コミュニケーションにおける「聞く力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「聞く力」がテーマです。いつものように、実際の場面に即して一緒に考えていただくことで、互いに学びを深めていこうというものです。

前回の復習もかねて、笑顔で接することと合わせてうなずくことを大切にしてほしいことを伝えました。うなずくことは相手のことを受容しているというメッセージです。「あなたの言うことを聞いています」「あなたのことを見ています」「あなたのことを受けて止めています」「それでいいんですよ」といったことを伝えてくれます。相手に物を頼まれた時、相手が行動に不安を覚えてこちらを見た時、相手が名前を間違えて呼んだ時、このような場面でどのように対応すればよいか考えていただきました。

コミュニケーションは互いに伝え合うことが基本です。相手に自分のことを理解させようという姿勢では互いにぶつかり合ってしまいます。互いに相手を理解しようとすることからスタートします。聞くことから始まるのです。聞くことは、相手を受容し、理解しようとする行為です。相手が受容してくれるからこそ、安心してこちらも話すことができるのです。
ここで注意をしなければいけないのが、相手の「言ったこと」を理解するだけでは不十分だということです。相手の「伝えたいこと」「望むこと」を正しく理解することが大切なのです。そのためには、単に話を聞くだけではなく、相手の表情や視線、姿勢など全身からの情報を、五感を駆使して読み取る姿勢が求められます。

コミュニケーションで相手の伝えたいことと受け取ったことがずれてしまうことがよくあります。その原因の一つが、自分にとっての常識が相手にとっても常識とは限らないことです。よく例に挙げられますが、目玉焼きは塩をかけるのか醤油なのか、それともソースなのか。半熟か中まで火を通すのか。片面を焼くだけかひっくり返して焼くのか、それとも水を入れてふたをして蒸すのか。人によって常識は異なります。しかし、目玉焼きを作って頼む時には、ここまで細かい指示はしません。自分にとって当たり前のことは情報として与えないのです。確認しないままにことを進めると大きな齟齬が出てきてしまいます。すれ違った後で議論しても水掛け論です。想像力を働かせて、確認すべきことをきちんと押さえることが必要です。
確認をする時は、いきなり質問しないように注意する必要があります。質問することは「疑問」を持っているということでもあります。相手に自分が「否定」されたと感じさせることにつながります。まず相手の言ったことをそのまま「復唱」することで「ちゃんと聞いていますよ」と伝えることが大切です。この時、相手の言葉を勝手に自分の言葉で置き換えないように注意しましょう。特に言い間違えた時にはそれを勝手に修正しないように気をつけます。言葉を置き換えられると、それは自分が言った言葉でなくなります。特に言い間違えた時には、間違いを指摘されたことになるので、ネガティブな気持ちになります。自分が受容されていないと感じてしまうのです。では、どうすればいいのでしょう。そういう時でも受容の言葉「なるほど」を頭につけると、とても復唱しやすくなります。「なるほど」は肯定も否定もしません。相手の言っていることを受け止めていることを伝える言葉だからです。「なるほど・・・ですね」と復唱すると、自分の言葉を客観的に聞くことができるの、自分で言葉を足したり、修正したりできるのです。復唱する時に、「なるほど」という言葉をつける習慣をつけるとよいでしょう。

相手の言った言葉の確認や詳しく聞き直すために問い返すことがあります。この時、「なぜ(Why)」はできるだけ使わない方がよいと言われます。それは、「なぜ」で聞かれるときちんとした理由を求められているように感じるからです。何度も「なぜ」と聞かれると、相手から詰問されているように感じます。そのことを避けるためには、「どういうことですか」と聞き返すとよいでしょう。この聞き方は、何を言っても答えになるので言いやすいのです。すぐに求める回答を得ることができないかもしれませんが、何度もやりとりすればいいのです。言葉のキャッチボールをすることで、コミュニケーションがとれるようになっていくのです。また、「・・・ですか?」「○○と△△のどちらですか?」と相手に寄り添って想像して問いかけることも有効です。気持ちをわかろうとしてくれていると感じてもらうことが大切です。

今回は相手の伝えたいことを正しく理解するためのスキルについて具体的な例をもとに、皆さんと一緒に考えさせていただきました。いつものように、皆さんから出てくる疑問や答にハッとさせられることがありました。よい勉強をさせていただいていることに感謝です。

考えるべき課題が明確になっていく(長文)

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。定期試験も終わり、保護者面談が終了したところです。この時期の子どもたちの様子がどのようなものか楽しみです。

学校全体としてはとても落ち着いていますが、2年生と1年生の子どもたちの様子がとても興味深いものでした。どちらも、子どもたちが授業によって見せる姿が違うのですが、その違いに特徴があります。2年生は、落ち着いて授業を受けるのですが、教師の説明を聞いてもよくわからなかったりすると話を聞かずに、まわりの子と相談する傾向があります。ある意味正しい判断です。授業に前向きであることと子ども同士の人間関係よいことの現れでもあります。とはいえ、決していい状況とは言えません。教師が一方的に説明することを止めて、相談している内容を全体で共有させて、子どもたちで課題を解決するような動きを取り入れたいところです。
一方の1年生は、教師が子どもたちにこうあってほしいと願う姿が明確な授業では、素直にそのような姿を見せます。顔を上げて教師を見て話しを聞いてほしいと思えば、そのようになります。ところが、教師が子どもに望むものを明確にしていないと、子どもたちは適当に自分で判断をします。話を聞くのに、下を向いていたり、板書を写しながらであったりするのです。授業規律を含めて、こうあってほしいという姿を学年全体で共有することが大切になります。また、わかりたいという思いはあるのですが、授業の途中で力が尽きる子どもが目立ちます。まわりの助けを借りながらでも、できた、やったという達成感を味あわせるようにすることが求められます。

若手を中心に授業アドバイスを行いました。
初任者の3年生の数学は、相似の活用の場面でした。以前と比べて、子どもたちとの対話を意識しているのですが、1人に発表させてすぐに説明をしてしまいます。また、どうしても1対1の関係になり、他の子どもにつなぐことはまだできません。また、数学の授業としては、この学習で何が大切か、どこがポイントかがはっきりしないものでした。授業者自身がこのことをきちんと整理できていないことがその理由です。教材研究をしっかりしてほしいと思います。子どもたちの意識が答を求めることに向かっていることも気になります。子どもたちの説明を聞いても根拠を明確にして説明しよういう気持ちが感じられません。授業者も、子どもの中途半端な説明に対して物わかりのよい教師となって、言葉を勝手に足します。根拠を明確にするための問いかけもしません。そのため、子どもたちは友だちの説明や答案に対して興味を示しません。2人の異なる解答を板書させている場面でも、どのようなことが書かれているのか見ようとはしません。よそ事をしているのです。授業者の解説を聞いて、補足された板書を写せば事足りるからです。指名されなければ直接授業に参加する必然性がないということです。
子どもたちを参加させる授業の進め方を工夫すること、教材研究をしっかりすることが求められます。

初任者の2年生の国語の授業は、子どもとの人間関係が気になりました。学級によっては、一部の子どもが指示に従えないようです。どのように注意をすればいいのか困っているように感じました。指示を徹底させようと、「3、2、1」とカウントダウンをするのですが、なかなか素早く動いてはくれません。指示を徹底する方法としては、カウントダウンはあまり勧めません。カウントダウンでは、できたかできないかのチェックになってしまいます。一度できれば、次からはできなかったというネガティブな評価か、現状維持です。ポジティブを意識するのならカウントアップの方が有効です。「何秒でできた」という評価を通じて、「次は○秒でできるといいね」「何秒進歩した」というように進歩で評価できます。子どもたちをポジティブに見ることができるのです。
「私と同じスピードで板書してね」と素早く書くことを促しますが、授業者が板書を始めても、子どもはまだペンも持っていません。授業者は子どもたちを見ないで板書しています。これでは、効果がありません。まず子どもたちが筆記の準備をしたことを確認してからスタートする必要があります。素早く書いている子どもを評価しなければ、指示しただけでは動きません。指示に対する評価をもっと意識する必要があります。
授業規律の徹底に関連して、Iメッセージを使った子どもへの注意の仕方を紹介しました。あなたの行動が私(I)にとって困ったものであることを伝えるという方法です。上手くいくという保証はありませんが、子どもたちとの関係がある程度できていれば、有効だと思います。
子どもたちとうまくいっているように見える学級にも落とし穴があります。活発に発言してくれる子どもの影で、参加しようとしない子どもが目立つようになっているのです。授業を妨害するような行動はとりませんが、授業者と積極的な子どもとのやり取りを横目に我関せずの状態になっているのです。「今の意見に対してどう思う?納得した?」というように、挙手しない子どもに参加を促す、わからなくても聞いていれば参加できる場面をつくる、そういうことが必要なります。全員を参加させたいという教師の姿勢を明確に伝えることが大切です。
また、国語の授業としては、課題の必然性を意識してほしいと思いました。説明文の単元でしたが、説明文であれば、筆者の主張・考えを正しく理解することが授業のゴールになります。筆者は自分の考えを正しく理解してもらうために、根拠や具体例を述べます。この段落で、何をねらってどのようなことを述べているのかという視点を与えれば、課題は自然と明確になってくるはずです。こういう視点を明確にして授業を組み立ててほしいのです。
笑顔は意識しているのですが、対応に困った時などはそのことが表情に出てしまいます。少し余裕を失くしているのかもしれません。冬休みにリフレッシュして、余裕を取り戻してほしいと思います。

初任者の体育の授業は1年生のマット運動でした。気になったのが、子どもが自分の順番以外の時に遊んでいたり、集中していなかったりすることです。開脚前転に挑戦しているのですが、ただ連続して実技をしているだけです。いったん活動を止めてその場で説明を始めます。子どもの視線が授業者に向く前に話しはじめます。説明が終わりさあ活動かと思ったところ、また説明が始まりました。活動することに意識がいった子どもは、集中力が切れます。すぐに説明が終わるかと思ったのですが、しばらく説明が続きます。一部の子どもの集中力は戻らないままでした。「勢いをつける」「手をしっかりとつく」といったポイントをいくつか説明したのですが、その確認はされませんでした。子どもたちの実技に対して、ポイントがきちんとできているかどうかはどこでも評価されません。明らかに上達した思える子どもが少ないことと関係があるように思います。互いに見あって、どこよいか、どこが上手くいっていないか聞き合うことが大切です。ただ活動すればよいという発想では上達しません。
集合の時の子どもたちの姿勢がバラバラなのも気になります。集合時にはどのような姿であってほしいかが明確でないということです。求める姿をちゃんと伝えないと、そのようにはなりません。そもそも、子どもたちに求めていないことが問題なのです。
体育の教師として子どもたちにどのような姿を求めるのかをもう一度自分に問いかけてほしいと思います。

講師の体育の授業は、2年生のハンドボールでした。4対3の練習でしたが、遠目に見ても子どもたちの視野が広く、コート全体を上手に使っているのがわかります。中学2年生としてはかなりレベルが高いと思いました。ハンドボール部が何人もいるのかと思ったのですが、1人しかいないということです。ちょっと驚きました。声をかけ合うことやアイコンタクトがしっかりできていて、パスがよく通ります。子ども同士の関係がよいことの現れでしょうか。授業者に確認したところ、指示は、「まずゴールをねらい、だめならパスをする」というものでした。その前の時間は3対2で、ポストを使ったプレーを練習したそうです。一つひとつの練習に対して、ポイントを絞ってきちんと身につけさせていると感じました。4つのゴールに分かれて練習をしていましたが、授業者はどこのプレーもきちんと見えるポジションで、全体をよく見ていました。話をして、子どもたちの様子をよく把握していると感じました。集団競技以外でも、子ども同士のかかわり合いを大切にするようにお願いしました。

2年目の先生の社会科の授業は、課題の工夫がみられるものでした。この学校の社会科はどの先生も課題や進め方に工夫をしています。そのよい影響が若手にも見られます。この日の授業の導入は、雪国に住みたいか、住みたくないかという質問でした。無責任に答えられるので、どうしてもテンションが上がり気味です。たとえ理由を聞いても、それは個人的なものなので、議論としてはかみ合いません。このような導入をするのであれば、短時間で終わらせる必要があります。意味なくテンションは上げない方がよいのです。このことを意識することで、様子はずいぶんと変わると思います。より根拠を意識したものにしたいのなら、「友人に雪国住むのを勧めるか、それともやめるように説得するか」といったものにすればよいでしょう。客観的な理由が求められるからです。「深く考えさせたい」「掘り下げたい」のであれば、雪国の市長になって人口増加のための施策を考えるというのも一つです。子どもが「考える」ことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

中堅の先生の国語の授業は、1年生の古文でした。明るく、子どもたちをよく受容できる先生です。ちょうど文法の場面でしたが、中学校では子どもたちにほとんど知識がありません。係助詞の説明をするのですが、活用形のことすらよくわかりません。どうしても一方的な説明になってしまいます。知識を教えたい気持ちはわかるのですが、今の時点で最小限伝えるべきことは何かを考えて、絞り込むことも大切でしょう。
説明中に1人の子どもが手を挙げずに質問しました。私にはその内容がよくわかりませんでしたが、授業者はそれに答えました。おそらく、他の子どもも私と同じ状態だったでしょう。もし、全体に説明すべき内容であれば、その質問内容を全体で共有する必要があります。個人的に答えればすむのであれば、後で個別に対応すればいいのです(「公的」か「私的」か判断する参照)。ちょっと気になる場面でした。
古文では音読が大切です。授業者はそのことしっかりと意識していました。授業者は口をしっかりあけて読むことを第一のポイントとしていたようです。範読もそのことを意識しています。しかし、教科書に目がいったまま、子どもたちの口元をしっかりとは見ていませんでした。ここは、目指す姿(口をしっかりあけている)を見つけて、ほめることをしたい場面です。評価することで子どもたちも意識をするようになります。目指す姿がしっかりとあっても評価と一体とならなければ実現はできないのです。

中堅の先生の理科の授業は、光の屈折の実験でした。授業者は子どもたちをしっかり受け止めながら授業を進めていました。半円柱のガラスを使った実験の後、直方体ガラスを使って光の進み方を実験します。ここでは時間がないため記録を取らずに光の進み方の観察だけするよう指示しましたが、その前に屈折や全反射についての実験をしているので、それを活かしたいところでした。前の実験でわかったことを使って、どのように光が進むか予想をさせるのです。その後に実験をすれば、予想が当たった、外れたことについてもう一度じっくり考えるはずです。理科は、実験からわかった性質や法則を、現実を予想したり、期待した動きをするものを作ったりすることに役立てる教科です。そういう理科のよさや面白さを体験させることができたはずの場面でした。次の機会にはそのような課題を与えてほしいと思います・

5年目の先生の数学の授業は、定期試験の結果が悪かった学級でした。そのことを意識して観察したのですが、授業者と子どもの関係は良好です。どの子どもわかろうと話をしっかり聞いています。友だちと相談もできます。ただ、力のない子どもが教師の説明の途中であきらめてしまうのが目につきます。また、授業者もわからせたいと思うあまり、一方的に説明する時間が増えているようにも感じました。ここは、あえて子どもたちでわかるための時間を多めにとる必要があるように思いました。子どもが友だちの発表をあまり真剣に聞かないことも気になりました。発表に対して授業者がすぐに説明をするようになってきていることと無関係ではないでしょう。
子どもが習熟するための時間も少ないように思いました。教師の説明が増えるということは、考える、習熟するといった子どもの活動の時間を奪うことにつながります。悪循環にならい内に断ち切ることが必要だと感じました。

3年目の先生の数学の授業は、円の接線の場面でした。円の接線の定義と性質の因果関係がはっきりしません。よく整理できていないままに授業に臨んだようでした。
このことについて授業者は、「教材研究の時間が取れなくて不十分な状態で授業をしてしまった。子どもたちに申し訳ないことをした」と語りました。言い訳をせずに「申し訳ないことをした」という言葉が出てきたのは好感が持てます。教材研究ができなかったことはほめられたことではありませんが、子どもに対する姿勢は評価できます。
今、困っていることを聞いたところ、「子どもの発言が減ってきた」ということを挙げました。その理由を聞いたところ、「子どもが自信を失くしている」というのです。先ほどの学級だけでなく、1年生全体の数学の試験の結果が悪いこともその一因のようです。「子どもが勉強していない」といった理由であれば、叱ろうと思っていたのですが、そうではありません。子どもたちに自信を持たせなければいけない。それは教師の責任である。そう思ってくれているのです。教師としての力が足りなければつければいいのです。子どもに自信をつけるために必要と思えることをやればいいだけです。どれが正解かわかりませんが、世間ではいろいろな試みがされています。わからなければ聞けばいいのです。しかし、子どもたちのせいにしてしまえばそれで終わりです。教師の問題だと思うところから始まるのです。真剣に考えていることが表情からも伝わってきます。成長していることを強く感じました。
1年生の担当者で知恵を絞って、子どもたちに自信をつけさせるための手立てを考えてくれることと思います。先ほどの5年目の先生もそうですが、皆さん子どもたちに真剣に向かい合ってくれています。力を合わせればきっとよい解決策は浮かんでくることと思います。私も、自分がやってきた方法をいくつかお伝えしておきました。

1年生の数学の問題は、おそらく数学だけの問題ではないと思います。授業についていけない子どもが増えてきている。それに伴い学級でも孤立し始めている。その危険を感じています。教師によって態度が異なるということは、教師側が変われば済むことです。極論すれば、2年生になった時に担任や教科担当者が変われば解決してしまうことかもしれません。しかし、学力の問題は待ったなしです。単に勉強をさせるという発想ではなく、先ほどの3年目の数学教師が言っていた、「自信が持てる」ということとその一つ前の段階、「自信がなくても参加できる」授業をどのようにして実現するか。それと並行して、学力的に苦しい子どもが学習に前向きに取り組めるようにするために、授業以外の場面でどのような手立てを講じるか。これらのことが課題となっているように思います。いろいろと困難はあるでしょうが、学校全体で力を合わせて乗り切ってほしいと思います。

社会で資料を見る力を育てる

社会の授業で資料を見て「気づいたこと」を発表させる場面よくあります。子どもからできるだけ多様な考えを引き出そうとしてよく使われる言葉です。しかし、「何でもいいから」と言ったのに、子どもから期待したものが出てこないと、「他には」と無視をしてしまうような場面もよく見ます。このようなことを避けるためにも、資料の見方をきちんと教えておく必要があります。

基本は「比較」することです。比較して、違うところ、同じところを見ることが大切です。資料が1つしかなければ、比較の対象を考えさせることも必要になります。明治時代の資料であれば、その前後の時代「江戸時代」「大正・昭和時代」と比較するのです。地理的なものであれば、他の地域と比較します。
1つの資料を与えて、「他にどのような資料がほしい」というような問いかけも比較を意識させるのに有効です。黙っていても、比較する資料を探すようになるのが理想です。

もう一つのキーワードは「変化」です。グラフであれば、大きく変化しているところを見ます。逆に「変化しない」というのも大切な視点です。歴史的な事件や出来事であれば、その前後で「何」が「どう変化した」というビフォア―・アフターです。公民分野の制度に関する資料であれば、その制度によって「社会の何」が「どう変化した」かです。
「変化」という「結果」とその「原因」や「要因」を常に結びつけるような姿勢を育てる必要があります。

複数の資料を活用する時の視点の1つは並べ替えです。時間軸で並べ替えるのか、位置や場所を軸にして並べ替えるのか。そういう視点が大切になります。表もどの項目を基準にして並べ替えるかで見えてくるものが違います。

子どもが気づいた結果だけを取り上げるのではなく、どこに注目した、どんな視点で見ているかといったことをきちんと評価・価値づけして、資料を見る力を育てることが大切になります。そのためには、まず教師がそのことをきちんと整理できていることが必要になります。そのことを意識してほしいと思います。

課題を解決するために必用な視点や考え方を明確にする

子どもに課題を与えて個人で追究させる場面がよくあります。この時、この課題を解決するために必用な視点や考え方を教師が明確にして授業を組み立てることが大切です。

国語の例で考えてみます。「登場人物の気持ちを本文から読み取ろう」という課題を与えて、子どもに取り組ませるとしましょう。「気持ちを本文から読み取る方法・手段」を子どもたちがわかっていれば、問題がありません。しかし、子どもたちの動きが止まってしまう可能性があります。それは具体的にどのようにすればいいかわかっていない時です(指示の後の子どもの動き参照)。この場合、いったん作業を止めて、全体で説明するにしても、個別にアドバイスするにしても、その伝えるべき内容が明確になっていなければいけません。本文の「この部分に注目しなさい」といった説明や指示では力はつきません。この部分を見つけることができなかったから手がつかないのですから。では、「気持ちがわかる部分に注目しなさい」はどうでしょうか。今度は抽象的すぎて、具体的にどうすれば見つかるかわかりません。この2つの間を埋めるための視点や考え方を明確にしておくことが必要なのです。この場合であれば、「登場人物の気持ちはどのようにして表現されるか」ということが教師の中で明確になっていることです。
「・・・と思った」と「直接」的に表わされる。「表情や態度」など「人物の行動」で表わされる。「天候や音、色」など「情景描写」で間接的に表わされる。特に情景描写は、同じもの、似たものの変化で表わされることが多いので、何度も描写されるものはチェックしておく必要がある。こういったことが明確になっている必要があるのです。
このことは、何も国語に限ったことではありません。算数の計算方法、社会科の資料の見方など、どの教科でも必要なことです。

では、こういったことは、いつ、どのようにして子どもたち提示すればいいのでしょうか。これは、今までどのような学習をしてきたかで違ってきます。
先ほどの国語の例で考えてみましょう。今まで、「人物の行動」や「情景描写」などから読み取る経験をしているのであれば、課題に取り組む前に復習として思い出させればいいでしょう。見通しを持って課題に取り組めるはずです。
今回初めて「人物の行動」から読み取るのであればどうでしょうか。
人物に注目させて、どんなことが書かれているかを取り上げる。そこから、課題に取り組ませて、「人物の行動」から気持ちが読み取れることを子どもたちの言葉でまとめていく。
まず、課題に取り組ませる。気づいている子どもが何人かでてきた時点で止めて、どの部分に注目してか発表させる。そこで、「人物の行動」から気持ちが読み取れることを学級で共有して、もう一度課題に取り組ませる。
このような方法が考えられます。

どの方法がよいというのではありません。子どもたちの実態に応じて考えればいいのです(課題解決の手段を考える参照)。大切なのは課題を解決するために何が子どもに必要なのか、教師がしっかりと理解して提示できることなのです。授業の課題を考える時には、子どもたちがその課題を解決するために必用な視点や考え方を明確にしておくようにしてください。

「公的」か「私的」か判断する

授業中に子どもがつぶやいたり、挙手せずに質問したりすることがあります。本当は挙手して発言してほしいのですが、「挙手して」というと黙ってしまうこともよくあります。あまり意味のない発言であっても、無視することはできないので無理して拾うこともあります。どのように考えればよいのでしょうか。

子どもの言葉が全体にかかわることか、授業で活かせる内容かを判断することが大切です。質問であれば、個人的なものなのか全員にかかわることなのかです。その上で、もし全体で取り上げるべきものであれば、「今いいこと言ってくれたね。みんなに聞かせてくれる。みんな、○○さんの話を聞こう」と全体に対して「公的」に発言し直させるのです。(つぶやきを拾う参照)子どもの発言をポジティブにとらえて、しっかりとほめておくことで、安心して発言することができます。こういう経験を積んで、自信をつけてくことが挙手にもつながっていきます。
ここで、注意をしてほしいのが、「今○○さんが・・・と言ってくれたんだけど・・・」と教師がその言葉をもとにすぐに説明を始めないようにすることです。教師が引き継げば、つぶやいた子どもの仕事はそれで終わりです。そこで終わるのではなく、「公的」な舞台に上げることが必要です。また、教師の説明は子どもの言葉を自分の言葉に置き換えてしまいがちです。本人からすれば自分の言った言葉ではないよう思うこともよくあります。自分の言葉は教師の説明のきっかけになっただけで、評価されたように思わないのです。

では、全体の場面で取り上げるような内容ではない場合はどうすればいいのでしょうか。授業に全く関係のない話であれば、原則無視をするべきです。とはいえ、完全に無視をしてしまえば、うるさく声を出し続ける可能性もあります。そんな子どもに対しては、視線を合わせて手や仕草でそっとたしなめます。授業に関係のあることでも、取り上げられないことや個人的な質問で全体に関係のないことであれば、まずは笑顔でうなずいて、ちゃんと聞いたことを伝えます。その上で「あとでね」と先送りにします。個人作業の場面など、適当なところで「私的」に対応すればいいのです。
時々目にするのがその「私的」な内容を、全体の場で発言者と2人だけで会話をしている姿です。ちゃんと聞いていない子どもが、「○○をどうすればいいの?」と教師に聞いた時に、「・・・だよ」ともう一度その場で説明したりしているのです。ちゃんと聞いていたまわりの子どもは、聞く必要のないことで時間をつぶされます。当然集中力は切れてしまいます。みんなが知っているはずのことであれば、「あとで、まわりの人に聞いてね」と一言いえば済むのです。

「公的」な場である一斉指導の場面では、「私的」なものを持ち込まないことが大切です。子どものつぶやきや質問に対しては、「公的」に扱うべきことか「私的」に対応すべきことが、正しく判断してほしいと思います。

懇親会で考える

先週末、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会の懇親会に参加させていただきました。学校や教育についての話で盛り上がり、気づけばいつものように3時間以上の時間が経っていました。先生とは違った立場と視点の方のお話はいつも新鮮で、楽しいものです。

自分たちの思いを持って主体的に学校に働きかけるだけでなく、校長や先生方の思いをくみ取って実現への手助けや時にはアドバイスもする。そんな方々です。この10年余りにあったいろいろな出来事について、その背景や思いをうかがいながら、保護者や地域と学校がよい関係であるということはどういうことかを改めて考えました。
「子どもたちのため」になることであれば、互いに妥協できる。よい関係であるとは、子どもたちの成長のために譲り合い、協力できること。以前は、単純にそのように考えていました。しかし、時には互いにぶつかり合って、新しい考えや価値にたどり着くことが大切であることを、このおやじの会や地域の方々から気づかせていただきました。
保護者の中には、「学校に子どもを人質に取られている」ということを言われる方がいます。実際に、学校が子どもを人質にして何かを保護者に要求したということを聞いたことがありません。ぶつかることはエネルギーのいることです。それよりも黙って言われるままに動いた方が楽なこともあります。学校に対して自分の言いたいことを伝える、ぶつかることをしない言い訳に使っているのです。
学校と地域がよい関係であるということは、子どもたちの成長のために互いが協力することだけでなく、互いに学び合っていることだと考えます。子どもたちをその中心に置き、保護者と地域、学校が互いにかかわりあいながら自分たちも成長することなのです。そのことをこの会の皆さんの姿から学ばせていただきました。

先日の地域フェスティバル(地域と学校が一体となって子どもを育てる参照)に関連して、教室を使ったイベントを担当された方が、「まだまだ子どもが育っていなかった」とそのイベントであったトラブルと、自分が子どもたちを叱らなければいけなかった話をしてくださいました。子どもたちに任せると言っても、子どものことです失敗もします。そのことをきちんと叱れる大人の存在の大切さを感じます。来年このイベントを担当する子どもたちに、叱られたことがどのように活きていくのでしょうか。思いが伝わってくれることを期待します。

いつものように楽しく、またいろいろなことを考えるきっかけとなる会でした。いつもお声をかけていただけることを本当にうれしく思います。

小学校でPTAに講演

小学校のPTA対象に「子どもたちをどう育む‐メンタルケアとネットの問題について‐」と題して講演を行ってきました。今年4回訪問して授業アドバイスを行った学校です。

収容人数60人ほどの会議室が満席でした。参加されたのはお母さん方ばかりでしたが、皆さんとてもよく反応して下さり、とても話しやすい雰囲気でした。
最初にお子さんのよいところ10個以上書いていただきました。真剣に取り組んでいただけます。なかなかペンが止まりません。ある程度動きが止まった時点で、まわりと見せ合うようにお願いしました。よいところなので、気軽に見せ合うことができます。全体の雰囲気が和やかになりました。挙手で確認したところ10以上書けた方はあまり多くはありません。意外にいいところが書けないことに気づいていただけたようです。

いじめる子、いじめられる子を例に、子どもたちが自己有用感を持てていない苦しさを伝えました。自分が人に必要とされている、自分が自分を認めることができることはとても大切です。学校、家庭、…どこかに居場所がある子どもは崩れません。そのことをまず知ってほしいと思います。家庭での役割を持たせることは、家族の一員として必要とされていることを伝えることです。報酬を対価とせずに、「ありがとう。あなたがいて助かる」というメッセージを伝えることが大切です。

親が子どもに向き合う姿勢として、いかによい聞き手になるかを意識してもらいたいと思います。まずは無条件にあなたを認めていることを伝えるのです。そのために、どんな言葉でも否定せずに受容することが大切です。親が結論を与えるのではなく、一緒に考えて子どもに判断させることを心がけるのです。親の価値観を一方的に押し付けないようにしてほしいと思います。子どもを他者と比較せずに、その子の進歩を認めてほめる。このことを心がけるようお願いしました。

言葉には強い力があります。言霊という言葉があるくらいです。「わがままな子」というレッテルを貼ってしまうと、本当に「わがままな子」になってしまいます。子どもの行動には理由があります。その理由を考えるようにしてほしいと思います。子どもがキレル時は、言葉が切れる時です。自分の気持ちを伝える言葉を持たせてあげることが大切です。子どもにたくさんの言葉を使って語りかけるようにしたいものです。

Iメッセージを大切にすることもお願いしました。あなたがいてうれしい、あなたが私の子どもでよかった。こんなメッセージを日ごろから送り続けてほしいと思います。叱るときも、その行為を叱るのであって、決して人格を否定しないようにお願いしました。

よい子であることを求めすぎないということも強くお願いしました。よい子は親の期待に応えたいと考えます。自己実現が親の期待に応えることになってしまうと、親の愛情は自分がよい子であることによって得られると思うようになります。よい子と言われて育った子は、今更悪い子になれない、苦しいのです。うまくいかないストレスの発散の方法を知らないのです。「あなたは、いい子だからお母さんはうれしい。愛している」といったメッセージを送らないように注意してほしいと思います。よい子という評価は、一つ間違えると「よい子になれ」という強迫なのです。

最後に、ネットの問題について少し次時間を取ってお話ししました。今やネットのトラブルは小学生にまで下りてきています。
携帯ゲーム機などがネットにつながり、小学生が犯罪の被害者にも、加害者にもなっている。時代の変化が早いためついていけない。誰にも相談できずに直接警察に相談に来る子が目立つ。まわりの大人に相談できる関係が大切である。
こんなことをお話ししました。日ごろから無条件に子どもを認めてあげることが、困ったことを相談できるためにも大切です。このことを改めてお願いして講演を終わらせていただきました。

講演終了後、PTAの広報部の方とお話する時間をいただけました。ここでは、ネットのトラブルについていくつか質問をいただきました。この種の情報は保護者より子どもの方が進んでいることは間違いありません。保護者の情報交換の場が必要であることを痛感しました。この地区でも是非そのような試みが広がることを期待します。

アンケートの結果は好評だったようで、一安心です。近くの小学校からも参加者があったのですが、その学校は学級崩壊が目立っているようです。アンケートにぜひその学校でも講演をお願いできたらと書かれていました。おそらくは、保護者への講演のことだけでなく、学級の立て直しのことも頭にあるのでしょう。たまたまその学校の校長と知り合いなので複雑な思いです。よい形でかかわることができるように少し動いてみようかと思います。

5時間目の学校の様子を教務主任と見させていただきました。授業の上手いベテランの学級で子どもたちが印刷物を後ろに配るときに、「ありがとう」と言っていたのが印象に残ります。よいと思うことはすぐに取り入れる柔軟さに感心しました。ただ、子どもたちが相手と目線を合わしていないのが残念でした。子どもたちがきちんとコンタクトを取りながら「ありがとう」を言えるようになればとても素晴らしいと思います。
若手の学級で少し気になることがありました。私のアドバイスを忠実に実行しているのですが、教室が今一つ落ち着きません。2人くらい行動の遅い子どもがいます。その子どもに素早い行動をうながすのですが、なかなか聞きません。あえて無視しているようにも見えます。また、できる子どもだと思いますが1人だけ体を横に向けて、後ろと話をしたりと授業規律を乱すようなことをします。とはいえ、限度を超えるようなことはしないので、授業者も注意をしません(できません)。苦労をしているなと感じました。Iメッセージでのしかり方を伝えておけばよかったかもしれません。「○○さんが横向いていると先生が話しにくいんだけれど」と自分(I)が困っていることを伝えるのです。行動の遅い子どもにも同様の対応をするといいかもしれません。うまくいく保証はありませんが、挑戦する価値があると思います。よい方向に変化することを願っています。

この日もとても充実した時間を過ごすことができました。教務主任からは来年度に向けた思いも聞くことができました。このようなエネルギーがあれば、きっとこれからも学校がよい方向に変わっていくことと思います。また訪問できる機会があれば幸いです。

養護教諭の授業から学ぶ

養護教諭の研修会で、授業研究に参加してきました。単元は、小学校2年生の「ぼく・わたしの誕生(命の学習)」です。担任とのTTで行われました。
夏休みに講演をさせていただき、それに続いて今度は実際の授業をもとに皆さんと一緒に考えようという企画です。

授業者は若手の養護教諭です。この授業に向けて他の学級でも事前に授業をして臨んだようです。授業の導入は赤ちゃんになる前は何だったかを問うことから始まります。すぐに卵と正解を言う子どもがいます。ここのやり取りは担任にお願いしていました。担任はベテランで、優しい笑顔が印象的な方でした。3択で進めます。「じゃあ誰かが卵って言ったから、1番は卵」と受けました。なかなか見事です。クイズですから子どもたちのテンションは上がります。正解の発表から養護教諭の出番です。卵という意外な答えに子どもたちは「え〜」とテンションが上がります。続いて卵の大きさを問います。学習していない知識を問うことばかりです。何か根拠をもとに考えることでもありません。無責任に参加できるのでテンションが上がっていくのは当然です。チョークで黒板に点を打って、この大きさだと示します。実際に紙に鉛筆で点を打たせてその小ささを実感させます。こういうところはよく考えられていると思いました。子どもたちのテンションが上がりすぎた時は、担任が介入してくれます。担任の声が聞こえると、子どもたちはすぐに落ち着きます。日ごろからよい授業規律を作っているのでしょう。

ここで、この日のめあてが示されます。「ぼく・わたしがうまれてくるまでのようすをしろう」です。このめあてに違和感を覚えます。この時間は知識を得ることが目的なのでしょうか。実はそうではありません。家族への感謝の気持ちを持ってもらい、メッセージを書くことです。授業者はそれをストレートにめあてにすると展開が見えてしまうので、悩んだ末にこのようにしたそうです。
子どもとやり取りしながら、黒板に赤ちゃんが生まれるまでの成長の様子を示していきます。授業者は、どの子もきちんと固有名詞で呼びかけます。お腹の中の赤ちゃんの大きさを考えさせると、とてつもない大きさを示すことどももいます。担任は生まれてくる赤ちゃんの大きさを考えるようフォローを入れて、根拠をもって考えるように誘導します。参加できていない子がいればそれとなく近づいて声をかけています。よいサポートをしてくれます。
へその緒の役割を聞く場面でした。手が挙がる子どもは数人です。指名した子どもが答えた後、「どうですか」とみんなにたずねます。「いいです」と声が返ってきます。こんなおかしなことはありません。子どもが発表したのは知識です。知っていなければ、いいかどうかの判断はできません。とすれば、これだけ多くの子どもが知っていたのに、手を挙げなかったということです。それとも、無責任に「いいです」と言ったのかもしれません。また、知らなかった子どもは、参加しようがありません。この話型はどうやらこの学校の統一ルールのようです。すべての場面で否定するわけではありませんが、少なくともこのような場面ではナンセンスです。再考してもらいたいと思いました。

子どもに知識を問うて、答えさせるという場面が延々と続きます。知識のない子ども、答えられない子どもの集中力は下がります。自分で考え?るように指示すれば、無責任に想像するしかありませんから、テンションが上がります。この繰り返しになってしまいました。

赤ちゃんがさかさまになって生まれる理由を聞きます。「手足が引っかからないため」と答えてくれました。授業者は「それもあるかもしれない」と受けて、他にないか聞きました。子どもを否定しないように対応したつもりなのかもしれませんが、授業者が求めていた答ではないことはすぐにわかります。こういう場面が続くと、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。意識して気をつけたいところです。

赤ちゃんの人形を見せます。子どもたちのテンションは上がります。ここで、担任が「あとで抱いてもらう」とフォローします。後で触ることができるとわかることで落ち着きます。また、何か課題があるのかと考えて、話を集中して聞くようになります。
最近弟が生まれた子どもがいます。当然赤ちゃんに関する知識をたくさん持っています。積極的に発言してくれます。そうであれば、授業者が説明することをもっと減らして、「○○さんに教えてもらおうか」というようにして、子どもを活躍させて進めるように切りかえてもよかったのかもしれません。
赤ちゃんの首がすわらないことと抱き方を関連して説明します。続いて、子どもに赤ちゃんの人形を順番に抱かせます。予想通り、テンションがマックスになりました。なぜなら、赤ちゃんの人形を抱く目的が示されていないからです。順番を待つ子ども、終わった子どもの役割はありません。まさに、活動だけの場面だからです。「赤ちゃんの首が折れてしまわないように抱けるかな」「上手に次の人に渡せるかな」「だれが上手く抱いているかよく見ていていてね」というように、目標や評価を明確に与える必要があります。
子どもたちの感想を聞きます。「重たかった」ばかりです。当然です。子どもたちに親の視点をきちんと与えていないからです。気をつけることをきちんと与えて、親はいつもそのことに気づかいながら、重たい赤ちゃんを抱いている。その気持ちを問わなければ意味のない活動です。

妊婦体験も代表の子どもにさせます。消しゴムを拾わせて、物を拾うのも大変なことを知らせます。そこから、まわりの大人たちも妊婦を思いやっていたことに気づかせなければいけません。でなければ、この日の授業者の本当のねらいに近づかないのです。

友人に書いてもらった、母親から子どもへの手紙を朗読します。子どもたちはこの話を聞く意味がわかりません。赤ちゃんがお腹の中にいた時の気持ち、生まれた時の家族の喜びを伝えるのですが、子どもたちにとっては他人事です。BGMまでかけているのですが、その演出も子どもたちには伝わらないのです。

自分の誕生に関しての感想や感謝の気持ちを書かせるという、本時の本当のねらいの活動に行き着くまでに、大半の時間を使ってしまいました。
「ぼくは、私は家族みんなから(   )ている」という穴埋めを考えさせます。今までほとんど、誕生と赤ちゃんに関する知識の伝達ばかりです。先ほど知らない人の気持ちを聞かされただけで、突然このようなことを聞かれても戸惑います。そのような視点はこの授業で、今初めてでてきたのです。
ある子どもが「愛されている」と答えてくれます。ここでもまた、「どうですか」です。この答に対して「いいです」は全くそぐいません。いいかどうかではないのです。その子しかわからないことだからです。これでは、この問いの意味が全くなくなります。ここは、本当は「どういう時に感じる」と聞き返すべきところなのです。しかし、そう返してもおそらく子どもは困ってしまうでしょう。自分の家族を振り返って答えたのではなく、授業者の求める答を想像して答えたと思われるからです。

最後におうちの人にメッセージカードを書かせます。ここで、多くの子どもたちは手がつきません。何を書いていいかわからないのです。当然です、今まで家族のことを考える場面が一つもなかったからです。担任が「考えたこと」「感じたこと」とフォローを入れますが、家族のことを考えたり感じたりはしていません。どのようなことが書かれるかは想像がつきます。
何人かに発表させますが、この日授業で知ったことが発表されます。「愛されているんですね」といった言葉が出てきますが、それを「言え」と指示されていると感じたから書いたのでしょう。具体的にどのような時、どのような場面で感じたかは語られないからです。

授業者はねらいを達成するためにどのような活動をしなければいけないかを明確にできていなかったのです。このことがよくわかります。参加者にとって学びの多い授業でした。

授業検討会で、授業者は本当のねらいと、子どもに示したねらいのずれをどうすべきだったのかということと、最後のメッセージを書く場面で子どもたちの手が動かなかったことを話題にしました。そこに気づけることが素晴らしいと思いました。また、参加者からは、養護教諭の専門性を活かすにはどのようにすればよいのかが話題になりました。その他にも、たくさんの意見が出ました。このような授業研究の機会が今まであまりなかったそうです。皆さんの学びたいという気持ちがとても伝わる検討会でした。
めあてについては、「妊婦やまわりの人の気持ちを考える」といったものにすれば、自分の親に置き換えて考えやすかったのではないかと思います。また、養護教諭の専門性に関しては、どこまで小学2年生に伝えるかは別にして、出産にはいろいろな危険が伴うことを伝えることが専門性を活かすことにつながると思いました。そのような危険があるけれどもあなたたちを産んだ。まわりの人もそれを支えた。どうしてだろう。そんな切り口から迫ってもよかったかもしれません。
最後に授業者から私に質問がありました。今日の授業のねらいから考えれば、どのような導入を私なら考えるかというものです。その場での思いつきですが、「みんな、赤ちゃんの時や、お母さんのお腹の中にいた時のこと覚えている?」と言った問いかけから、「じゃあ、今日はその時みんなはどんな風だったか、お母さんやまわりの人はどんな気持ちでどんな風にあなたたちと接していたか考えてみよう」として、知識はできるだけ簡単に伝えて、母親やまわりの人がどんな気持ちで、どのように接していたかについて時間を使いたいとお答えしました。

私自身養護教諭の授業を見るのは初めての経験でした。TTのあり方も含め、いつもの授業以上にいろいろなことを考えるきっかけになりました。来年以降もこのような場を設けるということでした。とてもよいことだと思います。またお手伝いさせていただけることを楽しみにしています。

どの子どもも参加できたグループ活動

昨日の日記の続きです。

研究授業は若手の英語の授業です。1年生の代名詞の使い方の練習の授業でした。
子どもたちはとてもよい表情で授業に参加します。授業者と子どもたち、子ども同士が、日ごろからとてもよい関係であることを感じさせます。
前回訪問時に私がお話したことを自分なりにアレンジして実行しています。主語を表わす絵カード、述部を表わす絵カードを準備して、その組み合わせで ”I play tennis.” “He plays tennis.”と文を作って全体で言わせます。授業者の言ったことをそのまま言うのでも、カードに書かれた文字を読むのでもありません。子どもが絵の表わしていることを表現しようと英文を作るのです。当然要求レベルは上がります。子どもたちは考えて声に出すのですが、自信のない子もいます。ついていけなくて口が開かない子どももいます。問題はここではありません。この後、すぐに次の文を作らせていたことが問題なのです。1回だけでは、わからない子は全く参加できません。全員の口が開くまで、何度も言わせてほしいのです。同じ文を、みんなの声がそろうまで何度も言わせるのです。友だちの声を聞くことで理解することを経験させるのです。大切なのは活動ではなく、全員が身につけることです。
この場面で、最初から代名詞を使って表現させたことが引っかかりました。”Ms.○○ plays tennis.” ”She plays tennis.”というように、最初は固有名詞で表現して、それを代名詞で言い換えさせると英語における代名詞の使い方をより理解させることができます。そういう ”situation” を大切にしてほしいと思います。

グループでの最初の活動は、グループごとに用意されたカードをめくって、そのカードが表す動詞を使って全員が英文を作るものです。何人か苦しい子どもがいます。他の子どもたちは辛抱強く待ってくれますが、なかなか声を出すことができません。まわりの子どもの言葉をまねして何とか進んでいきましたが、自分から助けを求めることはできません。表情もさえません。とは言え、全体的には子どもたちは頭を寄せ合いながらよい表情で取り組みます。カードを机の真ん中に積んでいることも、子どもたちの体が近づくことに影響しているかもしれません。
活動終了後、どのグループが頑張っていたか、No.1はどこと授業者が評価します。一部のグループだけを評価するのかと思ったのですが、数グループに順位をつけた後、残りのグループも「じっくり取り組んでいた」「助け合っていた」というように、具体的によいところを評価しました。丁寧な対応です。子どもたちをしっかり見ていることが伝わります。子どもたちの表情がよい理由がわかった気がしました。

次に芸能人の写真を見せて、”Who is this? Do you know her?” と知っているかどうか挙手で聞きます。子どもたちの手が挙がりません。手の挙がらない子どもを指して、”He doesn’t know her.” ”She doesn’t know her.” と全体に対して伝えます。こういったやり取りを何人かの芸能人の写真で行い、 “she” と “her”、”he” と “him” の関係を理解させます。やり方としてはよいのですが、この関係を理解するのに必要のない、だれがだれの妹であるといった情報も簡単な英語で授業者が伝えます。確かに英語のコミュニケーションとしては意味があるのですが、この場面で押さえるべきこととしては、ノイズになってしまいます。シンプルな例で、ねらいとなるものをきちんと理解し、身につけさせることが大切です。テンポを上げて、すぐに口から出てくるようになるまで、何度も練習することが大切です。活動の密度がちょっと薄いのが気になりました。

ここで、初めての試みとして、バディを利用したグループ活動を行いました。前回の私のアドバイスをヒントに、授業者と英語科、研修部が知恵を絞って考えた新しい活動です。子どもたちがどのような姿を見せてくれるか、とても楽しみです。
具体的には、ペアで相手の持っている情報を英語でたずねて、その情報をもとにその人が誰かを当てるという活動です。それぞれにバディ(相棒)がいます。バディは、困った時に助ける役です。質問側のバディは質問の答も記録します。バディとの対話は日本語を使うことが許されます。答える側の情報は用意された封筒に入っていて、それにもとづいて答えます。最後に、対話を聞いていてよかったところをそれぞれのバディがメモします。

子どもたちに情報の入った封筒を渡します。授業者は、“Don’t open.” 「まだ、開けちゃダメ」とすぐに日本語で言い直します。せっかく英語を使っているのですから、すぐに日本語にせずに、何度かジェスチャを交えて子どもに少しでも自力で理解させたいところです。
子どもたちは、とても楽しそうに課題に取り組みます。英語でのグループ活動が楽しいものになっていることがよくわかります。先ほど気になった子どもの様子はどうでしょうか。答える側になった時、どうしていいかわかりません。そこで、助けを求めるようにバディの子を見るのです。バディやペアの組み合わせはすべて男女です。バディの子はそれまでぼうっとしていたのですが、そのことに気づいて何とか助けようとします。苦しいながらもなんとか進んでいきます。表情が笑顔になっていきます。自分のバディが答える時には、助けてあげることはできません。しかし、体をバディの方に傾けて手元をずっと覗いています。対話の内容を知ろうとしているのです。
もう一人の気になる子どもは、バディが優秀なのでしょう。つきっきりで、一言一言どういえばいいのか伝えてもらっています。たどたどしながらも、教えてもらうことで、なんとかクリアしていました。
最初のグループ活動と比べても、どのグループも集中度が高いことが印象的です。最初のグループ活動は、友だちが話す時は正しいかどうかちゃんと聞いているのですが、役割としては ”one of them” です。自分でなければいけないということはないので、他の友だちに任せておけばいいという気持ちもあります。今回のグループ活動は、それぞれに明確な役割があるので、集中度が高いのです。
子どもたちの、対話を聞いていると ”his” と “him” が混乱する間違いがかなりあります。三人称単数現在の ”s” もよく落ちています。しかし、それを自分たちでなかなか修正できていません。英語の活動としては、ここは何とかしなければいけないところです。1回終わったところで止めて、どんなことを助けてもらったかを聞いて、間違いを共有する方法があります。教師が「こんな間違いがあったから気をつけよう」とはっきり指摘してもよいかもしれません。
役割を交代する時、課題の入った封筒をもらいます。その時少しテンションが上がります。緊張から解放されているのかもしれません。しかし、活動が始まればすぐに落ち着きます。とてもよい状態でした。
よいところを伝え合う場面でも、子どもたちはとてもうれしそうにしています。どの子どもも参加できたグループ活動でした。

最後に答える役の子どもを前に一人出して、全体で取り組みます。挙手によって質問して、答えるのですが、一部の子どもしか参加できません。こういう場面はもう少し工夫をする必要があります。”His favorite animal is cats.” といった、質問の答に対して全員で “Oh, I see. His favorite animal is cats.” と答える。授業者が ”Is his favorite animal dogs?” “What is his favorite animal?” といったことを、全体に問いかけて答えさせる。このような、友だちの発言を聞くことが参加につながる活動を入れ込むことが必要でしょう。

授業検討会は子どもたちの事実について多くのことが語られるよいものでした。自信がない子どもが参加できていたこと、子ども同士がかかわれていたことがたくさん報告されました。先生方が評価に困っていたのが、できない子どもは助けてもらいながらやっていたが、バディが言った単語をそのまま繰り返しているだけだった。これで学力がつくのかということです。確かにその通りです。これで学力がつくとは言えません。では、他にどのような方法があるのでしょうか。できない子どもが参加して学力がつく方法があるのならそれをぜひ共有して、みんなで実践すればいいのです。このことを先生方にお話ししました。彼らが、授業に参加することさえできない状況から、一歩進んで授業に参加できた。このことをまず評価してほしいと思います。佐藤学氏がよく使われる、有名な「一人ひとりの背伸びとジャンプ」という言葉があります。今回は、授業に参加するという「背伸び」ができたと評価したいところです。できる子たちも、友だちに教えることでいつも以上に多くのことを学べたと思います。
もう一つ話題になったのが、子どもたちが間違えたままそれを修正できずに進んでいたグループがあったことです。このことの原因の一つが、代名詞の使い方が定着していなかったことです。この活動で必要とする使い方を、もっと全体で練習しておく必要があったと思います。この活動は定着というより、活用です。密度の濃い、定着のための訓練も必要だったということです。

今回も非常に挑戦的な授業研究でした。私自身たくさんのことを学ばせていただきました。毎回、授業者と教科、研修部それぞれが力を合わせて授業をつくり上げています。研究とはこうありたいと思います。授業研究で互いに学んだことがどう全体に広がっていくか、次回がとても楽しみです。

この日は懇親会を催していただき、楽しい時間を過ごすことができました。たくさんの先生とお話することができました。授業に前向きな方がたくさんいらっしゃいます。授業談義に花が咲きます。素直に自分の授業を振り返って、改善しようという意欲を見せてくれます。このような学校とかかわらせていただくことで、私も多くのことを学ぶことができ、元気をいただくことができます。皆さんに感謝です。

授業の課題が明確になっていく

中学校の現職教育に参加してきました。今年度4回目の訪問で、3回目の授業研究です。毎回質の高い提案授業なので、この日もとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。先生方に子どもを受容しようとする姿勢が見られだけでなく、柔らかい雰囲気の中でしっかりと授業規律ができている学級も増えています。指名されて答に詰まった子どもを、まわりの子どもが助ける姿も目にします。

一方、指示の徹底ができていない場面も前回同様まだ目につきました。多いのが、子どもに顔を上げるように指示しても、待ちきれなくて全員の顔が上がっていないのにしゃべることです。中学校は進度が気になるので、なかなか待てないのもわかります。であれば素早い行動をうながすことが大切です。顔を上げて教師の話を聞くことは、授業規律として一番注意したいところです。

また、子どもの発言に正解といった言葉を返す授業はほとんどないのですが、1人指名してすぐにそれを引き継いで教師が話すことが多く見られます。一問一答形式になっているのです。「今の意見と同じ人」と問いかける場面は多く見るのですが、そこで終わらずに、同じ意見の子どもを指名して、発表させたいところです。何人か同じ意見の人を発表させ、納得したかどうかを他の意見の子どもに問いかけるのです。そうでなければ、子どもたちが友だちの意見を聞く意味がありません。つなぐことは難しいように思いますが、同じ意見、その意見を聞いて考えがどう変わったか、変わらなかったのか、その理由などを聞くことを意識すれば、それほど苦労せずにつながっていくと思います。大切なのは、何を話してもバカにされないという安心感、間違えても笑い飛ばせるおおらかさのある教室にすることです。

子どもの外化や活動を評価する場面もまだ少なく思いました。教師ができるだけ具体的にポジティブな評価をすることが大切です。また、自己有用感を持たせるためには、子どもが自己評価できることも重要です。活動のゴール、目標を子どもにわかる形で伝えることが大切です。行動だけを指示するのではなく、評価基準を具体的にして示すのです。例えば、音読であれば、ただ音読するのではなく、「主人公は誰か」「主人公の気持ちが変わった場面はどこか」といった目標を明確にするだけで、子どもの動きは変わっていきます。

子どものつぶやき拾うことを意識している方もいらっしゃいます。このこと自体はよいことなのですが、つぶやいた子どもと2人の世界に入ってしまうことが気になりました。価値のある発言であれば、全体で共有する必要があります。「今いいこと言ってくれたね。みんなにもう一度聞かせてくれる。みんな○○さんの考えを聞こう」と全体向けて発言させるのです。もし、個人的なことであればその場で答える必要はありません。にっこり笑ってうなずくだけでよいのです。聞いていることを伝えておいて、必要であればあとで個人的に話をすればいいのです。

作業の準備態勢ができてから教師が話す場面も気になります。印刷物を配れば、読みたくなります。そこに課題が書いてあれば取り組もうとします。そこで、教師が説明をしても集中させるのは難しいものがあります。説明するのに印刷物を見せる必要があるのなら、実物投影機などを使います。先に説明をすることで、印刷物が配られたらすぐに作業に入れるようにするのです。同様のことが、グループ活動にも言えます。グループの形にしてから説明を始めるのではなく、指示をしてからグループの形にするのです。グループになって上がった子どもたちのやる気、集中力を削がないためです。

ICTの活用で、机の上に置いたパソコンを操作しながらしゃべっている場面が気になりました。手元のパソコンを見ているために、子どもを見ることができないのです。せめて、ワイヤレスマウスを準備すれば、子どもを見る機会がずいぶん増えます。こういった工夫を大切にしてほしいと思います。

理科の天体の動きとその見え方の時間で、太陽や地球役にした子どもを動かして考えさせる場面がありました。しかし、天体役に指示を出したり、他の子どもたちを見やすい位置に移動させたりで、何を見ればいいのか、何をしようとしているのか、再度子どもに確認することがありませんでした。子どもたちは、天体役を楽しそうに見ていますが、その目的をあまり意識はできていませんでした。

国語の授業で登場人物の気持ちを読み取る場面でした。なぜその人物の気持ちを読み取ることが課題なのかがわかりません。物語を読むとはどういうことなのかを明確にして、課題に必然性を持たせたいところです。授業者は、読み取るための方法を意識していました。わからない子どもに、わかるための手段を提供することは大切です。気持ちは何でわかるかを問いかけ、「表情でわかる」を引き出しました。こういう姿勢はよいのですが、いつも表情で表現されているとは限りません。今までの経験をもとに、「思ったといった言葉で直接表現される」「表情や様子といった人物の外見で表現される」「人物の取った行動で表現される」「まわりの情景描写で表現される」というように、きちんと整理をしておくことが大切です。

いろいろと気になることはたくさんあるのですが、それは確実によい変化があらわれている証拠でもあります。できることが増えれば、できないことがよりはっきりと浮かび上がるからです。課題が明確になるのです。変化に個人差がありますが、学校全体としてよい方向に変わりつつあるのです。授業研究がよいきっかけとなって、変化を促しています。今回の授業研究もその期待を裏切らないものでした。

授業研究については明日の日記で。

新たな一歩を踏み出そうとした数学の授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。授業者は他府県で2年間勤めた後、愛知県に来られて3年目の先生です。2年ぶりに授業を見せていただきました。3年生の数学で、幾何ツールを使った重心の授業でした。

授業者は、今回の課題で初めて幾何ツールを活用した授業に挑戦しました。指導案を見る限り、コンピュータを活用した授業にまだ慣れていないと感じました。そのことを事前に校長にお伝えしたところ、「普通の授業ならもう安心して任せられる。だから今回は、あえて挑戦させたかった」ということでした。

授業の第一印象は先生も子どもも笑顔が多いということでした。指示もきちんと通ります。子ども同士の関係も良好で、友だちと相談する姿がよく見られます。授業規律も人間関係もしっかりとできています。日ごろから、基本的なことがしっかりできていることがよくわかります。この日の授業は、教科面に集中してアドバイスすることにしました。

最初に紙で作った三角形のある点P(重心)にコンパスの針を刺して回転させます。クルクルと回ります。この点がどんな点かがこの日の課題です。「どんな点」という言葉は明確ではありません。この言葉を使うのなら、より明確な言葉に変えていく活動が必要です。しかし、考えるための材料が全くありません。「どのような性質があるのか」「どうやれば見つけることができるのか」といったところに視点をもっていきたいのですが、全く手がかりがありません。子どもの中から「実はどこでも回る」というつぶやきが出てきました。とてもよいつぶやきです。本来なら、他の点ではうまくいかないことを確かめて、クルクル回る点の秘密を知ろうと進めたいところです。しかし、この「クルクル回る」を追究しても、数学としてはうまく扱えません。「クルクル回る」という物理的な性質を条件として重心を導き出そうというのは、中学生ではまず無理だからです。この導入は数学的につなげることはとても難しいのです。

考えやすいようにと、二等辺三角形でまず考えます。なぜ二等辺三角形だと考えやすいのでしょうか?そのことには全く触れられません。点Pについて一切の情報がないのですから、おかしな話です。「一般ではよくわからない時には特殊な場合を考えて見通しを持つ」というメタな考え方を過去の授業で経験しているのでしょうか。もし、そうならその場面を思い出させることが必要です。そういった経験がないのなら、そのことに気づかせる活動が必要です。二等辺三角形にこだわらず、幾何ツールで「自由に変形させて、手が出ない」「意図的に動かしたら何かに気づいた」といった経験をすることが必要なのです。

「頂点を底面と平行に動かすと、点Pも平行に動く」「点Pを底辺と垂直に動かすと点Pも垂直に動く」「頂点を底辺の中点から底辺と垂直に動かすと点Pもその垂線上にある」「点Pをまっすぐ(直線上を)動かすと、点Pもまっすぐ(直線と平行な直線上を)動く」といった気づきを子どもから引き出し、そのように動かした理由を聞いて、そのことを価値づけするのです。結論だけに注目しては、数学的なものの見方・考え方は身につきません。
点Pと頂点を結びたい。3つの頂点と結びたい。長さを測りたい。子どもからいろんな欲求が出てきます。そこで、考えを広げ、思考を深めるのです。頂点と点Pを結ぶと必ず底辺の中点を通ることに気づきます。点Pが中線を一定の比(2:1)に分けることに気づきます。3つの頂点と点Pを結んだ子どもは、すべて中線になっていることに気づくかもしれません。数学の授業としては、ここからです。やっと課題が見つかったのです。3つの中線が1点で交わること。どちらかから、他の性質が成り立つこと。こういったことを課題として数学的な探求をするのです。

授業者は二等辺三角形で頂点と点Pを結び、底辺との交点をDとした二等辺三角形を電子黒板に提示します。これも天下りです。また、点を結ぶことと延長することは、別の発想です。その必然性を考える必要があります。続いて、線分ADがどんな線分か考えさせます。考えるといっても、根拠がありません。見た目での想像でしかありません。しかし「考えて」と言います。数学としては違和感のある言葉です。子どもにたちに実際に幾何ツールを使って「調べさせたい」ところです。
子どもからは、「垂直二等分線」「中点と頂点を結んだ線」「二等分線」「線対称の線」といった言葉が出ます。授業者はそのまま進んだり、自分で「∠BACの」二等分線と足したりします。物わかりのよすぎる先生です。「二等辺三角形」の線対称の「軸」とは修正しませんでした。授業者は数学的な言葉に非常に鈍感です。主語がよく抜けます。数学ではありえないことです。「二等分線」と子どもが言ったら、「何の?」「どこの?」と問い返すことが必要です。教師が意識していないので、子どもも用語をきちんと使えません。1年生からしっかりと育てることが大切です。
子どもから言葉を引き出してから、幾何ツールで確かめました。全体で進めるのなら、「考えて」の前に、「どこを調べたい」「何を測りたい」と子どもに問いかけてから測るべきでしょう。「○○が言えそうだね」「予想がつくね」と「予想」であることを強調し、「予想」は確かめなければいけないと、次の活動につなげるのです。

「ADがどんな線か考えよう」と個別のパソコンで、どれが成り立つかを確認させようとします。課題が「点Pがどういう点か」から「ADはどんな線か」に変わっています。子どもたちは、その関連が今ひとつわかっていないようです。初めてのソフトの利用で戸惑う子どももいますが、まわりの子どもが助けています。戦略的に動かす子どももいますが、思いつきで動かしている子どもが目立ちます。本来はグループで探求させたいのですが、パソコンの配置が横にずらりと並んでいるのでグループ活動がやりにくいのです。環境面のハンディがあったことが残念です。
全体で何が言えそうで、何がダメかを確認します。指名した子どもに、ダメなことがわかるように頂点を動かすように指示します。感覚的にダメで終わりますが。1つでいいので測定して、否定すべきでしょう。「いつも」「絶対」成り立つは、1つでも反例をあげればいいことを押さえたいところです。

画面を見て、気づくことがないかと子どもたちに問います。点Pが中点を2:1に分けることを言わせたいのですが、ただ画面を見て気づくのなら、幾何ツールはいりません。黒板に図を貼っても同じです。子どもたちにどのような活動をさせて、どんな力をつけたいのかが、明確になっていません。
3つの頂点と点Pを結んだ図を指示に従って動かし、気づくことをワークシートに書かせます。このことにも違和感があります。自由に動かせるから幾何ツールです。自由に動かすことで発見があるのです。
全体で、気づいたことを発表させます。「頂点と点Pを結んだ線がすべて中線になっている」「点Pは中線を2:1に分けている」といったことが出てきます。これらの性質の因果関係は明確ではありません。条件や定義が明確ではないからです。「どうやったら作れる?」といった発問で、条件や定義を意識することができますが、もう時間がありません。
1人だけ中線で分けられた6つの三角形の面積が等しいと言った子どもがいました。どうやって気づいたのかは問いません。3つの線分が中線になっていることから気づいたのかもしれません。なんとなくかもしれません。そのことを確認せずに、幾何ツールで面積を測りました。
結局最後まで、根拠が語られることのない授業でした。ここまでを15分以内で終わり、出てきた課題を追究することに時間を使うべきでしょう。気づいたことから課題をつくり、それを追究することが数学では大切なのです。

厳しいことをたくさん書きましたが、授業者は数学の教師として大きな一歩を踏み出そうとしています。最初からうまくいくわけはありません。挑戦し続けることで初めてできるようになるのです。授業の基本は、本当によくできていました。2年前に指摘されたことを愚直にやり続けてきたことがよくわかります。そのことを本当にうれしく思いました。

授業アドバイスの後、何人かの若手の授業を見せていただきました。
挙手した子どもだけで進む授業が目につきました。一見すると子どもをよくほめているように見えますが、「いいですね」「素晴らしい」と抽象的にほめているだけなので、子どもにとってリアリティがなくなっている方もいました。子どもの方を向いているのですが、視線が子どもに落ちない方もいます。子どもが作業している時に、作業を止めずにしゃべる方も目立ちます。
机間指導をしても、本当に支援が必要な子どものところにいかず、自分から教師に声をかける子どもとばかり話している先生もいました。上手くかかわれる子どもとだけ関係をつくっています。こういう先生の学級は崩れやすい傾向があります。要注意です。

先ほどの数学の授業者のように、基本がしっかりとできている先生もいる反面、基本がまだ徹底できていない方もいます。このギャップを学校としてどう埋めていくかが大きな課題でしょう。互いに授業を見せあって学ぶような機会をもっとつくる必要あるのかもしれません。

小学校で授業研究(長文)

小学校の現職教育に参加しました。今年度2回目の訪問です。

授業研究に先立って全学級の様子を参観しました。全体的に感じるのが、授業規律がまだ確立できていないことです。作業が終わった時には鉛筆を置いて姿勢を正すように指示します。しかし、全員が姿勢を正さないままに教師は話し始めてしまいます。友だちの話を聞く姿勢もできていません。発表を聞く子どもたちの視線はなかなか安定しません。また、せっかく子どもが友だちの話を聞こうとしていても、教師が板書することで、子どもの視線を奪ってしまいます。一方、教師の視線も子どもたちの上を流れていきます。子どもたちに視線を送ることができません(視線を送る参照)。机間指導も、漫然と歩いているだけで何を指導するのか明確に感じられません。まわりを見ながら歩くだけなので、全体を見ることはできません。教師の死角で起こっていることに気づくことができないのです。
子どもたちの作業中に追加の指示や説明が目立ちます。なかなかきちんと止めることができません。教師が子どもたちの集中を乱すのです。
子どもの発言や活動に対する評価も、あまりありません。「いいです」以外の評価を聞くことはほとんどありませんでした。
挙手した子どもだけを指名して授業が進むので、わかる子、発言できる子どもしか参加できません。子どもたちは、教師がまとめてくれることを知っているので、それを写せば困りません。友だちの発言を聞くことの必然性がないのです。同じ考えの子どもを発言させる。それを聞いて納得したかどうかを確認し、その根拠を聞く。納得しなかった子どもに、納得したか再度聞く。納得できない子どもに、どこが納得できないのかをたずねる。このような活動が必要です。また、まとめは、常に教師がするのではなく、子どもにまとめさせ、板書が必要であれば子どもの言葉をそのまま使う。こういった工夫が必要です。
子どもはまじめに作業に取り組みます。板書も写します。しかし、先生の話は聞きません。子どもの作業をする姿と、教師が一方的にしゃべる姿を見ることがほとんどでした。
基本的な授業技術が身についていないように感じます。必要性を感じていないのかもしれません。学校全体で取り組むべき基本を具体的にして共有することが大切です。
その点でキーとなるのは教務主任です。授業参観に同行した教務主任は、私の指摘に納得して同意はするのですが、「今日はたまたま」という言葉を何度も使いました。しかし、では普段は具体的にどうなのかは一度も語られませんでした。残念ながらこの言葉を聞く限り、教務主任主導での改善はあまり期待できません。なぜなら日ごろから授業を見ていて「たまたま」と言うのなら、具体的にそうではない場面を伝えることができるはずです。「たまたま」という言葉の裏には、本当は「できていることもある」「できているはず」が隠れています。これは事実を認めたくない、言い訳の気持ちです。自分の意志で、改善のための具体的な行動を起こすとは思えないのです。
とはいえ、以前に訪問した時と比べて表情のかたい先生が減ったように感じます。子どもを受容しようとする意識がでてきたようです。管理職やリーダーに求められるのは、その次のステップを具体化することです。
また、算数では手順を教えて確認するだけの授業が目立ちました。子どもが思考する場面がないのです。これでは算数は解き方を覚える教科になってしまいます。教科の学習の基本は何かもしっかり共有してほしいところです。
もう一つ気になったのが、実物投影機を使わないことです。この学校はフューチャースクールでICT環境は整っています。タブレットを使わないまでも、実物投影機を使った方がよさそうな場面がたくさんありました。しかし、ほとんどの教師が使わないのです。

授業研究は2年目の先生の国語の授業でした。5年生の「大造じいさんとガン」の話のあらすじをつかむ場面でした。
授業者は少々緊張気味でしたが、笑顔を絶やさないように意識していました。子どもを受容しようという意識を感じます。前回通読した感想をたずねます。「長い」「感動した」といった言葉が出てきましたが、授業者は「感動した」だけを拾いました。こういうことが続くと、子どもは授業者が求めることを言おうとするようになります。無視されたということはその言葉は不正解です。子どもは挙手をして発言することを避けるようになります。不正解で恥をかくリスクがあるからです。それでも発言したければ、挙手せずにつぶやきます。この場面では、「長い」もきちんと拾うべきだったのです。「長い」はあらすじにつなぐことができる言葉です。長いからこそ、あらすじを追って整理する意味があるのです。
前時の復習の場面で、挙手しない子どもが多いことが気になります。中にはノートを開く子どもがいるのですが、そのことを取り上げません。挙手した子どもだけで進みます。ノートを開いている子どもを評価し、挙手していないのにノートを開かない子どもに参加を促すことが大切です。
この日の授業のめあては「大造じいさんとガンの話のあらすじをつかもう」です。
板書を写すのに「素早く、ていねいに」と指示します。評価の視点が具体的になっています。しかし、実際にどうだったかは評価しません。「○○さん、早いね」「△△さん、ていねいに書けたね」と評価しなければ定着しません。
机間指導しながら、「書けた人は自分の好きな場面を読んでください」と追加の指示をします。作業を止めずに指示しても通りません。「まだ、書いている人」と時間が来ても延長してしまいました。手を挙げたのは2人だけです。しかし、教科者を読んでいるのはほんの数人です。指示されたことにあまり意味があると思えないこともあり、ほとんどの子どもが無視したのです。この間、子どもの集中力は下がり、ざわつきます。最初の「素早く」という指示が全く意味を成しません。
気持ちの変化をとらえるために、2つの段落で、それぞれ大造じいさんの気持ちに線を引かせます。ここで、ただ気持ちに線を引いて、それを発表するだけでは意味がありません。どのようにして見つけたか、何に注目するのかといったメタを意識する必要があります。小学校の低学年では、「思った」「考えた」と直接的表現から見つけます。学年が上がると、「表情」「行動」といったもので表現されるようになります。高学年になると、「情景描写」で表現されるようになります。天気、色、音といったものが何度も出てくると、その変化が読み解くカギになります。そういうことを意識して読むことが必要になります。過去にどんなことに注目したか復習してから始める。発表をただ板書するのではなく、「どのような言葉」「どのような表現」に注目したかを明確にして整理する。そういう場面が必要になります。しかし、授業者は、そのどちらもせずに、ただ発表させるだけです。そして、大造じいさんの残雪に対する気持ちに点数をつけるように求めます。子どもたちは反応できません。当然です。基準がないからです。基準がないからわからないと話している子どももいます。なかなか答えてくれませんが、1人が点数を言うと、今度はテンションが上がります。一つの例が基準となると言いやすくなります。しかも、根拠は必要ありません。無責任に考えられるので、テンションが上がりだすのです。
続いて次の場面に移ります。せめて、今発表した気持ちがどう変わるか、対比することを意識して線を引かせたいところです。例えば「たかが鳥」という言葉に対する表現はあるかと問うのです。こういう視点を意識して文を読む訓練が必要なのです。
授業者は、点数をつけることで、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化をわかりやすく意識させたいと思ったのでしょう。再び点数をつけて、点数が上がったことを根拠に気持ちが変わったことを説明しはじめました。感覚的に点数をつけて、それを根拠に説明しても読解力はつきません。素直に本文の表現を対比することで明確にすることができたはずです。国語として大切な活動は何かを考える必要があります。
続いて、大造じいさんがガンを捕まえようとした3つの方法に名前をつけるように指示します。この活動の意味がわかりません。名前をつけることよりも、大造じいさんの気持ちの変化とこの3回の挑戦の関係の方が大切です。そのことをしっかりと押さえる必要があります。必然性が必要なのです。また、授業者は3つの方法と言っただけで、具体的に確認しませんでした。これも要注意です。3つを全員が納得してから取りかかる必要があるのです。
子どもたちを3つにグループに分けて、それぞれにとらえ方を割り振り、名前をつけさせます。各自に渡した短冊に書かせて、黒板に並べて貼ります。
ここで、子どもたちにあらすじを書くように指示します。「えーっ」という声が上がります。当然でしょう。一つひとつ指示に従って作業しただけで、あらすじについては何も考えていません。そもそもあらすじとは何かということがきちんと定義されていません。「大造じいさんとガンは・・・お話しです」と文頭と文末を指定し、大造じいさんの残雪に対する初めの気持ちと終わりの気持ち、3つの方法を入れることを条件にします。なぜ、あらすじにこのことが必要なのでしょうか。これがわからなければこの活動に意味はありません。
国語の授業としては???が並ぶものでした。

授業検討はグループを活用した「3+1」で行いました。この授業をつくるにあたって、指導案の検討を全体で行い、模擬授業も事前に行ったそうです。参加者も、自分たちの授業として見ていたように思います。そのためか、模擬授業時点ではなかった、気持ちに点数をつけるがかなり話題になったようです。
今回、この市内の大学の学生も20人ほど参加しました。教員志望の学生に少しでも現場で学ばせたいという試みです。そのため、1グループの人数が多く、全員が意見を言うだけで、じっくり話し合って考えを深める時間を取ることができませんでした。気づいたことをあらかじめ付箋紙にまとめ、全員で模造紙にグルーピングするといった方法をとる必要があったように思います。
皆さんからでてきた意見は、どれもなるほどと思うものでした。私からは、皆さんから出てこなかった視点から、2点お話をさせていただきました。1つは授業の進め方にについて、全員参加を意識してほしいこと、もう1つは国語の授業として、教材を超えて共通な見方・考え方、メタな視点を意識してほしいことです。

今回の授業研究では、授業の準備段階から皆さんが前向きにかかわってくれていました。とてもよいことです。今後意識してほしいことは、授業改善の方向性です。中途半端にいろいろと手を出すのではなく、ポイントを絞って取り組む必要があります。本当に基本的なことでいいのです。まずは、全員が同じように取り組むことで、次のステップが見えてくるのです。授業改善のスモールステップを意識してほしいと思います。

「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込みがいよいよ開始されました。愛される学校づくり研究会の会員が前回に引き続き「校務の情報化」のポイントを劇で伝える午前の部と、「楽しく授業研究」するための方法について、会員の模擬授業をもとに考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、昨年以上にシャープに校務の情報化のノウハウ、活用のポイントをお伝えしよう、更なるバージョンアップに取り組んでいます。

午後の部は、私たち会員の選りすぐりの授業者による、国語、社会、理科のミニ提案模擬授業を3つの授業検討法を活用して、授業研究を行います。提案授業を見るだけでも損はさせませんが、私たちの提案する授業検討法で授業研究を行うことでより深く授業から学ぶことができることを実感してもらえると思っています。

・授業研究は活性化するために何が大切なのか
・どんな提案授業でも、どんな司会者でも、参加者が「よかった」「勉強になった」「楽しかった」と言える授業研究は可能なのか
・ICTは授業研究に活かすことができるのか

このようなことを参加者の皆さんと一緒に考えながら、楽しく授業研究をするポイントは何かをお伝えします。事前に、私が連載している教育コラム「楽しく授業研究をしよう」をお読みいただければ、当日はより楽しめることと思います。

なお、昨年度は申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。

日 時  平成26年2月9日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  ホテルグランヴィア京都(5F「古今の間」)
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2014」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

「楽しく授業研究をしよう」第8回、第9回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第8回授業研究にとって大切なこと、第9回授業研究の何を解決するのかが公開されました。

ぜひご一読ください。

とても楽しめたパネルディスカッション

先週末は、研究発表会でパネルディスカッションのコーディネータを務めました。
中学校が中心となり、中学校区の小学校3校と共に協同的な学習に取り組んだ成果の発表会です。研究の概要の説明の後、小学校1校と中学校の授業公開です。私は研究主任と一緒に中学校を回りました。何度も訪問していますが、よい授業、よい場面が見られるようになりました。しかし、それが特定の授業や場面という点でしかなく、線や面にはまだなっていないのが現状です。この発表会に参加された方は子どもたちの姿をどのように見られたでしょうか。パネルディスカッションはそこから始めることにしました。

授業公開の後は、いよいよパネルディスカッションです。パネラーはこの研究を中心になって進めてきた中学校の研究主任と若手3人、各小学校から若手2人の10人です。1時間という限られた時間で、10人の方に十分活躍してもらえるのかちょっと不安もありました。また、中学校の4人はよく知っていますが、小学校の6人はほとんど初対面です。今回の研究にどのような思いを持っているのかもわかりません。しかし、だからこそ私も会場の皆さんと同じく、予測のできない状況を楽しみながら進めたいと思いました。

今回のパネルディスカッションは、単に協同的な学習にどのように取り組んだか、どんな成果があったのかを明らかにするのではなく、「学校」「授業」「子どもたち」がよい方向に変わっていくために必要なことは何かを考え、参加した方々の日々の実践の参考にしてもらうことが目的です。
まず、先生方の自己紹介の前に、授業公開で目にした子どもの姿はよいと思ったかどうかを参加者に挙手で聞きました。「よい」が2/3、「?」が1/3です。この結果も踏まえて、自己紹介とともに子どもたちの姿がどのようになったかをパネラーに語ってもらいました。
小学校の先生方からは、「子どもの発言がつながらない」「まだ、友だちの発言でも先生の方を見ている」といったよくないことも出てきますが、「子どもたちの発言が多様になった」「自分が発言したいばかりの子どもたちだったが、聞き合う姿が見られるようになった」「友だちの方を見て考えるようになった(友だちと一緒に考えようという姿勢)」「わからない子が友だちに聞けるようになった」とよい姿に変わっていることが話されます。
中学校の先生は、「子どもたちが男女関係なくかかわれるようになった」「話を聞く姿勢を見せてくれるようになった」とよい姿も見られるようになったが、まだ点でしかできていないと言われます。できていないこと、課題もありますが、取り組んで1年半で小中学校ともかなりの手ごたえを感じているように思いました。

そこで、皆さん素直に協同的な学習に取り組んだのかどうか、この協同的な学習との出会いの印象を話してもらいました。中学校のある先生は、先進的な学校を視察して、「この学校だからできる、うちの学校では無理だ」と思ったそうです。しかし、「とにかくやっていくうちに手ごたえを感じ出した、いかに自分が子どもを見ていなかったに気づいた」と語ってくれました。また、研究主任は自らの数学の授業を公開し、目指す姿を共有しようとしています。が、同じようにグループにしたらテンションが上がってしまい、「数学だからできた。自分の教科では無理」と思ったという方もいました。
その一方で、「できたらすごい、やってみよう」と素直に受け止めた方もたくさんいます。若いということは、まだこだわるようなスタイルも確立していません。だから、意外とこだわりもなかったということです。
しかし、どなたも子どもの姿に手ごたえを感じることができるまでには、ずいぶん苦労があったようです。「何をやっていいかわからなかった」「よくわからないまま始めたが、指導書の通りに進めることができないので、とにかく自分で考えた」「子どもから言葉がでてこない」「うまくいかないのは子どものせいと思った」「やっぱり無理だと思って元のスタイルに戻したが、とたんに子どもたちが授業中に集中力を失くして倒れる姿が目立ちだした」といった言葉が出てきます。
では、どのようにして、乗り越えてきたのでしょうか。多く出てきたのが、「先輩が教えてくれた」「同僚と学びあった」という言葉です。授業を見に行って学んだということも言われます。その中で、中学校の研究主任が出している研究通信がヒントになったということが出てきました。A4用紙に実践の報告やポイント、研究への想いなどがびっしりと書かれたものを毎週のように出していたのです。なるほど、これがキーかと思い、会場の2階席にいる4校の先生方に、毎週楽しみに読んでいるかを挙手してもらいました。その結果は、半数以上が「そうでもない」という予想に反したものでした。先ほど、ヒントになったと答えた先生も、「そうでもない」というのです。確かに役に立つのだが、情報量が多いため「気軽に読む」とはいかないようです。プレッシャーにもなるようです。通信の意義や内容が否定されたわけではありませんが、情報を伝える難しさを感じました。

このように、苦労をしながらここまで来たのですが、どなたもまだまだ満足できる状態ではありません。若手はまだしも、ベテランの中には正直「しんどい」と感じられる方も多いのではないでしょうか。研究もこの日で一段落です。今後もよりよい協同的な学習を目指して頑張り続けることができるのでしょうか。そこで、「この後も、協同的な学習を続けようと思うのかどうか」、4校の先生方に挙手してもらいました。実は半数ほど手が挙がればよいかと思っていたのですが、ほぼ全員が続けようと思うと手を挙げてくれました。空気を読んで手を挙げた方もいるとは思いますが、それでも、皆さんがこの取り組みに何らかの手ごたえを感じているのだと思います。

パネラーへの最後の質問は、協同的な学習を進めるための「原動力」「何を大切にすればいいのか」です。多かったのが、互いに教え合う、学び合うといった「同僚性」です。今回の研究を進めるにあたって、同僚から学んだことが多かったということです。研究主任の、「自分がいない時でも、先生方が互いに授業を撮影し、ビデオを元に学び合う姿が見られるようになった」という言葉からもそのことがうかがえます。
その次に多かったのが、「教えるプロとしてのプライド」「向上心」といった教師としての資質です。これにも、なるほどと思わされました。先生方の気概が伝わってきます。

最後に、「このパネルディスカッションでの話の中に、学校に持ち帰ってやってみようと思ったこと、参考になったことがあったか」会場に問いかけました。2人を除いて全員手が挙がりました。ほとんどが挙手する時は、要注意です。手が挙がらない人を大切にするのは授業の基本です。そこで、お2人にマイクを向けてもらいました。1人の方は、「学校に戻ってみんなを動かす自信がない」ということでした。どういうことかもう少し聞きたかったのですが、すぐに自分の席に戻られ、機会を逸しました。もう1人の方は予想通りの落ちでした。「退職者なので、持ち帰る学校がない」という訳です。が、その方はそれに続けて感想を述べ始めました。自分の過去の経験と合わせて若い先生方の姿を大いにほめてくださいました。予想外の展開で時間がオーバーしてしまったので、その先生の言葉をまとめとして、パネルディスカッションを終了しました。

パネラーの先生方の飾らない言葉に、会場の先生方もとてもよい反応をしていただけました。特にうけていたのが来賓席の教育長の方々でした。これからの若い先生の言葉が新鮮で、ほほえましいと感じたのかもしれません。一番厳しく突っ込まれた研究主任も楽しかったと言ってくれました。しかし、一番楽しめたのは、コーディネータの私かもしれません。素晴らしいパネラーと参加者、そして研究を支えてきた会場の先生方のおかげで、思うままに進行することができました。
研究主任は校長に、「あと2年は続けましょう」と力強く語っていました。2年とは校長が退職するまでの期間です。そうなることを楽しみにしています。

教科の内容に踏み込めた授業研究

昨日の日記の続きです。

授業研究は、4年生の算数、小数×整数の計算でした。授業者はこの学校で2年目の初任者です。
子どもたちはとても落ち着いています。授業規律もしっかり確立しています。教師の問いかけにうなずくなど、とてもよく反応してくれました。
まず、2リットルのペットボトル4本で何リットルになるかを立式します。テープ図を使いながら2×4を確認します。続いて0.2リットルのパックが4つで何リットルになるかの立式です。0.2×4をテープ図で確認しました。ここで注意をしたいのが、テープ図で押さえるべきことです。「2リットルが、4つ分」「0.2リットルが、4つ分」と指で示しながら何のいくつ分かを確認し、かけ算の式になることを全員が理解することが大切です。
ここで、「小数×整数の計算の仕方を考える」とめあてを示します。その前に「2×4」と「0.2×4」を比較しておくとよかったでしょう。「どこが違う?」と確認し、2と0.2を比較させて、「整数」「小数」という言葉を子どもから出させます。「2×4は計算できるね。じゃあ、0.2×4はどうかな?」とめあてに結びつけるのです。

子どもたちに「0.2×4の計算の仕方」を考えさせます。かなりの数の子どもが、「0.2の“0.”をとって2×4=8。“0.”をつけて0.8」と考えています。いつも不思議に思うのですが、子どもたちは自然にこういう考えに行き着くのでしょうか。0.8を先験的に見つけて、後から納得できる手順を考えているのでしょうか。それとも誰かがこのような考え方を教えたのでしょうか。ともあれ、この考えでも正解が出てくるので、いかにして覆すかがポイントです。
“0.”を取るという考えの子どもを発表させるのですが、「“0.”をとって2」という言葉を受けて、0.1が2個と教師が誘導します。線分図を使って確認しながら、「0.1が8個で0.8」と説明しました。同じように考えた子どもは、自分の考え方が否定されたとは感じません。ここは、「“0.”をとった“2”は何が2個なの?」というように、子どもから「0.1のいくつ分」を引き出すようにする必要があります。「じゃあ8は、何が8個?」と問いかけて、0.8を確認します。次の0.3×4を計算する前に、「0.5は何が5個?」「0.6は?」と子どもたちに次々確認し、じゃあ「0.3は?」と何人も指名しておくとよかったところです。

先ほどの押さえが甘かったため、授業者のすぐ前の子どもが「0.3×4=0.12」としていました。0.3×4=1.2を指名して答えさせた後、「ほかの答になった人いる」と問いかけます。先ほどの子どもは顔に緊張が走ります。葛藤しているようでしたが、手を挙げることはできませんでした。後から確認したところ、授業者はちゃんと気づいていたそうです。無理に指名して追いつめることはしなかったのです。この子どもは後から授業者に、本当は違う答だったと伝えたそうです。授業者と子どもとの関係のよさがわかる話です。

1.2の説明を子どもにさせます。授業者は「0.1が10で1。0.2を足して1.2」という説明に対して、「正しく言ってくれた」と評価します。ここは、子どもたちに確認したいところです。また、「0.1が12」という言葉も足す必要があったように思います。
続いて、「〔0.3〕は0.1が〔3個〕だから、〔0.3×4〕は0.1が〔3×4〕で〔1.2〕になる」という話型を示します。話型を否定するわけではありませんが、意味をわかった上での伝え方にすぎません。話型を覚えるのではなく、まず、自分の言葉で言うことが大切です。できるだけたくさんの子どもに指名して、説明させることが必要です。何人も言わせることで、子どもたちの言葉が洗練されていきます。「0.3は0.1が3個で、それの4つ分だから、3×4で12になって、0.1が12個あるから、1.2」といった言葉を引き出すのです。足りない言葉は、「・・・、3×4を計算して1.2」「3×4はいくつ?」「12」「12は何が12?」「0.1が12」「0.1が12で?」「1.2」「じゃあ、もう一度言ってくれる」というように教師が問いかけて引き出すのです。話型が登場するのはその後です。

0.5×4の計算の仕方をペアで説明させます。聞く側の役割が明確でないため、ちゃんと向き合って説明できないペアが目立ちます。どうしても言いっぱなしになります。また、自信を持てていないのでしょうか、声もあまりはっきりしません。「よくわからなかったら聞き直す」「よかったらOKサインを出す」というような役割を与えたいところです。
先ほど0.12と間違えた子どもも今度はちゃんと計算できていたようです。

今度は0.03×4の計算の仕方を考えます。ここでよくも悪くも先ほどの話型で0.1を固定していたことが効いてきます。話型に頼って考えると困ってしまいます。授業者は、困らせることで、「0.01」を意識させたかったのでしょうか、子どもたちが何人も首をかしげます。よく反応してくれます。「0.1ではダメ」という言葉を子どもから引き出しました。そこで、先ほどの話型の0.1の上に0.01の紙を貼って計算の仕方を考えさせます。しかし、ここで子どもたちを困らせる必要があったのでしょうか。話型で言えば、本来空欄になるべきは0.1だったはずです。「0.3は何が3?」をしっかり押さえておけば、ここでは、「0.03は何が3?」と聞き返せばよかっただけです。
先ほど、0.12と間違えた子どもは、しばらくじっと考えていました。おそらく、0.1で考えればいいと納得していたことが、覆ったので混乱したのでしょう。しかし、しばらくして突然手が動き出しました。0.01の意味がわかったようです。この後の全体追求の場でも、積極的に挙手して発言してくれました。
ペアで0.03×4の説明をしましたが、今度は先ほどのペア活動の時よりも、声がよく出ていました。2回目ということもあるのでしょうが、「0.5」「0.03」と値を変えて繰り返したことで、納得できたのだと思います。ただ、相手の方を見ずに、黒板の話型を頼っている子どもも目に付きました。これをどう評価するかです。「困ったら、黒板を見ていい」としてもよいのですが、「困ったらペアの人、助けてあげて」という方法もあります。

最後の振り返りの発表で、授業者は「簡単な九九で解けた」という発言を「0.1がいくつかで考えたら、整数の計算になった」と言い換えてしまいました。時間がなかったことはわかりますが、子どもの言葉を勝手に言い換えてはいけません。「簡単な九九ってどういうこと」「どうやったら簡単な九九になるの」「簡単ってどういうこと」というような言葉を返して、子どもから引き出すようにしたいところでした。

授業検討会は、グループを活用した「3+1」授業検討法で行いました。この検討法で行うのも3回目です。先生方に浸透してきたようです。付箋紙のメモをもとにどの先生も積極的に参加します。授業検討を前向きなものにとらえてくれていることがよくわかります。学級の雰囲気、授業規律のよさ、授業者の表情など、授業の基本となることの視点は学校でしっかりと共有されていることがよくわかります。評価がぶれません。どのグループも授業者のよいとろころをたくさん見つけくれました。算数に関する課題や議論に多くの時間が割かれます。最初にテープ図、続いて線分図を教科書が利用しているが、どう活かすのかといった疑問や話型についての話題がでてきました。テープ図は量を意識して立式をするために、線分図はより抽象化して、0.2×4という数の計算として考えることを意識していることを説明しました。線分図はやがて数直線へとより抽象化されていきます。話型とも関連して、数字が表すのはどのような数か、何がいくつなのかを共通して問うようにしてほしいことを伝えました。「30の3は何が3なの?」「0.2の2は何が2なの」「2/3の2は何が2?」と言ったことを常に問うのです。

授業者には、ここでは基本となる量のいくつ分かに注目させることがポイントなので、最初に小数の復習をしておけばよかったことを伝えました。小数を線分図(数直線)で表わす復習を、「0.2」「0.3」「0.03」といったこの時間で使ういくつかの数で行う。「0.2は何が2?」「0.12は?」といったことを問う。「0.2+0.3はどうやって計算した?」と小数の足し算の計算の仕方を確認する。すべてをやる必要も多くの時間を割く必要もありませんが、最初にこのようなことを復習しておけば、より自然に計算の仕方に気づくことができたはずです。

この学校での授業研究は、教科のことを中心にして話ができるようになってきました。学校として子どもとのかかわり方といった基本が共有され、実践され、安定してきたからです。次回の訪問も今からとても楽しみです。

若手の成長とベテランの変化を感じる

小学校で、授業アドバイスと授業研究の助言をおこなってきました。昨年からおじゃましている学校です。学校全体によい授業規律が確立してきています。子どもたちが集中して学習に取り組んでいます。1年余りで学校がずいぶんよい方向に変わってきたように思います。先生方が素直に授業の改善に取り組んでいることと、教務主任が中心となって若手の授業に対するアドバイスやサポートがしっかりとされていることがその原動力でしょう。教務主任からは、日ごろの学級経営や授業の様子といった、授業アドバイスの対象の先生の情報を的確に提供していただけます。日ごろから先生方の授業を見ていることがよくわかります。

5年生担当の講師の先生の授業は、算数の平均の導入でした。グレープフルーツジュースをつくるために、何個グレープフルーツを買えばよいかという課題を子どもたちに与えます。子どもたちはその課題の意味するところをなかなか理解できません。授業者はどうしても自分が求める言葉を出させようと誘導する傾向があります。「今、・・・と言ってくれたけど、どういうことかわかる」「○○さんが言ってくれたこと、誰か説明してくれる?」と子どもの言葉を他の子どもにつなげていくことで、次第に考えが深まり、焦点化していきます。このことを意識してほしいと思います。
グレープフルーツを絞った量を色紙で表現したものを黒板に貼ります。その瞬間子どもたちの集中度が上がります。視覚に訴えることは効果的です。ここで、「ならす」という概念を教えます。きちんと用語を教えたのはとてもよいと思います。ただ、「ならす」を黒板で先生が操作して見せるのではなく、できるだけ子ども自身に操作活動をさせたいところです。「凸凹をなくす」「差を減らす」といった子どもの言葉で表現させた後、定義するのです。
途中で「おもしろタイム」という、時間を設けました。子どもたちの興味を引きそうな、お饅頭を題材にした課題です。子どもたちのテンションが上がります。ひとしきり盛り上がったのですが、本題に戻った時に子どもたちの集中力が下がりました。テンションを上げるとその反動が来ます。難しいところです。
授業者は、講師経験の長いベテランです。見せ方や伝え方の技術もたくさん持っているように思います。少し視点を変えて、子どもたちの言葉受け止めて、どうつなぐかといった、子どもたちの言葉を引き出し、活かすための技術を意識していただければ、大きく飛躍すると思いました。

4年生の理科の授業もベテランの先生でした。沸騰の実験の授業でした。この日の研究授業をする担任の学級です。子どもたちはとても集中して話を聞いています。
やかんを温めたらどうなるかを子どもに想像させます。何を答えていいのか子どもにはよくわからない問いでした。準備した絵のカードを使って子どもに答えさせます。やかんの口からでている湯気に着目した子どもがいました。説明がはっきりしないので授業者は本人にもう一度聞き直して確認しました。「湯気」という言葉が出てきたのですが、他の子どもには確認しません。授業者は、「沸騰しているということだね」と自分が出したかった「沸騰」という言葉に置き換えてしまいました。「沸騰」にこだわるのであれば、子どもたちから出させるようにしたいところです。「湯気がでるのは、どういう時?」「湯気がたくさん出ている時、やかんの中はどうなっている?」「ぐつぐつしていることをなんて言った?」というようにすることで、子どもから引き出すことができるはずです。授業を通じて1問1答が目立ちました。子どもから答えが出ると、それを受けて説明が続きます。子どもたちがよく聞いてくれるのでどうしてもしゃべりすぎるのです。
実験器具の説明は、実物を見せながらていねいにします。黒板に実験器具の一覧を示します。その一覧が線で仕切ってあります。この意味を子どもたちに問います。かなり無理のある問いです。1人の子どもが頑張って説明しようとしますが、なかなか要領を得ません。授業者は近いと評価しますが、結局自分で危険なものとそうでないものとに分けていることを説明しました。子どもの発言は活かされませんでした。その後ひとしきり、なぜ危険かを説明し注意をするように指示します。危険な器具に注意をさせたければ、「この実験器具の中で、取り扱いに注意をしなければいけない物を選んでください。その理由も教えてね」というように、子どもの課題にしてしまえばいいのです。そうすることで、どの子どもも危険な物を意識し、取扱いに注意をしてくれるはずです。
実験の手順をていねいに説明するのですが、一方的に説明をするだけで確認をしません。また手順そのものはどこにも記録されません。休み時間の後実験に入るのですが、どれだけ子どもに定着しているのか心配です。また、手順は説明されるのですが、実験の目的は明確にはされません。子どもの視点で、もう一度授業を見直してほしいと思いました。

2年目の先生の授業は、6年生の算数でした。円柱の体積の公式の場面です。
授業規律がとてもしっかりしていることに驚きました。授業者が何も言わなくても子どもたちは発表者の方に体を向けます。発表が終わるとすぐに授業者の方に体を戻します。授業者がめあてを口頭で説明して板書をし始めると、すぐにノートに写しだします。授業者がめあてを書き終る前に写し終る子どもが何人もいました。これにはちょっと驚きました。授業者は指示らしい指示をしません。笑顔で子どもたちにうなずいているだけです。子どもたちをしっかり育てていることがわかります。
角柱の体積の復習で、数人しか挙手しない場面がありました。つい挙手している子どもを指名したくなるところですが、となり同士で確認をさせました。子どもたちは、しっかりとかかわり合えていました。
円柱の体積の求め方を子どもに考えさせます。子どもからは、「底面積×高さ」が出てきます。そこで根拠を子どもに聞きます。「底面と上と途中も同じ」という説明が出ました。授業者はこの意見を全体で共有しようとします。他の子どもに何といったか復唱させますが、なかなか言うことができません。うなずいて励ましたりします。子どもが安心して参加できることを大切にしています。もう一度、最初の子どもに発言をしてもらったりもします。これ以外にも、「まわりの子助けてあげて」と助けを求めるといった方法も有効です。しかし、ここで子どもが復唱できなかった理由は、言っていることがよくわからなかったことが原因だと思われます。「底面と上と途中も同じってどういうこと」と、まず聞き返したかったところです。「上って何」「途中ってどういうこと」とどこを(底面と平行に)切っても同じ形であることをはっきりさせるのです。そうすることで、他の子どもも共有しやすくなります。「今、○○さんが言ってくれたことわかる人?」「あなたの言葉で説明してくれる」と他の子どもにつなぐといったやり方もあります。別の言葉で説明させることでだんだん明確になっていくので、全体に広がっていくのです。
授業者はこの言葉を全体に広げようとしたのですが、最終的にはこの考えを使わずに、用意してあった円柱の中に角柱を入れた図で説明を始めました。せっかくつなごうとした子どもの言葉が切れてしまいました。
角柱も円柱も底面と平行に切ると同じ形です。このことを使って、円柱の中にピッタリ入る角柱をつくることができる説明をしてもよかったかもしれません。
とはいえ、2年目の先生の学級とは思えないほど、子どもたちはよい姿を見せてくれました。ここからは、日々の教材研究がとても大切になってきます。子どもたちと教材をどのようにつなぐかを考えて授業をつくっていってほしいと思います。

ベテランの6年生の担任の授業は、算数のきまりを使って問題を解く場面でした。
何とか子どもたち全員に自分で解かせたいという強い思いを感じる授業でした。
子どもたちに表から気づいたことを発表させます。子どもから「売上高が増える」という言葉が出てきました。「売上高に気づいた人?」と確認します。続いて、売上高が20円ずつ増えることを押さえていったのですが、売上高に注目するよさを、できれば子どもたちに評価させたいところです。「売上高を5300円にしたいから」と言った言葉を引き出したいのです。ここで注意したいのは、関数的な見方を大切にしたい教材ですので、何とともなって売上高が増えるのかを明確にしておくことです。「120円のノート」が「1冊増える」ごとに、「売上高」が「20円増える」という関数的な関係を大切にするのです。
友だちの発言をうまく復唱できなかった子どもがいました。「助けてあげて」と他の子どもにつなぎます。このときまわりの子どもに助けてもらって自分で言えるのが理想です。ところが授業者は他の子どもを指名し、その子が自分の言葉で説明しました。このままで終われば、助けてもらったことにはなりません。指名された子どもに活躍の機会を与えただけです。しかし、授業者は、答えられなかった子どもにもう一度言わせました。失敗で終わらせないよい対応です。今度は答えることができました。
問題に取り組みますが途中で行き詰っている子どもがいます。そこでいったん作業を止めて、発表させます。300÷20という式が出てきます。ここで「300はどこからきました」と問い返します。数に対して、「どこからきたか」を問うのは子どもから説明を引き出すよい方法です。「5300から5000を引いた」と答えてくれました。ここで、もう一息、「5300は何?」「5000って何?」と聞いてもよかったかもしれません。ここから一気に説明に入るのかとも思いましたが、もう一度子どもたちに戻しました。何とか子どもたちに自力で答えにたどり着かせようという姿勢の現れです。手が止まっていた子どもも手が動き出しました。時間的には苦しかったのですが、子どもたちは答にたどり着くことができました。振り返りでは1人を残して「わかった」と書いていたそうです。その1人も自力で答にはたどり着いていたそうです。

若手の成長も素晴らしいのですが、ベテランでも変わろうとしていることがわかります。子どもたちと接する姿勢がとてもよくなっています。いよいよ学校としては次の段階が見えてきました。授業規律ができ、子どもと教師、子ども同士の関係ができてくれば、教科内容をいかに定着させるか、学力をつけるかです。今後の展開が楽しみです。

授業研究については、明日の日記で。

素直さの大切さをあらためて実感した授業(長文)

中学校の授業研究に参加してきました。

授業研究の前に、全体の授業の様子を参観しました。この学校のアドバイスを始めて3年目です。最初のころは先生が一方的にしゃべる声が廊下に響いていましたが、そのような声はほとんど聞かれなくなってきました。子どもを受け止め、子どもの発言を大切にしようという雰囲気が生まれてきています。3年生は落ち着いて授業に参加しています。2年生は子ども同士の関係がとてもよくなっていました。先生方にうかがったところ、秋の行事をきっかけに急激によくなったということです。とはいえ、行事だけでは授業での子ども同士の関係はつくられません。授業でも子ども同士のかかわりが意識されている結果だと思います。
1年生は、教室の人間関係が今一つよくないように思えました。どの学級にも気になる生徒がいるのですが、先生方がその子たちにかかわりすぎているように思います。子どもたち全体が、一部の子どものせいで、教師からネガティブな評価を受けているのではないでしょうか。普通の子どもたちと教師との関係をつくることから始め、続いて、子ども同士の関係をつくることが原則です。苦しい子どもへの指導はその後です。その最初の部分ができていないために、子ども同士の関係もうまくいっていないように思います。子ども同士がかかわる場面をつくり、ポジティブに評価する場面を意図的につくることからやり直す必要があるでしょう。

研究授業は、2年目の先生の理科の授業です。2年生の静電気の導入でした。授業者が担任している学級でしたが、他の時間に見た様子がとても印象に残っていました。子ども同士の関係が特によく、子どもたちが安心して授業に参加していた学級なのです。教科によらずそのような様子であるということは、学級づくりが上手くいっているということです。担任の授業でどのような姿を見せてくれるか、期待が高まります。
導入は、ビニルテープを髪の毛にした人形をバンデグラフの上に置いて、髪の毛を逆立てます。静電気で起こる現象をわかりやすく見せることで興味をひきます。授業者は、この実験を見せるまでの過程を上手に演出しました。なかなかの役者です。子どもたちがとてもよい反応をします。ここで見事だったのは、この導入を引っぱらずにすぐに本題に入っていたことです。5分も経っていませんでした。子どもたちにうけるとついつい調子に乗ってしまうことが多いのですが、切り替えが見事でした。

子どもたちから静電気という言葉を引き出した後、静電気について知っていることをワークシートに書かせます。指示をした後、子どもたちはすぐに動きます。まわりの子どもと自然に相談しています。とてもよい姿です。
子どもを指名して発表させます。ワークシートには経験があれば書くようにと指示があったので、子どもたちは「下敷きで髪の毛をこすると毛がくっつく」といった自分の経験を話します。授業者は、必ず「同じことを書いた人?」と、子どもをつなぐことを意識しています。服を脱ぐときにパチパチすることを発表してくれた子どもがいました。同じことを書いた子どもはいません。授業者はすかさず、「同じ経験をしたことある人?」と問い直しました。今度は、たくさん手が挙がります。なかなかの対応です。子ども同士をつなげようという意識があるから「経験」と言い直したのです。

ここで、どうやったら静電気が発生するか子どもたちに問いかけます。「こする」という言葉を受けて授業者が、静電気は2種類の物質をこすった時に発生する電気だと説明します。ここで注意しなければいけないのは、「2種類」「電気」という言葉です。子どもからは「2種類」という言葉は出ていません。このタイミングで示す必要があるのなら、子どもから引き出したいところです。また、「電気」はまだきちんと定義ができていません。理科のカリキュラムでは「静電気」から出発して電気全般を学習するはずです。ここでは、「電気」の正体はまだわかっていないのですから、「電気」はまだ使うべきではないのです。「こすれば発生するの?」と問いかけながら、「発生しやすいものとそうでないものがある」「同じものをこすってもダメ」ということを確認したいところです。その上で、「2種類の物質をこすると発生しそう」とまとめる程度でよいでしょう。

実験の説明をします。子どもの顔が全員上がるまで待つことができます。ペアでおこなう実験です。そこで、子どもを1人前に出して手伝ってもらいながら説明します。授業者が1人で説明するよりも、はるかにわかりやすい方法です。ここで、2人を前に出すというやり方もあります。授業者が説明して子どもたちにやってもらうのです。子どもだけでやるので、戸惑ったり、間違えたりします。他の子どもはそれを同じように考えながら見るので、よく理解できるのです。今回の実験は自由に回転できるようにしたストローともう1本のストローを用意し、それぞれをティッシュでこすり、回転できるストローにもう1本のストローとティッシュを近づけて動きを見るというものです。授業者は、ストローが動く直前で説明を止めました。うっかりすると結論を見せてしまうところですが、きちんと手前で止めました。事前にきちんと試しているから、どこで止めたらいいかもわかっているのです。細かいところまできちんと準備をしています。途中で止めるということを考えると、前に出す子どもは1人でよかったのでしょう。

子どもたちは、しっかりと協力し合います。男女の関係もとても良好です。3分で実験は終わりました。だらだらしないのもよいことです。
結果を確認します。2つのグループにティッシュの場合を聞きます。ストローがティッシュに「近づいた」と「引きつけられた」と微妙に違う表現でした。授業者は一つにまとめずに、それぞれを板書します。子どもの言葉を大切にしていることがよくわかります。ストローにストローを近づけた場合について、指名された子どもは「離れた」と表現しました。
「近づいた」「引きつけられた」は理科の表現では「引き合った」と、ストローとストローの場合は「反発した」と言うことを教えました。用語をきちんと説明することはとても大切です。ここで、「近づいた」と「引きつけられた」という言葉の違いを子どもたちに聞いてもよかったかもしれません。単に事実を示していることと、力が働いている表現との違いを引き出すことで、力を意識させることができます。どちらが引っぱっているのかと問いかけることで「作用反作用」の布石にもなります。細かく説明することは必要ないと思いますが、「引き合う」という言葉の裏にはこういうことが隠されていることは意識しておきたいところです。
子どもたちは、板書を写しますが、書けたらすぐに前を向きます。指示しなくても自然にできています。授業規律がしっかりと確立しています。

この日の課題は「どうして、ストローとティッシュは引き合って、ストローとストローは反発したのだろうか」です。
物質の単位は原子で、プラスの電気を持つ原子核と、マイナスの電気を持つ電子からなっていることを確認します。「引き合う」と「反発」に関連して磁石の例を思い出させます。その上で、ストローとティッシュの上に原子のモデルがいくつか書かれた図を提示します。同じ図が描かれた上に磁石でつくった自由に動く電子がくっついたホワイトボードを、各グループに渡します。電子が自由に動くところがちょっと誘導しすぎのようにも思いますが、ここがポイントです。このツールをもとにグループごとに説明を考えます。
なかなか手がつかないグループが目立ちますが、だれかがボードに手を伸ばすと言葉が出てきます。言葉が飛び交う状態ではありませんが、一生懸命に考えていることがわかります。授業者は、グループの支援に向かいます。子どもの言葉や気づきを大いに評価することで、子どもたちの活動を後押しします。しかし、1つのグループにかかわる時間が長すぎたようです。いくつかのグループが止まったままになってしまいました。すべてのグループが何らかの考えを持てるようになるのにかなりの時間を使いました、その一方でそれなりの結論が出たグループは、することがなくなっています。しだいテンションが上がり始めましたが、ちょうどその時に予定した時間になりました。なかなか見事な時間設定でした。結論が出たグループに対して、他にも納得のできる説明はないかと追加の指示をするといった方法もあったかもしれません。

各グループの発表です。「ストローのマイナスがティッシュに移動して、ストローが+になるから、ストロー同士は反発する」という説明が出ます。「なるほど」と受容して、他のグループの子どもに納得したか聞き、発表を続けます。今度は、「前のグループと同じで」と言いかけて、「あれ?」と違いに気づきます。「ストローの−がティッシュに移動した」と考えたのです。また、「納得した?」と他の子どもに問いかけて、「共通していることがある」と子どもたちに投げかけます。「電子が動く」という言葉を引き出します。ここで、「あれ?」という言葉を拾って、どういうことか聞いてもよかったかもしれません。教師が「共通」というヒントを使わなくても子どもから共通なことが引き出せた可能性があります。
大事なポイントは電子が動くということだと言って、「2通りに分かれると思うけれど、どちらだったか手を挙げて」と指示します。ここで、電子が動くことはまだ仮説です。ちょっと強引な進め方でした。どちらにも手を挙げないグループが2つありました。このような進め方ですと、もうこの2つしか答えがないように思います。個人での活動であれば、無理やりどちらかに手を挙げてしまうところですが、グループなので手を挙げません。この2つのグループを無視することもできます。授業者がどう対応するのかが見どころです。
授業者は、素直に2つのグループに聞きました。1つのグループは、「ストロー同士は説明できないけれど」と断って、ストローとティッシュについて説明しました。「電子は移動しないけれど、ストローの原子核に+があって、ティシュに−があるから反応した」というのです。授業者は「なるほど」と受容します。もう1つのグループは、ストローの−が反対側の端に移動して集まり、ティシュの−がバランスを取ろうとして、ストローの方に移動するというのです。往々にして、時間内にまとめようと、教師がこの2つの考えを否定して終わるところですが、授業者は無理やりまとめずに次の時間に持ち越しました。よい判断でした。
大事なことは、ここでの議論はあくまでもモデルでの説明でしかないということです。科学におけるモデルの妥当性は、実験で確かめる以外に方法はありません。モデルをもとに理論を組み立て、現実と矛盾なく上手く説明がつけば正しいと判断するのです。科学と数学の違いがここにあります。このことを子どもたち伝える格好の場面です。どの考えが正しいかを知るために、どのような実験をすればよいのか子どもたちと考え、実験によって妥当性を判断すればいいのです。授業者にこのことを確認しました。次の時間が待ち遠しそうでした。

とてもよく準備されている授業でした。事前に何度も検討したことがよくわかります。多くの先生が研究授業を支える体制ができています。若い先生が伸びる環境がつくられつつあります。

授業検討会は、この授業のよいところがたくさん発表されました。各グループの様子もしっかりと発表されます。子どもたちの事実をもとにした発言が続きます。この学校に初めて訪問した時とは、先生方の様子がまるで違います。授業を見る視点が先生方に育っていることがわかります。この学校で、男女市松模様の座席にしているのはこの授業者の学級だけだそうです。そのことと合わせて、男女の関係のよさを指摘する意見もあります。授業者の子どもたちへの働きかけについても意見がたくさん出てきます。他教科であることは関係ありません。途切れることなく意見が続きました。今回のモデルについて、子どもの視点でどのように考えればいいのかという疑問や意見もたくさん出てきました。
私の方からは、この学級の授業規律のよさが教師の受容とポジティブな評価によってつくられていることと、理科におけるモデルと実験の関係についてお話ししました。

懇親会の席で、授業者はとても素敵な話を聞かせてくれました。授業者の「直○」という名前の「直」は素直の「直」だと、いつも母親に言われて育ったと言うのです。アドバイスされたことを素直にやり続けたからこそ、2年目の教師の学級とは思えないほど、子どもが育っていたのです。その素直さの理由がよくわかりました。特に、いつも「笑顔」を忘れない。教師がまとめるのではなく「子どもの言葉でまとめる」。この2点を大切にしてきたそうです。だから、最後の2つのグループの意見も、自分がまとめずに、子どもたちでなんとかまとめさせたかったのだそうです。
検討会で、自分が意識してやっていることを評価してもらえたことがとてもうれしかったと話してくれました。これは、先生同士で視点が共有できているということの現れです。学校全体がよい方向へ進んでいくための大切な条件です。来年度から3年間の研究指定を受けることになりそうだという話もうかがいました。この学校が大きく飛躍するよい機会だと思います。これからどのように変化していくかとても楽しみです。

学校努力点の取り組みへのアドバイス

中学校の現職教育に助言者として参加しました。学校努力点中間まとめの発表会です。各教科からの取り組みの発表に対して、私からアドバイスをさせていただきました。

この学校に訪問するようになって3年目です。今回のまとめは事前に送付いただいたので、各教科へのコメントは簡単な文書にしてお渡ししました。以前と比べて子どもを主体した授業へ取り組もうという姿勢が感じられるようになったのがうれしいことです。ただ、取り組みが、特定の単元、教材に留まっていることも多く、他の単元に広げてほしいと思います。担当者や教科を超えて学校全体として共通に取り組む具体的な形ができてくると、大きく飛躍することでしょう。点から線、線から面を意識してほしいと思います。

アドバイスは全体に共通してお願いしたい3点に絞ってお話ししました。
1つは、どのような子どもに育てたいのかを明確にすることです。
「考える子ども」と「機械的に学習する子ども」のどちらなのかです。こう書けば、皆さん「考える子ども」と答えるはずです。しかし、「機械的に学習する子ども」の「勉強=覚えること」「答を早く欲しがる」「勉強を量や時間で測る」という姿は、教師が求めている姿の投影であるようにも思います。試験に出るから「覚えなさい」と言う。子どもから考えが出てくるのを「待ちきれず」、教師が説明してしまう。宿題を課して、「課題をどれだけこなしたか」で評価する。こういう教師の言動と無縁ではないように思います。「考える子ども」を目指しているのであれば、考える意味を大切にし、考える必然性のある課題を与えることが求められます。答ではなくそこに至る過程を大切にし、解答の行間を埋めることが必要です。その問題、教材だけに通用する解法ではなく、他の場面でも活用できる、再現性のある思考を意識した質の高い授業を追究することが大切です。原点に戻って、このことを確認してほしいのです。

2つ目は、課題の考え方です。
「○○について考えなさい」「△△しましょう」と教師主導で与える「受け身の課題」と自分たちの疑問から出発する「必然性のある課題」があります。どちらかが正解というのではありません。この2つを意識して課題を設定してほしいのです。子どもに意欲的に取り組ませるためには、「子どもたちに気づかせる」、どうしてそうなるんだろうという「子どもの疑問」を大切にすることが必要です。
この学校では言語活動を大切にしているので、

「根拠を問う(過程を大切にする)」
「説得する課題(論破)」
「個人ではなかなか解けない課題(グループにする必然性)」
「友だちの代わりに説明する(相手の考えをわかろうとする)」
「かかわり合い(アドバイス、よいとこ見つけ)」

といった、言語活動の必然性のある発問・課題・活動の例を伝えました。

最後に、この学校でも取り組みが増えてきた、ペア活動とグループ活動のポイントをまとめました。
ペア活動では、

「受け手に役割をもたせる」
「相手の役に立つ実感を持たせる」
「相手の反応で対応が変わる活動」

グループ活動では、

「男女混合4人組・市松の座席(自然にかかわり合える)」
「リーダーや司会は必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)」
「グループで結論を1つにまとめない(あくまでも自分の考え持つ、深めるための手段)」
「教え合いではない(聞かれないのに教えない、友だちの考えを自分の考えに付加する)」
「全体が見える位置でグループの活動を見る(中に深く入りすぎない)」
「つなぐことに徹する(参加できない子どもと他の子どもをつなぐ)」
「いつ止めるかを意識する(活動が止まっているグループが出てくれば、いったん止める)」
「戻す(結論ではなく過程を共有した後で、グループにもどす)」

といったことを意識するとよいことをお伝えしました。

今回で一区切りつきましたが、先生方に変化の兆しが出てきたことをうれしく思いました。次のステップへもう一歩踏み出してくれることを期待しています。

玉置崇先生の姿にプロ教師を見る

本年度第5回の教師力アップセミナーに参加してきました。小牧市立小牧中学校玉置崇校長の講演です。「プロ教師のABCDの原則」という演題で、主に若い先生向けの授業技術について、実際の授業の映像を交えて具体的にお話をいただきました。

ABCDの原則とは、「A 当たり前のことを」「B 馬鹿にせずに」「C ちゃんと」「D できる教師」ということです。「当たり前のこと」とは、教師として当たり前のことをちゃんとできているかということ。「馬鹿にせずに」とは、素直に、前向きにやっているか、「ちゃんと」は極めているか、「できる教師」は継続しているかということです。何も特別なことではありません。しかし、私も、このことができていない方に思いのほか多く出会います。教育実習生に指導するような内容がきちんとできていないのです。

玉置先生が教師としての原点としているのは、一宮市の馬場前教育長(当時は指導主事?)が授業研究の場で授業者の態度を「教師をやめろ」と厳しく叱責した場面です。馬場先生は、授業者が金髪の生徒に対して授業中に一言も声をかけなかったことをとがめたのです。「あなたは、その子どもを見捨てている。それだけではない、その姿を他の生徒が見ている。ああなったら自分も見捨てられる。そう思わせている。それがなぜわからないのか」。教師の子どもに向かう姿勢が問われていることを強く意識されたそうです。

授業のあり方の原点としているのが、向山洋一先生の実践記録です。子どもたちの言葉で授業がつくられている。当時の玉置先生は、数学の教師として子どもたちの試験の成績を上げることを第一にして授業をされていたそうです。業者の学力試験で愛知県3位にまでなったのですが、自分の授業を振り返ってみると、自分の言葉しかない。子どもは休み時間にあれだけしゃべる。自分の授業でもしゃべれるはず。そう考えて、授業スタイルを変えたのです。どうやったら点数を下げずに数学的な思考力をつけられるか考え、授業の中に笑いも入れ、子どもの意見を受けて授業を進めることを目指したそうです。
大切なのは、佐藤学先生がいうところの「教師と子どものキャッチボール」。とんでもないボールでも、背を伸ばして受け止めようとすること。胸元に来るボールを投げる子どもの意見しか受け止めなければ、その子たちしか発言しなくなる。また、物わかりのよい教師も問題です。子どもの言葉を教師が勝手に都合よく解釈してしまう。勝手に言葉を足してしまう。このようなこと意識してほしいと話されます。

玉置先生は「講義」と比較して「授業」を定義されます。その時間で一番大切なことを教師が言うのが「講義」、子どもが言うのが「授業」です。社会体験に出ている教師の代わりに週に数回授業を行なっているそうです。条件をわざと抜かして問題を与えて、子どもにそのことを気づかせる。わざとおかしな情報を与えて、子どもに訂正させる。子どもから言葉や考えを引き出す工夫をしているそうです。

ここで、有田和正先生の話をされました。今年の愛される学校づくりフォーラムでのことです。体調が悪く、控室では顔をゆがめておられました。しかし、模擬授業で登壇された時は終始笑顔で、体調の悪さは微塵も感じさせませんでした。プロ教師だと感じさせられたということです。有田先生はそのあと体調が悪化しすぐに入院されました。実は、玉置先生も数日前にぎっくり腰を患い、この日は立っているのもつらい状況でした。しかし、そのことを感じさせない素晴らしい講演でした。

先日行った中学校1年生の比例の利用の飛び込み授業をもとに、具体的な授業技術についてお話されました。大量の紙を数えるのに、重さと枚数の比例の関係を利用しようという内容です。

子どもをほめることが大切。
子どもから期待する言葉が出なくてもまず受容する。そこから子どもとの関係は始まります。「220」という数字が何かを問いかけて、全校生徒の人数と気づいた子どもがいる。答える生徒がいるとは予想しなかった。大いにほめる。「偶数」と答えた生徒がいた。数学的な視点です。だから、この生徒もほめる。子どもの発言をポジティブに評価することが大切なのです。
子どもと目が合う。「目が合うね」と声をかける。自分のことを見てほしいというメッセージを「こっちを見ろよ」ではなく、ポジティブな言葉で伝えようとされました。

子どもたちに具体的なわかりやすいゴールを示すことが大切。
「252枚(全校生徒と職員の数の合計)を取りだそう」というゴールを提示し、全員に方法を考えさせました。子どもに意見を求めれば、誰かが発表してくれます。しかし、この課題に全員参加させたいのです。だから、ノートに書かせるのです。○つけ法で全員の考えを把握します。子どもたちにポジティブな言葉かけをすることで、距離を縮めることも意識されたそうです。

子どもにかかわりを意識させることを大切にする。
「全校生徒と先生に紙を1枚ずつ渡せばいい」という意見を最初に取り上げました。この意見に「なるほどと思った人は○、ん?と思った人は△を書きましょう」と全員に判断させます。野口芳宏先生流の全員参加の方法です。ここで「×」ではなく、「△」というのが子どもの気持ちを大切にする玉置流です。友だちに「×」をつけられるのは、否定されたような気持ちにつながるからです。ここで、意見を言った子どもに「○を付けた人が何人いると思う?」と問いかけます。発表者に友だちとのかかわりを意識させようとするのです。

子どもの考えを子どもの言葉で共有する。
長い意見を言う子どもの発言を、教師が補足しながらまとめてしまうことがよくあります。そうではなく、子どもの言葉を途中で区切り、その言葉をそのまま復唱する短区切り復唱法を活用することで、子どもの言葉をそのまま全員で共有することを大切にされます。
ちょっと心配な子どもが意見を言おうとしてくれました。出てこない方がいいなと思った意見だったそうですが、意欲を認めるためにも発表させました。上手く発表できなくて「あれ?」という状態になりましたが、「教室が和んだね」とポジティブに評価しました。笑顔の子どもなのでこういう処理をしたそうです。短時間で子どもの特性をよくつかまれています。

子どもの一言一言を大切にする。
重さを計る発想の中で、「紙を適当に分けて計る」という言葉を出してくれる子どもがいました。「適当」という言葉にこだわることで、数学的に深めていくことができます。そこで、この発言を軸に授業を展開しようと考えられたそうです。
「適当」ということから、「いくつでもいい」という言葉を引き出せば、比の値が一定という比例の関係につなげることができます。「都合のいい数」という言葉が出れば、10枚といった計算しやすい枚数を計ることや誤差の少ない切りのいい重さになる枚数を探すといった発想にもつながります。いずれにしても、比の値、比例定数、常に成り立つといった数学的な考えにつなげていくことができます。こういうちょっとした言葉に敏感反応して取り上げる力は簡単には身につきません。日ごろの教材研究の積み重ねが大切です。

子どもの言葉重ねることでゴールに近づく。
4人グループで話し合わせると、2枚で計るという意見が出てきました。2枚では無理だと思われましたが、子どもの「252は2で割り切れる」という考えは数学的な発想です。このことを大切にします。次に7枚、252は7で割り切れるからです。そして、12枚が出てきました。これも252の約数です。実は12枚の時に切りのいい重さになるのです。教師がいきなり12枚で計ろうというのではなく、子どもの言葉を重ねていくことでゴールに近づくことが大切です。
また、わかっていなくてもわかったふりをする子どももいます。そこで、子どもの説明を他の子どもにもう一度させます。違う説明をすることもありますが、子ども同士をつなぎながら説明を重ねていくことで、説明のモデルができてきます。それを真似させることで、下位の子どもでも説明できるようになります。こういう過程を大切にされています。

玉置先生は最後に、「いつも笑顔を忘れず、教師だけが子どもを教える権利があることを忘れずにいてほしい」と結ばれました。プロの教師が大切にすべき言葉だと思います。

具体的な授業場面をもとにしたお話は、参加された方にとってとてもわかりやすかったと思います。ここで紹介された授業技術は、基礎的な「当たり前」のことがほとんどかもしれません。しかし、誰でもできることと「馬鹿にせず」、素直に取り組み、そして「ちゃんと」「できる」ようになることを意識してほしいと思います。
私にとっても、教師にとってのABCDは何かを再度考える貴重な時間となりました。体調の悪い中、素晴らしい講演をされた姿に玉置先生のプロ教師としての矜持を感じました。充実した時間をありがとうございました。
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