが、細かいことを言えば10進位取り記数法を使っているからこうするわけです。10の束ずつにまとめていることをしっかりと先に確認した方がよいと思います。
千の束が4つで二千という子ども役がいました。授業者は大きく「うんうん」と受容して、理由を聞きます。「千の束が4つだし、二千じゃない?」と返ってきました。授業者は「そう考えてくれたんだね、どうだろう?」と受け止めます。あえて自分で説明しようとせずに他の子どもの意見を待ちました。なかなかできない対応です。初任者としては立派だと思います。ここで一人の子ども役が挙手して「千の束が4つあるから四千じゃない?」と答えます。その発言を受けて、「うん、うん」とうなずいて、勢いよく復唱します。いかにも待ってました感がありました。「納得してくれた?」と聞くと、うなずいてくれたのでそれでよしとしましたが、実際の子どもの場合、納得できていなくてもその場の雰囲気に負けてしまうかもしれません。本人に説明させて確認したいところでした。
間違えた子どもがいた場合、どこでつまずいているのかを確認する必要があります。この場合であれば、紙の束を使いながら、「千が2個だといくつ?」と聞いて「2千」と返ってくるのか、逆に「二千は千の束がいくつ?」と問いかけるとどうなのかを確かめるといったことが必要でしょう。

授業者は、「みんなが言ってくれたのをまとめて読もうと思います」と言ってから、「四千と五百と六十と三。ばっちりでしょう」と問いかけます。子ども役がざわついたのを受けて、「どうやって読んだらいいの」と返しますが、このやり取りはあまり意味がありません。数の読み方はルールです。考えることにあまり意味はないのです。もしやるならば、小さい数の読み方を確認して、そのルールに従えばどう読むことになるのかを考えさせるとよいでしょう。ルールについては、「教える」、「類推させる」、「どういうルールにすればよいか考えさせる」という選択肢を意識して授業を組み立ててほしいと思います。
この日の学習内容がルールであることを授業者はあまり意識できていませんでした。これまで学習したことの延長にあるルールですから、子どもたちの数に関する知識をルールとして整理し直して、そこから類推させることすればよかったと思います。

この後、「漢字で書くと読みやすい、数字だとうまく読めないね」と言ってから、全員に読ませました。
続いて千が10個分でいくつになるかを全体に問いかけ、1万になることを確認します。個別に子ども役に確認すると、理由を求められていると勘違いした発言が出てきたので、授業者は「理由を言える?」と返しました。「千かける十は、ゼロを一個増やすので一万です」という答に「すごいね。みんな授業でやったね。10倍ならゼロを足すの、ばっちりわかっているね」と受けました。これは千が10個分で1万という説明としては問題があります。十進法であるから、ゼロが一つ増えるのであって、それが1万であるのは定義です。こういった発言の扱いは難しいのですが、少なくとも定義は何かを押さえることはとても大切なことです。算数に限らず、因果の方向を意識して対応をしてほしいと思います。
「1万が2つだと2万だ」ともっていきますが、これもルール(定義)です。「千が4つだと4千と言うんだから、1万が2つだと?」と過去のルールから類推させたいところです。また、千、百、十は一千、一百、一十と言いませんが、万からは一万と言います。ルールが変わりますので、ここも押さえる必要があるかもしれません。

スライドを使って、「一万を2こ集めた数を二万といいます。二万と四千五百六十三で二万四千五百六十三といいます」と教科書に書いてあるまとめを映して書かせます。それよりも、「千が2個でいくつ?」「1万が3個だったら?」「4個だったら?」と位を変えながら次々指名して言わせた方が定着するのではないかと思います。
続いて、スライドを使って記数法の説明を始めます。24563を位で区切ったものを映し、アニメーショを使って万の位のところに1万を2つ見せます。ここで、万の位の位置の数は何を表わすのかを問いかけますが、子ども役は何を聞かれているのかわかりにくいようでした。「ここが2なら何が2個」と問いかければよいでしょう。いきなり万の位から始めましたが、千まではこれまでに学習しています。下の位から順に確認すればよかったと思います。

この後、位のところに万、千、百、十、一と書いた位取りカードを使って漢数字で書かれた数を十進位取り記数法に直す練習をします。このカードを使うのなら、位取りをきちんと理解させるために、位の欄を空白にしたものを渡して、子ども自身に書き込ませるとよいでしょう。わざと桁を多くして、左から書いたら間違えるようにしておくことも手かもしれません。どちらから書いたかをきちんと押さえることで、位取り記数法の理解が進むと思います。

授業者は、子どもを否定せずに受容することがしっかりとできています。初任者としては基本がしっかりとできていると思います。この授業では、過去に学習した知識やルールをもとに類推するという発想が欲しかったところです。子どもたちの活動はあっても考える場面が少なく、教え込みの授業になってしまったのが残念でした。類推は算数・数学では大切な見方・考え方です。このことを意識して授業を組み立て直せば、とてもよいものになると思いました。これを機会に大きく飛躍してほしいと思います。

この後、子どもとの関係づくりについて、先ほどの授業者のよいところを例に取り上げたりしながら話をさせていただきました。前向きな先生方ばかりで、とても楽しく研修を進めることができました。こういう機会をいただけたことに感謝します。

今後の学校の変化が楽しみ

先週、私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

先日行われた研修では、授業者と直接お話しする機会がなかったので、この日に振り返りを行いました。
全員に共通していたのが、自分の授業をきちんと振り返ることができていたことです。私が指摘する以前に、自分で課題を意識することができていました。このことは彼らが今後成長していくためにとても重要なことです。どのような子どもの姿を目指すのかを意識して子どもたちの様子を見ていれば、自然と課題は見つかります。日々その課題を解決しようとして授業に臨めば、間違いない力はついていくのです。これからの成長が楽しみです。

国語の講師の方と一緒に、高校1年生の国語の授業を参観しました。授業者は若手の先生です。
子どもたちがコンクールに応募する新俳句(川柳?)をつくる授業で、この日は、秋、冬をテーマにしたものでした。授業の一環として応募しているそうですが、毎年何名かは佳作に入っているようです。参考としてその内の一つを取り上げ、どのような情景かを考えさせました。創作に時間を取りたいので時間をあまりかけることはできませんでしたが、なかなか面白い句で、国語好きな子どもでしょうか、数人がよく反応していました。
子どもたちは以前にも俳句づくりに取り組んだ経験があるようです。特に授業者が指示をしなくても、季語などの資料や辞書などを使ってそれぞれのペースで進めています。
中には数人で雑談をしているように見える子どもたちもいます。講師の方にその姿を見てどう思うかと聞くと、よくない状況だと判断されました。何を話しているかわかりませんので、その瞬間で判断することは難しいことを伝えました。この子どもたちは、時々話をしては一気に集中して句を書いています。句づくりに関することを話していて、しっかりと授業に参加していたのかもしれません。また、ずっとまわりとおしゃべりしているように見える子どもがいましたが、その言葉の端々に俳句らしきものが聞こえてきます。他の迷惑になっていたかどうかは別にして、その子なりの創作方法で授業に参加していたのかもしれません。難しい顔をして創作に苦しんでいるように見える子どもが、隣の子どもの作品を覗いて笑顔になっている場面もありました。自分の作品ができれば、見せ合って楽しそうにしています。子どもたちの見せる姿は、場面によっても変わります。すぐに注意したりせずに、よく見ることが大切です。
授業者は、笑顔を見せながらそういった子どもたちのそばに行き、どんなことを話しているか聞いたり、声をかけたりしています。子どもたちの声が少し大きくなることもありますが、ある程度までいくと自然に落ち着いていきます。子どもたち自身でコントロールできていました。この授業が理想的なものとは言いませんが、少なくとも、一問一答で授業者が解説し、子どもたちは板書を写すという旧来のタイプとは比べて、子どもたちが主体的対話的に学ぶ姿を見ることができました。こういった授業を見ることで、講師の方の授業観が少し変わってくださればと思います。

この日も、中学校の先生が相談に来てくださいました。社会科のルーブリックについての相談です。よく整理されコンパクトにまとまっていましたが、子どもたちに示すには少し難しい言葉が使われていました。子どもたちにとってわかりやすい言葉にすることをアドバイスしました。例えば「課題を見つける」と「疑問を持つ」「知りたいと思う」という言葉を比べて見れば、前者の方がよりレベルの高いものを示していますが、後者の方が子どもたちにわかりやすく具体的にイメージしやすいと思います。これは教師側にとっても、子どもたちの具体的な姿をイメージしやすいというメリットがあります。ルーブリックをもとに、具体的な学びのイメージを教師と子どもが共有できることを目指してほしいと思います。

言語技術(Language Arts)についての研修を、外部講師を招聘して開いたそうです。子どもたちの思考力をつけるためにも、このような取り組みは大切だと思います。今後取り入れるとすれば、どの教科で行うのか、どのように教科間の連携をとるのか、具体的にどのような活動をするのかといったカリキュラムマネジメントが求められます。来年度からの実施を考えるのであれば、すぐに取り組みを始める必要があります。校長が任命したメンバーで進めるのではなく、オープンなメンバーによるプロジェクト形式がよいと思います。
「中学校の新教科」「セキュリティ」「言語技術」と、新しいテーマが目白押しです。先生方自らが考えつくり上げていくことが大切です。私は直接プロジェクトに参加するのではなく、先生方の思いを実現するための相談役に徹したいと思っています。先生方がどのような夢を描かれるのかとても楽しみです。

子どもの言葉をどう焦点化する

前回の日記の続きです。

中学校のグループの模擬授業は、誠実について考えるものでした。3人でサッカーをして遊んでいる時に、猫から鳥のひなを助けようとして一人がボールを投げたら窓ガラスが割れ、そのことをその子どもが先生に報告に行く間に、もう一人とボールを蹴っていた主人公が隣の窓を割ってしまうという話です。先生が来た時に、もう一人の子どもが2枚ともひなを助けようとして割れたことにしてしまったため、主人公は本当のことを言いだす機会がなくなり、悩んだ結果、翌日事実を伝えようと決心するという展開です。
模擬授業は資料を読んだ後のところから始めます。授業者は、登場人物の名前や誰が何をしたのかがわかりにくいので、絵を使いながら内容を整理しました。子どもに問いかけるのではなく、授業者の方で説明していきます。内容把握にはあまり時間をかけたくありませんので、絵を使ったりしてできるだけ早く確実にすることが大切です。そういう意味では、授業者が説明することは悪くはないのですが、立ち止まってポイントを確認することがあまり意識されていませんでした。説明が単なるあらすじになっています。押さえるべきことをきちんと整理しておく必要があったでしょう。
途中まで内容確認をした後、事件後の授業が主人公の大好きな英語だったにもかかわらず集中できなかった理由を隣同士で考えさせます。子ども役は、この後主人公が事実を先生に伝えに行こうとする結論を知っていますので、単なる読み取りになってしまう可能性が高いことが気になりました。
しばらく話した後に、発表させます。個人の考えを問いかけ。挙手で指名していきます。相談させた時には、自分の考えよりも話した内容や、意見の違いなどを問いかけないと、考えが深まらないことに注意が必要です。子ども役からは、「罪をかぶった友だちに悪い」「言った方がいいのか、悪いのか」「本当のことがわかって怒られるんじゃないか」「嘘をついている自分が許せない」といった自分のことが中心です。授業者はこの意見について共感を求めることはしませんでした。その代りに大好きな英語の授業に集中できないことを強調しました。再度理由を聞くことで、友だちとの関係もあることに気づかせようとしましたが、「正直に言えばいいじゃない、何で言えないの?」「怒られるから言わないの?」といった言葉で揺さぶってもよかったでしょう。

一人の子ども役の手が挙がり、言わないでいいと言ったもう一人の友だちとの関係でどうしようか悩んでいるという考えが出てきました。それを聞いて子ども役の中に動きが起きました。自然と口を開いてまわりと話をします。この意見に納得したかを挙手で確認すると、全員の手が挙がりました。その時、挙手が遅れた子ども役が一人いたので、どういうことかをたずねました。よい対応だと思います。「単純に言うべきかどうかだと思っていたが、そう言われるとそうだなと思った」と返ってきました。授業者は「いろいろな感情があると思うけれど」と簡単にまとめ、この続きを読みました。いろいろな感情とまとめずに、板書するなりして、葛藤の原因を整理しておきたいところでした。授業者は、あえて焦点化せずに、主人公の行動を追うことで考えさせようとしましたが、葛藤の理由がいろいろと出てきているので、主人公ではなく、「あなたならどうする」と問いかければ、自分のこととして考えることができたと思います。

この資料では、「正直であるべきかどうか」と、「正直であるということと友だちとの関係をどうするか」という2つの問題が含まれています。そのどちらに焦点を当てたいのかが今一つはっきりしません。「もう一人の友だちが、黙っているように言わなければ、正直に言う?」という問いかけを入れることで、どちらが子どもの課題になっているのかを明確にすることができると思います。そうすれば、授業者が考えさせたいところに焦点化しやすくなると思います。

主人公は事実を言わないように言った友だちに「先生に言いに行こうと思うんだ」と言いましたが、その友だちにもう一度言わないように言われます。しかし、翌日には「言いに行ってくるよ」ともう一人の友だち告げます。授業者はこの気持ちの変化を取り上げて、その日の夜に何を考えたかを相談させますが、決断したということを読み取って終わってしまう可能性があります。葛藤の理由を整理した上で、「決断したんだ」と確認して、その理由を問いかければすぐに焦点化できたはずです。
相談の後、考えを聞きます。すぐに挙手した子どもを指名すると、主人公が言いに行こうかどうか悩んでいたが、言いに行くと決断したと発表します。予想通りの答です。授業者は、何で決意したのと問い返します。「自分だったら、罪悪感」と返ってきました。ここで自分に引き寄せた答が出てきました。これが全員に考えさせたいことです。次に挙手した子ども役は、自分だったらと前置きして、罪をかぶった友だちにつくか、事実を言わない友だちにつくかの選択だと説明します。事実を言わない側につくと、その後悪い方に行きそうだし、罪をかぶった友だちにも「あいつはこういう時に嘘を言うやつだと」と思われ関係が悪くなるだろうから、罪をかぶった友だちにつくというわけです。そのことをアピールするためにも、つくと決めた友だちにわざわざ「先生に言いに行く」と言ったというのです。次の意見は、言わなくていいという友だちは、自分のことしか考えていないから、もう付き合わなくてもいいやと考えたというものです。罪悪感という自分の気持ちと、友だちとの関係を打算的に考えるものと大きく2つの視点が出てきました。
授業者は意見をしっかり聞くのですが、その意見を全体で共有したりつなげたりしません。ここは、視点をもう少し整理して、その違いを明確にしておきたいところでした。また、子ども役の意見は、主人公の決断に対しての解釈ですので、自分に引き寄せさせるためにも、「あなたらどうする?」とストレート聞いた方がよかったと思います。

授業者は、「あなたなら、どちらにつく?」という子ども役から出た「つく」という言葉で考えを聞きます。ここで問題にすべきは、どちらにつくかではなく、誠実でありたいという気持ちを優先するかどうかだと思います。「罪悪感」の方を取り上げて、誠実であろうとすることに対して障害がある、それでも誠実であろうとするかどうかを問うとよかったでしょう。
ほとんどが罪をかぶった友だちに挙手しましたが、一人が事実を言わない友だちに手を挙げました。理由を聞くと、自分なら勇気が出ないということです。これは、どちらにつくかという視点とは異なります。発言者は引き続きその理由もしっかりと発言してくれましたが、実際の子どもであれば、なかなか理由までは発言できません。「勇気が必要なの?どういうこと?」といった問いかけが必要になると思います。

子ども役の気持ちが出てきているのですが、授業者は、「どうして主人公は、事実を言わないようにと言う友だちの考えを無視したのか」を改めて問いかけます。話が元に戻ってしまったので、授業者が何を求めているのかよくわからなくなったのでしょう。子ども役がなかなか反応できませんでした。最後になって数人の手が挙がります。「謝ってすっきりしたい」「最初は、自分が怒られるかどうかだったけれど、友だちの立場を考えたらもやもやして、もやもやが続くのが嫌だから」といった意見が出ます。ここで、時間が来てしまいましたが、早くこういった意見が出れば、ここを手がかりに考えを深めることができたと思います。

まず、主人公が悩んでいるのは何かをはっきりさせ、その上であなたならどうするかを問いかけ、その理由を聞くとよいでしょう。子ども役から出た、「すっきり」「もやもや」といった言葉をキーワードとして、「すっきりする?」「もやもやはなくなる?」と行動後の気持ちを問いかけ、その理由を全体で聞き合えば、誠実ということの意味をより深く考えることができたと思いました。答が出る必要ありません。友だちの考えを聞いて、誠実であることが、「すっきり」とした気持ちで暮らすことにつながることに気づく子どもが一人でも増えればよいのです。
子どもから出てきた言葉を、どう焦点化していくかを意識しておかないと、ただ意見を聞き合っただけで考えは深まりません。このことを大切にしてほしいことを伝えて終わりました。

子どもたちの考えをどう深めたいのか

前回の日記の続きです。

小学校高学年のグループの模擬授業は家族について考えるものでした。
授業者は最初に家族といえばだれを思い出すかを問いかけます。隣同士で少し話をさせて、どちらが発表するかをじゃんけんで決めさせますが、じゃんけんはあまり意味のあることではありません。無用にテンションを上げることにつながります。
この日の資料は、母親の入院に際して家事に追われて大変な自分を想像していた主人公が、家族の助け合いで想像していたことが起こらなかったことから、家族の在り方に気づき成長するという、子どもの作文をもとにしたものです。

授業者は「(家族の中で)家事をたくさんしてくれる人?」と問いかけ、「おかあさん」「おばあちゃん」という発言が出た後、資料を読み始めました。話の内容を意識しての発問です。個別の家庭の事情もありますのでこういった発問には注意が必要です。何人にも聞かずにすぐに先に進めたのはよかったと思います。
授業者は子ども役に指示して、事前に配った資料を手で持たせて読む姿勢をつくらせます。一方、授業者は自分の手元の資料を見て読んでいるため、子ども役の様子をあまり見ていませんでした。子ども役と授業者の視線がからまないことが気になります。道徳では、資料を持たせずに子どもの顔を上げさせ、授業者が子どもの反応を見ながら読むほうがよいでしょう。
授業者は途中で読むのを止めると、ポイントとなる「不安」という言葉に○をつけさせます。資料や教科書をもとに個で考える場合に、視点を意識させるのに有効な方法です。しかし、道徳で内容把握をさせたい時には、あまりお勧めしません。道徳では、内容把握はできるだけ早く全体で済ませて、自分のこととして考えさせるための活動に時間をかけたいからです。「不安」を板書して、全体に問いかけながら授業者が説明した方がよいと思います。
授業者は、「家事は何?」「思い浮かぶものは?」と問いかけます。子どもたちの手元に資料があるので、結末が気になる子どもは問いかけを無視して先を読んでしまいます。全員を参加させるには、資料を裏返しにさせるといった明快な指示が必要です。私が、道徳では資料を配らずに範読した方がよいと思う理由の一つです。

意図的指名で子ども役に答えさせながら板書をしていきます。続いて、出てきた家事を誰が主にやっているかを問いかけます。ていねいに進めていきますが、子どもたちが考える場面ではないのでもっとテンポよく進めたいところでした。
ここで、先ほど○をつけた「不安」に注目させて何が不安か問いかけます。資料を見て探すように言いますが、これは道徳です。国語や社会であれば本文や資料に即して客観的に考えることが大切になりますが、道徳では自分のこととして考えることが求められます。資料を読み込むことよりも、主観的に考えることの方が重要です。
子ども役からは「自分の時間が無くなる」という答が出てきます。授業者が「何で?」と問い返すと「家事」と返ってきます。この後、「上手にできるか?」といった家事についての不安が出てきます。授業者は「私って、最初不安だったのは家事だよね」と「最初」という言葉を足して話します。無意識かもしれませんが誘導しています。子ども役から家事のことしか出ないのは、資料から読み取らせようとしたからです。資料の途中で止めているので、そこまでからしか読み取りませんから、主人公の変化や気づきはわかりません。ここは、これ以上問いかけずに、資料の続きを読んだ方がよかったかもしれません。また、「いつも家事をやってくれる人が入院したら、君たちはどう?不安になる?」と自分のこととして考えさせると家事の不安以外も出てきたと思います。

授業者は、子ども役を揺さぶるために「家事を完璧にやってくれるロボットがいれば大丈夫?」と返しました。子ども役からは、それだけでは足りないということが出てきます。「何が?」と問い返すと子ども役は困ります。挙手で「支え」という発言が出てきました。授業者は「支えって何?何がいれば安心できるの」と指名して問いかけます。指名された子ども役は何を答えればよいのかわからなかったようです。言葉が出てきません。授業者は「今、安心して生活するために必要なものは?」と質問を変えます。そこで、「家族」とつぶやいてくれた子ども役がいます。授業者は思わずガッツポーズをして赤で家族と板書します。模擬授業で仲のよい先生たちが子ども役だったせいもあるとは思いますが、自分が期待した答が出てきたということがわかってしまいます。道徳が答探しの授業になってしまいました。

資料の後半は、主人公が、家族が助け合うことやそのことの自分にとっての意味に気づくという内容です。この後読んでいくのですが、子どもたちにここまで考えさせたのであればその必要なかったかもしれません。「どうして家族がいると安心なの?」と考えを深めていけばよかったでしょう。
資料の残りを読み終わった後、「家族はどんなことで支えてくれるの」と問いかけます。すぐに挙手をした子ども役を指名しますが、ここは子どもたちに考えさせたいところです。少し考える時間を取るべきでしょう。子ども役からは自分がしてもらうことがばかりが出てきます。自分ができることへと考えを深めていくことが必要だったと思います。
子どもたちに与えた資料は、「最期に伝えておきたい言葉がある。」というところで終わっています。それに続く言葉を考えさせます。子ども役からは「ありがとう」「一緒にいてくれてありがとう」といった感謝の言葉が続きます。ここで実際に作者が何を書いたかの正解は言いませんでした。よい対応だと思います。最後に、家族への気持ちを書かせて終わりました。

この授業では「家族のありがたさを再認識させて、感謝させる」ことで終わっていましたが、そこから「家族の一員として自分はどうあるべきなのかを考える」ことが大切だと思います。「自分も他の家族にとってかけがいのない一員である」「自分が他の家族に助けられていると同じように、自分も他の家族の助けになりたい」といった気持ちを引き出すことができればよかったと思います。

この続きは次回の日記で。

何を考えさせたいのかをはっきりさせる

夏休みに開かれた、市の少経験者研修でのことです。

この研修は、2、3年目の先生を対象に行われるものです。道徳の授業づくりがテーマです。午前中に3つのグループごとに代表が行う模擬授業の指導案を検討し、午後に互いに模擬授業を見合って検討するというものです。

小学校の低・中学年のグループの模擬授業は、雨上がりの公園のベンチに泥のついた靴のままで登って紙飛行機で遊んだ子どもが、後から来てそのベンチに座った小さな女の子の服が泥に汚れたのを見てはっとするという内容の資料をもとにしたものです。
授業者は資料を配って、範読をします。落ち着いて読み上げるのですが、特にその時の子どもの気持ちを強調したりはしません。道徳では、子どもが主人公や登場人物の気持ちと同化することが大切です。範読しながら、「紙飛行機は高いところからの方がよく飛ぶもんねえ」「よく飛んだら楽しいよね」といった言葉を足したり、話しかけたりするとよいでしょう。読み終ると登場人物の絵を黒板に貼って内容の確認を行います。「この男の子誰だったか?」と問いかけます。子ども役は資料を見て確認します。子ども役になりきっていたのかもしれませんが、漫然と聞いていてもなかなか記憶には残りません。資料が手元にあることで安心して聞き流しやすくなるので、資料を渡さず、教師が範読しながら都度内容を確認していくとよいと思います。

授業者は子ども役が答えるたびにあらかじめ用意した紙を貼っていきます。あらかじめ紙を用意してあるというのは、答が決まっている、教師が知っているということです。この場面は明らかに正解があるので違和感はないかもしれませんが、教師の求める正解探しを刷り込んでいくことにつながる可能性があります。他の子どもたちにも確認をしてから、手書きで板書するとよいでしょう。
子どもに対して紙飛行機を飛ばした経験などを聞いて、絵を見せながら楽しそうだねと話の内容を子どもたちに引き寄せようとしますが、先ほど述べたように範読と同時に行った方が話に入り込ませやすいと思います。
主人公の2人がはっとした絵を見せて、「なんではっとしたの?」と問いかけます。子ども役はまわりの子どもとつぶやきますが、授業者はその様子を見ています。隣同士で相談させるのか、つぶやきを拾って広げるのかはっきりさせたいところでした。

しばらくしてから、挙手に頼らず指名します。「汚しちゃったから、困った人がいるんだなあと気づいた」という答に対して、他の子どもに「○○さん、誰が困ったの?」と聞きます。他の子どもにつなぐのはよいのですが、指名する前に全体に対して問いかけて、全員の課題にしておく必要があります。自分が指名されないと他人事だと思ってしまうからです。
「女の子」という答にたいして、何で困ったのと問い返しますが、これは内容の把握です。「泥がついた」「お尻に泥がついたらどんな気持ちになる」とやりとりが続きますが、この授業で何を子どもに考えさせるのかがずれているように思います。主人公たちがした行為がよいか悪いかではなく、「泥がついた靴で乗ったらあとから来た人が困ることはわかるよね。どうして、やっちゃったのかな?」と、このようなことにならないためにどうすればよいかを考えさせる必要があります。そのためには、主人公たちは悪気がなかったにもかかわらず、他の人の迷惑になる行動をしてしまったことを早く押さえなければなりません。この授業では、「後の人のことを考える」「ベンチは座るところだから乗ってはいけない」といったところに論点が行ってしまいましたが、「悪気がないのに他の人に迷惑を掛けてしまうことがないようにするためには、どうすればよいのか?」を問いかけて、子どもたちなりの言葉から、自分の行為の結果を想像することが大切であることを共有するとよかったと思います。

子ども役の言葉を受容して、つなげようとしていましたが、何をつなげる、どこを深めるかがはっきりしていなかったのが残念でした。道徳では「何がいけないことか」いう善悪だけでなく、「そういったことをしてしまわないために何が必要なのか」を考えさせることが大切です。このことを意識していただくようにアドバイスしました、

この続きは次回の日記で。

必然性を実感させることが重要(長文)

1学期末に小学校で行われた現職教育で授業アドバイスを行ってきました。

初任者の授業で、2年生の算数の「かさ」調べでした。
子どもたちは授業始めの挨拶が終るとすぐにだれてしまいます。授業者はそのことに気にせず、2本のペットボトルに赤い水を入れたものを子どもたちに見せます。今子どもたちに集中してほしい場面だと伝えることが必要です。
1年生の時にペットボトルで水の量を測ったことを確認した後、「問題です」と言ってこの水の量のことを何と言うかを問いかけます。これでは何を答えてよいかよくわかりません。1/5ほどの挙手があり、指名された子どもは「2リットル」と答えます。授業者は「1年生で習った、この水の量だよ」と言い返して、次の子どもを指名します。次の子どもは「ミリメートル」と答えます。困った授業者は「ヒント、『か』がつきます」と子どもたちにヒントを言います。これでは単なるクイズです。算数の用語と概念を結びつけるという発想がありません。子どもたちにとって、算数は一問一答で答える教科になってしまいます。「長さ」の概念を復習してから、「じゃあ、水の量は何て言うんだっけ?」というようにして、概念をきちんと押さえていくことが大切です。
「かさ」と答えた子どもは、アクセントが「傘」になっていました。授業者はすぐに「それでは傘になってしまう」といって、アクセントを修正します。ここまで、子どもの発言を一度も受容せずに、修正しようとする発言を返しています。自分の求める正解を要求していることになっています。これでは、子どもたちは、教師の求める答探しをするようになっていきます。どんな答であれ、まずは受容することから始めほしいと思います。
その後、すぐに「かさ」を全員で言わせて次に進みました。子どもたちから「かさ」という用語がすぐに出てこなかったのですから、「かさ」の概念が確実に理解されているのかを確認する場面が必要だったと思います。

授業者が、青い水の入った大きなペットボトルを取り出すと、子どものテンションが上がります。「さあ、問題です」と言ってどちらの水が多いかをたずね、挙手で確認をします。ほぼ全員が青い方に手を挙げます。赤の水の小さいペットボトルを1本足してもう一度比べさせます。次は、大きいペットボトル、その次は小さいペットボトルと交互に足して、その都度どちらが多くなったかを確認します。子どもたちは楽しそうに手を挙げますが、意見は大きく分かれません。授業者は子どもたちの反応を「ほう」と言って、そのまま受け止めます。自分の想定内であれば受容はできています。子どもが楽しくやり取りに参加していますが、ここまでは何か根拠を持って考えているわけではありません。そのため、どうしてもテンションは上がってしまいます。
ここで授業者は、「大きいペットボトルに入っている水と小さいペットボトルに入っている水とどちらがどれだけ多いか比べていきます」と課題を提示しました。子どもたちは、落ち着いて聞いています。中には「よしっ」とガッツポーズをしてやる気を見せる子どももいます。テンションが上がってもすぐに下がるのは、子どもたちの授業規律がよいということです。しかし、この課題は子どもたちにとって必然性のあるものではありません。どちらがどれだけ多いのかを調べるのは何のためでしょうか。ペットボトルの容積を比べることで、総量を計算して求めたり、比較したりできることは、大人にとっては当たり前のことですが、子どもたちにとっては自明なことではありません。せっかく子どもたちが興味を持ったのですから、「どちらが多いかどうすればわかる?」と問いかけて考えさせることが必要でしょう。子どもたちから、それぞれのペットボトルに入る水の量を調べればよいということが出て、初めて子どもたちの課題となるのです。その点を考えると、青色のペットボトルと赤色のペットボトルのどちらの水が多いか、意見が分かれるような組み合わせをつくっておくことが大切です。意見が分かれることで必然性ができるからです。この点を工夫するとよかったでしょう。また、冒頭に「かさ」という用語を復習しておきながら、この言葉をその後、まとめまで使っていません。これでは「かさ」という用語を、子どもたちが概念を理解して使えるようになっていきません。形式的に言葉を覚えさせているだけなのです。

子どもたちは、指示に従ってノートを広げ、めあてを写し、写し終ると「書けました」と声を出します。授業者は「書き終わったら、鉛筆を筆箱にしまいます」と指示を出します。この時期であれば、こういった指示は不必要になっているはずです。毎回同じように指示を出していれば、子どもたちは指示したことしかやらなくなります。受け身な子どもを育てていることに気づいてほしいと思います。
子どもたちの書くスピードの差が大きいことが気になります。授業者が早く書くことを求めていないことがわかります。書き終ったと判断して授業者は、「鉛筆を置きましょう」と指示しますが、先ほどは「筆箱にしまう」と言っていました。こういうことも子どもが混乱する要因です。ルールがあるならば統一しておくことが大切です。一部の子どもが「置きました」と返しますが、全員ではありませんし、置いていない子どももいます。それでも授業者はそのことには触れずに、顔を上げるように指示します。今度も「上げました」の声が上がりますが、そう言っているのに顔を上げていない子どもがたくさんいます。めあてを全員で読ませますが、ノートを見ていている子ども、まだ書いている子どもが目につきます。いろいろなことが形式的になっていて徹底されず、全員が参加できていないことが気になりました。
めあてを読ませた後、授業者が説明を始めますが子どもたちは一気に集中が落ちます。頭が一斉に動き始めました。これも、指示されたことだけ行動するという姿勢の現れでしょう。

「どちらがどれだけ多いかを調べるためにどういうものを使えばいいか」と問いかけ、隣同士で話させます。これも、かなり誘導的な問いかけです。「どうすればいいのか?」から、「どんな道具を使えばいいのか?」に変わっています。思考させることなしに、授業者が勝手に次のステップに進んでいるのです。子どもたちは思いついた答を言うだけで、考えが深まることはありません。
最初の段階で、長さでの学習を思い出させ、長さを測ったことを確認しておくことが大切です。定規を使って長さを測ると何がよかったのかを整理しておいて、「かさ」の時はどうすればよいのかと、考えさせるのです。過去のやり方をもとに考えるといった課題解決の手段を教えるよい機会だったのです。

机間指導で子どもたちが話しているところに割り込んで、授業者が話を聞きます。当然子どもは授業者に向かってしゃべります。もし聞くのであれば、子ども同士の話をじゃましないように、聞く側の子どもの横でしゃがんで同じ頭の高さにするべきでしょう。机間指導では、まずは子ども同士が聞き合えているのかを確認して、かかわれていないようであれば聞き合うことを促すことが基本になります。
子どもたちが少しざわついてきました。雑談になってきているのでしょう。授業者は「拍手一発」と声をかけます。すると子どもたちは一斉に拍手をして黙ります。しかし、身体をごそごそしたり、頭を触ったりと落ち着かない子どもが目立ちます。このルーティーンは拍手をしていったん黙ればそれでよいのだと子どもたちは認識しているようです。

手を挙げた子どもを列で3人指名します。最初の子どもの答は「計量カップ」でした。次の2人は隣同士です。一人目は「青色のペットボトル」隣の子どもは「青色のペットボトルと『同じ大きさの』ペットボトル」と答えました。授業者は「ああ、同じのね」と復唱しましたが、はっきりと「同じ大きさの」を足したことを強調し、焦点化して価値付けしたいところでした。「同じ大きさ」という言葉が「基準」という算数・数学の見方・考え方につながるからです。また、発表者に対して、なぜそれがよいと思ったのか、どう使うのかは問い返しません。何を話し合ったのか、他の子どもたちに同じかどうかを問いかけることも必要でしょう。根拠や過程を大切にしてほしいと思います。

授業者は用意していた1リットルの計量カップを取り出し、赤い水の入ったペットボトルと並べて示し、「計量カップとこれでOK?」と問いかけます。子どもからは、「よさそう」「青い方が入るかわからない」といった声が上がってきます。授業者は子どもの反応を見て隣ともう一度考えるように指示しました。子どもたちは話をしていますが、内容はバラバラです。何を問われているのかよくわかっていないのです。互いにかかわれるようになってくると、子どもたちはどんな発問に対してもとりあえず活動します。しかし、何が問われているかがはっきりしていなければ、何も考えは深まりません。
この場面は、問いが、最初の「何を使えばよいか?」から計量カップとペットボトルで「どちらがどれだけ多いのかが測れるかどうか?」に変わったのでしょうか。それとも、ペットボトルの水の量を計量カップでどうやって測るかを問いかけているのでしょうか。何も言葉を足さなかったのですから、最初の問いのままなのでしょうか。よくわかりません。何が課題なのかをきちんと焦点化して問いかける必要があります。また、このままでは、先ほど出てきた「同じ大きさのペットボトル」という発言も消えていってしまいます。「同じ大きさ」を使って焦点化するとよかったでしょう。「同じ大きさの青いペットボトルって言ったけど、どういうこと?」「赤いペットボトルじゃダメ?」「他のものでは?」と返しながら、基準となるものがあれば比べられることを押さえたいところでした。実際に、ペットボトルでやって見せて、その差がペットボトルちょうど1本分にならないと正確に差をつかめないことから、計量カップに目盛りがあることのよさに気づかせるといった展開ができると面白いでしょう。

子どもたちの活動を止めて、「どうすればいい?」と聞くと、素早く一人の子どもが手を挙げました。授業者はすかさず指名しますが、子どもたちはよくしゃべっていたのですから、挙手が増えるまでもう少し待ってもよいでしょう。または、「どんなことを話した?」と挙手に頼らず指名してもよかったと思います。指名された子どもは「コップ何杯かでやる」と答えます。授業者が「コップ?」と軽く復唱すると、子どもは「うん」と答え、「同じ大きさのやつ」と付け加えました。授業者は子どもの発言を受容して、「同じだったらいいのかな?」と全体に問いかけます。子どもたちの何人かはうなずきます。子どもたちは、差がどれだけかを測ることを課題として意識できていないので、何を授業者が求めているのかよくわかっていないようです。
授業者は赤い水の入っているペットボトルをもう1本出し、2本のペットボトルを持って「これとこれでいい?同じだよと」と再び問いかけます。子どもたちはそういうことじゃないと声を上げます。一人の子どもが「青い水の入ったペットボトルを赤い水の入っているペットボトルと同じ大きさのペットボトルに何杯か入れる」と答えますが、授業者はすぐに「もう少し詳しく調べて。どれだけ、どれだけだよ」「そのためには何かが必要だよ」と返します。子どもの発言はとてもよいものだったのに、完全に無視してしまいました。目盛りがあること以上に本質的な考えだっただけにもったいことをしました。授業者は一足飛びに自分の考える目盛りのあるものを使うことにもっていこうとしていますが、子どもの思考とはギャップがあります。子どもにとって目盛りの必然性はないのです。子どもの思考過程を意識することが大切です。
次に指名した子どもは「同じ大きさのカップに入れて・・・」と答えます。「同じカップ?でも、どれだけ?」と問い返しますが「できるだけ大きいカップ・・・」という答です。授業者と子どもはずれたままです。困った授業者は「さあヒント出そうか?」と言って「どれだけ。教科書にもありましたね。どれだけを調べるためには何かありましたね」と続けます。計量カップを見せて目盛りを指さし、子どもから「目盛り」という言葉を引き出します。子どもから「目盛り」と出てくると、待ってましたとばかり「目盛りがある物を使えばいい」と説明を始めました。子どもは目盛りの必要性がないまま、授業者の誘導に従って、計量カップについている線が「目盛り」を答えただけでした。
授業者は準備していた計量カップを2つ出して、「これでどう?」と問いかけます。子どもからはそれでは足りないという言葉が出てきます。授業者はそう言うと思ったと計量カップを5つ並べて見せました。
計量カップにペットボトルの水を入れて見せます。子どもたちは興奮気味です。それぞれの色ごとにペットボトルに水を入れて比べますが、半端は出ません。青色の水が4リットル、赤色の水が3リットルです。計量カップ4杯と3杯で目盛りがある必然性がありませんでした。これでは、小さいペットボトルで比較しても何も困らなかったはずです。

授業者は計量カップと言っていながら、「これを升と言います」と説明します。子どもたちが疑問を持たないのが不思議です。そして「量を測るのに単位が必要です」と言ってから、長さの単位の復習をします。唐突に単位が出てきます。ここまでの活動からは単位の必然性がありません。
子どもを指名すると「何センチとか何ミリ」と答え、その子どもは他の子どもに同意を求めます。賛成ばかりで反対の声は上がりません。一般にはこれでも通じますが、算数の授業ですからきちんと「センチメートル」「ミリメートル」と訂正する必要があります。基本単位のメートルを押さえてほしいと思います。
続いて、かさの単位を知っている子どもを指名して答えさせます。単なる知識を問うことに意味はありません。これは授業者が教えればよいのです。
リットルを使う練習で計量カップを指で指しながら一つ二つと順番に数えるように「1リットル」「2リットル」と言わせます。序数を使って基数を数えるというのは、できれば避けたいところです。ここでは、「計量カップが2つだから2リットル」とした方がよいと思います。

リットルの記号を教えて、簡単に書く練習をしたあと、色々な容器に入った水のかさを測らせます。水がこぼれてもいいように用意したトレーの中で測るように注意をしますが、であれば子どもたちに「何を注意する?」問いかけて言わせたいところです。
子どもたちに計測の結果を確認した後、1リットルの計量カップに入った水を持たせます。子どもたちに重かったかどうかを問いかけますが、かさを重さに代えてしまってはおかしくなります。これが1リットルのかさだと覚えておくように言いますが、容積が質量(重量)に変わってしまいます。容器そのもので量を理解させることが必要です。
量の実感を持たせるためにいろいろな国の容器をスライドで見せます。大きさの違うものを見せますが、スライドは実寸ではないので、4リットルと言われてそうかと思うだけです。量の実感を持たせるためには、計量カップ以外の1リットルの物を用意して、そこに水1リットルを入れて同じかさだと理解させるような活動が必要でしょう。
最期に、「水などのかさは1リットルがいくつ分あるかで表わします」とまとめのスライドを見せて終わります。まとめは、できれば子どもたちにさせたいところですが、このまとめではその意味もあまりなさそうです。
比べるためには、基準となるもの(単位)が必要なことを子どもたちまとめさせて、その単位がかさ(容積)ではリットルであることを押さえるとよいでしょう。

結局、単位や目盛りの必然性を子どもたちが実感することのない授業になっていました。子どもたちに量を実感されるところも弱かったように思います。算数・数学的な見方・考え方は何かを意識して、それを子どもたちにとって必然性のあるものにする授業を目指してほしいと思います。

学校全体で子どもたちと教師の関係がよくなっている

前回の日記の続きです。

高校1年生の現代文は、評論の授業でした。
本文を読んで子どもたち自身が出した疑問を、全体の課題として取り組みます。一つひとつの課題に対して子どもたちから答を出させ、それで納得したかを授業者が問いかけます。子どもたちから反対がなければ次に進みます。授業者が正解を言うことや黒板にまとめることはありません。教室の雰囲気はよく、子ども同士が相談する場面では積極的にかかわり合っています。しかし、全体の場面では発言する子どもは限られています。出された意見に対して、他の子どもが自分の考えを付け加えたり、反対したりすることはありませんでした。
授業者は「言葉の意味から考えてくれた」というように、子どもの考えを価値付けすることを意識していますが、意見に対してすぐに価値付けをします。まず、その考え自体を全体で共有しておくことが大切です。考えをしっかり理解しなければ、価値付けしてもそれがどういうことなのかよくわからないからです。
授業者が板書をしないので、友だちの意見を聞いてメモを取っている子どもが何人もいます。板書を写すのではなくメモを取れるということは高度なことです。こういう子どもを全体の場で活躍させることを意識するとよいでしょう。「○○さん、どんなことをメモした?」「どうしてそこをメモしたの?」「△△を納得したんだ」とメモをもとに、意見をつないでいくと面白いでしょう。
「経済」という言葉の意味が問題になっていました。挙手をしていなくても、授業者が指名すると子どもたちが辞書で調べた結果を発表してくれます。この子どもたちであれば、挙手に頼らず指名しても考えを言ってくれると思います。多くの子どもを指名して、発表したことを評価すればもっと積極的に全体の場で意見を言えるようになると思います。
子どもたちの発表は「お金の流れ、物の流れ」というように辞書の内容そのままです。「物の流れってどういうこと?」と子どもたちを揺さぶりながら、自分たちで納得のいく説明ができるようにしたいところでした。
授業後の検討会では、「友だちの考えに子どもたちから反対はでなかったが、本当に理解しているのか確認が必要なのではないか」という意見が出たようです。授業者が板書をして写させるという授業形態であれば気にならないところでしょうが、確かに心配になるのはわかります。子どもたちにまとめさせる場面をつくるとよいでしょう。ICT環境が整備されていれば、数人を選んでスクリーンやディスプレイにまとめたものを映して見せると、友だちのまとめと自分のものを比べることで、しっかりと確認、理解できると思います。授業後に子どもたちのノートを集めて、その中からよいものを選んで印刷して配るという方法もあります。少し内容に不足があるまとめを選んで、こういうことも書くとよいといったコメントを付け加えてから印刷しても面白いと思います。

高校2年生の理科系の数学の時間は、指数方程式の授業でした。
前回に私がアドバイスした、構造化を意識していました。素直にアドバイスを聞こうという姿勢をうれしく思います。「何を意識する?」「ここでどうするといいい?」といった問いかけや考えを整理しようとするのですが、子どもたちが自分で考える時間がありません。間を取らず、すぐに説明します。問いかけに反応できる一部の子ども以外は、結局板書を写すだけになってしまいます。ポイントとなる考え方などは、授業者の口から語られるだけなので、板書には残っていません。多くの子どもは考えることなく、ノートに写すことで正解を受け入れるだけになっていました。
問題を解く視点を与えた後、すぐに説明をするのではなく、そこで見通しを持たせて自力で解く時間を与えることが必要です。子どもたちが、自分で考えた解答に足りない部分を赤で書き込んだり、考え方のポイントや根拠を書き加えたりといった活動ができるとよいでしょう。
全員参加とはどういうことなのかを意識して授業を組み立てることができると、大きく進歩すると思います。

高校3年生の現代文は、物語文の読み取りの授業でした。井上ひさしの「ナイン」が題材です。
授業者が「決勝戦ではどんなことがあったから思い出になっているのか?」と問いかける場面でした。子どもたちは4人のグループで作業をしています。授業者は机間指導しながら、何かしらヒントになりそうなことをしゃべります。正解を出させたいのかもしれませんが、子どもたちの思考にとっては雑音です。子どもたちが課題に取り組めているかどうかを、しっかりと見ることから始める必要があります。また、子どもの書いた物を見て、その場でコメントをしますが、「他の人の考えも見せてもらったら」と他の子どもとのかかわりを促すような働きかけをすることを意識してほしいと思います。
授業者は「シンプルに答のあることなので、聞いていきましょう」と作業を止めて、挙手に頼らず子どもを指名しました。指名された子どもが答えると「いいですねえ」と言って板書をして、自分で解説を始めます。ここで面白いのが、多くの子どもが 板書を見ずに自分のワークシートを見ていたことでした。友だちの意見と同じだったのかもしれません。そのためか、授業者の説明をあまり集中して聞いていませんでした。
この授業者は正解があるという言葉をよく使います。しかし、根拠を説明せずに正解かどうかは常に授業者が判断しています。これでは、子どもたちは授業者の求める答探しをすることになります。正解と言うならば、本文をもとにした客観的な根拠が必要ですが、それが議論されることはありません。なかなか一問一答の答探しの授業から脱却することがでていません。
「この物語を読む上で、なぜこのことが課題になるのだろう?」と問い返したりして、課題を子どもたちにとって必然性のあるものにすることが重要です。子ども自身が疑問を持ち、自ら課題を見つけるといったことや、課題を子どものものとすることを大切にしてほしいと思います。
子どもたちはグループで作業をしながら、時々相談しています。一見するとグループが機能しているように見えますが、4人がかかわり合っているグループはあまりありません。隣同士だけで相談するといった分断された状態でした。なんとなく教室の中を散歩するのではなく、「2人だけでなく、他の人とも相談してごらん」と子ども同士のかかわりを促すことが求められます。
私は見ることができませんでしたが、県の高校野球の参加校の数をグループで考えさせる場面を組み込んで、子どもたちの意欲高める工夫もしていたようです。しかし、考える意味のないことで子どもたちを活性化してもあまり意味はありません。小手先のことに走るのではなく、子どもたちに考えさせることは何かをしっかりと考えて授業を組み立ててほしいと思います。

授業検討会では、以前と比べて子どもたちがどうであったかがよく話題になっていたように思います。子どもの発言やかかわり合いが大切であるという授業観が先生方に浸透してきたように思います。
社会科では、この日の授業でICT機器を活用するにはどうすればよいのだろうかということが話題になっていました。今後の1人1台環境を意識してのことでしょう。こういった環境の変化を先生方が前向きにとらえてくれていることをうれしく思いました。

私からは、こういった提案性のある授業を見合うことができることが素晴らしいことであることを、まずお話ししました。互いに質の高い授業を見合うことで、授業改善は進んで行きます。そして、こういった提案性のある授業が成立するのは、先生方と子どもたちの関係がよい状態であることがその前提にあることを強調しました。関係ができていなければ、どんなよい教材や発問を準備しても授業は成り立たないからです。この関係のよさは授業者と子どもたちだけのものではありません。多くの参観者がいる状態で子どもたちが緊張せず、のびのびと授業を受けることはできるのは、参観している先生との関係もよいからなのです。学校全体で先生と子どものよい関係がつくられているのです。
そして、次の課題として、授業者と発表する子どもとのやり取りだけで授業が進んでいることを示しました。子どもたちの発言を受けて、授業者がすぐに説明するというパターンが多いのです。発表者もそれを聞いている子どもも、友だちではなく授業者の方を見ていることがその表れの一つです。子どもの意見を他の子どもにつなぐことや、出てきた意見を焦点化して子どもたちに再び考えさせることで深めるといったことを意識してほしいと思います。
3年前と比べると、研修に参加する先生方の姿勢も大きく変わってきたように思います。授業改善への手ごたえを大きく感じさせられる先生方の姿でした。

この日も中学校の改革に関して、先生方が相談に来てくださいました。評価の方法について、具体的などのようにしていくとよいかということでした。知識的なことについては小テストですませて、定期テストでは思考力を測るという方向で考えられていました。私からは、これまでの考えにとらわれず、情報を与えてその情報から課題を見つけたり、課題を解決する方法を答えたりするといった問題を試験に組み込んではどうかとアドバイスしました。これまでの思考の枠をちょっと取り払うと、新しいものが見えてきます。今後、具体的にどのようなものが出てくるかとても楽しみです。
訪問するたびに新たな課題に関する相談をしていただけます。私自身にも大きな刺激になっています。よい学びの機会をいただいています。

工夫のある提案授業を観る

先週、私立の中学校高等学校の研修に参加しました。5人の先生の提案授業のいずれかを参観して個別に検討会を行い、最後に全体で集まって報告会を開くという形式です。
私はすべての授業を参観させていただきましたが、同時に行われたので、じっくりとは見ることはできませんでした。どれも1時間を通して参観したいと思わせるものだっただけに残念でした。

高校1年生の英語は、前置詞の”root sense”から言葉の意味を理解することを意識した授業でした。
最初に映画「トイストーリー」の主題歌” You've Got A Friend In Me”を、歌詞が書かれたワークシートを見ながら聞かせます。この歌は、” You've got a friend in me,”が何度も繰り返されるのですが、ワークシートは”in”のところが空欄になっています。そこに何が入るのかを聞き取らせるのです。子どもたちは集中していますが、歌なのでなかなか聞き取れません。何度か聞かせた後に、前置詞が入ると言って家の形をした穴の開いた段ボールにボールが入った小道具を見せます。再度聞かせた後、問いかけますがなかなか手が挙がりませんでした。小道具を見れば”in”と想像がつくのでしょうが、聞き取れていないので自信を持てなかったのだと思います。やっと一人が手を挙げて”in”と答えてくれました。すぐに授業者は”That’s right.”と言って、この”in” の意味を子どもたちに問いかけました。
しばし考えさせた後、たくさんの意味があると英和辞典を読み上げます。”root sense”をきちんと押さえておけばそこから理解できるという授業のねらいへの布石のようでが、この場面はあくまでも導入です。聞き取りに時間をかける必要はあまりありません。まわりと相談させて候補を絞ってから聞かせれば、もっと早く”in”が聞き取れたと思います。ヒントを出すならばもっと早く出せばよいでしょう。また、”in”が子どもから出てきた時に、「本当?そう歌ってる?」と他の子どもに問いかけてからもう一度聞かせ、自分の耳で確認させたいところでした。だれか一人が正解を言うとすぐに授業者が説明することを繰り返していると、わからない子どもは答を知るだけで自分の力でできるようにはなりません。このことを意識してほしいと思います。
続いて、空間的な意味を持つ前置詞”on/off/in/at/to/up/down/over/through”が表す状況をイラストで示したワークシートを配り、イラストと前置詞を対応させます。時間の関係でここまでしか観られませんでしたが、この後、いくつかの写真とその状況を描写する英文が書かれたワークシートで学習を進めたようです。空欄になっている前置詞を埋めるのが課題です。描写は”fall down”、”fly over”などの動きを伴うものです。静止画ではわかりにくいのですが、子どもたちのグループに与えたタブレットで指定されたURLをクリックするとその動画が再生され、英文を読み上げてくれるようになっていました。既存のWEBサイトを上手く活用しています。
最期の課題は、最初の導入場面と同じように歌の歌詞をもとにしたものだったようです。Eaglesの”Take it easy”の歌詞と訳を与えますが、その内の”Well, I’m running ( ) the road”と”I’ve got seven women ( ) my mind”の2文の前置詞は空欄になっています。1つ目の文は「ああ 俺は道を駆け下りている」という訳がありますが、2つ目は訳もありません。作詞家になったつもりでこの空欄を埋めるのが課題です。2つ目の文は、導入の” You've got a friend in me,”と似た文ですが、実は”Take it easy”の方は”I’ve got seven women on my mind”と”in”ではなく”on”を使っています。この違いを”root sense”をもとに考えさせようというのです。7人の女性の紙人形を心と書いた箱の上、箱の中に置いて見せたりといった工夫もあります。子どもたちにこの違いを意識させて訳をさせました。英語を機械的に日本語に訳すのではなく、その言葉を理解しようとする姿勢を子どもたちに育てるよい授業だと思いました。
毎時間これだけの準備ができるかどうかは難しいところもありますが、授業者の授業観がよく伝わる提案授業でした。

高校1年生の現代社会の授業は、「君たちは大人かどうか?」と問いかけて、青年期の概念や課題を学ぶものでした。
子どもたちに自分は大人だと思うか、子どもか、それとも何とも言えないかを選ばせて、その理由を問いかけます。
授業者は。子どもたちの発表をとてもよい表情で受け止めます。「なるほど」としっかり受容しますが、すぐにその意見を板書して説明を付け加えます。そのため、発言者も聞いている子どもたちも、授業者の方を見ています。板書をすぐに写す子どもも目につきます。子どもたちは意欲的なのですが、発表の場で子ども同士がつながりません。友だちの意見を聞いてどう思うか、納得するかといったことを問いかけて、授業者の板書ではなく、子どもたちから出てきた言葉で考えを共有することを意識するとよいでしょう。
「自分が大人かどうか決めるのか、まわりが決めるのか、ちょっと揺れ動いているところがあります」と言ってからペアをつくらせます。この教室では机が離れているのですが、机をまずぴったりとつけさせました。ペアの距離を適切にするよい指示です。「大人と子どもの境界線って何ですか」と問いかけ、「こうなったら大人」というものは何かを考えさせました。
日ごろから、ペアやグループでの活動をしているのでしょう。子どもたちの動きはスムーズです。同性、異性のペアかどうかにかかわらず、よく話し合っていました。子どもたちの表情がとてもよいことが印象的です。授業者はこの間、笑顔で机間指導をしていますが、どうしても子どもたちの話に口をはさんでしまいます。よい意見や、面白い意見であれば、できるだけ全体の場で取り上げて共有するようにしたいところです。
子どもたちは、時間が来るまでずっと話し合ったり、考えを書き留めたりしていましたが、授業者が話し始めると、ほとんどがすぐに話をやめ手を止めます。授業規律もしっかりしています。全体で子どもたちの意見を聞きますが、ここでも先ほどと同じように板書を写す子どもが目立ちました。
子どもたちは意欲的に取り組むのですが、「次は○○について考えてみましょう」と常に授業者から課題が出されます。簡単なことではありませんが、子ども自身で課題を見つけたり、子どもの意見を焦点化しながらそこから課題を設定したりすることを目指してほしいと思います。
基本となることがしっかりできるようになっているので、次の課題が明確になったように思います。これからどのように授業が変化していくのか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

教師の考える価値観に無理に誘導しない(長文)

1学期に参加した市の研修会は、市内の各学校から1〜2名参加して授業研究を行うものです。

授業は中学校1年生の道徳でした。集団での責任について考えるものです。
最初に、授業者が校歌を一人で歌ってくれる人がいないかと問いかけます。「完璧に、間違えずに」と言葉を足してプレッシャーをかけます。もちろん誰も手が挙がらないので、全員で歌うことにしました。子どもたちは大きな声で一生懸命に歌います。授業者を盛り上げようとしている姿から、授業者との関係のよいことがよくわかります。明るい雰囲気の元気な学級でした。

歌い終わった後、どうして一人では歌えなかったのかを問いかけました。「一人だと恥ずかしい」という答に、「そりゃそうだよねえ。めちゃ恥ずかしいよね」と明るく何度も同意します。何人も指名して、その都度同じように同意します。子どもたちとの関係のよい理由がわかります。また、子どもたちは発言者の方を向いて聞こうとします。時には笑い声もあがる、子ども同士の関係もよい学級です。

この日の資料は絵本です。最初にその一場面を印刷した紙を見せますが、小さいので細かいところはよくわかりません。そこで、授業者が口頭で補足します。学校の昼休みに起きた出来事です。後ろに14人の子どもがいて、前に男の子が一人いて泣いていると説明します。どの子どもも体を乗り出してしっかり見ようとしていました。続いてディスプレイに絵本を映して見せていきます。それならば、最初からディスプレイで見せればよかったと思います。
「明るいので照明を消しましょうか?」と言ってくれる子どもに、「ナイス。電気消してくれるとうれしい」と返します。ちょっとしたことですが、「うれしい」と一言付け加えていることが学級の雰囲気づくりに役立っています。
一人のちょっと変わっている男の子が、何人もの友だちに叩かれて泣いているというお話です。そこにいた14人、一人ひとりの言葉が読み上げられていきます。「自分は見ていない」「見ていたけれど、怖くて何もできなかった」「叩いたけれど、少しだけだ」「本人が何も言わないのがいけない」……といった、責任回避の言葉が続きます。
授業者は椅子の上に置いたPCを操作しながら読み上げます。目の前にPCの画面があるので時々顔を上げながら子どもたちの方を見ますが、この態勢では見るのは難しいと思いました。PCを使う時によくあることですが、ワイレスのインターフェースを準備する必要があります。ICTの円滑な活用には、このようなちょっとした環境面を整えておくことが重要になります。

登場した14人ついてどう思うかを問いかけます。「どう思う?」という問いかけは、子どもたちの主観を問うものなので、道徳ではよく使われるものです。ここから、子どもたちが自分のこととして資料の登場人物にどう入り込んでいくかが勝負です。
すぐに挙手した子どもを指名すると、「人に責任をなすりつけている」と答えます。授業者は、すぐに「いいこと言うねえ」と返し、「○○さんと同じように考えた人いる?」と全体に声をかけました。他の教科では、子どもの発言を価値付けすることは大切なのですが、道徳では注意する必要があります。特定の価値観を教師が押しつけることになることもあるからです。「なるほど、人に責任をなすりつけていると思ったんだ」と受容してから他の子どもにつなぐとよかったでしょう。

子どもたちに、この14人はひどいと確認した上で、どんなところをひどいと思ったかを問いかけます。指名した子どもは「自分のやったことを認めていない」と答えましたが、授業者は「なるほど」と言って、「自分の罪は認めていない」と板書しました。無意識でしょうが「やったこと」を「罪」と言い変えています。こういったことにも注意が必要です。この後、同じように考えた人を確認し、もう一人を指名して、「泣いている子のせいにしている」という意見を発表してもらいました。子どもの発言を受容して、同じ意見の子どもを確認して考えをつなごうとしています。しかし、発言する子どもの数は多くはありません。挙手に頼らず次々に指名したり、まわりと意見を交換したりして、一人ひとりに自分の意見を話す場面をつくるとよかったと思います。

14人がほとんど共通して言っている言葉は何かと問いかけます。挙手で指名した子どもが「私のせいじゃない」と答えると、「私のせいじゃない」と復唱して、すぐに「よく覚えていたね。その通り」と返しました。内容に関する質問なので正解はありますが、授業者が正解かどうか判断するのはあまり勧めません。この言葉がキーワードとなるのなら、挙手した子どもを何名か指名してから、挙手していない子どもに「みんな、言っていた?」と問いかけ、全員で確認したいところでした。

ここまで授業開始から10分経っていません。導入や資料の読み取りに時間のかかる道徳の授業が多いのですが、よいテンポで進んでいます。
ここで、「みんながこの14人の一人だったら」「想像して」と質問を変えます。何度か「想像して」と繰り返し、「○○さん、想像した?いいねえ」と子どもの様子を固有名詞でほめます。子どもが登場人物にの気持ちになるための時間をていねいにとっています。そして、「次の日、また同じことが起こりました。あなたはどうしますか?」と問いかけました。
授業者は「すごいいい顔していた」とすぐに一人の子どもを指名しました。指名された子どもは「止める」と答えます。復唱して板書した後、声のトーンを落として「他に?」「みんな、止める?」と問いかけます。挙手に頼らず次に指名した子どもは「かかわらない」と答えます。子どもたちの間から失笑が漏れますが、決して雰囲気を悪くするものではありません。どちらかと言えば関係のよさが感じられるものでした。授業者は「と言うと、見て見ぬふりをするということ」と言葉を変えて板書します。続いて一人の子どもが挙手をし、「先生に助けを求める」と発言しました。これまでの2人の時には多くの子どもたちが発言者を見ていたのですが、この発言の時には子どもたちは前を向いたままでした。この違いがちょっと気になりました。授業者が「助けを呼んだあと、どうする?」と問い返すと「そのまま」と返ってきます。「そのまま、見ている?」「なるほど」と受けました。
「昨日叩いていた人もいたけれど、もしかしてまた叩いちゃうかもしれない」と板書し、自分はどうするか、今まででた意見のところに名前が書いてあるマグネットを貼らせます。選択肢として出しておきたいので、子どもから出なかった意見を書き出したのかもしれませんが、せっかく子どもからの意見で選択肢をつくっているのですから、その他としておけばよかったのではないかと思います。

ここまで、数人の意見を聞いただけで、その理由も聞いていません。子どもたちにとりあえず自分の考えを持たせて、その後に考えを深めるための時間を多くとるためなのでしょう。間をおかずに、すぐにマグネットを貼らせました。
さすがに「叩く」はいませんが、多くの子どもは「先生に助けを求めて、自分は見ている」に貼りました。この層をどう揺さぶるのかがこの授業の鍵となりそうです。授業者は「迷っていた○○さん」と声をかけます。子どもの様子をよく見ていることがわかります。「1対多では勝てるわけがない」という理由に、「そうだよね、勝てるわけないよね」と受け止めます。次に声をかけた子どもは「自分では解決できないから、先生とかそういう人に……」と答えます。この意見もしっかりと受容して、もう一人指名します。「自分一人では何ともできないから、先生とか権力のある人に……」という意見です。子どもたちは自分の考えが他人任せで、無責任とも言えるものだとは思っていないようです。

ここで授業者は見て見ぬふりをするという意見の子どもを指名します。「自分がやられるかもしれない」という本音が出てきます。次に指名した子どもに対して「先生には言わないの?」と返しますが、うまく説明できません。「『先生に言うのはなんだかなあ』というのを補足してくれる人いる?」と全体に問いかけます。一人の子どもが「自分も昨日まで叩いていたりしたから怒られる」と説明します。授業者はそのことを「なるほど、自分も叩いていたからおこられるもんねえ」としっかり受容しましたが、先ほど答えられなかった子どもに「どう?」とつなぐ必要があったと思います。もう一人にも理由を聞きますが、やはり自分がいじめられるのが怖いという意見です。

次に、止めるという意見の子どもに聞こうとしますが、指名する前に、「さっき校歌、一人で歌えなかったじゃない、それでも止められる?」と揺さぶりをかけます。このタイミングで揺さぶりをかけることは子どもの意見を出にくくします。揺さぶるのであれば、意見を聞いた後、先ほど出た友だちの意見を使って、「でも、勝てないかもしれないよ」「今度は自分がいじめられるかもしれないよ」とした方がよいと思います。
子どもからは、「友だちがいるからできる」「勇気を絞ればなんとかなる」と言う言葉が返ってきます。「でも、校歌は勇気を振り絞って歌えなかったよ」とまた校歌で揺さぶりますが、状況があまりにも違います。あまりよい揺さぶりとは思えませんでした。

ここで、話の状況を変えて、「一人が止めに行ったら、あなたはどうする?」と問いかけます。また、選択肢をつくるために何人かの子どもを指名します。「止める」「止める前に、同じような仲間をつくってから止める」と意見が続きます。授業者は仲間をつくるということについて「すごいねえ」と一言返しますが、ここも「なるほどねえ」と受容だけして授業者が価値付けしない方がよいと思います。
「いじめられている子どもを助ける」という別の子どもの考えを「なるほど、なるほど」と受け止めながら問い返して、「この意見とちょっと違う?」と他の意見に統合しようとしました。しかし、その子どもからは「ちょっと違う」と返ってきます。そこで、「ちょっと違うの」と復唱して別の意見として板書しました。ここで無理をせずに子どもの意見を別の意見としたのはよかったと思いますが、子どもによっては授業者からの圧力を感じて、不本意ながら「大体同じ」と答えるかもしれません。特に道徳ではこのような圧力をかけないように注意したいところです。
子どもから出た4つの選択肢、「止める」「味方をつくってから助けに行く」「泣いている子どもに声をかける」「そのまま見ている」から1つを選んで、もう1枚のマグネットを貼らせます。「止める」という子どもは少なく、多くの子どもは「味方をつくってから助けに行く」を選びます。しかし、泣いている子どもに声をかける」「そのまま見ている」を選ぶ子どもも少なからずいました。子どもの意見が分かれたので、この後の展開が面白くなります。

「止める」に意見を変えた子どもに理由を聞いた後、「止める」人が増えているのはなぜかを全体に聞きます。増えている理由を聞くということは客観的な意見を求めていることになります。「止める」を選ばなかった子ども参加できる発問です。しかし、ここは他の人の考えを客観的に想像させるよりも、もう少し止めるという意見の子どもの本音を共有したいところでした。指名した子どもからは「味方がたくさんいればいじめられる心配がない」「心強い」といった意見が出てきます。子どもたちは、最初はしっかりと発言者を見ていたのですが、次第に振り向く子どもが減ってきました。予想通りの答が続くので興味が減っていったのかもしれません。授業者は発言者の意見をしっかりと受容しているのですが、子ども同士をつなぐことをもう少し意識するとよいかもしれません。

「泣いている子どもに声をかける」を選択した子どもたちには、「なぜ止めないで、声をかけるの」と揺さぶってから意見を聞きます。無意識のうちに授業者が「止める」ことを求めているように感じました。子どもからは、自分が行っても変わらないので、それよりも泣いている子どもに寄り添うという意見が出てきました。この場面でも多くの子どもたちは友だちの方を見ようとしません。授業者もこの選択肢が自分の想定外のものだったせいか、あまり深くは触れませんでした。

続いて、止めずに「そのまま見ている」子どもたちの意見を聞きます。授業者は「みんなが止めると言っているのにそれでも、見ているの」と揺さぶります。「いじめられたくない」「かかわりたくない」といった言葉が出てきます。どの子どももしっかりと発言者を見て聞いています。子どもたちがどんな意見なのか興味を持っていることがよくわかります。友だちの本音に笑い声が起きますが、嘲笑と言うわけではありません。本音が言え、時には笑い飛ばせるというのは、安心して暮らせる学級である証拠だと思いますが、あまり笑いがエスカレートするようであれば注意が必要です。
授業者は「助けたいけれど」という言葉を拾い強調します。「助けたい」という気持ちを大切にしようとしているのでしょう。

一通りの意見を聞いた後、「一人の友だちが止めようとしたらこんなにたくさんの人が止めに行くと言ったが、だれも止めに行かなければ、助けを求めに行くか、見ている人が多かった。みんなは最初に14人のことをひどいと言っていたが、自分たちはどう?」と揺さぶります。それに続いて、「この学級ではそんなこと見たくない。じゃあ考えてみて」「いじめが起きない学級にするために自分にできることは何か考えてほしい?」と課題を提示します。この発問は結論を誘導しています。止めるべきだと思っていても、いじめられたくないから止められない、最初の一人になれないという苦しい子どもの本音を、まず焦点化して深めることが大切です。それなしで「何ができるか?」と問いかければ、どうしても表面的な答になってしまいます。

ワークシートを配り子どもたちに書かせます。子どもたちの手は止まりがちです。自分の考えを持てたので、どうしようかと考えているのだと思います。状況を変えて考えさせたのがよかったのでしょう。
書き終わった後グループで共有します。いいなあと思った意見は自分のワークシートにメモするように指示します。ここで面白いことが起こりました。これまでずっと集中していなかった子どもがいたのですが、グループの隊形になった時、机をしっかりとくっつけませんでした。すると、その前にいた子どもがその机を自分の方にぐっと引っぱりました。なかなかできることではありません。机を引っぱられた子ども、特に気にした様子もなく話し合いに参加しました。友だちとかかわろうとする子どもが育っていることが素晴らしいと思いました。
気になったのが、鉛筆を持って下を向いて聞いている子どもが多いことでした。ワークシートに友だちの意見を書くことが優先されているのかもしれません。ワークシートは見ないで相手の顔を見て話すことをさせたいところです。

自分の意見、よいと思った友だちの意見を挙手で発表させます。挙手する子どもは半分以下でした。挙手に頼らず、グループでどんな意見が出たか、どの意見が一番納得したかを聞きたいところでした。
子どもからの意見は、「いじめている側につかない」「少しでも予感がしたら止める」「無責任にならない」といったものです。「自分も同じことをしない」といた答もありますが、これは最初の14人の中にもあった無責任な行動です。授業者は一つひとつの考えをていねいに受け止め板書しますが、多くの子どもが発言者を見ずに板書を写していました。この課題に授業者の正解があると考えているようにも見えました。
最後にもう一度、だれも止めに行かなかった時にどうするかを問いかけました。考えが変わった子どもはマグネット貼り変えるように指示したところ、半分くらいの子どもが変更しました。授業者は「すごいこんなに変わっている」と言ってから、振り返りを書かせました。「すごい」という言葉はいろいろな意味にとることができますが、考えを変えた子どもがすごいというような評価にとられると心配です。逆に、授業者が価値観を(無意識に)誘導している中で、変えなかった子どもがたくさんいることに、この学級のよさを感じました。子どもが安心して自分の考えを持ち続けることができているからです。
また、最初に子どもたちの考えが友だちの力を借りていじめを止めるというところに偏っていたことも気になりました。多数の力に頼るということは、一つ間違えればいじめる側でも起こることです。子どもたちはマグネットを貼り変えましたが、本当に一人でも止めることができるようになったとは思えません。このことを焦点化して、為すべきことを為すことの難しさと大切さをもう少し考えさせたいとことでした。

学級経営が上手くいっている、先生と子ども、子ども同士の関係のよい学級です。授業者は基本的な授業技術もしっかりしていましたが、発言した子どもの意見だけを受けて一方的に進めている授業になっていました。友だちの意見に対して、子ども同士がかかわりながら、考えを深める場面がありません。授業者が発言を評価し揺さぶりながら、結局は自分の求める価値観に誘導しようとしているように見えます。立ち止まってじっくりと焦点化すれば深まる場面がいくつもありましたが、結論に向かうことを優先していました。思い切って、いじめをなくすにはどうすればよいかという課題をやめて、その前の場面に時間をかけてもよかったと思います。
また、まわりにいる14人ではなく、いじめられている子どもの視点で考えさせてもよいでしょう。「あなたがこの子どもだったら、そのまま見ている人をどう思いますか?」といった問いかけをしても面白かったと思います。

検討会は、質のよい提案授業だったのでとてもレベルの高いものになりました。私がアドバイスしよう思ったことのほとんどが、各グループの検討で出ていました。この市の各学校で質の高い授業検討が行われていることがわかります。
私自身も本当にたくさんのことを学ぶことができた、レベルの高い研修会となりました。

今後向き合うべき課題を意識してほしい(長文)

前回の日記の続きです。

高校1年生の英語表現の授業は前置詞を意識した動詞句の学習場面でした。
この日の活動に合わせて、最初に6人のグループをつくります。この後どんな活動をするのかはっきりしないためか、子どもたちの動きがやや遅く、おしゃべりをしている子どもが目立ちました。授業者が話し始めるといったん静かにはなりますが、集中度が上がりません。質問をしても、関係のないことを話している子どもが目につくことが気になりました。
続いて一人の子どもにボールを渡して、注目するように指示しますが、グループの隊形のため、後ろ向きの子どもは見にくそうです。振り返らない子どももちらほらいます。グループで活動する場面になるまでは、机を合わせない方がよかったように思います。
授業者が”Put the ball on that table.”とボールを渡した子どもに指示します。子どもが指示通りにボールを置いた後、”He put the ball on the table.”と授業者が視点を変えてその行動を表現します。同様に”take”を使って黒板の地図やマグネットを外させます。これまで学習した前置詞の復習です。集中して見ている子どももいるのですが、手元の語彙集を見て参加しない子どもの姿も目立ちます。どちらかと言えばできる子どものようです。復習でわかっているから参加しなくてもよいという姿勢です。こういった状況が起こる要因の一つには、指名された子ども以外は見ているだけということがあります。授業者ではなく、子どもたちに行動を表現させるとよいでしょう。
また、指名されて動いた子どもの終わった後の様子も気になります。表情の変化が乏しく、達成感が感じられないのです。活動に対する評価が弱いことが原因でしょう。少々大げさでもいいので、しっかりとほめることが大切です。
グループ毎に1人1枚のカードを配ります。配られたカードは一人ひとり違う前置詞が書かれていて、互いに見せないように注意します。カードに書かれた前置詞のイメージを絵で表現することが次の作業です。この作業の指示は先ほどよそ事をしていた子どもたちも集中して聞いていました。グループでの活動に対しては前向きのようです。
他のグループにいる友だちに「カードを見せて」と何度も声をかける子どもがいます。授業者は無視していましたが、こういった他者のじゃまをする行動はきちんと止める必要があるでしょう。
子どもたちの中には与えられた前置詞の意味がわからない者もいますが、友だちに言うわけにはいかないので聞くこともできません。自分で辞書を引くしかないので、グループで作業をやる意味があまりありません。
早く終わった子どもは手持ちぶさたにしていましたが、この時間がもったいないと思います。次にするべきことを意識させたいところです。作業終了後に順番に絵を見せあって、その表す語を手元に書いていきます。前置詞の持つイメージを全員で共有しようという活動でしたが、一人ひとりが異なる語を担当する必要性が感じられず、この活動をグループにする意味がよくわかりませんでした。前置詞の持つイメージを理解させ、基本の動詞と組み合わせることで表現の幅が大きく広がります。そのために前置詞のイメージを持たせることが目的であれば、授業者が動作化したり、絵を見せたりして、どの前置詞のことかを考えさせればよいように思います。自分でイメージ化させることが目的であれば、全部の前置詞を個人でやることが必要でしょう。見せるだけでは受け身で集中してくれないので、このような方法を取ったのかもしれませんが中途半端になっていました。
授業者は柔らかい話し方で、落ち着いた雰囲気の教室をつくっています。研究熱心で工夫が多く見られますが、まだ活動を中心に授業を組み立てているように見えます。子どもたちにどうなってほしいかを明確にした上で、活動を工夫してほしいと思います。

高校3年生の現代文の授業は山椒魚の範読の場面でした。
この授業者には、以前も範読の場面でアドバイスをしたのですが、ほとんど変化が見られませんでした。文中に動物が出てきたら囲むように指示していたようですが、なぜそうするのかの説明はありません。立ち止まって、「動物が一匹出てきました」と問いかけ、一人が答えると「正解」といって次に進みます。指示と一問一答で進む授業スタイルは変わっていません。子どもたちは受け身で聞いているだけなので集中が続きません。そこで、「聞くのも練習です。大人になったら聞かなければならないことがあります」としっかり聞くように話をしますが、学習の本質から外れた言葉です。こういった言葉を聞かせるほど、ますます子どもたちは授業から離れていってしまいます。聞く価値のある場面にする工夫をしなければなりません。
休息を兼ねて顔を上げるようにと言って、嘲笑と失笑の違いを問いかけます。子どもの発言に対して「おしい」と返しますが、これでは授業者の求める正解探しになってしまいます。知識ですから調べるか教えるかしかありません。結局この場面も一問一答で、授業者が説明して終わりました。
「狼狽」が出てきたところで読み方を確認し、試験に出ると強調します。試験に出るから覚えるというパラダイムは、学びとは程遠いスタンスです。また、「ああ、寒いほどひとりぼっちだ」のところでは、「キーワードになります」と説明しますが、これがキーワードになることに気づける力を子どもたちにつけることが授業者に求められることです。すべて一問一答の、試験問題の解答見つけの授業構成でした。
もう一つ気になったのが、途中眠っていた子どもを授業の最後になって起こしたことです。起こすことの是非は別として、最期だけ起こすということは、途中は大して意味がないということを子どもたちに伝えているようなものです。気をつけるべきでしょう。
アドバイス以前の授業観の問題なのかと思い、授業後どういう授業をしたいのかを聞いてみたところ、どうもそうではないようです。本人は一問一答をやめようと思っているのですが、どうやってよいか全くわからないというのです。これまで、自身が経験した授業が一問一答ばかりだったのかもしれません。簡単なことでよいので、子どもたち自身が課題を考えるような場面をつくることから始めることをお願いしました。次回の公開授業では、何かしら変化が表れることを期待しています。

高校2年生の数学IIの授業は三角方程式の解法の場面でした。
子どもたちが話を聞く準備ができていないのにすぐに説明を始めます。子どもたちは授業者の説明よりも板書を写すことを優先しています。子どもに問いかけて発言をもとに進めようとはしていますが、特定の子どもとだけで進んで行きます。一問一答で進み、子どもたちに考えさせることをしていませんでした。
問題をいくつかのステップに分けて解くのですが、「代入して」、「展開して」「sinθ=tとおいて」といった指示で進んで行きます。なぜそうするのか、どうしたら解けそうなのかといった見通しがなく、結果として答が出ただけです。sinθ=tとおいてtについての2次方程式をつくりますが、解く前に-1≦t≦1を示します。突然に範囲を示されてもその必然性が子どもたちにわかりません。t=2となった時に、sinθ=2を解こうとして初めて気づくことです。答案づくりではなく、思考の過程を大切にした授業づくりをしてほしいと思います。
授業者は、問題を解いている途中で書く場所がなくなり、最初の復習の板書を消しました。しかし、このことを使って問題を考えるから板書したわけで、消してしまえば、このあと利用することを意識しなくなります。また、写す前に消されるといけないので、子どもたちが板書を写すことを優先させることにつながります。こういったことにも配慮して板書計画を立ててほしいと思います。
板書にはなぜそのような変形や置き換えをするのかの根拠が残っていません。問題集についている簡単な解答と変わらない程度の情報量です。授業者は配った問題を、これを「真似して」解くようにと指示しました。この指示はとても危険です。どうやったら解けるのかを全く思考せずに、黒板の解答をなぞることにつながります。数学的な見方・考え方が育たず、子どもたちがおかしな間違いをしかねません。実際、予想通りのことがこの後起こりました。
sinθ=tとおいて解いた2次方程式の解が2つとも-1≦t≦1を満たしている問題で、2つ目の解-1を除外する子どもが何人もいます。例題が2つのうち一方を除外していたので、何も考えずに真似たのです。また、例題ではcos2θをcos2θ=1- sin2θを使ってsinθの式に置き換えるのですが、与えられた問題の中にはsin2θをcosθの式におきかえなければいけない問題があります。その問題でも例題と同じくcos2θ=1- sin2θを使おうとして、無理やりcosθに代入しようとする子どもが目立ちます。意味も考えずに形を真似ているのです。
数学的な見方・考え方を意識して、問題を解くことを構造化することが必要です。問題解決に使えそうな知識に何があるか、この問題を解決するのに困難は何かといったことを最初に考えなければなりません。今まで学習した、sinθ=〇、cosθ=〇、tanθ=〇の形の方程式であればθを求めることができることなど、三角関数について知っている知識を確認した上で、この日の例題を眺めます。cos2θ とsinθが混ざっているので、このままではsinθ=〇の形にはできません。sinθかcosθだけの式なれば、それを解くことができるかもしれないことを子どもから出させたいところです。ここでsinθとcosθの関係、sin2θ+ cos2θ=1が使えそうだと気づかせると、cos2θをsinθで表わすことができます。代入して整理すればsinθだけの式になり、sinθについての2次方程式になります。2次方程式であれば解けますから、既存の問題に帰着できたわけです。ここまでが三角関数についての知識で構成される第一ステップです。後は2次方程式を解くだけです。sinθ=〇の形になればそれを解けばよいのです。解こうとすれば、sinθの値に制限があること気づきますから、不要な値を除外すればよいのです。こういった思考の過程を子どもたち自身でたどらせることが必要なのです。
既存の知識を整理し、どうなれば解けそうかの見通しを持たせるといった構造化を意識しなければ、子どもたちにとって全く同じ形の問題以外は別の問題になってしまいます。未知の問題を解決するための方法や考え方を学ぶことが数学を学習する目的の一つであることを意識してほしいと思います。
授業者は私からの指摘を素直に聞き入れてくれましたが、だからといってすぐに授業が変わるわけではありません。数学的な見方・考え方を授業者自身が整理して、問題解決を構造化していくことが必要です。日ごろからそのような視点で数学と接していなければすぐにできるよういなるものではありません。日々意識して授業に臨んでほしいと思います。

この日、中学校の先生から文部科学省の研究開発校に応募したことの報告をいただきました。基礎力としての言語と理数への関心を高めるための、ICTを活用した新教科を開設するというものです。開設に向けてのステップについて相談を受けました。採用されるかどうかにかかわらず、この学校で取り組むべきこととして前向きに捉えられています。上から押し付けられて取り組むのではなく自分たちの学校、生徒にとって必要なものだと考えられていることをとても素晴らしいと思いました。このような先生方の挑戦をお手伝いすることは私にとっても大きな学びにつながります。今後の展開がとても楽しみです。

積極的に参加する子どもと受け身な子どもをつなぐ

前回の日記の続きです。

高校1年生の古文は宇治拾遺物語の現代語訳の場面でした。2年目の先生です。
指名された子どもたちが、黒板に書かれた原文の横に現代語訳を書いていきます。授業者は指示語の内容を補って現代語訳している子どものことをほめました。この場面に限らず子どもたちのよいところをほめようとする姿勢を見せてくれます。昨年は余裕がないためか硬い表情をすることが多く、子どもたちとのコミュニケーションがうまく取れていなかったように感じていましたが、今年は笑顔もたくさん見ることができ、教室の雰囲気もずいぶんとよくなっていました。

子どもたちに問いかけ、その反応をもとに進めています。板書された現代語訳に対して、これが正解と授業者が判断せずに、それでよいか子どもたちに判断させます。子どもたちに考えさせるためのよい方法です。ポイントとなる言葉の意味や文法的な説明がこれでよいかを問いかけて、子どもたちから異論が出なければそれで次に進むのですが、この訳でよいという根拠があまり明確にはなりません。明確な根拠を子どもに確認して言わせる場面が必要でしょう。

ある一文で、今一つ納得できないのか、何かぶつぶつとつぶやいている子どもがいました。授業者はその様子を見て「もやもやしているなら考えて」と自分で説明せずに、考えるように指示します。よい対応なのですが、板書を写すことに集中してこのやり取りに参加しない子どもも目立ちます。子どもたちの言葉を中心に授業を組み立てようとしていますが、積極的に参加する子どもとだけのやり取りになっているのが残念です。もやもやするのが何かを本人に聞いて、学級全体でどうなのか考えるといったことが必要になります。

助動詞「む」の意味を確認する時に、「どんな意味があった」と問いかけますが、ここでも反応する子どもの言葉で先に進めてしまいます。前の時間にやった判別の方法を思い出すように伝え、「調べる癖をつけてください」と、調べることをうながしたのですが、多くの子どもは答が出てくるのを待っていました。実際に調べさせることをしなければ、全員参加にはできません。
「3人称」というつぶやきが子どもから出てきましたが、授業者は「主語が3人称の時は……」と自分で説明をし始めました。「今言ってくれた人、どういうこと?」と全体で確認したり、「今、3人称という声が聞こえたけれど、どういうこと?誰か説明して?」と他の子どもにつないだりして、全員で共有することが必要です。

素直にアドバイスを受け入れて実行しています。自分でもいろいろな工夫をしていて、ずいぶんと進歩が見られます。だからこそ次の課題がより明確になっていると思いました。子どもたちは落ち着いて授業を受けていますが、積極的に参加する子どもと、受け身で参加する子どもに分かれています。受け身な子どもたちをどうやって能動的にするかが課題です。積極的な子どもたちがいるのですから、彼らとつなげることがポイントになります。最初は友だちが何と言っているのかを復唱させることから始めればよいと思います。聞くようになれば、「言っていることわかった?」「なるほどと思った?」「どこがよいと思う?」と判断や価値付けを求めていくことで参加度は上がっていくはずです。
授業者自身も自分の課題に気づけています。きっと次回の公開授業ではよい変化がみられると思います。

この続きは次回の日記で。

答や結果ではなく過程を共有する

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
この日は来月に行われる授業研究で授業を公開する先生方に授業アドバイスを行いました。

1年生の現代社会の授業は、為替に関する課題をグループで考える授業でした。
最初に簡単な復習をします。為替とは何かを問いかけ、挙手に頼らず指名しました。指名された子どもは、「円とドルの交換」と対米ドルでの為替を答えました。授業者はこの答を受容してそのまま次の問いに移りましたが、ここは他の子どもにつなぐなり、「円とドル?」と返すなりして、もう少し為替について正確な説明を全体で共有することが必要です。
「どんな時に円高になる?」とい問いかけて、列指名で答えさせます。子どもが答を考える間、笑顔で待つことができますが、発言すると復唱してすぐに板書をして次の問いに移ります。子どもたちは「需要が上がった時」というように事象で答えますが、授業者はそれに対して、「何の需要が上がった時?」「需要が上がるとどうして円高?」と問い返すことはしませんでした。数人の答を聞いた後に授業者が解説しましたが、ちょっと問い返したり、他の子どもにつないだりすれば、子どもたちの発言だけで説明ができると思います。
一部の子どもは教科書を見たり、ノートで確認をしたりしていましたが、そういった行動を評価してほしいところです。一方、多くの子どもは自分が指名されていないので他人事で、発言を聞いていません。授業者が板書すると、以前に学習した内容であるにもかかわらず写します。こういった一問一答で進むと、「こういう時に円高になる」と結果や結論だけを覚える子どもに育ってしまいます。こういった場面では、為替の仕組みをもとに、根拠を論理的・合理的に考えさせたいところです。

グループの隊形にしてからこの日の課題を提示し、くじ引きで用意した2つの課題のどちらかを割り振ります。一つは、円高、円安の時、輸出と輸入、海外旅行が有利になるか不利なるかの表を与え、空欄になっている海外旅行の欄を埋めたのち、それぞれの理由を説明するというものです。もう一つは、国内旅行より海外旅行の方が贅沢できる場合について、国の名前を挙げて、どのくらい贅沢できるか具体的な数字を使って説明するというものです。中学生にもわかるように、言葉だけの説明ではなく図などを上手く使うようにと条件を付けました。こういう条件を付けることで子どもたちの発表や表現の質を上げることができます。多くのグループが、図や表で表現しようとしていました。
時間を区切って個人で考えてから相談するグループ、作業を分担して進めているグループ、用意されたiPadを囲んで考えているグループと進め方はいろいろです。何をどのようにして調べているかといったことも含めて、この課題解決のアプローチを共有する場面を持ちたいところでした。とはいえ、グループによって課題が異なるので実際にはやりにくかったかもしれません。

授業者が課題を2種類用意したのは、1つ目の課題の円高と海外旅行の関係の発表と、2つ目の課題の発表を関連づけることで、為替と物価の関係に気づかせたいという意図があったからのようです。子どもたちは自分の課題のことしか考えませんから、発表の場面まで2つの課題は結びつきません。1つ目の課題はそれほど難しいものではないので、先に全体で考えて確認し、2つ目の課題を共通にして取り組ませてもよかったかもしれません。そうすることで、色々なことを共有しやすくなったと思います。
また、新しい学習指導要領では課題を見つける力が重視されています。こちらから課題を与えるだけでなく、子どもたち自身に疑問を持たせるような場面をつくることも考えてほしいと思います。今回の内容であれば、海外旅行をテーマにして、実際の為替の動きを対米ドルと現地通貨で与え、いつ旅行に行くとよさそうか(目的も買い物、観光等いくつかあるとよいかもしれない)を取り敢えず考えさせます。その時の実際の現地の物価がどうなのかを調べさせる(与える)と、子どもたちは予想と違うことに気づき疑問を持つと思います。それぞれの疑問を整理し、子どもたちに解決させるという進め方も面白いかもしれません。

子どもたちはこういったグループでの学習に慣れているようです。授業者も笑顔で机間指導しながら、子どもたちにポジティブな声かけをしています。子どもたちが安心してグループの活動に取り組んでいました。
男子1人と女子3人のグループでのことです。活動の最初から男子の表情がかたく孤立していました。しかし、授業者は机間指導を優先して、この男子と女子をつなごうとしませんでした。女子3人がかかわることができていたので、このグループの問題に気づかなかったのでしょう。全体的に上手く活動できているからこそ、学級全体の様子を観察して、こういった対応の必要なグループに気づくことが大切になります。

この時間では発表に至りませんでしたが、中間発表でもよいので出力させる場面がほしいところでした。グループによって進捗状況は異なります。途中で足場をそろえるためにも課題解決のアプローチを共有することを意識してほしいと思います。

授業者は以前と比べて笑顔も増え、子どもたちとの関係もよくなってきています。グループ活動も上手く取り入れているようです。結論や結果ではなく、過程の共有を意識することが次の課題だと思います。素直に授業改善に取り組んでいるので、どう変化するか、公開授業が楽しみです。

この続きは次回の日記で。

"situation"をもとに考えさせる英語

1学期に訪問した中学校の授業研究でのことです。

3年生の英語の授業で、TTでの現在完了の学習場面でした。
最初に授業者2人で簡単な”skit”を見せます。子どもたちは集中して聞こうとする姿勢を見せていました。内容は、”Have you finished your homework yet?”と聞き、”No, I have not.”と答える。しばらく時間が経った後、同じように聞かれて、今度は”Yes, I have just finished my homework.”と言うものです。
続いて、山に人が登る場面を紙の人形を使ってT1が見せます。”She is climbing the mountain.”と何度も言いながら紙人形に山を登らせます。山の頂に上った時、”She has just climbed the mountain.”と言いました。子どもたちは集中して聞いています。授業者と同時に”just has”を口にしている子どももいました。その反面、よくわからないという顔をしている子どもたちもたくさんいます。授業者は子どもたちをよく見て授業を進めています。その様子に気づいて、再び同じことを繰り返しましたが、子どもたちはよくわからないという顔のままでした。現在完了の基本的な形と訳は前時までに教えていたようですが、現在完了形と単純な過去形との違いを理解するのは子どもたちにとっては難しいことです。例えば、日本語では”I have seen the movie.”も”I saw the movie.”も、「映画を見た」と表現し、意識しなければ区別しません。このような違いを子どもたちにわからせようという、難しい場面でした。

日本語を使わずに、”situation”をもとに教えようとする授業では、このように子どもたちがわからないという表情をする場面によく出会います。”All English”で教えることがこれからは求められますが、こういう場面が多くなると思います。この状態は決して悪いことではありません。子どもたちが理解しようとしているからです。この後の学習で「ああ、そういうことか」とわかる場面があればよいのです。1時間の学習の中で一人ひとりがわかるようになる瞬間をどこかでつくることが大切になります。

今日はこのことを学習すると言って、プリントを配りました。
“I have just finished my homework.”はどんな意味ですかと子どもたちに問いかけます。子どもたちは「私はちょうど宿題を終わったところです」と訳します。同様に”She has just climbed the mountain.”の意味も問いかけて答えさせます。しかし、これらは単なる日本語訳です。”She climbed the mountain.”とどう違うのかはこの日本語だけではよくわかりせん。そのため、子どもたちは口を開いて訳は言えますが、よくわからないという表情を見せるのです。
こういったことを学習するためには、”contrast”が大切になります。時制的に教えるのに、進行形との”contrast”も意味はあるのですが、日本語訳を使ってしまうと混乱するのは「終わったところです」と言っても「終わった」という過去形とどう違うかがよくわからないことです。意図的に”just”という直後を表わす言葉を使っているので、まだ何となく理解できますが、”just”が無い現在完了形と過去形の違いは分かりにくいのです。ここでは、過去形との”contrast”の方が理解するには適切なように思いました。例えば、” Have you seen the movie?” ”Yes, I have.” “When did you see?” “I saw it last night.”といった”situation”です。

授業者はプリントに書かれている説明を読み上げます。「have+過去分詞は、今やり終わったところだという完了の意味を表します。……」と日本語で説明しますが、子どもたちは完了と言われてもよくわからないと思います。日本語では、日常的に完了を意識することはあまりないからです。日本語で説明するのであれば、”have”を意識した説明をするべきでしょう。過去分詞で表わされる状態になっている(身につけている)ということですが、だから”have seen the movie”であれば、映画を見たことを持っている、つまり経験があるということを意味するのです。”I have seen the movie.”ならば、”So, I know the story.”となるわけです。現在完了の意味する「○○した状態になっている」ことは、「終わった」という「完了」、「やったことがある」という「経験」、「その状態がまだある」という「継続」や「結果」を表すと分類することができますが、本質的には同じことなのです。
「完了用法」に線を引かせ、続いて「経験用法」というように日本語で説明しました。”situation” も意識しているのですが、それを使って考えさせることを徹底できず、子どもたち自身に気づかせるところまで行かなかったのが残念でした。”situation”と”contrast”を使って、どう違うのかを子どもたちにもう少し考えさせてほしかったと思います。

完了用法でよく使われる、”just”や”already”の文における位置の説明をした後、例文での音読をします。この音読は何が目標なのでしょうか。子どもたちは英文を見て読み上げます。この後、暗唱させるのですが、”situation”を意識して、自分で言葉を紡ぎ出すことで、言語として獲得させることが大切だと思います。最初に”skit”を見せましたが、こういう”situation”を与えて、それを英語で表現するという練習をもっとたくさん組み込むとよいでしょう。

次々に相手をローテンションしながら、プリントの例文をペアで練習します。一方が例文を読んで、それを相手が繰り返します。子どもたちは男女の別なく楽しそうに参加しますが、どうしてもテンションが上がりやすくなります。暗唱するための前段階なのですが、言ったことをそのまま繰り返せばよいので、単純な作業になりやすいからです。また、発音は互いにチェックしていないので、かなり乱暴な発音も見受けられます。
早く終わっている子どもが例文を覚えようとしているのを、授業者はきちんとほめています。こういうことがよい授業規律につながっています。
続いて全体でもう一度読んで、発音の修正も行いました。この後、授業者が日本語訳を言って、子どもがその例文を答えるという活動を行います。プリントは左右で日本語と英語が分かれているので、子どもたちは英語の面を見て答えます。言葉を発するのではなく、正解を選んで読んでいるのです。続いて、ペアで同様の活動を行いました。覚えることが中心になっていますが、”situation”を表すものを見せてそれを英語で表現するといった、話すことを意識した活動を取り入れても面白いと思います。また、例文は完了と経験が混ざっていましたが、この2つの区別を意識させたいのであれば、同じ動詞で、その違いがわかるような例で練習をした方がよいと思います。

黒板に絵を貼って、その絵の表わす”situation”に合う文を言わせます。主語を固定して、使う動詞は例文の中のどれかと同じものになっています。考えて英文を出力させるよい方法ですが、この練習では、現在完了で表現すべき”situation”であるかどうかは意識する必要はなく、必ず現在完了形を使う前提で、どの動詞を使うかを学習した例文の中から選んでいるだけです。過去形か現在完了のどちらを使う”situation”なのかを判断するものにしたいところでした。
子どもたちは、例文をそのまま使うのではなく、動詞を考える必要があるのでテンションは落ち着いています。一通り終わった後、授業者が絵ごとに答を言って”repeat”させました。先ほどと比べると声が大きくなります。授業者の正解をまねすればよいからです。続いて個別に指名して答えさせます。同じ絵を使って否定にすることにも挑戦させました。考えて言葉を出させることを意識していてよいのですが、一人答えてすぐ次の絵に移りました。そのため、指名されなかった子どもは他人事で前を向いたままです。集中して聞いているようには見えません。同じ絵で何人か言わせ、続いて全体で確認をさせるようにするとよいでしょう。一つひとつ自分が参加する場面があれば、他人事にはならないからです。

いろいろな”situation”の絵がかかれたワークシート配ります。表現するために必要な動詞の練習をして、その絵の”situation”を英文で表わすのが次の課題です。個別に子どもたちは作業をします。スモールステップを意識して一連の活動が組み立てられていますが、結局、最後まで、現在完了が過去形と”situation”としてどう異なるのかが明確にならなかったように思います。現在完了を静止画で理解することは難しいと思います。”contrast”がわかりやすい、時間を意識した”skit”を工夫 するとよいと思います。

授業者の工夫がいろいろな場面で感じられました。ただ、英語を話せるようになるための要素よりも、紙の試験の対応の方が強く意識されているように思います。3年生で高校入試の問題を意識しないわけにはいかないので悩ましいところですが、例文の暗唱に頼りすぎない進め方を工夫してほしいと思います。

この日見た子どもたちの様子で、特に気になったのが1年生でした。学級内の子どもたちの姿がばらばらになってきて、授業規律が乱れ始めていました。入学時は小学校でのよい学習習慣があったので、先生方が授業規律を強く意識しなくても上手くいっていたのですが、よい部分をほめて強化したり、中学生として身につけてほしいことは何かをしっかり指導しなかったりしたことが、この状態をつくったようです。リセットして、授業規律を一から確立させることが必要なことを伝えました。
2年生は子どもたちに自信をつけさせることをお願いしていたのですが、うまくいきはじめたようです。授業に向かうエネルギーが上がってきたのを感じました。このままよい方向に進んでくれること願いました。

授業のねらいと子どもの思考の過程を意識する(長文)

1学期に行なった小学校の授業研究でのことです。

授業は4年生で、算数の図を使って説明する発展学習の時間でした。
子どもたちが元気よく挨拶できる、活気のある学級です。挨拶の後、授業者が机の上に算数の準備ができていることをほめた上で、「この日は何もなくて大丈夫です」と言うと、子どもたちは素早く用具を片付けました。授業規律もしっかりしている学級です。授業者はいろいろな場面で子どもたちの行動をポジティブに評価していましたが、このことがその要因の一つだと思います。

この日の課題を黒板に貼り、目で読むように指示します。ほとんどの子どもが黒板を見てしっかりと読んでいました。その後、「読んでくれる人?」と声をかけますが、挙手は半分くらいです。子どもたちの様子からもっとたくさんの手が挙がると思ったのですが、ちょっと意外でした。授業者は「ありがとう」と言ってから、「声のいい○○さん」と指名します。指名された子どもは大きなはっきりした声で問題を読み上げました。それを受けて授業者は「ばっちり聞こえましたね」とほめます。子どもたちをしっかりと認め、ほめることができています。
この日の課題は、「35cmの高さの椅子の上に子どもが乗ると175cmになる時、高さ55cmの踏み台に乗ったらどれだけの高さになるのか」を考える問題です。
授業者はすぐに「いつもどおりわかっている大事な数字(正しくは数・数値?)を教えてください」と問いかけました。よく目にする進め方なのですが、私はこのような問いかけを最初にするのはよくないと思っています。問題にある数に目をつけるというのは、単なるテクニックです。そもそも大事かどうかはどうやって判断しているのでしょうか。現実の問題では、必要のない数値もあります。こういう問いかけをしていると、子どもたちは単に問題に書かれている数値を拾ってその数値を使って式を立てようとしてしまいます。中学校入試によくある、数値が具体的に示されていない問題は手がつきません(実際にこのような問題を新任の先生方に研修で解いてもらったところ、とても苦戦されたことがありました)。ここでは、まず問題文の状況を把握させることが大切です。その上で、わかっていることは何か、知りたいのは何かを押さえるのです。また、直接数値では示されませんが、椅子も踏み台も同じ子どもが乗るというのも大切な条件です。この問題解決では、図を使ってこれらのことを考えることが大きなポイントです。思考の順番が違っているのです。
考える時間がほとんどないので子どもたちはすぐに反応できません。挙手する子どもは1/3ほどです。それですぐに指名してしまうのは乱暴だと思います。子どもたちが自分の考えを持つための時間がほしいところです。指名した子どもは「35cm、175cm、55cm」と答えますが、授業者は「ありがとう」を言った後「高さ35cm、……」と言葉を足します。「高さ」を勝手に付け加えることも問題ですが、問題の状況をきちんと把握していないところで、「高さ」と言っても多くの子どもはよく理解できないと思います。
授業者は言葉を足して確認するとすぐに、「聞かれていることは何ですか?」と問いかけます。今度は挙手がもっと少なくなります。授業者が、まずこれらのことを押さえることが問題を解くために大切だと思っているのであれば、子どもたちが考えるための時間を取るべきです。授業者に確認はしませんでしたが、挙手しないだけで子どもたちはちゃんと理解していると思っていたのでしょうか。もしそうであれば、挙手に頼らず意図的に指名すべきでしょう。
指名された子どもは「何cmの高さになりますか」と答えますが、どこのことかはこれだけではわかりません。「わかった?解けそう?」と授業者が問いかけますが、子どもたちは反応しません。解けそうな子ども、困っている子どもを挙手で確認しましたが、困っている子どもは1/3以上いました。
そこで授業者は「どんな風にすると答が出るかを考えてもらいます」と言ってから、「自分の気持ちが言える人?」と問いかけました。挙手は4、5人です。どんどん発言できる子どもが減っています。授業者と反応できる子どもだけで進んで行きます。子どもたちの多くは、発表者の方を見ません。友だちの言葉を理解して考えようとはせず、後から授業者が説明するのを聞けばよいと思っているようです。子どもに発言させる意味はほとんどありません。どうやったら全員が参加できるかを考えることが必要です。
2番目に指名された子どもは、55cmから35cmを引いて、その差を175cmに足せばよいと説明します。解き方としてはほぼ完璧です。授業者は、それを聞いてわかった人と問いかけますが、挙手は半分程度です。難しかったという子どもは4、5人です。残りの子どもたちは、どういう状態なのかとても気になります。
「『難しいな』という時にどうやってやったらいいんだっけ?」と子どもたちに問いかけますが、そもそも半分の子どもたちはわかったと反応しています。彼らにとってこの問いかけは意味のあるものではありません。ここでも、挙手で指名しますが、挙手は数名です。しかも、わかったと手を挙げた子どもたちです。困っている子どもに考えさせなければ、いつも答を与えられてそれに従って活動するだけになってしまいます。
指名した子どもの「図で考える」という答を受けて、「図に表わして答を求めて説明をしよう」と今日のめあてを提示しました。子どもたちの挙手が正しければ、半分の子どもたちとっては言葉の説明を聞いて答が出せそうなのですから必然性のないめあてです。授業の展開そのものに疑問が出てきます。

子どもたちは配られたワークシートにめあてを写しますが、意欲が感じられません。多くの子どもたちがここまでの展開についてこられてないからです。「自分の考えを図にかいて考えて高さを求めます」と指示をしますが、日本語が少し変です。何をすればよいのかよくわかりません。自分の考えを図にかくとはどういうことでしょうか。問題を図で表わして、その図をもとに解き方を考えるというのが自然な流れでしょう。考えを持つために図を使うのです。授業者は解けたら、説明を考えると指示をしますが、図は考えるための道具なのか、説明のための道具なのかはっきりしません。もちろんどちらにも使えるのですが、授業者のねらいは説明するために図を使うことのように感じました。そうであれば、まずどうやって解くのかが先だと思います。しかし、先ほどの「どんな風にすると答が出るか」という問いかけの答は全員できちんと共有できていない状態です。すぐに答を求められない可能性があります。まず、図を使って考えることから始めるべきでしょう。それができれば、その図を使って説明すればよいだけです。
多くの子どもたちは見通しが持てていないために、手がつきません。授業者はすぐに気なる子どものところへ行って個別指導を始めますが、まず全体の状況をみるべきでしょう。全体の状況を把握できていれば、このまま進めてはいけないと判断できたはずです。
予定の時間になって、もう少し時間の欲しい人がいるかを確認します。たくさんの手が挙がるので2分間延長しましたが、有効なことではありません。できていないから時間がほしいだけで、延長したからといって何とかなるわけではないのです。

答が出たという子どもは、約半分ほどです。この状態で、グループで友だちがどんな図をかいたのか、どんな式を書いたのか、考え方を交流するように指示しました。子どもたちのグループ隊形になる動きが、最初の道具を片づけた時と比べてずいぶんと遅いことが気になります。この活動に対して意欲的になれていないようです。何をすればよいのかよくわからないからでしょう。
グループ隊形になったところでいったん止めて、活動の方法を、「図だけを比べてから」、「説明できる人から説明し」、「わからない人は教えてと聞き」、「聞かれたら説明をする」ようにと指示をします。図で考える、説明することがめあてであるのなら、まず図をかけるようにすることまでを何とか自力でできるようにしたいところです。図を与えられてからでは、自分でかけるようになることは難しいと思います。最初の椅子に乗ったというところだけの図を共有して、もう一つの図を自分で書かせるといったことをすべきでしょう。
図をかけていない子どもは動けません。いくつかのグループでは固まったままです。図がかけている子どもが多いグループは活発に自分の説明をし始めます。授業者は全体を見ていないので、動けていないグループに対して対応をできません。わかっている子どもが活動するだけで、時間をかける意味があまりありません。

全体で、「友だち話し合って新しい発見があった人?」と問いかけます。かなりの数の手が挙がりました。まだ困っている人も確認した後、「どんな風に考えたか教えてください」と問いかけました。挙手は1/5ほどです。ここで指名して発表させれば、またわかっている子どもだけで授業が進んでしまいます。せっかく「新しい発見があった人」がいるのですから、どんな発見かを発表させて困っている人につなぎたいところでした。
指名された子どもに、実物投影機を使って発表させます。発表を聞いていない子どもがいることが気になりました。授業者は発表者の方ばかりに注目していてそのことに気づきません。全体を見て、全員に注目させることを意識してほしいと思います。同じような図をかいている子どもを確認し、他の子どもを指名します。授業者は説明を意識していましたが、図と式と説明をきちんとつなげることが大切だと思います。「図だけを見てどんな式になったかを考える」、「図でそれぞれが問題文のどことつながっているのか、どこのことを表わしているのかを言わせる」「式の計算の結果が図のどこのことかを示させる」といったことをするとよいでしょう。
指名された子どもたちの説明は、子どもの背の高さをまず求めるものでした。2人の子どもの発表を聞いた後、授業者がこういう感じだったねとあらかじめ準備した図を黒板に貼ります。これでは、子どもたちは先生の求める答探しをするようになってしまいます。子どもたちの発表を価値付けして、それをそのまま活かすようにしてほしいと思います。

椅子と踏み台の高さの差を使って解いたと子どもに発表させます。それを聞いて理解できた子ども、よくわからなかった子どもを確認しました。わからなかったと手を挙げた子どもには「正直でよい」とほめます。よい対応なのですが、どちらにも手を挙げない子どもがたくさんいます。全員どちらなのかをはっきりさせないと自分のこととして参加しません。
ここで授業者は、今の発表者の考えを自分の言葉で説明をするように問いかけます。よい展開なのですが、指名された子どもはその場で立って説明をします。式を言葉で説明することになっていました。言葉の説明ではわかりにくいので図を使いたいのですから、前に出て図をもとに説明させることが必要です。椅子の高さと踏み台の高さの差は図のどこに現れているのかといったこと問いかけをしながら、式と図の関係をきちんと押さえることが必要です。図にどうやって表すか、図でわからないところ、知りたいところをきちんと整理することから始めなければ、図をもとに考えることはできません。そこがしっかりできていれば、そのまま解き方の説明になるのです。

結局多くの子どもたちは、わかった子ども、授業者の説明を聞くだけで、自分で図をかき、その図をもとに考え、その考えを説明する場面がありませんでした。
子どもたちの思考の順序をスモールステップで考え、どこまでをどのようにして到達させるのか、どうやって共有化するのかを考えて授業を組み立てる必要あります。この授業では、子どもたちに図を使って考えさせるのか、自分の考えを図で整理して説明させたいのかがはっきりしないまま進んでしまったことが混乱の大きな原因だと思います。前者であれば、まず問題の状況を図で表わすことをしっかりとさせる必要があります。後者であれば、どんな考え方にせよきちんと答を出させることが重要です。
授業者は子どもたちを受容することやほめることができます。発表をつなぐための基礎となる技術もあるので、子どもたちを全員参加させるために何が必要かも考えてほしいと思います。授業のねらいや子どもたちの思考の過程を明確にすることと合わせて意識すれば、大きく進歩するはずです。今後に期待したいと思います。

先生方の成長とエネルギーを感じる(長文)

私立の中学校高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
この日は、少経験者と同伴で子どもたちの様子を中心に授業を見学しました。

一緒に授業を見ながら普段意識していることを聞いたりしました。一人ひとりの成長が感じられる楽しい時間でした。
子どもを見ることとはどういうことかを中心に話をしながら授業を見ました。子どもを見ると言っても、実に多様な観点があります。そういったことを具体的な場面で伝えました。例えば子どもの意欲がなく伏せっている時でも、板書を始めれば起きてノートに写すかもしれません。もしそうなら、その子どもは先生の話は聞かなくてもノートを写しておけばよいと思っているということです。すぐに注意をするといった対応ではなく、先生が話をする場面を子どもが価値を感じるようなものにしなければなりません。
授業者が話をしながら板書をしている時に、「話を聞いている」「ノートを取る」「ぼんやりしている」と子どもたちの様子がばらばらのことがあります。これは授業者が今子どもたちにどういう状態であってほしいのかを明確に意識していないということです。話を聞いてほしいのなら手を止めて顔を上げさせる必要があります。板書を写させたいのであれば、話をしても集中して聞いてもらえませんから、黙って書くことに集中した方がよいでしょう。
このようなことを伝えました。

以前は子どもが見えていなかった新人も、意識して子どもを見ようとしていました、少しずつですが進歩しています。子どもに問いかけ、子どもの言葉を受容できるようにもなっていましたが、一人の発言を受けてすぐに説明を始めていました。子どもの言葉を受け止めるだけでなく、問い返したりつないだりして全体で共有することが必要です。次の課題を意識して、一歩一歩前進してほしいと思います。

一問一答の説明型の授業からなかなか抜け出せない新人もいます。他の先生と進度を合わせるために早く先に進みたいため、一方通行になってしまうようです。授業者が説明したからわかるはずだというのでは、「これは教えたよ」というアリバイ作りの授業です。子どもたちに考えさせたいところを絞り、そこを中心に1時間の授業を組み立てるようにしてほしいと思います。授業内容に軽重をつけることが大切です。

2年目の国語の先生は、板書をできるだけ書かないようにして授業をしていると話してくれました。子どもたち自身でまとめられることを目指しています。そう簡単に上手くいくわけではありませんがよい姿勢だと思います。
評論では読んで疑問に思ったことをグループで共有して考える授業に挑戦しているそうです。しかし、最近ではマンネリになって子どもの意欲が落ちてきているようです。子どもたちの活動に対する評価や価値付けが必要です。ただ発表して終わるのではなく、意見をつないで焦点化し、再度グループで考える場面をつくることも意識することが大切です。
意欲的に新しいことに挑戦する姿勢はとてもよいことです。今後の進歩が楽しみです。

グループの発表で時間がとられることに悩んでいる先生もいました。一つひとつ全グループに発表させていると時間もかかりますし、いざ全体で考えを深めようとしても最初のグループの発表は記憶から消えています。小型のホワイトボードにグループの発表を書かせるのであれば、共通に書かれていることをピックアップし、それについて一つのグループに発表させて、追加すべきことがあるグループがあればその意見を聞くようにする。また、それらの意見に対して違う意見のグループがいればその考えを聞くといった進め方をするとよいでしょう。口頭での発表であれば、1グループの発表の後、似た意見のグループを確認して発表させて、他のグループに「今の意見になるほどと思う?」「今の説明を聞いて考えが変わった人?」とつないでいけば、時間かけずに焦点化することができます。こういった進め方を伝えました。

英語の先生と一緒に少経験者の授業を参観しました。高校1年生の英語表現です。
まず単語・用例集を見ながら全員で読みの練習をしましたが、授業者も子どもたちも本に視線が行って顔が上がりません。機器の準備のこともあるので強くは勧めませんが、スクリーンにそのページを映して顔を上げさせたいところです。また、この音読のねらいがよくわかりませんでした。発音の練習であれば、もう少し細かい発音の違いを意識させたいところですし、単語や用例を覚させたいのであれば、単に音読するよりも言葉の意味から英語を言わせた方がよいでしょう。”come”の用例を”come from” ”come across” “come out”……と連続でいくつも読ませましたが、”situation”と結びつけずに読むことの意味があまりわかりません。何となく惰性で昔からある学習方法をやっているように見えました。一つひとつの活動の意味を子どもたちも授業者も意識することが大切だと思います。
ペアで練習をさせ、発音に気をつけて聞くように指示しますが、子どもたちは具体的にどのようなチェックができるのでしょうか。発音のポイントが聞き分けられるような指示や練習はしていません。これでは、結果的に聞き流すだけになってしまいます。また、子どもたちの座席が離れていることも気になります。ペアになるように指示はしましたが、机をくっつけさせません。隣の席が空いている子どももいます。誰とペアになるのかが明確でないため、隣の女子ではなく斜め後ろの男子と練習する男子もいました。ペアをつくらずに活動しない子どももかなり目立ちます。授業者はこのことをあまり気にしていません。一つひとつの活動で子どもたちどうあってほしいかがはっきりしないまま授業をしています。
小テストでシャ−プペンシルが壊れたのか、書けなくて困っている子どもがいました。斜め後ろの子どもに助けを求めたところを、授業者が相談しているのかと注意をしました。そうではないと気づいて自分のものを貸しましたが、その時ちょっと厳しい顔をして手渡したことが気になりました。授業後に確認したのですが、わざとそういう表情をしたそうです。この感覚はちょっと違うのではないかと思います。確かに予備を持っていなかったのは本人のミスかもしれませんし、テスト中に友だち話しかけることはルール違反かもしれません。しかし、アクシデントで助けを求めたことや筆記具を借りたことを表情でよくないことだと伝えるということは、その子どもの行為を否定することにつながります。安心して頼れる先生ではないと感じられてしまう危険があります。もし注意したいのであれば、「予備も持っている必要があるね」「トラブルがあったら手を挙げて先生に伝えて」と笑顔でペンを渡して一言添えればよいのです。
小テスト中に見回りをするのですが、その時の表情もチェックをしていると感じさせるものでした。全体で話している時の表情は、以前より笑顔が増えてよくなったのですが、なぜ笑顔が必要なのかがあまり意識できていないのかもしれません。授業技術の底にある精神を理解してほしいと思います。
小テスト終了後、先日行った外部の検定試験の結果を配ります。当然のことですが、子どもたちはその中身が気になるのですぐにしまうことはしません。全体のテンションが上がっていきます。配り終えた後静かにさせて、結果の見方を説明します。配られたシートに示されているグレードが何段階あるか、数字が大きい方がよいのかどうかといったことを問いかけますが、このようなことを対話的に行う意味はありません。子どもたちはしっかりと結果を見ているのですから、自分でシートに書いてある説明を見させればよいのです。しばらく子どもたちに結果を見させていましたが、授業のど真ん中でこの時間を取る必要性は感じません。授業の最後に配れば十分でしょう。
続いて返すものがいっぱいあると言って、今度はワークを返します。チェックを入れたところは空欄になっていると告げ、前置詞が入りそうなら”in”でも”on”でも何か入れておくように話をします。書き込んでいないのはやる気がないと言いたいのかもしれませんが、これは試験対策の小手先の技術です。学ぶことの本質とはずれています。そこを声高に強調する必要はないと思います。無回答は意欲のなさの表れかもしれませんが、どうやって調べればよいか全くわからないというメッセージかもしれません。他の部分の出来具合と比べて空欄の意味を読み取るという姿勢も必要なのではないでしょうか。辞書を調べればわかるところをやっていないことも注意をしますが、子どもたちに学習の方法をきちんと伝えきれていないのか、やる気がないのか、これもよくわかりません。そこを判断してどのような指導していくのかを考えてほしいと思います。
次に前回使ったワークシートを返します。今回はこの続きからやるのでこのタイミングではこれだけを配ればよかったと思います。前回は授業者のスピーチを聞いてワークシートを埋めたのですが、その評価をどうやったかを説明します。「正しく聴き取れたかどうかではなく、聞き取ろうという努力をしたか?」「グループワークでわからなかったことをわからなかったままにしなかったかどうか?」の2点です。評価した点をこの時点で言うことはあまり意味がありません。活動する前にきちんと伝える必要があります。また、努力をしたかどうかは視点としてはよいものですが、それをどうやって判断するのかが明確でありません。特に聞き取りでは、ワークシートから読み取ると言ってもきわめて主観的になりそうな気がします。また、グループワークで聞き取れなかったことがわかるようになることはあまりありません。どのような進め方をしたのかわかりませんが、「こう言っていた」と教えられても確かめようがありません。グループで相談した後に聞き取る場面が何度もあればまた違うとは思いますが、どうだったのでしょうか。一つ間違えれば、聞き取れていないのに答だけを教わることになって、何の力もつきません。誰も聞き取れていなければ、グループにしても答すらわかりません。これで評価されるのはとてもつらいことです。できるようになるための活動、評価を意識してほしいと思います。
この日はスピーチの内容を考えるのですが、まず中身の書き方として「ストーリー型」「説明型」の2つの型を教えます。前回の授業者のスピーチはどちらの型か問いかけますが、そのことを意識して聞いていたわけではありません。返ってきたワークシート見ながら考えるわけですが、あまり意味のある活動ではありません。ペアで確認しますが、根拠を示しにくいことが気になります。ほとんど動きがありませんでした。文章の組み立てを考えるのは母語の方がよいと思います。同じテーマで2つのパターンを日本語でスピーチし、その特徴とよさを考えて理解させた方がよいでしょう。
答を子どもたち確認しますが、反応する子どもはわずかです。指名しても「わかりません」と返ってきます。反応してくれた子どもが「ストーリー型」と正解を答えてくれた後、「ストーリー型」である説明をスピーチの内容を振り返りながら行いました。「ストーリー型」という正解に対して解説をするという、従来の授業のパターンから抜け出せていません。解説の途中で、話の内容を子どもたちに確認しますが、記憶に残っていない子どもたちは参加できません。一部の反応してくれる子どもだけとのやり取りになっていました。ここで大切なのは、授業者のスピーチの構造を理解することではなく、2つのパターンのどちらかを選択するためにそれぞれの特徴を理解することと、そのパターンを意識した時どうやって文章を組み立てていくのかという方法です。子どもにつけたい力を意識して授業を組み立てる必要があります。
続いて、相手に言いたいことを伝えるために重要なのが論理的であることを伝え、ワークシートの2つの例文のどちらが論理的であるかを考えさせます。答の確認をペアでさせますが、大切なのは答ではありません。この場合であれば、2つの文章の特徴、どこがおかしいといった根拠となることです。ここでも他の場面でのペア活動と同じく、参加しない子どもが目立ちます。指示した活動でどのような子どもたちの姿が見たいのかを意識して、うまくいっていなければどうすればよいのかと考えることが必要です。
ワークシートの構成は子どもたちが考えること中心にした活動を意識したものになっているのですが、実際の授業では一問一答形式の答探しと教師の解説型の授業になっていました。授業観をどう変えていくのかが課題でしょう。

この日、中学校の先生から、中学校入試問題を、思考力を問いかけるものにしたいという相談を受けました。実際に問題の例もつくられていましたが、よく考えられていると思いました。問題例があったので、具体的なアドバイスをすることができました。私にとってもよい刺激になりました。これからの時代にふさわしい学校にどうやって変えていくのかを積極的に考え、発信していこうとされています。評価の在り方についての腹案も聞かせていただきましたが、これからこの学校をよくしていきたいという強いエネルギーを感じました。トップダウンではなく、ボトムアップからの学校改革はとても力強いものです。このエネルギーが学校全体に広がっていくことを想像すると、とてもわくわくしてきます。次回の訪問もとても楽しみです。

全員参加と全体の場での活動を意識した指示が大切

前回の日記の続きです。

授業研究は4年生の国語の説明文の授業でした。

前時の復習として、中の部屋(構成)は何段落から始まったかを全体に問いかけます。子どもたちからは、「2段落から」「2段落から7段落」と元気な声が返ってきます。明るく元気な学級です。
授業者は第2段落だけ抜き出したものを黒板に貼り、それをワークシートにしたものを配って音読をさせます。子どもたちの声はよく出ていますが、下を見て読み上げる子ども、手にワークシートを持って読み上げる子どもとバラバラです。教科書と違ってワークシートは薄いので、手に持って読もうとしている子どもはやりにくそうでした。全員での音読では声を出しているかどうかの確認は声の大きさだけでなく、口元を見ることが大切になります。大きな声であっても、全員が声を出しているとは限らないからです。顔を上げさせること意識してほしいと思います。
授業者は「まず、音読をしようか」と言って音読を始めたのですが、この場面では大きな声を出すといったいつもの目標以外にも意識させたいことがあるはずです。明確にしてから音読させた方がよいでしょう。

音読を終わって、段落の最初の文は何かと問いかけると、一人の子どもがその場で素早く読み上げます。それを受けてすぐに授業者は「筆者が走り方に工夫をし始めたきっかけについて書いてあるね」と答えました。続いて「きっかけは何?」と問いかけると、数人の子どもがすぐにその場で「大きな動作で走ることに疑問を持ったのだ」と読み上げます。授業者はそれを聞いて「なるほど、これが筆者が疑問を持ったきっかけだった」と説明を始めました。
この後も授業者の問いかけに同じ子どもたちがすぐにその場で答えてしまい、その発言をもとに授業者が説明するということが続きます。このやり取りにほとんどの子どもは参加していません。一部の子どもとの一問一答の授業になっていました。すぐに答える子どもを制して、他の子どもたち考える時間を与えたいところです。その上で、複数の子どもに答えさせ、全員に考えを共有させることをしてほしいと思います。

筆者の疑問を確認して、この日のめあて、「筆者がどうやって疑問を解決したのか考えよう」を提示しました。考えようという言葉が気になりました。正しく「読み取る」ことが最初の課題だと思います。その上で直接書かれていないことを文脈から合理的に解釈することを「考える」と分けると活動が明確になるように思います。

めあてを書かせた後、再び疑問を確認しますが、また同じ子どもがその場で答えます。ワークシートに自分で書くようにと子どもたちに指示し、しばらくして「何で疑問を感じたんだ?」と次の質問をします。しかし、ほとんどの子どもはまだワークシートに書いている途中です。答えるのは作業の速い、いつもの子どもだけになります。「400m走ると苦しくなる」という子どものつぶやきに対して、授業者は「400m走ると苦しくて、最期まで力が続かない」と言葉を足しました。子どものつぶやきを拾って、子どもの言葉を活かして授業を進めているように見えますが、都合のよい言葉を拾って、結局は授業者の言葉で説明しています。一部の子どもとのやり取りだけで進んでいることと合わせて、課題として意識してほしいと思います。

2段落で感じた疑問を3段落で解決していくと授業者が説明します。説明文では段落の関係を子どもが考えることが大切になりますが、そこを一言で説明してしまいました。
3段落に文がいくつかあるかを問いかけますが、本文を見ないで答えるのですから、根拠があるわけではありません。一人の子どもが声を上げると、続いて何人かの子どもが声を上げます。無責任に発言できる問いかけですから、子どもたちのテンションが上がります。授業者は正解の「4」がでると、即座に「そうそう4」と返しました。当然すぐに子どものテンションは下がりました。
正解かどうかは本文で確認させるべきですが、この日の課題は4つの文を正しい順番に並べ替えることなので見せるわけにもいきません。こういったことを考えると、この問いにはあまり意味はないように思いました。

4つの文を黒板に貼って、筆者が疑問をどうやって解決していったかわかるようにグループで並べ替えるようにと指示しました。グループにしてから細かい指示をしますが、子どもたちはまだごそごそしていて、視線は授業者に集中していません。指示はグループになる前にしておくということを原則にするとよいでしょう。
前時で一度全文を読んでいるので、順番を覚えている子どももいます。そのため、「どうしてこの順番になるのか考えてほしい」と追加の説明をしました。根拠はとても大事なのですが、なぜ大事なのかを子どもたちが意識することが必要だと思います。説明文を書く時に、筆者は接続語で文と文の関係を明確にするなどの工夫をしています。並べ替えることでそういった工夫に気づけるような展開を考える必要があると思います。決め手となった言葉に線を引くといった指示の方が、後の展開が楽になるかもしれません。

子どもたちは躊躇なくこれが最初と並べ替えを始めます。テンションがすぐに上がりました。並べ替えるのはわかりやすい作業です。一部の子どもが活動を引っぱって、大きな声で自分の考えを主張しています。グループの活動が説得型になっています。このことには注意が必要です。聞く側が主体となって、相手の考えを納得するような活動を意識してほしいと思います。グループで一つの答にまとめるのであれば、一つひとつみんなが納得するまで聞き合う、相談するということを、ルールとして徹底しておくことが必要だと思います。グループで考えるが、結論は各個人で出すのであれば、自分の考えを変えたところ、その理由といったことを全体で聞き合うことを前提に行うとよいでしょう。こうすることで、安直に他者の答を写すことを抑制できます。

いくつかのグループで結論が出るころには子どもたちのテンションがかなり上がっていました。相乗作用でどんどん声が大きくなっていきます。一度活動を止め、まだ活動を続けるのであれば、終わったグループに次の指示をすることが必要でしょう。

各グループの結論が黒板に貼りだされます。グループごとの相違点を簡単に確認してから、理由を聞きます。最初に発表したグループは「話がつながるから」という言葉ばかりが出てきます。「忘れた」という子どももいます。日ごろから具体的な言葉や文で根拠を説明することを習慣づけておくことが必要でしょう。このグループの説明にばかり時間をかけるわけにはいきませんが、どこか1か所を入れ替えて、「これでは話はつながらない?」と問いかけたいところです。理由を説明させると並べ替えの根拠が明確になってくると思います。
授業者は並べ替えた文を読ませて、「これで話がつながったからだそうです」とまとめました。それに対して他のグループの子どもたちがつぶやいたり話しかけたりしています。これはとてもよい場面です。授業者はすぐ次のグループの発表に移ったのですが、口を開いた子どもたちに何をしゃべったのか聞きたいところです。順番に全部のグループに発表させようとする先生が多いのですが、私はよほど時間に余裕がある時以外は勧めません。それよりも、子ども同士をつないで、補強する意見や反対意見を出させて、考えを深めることが大切だと思います。論点を焦点化して再度グループに戻すことも有効だと思います。

次のグループからは「よくわからない」という言葉出てきます。授業者は「迷った?」と聞き返し、「どこで迷った?」と問いかけました。なかなかよい返しだと思いますが、その子どもはうまく答えることができませんでした。「他の3人は?」と同じグループの子どもにつなぎますが、「わからん」と言う言葉が出てきます。最後に「話がつながっている」と先ほどのグループと同じ言葉を出しました。「話がつながった」という曖昧な答を認めたことが影響しました。結局焦点化できないまま、次のグループに移りました。
今度は「グループで話し合った時に出たことを教えてくれるかな」と問いかけますが、「忘れた」と返ってきます。活動の始めの「どうしてこの順番になるのか考えてほしい」と言う指示がうまく機能していないことがよくわかります。言葉は消えていきます。それを固定化するために、具体的な言葉や文と根拠を紐づけておく必要があるのです。話の内容そのものを再現させたければ、なるほど思ったこと、順番が決まった時の意見をワークシートに書くというように具体的に指示し、過程を残すことを習慣づけていかなければなりません。
多くの時間を割いて子どもたちが話し合ったことは全部消えて、並べ替えた結果だけが残った授業でした。

子どもたちはよい表情でグループ活動をしていましたが、野口芳宏先生がよくおっしゃるところの、「息抜きの時間」になっていたようです。グループの活動の後に共有して深めたいことを意識した時に、どのような指示をしなければいけないのかを考えることが大切です。今回の例で言えば、並べ替えた結果はなくその根拠を共有したいのですから、根拠や話し合いの過程が残るような指示をする必要があったということです。
また、ユニバーサルデザインを意識して板書でのチョークの色を変えていますが、その色を子どもたちが意識することが大切です。授業者が色を決めるのではなく、「これは何色で書いたらいい?」と子どもに選ばせることで、内容を構造化できるようになると思います。

子どもたちをよく受容して、雰囲気のよい教室をつくり出せています。課題として、「全員参加」「深めるための活動を意識した指示」「意見の焦点化」を意識してほしいと思います。
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