子どもの実態に応じて、上手に授業規律をつくる

昨日の日記の続きです。

4年生の道徳はお話の内容を理解する場面でした。
挨拶が終わった後、子どもたちは私たちの姿を見て少しざわつきます。授業者は優しく声をかけ、子どもが落ち着くのを待ってから始めます。上手に子どもたちをコントロールできていると思いました。
この日の教材は「100点を10回とれば」です。漢字テストで10回続けて100点とったら欲しかったサッカーシューズを買ってもらえる約束を主人公は母親とします。10回目の試験は100点だったのですが、先生の採点ミスがありました。どうしようかと主人公が悩むお話です。

話の題名を板書して、子どもたちにどんな話と思うかを問いかけます。子どもたちは口々にしゃべってテンションを上げます。テンションが上がりやすい子どもが多いように感じました。しかし、数人が挙手したので授業者が指名をすると、すぐに静かになって発表者に注目します。気持ちの切り替えができます。上手に授業規律をつくっていると思いました。
返事が小さかった子どもがいた時には、どんな返事をすればよかったのか全体に問いかけて言わせることで、特定の子どもではなく全体の問題にします。友だちの話を聞いていない子どもには、聞きなさいと注意をするのではなく、「○○さんのように、話をしている人の方を見ていると聞いているとわかるんだけれど、窓を見ていると聞いているかいないかわからないから」と取るべき行動を示します。授業規律のつくり方のポイントがわかっていると感心しました。

話の内容を予想させることで上手に子どもの興味を引きつけました。数人に発表させた後、授業者が話を読みます。資料は配りません。途中で登場人物を聞くことを確認した後、聞く姿勢を取らせました。なかなか集中力が続かない子どもたちなのでしょう。授業者は緩んでいいところと集中すべきところを意識してコントロールしています。
途中で誰が出てきたかをたずねます。授業者が自分で確認しながら読んだ方が時間の節約にはなると思いますが、受け身の時間を減らすことで集中を持続させようとしているようです。
子どもたちと授業者の関係がよいのでしょう。子どもたちは指名されたくてしょうがありません。テンションを上げるのですが、最初の場面と同じように友だちの発表はよく聞いています。授業者が子どものテンションに影響されず落ち着いて授業を進めていることがよい影響を与えていると思います。

子どもたちに発表させながら内容を確認した後、話の続きを読みます。主人公が採点の間違いに気づいたところで、子どもたちから「見なきゃよかったのに」と声が上がります。「書き直しちゃえ」という言葉も聞こえました。授業者はそのまま読み続けましたが、ちょっともったいないと思いました。授業者の予定している流れがあるのでなかなか難しいとは思いますが、こういった言葉を拾っておいて、そこから主人公の葛藤を自分のこととして引きつけさせることができたかもしれないからです。流れを完全に止めなくても、ちょっと板書しておいて、後でこの言葉をきっかけにして考えさせてもよかったかもしれません。

主人公が採点ミスを申し出ようかどうか悩んでいるところで、読むのを止めました。子どもたちは先ほどと違ってテンションは上がりません。真剣に考えています。どうしようと、自分に引き寄せて考えているように見えました。
時間の関係でここまでしか見ることができませんでしたが、実態に合わせて上手に子どもたちをコントロールし、授業規律をつくっていました。

経験年数の少ない授業者の特別支援学級での授業は、子どもたちが親にほめられた時などのシチュエーションでどんな気持ちになるかを考える場面でした。親にほめられた時の気持ちを温度計の目盛りで表わす活動です。
授業者は落ち着いて子どもと接することができるようになっていました。子どもたちに発表させる場面では、理由を言えた子どもに、「理由も言えたね、素晴らしい」と大きな声でほめることもできます。子どものよいところを見つけてほめようという姿勢ができています。
同じ気持ちになった子どもを確認して、「○○さんも同じなんだね」とつなごうとしますが、そこで終わっています。もう一歩進めて、同じであることをよいことだと、人とつながることをポジティブにとらえられるようにするとよいと思いました。「○○さんも同じなんだね」と言う言葉の後に、「いいね」とちょっと一言足すだけでも、人とかかわろうとする意欲が増すと思います。
同じようにほめられた時でも、人によって気持ちの温度が違うことを確認した後、最高にうれしい時はどんな時かを聞きます。発表する子どもの言葉をしっかり受容します。ただ、すべて授業者が受け止めて、他の子どもとつなぐことはしませんでした。コミュニケーションがなかなか難しい子どもたちかもしれませんが、だからこそ、他の子どもがどう思うか、どう感じるかを聞いてつなぐことも必要だと思いました。
特別支援では一人ひとりとしっかりかかわる時間を多く取ることができるので、個をしっかりと見る力がつくと思います。ここでの経験が、授業者に大きな進歩をもたらせると思います。

この続きは明日の日記で。

自分に引き寄せて考える道徳

以前の日記の続きです。

6年生の道徳は大きな木という絵本を使った授業でした。
少年と大きな木のお話です。少年は大きな木が大好きで、大きな木も少年のことが大好きです。しかし、少年は成長と共にだんだん大きな木に会いに行かなくなり、たまに会ってもお金が必要だ、家が必要と願い事ばかりします。大きな木は大好きな少年に、お金にするために実を与え、家の材料にと自分の枝を与えます。最後に少年は外の世界に出ていくための船を望みます。大きな木は自分の幹を船の材料として与え何もなくなってしまいます。そして、少年はその船に乗って出っていってしまい、大きな木は独りぼっちになります。

ここまでを読んで、大きな木は幸せかと問いかけます。子どもたちは自分の考えを赤白帽で表示し、4人のグループで話し合います。帽子の色は赤白相半ばしています。子どもたちの実態に合ったよい教材だということです。子どもたちは、一生懸命自分の考えを友だちに説明しています。話をしていて考えが変わった子どもはその時点で帽子の色を変えます。子ども考えの変化を見える化するよい方法です。活発でよい場面なのですが、子どもたちのテンションが高いことが気になります。相手を説得しようと、話している子どもの声が大きくなっているのです。友だちの話を納得することを中心にしたいところです。「意見が変わらなくてもいいので、考えを聞いてなるほど思ったことを後で発表してもらうね」といった指示をしてもよかったかもしれません。その上で、「なるほどと思って意見が変わった」「なるほどと思ったけれど、意見は変わらなかった」といったことを聞いていくのです。

グループで話し合った後、木が幸せだったという子どもが増えているようです。授業者は、幸せだったという子どもの意見から聞いていきます。発表を聞いている子どもたちはよい表情で発表者の方を向き、自分の意見に近かったり、納得したりするとうなずいて反応しています。よい授業規律の中で子ども同士の関係がよいことがわかります。授業者は数人指名した後、友だちの話に反応していた子どもを指名します。子どもたちをよく見ています。

ここで授業者はもう一度グループで少し話をさせます。子どもたちは友だちの意見をしっかり聞いていて思うところがあるのでしょう。すぐに口を開きます。少し時間を取った後、今度は幸せでないという子どもの考えを聞きます。
先ほどでてきた、自分の体の一部である船を見てきっと思い出してくれるから幸せという意見を受けて、「だけれどももう遠くに行ってしまって会えないし、自分にはもう何もないから助けてあげることもできないから帰ってこないし、さびしい気持ちになるから幸せじゃない」という意見が出てきます。子どもから「うーん」という声が聞こえてきます。授業者は続けて幸せじゃないという他の子どもを指名しましたが、「うーん」という反応を拾って、どういうことかと聞くことで考えをつないでみても面白いと思いました。
次に指名された子どもは、先ほどの意見に、たとえ帰って来ても金をくれみたいなことだったら嫌だと付け足します。先ほど発表した子どもは大きくうなずいています。続いて、「お金は使ってしまっているし、家ももう無くなっているだろう。船ももう使っていないだろうから、何も残っていないはずだ。だから幸せでない」という意見が出てきました。子どもたちから「すげー」という声が上がります。そこで子どもたちに動きが起きます。まわりの子どもに話しかける子どもが出てきました。授業者はそのまま子どもたちに話を続けさせました。よい判断です。

少し間を取った後、指名して発表します。ここまで挙手による指名はほとんどありませんが、どの子どももしっかりと自分の意見を言ってくれます。「自分があげたものが無くなっても、それで少年が幸せになったのだから、木は幸せ」という意見のあと、授業者は木の少年への行為を一つずつ示しながら、その時木は幸せだったかを確認します。「最後に何も無くなっちゃって、そこまでしてそれでも本当に幸せ?」と揺さぶります。子どもたちは、一瞬沈黙して考え込みます。2人の子どもが手を挙げますが、授業者は「どう?」とみんなに考えを続けるように求めます。手を挙げた子どもも授業者の意図を察して手を下ろします。子どもたちと授業者の関係のよさが見てとれます。

「100%幸せと言える?」とさらに言葉を足すと、子どもたちに変化が見られます。よい揺さぶりだと思います。「幸せってどんな時?幸せな顔をして」と子どもたちに表情をつくらせると、すぐに反応してくれます。続いて、「今、木はそういう顔をしている?」と問いかけます。「してない」と声が上がります。授業者は「何で?」「じゃあ、幸せでないの?」と返します。子どもたちは、もう一度考えています。幸せ、幸せでない、挙手した子ども1人ずつに発表させます。それを聞いて子どもたちはまた考えています。
子どもたちの表情や態度は授業者の揺さぶりや友だちの発言で変化しています。ここは、子どもたち自身に結論を出させることよりも、そういった反応をとらえて、「今、どんなことを考えている?」と子どもたちの迷いを共有するとよいと思います。

授業者は全体に問いかけながら考えさせようとしていきますが、特定の子どもとのやりとりになっていきます。友だちの意見に反応する子どももいますので、特定の子どもばかりでなく、反応する子どもの考えを聞きたいところでした。
子どもたちは、最初は大きな木が幸せかどうかを客観的に考えていましたが、次第に自分のこととして考え始めていまので、ストレートに「じゃあ、あなたなら『ああ、幸せ!』と思う?」と聞いて、ドンドン発表させてもよかったかもしれません。

最後に、お話の結末を読みます。子どもたちはしっかりと集中しています。
ずいぶん時間が経って、年老いた少年が戻ってきます。子どもたちがそれを聞いて「戻ってきたんだ」「よく戻ってこれたな」と反応します。自分のこととして聞いているのでしょう。
木は少年にあげられるものは何も残っていないと言いますが、少年は「もう何も必要でない。最後に腰を下ろして休める静かな場所があればいい」と答えます。それならばと、木は切り株となった自分に座って休むように言います。少年は木に腰をかけ、木は幸せでした。
子どもたちは、最後は身じろぎもせず話を聞き、聞き終るとほっとした表情をします。どの子どもも木が幸せになったことを喜んでいました。子どもたちが木に寄り添って考えていたことがわかります。教材のよさもありますが、しっかりと教材研究をして、子どもたちが考える時間を多くとっていることが大きな要因だと思います。

ただ、少年が戻ってきて木が幸せになってよかったという結末で納得するのではなく、幸せとは何かについてもう少し深く考えさせたいところでした。
木の気持ちをもっと自分に引き寄せさせて、同じ状況を幸せと感じる人もいれば、感じない人もいることを明確にするのです。世間的な幸せではなく、自分にとっての幸せを何だろうと考え、それを求めることを意識させることができればもっとよかったように思います。
授業者は、この数年大きく成長しています。謙虚に他者の意見を受け止め、授業改善を続けています。私も多くのことを学ばせてもらっています。これからもきっと大きく成長すると思います。今後がとても楽しみです。

この続きは明日の日記で。

深く考える道徳(長文)

前回の日記の続きは次回以降に更新します。
先週に訪問した小学校の話です。3年生の道徳での授業研究の助言者を務めました。

授業者は今年異動してきたベテランの方です。優しい笑顔で子どもたちをしっかりと受容できる方です。はじめの挨拶がきちんとできていない子どもがいれば、やり直させます。返事ができなければ、返事をするまで名前を呼びます。授業規律を意識されていることがよくわかりました。

この日の授業は、命を大切にすることがテーマです。小学校3年生にとっては難しい内容ですが、難病のため長期入院していた同年代の子どもの詩を元に考えさせます。
詩を全員に配った後、授業者がていねいに朗読します。その時、子どもたちがずっと下を向いているのが気になりました。この後個人で音読させるので、読めない漢字の確認というねらいもあるのでしょうが、ここは顔を上げさせるか目をつぶらせるかして聞くことに集中させてもよかったかもしれません。
「命」という題名の詩の内容は、命を電池に例え、電池は交換ができるが、命は交換できない、だからこそ命の電池が切れるまで大切に生きたいという内容です。この詩を子どもたちにしっかりと理解させたいというねらいでしょう、個人で何度も音読するように指示しますが、活動の目標を伝えていないことが気になりました。よくできる子どもなのでしょうか、大きな声で感情を込めて読もうとしていましたが、上手に音読することが目的ではありません。子どもたちは何度も音読するのですが、次第に声が大きくテンションが上がってきます。その一方で、集中を失くしている子どもも目につきだしました。授業者はこの状況に気づいたのでしょう、活動を止めて集中させます。よい判断でした。

「この詩を読んでよいところを教えて?」と子どもたちに問いかけますが、「詩のよいところ」という問いかけは、客観的に詩をとらえることにつながります。道徳では子ども自身が登場人物に気持ちを投影することが大切ですので注意が必要です。
すぐに何名かの子どもが黙って席を立ちます。授業者は、道徳の時間は挙手指名で進めるのではなく、起立した子ども全員に発言の機会を与えるようにしているそうです。発言を保障するよい方法のように思いました。また、すぐに指名せずに考えを持てた時点で起立すればよいようで、落ち着いて考える機会を与えています。しかし、音読する時にはこのよいところを教えてということは示されていません。いきなりの問いにすぐに反応できる子どもは少数です。多くの子どもが考えを持つ前に指名が始まってしまいます。そのため特定の子どもばかりが発言することになってしまいます。すぐに起立させるのではなく、ちょっと考える時間を与えたり、まわりと相談する時間を取ったりするとよいでしょう。また、発表された意見に対して、「なるほどと思った人?」と問いかけたり、「今うなずいていたね。どういうこと?」と聞いている様子を見て指名したりして子ども同士をつなぐことで、考えをすぐに持てなかった子どもにも発言する機会を与えることも大切です。

授業者は道徳だけはコの字型の隊形で授業をしているようです。道徳はいつもの授業とは違うのだと思ってほしいからだそうですが、子どもたちはコの字型での発表にはまだ慣れていないようです。教室の前の方にいる授業者の方を見てしゃべります。授業者は時々友だちの方を見るように促しますが、徹底はされていません。聞く方も多くは授業者を見ています。子どもたちが慣れないうちは、発表者のそばでしゃがんで全体を見るとよいと思います。授業者を見ようとする子どもの視線は自然に発表者の方に向かいますし、発表者は授業者が低い位置にいるので自然に友だちの方を向いてしゃべります。子ども同士がかかわりやすいのがコの字型のよいところですから、積極的にそのことを活かすようにしたいところです。

子どもたちの発表が終わって次に指示をするまでに授業開始から20分近くが過ぎました。この間子どもたちは活動をしてはいますが、自分に引き寄せて何か考えているわけではありません。少し時間がもったいないように思います。ここでは、詩の内容を子ども自身で読み取らせることよりも、主人公の気持ちを授業者が「この気持ちわかる?」と子どもに迫りながら伝えた方がよいように思いました。

続いて最初に読んだ詩の1年前に書かれた詩を全員で読みます。手術が怖かったこと、3回目の手術の時には怖かったけれど頑張ってくれるねと親に笑って言えたことが書かれています。授業者はこの詩の「手術はこわいな」と最初の詩の「せいいっぱい生きよう」という一節を離して板書し、主人公の気持ちがここからここへ変化したのはどんなことを考えたからなのかを考えるように指示します。離すことで大きく変わったことを意識させます。
これがこの日の主発問なのですが、「手術」と「生きる」が直接つながらないので、気持ちが変化したと言われてピンときません。「出術は怖いと思っていた時はどういうことが怖かったのか」「せいいっぱい生きようと思った時は怖くなかったのか」といったことを問いかけて押さえておかないと主人公の気持ちには迫れないと思います。
子どもたちは鉛筆を持ってすぐにワークシートに書き始めます。子どもたちが深く考えていたのなら、すぐに鉛筆は動きませんが、スラスラ書く子どもがかなりいます。第三者的に思いついたことを書いているのです。1行ほど書いて手持ち無沙汰にしている子どももいます。授業者はじっくり考えてほしいと時間を多くとったのですが、子どもたちがじっくり考えるための手がかりになるものが少なすぎるのです。

子どもたち発表させますが、半分ほどの子どもしか起立しません。書いてあるのに発表しようとは思わないのです。発表する子どもたちは、先に発表された意見と近いとか、ここは同じだがここは違うといった言葉を使うなどなかなか上手に発表します。よく鍛えられているように思うのですが、よく発表する特定の子どもだけのことかもしれません。全員が発表することも意識してほしいと思います。また、同じ意見だと発表せずに座るというルールもあるようです。展開を早くするためには重要な要素ですが、同じだからとすべて一つにしてしまうことは避けたいところです。同じと言っても発表させるとよい考えが足されていたり、微妙に違っていたりすることもあります。座る時にどうしようかなとためらう子どももいます。そういう子どもを指名してどういうことか聞いて見ることも必要でしょう。

授業者は子どもの意見を受容しながら発表させます。最後に、「先生はうまくみんなの意見をまとめられるかな、助けて」と出てきた意見をまとめます。すぐに板書せずに後から整理することはよいのですが、授業者の言葉でまとめています。自分の意見とは違っているように感じる子どもがいても、違うとはなかなか言い出せないでしょう。時間はかかりますが、「○○さんの意見ってどうだった?」と聞いていた子どもに問いかけることや、「△△さんの意見に近いのはどれ?」と本人に選ばせるといったことをして、できるだけ子どもたちの言葉でまとめるようにするとよいでしょう。
出てきた意見のどれに自分の意見が近いかを決めさせて挙手で確認します。ここで初めて全員が自分の考えを明確にしたことになります。別の言い方をすれば、考えを持てたということです。しかし、まだ考えというには浅いものです。ここから揺さぶり、切り返して深く考えさせたいところでした。
授業者は友だちの意見や考えを聞いてなるほどと思った意見、気に入った意見を発表させますが、もともと深く考えていないので、出てくるものも表面的になります。友だちの意見を聞いて「考えが変わった」「影響を受けた」といったことが出てくるとよいでしょう。友だちの話を聞いて子どもたちが「えっ?!」「あっ!」と声を出したり、うなずいたりといった反応を引き出すことを一つの目標にするとよいと思います。

「命を大切にするってどういうこと?」と発問が最後に出ました。この発問にもいつもの子どもたちがすぐに反応します。子どもたちの答は、信号を守るといった「命を守るための行為」ばかりが出てきます。それが授業者のねらった答かどうかはわかりませんが、どんな答も授業者はしっかりと受容します。「命を大切にする」ということは、その前に「命を大切にしよう」と子どもたちが心から思うことです。命は大切であることを言葉としては誰でも理解しています。死ぬのは怖いとだれでも思います。しかし、それ以上に生きるのがつらいと思うこともあるのです。そういったことを考えた上で、本当に命を大切にしようと思えるようになってほしいと思います。1時間の授業で子どもが大きく変わることは中々ありません。何時間もかけて少しずつ子どもの心を耕し、よい芽が育つことを願いたいです。

電子黒板を使って、校外学習やドッヂボール大会の写真を見せます。子どもたちの素敵な笑顔がたくさん写っています。子どもたちがとてもうれしそうにその写真を見ていました。みんなの笑顔をたくさん見たい、見られるといいという授業者の言葉に続いて、「生きているって」という教科書の詩を読んで授業は終わりました。
子どもたちに笑顔でいてほしいという授業者の思いを強く感じました。もしそうであれば、2つ目の詩で、3回目の手術の時には「こわかったけどがんばるねと笑って言えた」という一節を中心に扱ってもよかったと思いました。「恐いのにどうして笑って言えたの?」と問いかけるのです。そうすることで、親の気持ちや親への主人公の気持ちに気づく子どもが出てくると思います。子どもたちは自分が死ぬかもしれないという気持ちになかなか入り込むことはできないと思います。しかし、身近な人が死ぬかもしれないという気持ちには寄り添いやすいと思います。この授業のねらいからは少しずれるかもしれませんが、「自分の存在が他者にとって大切なものである」「自分の存在は自分だけのものではない」「命を大切にしたい」とつながっていくように思います。

道徳の授業では主人公だけではなく、主人公とかかわる人、第三者の3つの視点を意識すると授業を組み立てるヒントが浮かびます。同じ出来事でもそれぞれの視点で見えてくるものは違ってきます。また、時間軸を意識することも有効です。なぜそうした、そう思ったという「過去」、どうする、どう思うという「現在」、このあとどうなる、どう思うという「未来」の3つの視点です。この人物と時間軸でできるマトリックスのどこに焦点を当てればねらいに近づけるのかを考えるのです。
例えばこの教材であれば、授業者は主人公の時系列での気持ちで考えましたが、「“母親”は手術の時にどう思った」、最初の詩の時には「“母親”はどんなことを思うようになった」というように、主人公とかかわる“母親”の気持ちを時系列で考えるといった進め方も見えてきます。

検討会は、学年ごとのグループで行いましたがとてもよい雰囲気で進みました。学年団のチームワークのよさを感じました。出てくる意見も子どもたちの様子に即したものが中心で、先生方の視点が子ども寄りになっていることをうれしく思いました。
「考えを持てなかった子どもも、友だちの意見を聞いたり、友たちの意見で自分に近いものを選んだりすることで持てるようになっていた」「同じ意見だと座るけれども、その子どもたちの意見も聞いて見たかった。授業者が同じとまとめた意見でも子どもは違うと思っていたのではないか」など、よい気づきがたくさんありました。

この学校では深い学びを目指しています。道徳では子どもたちからは思いついたことや一般的で無難な答、授業者が言ってほしいと思うような答といった浅いものしか出ない傾向がありますが、そのこと自体はしかたのないことです。そこを出発点として考えを深めるという発想を持つとよいでしょう。深めようにも元が無ければ話になりません。できるだけ早く自分の考えを持たせ、そこからどう深めていくかを考えて教材研究をするのです。
例えばこの日の授業であれば、「命は大切?」と聞き、その理由を言わせます。続いて主人公が重い病気で手術をすることを話し、死ぬかもしれない手術の前にどんな気持ちになるかを問いかけて答えさせます。2つ目の詩を読ませて「それなのになぜ笑って言えたの?みんななら言える?」と返すのです。その上で1つ目の詩を読ませて、「命を大切にするってどういうことだと、みんなは思う?」と問いかけるのです。こうすることで子どもたちがこの1時間でどう変容したかも知ることができると思います。

この日の授業研究は、授業者が力のある方で基礎がしっかりとできた授業だったので、参加者も多くのことに気づけたと思います。学びの多いものでした。今年度の授業研究はよいスタートが切れたと思います。

どこでつまずいているのかを意識して活動を考える

昨年秋の小学校の訪問です。

1年生の算数は、和が10を越える2数の足し算の場面でした。
全体的に子どもたちは落ち着いてよく集中しています。授業者と子どもたちの関係のよさが感じられます。
8+5の足し算をするのに、「さくらんぼしたい」という言葉がキーワードとして出てきます。授業者はすぐに「10を越えるときに使うね」と説明をしましたが、「どうしてさくらんぼしたいの?」と子どもに問いかけて、子どもから理由を引き出すことをしたいところです。
子どもたちに「10を越えそうか?」と問いかけると、「越えそう」という声が返ってきますが、全員ではありません。しかし、授業者は「10を越えそうだね。越えそうならどうする?」「10をつくる」と、手順を追っていく説明していきます。こうやって手順を教えていくと、手順を覚えることが算数の学習になってしまいます。ここは、これまでやってきているはずの10の補数を意識させ、そこから手順を子どもたち自身が考えるようにするとよいと思います。
10を超えるかどうかは感覚でなく、「いくつ足すと10になる?」と補数を確認して、足す数はそれより大きいかどうかを問いかけます。「大きければ?」「10を越す」といったやり取りを何度もするのです。1桁の数字を見るとその補数が常に連想されるようにすることが大切だと思います。

授業者は「あといくつで10になるの?」と問いかけますが、子どもの反応は思わしくありません。補数をつくることはまだあまりやっていないようです。1桁の数に対してその補数をつくる練習をして定着させておかないと、考え方がわかっても計算ができません。
そこで、授業者はブロックを使って計算をさせます。ブロックを準備するように指示するのですが、子どもがブロックを取り出している時に、問題から8個と5個が必要だと説明します。これでは徹底しません。まず、説明をし、指示を徹底させてから活動させることが必要です。
これまで、さくらんぼ図を使ってきて学習しているようです。考え方はわかっているのであれば、子どもたちがつまずいているのは補数をつくる部分でしょう。ブロックを使って補数をつくることだけを練習してもよいと思います。

ブロックを使って、足す数を補数の2と残りの3に分けます。分けた2をどうするかを問いかけていきます。挙手に頼らず何人も指名しますが、答えられない子どもも目立ちます。子どもたちは授業者の指示に従って作業しているだけなので、何のために補数の2をつくったのかがわからなくなっているのです。「どうして2と3に分けたの?」といった根拠を問いかける場面がもっと必要でしょう。

子どもたちはわかりたいと思ってしっかりと参加しているのですが、結局授業者の与える手順を覚えることになってしまいます。この時間のポイントは、「足す数の補数を見つける」「足す数を補数と残りの数に分ける」「足される数と補数で10をつくり、残りの数を足す」という手順を覚えることではなく、根拠を持ってこの手順を再現できることです。そのためには、根拠を問いかけ、確認していくことが必要です。
もう1つのポイントは補数をみつけられることです。手順を理解しても、ここでつまずいては何ともなりません。これには練習が必要です。この2つのポイント意識をして、子どもがどこでつまずいているかを見取り、必要な活動を組み立てることが求められます。
子どもたちの授業規律や学習意欲は比較的よい状態ですので、こういったポイントしっかりと意識して教材研究をし、授業を組み立ててほしいと思います。

この続きは次回以降の日記で。

授業深掘りセミナーのご案内

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授業深掘りセミナーの申し込みが始まっています。

今年度より、模擬授業の1つを授業の基礎技術を意識したものにしています。若手の先生や教員を目指す学生に役立つだけでなく、ベテランにとっては日ごろの授業を見直すきっかけになり、若手を指導する立場の先生にとっては指導のポイントが見えてくるようなものになると思います。また、全体での模擬授業の深掘りの他に、参加者がより主体的に学べることを願って、参加者同士がグループになり、講師や授業と学び研究所のフェローとともに授業を振り返る時間も設けます。今まで以上に、多くの先生方の学びに役立つものになることと思います。

そして、より多くの皆様が参加しやすいように、次のような割引料金が設定されました。

※リピーター割引料金:2000円(以前に参加いただいた方)
※紹介割引料金:2000円(リピーターまたは講師・研究所フェローの紹介で初めて参加される方)
※学生割引料金:1000円(小中学校の教員を目指す大学(院)生)

皆さんの参加をお待ちしています。

企業の研修で新人の成長を見る

4月に企業の新人研修で元校長先生3人と一緒に講師を1週間務めさせていただきました。社会人経験のある方(いわゆる第2新卒)も含む、総勢12人でした。

研修の前半は仕事をするための基礎となる知識面の講義が中心です。講師の方は授業技術に長けた方ばかりです。講義と言っても一方的なものではなく、切り返しで考えを深める場面や、互いに意見を聞きあったり考えを発表したりといったかかわり合う場面が随所にあります。
しかし、まだ互いの人間関係ができていないからでしょう。グループ活動の場面で、特定の者がしゃべり続けたり、ペアではしっかり意見を言えていた者が口を開かなくなったりといったことが見受けられました。そこで、研修の様子を見ながらプログラムごとグループのメンバーを意図的に入れ替えました。
最初のころは相性があるように見えても、次第に人間関係ができてくると誰とでも意見を交換できるようになっていきます。慣れもあるのでしょうが、組み合わせをいろいろと変えることでかかわり方を学んでいるようにも見えました。このことは、学校でも同じだと思います。私たちはこの子とこの子は相性が悪いから離そうといったことを考えたりしますが、多様な友だちとかかわることで子どもたちは成長していきます。経験を積むことで、再び同じグループになった時にかかわれるようになっていることもよくあります。相性が悪いと決めつけるのではなく、そういった友だちも含め他者とかかわり合う機会をたくさんつくることが子どもたちの成長にとって重要な要素だと思います。

後半は、課題解決の研修が中心です。今年度は新人にとってかなり難易度の高い課題を与えましたが、なかなか見事にこなしてくれました。
各グループのチームワークがよくなったことも上手くいった要因ですが、3つのグループが互いの中間発表や取り組みの様子から学び合えていたことが大きいと思いました。12人それぞれの持っているよさがよい形で課題解決に生かされていたと思います。
今回の研修がすぐに実践に役立つかどうかはわかりません。しかし、他者から学ぶことのよさ、大切さを知っていることはどのような仕事でも基礎となる大切なことです。そして何より、同期という素晴らしい財産をこの研修期間で得たことが大きな成果だと思います。これからの社会人生活で苦しむこと、悩むことがあるはずです。その時身近で相談できる同期の存在がきっと助けになることと思います。

彼らが社会人としてこれからどのように成長していくのかとても楽しみです。少し遠くからですが、彼らの成長を見守っていきたいと思います。

第6回教育と笑いの会申し込み開始

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今年も東京で教育と笑いの会を開催することになりました。

●期 日
平成29年7月22日(土)

●時 間
13時00分〜16時20分 (受付開始 12時30分)

●場 所
新宿永谷ホール
東京都新宿区歌舞伎町2丁目45-5
※JR山手線 新宿駅 徒歩7分/西武新宿線 西武新宿駅北口 徒歩1分/都営地下鉄大江戸線 新宿西口駅東口 徒歩5分

●参加費
3,000円

●定 員
100名 ※定員になり次第締め切らせていただきます。

●主 催
教育と笑いの会/授業と学び研究所

●協 賛
EDUCOM

●申込み
7月7日締切
詳しくはこちらから

今回は保護者の斎藤早苗さんとコンビを組んで漫才に初挑戦することになりました。今からプレッシャーに押しつぶされそうです。
今後、プロデューサーの玉置先生からの猛特訓が予想されます。
特訓に耐えきれたかは、是非当日会場で確かめていただければと思います。

子どもが活躍することを意識してほしい

先週、私立の中学高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
この日は、新しく来られた方の授業を中心に学校全体の様子を見せていただきました。

高校1年生の現代社会は株式会社の学習の場面でした。
授業者は表情よく話をしていますが、どうしてもしゃべりすぎるようです。子どもたちはワークシートの答を写すことにエネルギーを使っていますが、資料を調べる場面などでは積極的に活動しますし、自然にかかわり合う姿も見られます。こういった活動を活かし、子どもたちの発言場面をもっと増やすとよいでしょう。授業者にどのような授業をしたいかをたずねたところ、自分が生徒の時に受けた授業のように、先生が一方的に説明して終わるようなものではなく、子どもたち自身が活躍するようなものにしたいということでした。とても、よい授業観だと思います。ただ、実際の授業とその思いがずれているのが残念です。子どもたちが自分で考えて活動するような課題を考えることが必要になります。
例えば株式会社の学習であれば、「売れそうな商品やサービスのアイデアを考えたけれどつくるのにたくさんのお金がいる。あなたならどうする?」といった問いかけから、会社形態や資金調達について考えさせてもよいでしょう。最近よく耳にするようになったネットファンディングなどを題材にして、株式の仕組などを調べさせるというのも面白いと思います。
授業に対する方向性は間違っていないので、子どもたちが活躍するためにいろいろな工夫をしてほしいと思います。この学校では、子どもが活躍する授業を色々な方が実践されています。こういった授業を参観して参考にするようにアドバイスしました。

高校2年生の英語は子どもたちが自分で文章を考え英語で発表をする授業でした。
子どもたちが発表文をつくっている時に、集中していないことが気になりました。課題が自分のものになっていないように見えます。どうやって文をつくればよいのかといったことがよくわかっていないように見えます。また、この課題の目標や評価基準がはっきりと子どもたちに伝わっていないために、つくった文をどうやってブラッシュアップすればよいのかがわからず、書き終わったあと手の動かない子どもが多いようです。
途中で授業者が”Picture Card”を見せて説明をしますが、授業者が一方的にしゃべっているだけで子どもたちの顔が上がりません。この課題に対する意欲が教室から感じられませんでした。
指名された子どもが起立しても子どもたちはほとんど反応しません。前に出て発表をするのですが、発表者は手元の原稿を読み、一方聞いている子どもたちはほとんど顔が上がりませんし、メモを取る姿も見られません。決して子どもたちの関係が悪いわけではないと思います。発表者側、聞く側双方の目標が明確になっていないのです。発表後拍手は起こりますが、発表に対する評価や価値付けの場面は全くありません。2人目の発表の時には拍手もほとんど起きませんでした。
また、発表の時の授業者の視線も気になりました。視線が定まらないのです。発表者を評価しようと見ているわけでもなく、子どもたちの聞いている様子を見るでもなく、ゆらゆらしているのです。
こういったことから、授業者と子どもたちのコミュニケーションがうまく取れていないように感じます。課題は何か、具体的にどうなればよいのかといったことをきちんと子どもたち伝える必要があります。何をやればよいのかわからなければ子どもたちの意欲も高まらないのです。本人としては伝えているつもりでも、一方的にしゃべるだけでは伝わりません。課題の目的、目標を明確にし、子どもたち伝えるには何が必要かをきちんと意識してほしいと思います。

高校2年生の数学は相加平均と相乗平均の関係の授業でした。
2数の相加平均≧相乗平均の証明を授業者がしています。授業者を見ずに板書を写している者、話を聞かずに下を向いたりよそ見をしたりしている者と、子どもたちの姿勢が定まらないのが気になります。子どもたちはただ授業者の示す結果を受け入れるだけで、どのような視点で考えるのか、この不等式がどのような意味を持っているのかといったことを考える場面がありません。この証明を通じてどのような数学的な見方・考え方を子どもたちに身につけさせるのかを明確にして授業に臨む必要があります。
不等式の証明という視点では、今までどのようなやり方で証明をしたのか、どんな数や式の性質を使ったのかを子どもたちに問いかけ、考えさせることが必要です。「差が≧0を証明する」「( )2≧0」といったことをまず子どもたちから出させる必要があります。√の扱いも2乗すると消えること、両辺が正ならば2乗しても大小関係の同値性が保たれることを使うのか、a≧0ならばa=(√a)2を使うのかといった選択肢があります。教科書がどのやり方で証明しているのかは別にして、こういった視点で子どもたちに見通しを持たせ、自分がこれだと思う方法で証明に挑戦して共有するといったことが必要です。
また、2数が正である条件が証明の中できちんと押さえられていないことも問題です。授業者はa=(√a)2、√(ab)=√a√bを使って証明しましたが、2数が正であるからこのことが成り立つことには触れられていません。これでは数学的には不完全ですし、条件の持つ意味がわかりません。また証明を始めるにあたって、2数が負であればどうか、異符号であればどうかといったことも問いかけ、2数が正の場合に意味のある議論であることにも気づかせたいところです。
相加平均≧相乗平均の意味を考えるということでは、周囲の長さの和が一定の長方形において面積が最大になるのは正方形であることを表わしていることに気づかせ、そこから証明を考えさせるといったこともできます。正方形の一辺の長さをaとした時に周囲の長さが一定の長方形の2辺はa+b、a−bと表わせることを使うのです。平均の持つ意味を見つけることもできます。また、「面積ではなく体積で考えるとどんなことが言えそう?」と問いかけることで一般化できそうなことにも気づけると思います。
教材一つからでも多様な数学的な見方・考え方を学ぶことができます。すべてをやれというのではありません。授業者が何を学ばせたいのかを意識して授業を組み立ててほしいのです。
こういったことを授業者には伝えました。今後授業にどのような変化が起きるのか楽しみです。

この日は、高校2年生と高校1年生の様子を中心に参観しました。
2年生は昨年に引き続きよい状態でしたが、新年度を迎えたという緊張感があまり感じられませんでした。先生方も子どもたちの状態がよいので新たに何か求めているというようには見えませんでした。子どもたちのポテンシャルはもっと高いはずです。次のステップを意識して、子どもたちにより成長を求めてほしいと思います。
1年生は年々意欲的な子どもたちが入学しているように感じます。学校への期待、授業への期待も大きいように見えます。オリエンテーション合宿を終えて、人間関係もよい状態になっています。子どもたちはかかわり合うことができるのですが、そういった場面つくることを意識していない先生方も目につきました。今は意欲が高いので、子どもたちは受け身でも授業に集中しますが、期待外れだと感じると意欲が落ちる危険性もあります。このよい状態を維持するためにも、子どもが活動し、活躍する場面を大切にしてほしいと思います。

この日は、中学校に今年度予定されているタブレットPCの導入について相談を受けました。担当の先生は、いきなり高いレベルを求めるのではなく、現実的に活用できることを意識されていました。オタク的な夢物語ではなく、一歩ずつ手の届く範囲から進めていこうという姿勢はとても素晴らしいと思いました。今後、色々な形でサポートをさせていただくことになりますが、どのようなものになっていくのか、私自身もとても楽しみにしています。

これからの1月が勝負

昨日は、授業アドバイスで中学校を訪問しました。
今回は学校全体のスタートの様子を見せていただいてのアドバイスです。

1年生は子どもたちの人間関係がよく、新入生独特の硬さも感じられません。とてもよいスタートが切れているように思います。まわりと自然に相談し、しばらくするとスーと自然に集中するという場面もありました。いくつかの授業では、中学1年生とはとても思えないほどの集中を見せてくれます。自己紹介の場面では全員がきちんと発表者の方を向いて真剣に聞いている姿も見られます。
その一方で、グループの代表の発表で子どもたちの視線が定まらない場面も目にします。ある授業では、子どもたちに作業をやめて顔を上げるように指示してもすぐに全員の手が止まらず、そのまま授業者が話を始める場面がありました。子どもたちの状態はバラバラのままで、続く活動にも全員がすぐに参加できませんでした。また、一列ごとに後ろを向かせ、ペアで活動をする場面では、手を振ったり、すぐに口を開いたりしています。関係がよいのですが、この後指示をされた活動を行う場面はややざわつき、グダグダした状態になりました。
もちろん、きちんと指示が通るまで待ってから次の作業を指示する、先に指示をしてからペアをつくるといったことをすれば違った状態になったと思いますが、そういった授業技術面とは違った危うさを感じました。おそらく子どもたちはどの小学校でもかかわり合うような授業をしっかりと受けて育ってきたのだと思います。子どもたちのよい状態は、小学校の延長上のものなので、中学生としての授業規律を再度身につけさせる必要があります。しかし、基本的な授業規律ができているため特段の指示をしなくても授業がそれなりに進むので、教師がそのことを意識していない可能性があります。授業者が中学生としてどのような姿になってほしいかを意識できている授業では、とてもよい姿になりますが、そうでないと小学生のままなのです。このままの状態が続くと、子どもたちは授業によって態度を変えてよいと思ってしまいます。しかし、きちんと意識できている方でも、自分の授業では子どもたちの姿がよいのでその事実になかなか気がつきません。気づいた時には手遅れになっている可能性があるのです。
学年全体でこのことを意識することが大切ですが、全員が全く同じようにそろうのは難しいものがあります。「中学生だから、指示されなくても今どのようにすべきかを判断して行動できるようになってほしい」と、自分で考えて行動することを学年全体の場や、学級で求めるとよいと思います。そして、指導の場面では、「こうしなさい」ととるべき行動を直接に指導するのではなく「今は、どう行動すべきだったか」を考えさせるようにします。もともとよい状態の子どもたちですので、今後大きな成長が期待できると思います。

2年生は、新年度の緊張が強く残っているように感じました。昨年度この学年は全体としてはよい状態だったのですが、一部の気になる子どもたちがつながり始め、年度末にかけてその対応に追われていました。今年度は異動もあって担任の一部が変わり、学級編成も工夫がされ、子どもたちの気持ちがリセットされたように思います。よい意味での緊張感があり、子どもたちが授業に前向きに取り組もうとしているのを感じます。よく集中しているのですが、時々集中が切れている子どもを目にします。特定の子どもというよりは、ポツリポツリと入れ替わりで目につきます。しかし、集中が切れた子どもも、場面が変わればまた復活します。前向きな気持ちが切れているわけではないのです。
もうすぐゴールデンウイークです。全体として子どもたちが頑張っていてよい状態であるし、集中が切れる子どもも一部だからとそのままにしておくと、休みをはさんで緊張が切れ、せっかくのよい状態が一気に崩れる可能性があります。これからの数週間は特に意識して子どもたちに接する必要があります。では、集中が切れている子どもをその場で注意すればよいのでしょうか。頑張っているけれども集中力が続かなかった子どもたちですので、注意をするのはマイナスです。ずっと集中力が切れたままの子どもはほとんどいません。子どもの集中力が戻った時に、「やる気を出してくれているね」といったほめ言葉をかけるようにするとよいでしょう。また、子どもたちが集中して聞いてくれていると、どうしても教師はしゃべりすぎてしまいます。結果として子どもたちの受け身の時間が増えて、集中力を切らす原因となります。そんな中、数学の時間でグループ活動をしている場面がありました。子どもたちはとてもよい表情で取り組んでいました。中にうまくはグループに入れていない子どもがいましたが、授業者はそれに気づいて声をかけていました。子どもたちの関係は悪くないので、このようにまわりと相談させたり、グループでの活動を取り入れたりすることで子どもたちがかかわる場面を多くつるくとよいでしょう。子どもたちの集中も続きますし、今一つ孤立気味で授業に参加できない子どもも他の子どもとつながることで、一層前向きに授業に取り組み、よりよい学校生活を送れるようになると思います。

3年生は、例年のこの時期と比べてちょっと違った状態でした。非常に落ち着いているのですが、頑張らなきゃ、やるぞといった熱のような物をあまり感じないのです。ここで昨年度のことを思い出しました。この学校では毎年合唱祭が盛り上がるのですが、昨年の秋に訪問した時の練習風景は例年と比べて子どもたちの意欲が高まっていませんでした。そこで、先生方が子どもたちを引っぱることで、結果的には大成功に終わったそうです。しかし、合唱祭が終わった後に訪問した時の子どもたちは、抜け殻のようになっていました。もちろん先生方はそのことに気づいて、自分たちが引っぱるのではなく子どもたちの内部からエネルギーを引き出すことを意識されたようです。その流れで見れば、この状態はよい方向に思えます。ただ、3年生が始まってリフレッシュしたというよりも2年生の延長という感はぬぐえません。子どもたちが新しい学級で様子を見ているという感じも受けます。また、担任が変に引っぱることで合唱祭の時のようになってはいけないと、遠慮をしているのかもしれません。
この後、修学旅行や3年生が中心となって学校全体を引っ張るようなイベントもあります。そこで、子どもたちからエネルギーを引き出せるとよいと思います。子どもたちから出てくるものをコントロールしようとするよりも、少々外れたように見えることでもできるだけ活かしてやるようにしてほしいと思います。自分たちが考えた、自分たちがやった、やれるという自信を持たせるのです。子どもたちは自分で思っているよりも力があります。先生方も子どもたちの力を信じて任せることが必要でしょう。

この日は現職教育について全体での話があり、そこで私の目に写った学年の様子をお話させていただきました。短い時間しか観察していませんので的を外しているかもしれませんが、参考にしていただけたらと思います。

この日は特定の授業を参観しなかったのですが、何人かの先生が相談に来てくれました。とてもうれしいことです。
今年特別支援学級の担当になった先生は、特別支援と通常学級の授業の切り替えがうまくできないと話してくれました。この時以前と比べて表情が変化していることに気づきました。ずいぶん柔らかくなっているのです。特別支援学級での経験がこの変化につながっているのだと思いました。特別支援学級で、子どもをしっかりと受容し、一つひとつの指示をていねいにして、確認もしっかりと行うことの大切さに気づいたようです。
私からは、特別支援と通常学級の違いを意識しなくてよいとアドバイスさせてもらいました。特別支援で意識していることは程度の差こそあれ通常の学級でも意識すべきことです。今経験していることをそのまま生かしていけばよいのです。自信をもって子どもたちに接してほしいとお伝えしました。この先生が大きく進歩する予感がします。

学校全体としてはよいスタートを切れていると思います。ただ、ここで気を抜くとどうなるかわかりません。ここからの1月が勝負だと思います。次回5月末の訪問がとても楽しみです。

昨年度の仕事の日記の扱いについて

新年度の学校への訪問も本格化してきました。時系列がおかしくなりますが、新年度の日記の更新を優先し、その合間に昨年度のものを掲載させていただくことにします。

よろしくご理解ください。

実験の意味を子どもたちに考えさせる

前回の日記の続きです。

3年生の理科の授業は仕事と力学的エネルギーの関係の実験の授業でした。
子どもたちのよい行動をほめることできますが、緊張していたのか表情がちょっと硬いことが気になりました。指示に対して全員ができるまで待てるのもよいと思います。全員参加を意識しています。
仕事の定義の確認をしますが、一部の子どもの発言を受けて進んで行きます。復習場面では、時間短縮をしたいこともあり、一人指名発表のあとすぐに確認して終わることが多いように思います。しかし、既に学習したことだからこそ多くの子どもが参加できるはずです。挙手ではなく意図的に指名したり、まわりと確認させたりすることで、より多くの子どもが活躍できるようにしたいところです、
中学校の範囲では仕方がないことなのですが、運動エネルギーと位置エネルギーの説明が、どうしても感覚的になってしまいます。同じ位置にある同じ物体でもその時の速度が異なればその物体の持つエネルギーは異なります。同じ速度、同じ位置にあっても質量が異なればやはりエネルギーは異なります。一つの例ですが、エネルギーという言葉をこういった状態の違いを表わす共通の尺度としてとらえ、実験を通じてそれがどのようなものかを考えていくといった進め方もあると思います。理科ではその概念がなぜ必要になったのか、現象をどのようにとらえるのかといった科学的な見方・考え方を意識してほしいと思います。

この日の実験は、鉄球を斜面で転がして木片にあててセンサーで鉄球の速さを測り、木片がどれだけ動いたかを調べるというものです。鉄球の速度や木片の動いた距離が何を意味するのか、なぜ測定するのかはよくわかりません。鉄球や木片は重さが異なる物が用意されていて、授業者は「一番考えやすいもの」を選ぶようにと説明しますが、子どもたちはまだ何も考えていません。授業者が実験器具の使い方、手順をすべてていねいに説明します。結果の記録の仕方も表を与えて指示します。実験の説明に多くの時間を割きましたが、何を知りたいのか、どんな予測がたつのか、どんな実験をすればそのことが分かるのか、どのようにまとめたらよいのかといった、実験の持つ意味、結果をどう処理して考えるかといったことに時間を使いたいところです。
子どもたちは指示された通りに実験を進めますが、考えることなく作業をしているだけで結果がどうなるか予想をしたりしているわけではありません。授業者が実験中に「やりながら耳を傾けて」と注意事項を追加で説明しますが、実験に集中している子どもたちの耳には届きません。大切な説明であればいったん実験を止めてからするべきだったでしょう。この説明の後、子どもたちのテンションが上がっていきます。授業者が子どもの作業に割り込み、集中を乱したことが原因かもしれません。実験が終わるころにはかなり高いテンションになっていました。

実験終了後、得られたデータをどう整理するのかはとても大切な活動です。しかし、そもそも何のために実験をしているのが明確でないままでは、考えることはできません。結局グラフにすることも、その書き方の説明も授業者が行います。グラフを元にして考察をしますが、注目する視点を子どもたちが考える場面はありません。活動主体の授業になってしまいました。

実験は手順をしっか理解させないと失敗してしまいます。そのため、どうしても事前の説明が長くなる傾向があります。時間がかかる実験も多いので、やることで精一杯ということも珍しくありません。しかし、実験そのものが目的化しては本末転倒です。手順の説明は動画やICT機器を活用するなどして、短い時間でわかりやすく伝える工夫をし、何を知りたいのか、そのためにはどんな実験をすればよいのかといったことに多くの時間を割いてほしいと思います。授業者は子どもたちの関係はよいので、このことを意識することで、授業は大きく進歩すると思います。

スモールステップと子どもをつなぐことを意識する

前回の日記の続きです。

2年生の数学は少人数による平行線を題材にした図形領域の学習の場面でした。
教科書、ノートを閉じさせて平行線の性質の復習をします。2つの直線が平行な時に何が等しくなるかを問いかけます。指名された子どもは「同位角と錯角」と答えますが、言葉だけで確認することはあまり意味がありません。同位角と錯角というのは平行線に対しての用語ではなく、3つの直線がつくる角の関係を表わす用語です。図で角を示して、その角の同位角はどれか、錯角はどれかということをきちんと確認することが必要です。図と用語と性質を合わせて理解することが大切です。平行線の性質ならば、図で角を示して、「これと大きさの等しい角はどこ?」「それは何角?」と次に次に答えさせるといったやり方をするとよいでよいでしょう。
また、教科書、ノートを閉じさせると、思い出せない子どもは答が示されるのを待っているだけになります。結果として数学は覚えることが大切だと思う子どもが増えてしまいます。そうではなく、自分の手や頭を使って考えることが大切だと気づかせてほしいと思います。忘れないことを大切にするよりも、忘れても教科書やノートで確認すればいいと、自分の手を動かす方が復習としても効果が高いと思います。

1組の平行線に1本の直線が交わってできる同傍内角の和の性質を説明するのが最初の課題です。「これを知っておくとこの後の問題がサクサク解ける」と子どもたちに意欲づけをします。問題を解くことが目的化していることが気になりました。数学的な見方・考え方につながるようなことで子どもたちの主体的な活動を引き出したいところです。結果を覚えることも大切ですが、わかっていることを根拠にして説明(証明)する。そうすると、その性質を使えるようになる。道具が増えると便利になる、できることが増える。こういうことをもとに子どもたちの主体性を引き出せるとよいと思います。

同傍内角の和が180°になると与えて、どうしてそうなるのかを言葉で書くように指示します。天下りで課題を与えるのではなく、どのように線を引いても180°になることを確認し、「いつでも言える?」「絶対?」と揺さぶり、「いつでも180°になることを説明して」とすることで、課題の必然性が生まれます。また、数学においては、式や図も立派な言葉です。「根拠を明確に示す」「記号を使って、図をうまく使う」「式を使ってわかりやすくする」「書かれたものだけで言葉による追加の説明が必要ないように書く」といった課題の与え方の方が、活動の方向性がはっきりすると思います。

ノーヒントと言って個人で考えさせますが、180°になることの理由がわかることと、言葉で説明を書くこととの間にはギャップがあります。理由の見通しを持つ場面、理由がわかる場面、言葉で説明できる場面を意識して構成するとよいでしょう。まわりと相談させて見通しを持たせるといったことが必要に思います。
机間指導しながら個別に授業者が説明をしますが、そうするのであれば、まず全体で平行線の性質から言えることを確認し、「180°ってどんな角?」といった発問をして見通しを持たせることが必要でしょう。言葉で書くことがこの時間のねらいであれば、グループなどを活用して、180°になることの説明を共有する場面が必要だと思います。言葉での説明はそれからの課題でしょう。

机間指導で個別に説明をすることにかなりの時間を使ったあとで作業を止めます。最初に示した言葉で説明を書くことではなく、どんな考え方をしたかを黒板の図を使って説明させました。考えを共有するのであれば、もっと早い時期に共有すべきでしょう。指名された子どもの説明に錯角が等しいことの理由が抜けていいたので、「なんで?」と問いかけて「平行だから」と本人に修正させました。こういったかかわりは大切です。「○○さんは錯角が等しいといったけど、理由わかる?」と、発言者だけでなく他の子どもに問いかけることも視野に入れるとよいでしょう。
子どもたちはとても集中して発表を聞いています。発表が終わると自然に拍手が起こりました。授業者は補足がないかを子どもたちに問いかけますが、反応はありません。結局授業者が発表者の考えをもう一度説明しました。そうではなく発表者の考えを他の子どもにもう一度説明させるとよかったと思います。せっかく子どもたちが一生懸命聞いていたのですから、もったいないと思いました。

子どもたちに考えを発表させて進めようとするのですが、どうしても授業者が説明をしたり、ヒント与えたり、どういうことかを発言者に問いかけたりします。大切なことはすべて授業者がしゃべってしまいます。子どもたちの発言量が絶対的に少ないのです。そうではなく、その役割を子どもたちにまかせるとよいでしょう。

言葉で説明する、書けるようになることがねらいなのであれば、そこに至るスモールステップを意識するとよかったと思います。「見通しを持つ」「説明ができる」「説明を言葉でわかりやすく書く」といった一つひとつのステップを全体で共有する場面をつくることで、もっと多くの子どもが自分の考えを持てたはずです。
また、一部の子どもの考えや発言を受けて、授業者が説明することが多いのですが、子どもたちは集中して授業に参加することができているので、発表者と同じような考えの子どもがいないか問いかけたり、発表者の考えを他の子どもに説明させたり、説明不足の部分を他の子どもに補わせたりといった、子どもをつなぐことを意識すると授業はと大きく進歩すると思います。

この続きは次回の日記で。

見方・考え方を学ぶ場面をつくる

昨日の日記の続きです。

2年生の理科は動物の分類の授業でした。
まず、ワークシートを配ります。子どもたちはワークシートや教科書を開いて見ていますが、授業者がしゃべり始めてもその様子は変わりません。先にワークシートを配ると、子どもたちはどうしてもそちらに気を取られてしまいます。顔を上げさせ、子どもたちを集中させてから話すことが大切です。
授業者はこれまでに学習したことをしばらくしゃべった後、この日は動物の分類、仲間分けをすることを知らせます。この時間にとって復習が大切であれば、授業者がしゃべって確認するのではなく、まわりと相談して確認させるとよいでしょう。子ども自身で確認することが大切ですし、受け身の時間はできるだけ少なくしたいものです。また、この日の課題が唐突に提示されたことも気になります。子どもたち自身の課題になるような工夫がほしいところでした。
教科書を開かせ、「読んでくれる人」と声をかけますが、挙手はそれほど多くありません。相変わらず下を向いたままの子どもが目立ちます。授業者は手を挙げてくれて「ありがとう」と言ってから、指名をしました。この場面に限らず、「ありがとう」という言葉がよく出てきます。「ありがとう」を言えるのはとてもよいと思いますが、その割には子どもたちから授業に取り組む意欲があまり感じられないのが気になりました。

授業者は「飛ぶ」「泳ぐ」「大きい」「小さい」といった分け方もあるが、理科としてやるためには「体のつくり」で見ていかなくてはいけないと結論づけます。続いて、モルモットで医療の実験をすることを話し、トカゲではいけないのかと問いかけますが、子どもたちが考えたり話したりする時間を取らずに、すぐにトカゲよりモルモットの方が人間に近いと解説を始めます。常に授業者が結論を示します。疑問に思ったり、考えたりする場面がないまま、結論が与えられると、子どもたちはどうしても受け身になってしまいます。子ども自身の課題とするためにはどのような活動が必要なのかを考えてほしいと思います。科学史的な視点で時代と共に分類が変わったものを示してそれはなぜだろうと問いかけたり、飛ばない鳥は鳥なのか、私たちが鳥を鳥として認識しているのは何なのかといったことを考えさせたりといったことをしてもよかったと思います。

授業者は、今日は5つの分け方を元に分類すると説明して、教科書の続きを読ませます。この日のタイトルを板書した後、まず背骨がある動物とない動物に分類することを板書して説明を始めます。多くの子どもたちは板書をすぐにノートに写すのですが、その一方で肘をついたり、ぼんやりしたりして写そうとしない子どもも目につきます。
一通り板書が終わると、授業者は「まだ書けていない人?」と問いかけますが、それに対して子どもたちは反応しません。中にはまだ書けてない子どももいます。しかし、授業者は特に追加で確認することなく話し始めます。
「背骨のある動物を何と言うか?」「背骨のない動物を何と言うか?」と一問一答でワークシートの穴埋めの確認をします。確認するたびに板書しますが、その間子どもたちに背を向けたままで、子どもたちの様子を見ることがありません。黒板を向いたままの時間がかなりあります。
ワークシートにそって答の確認をしますが、ほとんどが知識の問題です。子どもたちはワークシートの穴を埋める作業をしているだけで何も考えることはありません。これでは、最初から穴を埋めたものを与えても同じです。
結局、用語の穴埋め、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の分類を「呼吸器官」「子の生まれ方」「からだの表面」などの与えられた視点でどう違うかを調べて書き込むといった作業がほとんどで、子どもたちが考える場面はありませんでした。穴埋めの答を発表し、それを授業者が板書して一方的に解説することに終始しました。

生物分野は知識を教える場面も多いのですが、それでも理科としての見方・考え方をきちんと子どもたちが学ぶ場面をつくる必要があります。知識は教科書や資料集で調べれば手に入ります。なぜ体のつくりで分類をすべきなのか、まず背骨のあるなしで分けるのはなぜなのかといった疑問を子どもたちに持たせ、その理由を考えるといった活動を行い、その科学的な価値を子どもたちが実感する場面をつくるといったことが必要になります。
また、子どもたちに問いかけても、反応をきちんと求めていません。双方向のコミュニケーションになっていないことが、子どもたちが積極的に授業に参加していない要因の一つです。
こういった点を意識して授業を見直せば、大きく進歩すると思います。

この続きは次回の日記で。

どのような見方・考え方を身につけさせるのか

昨年度の中学校での若手への授業アドバイスです。

3年生の数学は相似条件の学習でした。
前時の復習で、相似とは何かを確認します。子どもたちはノートを開いて見ていますが、友だちが指名されても顔が上がりません。指名された子どもが答えると授業者が内容を確認してすぐに、相似な図形の性質は何かとつなげます。しかし、子どもたちの顔は上がらないままです。大切なことであれば一人指名して終わりではなく、何人も指名して確認することが必要です。
授業者が相似な図形の性質を書いた紙を貼ると子どもたちはすぐに写そうとします。復習ですので写さなくてよいと授業者が指示をすると、初めて子どもたちの顔が上がりました。
授業者は対応する線分の長さの比、対応する角の大きさがそれぞれ等しいという性質を読み上げた後、相似な図形の性質を使うためには合同をちゃんと覚えていることが大切であると伝えます。ここで気になったのが、その間子どもたちの視線が定まらないことです。まだ板書を見ている子ども、下を向いてしまっている子どもとバラバラです。今一つ集中が感じられません。
続いて三角形の合同条件の復習をします。指名された子どもが答えて、それを授業者が確認しますが、子どもたちは指名されなければ関係ないという雰囲気で、授業者が黒板に書いたことを見ているだけです。子どもたちの授業に対するエネルギーが感じられません。復習なのですから、多くの子どもは答えられるはずです。まわりと確認するといった活動を入れるだけで随分雰囲気が変わると思います。
授業者はこの合同条件を覚えていれば、相似条件は簡単だと説明します。しかし、ここで言っている簡単とは、相似条件を覚えることです。数学的に相似条件をきちんと説明することはそれほど簡単ではありません。どのように考えればいいのか、そこを大切にしたいところです。

授業者は教科書を広げさせて課題を自分で読み上げます。与えられた三角形と相似比が1:2の三角形の作図をするのですが、子どもたちが課題をしっかりと理解する間もなく黒板に図をかき始めます。相似条件と作図の関係もよくわからないままです。合同条件は同じ形の三角形を作図するための条件と言い換えてもよいのですが、こういった作図と条件の関係をきちんと押さえていません。
黒板と同じようにノートに三角形ABCを書くように指示します。どのような三角形でも成り立つことが重要なはずなのに、わざわざ黒板と同じようにと指示する意味が分かりません。
授業者はポイントは三角形の相似比が1:2と説明します。しかし、本当にそうでしょうか。相似な図形という意味では、三角形の3つの辺の長さの比が一定であれば必ず相似になります。また、2つの角の大きさがそれぞれ等しければこれも必ず相似になります。ここで相似比が相似であることのポイントというのは今一つよくわかりませんでした。
授業者がこの説明をしている時も子どもたちの顔は上がりません。まだ図形を書いている子どもがほとんどです。ポイントというなら全員の顔を上げることを意識したいところです。授業者は1個だけ条件を足したいとしゃべりながら、図をかきます。すると子どもたちは一斉に写し始めます。ノートに写すことが最優先で、常に受け身です。まず考えようという姿勢を求めることが大切です。

授業者は図をかくのに「コンパス、分度器、三角定規どれを使ってもらっても構いません」と言いますが、数学の作図の定義では分度器は使えません。相似比を使って長さを決定するのであれば三角定規で長さを測ることが必要になりますが、これも作図の定義では利用できません。もちろん相似を学んでいる途中なので、与えられた比になるような線分をかくのは簡単ではないのですが、作図を意識するのであれば、「同じ角度をつくる」のに「分度器を使ってよい」、「与えられた比になるような線分をかく」のに「三角定規をつかってよい」というように、やりたい作業とそのための道具を明確に分けるとよいでしょう。そうすれば、「同じ角度をつくる」のは「コンパスと定規でできる」と置き換えることで、この後、数学的に正しい作図を学習する時に自然に移行することができるはずです。

できた人は他の方法も考えるように指示をして個人作業に入ります。子どもたちは見通しが持てていないのでなかなか手が動きません。10分以上個人作業を続けた後、机間指導中に目をつけていた子どもを指名して、板書させます。子どもたちは、板書の様子をよく見ています。しかし、書き終ったあとすぐに授業者が解説を始めます。せっかく書いている過程を子どもたちがしっかり見ているのですから、何をしていたのかを本人や見ていた子どもたちに問いかけたいところですし、どのようにしてこのやり方に気づいたのかといったことも聞きたいところでした。また、授業者が解説するのであれば、実物投影機などを使うことでムダな時間を省くことも視野に入れるとよいでしょう。
授業者がどのようにしてかいているのかを説明した後、これが合同条件のどこに似ているのかと問いかけます。それよりもまず数学的な根拠を問うことが大切なのですが、授業者の考え方ですぐに結論に誘導しようとしています。
指名した子どもの作図が、合同条件の「一辺の長さと両端の角の大きさが等しい」と似ていることを指摘して、相似条件を授業者が示します。しかし、この条件で相似な三角形がかける根拠ははっきりしません。相似の性質から対応する角の大きさが等しければ相似になると説明しますが、相似の性質と定義がこっちゃになっています。最初に説明した相似の性質が必要条件なのか十分条件なのかも曖昧です。そのため、三角形の3つの相似条件を授業者が説明するのですが、数学的に根拠がおかしな説明になってしまいました。結局授業者が結論を与えるだけで、子どもたちが活動を元に考える場面がありませんでした。数学としてどのような力をつけたかったのかはっきりしない授業になってしまいました。

中高等学校の範囲では相似を数学的にきちんと定義することはできないので、相似の扱いは難しいのですが、だからこそ子どもたちが論理的に考える場面をつくることが大切です。
拡大縮小を使って定義するのなら(拡大縮小の定義が実はされていない、できないのが問題ですが)、根拠を拡大縮小に求めることを意識したいところです。

この教材でどのような数学的な見方・考え方を子どもたちに身につけさせたいのか、そしてそのためにどのような活動するのかを意識することが大切です。子どもが考え、そしてその考えを深めていくことを大切にする授業を目指してほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

どのような力をつけるのかを意識した教材研究

昨年度のことです、私立の中高等学校で新人研修の内容の相談と学校全体の授業参観を行いました。

教科指導部主任は中教審答申などもよく読み込んでいます。11月の新人研修では「主体的」「対話的」「深い学び」の3つをキーワードにして授業公開を行ってもらおうという提案です。
具体的に次のようなものです。

「主体的」
・生徒が興味・関心を持って課題に向き合っているか
・どのような時にそれがたかまるか
「対話的」
・「教師×生徒」「教材×生徒」「生徒×生徒」の間に対話が見られるか
「深い学び」
・深い学びにつながるための設問、課題であったか
・生徒に何をどのように発言させる必要があるか

この視点を元に、教科会では、

1.授業のゴールの明確化
2.生徒はなにができればよいのか
3.生徒のどのような姿を見たいのか
4.そのために何を課題として与えるのか

について話し合ってもらいます。
授業公開の2週間前には、授業を見せていただき事前にアドバイスをすることになりました。新人の研修ではありますが、新人の授業を通じて多くの先生に新しい取り組みや工夫について考えていただく機会になることを願いました。

この日は若手の高校1年生の数学の2次方程式の授業を見せていただきました。
グループの形で問題を解かせます。時間が来れば答合わせをしますが、わからなければ友だちに聞くようにと、グループの隊形にしてから活動の指示をします。ちょっとざわついている子どもがいるので、「聞いていますか?」と注意をしますが、口調がちょっと上から目線なことが気になります。「聞いてね」と声をかけることから始めた方がよいと思います。解くべき問題の指示の後はいつも通りの指示なのでしょう。話を聞かずに問題を解いている子どもが目立ちます。子どもたちにどうあってほしいかをきちんと意識して授業規律を確立してほしいと思います。

問題のレベルが彼らには低いのでしょうか、子どもたちは相談することなく黙々と問題に取り組んでいます。ある程度時間が経つと解けてしまってすることがなくなっている子どもが目立ちます。ムダ話をしたり、机にふせったりする姿が目立ちだしました。できた子どもへの指示が必要です。
せっかくグループの隊形で問題に取り組むのであれば、みんなの知恵を集めなければ解けない課題を設定することを考えるとよいでしょう。子どもたちが自然に頭を寄せ合うような課題に挑戦させてほしいと思います。

答の説明を子どもたちに発表させます。一問ずつ各グループに割り当て、全員で前に出て説明をします。説明するのは問題ごとに一人ですが、何回か回ってくるので、毎回異なる人が説明します。発表する問題が決まると子どもたちは相談を始めます。
一問ずつ発表するグループが変わるので、そのための準備や移動にムダな時間がかかります。あまりに簡単な問題は説明するほどでもありません。説明で何がポイントなのかもはっきりしないので、評価や価値付けもありません。この単元、この教材では何が大切なのか、どのような考え方を身につけさせたいのかを授業者が明確に持っている必要があります。
因数分解で1元n次方程式が解けるのは、「0 Deviser(2数とも0でないのにかけて0になるような数)」がないこと、つまり「かけて0なら必ずどちらかが0」になるからです。例えば、一元2次方程式(x-2)(x-3)=0の解がX=2,3という説明で、xに2を入れると0になるから、3を入れると0になるからは、正しくないのです。確かに2と3は解になっていますが、それは十分条件であって、必要条件についての説明にはなっていません。方程式を解くとは、その方程式を満たすすべての解を求める(必要十分条件)ことです。こういったことをきちんと押さえていないのです。

子どもたちは、一生懸命取り組んでくれますが、数学的にどのような力をつけるのかが授業者の中で明確になっていなければ、「活動あって学びなし」になってしまいます。問題演習であっても、教材研究はとても大切なのです。

介護支援員の研修で講師を務める

昨年度、市の介護支援員の研修で「コミュニケーションとクレームの対応」について講師を務めさせていただきました。
私自身介護に関しては素人なのですが、今回はファシリテータの方の助けを借りながら利用者の視点で皆さんと一緒に考えさせていただきました。

どのような仕事でもそうですが、コミュニケーションの基本は「聞くこと」、つまり相手の「伝えたいこと」「望むこと」を正しく理解しようとすることです。最初に、この視点で日ごろ参加者の皆さんが意識していることを聞き合っていただきました。さすがに日ごろから利用者とその家族と一緒にケアプランを作成されている方々ですから、いろいろなことを意識されていました。
コミュニケーションを取る上で大切なことは、常識だと思っていることが人によって異なるということです。ちょっとした行き違いやすれ違いが起こることも避けられません。言った言わなかったの議論をしても水掛け論になってしまいます。相手の伝えたいことを正しく理解できなかった自分が悪かったと考え、次にどうすればよいのかを考えることに切りかえる必要があります。

利用者の方が、「介護はいらない」と言ったとしても、その発言の裏には様々な思いがあるはずです。その思いが何なのかを知る必要あります。そこで、具体的な場面でどのような確認が必要かを聞き合っていただきました。実際にどのような例があったのかを思い出していただき、多くの意見を聞くことができたと思います。しかし、すぐに「どうしてですか?」「○○だからですか?」と聞き返せば、相手の言葉の否定や詰問になってしまいます。まず、相手の言葉を復唱して受容することが必要です。こういったことも実際に練習していただきました。
また、利用者やその家族に自分の言葉が正しく伝わるかどうかはとても大切です。どのような言葉を使えば伝わるのかを意識することが必要です。介護の専門用語を使うことで正確になるのかもしれませんが、相手の方に伝わるかどうかはまた別です。伝わる言葉を選ぶようにしてほしいと思います。そして、正しく伝わったかどうか相手の反応を見てきちんと確認することを常に心がけることが大切です。また、相手の方がなるほどとうなずいても正しく理解しているという保証はありません。相手の反応を見ながら、ていねいなキャッチボールを心がける必要があります。
相手にとって一番よいと思う提案をしても必ずしも納得してもらえるわけではありません。無理に説得しようとせず、相手の希望をまずしっかりと受け止め、尊重するようにしましょう。提案を受け入れられなくても落ち込む必要はありません。考え方は人それぞれです。それよりも、どれだけ相手の方の話を聞くことができたかを大切にしてほしいと思います。

クレームの対応については、具体例を元に考えてもらいました。最終的には、グループ毎、参加者にケアマネージャー、利用者、利用者の家族役になってロールプレイをしていただき、他のメンバーがファシリテータとなって学び合っていただきました。皆さん、自分の経験を最大限に生かし、特に利用者、利用者の家族役は迫真の演技でした。このロールプレイを通じて多くの事例に接することができたと思います。どのグループも、真剣ですが、とても楽しそうだったことが印象的でした。

どなたも、利用者と利用者の家族のことを真剣に考え誠実に接していることが伝わってくる研修でした。だからこそ、最後に私からは「頑張りすぎないでください。利用者とうまくいかなくて担当を変えられても、落ち込まないでください」とお伝えしました。「あなたが担当する利用者は他にもいるはずです。そのこと引きずって笑顔がなくなってしまえば、多くの方に影響してしまいます。人には相性があります。誰とでもうまくいくことはあり得ません。別の方に担当が変わることで、その方も相性のよい方に出会うチャンスができたのだと前向きにとらえてください」そうお願いして終わらせていただきました。

皆さんの話を聞かせていただいて、私にとってもとてもよい学びとなりました。このような機会をいただけたことに感謝します。

概念や数学的なものの見方・考え方を大切にしたい

前回の日記の続きです。

2年生の算数は、2の段のかけ算の授業でした。
子どもたちはコの字型に机を並べて、授業を受けています。授業者は子どもたちのノートを見ようと机間指導をしますが、コの字型で机がくっついているので中に入りにくくなります。また内側の列の子どもを見るのに机の前から見ることになりますから、どうしても死角が大きくなります。コの字型は子ども同士がかかわり合うことや、授業者が全体の様子を把握するのに向いていますが、机間指導をしながら個別指導をするのには向かない隊形です。隊形に応じた指導、または指導に応じた隊形を意識することが必要です。

問題演習の答え合わせを、○をつける人と式を書く人、答を書く人に分けて指名します。できるだけたくさんの子どもを活躍させたいのでしょう。○をつける人は、この問題で大切になる言葉や数字に○をつけるというものです。文章題を解くのにこういったやり方する方も多いのですが、なぜそこに○をつけるのかという根拠がはっきりしません。定型の問題を解くためにしか使えない方法です。文章に書かれた状況を理解し、その状況を抽象化していく過程が大切です。また、式を書く人と答を書く人が違うというのは子ども同士がうまくつながらない可能性があります。式を書いた人の考えを説明するといったかかわり方に変えるとよいでしょう。
式を書いた子どもがその説明をします。授業者は5個ずつがいくつ分かを問い返します。子どもたちはもうずいぶん練習をして、すぐにかけ算だとわかるのかもしれませんが、まだ定着していない子どももいるかもしれません。まず、文章が表わす状況を図などで半抽象化し、それを元にかけ算の式になることを理解させるといった活動も視野に入れるとよいでしょう。

子どもたちを起立させて、5の段の九九の練習をします。黒板に5の段の九九が提示されています。大きな声が出ているのですが、口の開かない子どもも目につきます。自信のある子どもには後ろを向かせて、繰り返します。全体で声が出ているのですが、後ろを向いている子どもが必ずしもきちんとできているわけではありません。しかし、口は見えないので誰ができていて誰ができていないのかはわかりません。全体練習は、声ではなく全員の口の開き方を見ることが大切です。後ろを向く代わりに目を閉じるように指示するという方法もあります。口の開き方、目を開くかで定着度がわかります。
授業者は、全体に対して拍手しながら「素晴らしい」とほめますが、子どもたちはあまりうれしそうにしませんでした。全体でほめられても自分がほめられたと思わなくなっているのかもしれません。

2人乗りのゴーカートを使って2の段のかけ算を学習します。まず1台に2人乗せて「何人ですか?」と問いかけます。「2×1は」と子どもたちが挙手をしている時に言葉を足します。図や数図ブロックを使えば答はすぐにわかります。何人乗っているかの答ではなく、この答を出す式が2×1の掛け算として表わせることを理解することが大切です。指名した子どもは「2×1は2です」と答えます。これは式です。細かいことかもしれませんが、授業者は「何人ですか?」と問いかけています。式に続いて、「だから2人です」まで答えさせたいところでした。
式が2×1で表わせることの確認はせずに、1台から4台までを考えるように指示します。かけ算の答がいくつになるかが学習の中心になっています。九九を覚えることがゴールなのですが、扱っている事象がかけ算になることをしっかりと押さえることが必要です。今はかけ算の学習だから迷わずにやれますが、求めるものが何算を使えばよいのかに気づくことはそれほど簡単なことではありません。かけ算とはどのようなものかを理解させることをもう少していねいにやりたいところです。

授業者はゴーカートが2台になったら数図ブロックをどう置くかと問いかけて、作業させます。大切なことは、2の固まりで扱うことや2ずつ増えることです。しかし、すぐにいくつになったか答を聞きます。これでは、かけ算の概念とブロック操作が結びつきません。
子どもたちは挙手をしますが、手を挙げない子どもも目立ちます。わからないのか、答えたくないのか、どちらなのか気になりました。授業者はコの字の奥の方に行って気になる子どもに「ゴーカート2台、2台」と声をかけますが、死角が大きくなります。コの字型はこの授業者のスタイルにはあっていないように思いました。
いくつになるかではなく、まずブロックがどのようになるかを全体で共有することが大切です。ただ並べるのではなく2つの固まりを意識して並べさせることとでかけ算の概念を理解させるのです。かけ算とブロックの関係がきちんと理解できれば、答はすぐにわかります。その上で、掛ける数が変化する時、答がどのように変化するのかをブロックをもとに気づかせるのです。

4台までの答を確認した後、「何か気づいたこと」と気づいたことを書かせます。その前に、「1台に何人?」「いつでも?」「2台になると2人がいくつ?」「3台になると?」といったやり取りをしておくとよいでしょう。
子どもから「2ずつ増える」といった考えが出てくれば、「何が増えれば?」といったことも問い返すとよいでしょう。こういった場面で関数的な視点を育てることも大切になります。

九九を覚えることはこれからの計算の基本となる大切なことです。しかし、単に覚えさせるのであれば、暗唱の時間をたくさん取ればよいのです。そうではなく、こういった九九の答を考える場面をつくるのは、その作業を通じてかけ算とはどういうものかを子どもたちに具体的に理解させることや数学的なものの見方・考え方を身につけさせるためです。このことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

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