若手の音楽の授業で進歩と課題を感じる(長文)

前回の日記の続きです。

7年生の音楽の授業は、魔王の鑑賞でした。
授業者は前回と比べると、子どもを見ることやほめることを意識していました。指摘されたことを素直にやってみる姿勢は、今後の成長を期待させます。

挨拶や話をする場面で、子どもたちの視線が上がるのを待つことができるようになっています。以前より子どもたちが授業者に注目するようになっています。
教科書を開くように指示をしますが、子どもたちの動きが遅いことが気になります。こういった動きの遅さがどの授業でも見られるのは、先生方が早くすることを求めた働きかけをしていないことも影響していると思います。言われないのでそれでよいと思う、いわゆるヒドゥンカリキュラムです。「早くしよう」と声をかけ、動きの早い子どもを認める、ほめることが必要だと思います。

最初に教科書を開くようにと指示します。この日は時間割の関係なのでしょうか、教科書を忘れている子どもが多かったのですが、隣の子どもが教科書を見せようとしない、隣の子どもに見せてもらおうとしない姿が目につきます。人間関係が気になる場面です。授業者はそういった子どもたちに声をかけて見るようにうながすのですが、変化のないペアもいくつか見られました。しかし、授業者はそれ以上の働きかけはしませんでした。進度が気になるとは思いますが、ここはもう少し粘りたいところでした。

この日の授業は魔王という曲を鑑賞することだと伝えてから、魔王に対するイメージを聞きます。何人かの子どもがつぶやいてくれますが、顔が上がらない子どもも目に付きます。授業者はつぶやきを拾うのですが、それを全体に広げることができません。結局、授業者が魔王について説明を始めますが、子どもたちの視線は上がらないままです。ここまで教科書を見る必要がない場面が続きますが、先ほど開いたページを眺めている子どももいます。教科書を見る必要があるタイミングで開かせるといった、子どもの顔を上げさせることを意識した進め方を工夫することが必要です。

作曲者のシューベルトについて教科書の写真を見るようにと指示してから説明を始めますが、教科書を見せてもらっていない子どもは黙って下を向いているか、授業者の方を見ています。授業者が見せ合うようにとうながすと、教科書をちょっと真ん中の方にずらしてそっぽ向く子どももいます。気になる場面です。
続いて、教科書を持っている子どもにはペンを持たせ、授業者が読み上げながら大切なところに線を引かせます。教科書を持っていない子どもがますます参加できません。せっかく電子黒板があるのですから、これを活用すると教科書を頼らずに進めることができたと思います。また、知識面も大切ですが、線を引かせて覚えさせようというのはちょっと違うと思います。授業の流れの中で、子ども自身が大切だと思ってくれるようにしたいところです。
結局、教科書を忘れた何人かの子どもは、隣の教科書を見ることもなく、全く授業に参加しないまま時間が過ぎていきました。

シューベルトとゲーテ、魔王の登場人物の確認をした後、黒板に注目させます。子どもたちの顔が上がるまで待とうとしますが、徹底はできません。授業者が子どもたちに何を望んでいるのかを伝え、それができた子どもを認めてほめるといった、徹底するための方法を意識することが大切です。
黒板にはあらかじめ、めあてやこの後の説明に必要な情報が書かれています。最初から見える状態であるのもちょっと気になります。電子黒板を使って必要な場面で初めて見せるといった工夫をしてほしいと思います。
この日のめあては、「詩の内容を理解してそれを音楽でどう表現しているのか聞き取ろう」です。ここで注意をしなければいけないのは、音楽の授業で大切なのは、詩を理解することではなく、音楽としてどう表現しているかを考え理解することです。

まず、教科書にある詩の日本語訳の朗読を聞かせます。詩の内容を理解するためですが、内容そのものはそれほど難しいものではありません。自分で読めばわかると思います。それを朗読で聞かせるのですから、朗読と歌曲の違いを意識させたいところです。
子どもたちは、教科書を見ている者、見ずに聞いている者、ボーと聞き流している者に分かれます。授業者は子どもたちにどのようになってほしかったのでしょうか。求める姿を意識することで指示や課題が変わってきます。例えば、歌曲の表現との違いを意識させたいのであれば、まず詩を一読させて内容を把握させ、その後、朗読の工夫を見つけることを目標にして聞かせるとよいでしょう。子どもたちの聞く姿勢が変わると思います。

朗読が終わって、授業者は「どうだった?」と問いかけますが、反応はあまりありません。何を答えていいのかわからないからです。教科書を閉じさせて質問を始めます。「登場人物4人、言える人?」と聞いていきます。かなりの数が上がりますが、授業者は「3人なら言える人?」「2人なら?」と何とか全員参加をさせようとしています。よい姿勢だと思います。
3人なら言える、2人なら言えるといった子どもを指名していきます。先ほどの確認場面で、全員挙手をしたからでしょうか。子どもたちの顔は上がっています。授業者は語り手に気づけた子どもを「すごい、すごい」とほめます。
続いてシューベルトの肖像画を見せて、「フルネームで言えない子?」と問いかけます。困っている子どもにスポットを当てるのもよい方法です。「わからない子ども」とネガティブな表現を使わないのもよいと思いますが「言えない」もちょっとネガティブに感じます。「姓だけなら言えるという人?」といった表現がよいかもしれません。手を挙げなかった子どもたちに、「教えてあげて」と全体で言わせましたが、「まわりに聞いてごらん」と直接かかわらせたいところです。以前と比べると、子どもとのやり取りがうまくなっていたのはよいと思います。しかし、登場人物や作曲者の確認に多くの時間を使うことが必要だったどうかはちょっと疑問です。結局、詩の内容の確認は登場人物だけで終わってしまいました。

ワークシートを配ってから、課題を説明します。曲を聞いて、登場人物ごとに旋律や表現の特徴を書き留めるというものです。どんな風な声がするかといったことに注目するようにと補足して、ビデオを見せます。楽曲における旋律や表現の特徴と言われても何を言えばいいのかそれほど明確ではありません。まず、今まで学習した曲の特徴を思い出させたり、表現にかかわる音楽用語を確認したりといったことを事前に行ってから聞かせた方がよいでしょう。

ビデオは歌詞の訳も同時に出てくるので、子どもたちにとって聞きやすくなります。ICT機器はこういった場面で威力を発揮してくれます。子どもたちは顔を上げてよく聞いていました。聞き終ってからワークシートに書き込むのですが、授業者が「魔王と子どもの特徴が聞いてみてわかるね」と説明します。すでに書き込み始めている子どももいますし、あまり有効な情報でもありませんので、ここは黙って集中させてもよかったでしょう。すぐには手が動かない子どもも目立ちます。授業者は時間を空けずに、1回ではよくわからないからと、もう一度聞かせます。しかし、まだ書いている子もたくさんいます。聞きながら書くようにと指示しますが、途中の子どもはそのまま書き続けていました。ちょっと2回目が早すぎるように思いました。また、聞く時の視点がはっきりしていないまま聞いてもあまり状況は変わりません。ちょっと時間を取ってから、リズム、声の高さといった音楽用語と関連づけて視点を共有するとよかったと思います。

2回目を聞き終った後、手が動く子どもはあまりいません。2回目に聞いている時に続きを書き終ったのでしょう。また、手があまり動いていなかった子どもは今回も同様です。2回目の意味はあまりなかったようです。
書き終わってワークシート裏返している子どもがいます。授業者がそれを見ようとすると奪い返そうとします。子どもたちの自信の無さや間違えてもいいという安心感がうすいことが表れているように思いました。

魔王という曲がどのような感じだったかを確認します。挙手で進めますが、書いていても挙手をする子どもはまばらです。やはりこの授業でも同じです。指名した子どもは、「落ち着いた感じ」と答えます。授業者は板書しながら、自分の書いていない答があったら書き足すように指示をします。これでは、授業者の板書が常に正解ということになります。書き足させるにしても、「なるほどと思ったら書き足してもいいよ」といった指示にすべきでしょう。

授業者は魔王の「最初と最後の違いに気づいた人?」と問いかけます。言われて気づける子どもはよいのですが、そうでなければ確認のしようがありません。もし授業者から出すのであれば、1回目の後で問いかけ、気づいた人がいるかどうかの確認だけをしておけばよいでしょう。意識して聞けばわかるはずです。音楽や動画は聞いたり見たりした後に消えてしまいます。そのため、確認する場面がないと自分で気づくことができません。このことを意識して授業を組み立てることが必要です。ビデオにチャプターをつけておくなどして、最初と最後だけでも再度聞かせたところです。

指名した子どもの声が小さかったので、「いいこと言ったね。(みんな)聞こえた?」とほめ、子どもたちの注意を喚起してから、もう一度言わせます。よい対応です。「はじめは静かで誘っている、最後は力ずく、怒っている」と答えました。授業者は板書をしてくり返しながら、「声が変わっている」と付け加えました。ここは、すぐに板書せずに、「同じように感じた人いる?」と子ども同士をつなぎ、たくさんの言葉を引き出したいところでした。
続いて子どもについて聞いていきます。「こわがっている」という答が出てきます。それを受容してそのまま板書しましたが、それを音楽的な表現に置き換えさせたいところです。次に指名した子どもは、三連符で細かいと音楽用語を使って説明します。「三連符まで気づいてくれた」とほめましたが、「子どものところのピアノの伴奏が……」と言ってすぐに板書します。ここは、他にも気づいた子どもを確認して同様にほめ、その上でピアノの伴奏を全体でもう一度聞いて確かめるとよかったでしょう。
授業者は子どもも魔王と同じでどんどん変わっていくと言って、子どもたちからその変化について考えを引き出そうとしますが、これはなかなか難しいことです。子どもの部分だけを抜き出して聞く、この視点でもう一度聞くといったことをしないと子どもからは出てこないでしょう。テンポ、大きさ、強さ、声の調子などの視点をあらかじめ与えた上で、聞かせ、「テンポは、最初と最後でどうだった?」というように問いかけると気づきやすかったでしょう。
子どもたちに反応がないので、授業者は「切迫」という言葉で説明を始めます。子どもたちにとってはピンとこない言葉だと考えて授業者が説明をしますが、切迫の言葉の意味について話して終わります。音楽的にどのような表現が「切迫」かを子どもたちに気づかせる場面がほしいと思います。

続いてワークシートの次の課題に移ります。ここで三連符について扱うのですが、「三連符の意味はわかるね?」と確認をします。挙手に頼らず指名してメトロノームに合わせて三連符を手で叩かせます。それに合わせて手を叩く子どももたくさんいたので、ここは全体で確認するとよかったと思います。三連符を聞いてどう思ったかが、課題ですが、先ほど三連符に気づいた子どもがいたのですから、そこで取り上げればよかったと思います。
授業者はここで、三連符の効果を確認するためにピアノで三連符の部分を4分音符にしたものと両方を演奏して比較させます。比較することで効果がはっきりわかりますのでよい対応だと思います。子どもたちは比較的よく集中していましたが、中にはボーとしている子どももいます。演奏を繰り返す前に一度発表させて、その意見を確認するためにもう一度聞かせるということをすると、もう少し集中したと思います。
子どもたちは演奏を聞いても、手がなかなか動きません。どう思ったかといった問いは何でも書けるので答えやすそうですが、かえって何を書いてよいのかわかりにくいものです。「どういう状況、情景を表現しているか」と具体的に聞いた方がよかったと思います。
授業者はヒントと言って「情景を思い浮かべてください」と説明を始めます。ヒントという言葉は、授業者が正解を持っていることを暗に意味します。「先生の求める答探し」につながるので、避けたい言葉です。
授業者が情景の説明をしている間、子どもたちの顔が上がりません。子どもたちは、情景そのものは理解していますから聞く価値があまりないのです。子どもたちの集中力が落ちていきます。相談させた方がよかったように思います。

最後にラインハルトの魔王を聞いてシューバルトのものと比べます。今度はCDなので歌詞はわかりません。そこで授業者が歌に合わせて歌詞を簡単に説明しますが、かえってじゃまな気がします。ストーリーはわかっているので、音楽からその表わす情景は読み取れると思いました。
この課題に対して興味がないのでしょうか、寝ている子どもや髪をいじっている子どもが目立ちます。子どもたちが興味を持つような工夫が必要だったようです。

鑑賞にはいくつかの方法がありますが、詩から自分ならどんな音楽的な表現をするかを考えさせるというのも一つです。それぞれの登場人物ごとに、テンポ、大きさ、強さ、声の調子などの視点でどのように表現するか考えてから、曲を聞くのです。自分と同じ、違うといったことから、作曲家の工夫に気づくことができます。聞き比べも、「どちらがあなたの考えた表現に近いかな?」とすると、興味を持ってくれるかもしれません。

三連符についてと聞き比べについての発表は、次回に持ち越しました。音楽を聞いて時間が経つと印象が薄れますので、できればこの時間で聞き合えるとよかったと思います。
次回ワークシートを持って来るようにと念を押す場面で、ちょっと間を置き子どもたちの顔が上がるのを待つことができていました。ここで一言ほめることができるとなおよかったでしょう。

子どもたちを受容することや、ほめることができる場面が増えて、授業規律も以前よりよくなっています。こういった進歩を目にできることはとてもうれしいことです。
次回どのような進歩をしているか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

数学の問題を解く過程を構造化してほしい(長文)

前回の日記の続きです。

7年生の数学は、比例式の学習でした。
ワークシートの前時の復習の問題を解くことから始まりました。子どもたちは途中で困るとノートや教科書を開いています。手がつかないままじっとしているよりもずっとよいことです。一方、すぐに解き終った子どもが手持ち無沙汰にしています。できた子どもへの指示が必要でしょう。
隣同士で答の確認を行うよう指示をしますが、子どもがすぐに動きません。この授業に限らず、子ども同士かかわりあわないことが気になります。授業者がかかわり合うように声をかけると動き出すのですが、隣を無視して後ろとかかわり合ったりします。子ども同士の人間関係がどうにも気になります。子どもたちがかかわれないままムダに時間が過ぎていきました。こういう場合は活動を止めて、早く次に進むべきでしょう。

答を挙手指名で確認します。最初に指名した子どもが勢いよく答えますが、まわりの子どもが違っていると指摘します。このこと自体はよいのですが、先ほどの隣同士での確認場面の意味はなかったということです。
挙手は結構あるのですが、はなから答える気のない子どもも目立ちます。指名した子どもの答が正解だと、「いいですか?」「いいです」とすぐに次にいきます。子どもたちがきちんとかかわって、解き方を理解しているのならよいのですが、そうでなければ答だけを共有してもあまり意味はありません。何が大切なのか、何を復習すべきなのかをしっかりと意識することが大切です。また、「いいですか?」と友だちにチェックされるということは、自信のない子どもにとってはちょっときついように思います。問題が少し難しくなると挙手が少なくなる理由の一つかもしれません。

子どもたちが困っていた問題については、正解を確認した後、途中の式も確認をします。これはよいことですが、「式を書いてある人?」と問いかけても挙手する子どもは一人だけです。自信がないので手を挙げないのかもしれませんが、途中の式は必ず書くように指導しておく必要があります。
挙手した子どもを指名して、みんなに向かって説明をさせます。子どもたちに聞くようにと声をかけますが、顔が上がらない子どもが目立ちます。こんな問題はわかっているからと、聞かない子どももいるようです。子どもの説明が途中でちょっとあやふやになりました。授業者はそこで止めて、最初から説明をし直します。こうなると、先ほどの子どもの発言を聞くことの意味はなくなります。「○○さんの言いたいことわかる?」と、聞いている子どもと発表者をつなぐといったことをしてほしいと思います。聞くことの価値をどうつくるかが課題です。

比例式を解く時のポイントを内項どうし、外項どうしをかけることだと押さえます。悪くはないのですが、比例の単元で比例式を扱う本質を押さえてほしいと思います。比例するということは比の値が一定、等しいということです。そこを忘れていつも内項、外項の関係で考えると落とし穴にはまってしまいます。連比になるとわけが分からなくなってしまうのです。比の値(比例係数)を意識することが必要です。

比例式の項が多項式のときに、項と項の積は()を付けないとおかしくなりますが、ここでつまずいている子どもも目立ちます。式の扱いの基本が定着していません。これはこの単元で学習している比例式とは直接関係ありません。授業者はこのことを押さえますが、この問題を解く過程で軽く説明する程度では定着しません。子どもたちの基本的なつまずきについては、別にきちんと対応することが必要です。

x:(14−x)=2:5の比例式を解く途中の式を書かせると、いきなり5x=28−2xになっていました。一番大切なのは、x×5=(14−x)×2という比を数の関係に直す式ですが、これを省略するという悪い癖がついています。何が本質で、何が大切なのかをきちんと子どもたち理解させることが必要です。
友だちの説明を子どもたちはしっかりと聞きません。答が合っているので聞く必要がないという空気を漂わせています。答が合っていることではなく、きちんと説明できることが大切であるという価値観を持たせる必要があります。数学的なものの見方・考え方を意識して授業を進めてほしいと思います。

復習が終わって新しい課題に入ります。「牛乳とバターの分量費比を10:3にしてホワイトソースをつくります。牛乳を150g使用した時のバターの量をxgとして比例式をつくりバターの分量を求めなさい」という問題です。現実の問題に数学を適用させようというのでしょうが、比例することや解き方まで指定されているので、現実問題とは乖離しています。数学の問題のための問題になっています。授業者は問題文を読んだ後、いきなり、この文章から自分で比例式をつくるように指示しますが、子どもたちはしばらく手が動きません。問題を把握できていないのです。比例式をつくれとは書いてありますが、少なくともなぜ比例式になるのかといったことを子どもたちとやりとりする必要があったと思います。
子どもたちにとって現実的なものにするのなら、「牛乳200ccとバター60g使ってホワイトソースをつくるとおいしくつくれました。また同じようにつくろうとしたら牛乳が150ccしかありません。量は減っても構わないので、同じ味にするにはバターを何gにすればよいでしょうか?」といった問題にしたいところです。現実に当てはめる時に一番大切なのは、現実が数学的にどのように記述されるかです。ホワイトソースを同じ味にするには、材料の割合を一緒にするということです。まずここを押さえることが必要です。割合が一緒だということは、比が一定、比例式で表わせるというのは、子どもたちにとってそれほど自明ではありません。この部分をしっかり考えさせることから始めるのです。そこをすべてこちらから与えても、現実問題を考える意味はないのです。

自然に相談している子どもがいるのですが、まったくまわりとかかわらずに手詰まりになっている子どもも目にします。授業者は困っている子どもに対して個別に対応していますが、ここはまわりで相談している輪の中にその子どもを引き込むように働きかけたいところです。
つくった比例式を発表させますが、子どもたちの手はほとんど挙がりません。実際にはもっと多くの子どもが式を書けているのですが、積極的に答えようとしません。というか、この場面は自分が参加する場面ではないと、下を向いたり手遊びしたりしている子どもが目立つのです。授業者は柔らかい表情で、「書けている人はもっといたよ」と、やさしく子どもたちに参加を促しますが、挙手は増えません。結局挙手した子どもの一人を指名しました。挙手に頼らず指名し、指名した子どもの発言をしっかり受容することを積み重ねて、安心して発言できる雰囲気をつくるようにすることが必要だと思います。

発表された比例式に対して、なんでこうなったのかを問いかけますが、これはとても答えにいくい質問です。牛乳とバターの比が与えられているのですから、そのまま何対何だからとしか答えようがありません。比例式の定義や式をつくる時のポイントが明確になっていないので、子どもたちは説明する言葉を持っていません。「比例するというのは、比の値が一定であるということ」「比の値は何を基準にするかが大切」「基準となるものを分母に持って来る」「比例式にするのであれば、その順番が同じ」といった言葉を与えておくことが必要でしょう。
質問に反応したのか、ちょっと手を動かした子どもを授業者は指名しまた。式をつくることはできているので、他の子どもたちは聞く姿勢を見せません。子どもたちにとってはこの説明に価値はないのです。指名された子どもは、「牛乳と……」と口を開きましたが、そのまま凍ってしまいました。しばらく待ってから、授業者が「さっきのでよかったよ」と声をかけると、子どもは「牛乳とバターが150:xだから……」と言葉を続けました。それを受けて授業者が、「ここに書いてあるね。牛乳とバターの比が……」と問題文で確認しますが、何を押さえたいのかよくわかりませんでした。

続いて「姉と妹が50枚ずつ折り紙を持っていて、姉が自分の折り紙の何枚かを妹に渡したら姉と妹の持っている折り紙の枚数の比が11:14になった。何枚渡したか」という問題に取り組みます。子どもたちの動きが相変わらず遅いことが気になります。この問題を解くための見通しを持てていない子どもが多いようです。しばらく個人で取り組ませた後、グループにして相談するように指示しますが、子どもたちはなかなかグループになりません。人数の関係で隣同士が別のグループになるのですが、移動しようとしない隣の子どもの机を、無理やり移動させる子どもがいました。机を移動された子どもは、それ以上机をぴったりとはくっつけず、なかなかかかわりません。授業者はその様子に気づいて机をくっつけさせますが、それでも状況はあまり変わりませんでした。また、机を動かしてよそのグループに遠征する子どももいます。だれとでも話し合うことができないようです。

子どもたちのワークシートに式しか書かれていないことが気になりました。式もポイントとなるものが書かれていません。説明を書くことや考えを式で伝えるといった発想がないようです。また、授業者の板書にも言葉による説明が書かれていません。数学において、表現力を育てることと論理的な思考力を育てることは表裏一体です。説明を書くことを意識してほしいと思います。

しばらくすると、子どもたちのテンションが上がってきます。「先生できた」と大きな声を出す子どももいます。できたことがうれしいのはよいのですが、Try & Errorで見つけて、それで満足しています。答を出すことが目的化しているのが残念です。
作業中に一人の子どもを指名して、黒板に答を書かせますが、他の子どもたちはその内容を見ようとはしません。グループでかかわり合うでもなく、自分で解くことに集中しているわけでもなく、だらだらと時間が過ぎていました。

グループの隊形から元の形にもどして、先ほど指名した子どもに説明をさせます。困っている子どもも多かったのか、顔を上げる子どもは増えていますが、それでもきちんと体を前に向けて集中して聞いている子どもはわずかです。
説明は、一つひとつの式の計算を言うだけで、一番大切な比例式をどのようにしてつくったかはほとんど触れられません。一度説明をさせた後でよいので、ポイントなるところを「それってどういうこと」と焦点化しながら、もう一度詳しく説明をさせることが必要でしょう。
説明が終わると拍手をしますが、特に評価したり価値付けしたりはしません。すぐに授業者が説明を始めます。この時一人の子どもが黒板を指しながら隣に何か説明していました。何を話しているのか聞いて、その言葉を活かしたいところです。

授業者は問題を解くことをきちんと構造化していません。子どもの板書に従って説明をするだけで、書き足すこともしませんでした。説明は、xは何か確認するところから出発しますが、「何がわかればいい?」「何をxと置くとよいのか?」と、問題を解く視点から始めることが大切です。次に、条件から比例式をつくるところまでで、いったん立ち止まる必要があります。ここがこの単元で新たに学習したこととこの文章題の接点です。そして、関係を比例式で表わせれば、それを方程式に直すことが次のステップです。ここまでがこの単元での学習のポイントです。このことをしっかりと押さえれば、そこからは、一元一次方程式を解くだけです。最後に、解の吟味をします。これらのステップをきちんと立ち止まりながら確認し、どこでつまずいたのかを意識させることが大切です。
比例式に頼らず答を求めていた子どもがいたので、その答が正しいのかをどう確認するのかを問いかけます。解の吟味につながる場面なのですが、先ほどの比例式のxに値を代入して確かめました。そうではなく、問題文に沿って、「姉の折り紙の枚数はいくつになった?」「妹の枚数は?」「比は?」と確認することが大切です。

問題を解くこと、答を出すことが目的化して、論理的に思考すること、根拠を意識することが弱くなっていました。問題を解く過程をきちんと構造化し、それぞれを価値付けしていくことを意識してほしいと思います。

この授業でも、ペアやグループにした時の子どもたちの関係が気になりました。どのようにしていくとこの関係が変わっていくのか悩ましいところです。

この続きは次回の日記で。

子ども同士がかかわれるようにする必要を感じる(長文)

小中一貫校の中学校(7年生から9年生)で2日間授業アドバイスを行ってきました。今回で2回目です。うれしかったことは前回の訪問で私がお伝えしたことをどなたも意識して下さっていたことでした。素直であるということが、授業力アップの一番の要素だと思います。
今回共通して感じたことが、子どもたちの人間関係が固定化しているということです。小規模で小学校からずっと一緒の学級で暮らしています。誰とならかかわれる、かかわれないがはっきりしているのです。そのため、グループをつくっても、自分のグループとは話をせずに隣のグループの子と話すといった光景を目にします。
ふだんの生活の中での人間関係が授業の中にも持ち込まれているのです。授業では、今そこにいる仲間とかかわり合えるようにすることが大切です。小規模の学校だからこそ人間関係をつくることが求められるのです。

8年生の社会科の授業は、雨温図が中部地方のどの都市のものかを考えることが課題でした。
ウォーミングアップに、県庁所在地を歌で覚える動画を見せます。キャラクターを使ったもので、子どもたちは楽しそうに見ていました。2分足らずのものなので、手ごろな導入だと思います。

3つの都市の雨温図をディスプレイで見せて、それぞれ上越、浜松、松本のどこかと、この日の課題を提示します。授業者は、まずそれぞれの都市が何県かわからないと考えようがないと、調べるように指示します。何県かを調べるのは悪くないのですが、同じ県でも気候が異なるところはあります。本質は位置、地形です。「どんなところにあるのか?」と、あえて曖昧に聞くのもよいかもしれません。山、海のそば、日本海側といった地理的な言葉が出てくれば、それを活かすことができるからです。
作業中に、「地図帳を見ている人」「教科書の中部地方のページを見ている人」と子どものよい行動を紹介します。特に、手がつかない子どもや行き詰まっている子どもがいる時には有効な方法です。地図帳を忘れた子どもが、隣の子どもに自分から見せてもらっていました。よい関係の二人です。
見つけた人は隣の人と確認するように指示しますが、意外と子どもたちが動きませんでした。それほど難しい課題ではないので、ちょっと気になりました。

一問一答でどの県にあるかを確認していきますが、あまり意味があるとは思えません。あくまでも県名にこだわるのであれば、どうやって見つけたかを確認する方がよいよう思います。また、せっかく電子黒板があるのですから、どこにあるのかを地図上で示させてもよいでしょう。何県と答えたからといって、位置を理解しているとは限らないからです。

ワークシートを配り、それぞれの雨温図の特徴を書くように指示しますが、これまでにいくつもの雨温図を見ていて、特徴を考えるための基準を持っているのならよいのですが、そうでなければ、まず、3つの雨温図を比較することから始めるべきだと思います。
子どもたちは手を動かして書き込んでいるのですが、発表となると挙手をしてくれません。1人の子どもが手を挙げましたが、まだ手を動かしている子どもがいるので、少し時間を取りました。「この後自分が判断する時に、友だちの意見を聞いておくときっと得になる」と、聞くことの価値を伝えてから、「教えてくれる人?」と声をかけます。しかし、また1人しか手が挙がりません。「うそ?1人?」と声をだすと、それに反応して手が挙がり始めました。「2人」「3人」と声を出していくと4人になりましたが、そこまでです。最後に手を挙げた子どもを指名しました。子どもたちの積極性を引き出そうとしているのがよくわかりますが、こういった場合、まず、まわりと聞き合って、自分の意見に友だちの考えを付け足すといった場面をつくるとよいと思います。その後で、挙手に頼らず指名して聞くのです。自分の意見を言えないようであれば、友だちの考えでなるほどと思ったものをたずねるといったやり方もあります。発言しやすい状況をつくることで、発表することの抵抗感を和らげることが必要だと思います。

発表された特徴が、雨温図のどこ部分のことか他の子どもに言わせます。なかなか、よいつなぎ方です。指名された子どもがディスプレイの該当部分を指で指します。しかし、多くの子どもが顔を上げません。これは、この学校の他の授業でも目にする光景です。この状態に対して何らかの働きかけをしないと、子どもたちこれでよいと思ってしまいます。ヒドゥンカリキュラムです。小学校部も含めて学校全体でこのことを意識する必要があります。
指を指した後、授業者が「ここの平均気温が……と○○さんは言ってくれたんだね」と説明しますが、この場合は、最初に発言した子どもに、「○○さん、ここのこと?」と確認すべきだったでしょう。
次に指名した子どもは、「3つ目の雨温図で冬の降水量が多い」と発表します。しかし、この場面でも、他の子どもは発表者の方を見ようとはしません。授業者はなるほど受容し、他に3番目について書いた人がいないかとつなぎますが、先ほどから手を挙げている子どもしか挙手しません。こちらからどんどん指名する方がよいかもしれません。
2つ目の雨温図について意見を求めると、少し挙手が増えました。指名した子どもが、降水量が少ないことを言って着席した後、授業者は、前に出て雨温図で説明するように求めました。面白いのが、この子どもが前に立つと、先ほどよりもずっと多くの子どもが注目します。友だちが前で「話をする」と注目するのでしょうか。それともこの子どもが他の子どもと人間関係がよいからなのでしょうか。ちょっと気になるところです。

次に指名した子どもは「気温が0度になる時がある」と答えます。授業者は手でディスプレイの方を指さしている子どもを見つけ、指名します。よく子どもたちを見ています。前で確認をさせて、先ほど発表した子どもにそこでよいかと確認します。ていねいにつないでいますが、子どもたちがワークシートに書いたことをもっとたくさん共有したいところです。手元にタブレットがあるので子どもたちのワークシートを写真にとって表示するといった方法も視野に入れるとよいでしょう。

授業者は子どもたちから出た考えを板書しません。その代わりに「メモを取っていた人はえらい人です」とよい行動を広げていこうとしています。
雨温図の特徴を踏まえて3つの雨温図がどの都市のものかをグループで考えるように指示します。子どもたちが考えるためには、統計的にこういった場所の雨温図はこうなるという情報を与えるとか、雨が降るメカニズムや気温の決定要素を教えて、地形と季節風の関係を元に考えるのかといったことが必要になります。そのために授業者は、日本列島の気候をグループで色分けした地図や、中部地方の地形図と地形の断面図と季節風、降水の関係の図を資料として与えます。
子どもたちはグループの隊形になったのですが、個別に考えています。なかなか相談し始めません。5分ほどして少し子どもたちの間に動きが出てきました。しかし、グループ全体でのかかわりに広がっていきません。自分のグループではなく、他のグループの友だちに説明をしている子どももいます。
授業者は「考えがまとまらない人もいますね」と資料集の○○ページを参考にするといいとヒントを出します。それよりも、「困っている人、グループの人に聞いてごらん」と子ども同士のかかわりをうながしたり、いったん活動を止めて「何が参考になった?」と全体で情報を共有したりする場面をつくるべきだと思います。また、配った資料を根拠にすれば話し合えたと思うのですが、資料の中身をよく理解できていないようです。せっかくの資料も活かしきれていません。資料を理解する場面をつくる必要があったと思います。
結局最後まで子どもたちはほとんど話し合うことができませんでした。グループで学習しているのに、個別の作業になっているのが残念でした。

グループでの活動をやめて、机を元の隊形に戻します。
一つ目の雨温図がどこのものかを問いかけますが、やはり挙手は4人ほどです。指名した子どもが浜松と答えたので、同じ答の人を挙手させます。ほぼ全員が手を挙げます。最初に挙手で答えさせる意味はあまりないようでした。この時手を挙げていない子どもが数人います。授業者はちゃんと気づいてその子どもを指名します。答えるのに口ごもっていると、まわりの子どもが「浜松って書いてあるじゃない」と覗き込んで答えます。結局手を挙げなかった子どもたちも浜松と書いてあったようです。よくあることなのかもしれませんが、挙手して意思を表明しようとしない子どもがいることは気になります。この授業者のように、全員参加を求めることが大切だと思います。

次の雨温図については、どれを選んだかを最初から挙手で確認します。上越を選んだ人を聞いた時に、まわりを見ながら手を挙げたり下ろしたりする子どもが目につきます。自信がなく、間違えることに対する抵抗が大きいことがわかります。授業者は、「いいよ」と受容する姿勢を見せて、挙手をうながします。全員参加をとても意識していることがわかります。受容することから一歩進めて、意見が分かれた時に「いいなあ、意見が分かれるということはどちらが正しいかを真剣に考えることができるよ。違う意見、間違いがあると学びが深くなるね。とってもいいことだね」と価値付けするとよいと思います。
結局、だれも手を挙げませんでしたが、「ここにいます」と隣が上越と書いていると告げる子どもがいます。大勢は上越ではなさそうなので手を挙げなかった子どもは、ただ黙って下を向いています。授業者は、この発言をあえて無視しました。よい対応だと思いますが、こういったところでも、人間関係が難しいと感じさせられました。
最後の一つは必然的に上越になるのですが、一応手を挙げさせます。ほとんどの子どもの手が挙がりますが、ここで挙手させるのであれば、よくわからない、困った子どもに手を上げさせることをしてもよいでしょう。正解から始めるのではなく、困っているところから始めるのです。今回、答がわからなかった子どもがいたかどうかはわかりませんが、困っている子どもを起点にすることで、全員参加させやすくなることもあります。

なぜそうなったのかの理由を問いかけますが、挙手はやはり少ない状態です。ちょっと待ってから指名します。指名した子どもの発言に対して「わかった?」と全体に問いかけますが、挙手する子どもは先ほど理由を聞かれて挙手した子どもと同じです。なかなか子ども同士がつながりません。授業者はいったん発言者を席に着かせます。「わかったという人で○○さんの説明を受けて、みんなにわかるように説明してくれる人?」と再度声をかけると、今度は別の子どもが挙手をしてくれました。指名した子どもはしっかりと発言してくれるのですが、他の子どもの顔は上がりません。授業者は二人の発言を整理するのですが、やはり子どもたちは下を向いたままです。まず、顔を上げて発言者の方に向くことをしっかりと求める必要があります。
授業者は発言をしっかりと受容していますが、うまく他の子どもにつながりません。特定の子どもの発言で進んで行きます。子どもたちの間で「この教科で発言するのはだれだれ」と役割が決まってしまっているのかもしれません。
「梅雨がはっきりしていて気温が高い」「雲が山にぶつかって消える」といった、雨温図が浜松のものであるという、子どもたちから出た理由を整理し焦点化して、まわりと相談するように指示しました。すぐにまわりとかかわれる子どもと自分一人で考える子どもとに分かれてしまいます。後ろの子どもが前に座っている子どもの背中を軽くたたいて参加を求めることがあったのですが、無視されました。授業者は子ども同士をかかわらせることを意識して進めているのですが、苦しい場面が続きます。子どもたちの様子をしっかりと観察していましたが、特に個別に働きかけはしません。難しい局面ですが、まわりとかかわらない子どもに声をかけるといったことが必要だったかもしれません(うまくかかわってくれるという保証はないのですが……)。

相談を止めて挙手させますが、また3人ほどです。授業者は子どもたちの様子をよく観察していたので、相談していた様子から、「○○さんよく聞いていたけれど、どんな話が出た?」と話の内容を問いかけるとよかったと思います。
子どもの発言を全体で確認しながらまとめていくのですが、一部の子どもしか反応せず、板書を写すことに注力している子どもがほとんどでした。

季節風の影響で夏に雨が多いことの説明を板書してくれるように求めますが、子どもたちは反応しません。手元でまとめたわけではないので、板書するのは敷居が高いのです。そこで、授業者は地形の断面の略図を書いて、この図を使って説明するようにと問いかけ直しました。こういった柔軟な対応をするのですが、それでも挙手は数人です。子どもたちが発言しやすい雰囲気をどうつくるのかが大きな課題となっています。
授業者はこの問題をいったん置いておいて、上越の雨温図に移りました。無理に発言させずに、先に進んだのはよい判断だと思います。

今度も挙手する子どもは数人です。一人を指名したところ、この日ずっと手を挙げていた子どもが、また指名されなかったと机を軽くたたいて悔しがっていました。授業者は続いて「さっきから元気よく手を挙げていた○○さん」とその子ども指名しました。できる子どもが活躍の場がないために教室の雰囲気を壊すことがよくあります。よい判断だと思います。
この子どもの発言は、正しいのですが、非常に詳しすぎてとても長くなってしまいます。よくわからないと最初から思っているのでしょうか、まわりの子どもたちはまったく反応しません。隣同士で発言と関係なく説明し合っている子どももいます。授業者は「めちゃ長い説明だったけどわかった?」と発言者の隣の子どもに問いかけます。言われた子どもは困ったように笑って答えられません。授業者もよく整理できなかったと返します。すると、発言者が図をかいて説明したいと前に出ていきます。
図をかき始めると、子どもたちの顔が上がります。今度は説明をよく聞こうとしています。発表のさせ方も子どもたちを集中させるための大きな要素だと思いました。
先ほど「わかった?」と聞かれた子どもが小さく拍手をし続けています。よく分かったのでしょう。「しっかり聞いていたね。よくわかったみたいだね」と聞いている子どもをほめ、「わかってもらえてよかったね」と発言者も評価したいところでした。

その後、授業者がまとめていきますが、また子どもたちの顔が下がります。子どもかいた図に言葉を少し足していくだけなので、写すこともほとんどしませんでした。
季節風と地形の関係をからいつ雨が降るかを、先ほどとばした2つの都市について授業者が説明していきます。根拠となる知識を後から説明しています。
課題の解決のために必要な知識をどのように整理して与えるかを考える必要があります。授業者は用意した資料で十分だと考えたのかもしれませんが、結局資料の説明を自分がしています。そうであれば、課題に取り組む前にきちんと押さえておく必要がありました。理科でも学習したはずですので、最初に確認しておけばもっとすっきりしたと思います。
地形と季節風どちらかに絞って説明しておくという方法もあります。湿気を含んだ雲が山にぶつかって上昇すると雨が降るという事実を確認しておいて、季節風の影響については子どもたちに考えさせるということです。
思考の流れをどの程度コントロールするかという判断は難しいのですが、途中で作業を止めて、考えの根拠となることを焦点化することも必要だったと思います。

授業者は子ども同士をかかわらせたり、つないだりすることを意識していますが、なかなかかかわってくれません。聞くことをほめる、困ったことを共有する、間違いを価値付けするといったことを学校全体で取り組むことが必要だと、強く感じました。

この続きは次回の日記で。

企業の管理職研修で、互いに学び合う

企業の社内研修に講師の一人として参加しました。今回は課長級の管理職を対象としたものです。地区や部門の異なる仲間でチームをつくり、企画をつくる課題に1泊2日で取り組んでいただきました。

何かを企画するというのはそれほど簡単ではありません。しかも、同じ会社の仲間と言ってもいつも一緒に仕事をしているメンバーではありません。しかし、急造チームとは思えないほど、息の合った取り組みでした。ちょっとした飲み会もあったのですが、夜から参加した部長たちに企画に関して質問したりアドバイスを受けたりと、深夜までチームで課題に取り組んでいました。研修とは思えないほどの真剣さでした。特にすごいと感じたのが、苦しい作業が続いているはずなのに、どのチームも笑顔で、時には笑い声も聞こえてくることでした。この会社の強さの一端を見せていただいたように思います。

講師と言っても私たちが参加者の皆さんにアドバイスできることがそれほどあるわけではありません。中間発表などの情報共有の場面でちょっとした価値付けをしたり、企画に役立つような情報を提供したりするくらいです。時間のない中、限られた情報をもとにそれぞれのチームが質の高い企画をつくり、発表してくれました。それに対する部長たちのするどい質問やアドバイスは、欠点の指摘ではなくブラッシュアップするという視点からのもので、さすが上司というしかありませんでした。

皆さんの振り返りには、日ごろの仕事ではかかわりの少ない社内の仲間と一緒に課題に取り組めたことがよかった、チームの仲間や参加者からたくさんのことを学んだという声がたくさんありました。誰かが何かを教えたというのではなく、私たち講師や上司も含めて、参加者全員が互いに学び合った研修になったように思います。
とても充実した時間を皆さんと過ごすことができました。感謝です。

公開授業で学校の課題を考える

研究指定を受けている中学校の公開授業を参観する機会がありました。仕事の関係で午前中の2時間だけの参観でしたが、いろいろと考えることがありました。

たくさんの授業が公開されていたので一つひとつの授業を見る時間は少なかったのですが、いくつかの課題が共通として見られました。
まず、基本的に挙手による一問一答で授業が進んで行きます。子どもから言葉を出させよとしている方もいるのですが、挙手する子どもが少なくてもすぐに指名してしまいます。

子どもから正解が出るとすぐに授業者が説明してしまいます。わからなかった子どもができるようになる場面が意識されていないように思いました。質問の答や解き方が重視されていて、根拠やそれを見つける過程を共有する場面があまり見られませんでした。
子ども同士の考えをつなぐ場面が少ないせいか、子どもたちをかかわらせようとしても、なかなかかかわろうとしていない子どもが目につきました。

子どもに対する指示が徹底されていません。きちんと全員が指示に従うまで待てない方が多いように思いました。子どもを認めたりほめたりする場面もあるのですが、その逆に注意をする場面も多く目にしました。「聞きなさい」と注意をしたくなる気持ちはわかりますが、子どもの活動場面をうまくつくって自然に参加できるような場面をつくりたいところです。

ICTを積極的に使おうという姿勢が随所に見られるのですが、使い慣れていないように感じます。せっかくスクリーンに拡大して映していても、授業者がスクリーンに向かって話しているといった場面に出会います。この市ではICTの環境もよく整備されていて、有効活用の例も共有されているのですが、利用のポイントや活かし方がきちんと理解されていないようです。活用の意味を考え、形式的でない利用から脱却してほしいと思います。

いろいろと書きましたが、一番の問題として感じたことは、学校としてどこに向かおうとしているのかが先生方の授業からわからなかったことです。方向性がまだ手探りの状態なのか、どのように具体化していったらよいのかがまだ明確でないのかはよくわかりませんが、先生方が授業で共通して大切にしたいことをしっかり意識することができていないのは大きな課題だと思います。
次に訪問する機会には、この点に変化があることを期待します。

体育でペアをどう活かすかを考える

前回の日記の続きです。

11月の授業研究は体育の若手教師の授業でした。1年生男子の長距離走の記録測定の場面で、2学級の合同です。
準備運動でグラウンドをランニングします。この時の様子で気になったのが一方の学級で列が伸びていたことです。前を走っているもう一方の学級の倍近く伸びています。この状況は学級経営面でも何かあるのではないかと気になるところです。授業者がまわりの子どもに働きかけ、遅れている子どもへ声をかけさせて、同じペースで走るようにすることが必要だと思います。
ランニングの後整列して準備運動に入りますが、子どもたちの動きが悪いことが気になります。授業者はそのことを気にしているようには見えませんでした。
体育の係の子どもたちが前に出て準備運動をリードします。大きな声を出してテンションを上げていますが、他の子どもはそれについていきません。何拍も遅れて動いている子どもが目につきます。中には、何度も靴ひもを結び直して参加しない子どももいます。どうにも全体の動きがちぐはぐに感じます。子どもたちの一体感といったものが感じられないのが残念でした。

この日の長距離走の目標について確認、説明をしますが、子どもたちの顔が上がりません。それぞれがつくったペース表をもとに走るように指示しても、ペース表を確認しません。ペース表を意識して走ろうという意欲を感じませんでした。
ペアをつくって交代で走るのですが、相手は毎時間異なるようです。いろいろな相手とかかわる機会をつくるという考えでしょうが、長距離走の間は同じペアの方がよいように思います。互いのペースがわかりますし、進歩もきちんと評価することができるからです。
ペアをつくるまでに少し時間がかかります。授業者が次の指示をするのですが、子どもたちの動きが遅く、ムダな時間が多いことが気になります。しかし、授業者はそのことあまり頓着していないようです。授業者が求めていないのですから、当然、子どもたちの状態はよい方向へ変容していきません。

ペースの確認のために全員でグラウンドを一周します。子どもたちはリアルタイムに時間を知ることができないので、ペースの確認はそれほど簡単ではありません。グランド1週の時間はそれほどかかりませんから2回に分け、ペアの相手が「いいペースだよ」「ちょっと遅れているよ」とチェックするとよいと思います。

本番の測定では、走っているペアの様子を見ている姿が気になりました。ラップの記録を取る以外、ペアの姿をきちんと追っていないのです。よい記録を出せるために何かをしようという意志を感じません。ペアの関係ができていれば指示や励ましの声が出るはずですが、ゴール前にさしかかっても、「ラストスパート!」「頑張れ!」「あと○○秒」といった声は聞こえませんでした。
ゴールした後、すぐに止まってペアの心拍数を測ります。これも単に記録を取ることです。ペアの頑張りをたたえたり、走りに関して何か話したりするわけでもありません。伴走してしばらくクールダウンをさせながら、コミュニケーションを取るような場面がほしいと思いました。自分の走りに対して仲間から認められたり、声をかけられたりすることは、個人競技ではとても大切なことだと思います。これでは、孤独に走るだけになってしまいます。
授業者は子どもたちどうあってほしかったのでしょうか。思いが伝わってきませんでした。

最後に、反省を書かせましたが、反省よりもできるようになったこと、進歩したことを大切にしてほしいと思います。その上で、次回は何を意識して取り組むのか、活動の計画を立てるのです。できなかったことばかりを振り返れば、苦手な子どもは自信がなくなります。振り返るにも、一生懸命であればあるほど自分のことはよく見えません。ペアがよかったところ、進歩を伝えることが必要だと思います。
個人競技だからこそ、友だちとのかかわりを大切にしてほしいと思います。

体育の先生方による授業検討会では、先輩教師から、自分の授業での工夫を教えていただけました。私にとっても大いに参考になるものばかりです。しかし、その中で少し気になることがありました。座学は苦手だが運動ができる子どもを、体育の授業で活躍させたいというのです。体育の係にして全体を引っ張らせるそうです。たしかに、子どもたちが学校生活のどこかに輝く場所を持つことはとても大切です。しかし、運動の得意な子どもを体育の時間に活躍させるというのは、運動ができた人の発想でしょう。運動や音楽、何か人より特に優れているものを持たない子どももいます。体育の時間だからこそ、運動が苦手な子どもが評価されることを大切にしてほしいと思います。例え係にしなくても、得意な人は必ず活躍して評価されるものです。だからこそ、そうでない子どもにどうやってスポットを当てるか考えてほしいのです。私からはこのことを体育の先生方にお願いしました。

力のある体育の先輩がたくさんいる学校ですので、多くのことを学べると思います。授業者のこれからの成長が楽しみです。

ベテランの英語の授業の進化に感心する

前回の日記の続きです。

10月は英語の授業研究に参加しました。ベテランの先生のTTによる3年生の授業です。
授業者(T1)は常に授業に工夫をされている方です。"situation"や"root sense"を大切にした授業を目指されています。

TTをうまく活用しています。最初に2人でこの日学習する文法事項を組み込んだ会話を行います。子どもたちの集中して聞いている様子から、わかろう、わかりたいという意欲を感じます。
ハローウィンが近づいてきているのでT2がミートローフを2種類つくったと写真を見せながら英語で話します。中には体を乗り出して写真を見ようとする子どももいます。ここで授業者(T1)が"How did you make it? I want to know how to make it."と質問し、T2が"Ok. I tell you how to make it."と答えます。この"how to 〜"がこの日学習する文法事項です。授業者(T1)は、この表現を確認するために、"She said, “I tell you how to make it."“と繰り返します。
会話が終わった後、聞き取れたことを自然に確認し合っています。子どもたちの様子から、考えようとしていることがよくわかります。
授業者は余計な説明をせずに、もう一度会話を繰り返します。ミートローフをつくったというくだりはどの子どもたちは理解できているのか、とてもリラックスして聞いています。しかし、この日学習する文法事項の場面になると、一気に集中が増します。わからないところを理解しようと真剣に聞いているのです。
文法事項を学習するための"situation"がコンパクトに構成されています。とてもよい導入のための会話だと思います。
2回目が終わると子ども同士相談させます。子どもたちはしっかりとかかわり合っています。どうやってつくったのかを聞いていることは、理解できたようです。問題はここからこの日の文法事項をどう理解させ、使えるようにするかです。

授業者は、"I want to know what?"と問いかけ、焦点化していきます。子どもたちからは、言葉ができません。そこで、もう一度会話を見せます。
終わった後、"What dose ○○(授業者の名前)want to know?"と聞きます。焦点化してから会話を聞かせ、質問したので、今度は子どもたちから"how to make……"と声が上がってきます。普通ならここで授業者が説明をしたくなるところですが、隣同士で相談させます。とてもよい対応だと思います。
子どもたちは、よく話し合っています。会話の時にわからなくてちょっと集中力が切れていたような子どもも参加しています。わかった子どもはうれしそうに一生懸命に説明しています。授業者は子どもたちの様子を間に入って見ていましたが、声がおさまってきたので前に立ちました。T1、T2が前に立って姿勢を正して子どもたちを見ていると、自然に話をやめて授業者に集中します。一言も指示をせずにこの状態をつくりました。子どもたちがよく育っていることがわかります。

再び、"What dose ○○(授業者の名前)want to know?"と聞きます。子どもたちが口を開くタイミングがわからなくて止まっているので、"She"と誘い水を出しました。子どもたちは、"She" “wants" “to" “know"と一語ずつ言葉を出し始めます。その一言一言に授業者がうなずくと、それに合わせるように子どももうなずきます。"how to make it."と答を言い終ると授業者が拍手をします。それに合わせて子どもたちも一生懸命拍手をします。何も説明されずに、自分たちで答えることができたという満足感があります。一体感のある教室でした。
ここまで、授業開始から8分経っていません。非常に密度の濃い時間でした。

ここから、"○○(T2の名前), do you play Uno?" “Yes, I do." “She knows how to play Uno."と別の"situation"で練習です。しかし、ちょっと急ぎ過ぎのように思います。先ほどの"how to make"は1回言っただけです。全体で何度か繰り返し、定着させてから次に移りたいところでした。同様に"how to play ‘kendama'"と続きますが、子どもたちは黙って聞くだけです。続いて、"Do you write ‘bara' in kanji?" “No, I don't know."とやりとりをした後、今度は、"She"と文頭を言って、続いて"doesn't know how to write ‘bara' in kanji."を子どもたちに言わせます。聞かせて理解したことを使って、子どもたちに言わせるのはよいのですが、これまでの練習では肯定文ばかりで、いきなり否定文での練習です。ちょっと"contrast"が大きいように感じます。せっかく、少しずつ変化をさせて練習をしているのですから、都度子どもたち言わせて、練習量を増やしたいところでした。
“Do you swim fast?" “No, I don't."に対し、"She doesn't"に続いて"swim"と言いかけ、子どもたちが止まりました。"how to 〜"を使うパターンにならないことに気づいたのです。そこで授業者は、「困った時は?」と問いかけ、まわりと相談させます。子どもたちは笑顔でかかわり合います。
子どもたちがしっかり理解できたころ見計らって、もう一度"Do you play ‘kendama'?"から復習をします。"She knows how to play kendama."と言わせ、同様に"how to play Uno" “how to write ‘bara' in kanji"と練習します。先ほど困っていた"swim fast"も、今度は"She doesn't know how to swim fast."と言うことができました。

「今日やること大体わかった?」と問いかけるとほとんどの子どもたちの手が挙がります。続いて、"Earthquake happened in Tottori. Do you feel earthquake?"とその前の週にあった地震の話をします。授業者は前の席の子どもと何か話をし、"She knows how to protect yourself in earthquake."と全員に伝えます。"Do you know how to protect yourself in earthquake?"と子どもたちに問いかけると、何人かの子どもが手を頭にあてて地震から身を守る姿勢を取ります。外へ逃げるという子どももいます。子どもたちは英語を理解したという実感を持てていると思います。ここまで授業開始から15分です。子どもたち自身で考え理解する、よく工夫された展開でした。

続いて教科書に入ります。この日の内容は避難訓練の説明の文章です。鳥取の地震をうまくつなげていました。授業者は教科書を広げさせて範読します。ここまで、子どもたちはしっかりと聞いて理解していたので、教科書を見せずに理解させたいところでした。文法事項は既に理解できているので、新出の語句や不安なものだけをまず練習しておいてから、聞かせるのです。
何をしろと書いてあるのかを隣同士で相談させます。しっかりと聞き合えているペアもありますが、教科書を見て内容を理解しようとしていて、話しだせないペアもあります。時間の関係もあるでしょうが、できれば教科書なしで何度か聞かせてから、相談させたいところでした。文字面を追うことにあまりとらわれなくてもよいように思います。きちんと聞く話すができれば、読み書きは単語のつづりを覚えることでクリアできるはずです。子どもたちは集中して聞くことができるので、もっと聞く練習をさせるとよいでしょう。その上で、「わからなかったら教科書を見てもいいよ」と、本文を確認させればよかったと思います。
授業者は、緊急事態にどうしろと書いてあるのかを、地震の場合、火事の場合と教科書の英文を元に確認していきましたが、子どもたちはしっかりと答えることができました。

ワークシートを配って単語の練習を始めます。発音や意味を確認して練習しますが、ここからは従来の"pattern practice"です。これを否定しませんが、これらは本文を理解するために必要な情報です。であれば、本文に取り組む前にしっかりとやっておき、本文はそれを活用するための材料として使えばよいと思います。
子どもたちは、さきほどは、直訳にこだわらずに自分の言葉で説明していました。要約の形でそれをまとめさせればよいのですが、ワークシートには対訳があります。それを使って、日本語を英語に、英語を日本語に直す練習をペアで行います。子どもたちは相手の言葉の表す"situation"を英語や日本語で表現しているのではありません。言われた言葉をきっかけに暗唱しているだけなのです。せっかく"situation"を元に英語を理解していたのに、従来の暗唱の授業に戻ってしまいました。ペアを変えて練習をやり続けますが、だんだんテンションが上がっていきます。しっかり覚えてきたので、頭を使う必要がなくなっているのです。機械的な作業になってしまいました。
この練習の最後に、与えた時間内に全文を読めるか速読させます。速さを追求すると発音やイントネーションがおろそかになります。私には速読を英語の授業に取り入れる理由がよくわかりません。英語でコミュニケーションをとるための力と速読とは関係ないと思うからです。
また、この日学習した疑問詞+toが他の文の中に埋没してしまいす。ここは、子どもたちがこの日の学習したことを使う"situation"で、生きた言葉で会話をする練習をさせたいところです。疑問詞を使ってたずね、それをもとに疑問詞+toを使って言い換えるといった練習です。
導入部分と同じような教材研究が追加で必要になりますが、是非挑戦してほしいと思います。

最後は"listening"です。授業者は"listening"のポイントは何かを問いかけます。日ごろからこのことを意識しているのでしょう、子どもからは推測という言葉が出てきます。設問から、どういう言葉が出てくるのか推測して、聞き取りで注意をすべき言葉を考えるということです。3年生ですので受験を意識しているのはわかります。しかし、ちょっと本質とはずれているように思います。また、もし試験の形式が"listening"の後に問題文が提示されるようになった場合には全く役に立ちません。今後増えてくるであろうCBT(Computer Based Testing)なら、設問は後になると思います。
子どもたちに予測を相談させますが、しっかりとかかわり合えています。問題の文章を"listening"した後も、自然にまわりと相談しています。2回聞いた後、答にたどり着くまでにどんな単語が聞き取れたかを子どもたちに確認すると、いろいろな言葉が上がってきます。その上で、答の確認をしていきました。通常は答がわかって終わりになりますが、授業者は、何でそれでよいのか、もう一度聞いて確認させます。これはとてもよい活動です。わからなかった子どもは、答を聞いても聞き取れるようにはなりません。もう一度聞いて、自分が聞き取れなかったところ聞くことで力がついていくはずです。どの子どももとても集中して聞いていました。聞き終わった後、設問の答ではなく、話の内容を子どもたちに質問して確認します。設問の答を出すことではなく、聞き取ることを大切にしていることがよくわかります。受験対策と"listening"の力をつけること、両方を工夫していました。

この学校に赴任されてから2年目ですが、授業が本当に進化していると思います。ベテランが前向きに授業改善に取り組んでいることが、若い先生方に対してもよい影響を与えています。この学校の英語の先生方は、学年ごとに互いに相談しながら授業づくりをしています。若い方が多いですが、着実に力をつけています。ベテランの存在の大切さを改めて実感させられました。
この学校の英語が今後どのような進化をしていくのかとても楽しみです。

この続きは次回の日記で。

理科の実験でのポイントを考える

前回の日記の続きです。

この日は理科の要請訪問があり、若手が研究授業を行いました。1年生の赤ワインの蒸留の実験でした。
まず、復習です。「沸点」とは何かを確認します。挙手は1/3ほどですが、授業者はすぐに指名をします。指名した子どもは「沸騰する温度」と答えます。授業者は目の前にいる子どもにも確認して、次に進みます。テンポよく進めようとしているのがわかります。しかし、挙手が少ないことが気になります。まわりと確認させてから、挙手に頼らす指名して進めるとよいでしょう。また、沸点と同時に、沸騰とは何かをきちんと押さえておきたいところです。気化(蒸発)と沸騰の違いも混乱しやすいので、しっかりと確認しておく必要があります。
確認を続けますが、なかなか挙手は増えません。子どもたちはわかっているのでしょうが、積極的に参加させたいところです。指名された子どもは笑顔で席に着きます。他の子どもにも笑顔が見られます。授業者と子どもたち、子ども同士の関係は悪くないことがわかります。
一つひとつ挙手指名で確認していきますが、どうしてもテンポが悪くなります。挙手に頼らずどんどん指名すればよいと思います。

この日の実験の説明に入ります。赤ワインを見せて、成分が水とエタノールであることを伝えます。よく反応する子どもから「消毒を飲んでいるの?」という声が上がります。授業者はこういったつぶやきにも反応します。悪いことではありませんが、あまり反応しすぎると授業のテンポが悪くなったり、調子に乗ってテンションを上げてきたりする可能性があります。このあたりを見極めて対応することが必要です。
どうにかすれば、赤ワインから水とエタノールを取り出せることを伝えて、今日のめあてを何にするか、子どもたちに考えさせます。すぐに何人かの子どもが、「沸騰しよう」「水とエタノールを取り出そう」と反応します。授業者はそれを受けてすぐに、「赤ワインを加熱すると水とエタノールを取り出せるのかを調べよう」と提示します。めあてを考えさせることで子どもたちを主体的にさせようとしているのでしょうが、これでは天下りで授業者が示すのと変わりません。また、いきなり「加熱」という言葉が出てきますが、それがなぜなのかもはっきりしません。子どもが疑問や興味を持つ場面や、課題を共有するための時間が必要です。
「水とエタノールを別々に取り出せそう?」と子どもに問いかけ、どうすればできるのか、それでうまくいくのかと全体で考えさせたりすることで、初めて子どもにとっての課題となっていきます。そういうやり取りを全体ですることが大切です。

実験の手順を書いたワークシートを配って、実験器具を見せながら手順の説明を始めます。すぐに実験の手順をこちらから示すのではなく、今までの知識をもとに、どのようにすれば水とエタノールを取り出せるのかを考えることが必要です。それが正しいかどうかを確かめるのが実験です。子どもたちの意見が分かれれば、どうすればどちらが正しいか確認できるのか、もし自分の考えが正しければ実験結果はどのようになるのかといったことを考えるのが大切です。こうすることで、実験結果がどうなるか、興味を持って取り組むはずです。指示されてその通りに実験しても子どもたちは主体的になりませんし、科学的なものの見方・考え方も身に付きません。

授業者は実験器具を見せはしますが、説明は口頭です。これでは具体的にどうすればよいのかよくわかりません。この日の実験は赤ワインを沸騰させるのでやけどの危険性もあります。手順はできるだけ具体的に示したいところです。時間を短縮したければ、ビデオを撮っておいて見せるという方法もあります。
口頭での説明が続くので、一部の子どもたちは集中力を失くしています。火を止める時に逆流に注意をすることを、ガラス管と試験管を見せて説明しますが、後ろの方の子どもたちには小さくてよく見えないので、ますます集中力を失くしていきました。
実験の準備を始めさせてから、大切なことを言い忘れたことに気づいて、追加の説明を始めます。実験器具を持ったまま立っている子どももいます。大切な指示なので、いったん全員席に着かせてから、話をするべきだったでしょう。

子どもたちが実験器具を設定するのにもたついています。「先生」「先生」とあちこちから声が上がります。口頭での説明ではよく理解できていないのです。実験のポイントとなるところも具体的に見せていないので、フラスコとガスバーナーの炎との位置関係もよくわかっていません。炎が近すぎて、突沸した赤ワインがそのままガラス管から流れて失敗する班もあります。次第に子どもたちのテンションが上がっていきます。雑然とした状態で実験が進みます。子どもたちは、ただ、実験器具を使って作業をしているだけで結果に興味を持っているのではありません。実験していること自体を楽しんでいるのです。
失敗した班には赤ワインを再度配って、実験をやり直します。この時点で授業時間が足りなくなることが予想できます。

実験をいったん終えて、一度集中させます。予定通り蒸留した液体を3本集められた班は2/3ほどです。その中身の確認ができた班は半分ありませんでした。確認が終わっていない班、3本集められなかった班には集めることができた分の確認をさせます。結局、実験結果の考察をする時間を取ることができずに終わってしまいました。

子どもたちが何をすればよいのかがよくわからないまま、口頭での指示で実験を行ったため、手際よく進めることができませんでした。正直言って、事故が起きなくてよかったという状態でした。どのように指示をすれば子どもたちに伝わるかを、もっと意識する必要があります。
また、ただ作業するだけの実験では意味がありません。子どもたちは授業者の指示通り動き。実験の正しい結果を知るだけです。結果がどのようになるかを予測したり、仮説を持ったりして取り組むことが大切です。子どもたちに科学的な思考をさせることを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。

「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2017 in名古屋」の申込みが開始されました。「愛される学校づくり研究会」の公開研究会として、会員が4つのテーマで「カリキュラム・マネジメント」の実際を提案する午前の部と、「授業研究の成果があがっていない」「日常の授業改善が進まない」などの課題を踏まえた授業改善の方法を、模擬授業を通じて考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、
教育課程を軸とした学校づくり
ミドルリーダーの育成
校務情報を学校経営の手助けに
地域連携
の4つのテーマで各グループが発表し、コーディネーターとの質疑応答を通じて、会場の皆さんと「カリキュラム・マネジメント」について考えていきます。

午後の部は、2名の授業者による国語、社会の模擬授業をもとに、ICTを活用して授業アドバイス、検討を行います。毎年提案授業を楽しみにしていただいていますが、今年度は若手が増えてきている学校現場の実情を考え、現役の教員養成課程の大学生に授業者になってもらい、授業改善のアドバイスを行います。もちろん達人の模擬授業をもとにした授業検討も用意されています。若手の授業に対してどのようなアドバイスが有効なのか、ベテランの授業からどのようなことが学べるのか、会場の皆さんと一緒に考えます。
引き続き、2つの模擬授業の授業アドバイス、授業検討を振り返りながら、授業改善のポイントをコーディネーターとともにまとめていきたいと思います。

日 時  平成29年2月19日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  東建ホール・丸の内
※名古屋市営地下鉄桜通線・鶴舞線「丸の内」駅下車1番出口より徒歩1分
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2017」の招待券が届きます。この招待券は、近隣のお食事処で利用可能なお食事券と当日引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

道徳で、子どもたち自身の問題として考えさせる難しさを感じる(長文)

前回の日記の続きです。

9月の訪問時に、ベテランの先生の道徳の授業を参観しました。道徳の研究会での研究の一環として新しい授業の組み立てに挑戦されたものです。自分が担任している学級でないので、雰囲気づくりに苦労しているように感じました。

授業は、レ・ミゼラブルの銀の燭台を扱ったものです。本文を子どもたちに配ってから範読をします。子どもたちは手元の本文を見ながら集中して聞いていました。
本文は最後に、盗みをかばってもらったジャン・バルジャンが司教から銀の燭台を渡され、「正直な人間になるためにこの銀の食器や燭台使うと約束したことを忘れないで」と言われ、ただ震えているばかりだったというところで終わっています。
授業者はジャンがどうして震えていたのかを子どもたちに淡々と問いかけます。子どもたちは一瞬動きを止めて考えましたが、すぐに本文を読み返し始めました。国語の読み取りに近い状態です。本文が手元にあるとこうなるのが一般的です。このことをどう考えるかで、本文を配るかどうかの判断が分かれると思います。子ども自身の気持ちや考えを引き出すことを優先するのであれば、本文は手元にない方がよいように思います。

子どもたちは個人で静かに考えています。しばらく時間を与えた後、子どもたちに挙手を求めますが、なかなか手が挙がりません。声をかけた子どもが答えられなくても、特に答を求めて迫ることはせずに、「まだ、考えているの」と受容します。子どもたちが答えやすい雰囲気をつくろうとしているのがよくわかります。一人の子どもが挙手してくれたので、考えを聞きます。盗んだことがばれているのに、許してくれたことと答えます。表面的な答です。挙手が続かないので、授業者はダジャレを言って雰囲気を和らげようとします。反応してくれた子どもを指名すると、司教が憲兵に嘘をついてまでして、許してくれたことが怖くて震えているという意見です。授業者は子どもとやりとりしながら考えを整理して板書しますが、その考えをもとに掘り下げようとはせずに、次の子どもを指名していきます。許されることで、自分は何て悪いことをしたんだろうと思って震えていたという意見が出ます。この3つの意見が出たところで、自分の意見がどれに近いかをたずねます。挙手させる前に授業者は、それぞれの意見を感情込めて「何で……なんだろう」とちょっとテンションを上げて確認します。こういった迫り方はこの授業者の持ち味ですが、この場面までは見ることができませんでした。
手を挙げさせた後、1回も手を挙げていない子どもを確認すると、数人が手を挙げました。授業者はその子どもたちに考えを聞きます。子どもたちの言葉を引き出すよい方法だと思います。指名された子どもは、銀の食器を見せてわざとジャンに盗ませたという考えです。ジャンが悪い人なので、改めさせるためにそうしたというのです。授業者が、そこまで考えて司教が行動したことにジャンが気づいて震えたと整理をすると、子どもたちから「あー」という声が聞こえてきます。なかなか面白い読み取りですが、ちょっと方向がずれていきます。話の内容はきちんと共通で押さえておかないとこのようになってしまう可能性があります。
授業者は「司教の考えの深さ」と板書して次に進もうとしますが、違う考えがあるかもしれませんので「他の人、いい?」と念を押します。すると、一人の子どもが意見を言いたそうにしているのに気づいて、「聞かせて」と発表させます。ていねいに子どもたちを見て対応しています。銀の食器や燭台を得る代わりにする約束がむちゃくちゃ大きいという意見です。授業者は「あー」と大きく反応して受容します。「それだ、という人」と問いかけると、手を挙げかけて引っ込めた子どもがいます。その子どもに声をかけて、「言った方がいい?あなたに任せるよ」と子どもの気持ちに寄り添おうとします。すると、「言った方がいい」と立ち上がってしゃべり始めました。「ジャンは今までしてきたことをいつものようにしたが、司教のしたことで自分はなんてことをしてきたんだろうと、自分が憎い、悔しい気持ち」という意見です。この話をよく分かっていないためにジャンを盗みの常習者のように思ってしまっています。範読しながらジャンがなぜ盗みを働いたのか、何を盗んだのかをきちんと押さえておく必要があったようです。授業者はこの意見もしっかりと受容しました。
もう意見を言いたい人がいないことを確認して、「ここまで、みんなはしっかりと考えてくれた」と評価し、次に進みます。先ほどの子どもからでた大きな約束とは何かを確認しますが、子どもたちは今一つ反応しません。授業者が声を出すようにうながすと、子どもが本文を見ながらつぶやきます。どうしても客観的な文章の読み取り中心になってしまい、子どもたち自身の問題になっていないように感じました。

ここで「ジャンはこれからの人生どうやって生きる?」と問いかけます。「みんなも自分が壁にぶつかることがあるけど、その時、隣に友だちがいない、相談できないことがあるでしょう」と相談なしで、自分がジャンだったらどうするか考えるように指示します。
まず自分で考えることは否定しませんが、ちょっとこだわりすぎだと思います。苦しい時に相談できる子どもになることも大切なことです。あえて、相談できない状況を強調する必要はないと思います。また、自分がジャンだったらと主人公に引き寄せさせようとしますが、ジャンのこれまでの背景をきちんと押さえていないのでちょっと無理があります。また、ジャンの気持ちになるにも、今の子どもたちにこんな過酷な状況はなかなか実感を持って想像できません。自分ならとどうすると言っても、かなり難しいことと思います。
紙に書くのではなく、頭の中で考えさせます。ねらってのことなのかはよくわかりませんが、言葉として出力していないので揺らぎやすい状態です。友だちの意見を聞いている内に自分の考えが変わるかもしれませんが、意見が変わったことを意識することもしづらいと思います。
自分の考えがまとまった子どもを立たせます。見える化ですが、まだの子どもにはプレッシャーがかかります。意図的なのでしょう。立っている子どもにつられたように、次々に座っていた子どもが立ち上がります。1分ほどで、ほぼ全員が立ち上がります。授業者は立ち上がっていない子どものところに行って、まだ迷っているのなら、座っていていいと声をかけます。きちんと全員を見ているのは立派です。その間、すぐに起立した子どもはすることがありません。しゃべったりはしませんが、ごそごそと身体を動かす子どもが目立ちました。

「誰から教えてくれる?」と聞くと、1/4ほどの手が挙がります。授業者は「うれしいわー、この人たち」と声を出します。子どもたちが前向きになるような言葉を上手に使います。
最初に指名した子どもは、「食器や燭台を売って、そのお金でまっとうに暮らして姉と子どもも養う」という意見です。発表の間、子どもたちの体がゆらゆら揺れます。友だちの考えがどうなのか気にならないように見えます。授業者がその意見をまとめて板書している間もなかなか集中しませんでした。この後、同じ意見の人を座らせますが、たとえ同じでももう少し聞いてみたい気がします。
次に、「正直になると約束したから、売らないで自首をする」という意見が出てきます。「自首した後どうするの?」と、同じ意見の人たちに聞ききます。一人目は、その後働くという答です。子どもたちの答にどうにもリアリティがありません。「自首したら、また刑務所に入れられるけど自首をする?」と揺さぶりたいところです。「それでもあなたは自首をする?」と自分のこととして考えさせるのです。次の子どもも同じ答ですが、授業者は姉と子どもはどうすると問い返します。その子どもは「自分だけ」と答えました。授業者は「姉と子どももという人もいるけど、自分だけという人もいる」と焦点化しますが、次へ進むことを優先します。まだ立っている子どもを指名しました。
次の子どもは、「ジャンは19年間の監獄生活で人とどうやって接したらいいかわからなくなっているので、この先うまくいかなくて死んじゃう」という意見です。授業者が「自分ならどうする」と何度も言っていたのですが、他人事です。子どもたちが他の意見を真剣に聞かないのはどうもここに理由がありそうです。
続いて、「ジャンは元々いいやつだから司教に言われたことで目覚め、銀の食器や燭台を返してそこからちゃんと仕事して、誰よりも頑張って、姉と子どもと一緒に幸せに暮らす」という考えがでてきます。これも他人事です。
この後も他人事の意見が続きます。授業者は、子どもの言葉を受容して板書をしますが、それ以上は切り返すことはしませんでした。

最初の自分の意見から変わっていいからと、これまで出た意見の中から自分がとる行動を選択させます。挙手で確認した後、「これ、どうして?」と聞いてみたい意見があるかをたずねます。「あるでしょう?」と目の前にいる子どもに迫りますが、質問は出てきません。そこで、まずそれぞれの答を選んだ理由をたずねることにします。「売らないで一生懸命に働く」を選んだ子ども3人を立たせて、聞きます。「司教の恩を忘れない」という言葉が出てきます。授業者は「恩」という言葉が付け加わっていることを強調します。上手く言えない子どもに続いて、もう一人は、「罪を犯したから他の人と同じだけ働いても償いができない。だから、他の人以上に働く」と言います。よいことを言っているのですが、これもちょっと離れて見ているように思えます。授業者はこの意見に対して聞きたいことはないかとたずねますが、やはり反応はありません。
「銀の食器を売って働く」を選んだ子どもは、「現状が厳しいから、売ってお金をつくらないと生きていくことが苦しい」と言います。本音に近いところが出てきています。同じ行動を選んだ子どもたちは、この意見に同意して全員着席しました。ここは、この本音の部分を何人にも聞いて焦点化して、売らないと言っている子どもに、「こういっているけど、どう?それでもやっぱり売らない?」とつないでいきたいところでした。

最後に、よく考えてくれたけれど、今日のテーマはいったい何だったんだろうかと問いかけ、ジャンのその後を話します。ここでジャンのその後を話しても、お話ですから説得力はありません。子どもたちからもあまり反応が出てきませんでした。
そして、この日のテーマと感想を、なるほどと思った友だちの考えを入れ込んで書くように指示しました。「テーマが何かわからない」という声が上がったので、とばして感想を書くようにと伝えます。授業者としては、人はやり直し、立ち直ることができることをテーマにしていたのですが、そもそも「やり直せない」と思っていないので、このことはあまり意識されなかったのです。

今回の授業は、私の知っている授業者の授業イメージとは異なりました。実は、今回の指導案の流れは、研究会を指導している先生のスタイルを踏襲していたのです。このスタイルでは、授業者は積極的に子どもの意見に対して切り返したり、揺さぶったりしないようです。子どもたちが友だちの意見を聞きながら変容することを大切にしています。授業者としては、切り返したり焦点化したり、揺さぶったりしたかったと思いますが、それをぐっとこらえているように見えました。
今回、子どもたちが自分の問題としてとらえにくかった大きな要因は、この話が子どもたちにとってリアリティがないことだと思います。まず、ジャンが銀の食器を盗もうとする場面で、「親切に食事と宿を提供してくれた人のものを盗むってありえなくない?」と揺さぶったりすることが必要でしょう。子どもたちから、「刑務所に19年も入っていたら仕事もない」「この先、暮らしていけない」「盗むしかない」といった言葉を引き出すのです。その上で、司教から「正直な人間になるため……」と言われた後、「あなたなら」どうするかを問いかけるとよかったと思います。子どもから出た意見に対して、先ほどの「仕事がない」「盗むしかない」という考えと対比させて「本当にできるの?」と揺さぶったりすることで考えが深まり、大切なことは自分の意志であるといったことに気づいてくれるのではないでしょうか。

異なったスタイルの授業に挑戦することは素晴らしいと思います。その上で、自分のスタイルとどう融合させていくかが大切だと思います。与えられたスタイルにとらわれず、授業者の思いをそこに組み込んでいけばよいとアドバイスさせていただきました。

この続きは、次回の日記で。

子どもたちの気がかりな変化

2学期に3回訪問した中学校では、1、2年生の子どもたちに気になる変化を感じました。

1回目は、体育大会が終わった後の訪問でした。
しっかりとやり切ったのでしょう。学校全体はよい雰囲気でした。夏休み前はちょっと心配していた1年生ですが、一部の学級を除いて授業規律もよいように思いました。ただ、授業者によって子どもたちの態度が異なるということは依然としてあるようでした。学年で統一して取り組もうとしているのでしょうが、中々意識が統一できないようです。
2年生は、特に大きな変化を感じることもなく、落ち着いて授業に取り組めているようでした。

ところが、合唱大会の少し前に訪問した時に、変化が起きていました。
1年生で、以前は一部の時間や学級でしか見られなかった、授業に集中していない子どもの姿が、どの授業でも目につくようになっているのです。このこと自体はよくあることなのですが、問題は授業者がそれをスルーしていることです。気づいていないのか、見ようとしていないのかはよくわかりません。しかし、放置しておくということは、子どもからすればその行為は許されたことになります。ヒドゥン・カリキュラムです。今の段階であれば、4月当初のように、望ましい行動を確認し、できた子どもを認め、できていない子どもができるまできちんと待ち、そのことをほめることすれば、よい方向へ変わっていくはずです。
2年生は、一見すると大きな変化が無いように見えます。授業規律が乱れているということおありません。しかし、わかりたい、できるようになりたいという前向きなエネルギーが感じられなくっています。このことは、合唱大会の練習風景にも表れていました。
この学校の合唱大会は準備期間も長く、毎年子どもたちの。素晴らしいものにしたい、勝ちたいという意欲、エネルギーを感じさせられるものですが、どうも今年はそのエネルギーが低いように思えるのです。2、3年生は昨年と比べて明らかに子どもたちから感じる意欲が低下しています。
先生方とお話をしてみると、ベテランの方はこのことに気づいておられます。当然それなりの対応をされるでしょうから、それほど心配はしませんでした。

さて、2学期末の試験前に訪問したところ、合唱大会は例年通り素晴らしいものだったと報告を受けました。きっと先生方が、ちゃんと対応されたのでしょう。授業でも子どもたちが落ち着いて参加する姿が期待されます。ところが、教室を回ってみると、子どもたちの様子は私の想像とは大きく違っていました。
1年生は、今までぽつりぽつりと点で見えていた気になる子どもたちが、明らかに増えているのです。どの学級にも学習に対して意欲を失くしている子どもの姿が見られます。それに対して先生方が働きかけをしていません。放っておかれているように見えます。なにも、口うるさく注意しろと言うのではありません。その子どもたちが授業に参加できる場面を意図的につくるのです。ペア活動やグループ活動でかかわり合うように、ちょっと声をかける。困っているところ聞いてやる。そういったことを積み重ねるのです。
そして気になるのが、そういった子どもたちがつながりだしているということです。授業者の目を盗んで、つながろうとしているのです。あまりよい表現ではありませんが、ブラックホールのようにまわりを巻き込みだしているのです。
一方2年生ですが、1年生のようなことはないのですが、どうにも子どもたちが緩いのです。一緒に授業を見ていた先生が、フワフワしているという言葉を使われましたが、まさに言い得て妙です。授業の開始時、どの学級も異様にテンションが上がります。授業が始まっても、どこか集中していません。この学校で子どもたちのこんな姿を見たことは、ここ何年も記憶にありません。行事の余韻が残っているにしても、時間が経ちすぎています。この変化はとても気になります。

行事を通じて、子どもたちの交友関係に変化があった時など、新しい人間関係が授業に持ち込まれて、落ち着かなくなることがあります。これは、文化祭でのグループ作業や、修学旅行や校外学習などの小集団での活動が中心となる行事の後で見られることがあるのですが、合唱大会の後ではあまり見たことがありません。いずれの学年の問題も、管理職や主任層、ベテランは認識しています。しかし、その危機感や指摘がどうも若い先生と共有できていないことが問題のようです。端的に言うと、若い先生がこの状況を悪い兆候だと実感持ってとらえていないのです。
1年生で言えば、気になる子どもはいても席を立ったり授業を妨害したりするわけではありません。授業は通常通りに大過なく進んで行きます。2年生で言えば、テンションが高いのは、子どもたちが参加していることの現れともとらえることができます。楽しくやっているし、個人作業の課題を与えればちゃんと鉛筆を持って取り組むので、問題ないと考えているのかもしれません。
経験のある方は、こういったことが、今後急激に学校が落ち着かなくなる兆候ととらえることができるのですが、そういった経験がない若い先生はその実感がありません。特にこの学校しか知らない方は、そういった状況を見たことがないのです。

生徒指導主事や教務主任とも話をさせていただきましたが、担任の先生方を中心に学校全体で取り組んでいかなければいけない問題です。経験の少ない方が多いので、単なる警告だけでなく、どう対応していけばよいのか具体的に伝えなければいけません。
今後主任層を中心に対応をしてくださると思いますが、次回訪問まで少し期間が空くのでちょっと気がかりです。

この3回の訪問で、いくつかの授業研究もありましたが、それについては次回以降の日記で。
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