何を予習させるか

授業を理解するには予習が大切だと言われます。中学、高校と学年が上がっていくにつれその重要性が指摘されます。その理由の一つに授業を進める速さがあると思います。教える内容がどんどん増えていくからです。授業者から見れば、その日学習する内容を子どもたちが事前に理解していれば、説明もより簡単にでき、たくさん進めることができます。
ここで、注意してほしいことがあります。子どもたちが予習をして理解できるのであるのなら、授業を聞く必要ないということです。先生の説明をちゃんと聞かなくても答はわかっています。予め答を知っているので授業中に考え、悩むことはありません。よく理解できた気になります。しかし、これで力はつくのでしょうか。推理小説で事前に犯人を知っていては、頭を悩ませながら読みません。推理力もつきませんし、第一面白くありません。これと同じことです。
例えば、台形の面積の公式を事前に教科書で予習をさせることを考えてみましょう。教科書には考え方も書いてあります。授業中に子どもたちに考えさせたいことが、予習することで知識として知ってしまうことになります。これでは、意味がありません。
予習をしてよくわからなかった子どもが、わかりたいと意欲的に授業に臨めばよい効果はあるはずですが、予習を前提にして早く進むことを意識すれば、結局わからなかった子どもはよく理解できないままになってしまうことになります。では、予習はどのように考えればいいのでしょうか。

予習では、次の授業で学習することを事前に知識として獲得させておくというのではなく、その授業で必要になる足場を固めておくという考え方が大切です。先ほどの台形の面積の学習であれば、「三角形や正方形、長方形、平行四辺形の面積の公式を復習するような課題」「四角形を三角形に分解したり、2つの図形をくっつけて1つの図形にしたりして面積を求める問題」を課すといった、台形の面積を求める時に使う考えを事前に復習しておくという発想です。その時間で必要となる知識や考え方の確認です。特に学年や学期をまたいでつながるような課題であれば、すぐに思い出せない子どももたくさんいます。過去の学習を思い出させておくために事前に復習させるのです。
ここで注意をしてほしいのが、漫然と問題を解かせるのではなく、その時間で「必要となる」知識や考え方に限定して復習することです。例えば、国語で説明文の授業をする時に、以前に学習した説明文の読み取りの問題を解かせることには意味がありません。どのようなことに注目したか、説明文の読み取りで大切なことは何だったかを復習させるのです。ノートを見ればいいのだから授業中に復習してもよいと思います。しかし、事前に自分でノートを見て書き出すといった作業をしておけば、よりしっかりと思いだすことができます。地理などであれば、その時間に比較したい地域の特徴を確認しておくという方法もあります。
もちろん、国語で音読をしておくといったことも大切な足場です。また、事前に必要な知識を調べさせることも足場を固めることになります。言葉の意味を調べる。社会や理科で語句や資料を調べたり、探したりする。授業で考えるために必用な作業を事前に済ませて足場をつくることも意味のあることです。

ここで、注意してほしいことは、予習に頼りすぎると予習をしてこなかった子どもが授業に参加できなくなることです。かといって、予習していなかった子どもに合わせて授業をしてしまえば予習をしてきた子どもの努力が無駄になってしまいます。やってきた子どもを活躍させながらやってこなかった子どもも参加できるように工夫をすることが必要です(やってきたことを無駄にさせない参照)。

予習は、授業で教える内容を事前に学習させるのではなく、その授業で必要となる足場を固めるという発想で考えることが大切です。考えるための知識を確認しておく。より深く考えるための時間を確保する。そういったことのために予習を活かしてほしいと思います。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

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今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

「成長」を感じた卒業式

学校評議員をしている中学校の卒業式に来賓として参加しました。

式では、卒業生も在校生も素晴らしい歌声を披露してくれました。合唱には日ごろの音楽の授業での指導が現れます。子どもたちがリズムを取りながら体を前に乗り出して歌う姿に、「伝えたい」「表現したい」という想いが感じられます。音楽担当の教師は卒業生の担任です。卒業生と一緒に口を動かしていました。初任者の時から6年間見ている先生です。素直で、前向きな方です。日ごろから努力を続け、教師として成長してきたことが子どもたちの姿からうかがえました。

校長や来賓の式辞も素晴らしいものでしたが、子どもたちの言葉が印象に残りました。在校生の送る言葉(送辞)は2年生、1年生の代表2人が交代で読み上げます。正直、合唱と比べて、読み方はあまり指導されていません。しかし、その拙さを補って余りある内容だったように思います。卒業生とのエピソードから、先輩への思いが伝わってきます。それにもまして素晴らしかったのが、卒業生の出発(たびだち)の言葉(答辞)でした。各学級の男女の代表1名ずつが交代で読み上げます。特徴的だったのが、「成長」という言葉が数えきれないほど登場したことです。自分たちが3年間の学校生活でどれだけ成長したか、自らの言葉で語るのです。「思い」が語られることは普通ですが、「成長」がこれだけ語られることはまずありません。自ら実感していなければ出てこない言葉です。とても感動しました。彼らが語る言葉が本物であることは、読み方からも伝わってきます。在校生と同じく、決して上手な読み方ではありません。しかし、最後に近づくにつれて言葉に感情がこもり、心を打つのです。卒業生全体の表情からも、この言葉が彼らの共通のものであることが伝わります。

3年生の主任はベテランの方です。私とは前任校以来10年以上の付き合いのある方です。熱い思いで子どもたちに接します。時には厳しい指導でぶつかることもあります。その先生が、式後にこんなことを話してくれました。
今までは、どうしても形をつくることにこだわっていた。この学年は2年生の後半から、自分たちで考えさせるように方針を変えた。失敗しても、途中で終わってもいい。そこから学べばいいと見守ることにした。子どもたちは、自分たちで考え、本当に成長した。
子どもたちから「成長」という言葉が出てきた理由がわかりました。そして、子どもたちと一緒に先生も成長していたのです。

主任だけでなく熱い思いで子どもたちと接する先生の多い学年です。一つ間違えば「暑苦しい」先生たちになりかねません。こういった教師の思いが子どもたちに伝わらない学校も目にします。しかし、この卒業生たちは違っていました。
卒業証書授与の時、名前を呼ばれると向きを変えて、担任に向かって「はい」と大きな声で返事を返す学級がありました。子どもたちと担任の関係のよさがわかります。この担任は、他校での講師時代から10年近く付き合いのある方です。講師時代は、一方的に教える授業でしたが、今では子どもを信じて、子どもの発言を待てるようになっています。子どもの姿に教師としての成長がうかがえます。
そして、先生方の思いが間違いなく子どもたちに伝わっていると感じさせられたのが、最後に「仰げば尊し」を歌ったときでした。子どもたちがサプライズを用意していたのです。
卒業生全員が職員席に向きを変え、3年生の担任、担当の先生の名前を順番に呼びかけたのです。「他の先生方」と続き、最後に学年主任の名前を全員が大きな声で呼びました。式場全体に「ありがとうございました」の声が響き渡ります。先生方に内緒で子どもたちが準備していたのです。そして、感動的な「仰げば尊し」の合唱で式は終わりました。ここ何年もこの学校で「仰げば尊し」を聞いたことがありません。子どもたちの意志でプログラムに組み込んだのです。
教師としてとても幸せな時間だったことでしょう。

90分以上の長い式ですが、卒業生はもちろん在校生の姿勢も最後まで乱れません。子どもたちの素晴らしさが印象に残る卒業式でした。
ただ一つ残念なことは、この学校に限らないのですが、出発(たびだち)の言葉(答辞)に、部活動や行事の思い出が語られても授業のことが語られないことです。学校生活の大半を占めるのは授業です。子どもたちに部活動や行事と同じように語ってもらえるものであってほしいと思います。

例年以上に印象に残る卒業式でした。失礼な言い方ですが、子どもたちの成長と共に先生方の成長も見ることができました。私にとっては、このことが特にうれしいことでした。

教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわり

教師がしゃべりすぎないことが大切ということが言われます。よく目にするのが、子どもから正解や正解につながる言葉が発表された後、その言葉を受けて教師が説明を続ける場面です。本人は子どもから出てきた言葉をもとに進めているつもりなのですが、一番大切な根拠や考え方は教師の言葉で進んでいます。子どもの発言に対して教師がその何倍もしゃべっていることがほとんどです。子どもの発言は単なるきっかけで、教師が自分の言葉で説明しているのです。結局、子どもが教師の説明を聞いて納得することを求められる受け身の授業になってしまいます。このようなことを避けるために、しゃべりすぎないようにと言われるわけです。

教師がしゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言を増やし、できるだけ子どもの発言だけで授業を進めようとすることになります。どんな発言に対しても「なるほど」と受容して、安心して発言できる雰囲気をつくる。「同じように考えた人いる?」と、たとえ同じ考え方でも、何人も指名して全員が納得できるまで発表させる。「自分の言葉でまとめてみよう」と、子どもたち自身でまとめさせる。こういう姿勢が求められます。子どもたちは、教師が余分な言葉をしゃべらず、説明をしないので友だちの発言をしっかり聞き、自分の言葉で説明できるようになっていくはずです。経験の浅い教師でも、しゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言量が確実に増え、子どもの言葉だけで進む授業になっていきます。しかし、それだけで、子どもたちに力がつくとは言えません。このような、教師があまりしゃべらない、説明しない授業では、子どもたちの発言が言葉不足で全体によく伝わらないことや同じことが次々に発表されるだけで考えが深まっていかないことがよくあるのです。実は、教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわりがあるのです。

例えば、子どもの発言がだらだら続いて整理できていなければ、一度発言が終わったあと「なるほど、どうみんな納得した?」と子どもたちに確認して、「まだ納得していない人がいるからもう一度、みんなに聞かせてくれる」と再度発言させます。途中で止めながら、「ここまで納得した」と子どもたちが発言を理解するための時間を取ります。言葉足らずであれば「今、・・・と言ってくれたけど、それってどういうこと?」とより詳しい説明を求める。「○○さんの考え説明できる人?」と他の子どもに考えを説明させる。
発言を重ねていくのであれば、「今、言葉を足してくれたね」「ちょっと違うところがあったね」「共通のことがあったね」と考えをつなぐことを意識した気づきを促す。「みんな△△に注目しているけど、それってどういうことかな?」「今、2つの意見が出てきたけれど、どっちが納得できる?」と焦点化し、時にはグループに戻してより深く考えさせる。
こういった教師の言葉やかかわりが必要になります。

教師がしゃべりすぎないことは、子どもの発言を引き出し、子どもの言葉で進む授業の第一歩です。説明しないからこそ、発言を整理し、子ども同士をつなぎ、考えや意見を焦点化するといった、子どもの考えを共有化し、より深めるための教師の言葉やかかわりが必要になります。しゃべりすぎないことにこだわるあまり、このことを忘れてしまってはいけません。説明する以上に大切な出番があるのです。しゃべりすぎないからこそ、何をしゃべるかが問われるのです。

愛される学校づくり研究会の来年度計画

先週末に、愛される学校づくり研究会の来年度の計画について会議がありました。大きなイベントである愛される学校づくりフォーラムに目がいきがちですが、普段の研究会での学びがあってこその話です。来年度の研究テーマは今年度のものをもう一歩進める視点で検討されました。

校務の情報化やICT活用については学校のこれからを見通した近未来的なものを研究していきます。最近は学校現場でもタブレットPCが脚光を浴びていますが、ともすると機器先行で、使うことが目的化しているようにも思えます。これからの教育の方向性をしっかり見据え、その上でタブレットPCや新しいインフラを活かした校務の情報化やICT活用について考えていく予定です。
また、授業にかかわることとして、今年度の授業研究に加えて、授業アドバイスなどより広く授業改善につながる取り組みの具体的な方法を考えることになりました。若手の育成が学校の課題となっていますが、具体的にどのようにするか悩んでいる管理職も多いと思います。研究会の会員にとっても大きな課題となっています。授業改善につながる具体的な取り組みについてより深く、広く研究していく予定です。
来年度もフォーラムを一つの区切りとして、研究の成果を発表する予定です。ご期待ください。

研究会のホームページでの連載も、今年度のものを引き継ぐだけでなく、いくつか新しいものが企画されました。力を持った会員にもっと発信してもらいたい、いつも裏方で支えてくれる企業会員の方にも活躍してもらいたい。そんな企画です。4月以降の愛される学校づくり研究会のホームページを楽しみにしていただきたいと思います。

夏には、第1回「教育と笑いの会」という新しいイベントが名古屋であります。どのようなものになるか未知数の部分が多いのですが、楽しみな企画です。もちろん、プレッシャーもありますが、来年のフォーラムも今から楽しみです。
互いに学びあえる素晴らしい研究会です。来年度もワクワク・ドキドキのある充実した会となることと楽しみにしています。

答辞・送辞の指導で考える

先週末は、答辞と送辞の指導をプロのアナウンサーの方と一緒におこなってきました。昨年までは事前の先生方の指導の質も年々上がってきていて、レベルの高い指導を求められるようになっていました。ところが今年はちょっと様子が違っていました。

原稿をいただいて困惑したのが、答辞が散文詩の形になっていたことです。生徒への指導の前に、このことについて担当の先生方にお話をうかがいました。なかなか本人から、具体的なエピソードや思いが出てこなかったので、このような形式にしたということです。しかし、詩の形式にするとどうしても省略が多くなるため、その場面を知っている者にはわかるのですが、初めて聞く者には何を言っているのかよくわかりません。今から大きく変更するわけにはいきませんが、本番までまだ少し時間があるので修正できるところは手を入れるようにお願いしました。

卒業生代表は、とても素敵な声で読み方も上手でした。しかし、文章中の「誇りに思います」「勇気のいること」といった言葉が具体的にどういうことを指すのかが明確でないので、言葉が浮いてしまいます。その言葉に込める思いを意識して話すようにアドバイスすることで、浮いた感じはなくなったのですが、伝わるとまではいきませんでした。また、倒置法が連の最後に何度か使われています。聞いている方は次にどのような言葉が続くのかと身構えるのですが、違うエピソードに転換されるので、はぐらかされたように感じます。
エピソードも「私」と「仲間」で語られるものと「私たち」と「みんな」のものがあります。意図的であるかどうかは別にして、前者は個人の経験であり、後者はみんなを代表して語っていることでした。しかし、これらすべてを受けての言葉は、私たちを支えてくれた「仲間」です。どう読み分けるのか、どう伝えるのか難しくなります。
上手に読むのですが、どうしても聞く方は話しに入りきることができません。言葉が頭の上を通り過ぎてしまうのです。そのためか、体育館での練習では、体が揺れる癖や足の開き方、姿勢などの些末なことに目がいってしまいます。読み方だけでなく、伝わる文章であることが大きな要素であることがよくわかりました。

送辞の内容は答辞と比べてある意味形式的でよいところもあり、内容ではなく純粋に読み方の指導になりました。まだ練習があまりできていないようで、原稿が入っていません。原稿に目がいってしまい顔が上がらない状態で読んでいます。間が空いてもいいので、目で読んで言葉を頭に入れてから、顔をしっかり上げて声を出すように指導しました。アナウンサーの方から、文の最初の言葉をしっかり出すことも指摘されました。息を吐いている途中でしゃべるのではなく、止めた息を吐くと同時に声を出すという指導は、さすがだと思いました。
句読点の通りに区切って読むことで変なリズムができている、句読点にこだわらず意味のまとまりを意識して読む。全体的に読み方が早い。特に、いくつかの言葉をつながって読むときに早口になってしまうので、ゆっくり読むよう意識する。こういったことを指導していただきました。代表の生徒は少し緊張する性格のようで、特に前半部分に指摘した傾向が強く出ます。後半になって慣れてくるとさほど気にならなくなります。この日の練習でも随分上手くなったので、本番まで練習することできっとよくなることと思います。

今回感じたことは、いろいろな意味で先生方の指導が大切だということです。答辞の内容に関していえば、本人から具体的なエピソードや思いをどう引き出すかといった文章を書くにあたっての指導。また、自分の思いを一方的に伝えるのではなく、聞き手を意識することの指導。送辞に関しては、日程の関係もあり十分にできなかったのでしょうが、人前での基本的な話し方の指導。このようなことです。
今年度は異動もあって、担当は経験の浅い先生方でした。今までの指導法が上手く継承されていなかったことがちょっと残念でした。これを機に、先生方で答辞・送辞の指導のポイントを共有してほしいと思います。また、今回は、話し方以外での指導が多くなったため、プロのアナウンサーの出番が少なかったことももったいないことでした。
2人の代表の生徒はとても素直で、前向きに取り組んでくれました。本番までに練習を重ねて、きっと例年に劣らない素晴らしい答辞と送辞になることと期待しています。

知識を活かす

生徒の係が石油ストーブに灯油を入れる学校でのことです。ポリタンクのノズルをストーブの給油口に差し込んで灯油を入れるのですが、上手く入らないと子どもがざわついたそうです。ノズルと反対側のキャップを緩めなかったので空気が入ってこなかったのです。タンクから灯油を入れる経験がなかっただけのことと言えないこともないのですが、経験だけで片付けていいことなのか、ちょっと考えてしまいました。実はこの話は高等学校でのことだったのです。

「学校で習ったことは受験以外役に立たない!」「方程式を解くことが社会で何の役に立つの?」と考えている人はかなりの数に上るでしょう。しかし、そういう方は学んだことや知識を活かそうとする姿勢が根本的に欠けているのではないかという気がします。先ほどの灯油を入れることは、経験の問題ではなく知識の活用という視点から見ることもできます。理科の圧力の学習で実験したことや学んだことを思いだせばすぐに解決するはずの問題です。高校生であれば、当然すぐに気づいてしかるべきです。醤油さしの瓶に小さな穴が開いていることに気づいてどうしてだろう考えるような、身近なことに学んだことを活用しようとする姿勢で日ごろからいれば、すぐに対処できたはずです。
子どもたちから「学校の勉強は試験のための勉強、実生活の知恵はまた別のもの」という意識が感じられることがよくあります。学校で学ぶことにリアリティがないと言い変えてもいいでしょう。新学習指導要領でも知識・技能を実生活の場面で活用する力をつけることをうたっています。先ほどの高校生は、小学校や中学校でそのような力をつけてこなかったということです。

実はこの力がないことを一番感じるのは、学校の先生に対してです。先生自身が自分の専門教科が実生活の場面でどのように活用されるかをわかっていない、少なくとも授業からはそのことを意識していないように感じられるのです。試験に出るからと言って、知識を覚えることを求める。解き方ばかりを覚えさせてどうすれば解き方を見つけることができるかという見方・考え方を鍛えようとしない。授業で学ぶことを実生活にどう活かすことができるのかという視点のない授業に多く出会うのです。これは何も若手に限ったことではありません。ベテランでも同じです。先生自身が受験に特化してしまい、自分の専門教科を活用する力を無くして(もともと身につけていなかった?)しまっているように思います。子どもたちに求める以前に先生がその力をつけることを意識してほしいと思います。

学んだことが本当に活きるのは、経験のない未知の問題に出会った時です。些細なことかもしれませんが、ポリタンクから灯油を入れるという、一度経験して知ってしまえばどうということもないことから、そのことを改めて考えさせられました。
学んだことを活用する力を意識した授業づくりを心がけ、学校で学ぶことが子どもたちにとってリアリティのあるものになるようにしてほしいと思います。

居宅介護支援事業者連絡会で講演

昨日は、市の居宅介護支援事業者連絡会の研修で講演を行ってきました。ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方が対象のものです。介護におけるコミュニケーションについて話しました。私が毎月行っている介護研修に参加されている方も一部いらっしゃいましたので、その研修のダイジェストにプラスして集団とのコミュニケーションについても触れることにしました。

コミュニケーションの基本の確認として、「笑顔」と「受容」の大切をまずお話ししました。「しまった」と相手や自分が思うようなときにとっさに笑顔になれること、そのためには日ごろから意識して笑顔をつくる訓練をしておくことが大切です。また、相手を受容していること伝えるために、相手の外化に対してうなずく等、きちんと反応することも大切です。相手を受容することは、相手のことをよく聞くことからはじまります。ただ単に言葉を聞くのではありません。相手の伝えたいことを理解しようとすることです。

では、相手に伝わるためにはどのようなことが必要でしょうか。まず、相手が話を聞こうと思ってくれる関係をつくることが大切です。上から目線の言葉づかいでは、よい関係をつくることはできません。Iメッセージやポジティブな表現を使うように意識することが大切です。

デイサービスなどでは、利用者全体とのコミュニケーションも必要です。集団とのコミュニケーションに関して、次のような話をさせていただきました。

・「1対多ではなく、1対1がたくさんある」
全体に対して話をするのではなく、一人ひとりに話をするつもりになることが大切です。漫然と全体を眺めるのではなく、一人ひとりを見て、視線を落としコミュニケーションを取ることが必要です。

・「一方通行ではダメ」
相手に反応を求め、相手の反応に笑顔でうなずき、しっかりと受け止めることが大切です。

・「指示が通るまで待つ姿勢」
指示がきちんと全員に通るまで待つことが大切です。できていないのに次の指示がすれば、ついていけない人が出てきます。行動を早めたければ、できていない人を注意するのではなく、できた人をほめる発想が大切になります。

・「確認が大切」
話したことが伝わっているかどうかを確認する必要があります。言われたことを理解するのに時間がかかることもあります。確認に対する反応をせかさないようにすることが大切です。

介護職員と利用者の縦の関係をまずつくることが大切ですが、そればかりでは、介護職員が全員と対応しなければいけなくなります。利用者同士の横の関係をつくることを意識することも必要です。共通の話題を振って利用者同士をつなぎ、関係ができればそこから離れて利用者だけで話が進むようにするといったかかわり方が必要です。利用者がどのようなことに興味を持っているか、どのような話題なら話が弾みそうかといったことを、日ごろのかかわりの中でつかんでおくことが大切です。

質疑応答で、とても興味深い質問がでました。「相手の目をしっかり見て笑顔でうなずきながら対応したのに、へらへらしていると言われてしまった。どうすればよいのか」というものです。原則をきちんと守っています。「なぜ」と思うのも当然です。実際にその場を見たわけでないので何とも言えませんが、おそらく相手と関係なく、自分のリズムでうなずいたりしていたのだと思います。相手の状況に応じて反応しなければ、きちんと聞いているようには思えません。自分の言葉に対して笑顔になったと思えば、へらへらという言葉は出ないでしょう。自分との関係にかかわりなく、いつも笑顔でいるのだと思ったので、へらへらと言ったのです。じっと話を聞いていて、相手の言葉が途切れたときに笑顔でうなずくというように、相手のリズムに合わせて反応することが必要です。

今回の研修は、お仕事の後の遅い時間にもかかわらず、100名ほどの方に参加いただけました。熱心な方が多いことに感心しました。最初は少しかたい雰囲気だったのですが、途中からしっかりと反応しながら参加していただけました。考えてもらう課題をいくつか用意したのですが、皆さんとても真剣に取り組んでいただけ、私が想像しなかったような素敵な答えもたくさん出てきました。日ごろから良好なコミュニケーションを取ることを意識しておられるからだと思います。

日ごろはお会いすることの少ない、教育以外の分野の実践者と接する機会をいただけたことに感謝します。自分の専門とは違う分野の方から学ぶことはとても刺激的でした。逆に私の話が皆さんにとって少しでも刺激となったのであれば幸いです。

「対話力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「対話力」がテーマです。相手の気持ちをどう受け止め、どう返せばいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。

話し相手になる時には、相手の感情面に意識することが大切です。言葉の裏にはいろいろな思いが隠れています。同じ言葉でも、人によって隠れている思いは異なります。時には、話題をふることで相手の言葉を引き出そうとしていることもあります。いくつかの可能性を考えることが必要です。言葉に潜む感情を察知し、相手の気持ちを想像しながら会話をすることが重要になります。注意してほしいのは、相手の感情に対して「気持ちがわかる」と安易に同調しないことです。特に負の感情の場合、相手が自分の体験をわかるはずがないと反発する可能性もあります。また、「そんなことはないですよ」という下手な励ましは危険です。相手の言っていることをそんなことは「ない」と否定しているからです。負の感情を含めて丸ごと受け止める、理解していることを伝えることが必要になります。「相手の言葉をまず受容する」「相手の気持ちを引き出す」「別の可能性を相手に気づかせる」「前向きな言葉を相手に言わせる」といったカウンセリングマインドで接することが大切です。

「自分は話し下手でまわりの人と上手くなじめない。まわりの人は私といても楽しくない」と考えてみんなの輪に入ろうとしないが、実は入りたいと思っている方に対してどのように対応すればいいかという課題に、グループで取り組んでいただきました。対話を考えてもらえればと思っていましたが、素晴らしい対応を考えたグループがありました。
自分たちが話をしてもなかなか動いてくれない方もいる。また、特定の人にかかわってばかりはいられない。そこで、声をかけてくれそうな方の横に座席を設定するという対応です。人は何か課題に直面した時に、自分が対応しようとすることが多いのですが、そうではなく、第三者を上手く活用するのです。その手段として環境を変えるという発想です。学校でも通用する考え方です。もし、上手くいかなければ、また別の人と組み合わせればいいのです。時間をかければきっとその方にあう方が見つかることでしょう。その方との関係を軸に、他の人と関係を作っていけばいいのです。
さすがは毎日現場で実践をしている方々です。私も学ばせていただきました。

最後に、相談事をされた時の対応についてお話ししました。相談は、自分の決定を後押ししてほしいだけのこともあります。そんな時、いくらこちらの考えが正しいと思っても、そのことを強く主張しすぎると反発を招くこともあります。相手の考えを否定しないように注意しなければなりません。人の数だけ考え方があることを忘れないことが大切です。
また、相手が相談するということは、信頼してくれているということです。その信頼を裏切るような行為をしてはいけません。プライベートなことは、たとえ職場の仲間であってもしゃべらないようにする必要があります。もし、他の職員にも話す必要があると考えたら、必ず本人の許可を得てほしいと思います。

この日も、職場での実践に基づいた対応からたくさんのことを学ばせていただきました。よい勉強の機会を得ていることに感謝します。

「楽しく授業研究しよう」第12回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第12回「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」での学び(その1)が公開されました。

ぜひご一読ください。

チームワークが支えた授業研究

前回の日記の続きです。授業研究は、1年生の体育で男女混合でのフラッグフットボールでした。フラッグフットボールは1チーム5人で行う、アメリカンフットボールをもとにしたゴール型ゲームです。タックルの代わりに腰につけたタグを奪うことで身体接触を無くし、ドリブルやシュートといった難しいボール操作もないので男女混合でも競技がしやすいのが特徴です。攻撃と守備がはっきり分かれ、1回の攻撃ごとにハドルと呼ばれる作戦会議があり、一人ひとりに役割が振られます。子ども同士のかかわり合いが競技の中に明確に位置づけられています。子どもたちが作戦を立てやすいように前時までに基本的な攻撃パターンをいくつか練習しています。
そして、今回は特別にゴールをすると得点が2倍になるキーパーソンを設定しています。キーパーソンを意識することで作戦の幅を増やし、活躍する子どもを増やそうというわけです。キーパーソンは、相手からなってほしくない生徒を2人指名させ、残りの3人から選ばせます。こうすることでより多くの生徒が得点にからむ活躍ができると考えたのです。
競技の特性や特別ルールから、この授業のねらいが見えてきます。子どもたちがどのようなかかわりをするのか楽しみです。

授業規律という点で少し気になる点がありました。集合させて説明する時に顔が上がらない子どもの姿が目につきます。チームの誰かが聞いていれば困らないこともあって、全員が集中しているというとは言えません。ここは、全員の顔が上がったのを確認してから説明を始めたいところです。また、ウォーミングアップに何をするかの指示はあったのですが、活動のポイントや注意事項の確認がありませんでした。復習として、子どもを指名して確認するとよかったと思います。また、チームの活動場所への移動も歩いている子どもがほとんどでした。移動などもできるだけ素早くするように指導したいものです。
ウォーミングアップは、パスと1対1のランプレーでした。子どもたちの声が聞こえないことが気になります。「ナイスパス」といった評価や、「○○に気をつけよう」といったアドバイスの声がほしいのです。ランプレーの練習でもプレーしていない子どもから声が出ません。練習のポイントの確認が必要だということです。

まずチームごとに時間を取って基本の攻撃パターンを考えます。外から見ていると、子どもたちは作戦を考えるための根拠をあまり持っていないように見えます。前時までに基本的な攻撃のパターンを学習しているはずですが、それぞれどのような特徴があり、どんな場合に有効なのかは意識されていなかったようです。ここであまり時間を取るよりも、まず1試合経験させてから各チームが考えたことを発表し、全体で共有した方がよかったと思います。再度作戦を考える時間を取れば、より深く考えることができたはずです。
試合で気になったのは、守備側の動きです。基本的な守備がわかっていないのです。攻撃陣に対して後ろに下がったまま対峙します。この競技では相手の動き出しを止めることが守備の基本です。これでは走りだして加速する時間が十分に取れてしまうので、攻撃陣のスピードが乗ってしまい止めることが難しくなります。
実はこの授業の指導案を考えるために、先生方の有志で実際にフラッグフットボールをやってみたそうです。延べ20人ほどの方が自主的に参加されたそうです。このチームワークのよさがこの学校の魅力です。先生方はこれまでフラッグフットボールの経験はなかったのですが、プレーを通じて攻撃の動きを止めるために誰をマークするかと考えたり、動き出しを止めなければいけないことに気づいたりしたようです。自然にディフェンスラインを前に上げるようになったようです。このことから、授業者は教師が働きかけなくても、子ども自身で気づくと考えていたようです。
しかし、守備側の子どもたちはハドルをしません。攻撃側のハドルが終わるのをボーっと待っているのです。守備側が対応することで攻撃側も作戦を工夫する必然性が出てきます。この状態では、作戦を立てる活動は活性化しません。守備側が組織的に対応するという視点が子どもになかったのです。
途中でいったん止めて、全体で守備について考える時間を取るべきでした。しかし、対戦相手を変えながら最後まで試合を続けました。
前時までの基本的な攻撃のパターンの練習時に、守備側はどうすれば防げるのかを考える場面をつくるべきだったように思います。作戦がわかっていれば止める方法が考えられることを知って、初めて互いが作戦を立てる必然性が出てくるのです。

最後にうまくいった作戦、逆に相手チームのうまかったところを聞きました。しかし、なぜよかったのか、どうすれば防げるのかといったことを考える場面はありませんでした。単に発表しただけで終わりです。また、見事なタッチダウンパスを決めたチームがありました。そういうチームを評価して、作戦を立てるのにどんなことを話し合ったかを聞いてもよかったかもしれません。

先生方は自分たちがこのゲームを経験したこともあって、各チームの様子、特にハドルの様子をとてもていねいに観察していました。授業検討会でどういうことが発表されるかとても楽しみです。
検討会では、まず、各チームでの話し合いの場面での授業者の働きかけが話題になりました。
授業者がこんなやり方もあると教えるとその作戦に決まってしまう。そこで、「やってみればいいじゃん」と子どもの背中を押すようにしていた。このことがきっかけで、子どもたちが次に進むことができていた。
よくわかっていないと思える子どもに「わかった?」授業者が問いかけたところ、首を横に振った。わかっていないことに気づいた子どもがフォローしてもう一度説明をし始めた。
自分がプレーすることに不安を持っていた子どもに「カバーしてくれるよ」と授業者が声をかけたら、安心して動いた。
前向きな言葉かけや子ども同士をつなぐような働きかけが大切なことがよくわかります。しかし、個々のチームに個別にかかわりすぎると全体を見ることができません。体育では、事故が心配ですから常に全体に気を配ることが求められます。個々へのかかわりの時間を短くして、全体の状況を把握するよう意識することも大切になります。また、個別の指導で見つけた個々のチームのよい気づきや行動を全体に広げる場面をどうつくるか考えることも必要です。最後に発表しても、そのことをすぐに実践する場面がないので、活かすことができません。もし、最後になってしまったら、次時の最初にそのことを確認して思い出させてから学習に入る必要があるでしょう。

子どもたちは、作戦を考えて攻撃することで、次第にかかわり合いが深くなっていったようです。一人ひとりに役割があるので、自分のすることを理解しなければいけないからです。
ただ聞いていただけの子どもが、自分からどうすればいいのか聞くようになった。おとりを続けていたキーパーソンが、「そろそろボールに触りたい」と自己主張した。できる子が優しくフォローする姿が見られた。男女混合でやったソフトボールの時には、男子に任せて積極的に動かない女子が目立ったが、フラッグフットボールでは自分の役割があるのでしだいに女子が活躍する場面が増えていった。
このようなことが語られました。先生方は子どもたちのかかわり合いを実によく観察しています。今回の検討会で印象に残ったのは、子どもたちの様子がすべて固有名詞で語られていたことでした。先生方の授業を見る目も進歩していることがわかります。

今回授業者は経験のない競技に挑戦してくれました。その経験の足りない部分を、先生方が子どもと同じように競技をしてみせることで補ってくれました。だからこそ、授業者だけでなく、参加された先生方の学びも大きかったと思います。
作戦を立てなければプレーできないという話し合う必然性が盛り込まれている競技なので、子ども同士のかかわり合いをうまくつくりだすことができました。話し合う必然性のある活動の大切さがよくわかりました。それと同時に、話し合いをより深めていくためには、教師の働きかけや授業の組み立の工夫が必要であることも確認することができました。このことは体育に限らずどの教科にも通じる学びです。
よい雰囲気の中、私もたくさんのことを学ぶことができました。チームワークのよさがこの学校の進歩を支えていることがよくわかる授業研究でした。次回の訪問が今からとても楽しみです。

確実な変化が見られる中学校

先日、中学校の現職教育に参加してきました。今年度5回目の訪問で、4回目の授業研究です。この日に授業研究は体育で、私がまだ見たことがないフラッグフットボールの授業でした。指導案からも教材研究がしっかりされていることが伝わります。どのような子どもの姿が見られるのかとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。一部の先生を除いて教師が一方的にしゃべる場面を見ることがなくなりました。子どもの言葉から授業を進めようとしています。子どもを受容することと合わせて、この学校に定着してきています。確実によい変化が現れています。ただ、子どものつぶやきに対してすぐに個別に反応する場面が目につきます。全体で共有すべきことであれば、まず全体に対して再度言わせて、みんなで考えることが必要です。そうでなければ、あとで個別に対応すればいいのです。全体の場で個人的なやり取りは必要ないのです。
子どもに発言を求めるのはよいのですが、挙手をした子どもだけを指名する傾向が強いように感じます。挙手した子どもだけで授業を進めるのではなく、全員が参加することを意識してほしいと思います。「すぐに指名をせずにまわりと確認させる」「1問1答を避け、挙手に頼らず何人も続けて指名する」「発言をなるほどと思った子どもにその理由を聞く」というように、子ども同士をつなぎ、子どもに参加することを求めてほしいと思います。

また、子どもの発言意欲も少ないように感じます。ほぼ全員が正解できているはずでも、数人しか手が挙がらない場面がよくあります。その原因の一つに、子どもたちの発言をポジティブに評価していないことが上げられます。受容はするのですが、評価や価値づけがないのです。よい発言をしても評価されなければ発言意欲はわきません。
もう一つの原因は、課題のゴールが不明確で活動の評価がはっきりしないことです。活動に対する指示はあるのですが、「何のために」「どうなればいいのか」という目的と目標が子どもたちにわかる形で示されていないのです。教師が評価しなくても、「やった」「できた」と自己評価ができれば、それなりに達成感があるのですが、その評価の基準が見えなくては自己評価できません。ただやらされているだけす。当然発言意欲もわかないのです。

授業規律も一部の学級で緩んできているように思います。よい状態の学級は、教師や友だちの発言をとても集中して聞いています。が、子どもたちの作業を止めずに教師が説明を始めている学級では、子どもが落ち着きません。作業が終わったら大きな声で「終わった」と宣言したりもします。次の指示がないので、まわりと雑談してもいいはずだと主張しているのです。基本がいつの間にかおろそかになっています。
今年度も残りわずかですが、これらの課題への対策を具体的にして、年度内に取り組んでいくことが必要です。研修部のメンバーは実行力のある方たちですから、すぐに動いてくれることと期待しています。

社会科の室町時代の授業です。東山文化と北山文化について、代表的なものの写真をもとに「比べてわかること」を個人でワークシートに書かせていました。指示が具体的なので取り組みやすいのでしょう。子どもたちはとても集中していました。この比較することが授業のゴールであればいいのですが、おそらくそうではありません。とすると、このことに時間をかけすぎてはいけません。一番考えさせたいことに使う時間がなくなってしまうからです。授業者に確認したところ、2つの文化の違いの原因を考えさせることで、かかった費用の違いから「戦乱」、いぐさの利用から「二毛作」というように、室町時代の出来事や特徴を整理させたかったということです。しかし、比較に時間をかけすぎて、時間が足りなくなり十分な活動ができなかったようです。「比べてわかること」は、取り組みやすいからこそ全体の場で発表させることで素早く共有し、出てきたことをもとに主となる課題を考えさせるべきだったと思います。

何人もの若手がアドバイスを聞きに来てくれました。この日見た授業のことだけでなく、今抱えている課題について質問もしてくれました。
「理科の岩石の授業は、観察はしても最後は石の組成などの知識を教えることになってしまう。どのようにすればいいのだろうか」という質問をしてくれたのは、2学期の授業研究でとても素晴らしい授業を見せてくれた若手です。この日の授業でも、子どもたちはとても集中していて、素晴らしい姿を見せてくれました。授業者からは自信も伝わってきます。しかし、そのことに甘んじることなく、よりよい授業を目指していることをとてもうれしく思いました。
まず、岩石の観察で見つけたことを、「黒い粒がある」「粒が大きい」・・・といった子どもたちの言葉で表現させ、全体で共有させます。続いてこれらを比較することで、共通なこと、異なることを明確にします。これらの子どもたちの気づきを、教科書や資料集を参考に理科の用語を使って表現することを次の課題にします。「黒い粒」は「雲母の結晶」、「粒が大きい」は「結晶が大きい」というように置き換えていくことで、知識と自分たちの観察がつながっていくはずです。このようなアドバイスをしました。

「体育のダンスの授業でどうしてもうまくできない子どもが何人かいる。この後のグループでの創作活動で上手く仲間に入れないのではないか心配だ。どうすればいいのだろうか」という質問がありました。初任者ですが、子どもたち全員が活動できるようにすることを意識して授業をしています。子どもたちを活動させることができるようになり、表情がずいぶん明るくなっています。授業が楽しくなってきたようです。だからこそ、出てきた質問です。
音楽の速さについていけないのであれば、音楽ばかり頼らずにカウントを使って練習することも一つの方法です。教師が個別に対応しようとするより、子ども同士のかかわりあいでできるようにすることも大切です。向かい合ってカウントを取りながら同じ動きをする。できる子が相手に合わせて早さを調節する。苦手な子のペースでできる子を真似することで動きを覚えることができます。子ども同士がかかわらなければできない活動を工夫するのです。また、グループの創作では全員が同じ動きをするのが原則かもしれませんが、苦手な子と他の子どもとの動きを変えるという方法もあるでしょう。苦手な子どもの単純な動きとまわりの子どもの動きのコントラストを活かそうという発想です。苦手な子どもを隅に置くのではなく、あえて真ん中にして活かすのです。
この課題は、今回の授業研究にもつながることでした。授業研究については次回の日記で。

佐藤正寿先生から多くのことを学ぶ(長文)

本年度最後の教師力アップセミナーに参加しました。奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生の「子どもたちが熱中する社会科授業」という講演でした。

10の視点で社会科だけでなく、どの教科にも通じる授業づくりのポイントを紹介されました。

視点1 基礎基本を楽しく
佐藤正寿先生は、社会科クイズを知識の定着によく利用されます。クイズ形式は盛り上がりますが、知識を問う問題は知らなければ答えられません。時間を与えたからといって答がわかるわけではありません。時間をかけるとだれてしまいます。テンポよく進めるのがポイントです。既習事項は知っていることが前提ですので、クイズになじみます。未習であれば、扱い方に注意が必要です。「あれ、なんだろう」と興味を持たせるような問題であること、そして、子どもがなんらかの根拠を持って考えるような仕組みが必要です。
今回示していただいた例、「日本で一番大きな島はどこ」という問い(クイズ?)を考えてみましょう。地理の問題ですから地図と連動させることが大切です。子どもは日本地図を頼りに考えます。日本地図を表示することが必要になります。もちろん手元に地図帳を用意してもいいでしょう。本州という正解が出たところで、「島」の定義が問題になります。実は、この問いは、島の定義を知識として教えて定着するものでした。もちろん、大きな島を探すことで、島に関する知識も身につきます。定義をもとに、2番目、3番目を確認します。そして、四国の次に大きい島はと聞き、本州が島だと気づかなかった子どもにも、「択捉島」を発表させることで活躍させます。子どもたちと地図を結びつけることで、地図を身近なものとするねらいもあります。島に関連して、「日本に島はいくつあるでしょうか」と質問します。これこそ知らなければ答えられない問題です。推測でしか答えられません。しかし、子どもたちがいくつだろうと考え推測することで、6,853という細かい数字までは頭に残らないかもしれませんが、少なくとも概数は印象に残ります。島国だといわれる日本にどのくらいの島があるのかを知識として身につけることにつながります。単に、「日本には島が6,853あります」と教えるより、はるかに楽しく、そして定着するわけです。

視点2 資料にあったスモールステップ
これは私もよく言うことなのですが、「気づいたことは何ですか」では、なかなか子どもは答えられません。視点がはっきりしないからです。そこで佐藤先生は、スモールステップに分けて考えさせることを提案されます。
最初は基礎項目の理解です。まず資料のタイトルや出典を確認します。タイトルに「領土面積」とあれば、学習用語である領土の意味を確認します。「領土」があるのだから、「領海」や「領空」といった関連用語も合わせて確認をしてもいいでしょう。出典から、信頼できる資料かかどうかを判断します。グラフであれば、軸の項目なども確認し、どのような情報なのかをまず理解した上で「減っている」「増えている」といった全体の傾向をつかみます。
基礎項目を理解した上で。「比較」「推測」「解釈」をします。資料の事実を比較することで、その理由を「推測」する。教科書や他の知識と関連付けて「解釈」する。こういう活動を行うのです。子どもたちから疑問が出てくることもあります。今回は日本の年ごとの領土のグラフを例に説明されましたが、1945年のものだけ色が変わっていました。そのことに疑問を持つ子どもがいるはずです。この時は連合軍に占領されていたから色が変わっていたのです。こういった子どもの発言を評価しながら、資料をもとに深く考えさせるというわけです。

視点3 資料の見せ方
資料の一部分を見せないことで子どもの興味・関心を引き出すことができます。隠れているところに何があるのだろうかと考えさせるのです。答は教師が教えてもいいですが、教えなという選択もあります。自分で調べさせるのです。例えば、コンビニのおにぎりの横には何があるかを隠しておきます。「おにぎりと一緒に飲み物を買うから飲み物だ」と気づかせることから、「並べ方の工夫」につなげていきます。一つの例から、より一般化して広げていくのです。
見る視点を変えるだけで世界は違って見えます。韓国や中国からみた日本の地図を提示されました。日本海を挟んで日本列島から沖縄までが韓国や中国の進出を阻む壁のように見えます。彼らが領土問題に敏感になることがわかるような気がします。立場を変えてみる、多面的に見るといったことの大切さを知らせることもできるわけです。
愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」では、有田和正先生の授業を若手がICTを活用して追試しました。コンビニの店員から見た店の様子をパノラマ写真にして、その一部分を見せることからスタートしました。これも同じ発想です。
このフォーラムの内容は、(株)プラネクサス発刊の「野口芳宏・有田和正・志水廣 授業名人が語るICT活用 −愛される学校づくりフォーラムでの記録」で知ることができます。単にフォーラムでの発言や内容をまとめた記録ではありません。このフォーラムに向けて若手とベテランが授業名人に近づこうとどのような努力をしてきたか、その挑戦と成長の姿が書かれています。名人が語った言葉には、ICT活用を超えて授業とはどうあるべきかという本質があふれています。授業力をつけるとはどのようなことなのか、授業とはどうあるべきかを考える参考になるはずです。ご一読をお勧めします。

視点4 見えないものを見えるようにする
絵や写真資料でも、「気づいたこと」と問いかけることがあります。視点2でも語られたように、パッと見ただけでは「気づいたこと」はなかなか出てきません。視点2と同じようにまず「題」などからどんな図や写真であるかを確認します。その上で、「見えるものは何か?」と問いかけます。子どもにとって答えやすい、簡単な発問から始めて活動させるのです。ささいなことであっても子どもから出てきたことは受容しほめます。次第に細かいところまで気づいていきます。見えるものから「比較」もでてきます。こうして、全員が考えるために共通の基盤がつくられていきます。ここを足場にして、深い読み取りをさせていくことになります。子どもの考えを広げ、「どうして、・・・となっているのかな」といった切り返しで焦点化していくのです。
また、教科書等の資料ではスペースの都合で一部分しか載せられていないこともあります。原典を全部見せることで、違った気づきもあります。資料の見せ方で伝わる内容が変わるという、情報リテラシーの学習にもつながっていきます。

視点5 「知りたい・調べたい」に転化させる
教師が教えるのではなく、子どもが知りたいと思うようにすることが大切です。資料から、「質問したいこと」「知りたいこと」「調べたいこと」を子どもたちに出させます。「知りたいこと」は「知らないこと」でもあります。それを発表するということは自分の無知をさらけ出すことにつながります。私たちが思う以上に言いにくいことでもあるのです。時には失笑を買うこともあります。安心して発表できる雰囲気をつくる必要があります。佐藤先生はこういう場面では、「なるほど」という言葉を多用します。肯定も否定もしない受容の言葉だからです。
佐藤先生のかつての実践が紹介されました。「もし、学校のまわりに交通安全施設を作るとしたら、どこに何を作ったらよいか」という課題です。
「学校のまわり」という条件は、子どもたちが「自分で」調べられるからです。作るものは1つに限定します。限定することで「吟味」が必要になるからです。焦点化する過程で「判断」が求められます。
子どもたちは、交通量を調べるといった実態調査や聞き取りをしました。警察に聞くことで横断歩道の設置などの条件が法律で規定されていることを知ります。子どもたちが問題解決しようと自分で活動することでダイナミックな単元構成となります。プランを作るという最終ゴールは、社会参画の意識を持たせるものです。佐藤先生の社会科観がよくわかるものでした。

視点6 学習用語を身につけさせる
学習用語はどの教科でも大切にしたいことです。私は常々、言語活動では日常用語と学習(学術)用語を自由に行き来させることが大切だと思っています。客観的な定義をされた言葉と自分の持っている言葉とをリンクさせることで、用語が内包している概念を理解できると考えるからです。
佐藤先生は、社会科の用語にこだわりながら授業を進めておられます。物事を明確にするにはコントラストが重要です。用語の定義を明確にするために、「違い」を知ることが有効です。佐藤先生が例に挙げた「山地と山脈」「沼と湖、池」「標高と海抜」「工業地帯と工業地域」などの違いはきちんと教えておきたいものです。
用語を定着させるためには、教科書を音読させるとよいということです。秋田県では「朝音読」といって予習として音読をさせる学習習慣があるそうです。教科書を音読することで、自然な文脈で用語と触れることになります。定着させるための一つの方法だと思います。

視点7 布石を打つ
かつて有田和正先生は、スーパーマーケットで毎日試食をすることを宿題にしたそうです。そのうち子どもは「何のために試食をするのだろうか」と疑問を持つようになります。子どもの中に「知りたい」が生まれてきます。1週間ほどすると「売りたいものを試食させている」と気づきだすそうです。そこで、スーパーマーケットの学習をするのです。事前に布石を打つことで、子どもたちが深く学習するための下地をつくるのです。
例として、「○○日記」というアイデアを教えていただきました。「ごみ日記」「天気予報日記」「CM日記」などをつけさせて紹介するのです。興味・関心よっては思わぬ子どもが反応します。日ごろとは違った子どもを活躍させる機会にもなります。
この他にも、「係を作って新聞を切り抜いて今日のニュースを貼り出させる」「学習する地域に関連する物を事前に子どもたちに持ってこさせ、物産展を開く」といったアイデアが示されました。

視点8 ICT活用はマッチするものをシンプルに
ICTは準備に時間がかかるとなかなか使う気になれません。準備がシンプルなことが大切です。実物投影機による拡大はシンプルですが、とても効果的です。教科書を拡大するだけでも、焦点化・視覚化・共有化が簡単にはかれます。拡大した教科書に書き込むことで共有化ができます。何ページの何行目と言わなくても、拡大して「ここ」とするだけで指示が明確になります。教科書のさし絵を表示して題をつけるだけでも、立派な教材です。また、発表用のまとめを大きな紙に書かせると時間がかかりますが、通常の大きさの紙に書かせれば時間はそれほどかかりません。実物投影機で拡大をして発表させればいいのです。
佐藤先生はフラッシュ型教材をよく活用されます。授業開始時に、復習問題を提示して○×をリズムよく答させるだけでも、手軽なよいウォーミングアップになります。
ICT活用するために授業スタイルを変えるのではなく、「準備が簡単」「部分活用」の発想で、今までのスタイルにICT活用を加えることが、日常的なICT活用につながるというお話は、具体例とあいまってとても説得力のある主張でした。

視点9 キー発問の類型化とネーミング
1単元、1単位時間の授業のねらいに迫る中心的な問いを「キー発問」と定義されています。社会科のものの見方・考え方につながる発問です。佐藤先生は授業の中で必ず「キー発問」を入れるようにされています。この「キー発問」を類型化しておくことで、発想しやすくなるということです。

・「5W1H」 「いつ」「どこ」「だれ」「なに」・・・と聞く
武士の世の中が始まったのは「いつ」?
「だれ」が安全な暮らしを守っているか?
魚の値段には「なに」の費用が入っているか?

・選択発問 「賛成か反対か」「もし、・・・したら」
あなたは農薬を使うことに「賛成か反対か」?
「もし」食料自給率が「下がったら」?

・焦点化発問 「条件は何か」「・・・と言えるか」
工業が盛んな地域の「条件は何か」?
貴族の暮らしは一言で言えばどんな暮らし「と言えるか」?

このように整理されると、確かに発問がつくりやすくなります。他の教科でも活用しやすくなるように思いました。

視点10 地域のよさ・日本のよさを伝える
これは佐藤先生のブログのタイトルにもなっている言葉です。「他の国や地域の方に、胸を張って自分たちのよさを伝えてほしい」「日本人として、日本と言う国に誇りを持って生きてほしい」「自分たちの国や地域を愛してほしい」という想いだと思います。
ともすると、自分たちの国や地域に誇りを持つことは他の国を貶めることと勘違いされることがあります。自分たちが1番素晴らしいのだという、間違った愛国心と同一視されることもあります。決してそうではありません。自分たちの国や地域を愛するからこそ、他者の同じ気持ちを理解し尊重できるのです。このことが国際社会を生きるための条件だと思います。佐藤先生の社会科の教師としての原点を見せていただいたように思います。

最後に、佐藤先生の価値ある出会い、有田和正先生とのことを話されました。有田和正先生の「教師を跳び越える子どもを育てる」授業にあこがれ、追い続けてこられました。「価値ある出会い」が自分を変えてくれたということです。価値ある出会いは誰にでもあるはずです。あこがれの先生とつながり、徹底的に追試をすることで成長できる。そう伝えられました。
また、成長と関連して教師のステージということも話されました。
・第1ステージ 基礎を学ぶ
・第2ステージ 学校の柱(中堅)となる
・第3ステージ 学校のリーダーとなり、後輩を育てる
今自分がどのステージなのか意識して、そのステージに必要なことを学んでほしいということです。
気がつくと2時間の講演があっという間に終わっていました。

社会科の授業のポイントをわかりやすく整理して教えていただけました。佐藤先生が教えてくださった視点は社会科だけでなく、どの教科にも活かせるものです。今回、その具体例を模擬授業の形で見せていただけました。そこには、子どもの発言の受容・評価といった受け、挑発・ゆさぶりといった切り返しなどの授業の基礎技術がたくさん盛り込まれています。授業技術だけに着目してもとても学びの多い講演となっていました。また、教師の成長と言う視点でもとても大切なことを教えていただけました。
佐藤先生の懐の深さを改めて実感させられました。素晴らしい講演を本当にありがとうございました。

中学校で抱えている課題を伝える

先週、中学校で授業アドバイスと現職教育に参加してきました。

1年生は、授業者によって子どもたちの態度が大きく異なるという状況に変化があまり見られませんでした。というより、同じ学級でこれほど違うかというほどの差が見られます。授業が上手くいっていない場合、その理由の1つは、授業者と子どもたちとの人間関係が上手くいっていないことにあります。子どもたちに受容的な教師が多いため、高圧的で押し付けているように感じさせると子どもたちが反発します。席を立ったり騒いだりするわけではないのですが、教師の話に対して集中しないことで反発を示します。もう1つの理由は、教師の一方的な話が続くことにあります。ずっと受け身の状態になるので、集中力が切れてしまいます。子どもに問いかければ反応し集中が戻るのですが、授業者が受け止めたり取り上げたりしないので、すぐに元の状態に戻ってしまいます。
また、教師の説明の時に髪の毛を触ったりする女子の姿も気になります。授業者に対して「つまらない」「わからない」「参加させて」と訴えているように感じます。それでも板書は写しています。授業に参加する気持ちが全くないわけではないのです。こういう子どもたちを無視せずに、声をかけるといったかかわりを持つようにする必要があるでしょう。

2年生も授業者や場面で異なる姿を見せます。しかし、その様子は1年生とはかなり異なっています。例えば、教師の立ち位置で顔が上がるか、下を向くかが変わったりします。「今は聞き流してもいい」「あっ黒板の前に立った、重要な説明をするからしっかり聞こう」といった判断が働いているのです。状況を読んでいると言ってもいいでしょう。このことをどう評価するか難しいところです。「子どもらしくない、功利的な態度だ」と否定的にとらえるのか、「状況を判断して、力をコントロールするのは成長した証拠だ」と肯定的にとらえるのか、どちらの考え方もあるでしょう。いずれにしても、教師がこうあってほしいという思いを子どもに伝えれば、それに応えてくれるはずです。私には、その場その場で教師が望むことを忠実に写しだす、鏡のように見えます。
子どもとの人間関係の構築に失敗したと感じる若手の教師が若干います。テンションを意味なく上げる雑談をしたりして、一部の子どもとだけ盛り上がり他の子どもが離れていった。表面的には子どもを受容しているようにふるまうのだが、思い通りに子どもが動かないと、表情や対応から子どもを認めていないことが伝わってしまった。こういったことが原因のようです。このことを素直に自分で認めることができれば、変わることができるはずです。気づいてくれることを期待します。

この日見た授業で気になったり、面白いと感じたりした場面をいくつか紹介します。
結果だけが書かれる板書が目につきます。板書を見てもその結論が出てきた根拠がわからないのです。もちろん、何らかの形で根拠が語られているのでしょうが、それがどこにも残っていないのです。根拠が書かれていない板書を写すことで、子どもたちは結果のみが大切だと考えてしまいます。
また、数学で子どもに答を板書させた後の対応が気になりました。答を書いた子どもに一切発言させずに、教師が勝手にその答を判断し、時には修正しながら説明します。しかも根拠は一切書かれません。これでは、子どもに板書させる意味がありません。最初から教師が説明した方が時間の無駄がないだけまだましです。別の教室では子どもの書いた答にただ○をつけるだけの場面がありました。これも子どもに板書させる意味がわかりません。机間指導で全員わかっていると確認できているのなら、あえて板書させる必要はないでしょう。もしわかっていない子どもがいるのであれば、その子がわかるための手立てが必要です。
一方若手の数学の先生の板書が変化し始めました。大切なこと、まとめをわかりやすく色を変えるなどの工夫が出てきたのです。その日の授業で何が大切かをしっかり教材研究しなければできません。当然授業もポイントを押さえたものに変わりつつあります。ただ、まだ思考の過程や大切な根拠が何かは押さえられていません。次の課題でしょう。

TTの机間指導で子どものノートをよく見ている場面がありました。間違いや足りないことを指摘していきます。しかし、ほめる言葉は一言もありません。子どもは間違いをチェックされていると感じます。否定しかない机間指導です。発想を変えて、できていることをほめてほしいと思います。間違いがあれば、「ここまであっているよ」「ここはいいね」と言えば、どこがおかしいか気づきます。子どものやる気を引き出そうとすることが大切です。

ベテランの社会科で、日清戦争後の2枚の風刺画をもとにした授業がとても興味深いものでした。絵の表わしている当時の状況を教科書や資料集の事実と照らし合わせて読み取ろうというものです。かなり高度な内容です。子どもたちはしっかりと考えようとしていますが、一部の子どもしか意見を言うことができません。まず、絵に何が書かれているか全員で共有し、そこからこの絵に描かれた状況はどのようなものかを全体で確認する。それから、その状況は、どんな歴史的事実、状況を表わしているのかを教科書や資料集をもとに考えさせるというスモールステップを踏むとよいと思います。授業者は忙しい立場なので日ごろはなかなか授業について話すことができないのですが、この日は久しぶりにじっくり話し合うことができました。とても楽しい時間を過ごすことができました。

現職教育は、今年度の総括です。最初は、教科ごとのこの1年の実践報告でした。正直教科によって実践の密度は大きく異なっていました。教科全体でテーマを持って取り組んだところ、個人レベルで取り組んだところ、特に何に取り組んだのかよくわからないところといろいろでした。
研修主任からは、子どもたちにこうなってほしいという姿に対して、その姿を実現するための手立てとして何がベストなのかをより深く追究してほしいということが話されました。熱い思いが伝わってきます。

私からは、現在この学校が抱えている課題についてお話しさせていただきました。
1年生、2年生に見られる子どもの姿は、教師が子どもたちに何を望んているかを表わしています。顔を上げて話を聞いてほしいといった授業規律一つ取っても、そのことにこだわり続けた方の教室ではきちんとできています。意識しなくなってしまえば、いつの間にか子どもの姿はバラバラです。教師が望めばできる子どもたちです。逆に言えば、望まなければできないのです。
子どもを受容できる先生が増えています。しかし、挙手に頼る授業が目立ちます。挙手した子どもしか指名しなければ、わかっている子ども、自信のある子どもだけで授業が進んでしまいます。子どもの言葉を引き出す技術が必要です。発言を引き出すためには子どもに自信を持たせることも必要でしょう。机間指導で○をつけたり、「いいね」と声をかけたりするといった方法があります。もっと簡単なのは、間違えても恥ずかしくない雰囲気を教室につくることです。どんな答でも、「なるほど」と認めてもらえる。たとえ間違えても、修正する機会を与えられて、最後は必ずほめられて終わる。このようなことを意識して授業を進めるのです。
子どもの同士の関係は決して悪くはない、というよりかなりよいのです。ペアやグループでの活動もおおむね機能しています。が、かかわれない孤独な子どもも目立ってきています。人間関係の問題なのか、学力的にきびしくて話し合いに参加できないのか、教師はきちんと見極めることが大切です。特に、学力的な問題であれば教師が授業中に個別に対応しすぎないことが大切です。子どもたちが、「あの子は先生が対応してくれるからいい」と思ってしまうと、かかわらなくなってしまうからです。他の子どもとかかわれるように働きかけることが大切です。
子どもが授業に参加できていれば学力がつかなければおかしいはずです。先生方の教科力が問われます。そのためには教材研究が不可欠です。規模の大きい学校です。同じ教科の先生が複数いるのですから、日常的に授業のことを話題にしてほしいと思います。個人商店の集まりにならないように、教科で方向性を持って子どもたちの学力向上に取り組んでほしいと思います。
来年度からやろうでは、なかなか変わることができません。今年度は残りわずかですが、今から変えようとすることが来年度につながります。このことをわかってほしいと思います。

今年度もたくさんのことを学ばせていただきました。子どもたちと先生方に感謝です。ありがたいことに、来年度も授業アドバイスをお願いされました。どのような学びがあるか今からとても楽しみです。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の3つ目の模擬授業は、岩倉市立岩倉中学校の校長の野木森広先生でした。中学校の理科「電流とその利用」です。コーディネーター(司会者)は私が務めさせていただきました

模擬授業は、豆電球の明るさの違いを説明することを課題としたものです。予め動画にとっておいた実験を見せながらの授業でした。授業者は、「子どもに実験をさせる」「教師が演示実験をする」などの方法を実際に試した結果、20分という制限された時間内で完結させるのは難しいと判断して動画の利用に行き着きました。動画を利用することで時間が短縮されるだけでなく、どこに注目すればよいかを画面に示すこともできます。仮説や推測を確認する目的であれば、このような使い方はとても説得力があります。

回路につなぐ金属の違いで、豆電球の明るさが変わることを動画で見せます。授業者は子ども役の反応をしっかり受け止めます。反応に対して「ありがとう」「いい反応ですね」といった言葉を返します。「技能は◎ですね」といったポジティブな評価も欠かしません。今回のフォーラムの模擬授業者は、どなたも子どもを受容し、評価するということは外しません。三者三様の授業スタイルにもかかわらず共通しているということは、このことが子どもと授業者のやり取りの基本であることがよくわかります。

他の線と比べてニクロム線につないだ豆電球の明るさが暗くなるのは、分子の中を電子が流れにくいからだという粒子モデルを授業者が提示します。こういったモデルは子どもが考えて出てくるものではありません。子どもに考えて出させようとしても、塾などで習って知識として知っている子どもが活躍するだけです。それよりも、このモデルを使って事象を説明することができるかに重点を置くことが大切だということです。
その手始めが、次の「ニクロム線を長くすると豆電球はどうなるか、それはなぜか説明しよう」という課題です。結果を予想させ、実験どうかなるかを見せます。「今見たことを言葉で説明して」と言語化を求め、「ニクロム線が長いと暗い」「長くなると電気が流れにくい」「ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる」と事実をより理科的な表現に変えさせ、理科用語の「抵抗」につなげていきます。教科の言語活動では、教科的な表現、教科用語と結びつけることが大切です。これも3人の模擬授業者に共通していました。

ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる理由をグループで考えさせ、「ニクロム線の分子の数が多くなるから」と先ほどの粒子モデルでの説明を引き出します。
モデルを使って納得のいく説明させることで「分子」に注目させてから、この授業の主課題を提示します。「針金を熱すると豆電球の明るさはどうなるか、それはなぜか説明しよう」です。ここで、明るくなる場合と暗くなる場合の両方の場合の理由ついて考えさせます。どちらか一方の立場で考えさせるのが普通ですが、とても面白い進め方です。個人で考えさせた後、グループで相談です。どちらか一方の立場でしか考えられない子どもも出てくるはずです。友だちの意見を聞く必然性が出てきます。どちらが正解かを問うていないので、自分の考えを主張するというよりも、それぞれの考え方を理解し、実際にはどちらが正解となるかを客観的に考えることにつながります。グループ活動を活性化し、深く考えさせることにつながります。
この時、会場も授業を見るのではなく一緒になって考え込んでいたのが印象的でした。優れた発問だったということです。

明るくなる場合は、「電子の動きが活発になるから」。暗くなる場合は、「分子が動いてじゃまをするから」「鉄が酸化鉄になって流れにくくするから」といった意見が出てきました。ここでは、議論はしません。どんな理屈も現実と異なればそれは棄却されるのが理科だからです。
実験の動画を会場も含めて全員真剣に見つめていました。課題が自分たちのものになっているということです。実験は2回続けて確認されました。結果は「暗くなる」です。このことから、「分子が動いてじゃまをする」か「酸化鉄になって流れにくくなった」のどちらかが妥当な理由だということになります。授業者は、暗くなった後、熱するのを止めた時に再び明るくなったことから、酸化鉄の説は棄却されることを説明しました。時間があれば、「この2つのどちらが正しいのかを知るためにどのような実験をすればよいか」と発問したいところでした。授業者は20分の制限がさぞ恨めしかったことでしょう。

最後に、どんどん冷やしていくと超伝導が起こることを説明しました。極限まで温度が下がると分子の運動が止まることと超伝導から、電気抵抗の正体が分子運動であると考えられるようになったこと、それまでは正体がよくわかっていなかったことを話されました。科学の本質を伝える話です。性質や法則を見つけても、その原因や理由がわからないことはたくさんあります(例えば飛行機が空を飛ぶのはベルヌーイの定理で説明されますが、本当のところはよくわかっていません)。あくまでも仮説を積み重ねていくのが科学であることに気づかせるものでした。このような授業を続けていけば、子どもの理科的なものの見方・考え方を育てることにつながると思いました。
授業者が理科をどのような教科であるととらえているかがよくわかる素晴らしい模擬授業でした。

この模擬授業ではICTを活用した授業検討を行います。授業検討者はタブレットPCを持ち、心が動いた時にどこで動いたかを画面のボタンを押して知らせます。今回は、子どもたちのグループ、授業者、黒板をボタンに設定しました。サーバーにはいつ、誰がどのボタンを押したかが記録されます。同時に、それぞれの端末には今どのボタンが押されたかが色で表示されます。一定期間にたくさん押されれば色が濃くなっていきます。時間が経てば消えていきます。端末を見ることで、今授業検討者がどこに注目しているかわかるようになっています。記録されたデータは、1分ごとに集計され、このデータをもとに授業検討を進めます。授業はPCと接続されたビデオカメラを使ってサーバーに録画され、各場面をすぐに呼び出すことができます。
今回は授業検討者の多くの心が動いた部分を中心に協議するにする「3シーン授業検討法」を、このツールを使って行うことになっていました。現在開発中のシステムで、このバージョンを実際に使うのは今回が初めてです。どのように利用して進行するか考えるため、リアルタイムで集計データを見ながら模擬授業を参観していました。ところが、途中から、模擬授業そのものよりもデータに意識がいってしまいました。困ったことに気づいたのです。ツールでは、どのくらいボタンが押されたか1分ごとに集計されます。当然その数が多いシーンをもとに検討を進める予定でした。しかし、押された数の多い時間帯の中身を細かく見ていくと特定の方がたくさん押していたので数が増えていたのです。その一方で、合計はそれほど多くないのですが、ほぼ全員が押している場面があります。また、私的には非常に心が動いた「明るくなる、暗くなる、両方の理由を考える場面」を含む後半は、ボタンが押された総数がかなり少ないのです。これをどうとらえ、どう検討会を進めればいいのか授業検討会を前にして混乱していたのです。

結局、たくさん押された場面と、ほぼ全員が押していた場面に絞って検討を進めることに決めました。このことで頭がいっぱいだったため、ツールの説明を雑にして進めてしまいました。集計画面を見ながら、この場面が多い。一方この場面は、総数こそ少ないがほぼ全員が押していると説明して検討に入りました。会場の方はこの画面を始めてみる方ばかりです。この数字が何を表わしているのか、といった説明をしながら、まずたくさんボタンが押されている場面に注目して、「3シーン授業検討法」の基本的な進め方に則って進行すべきだったのです。事前に私が情報を分析した結果をもとにいきなり進行したため、本来目的とした授業検討ツールの紹介としてはわかりにくいものになってしまいました。せめて、事前に分析をせず、その場で会場の皆さんと一緒にどう進めるかを考えながら行えば、また違ったことになっていたはずです。時間を意識しすぎて失敗してしまいました。

検討の中で、特定の子ども役の様子が話題になりました。その子ども役の様子を追っかけていた検討者が、他の場面での様子を紹介します。ここで、ツールを使うことでその場面をすぐに再生することができました。ダイナミックに授業を振り返るツールとしての可能性を感じましたが、そんなことよりも基本となる部分をまずは会場全体に伝えることが必要でした。後半にボタンが押された数が少ないことに関連して、企業会員の授業検討者から次のような言葉を聞くことができました。「授業をどのように見るかよくわからなかったので、途中からボタンがたくさん押されたところを見るようにした」とのことです。経験の少ない若手に置き換えて考えればなるほど思わせる発言でした。
これは想像ですが、授業検討者がこのツールに慣れていないため最初は勢い込んでたくさん押したが後半は疲れてしまった、後半授業が興味深く進んだため見ることに集中してしまった、もしくはこの両方が、後半ボタンが押されなくなった理由だと思います。へたくそな進行でしたが、授業検討ツールに関して多くのことに気づくことができました。

3つの模擬授業と検討会の終了後、会長の新城市立千郷小学校の校長小西祥二先生を司会として、コーディネーター3人でまとめを行いました。ここで玉置先生からツールが参加者によく伝わっていなかったのでもう1度説明しましょうと提案していただきました。この時間を取っていただいたので、ツールについては一定の理解を得ることができたと思います。ありがたいフォローでした。
しかし、それぞれの授業検討法で心が動いたかという会場への問いかけでは、私の力不足でICTを活用した授業検討法は一番挙手が少ない結果になりました。このツールは開発担当者が連日徹夜でここまで仕上げてくれたものです。この日もうまく動くか心配で会場で待機していただいていました。感謝するとともに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
会場からは、司会者の力量に頼らず、誰もがどの場面に注目して議論すべきかわかりやすくするために、グラフ化したり、見せ方を工夫したりするとよいものになるではないかというアイデアもいただきました。ありがたいご意見です。
アンケートでも、このツールの可能性を認めた上での指摘や意見がたくさんありました。感謝です。

私の力不足を棚に上げさせていただけば、会全体としてはとても充実したものになったと思います。次回に期待する声もたくさんいただきました。
最後に九州から参加していただいた女性の退職者から、「大して期待せず参加したが、とても素晴らしいフォーラムだった。若い先生にとってはICTの敷居は高くない。こういったツールが広がることで先生方の力量も向上するはずだ。未来の光がしっかりと見えた気がする。ぜひ頑張っていただきたい」とノーマイクで会場全体に響き渡る大きな声でエールを送っていただけました。この一言で救われた気がしました。大感激です。
確かな手ごたえと課題、そしてたくさんの元気をいただけた1日でした。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の2つ目の模擬授業は、奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生でした。小学校の社会科「モンゴルの人々のくらし」です。

佐藤先生の授業は基本となる考え方、流し方がはっきりしています。内容がワンパターンというのではありません。大まかな学習の流れが「ウォーミングアップ(復習)」「ゴールの提示」「第1課題(活動)」「第2課題(主課題・活動)」「ゴール(まとめ)」という形に決まっていて、子どもたちは次にどのような活動があるのかわかるため、見通しをもって授業を受けることができます。また、社会科の観点「(社会的事象への)関心・意欲・態度」「(社会的な)思考・判断」「(観察・資料活用の)技能・表現」「(社会的事象についての)知識・理解」が必ずすべて取り入れられています。このことは、たとえ今回のような20分の短い模擬授業でもきちんと守られています。

今回のウォーミングアップは東アジアの国についての復習です。地図と国旗をスクリーンに表示して、国名をテンポよく、時間のことも考慮してか全体で言わせます。子ども役の言う国名に対して、正式名称も必ず確認します。単なるウォーミングアップではなく、知識の定着も意識しています。
続いてゴールの提示です。この日のゴールは「モンゴルの人々はどのようなくらしているのだろうか」という課題に対して「ノートに説明を書くことができる」でした。

第1課題は「モンゴルについて知っていること、思っていることをノートに書きなさい」です。書かせた後、ペアで確認をします。ペアの人の書いたことを自分のノートに写しているのを「いいですね。他の人から学んだことを書き加えていますね」とほめています。「他の人から学んだことを写しなさい」という指示ではありません。よい行動を見つけてほめることでよい行動を広げようとしているのです。こういうところに佐藤先生の自ら考え行動する子どもを育てようとする姿勢がうかがわれます。
子ども役に発表させます。どの発表もきちんと受け止め評価します。「地図帳に注目した」といった社会科的な価値づけも忘れません。いつものことですが、その場では板書をせず、後で必要なものだけを板書します。テンポを大切にしていることと、余計な情報を残したくないことがその理由でしょう。ゲル、力士、料理の3つを板書して、今日はゲルについて勉強することを伝えます。子どもから出てきたことをもとに課題や活動がつくられています(もちろん、コントロールはしているのですが)。

ペアでゲルについて何を知りたいかを考えさせます。「知りたい」は子どもたちの言葉を引き出しやすい発問です。知りたい意欲を持たせることで、次の展開での子どもたちの集中度は上がります。「知りたい」は知識の獲得意欲につながります。知識は原則教えるか、調べるしかありません。時間があれば図書館やインターネットで調べることもできますが、今回は時間がないのでもちろん教える形になります。しかし、一方的に教師が説明するのではなく、子どもたちの「知りたい」をまずスクリーンに写真で見せます。子どもたちが写真(資料)から知識を学ぶことを優先します。その上で、必要な説明を簡潔に加えます。そのため授業のテンポがよいのです。ゲルを組み立てる写真を見せ、大人たちが協力して数時間で組み立てられことを説明します。簡単に組み立て、分解ができるゲルの特徴から、家畜と一緒に年数回移動しているモンゴルの人々の暮らし方につなげていき、「遊牧民」という言葉を押さえました。「遊牧民」から出発するのではなく、子どもたちの興味関心を引きつけたゲルに着目することから、遊牧民の暮らし方に思い至らせるという展開は、部分から全体を想像する、資料からその裏にあるものを推測する力をつけることにつながります。社会科でつけたい力を意識した展開です。

ここで、第2課題です。「遊牧民は現在も同じようなくらしをしていると思うか」です。子どもたちに挙手をさせます。考えは分かれます。本来はここで時間をかけて、根拠を持って考えさせたいところです。「どのような資料がほしいか考える」「教師が用意した資料をもとに議論する」などの方法が考えられます。時間の制限あるので、今回は教師主導で進めました。
最初に見せたゲルの写真のトリミングしていた両端を広げて見せました。そこには、太陽電池や衛星放送用のパラボラアンテナが写っていました。子ども役からも驚きの声が上がります。最初の写真が布石になっていました。一部分を見ていた時と資料から見えてくるものが大きく違います。車やバイクも使っていることを示して、昔のような生活を維持しながらも文化(現代)的な暮らしをしていることを伝えます。ここで客観的な資料を提示します。
モンゴルの遊牧民の数が、以前は人口の80%だったのが、現在は13%に下がっているグラフと首都ウランバートルの人口が40万人から122万人増えたグラフを重ねてスクリーンに映します。視覚的にわかりやすい資料です。そして、現在のウランバートルにあるゲル地区をグーグルアースで見せることで、遊牧民が都市に定住している様子を実感させます。ICTを活用することで、とても説得力があります。都市への定住の理由として、「子どもの教育」「現金収入」「牧草地の減少」を授業者が説明しました。時間があれば子ども役に推測させたいところでした。

書かせる代わりにどんなこと思ったかペアで話をさせて、まとめに入りました。「1つの国を見る時多面的に見ることが大切である」という社会科としての見方・考え方でした。なるほど、ここでも、ゲルの写真が布石になっていました。外国の教科書における「日本では人力車で移動している」「日本人は下駄をはいている」といったおかしな日本の記述を紹介して終わりました。

今回は資料をもとに知識を与え、知識によって子どもたちの認識や考えを変容させ、深めていく授業でした。時間の関係で子どもたち自身で考えさせる場面が少なかったのが残念です。最後のまとめも、本当は子どもたちから言わせたいところだったと思います。逆に言えば、時間があればきっと考えさせていたはずだということが見える授業だったということです。それは、「ペアでの意見交換を多用することで、一人ひとりの表現活動の時間を保障している」「子どもの興味関心や、子どもの気づきをもとに授業を進めようとしている」「子どもが考える根拠となり得る資料を準備している」といったことから伝わってくるのだと思います。
これだけの内容を20分という限られた時間の中で授業として成立させる手腕は、さすが達人と言えるものでした。

授業検討は、4人のグループで行う「3+1授業検討法」で行いました(詳しくは教育コラム「楽しく授業研究をしよう」参照)。授業検討者は、2色の付箋紙に「よかったところ、参考になったところ」「疑問に思ったところ、改善点」に分けてメモを取りながら授業を参観します。グループではその付箋紙をもとに「よかったところ、参考になったところ」を3つ、「疑問に思ったところ、改善点」を1つにまとめて、模造紙を使って全体に発表するというものです。コーディネーター(司会)は小牧市立岩崎中学校の校長の石川学先生です。
授業検討者がグループで話し合っている間、会場でも同じように考えていただきました。模擬授業が素晴らしかったこともあり、会場の皆さんも真剣に考えておられ、まわりと話し合っている姿がたくさん見られました。

2つのグループの発表は、
最初のグループ
よいところ
・資料の提示のタイミング
・知りたいことは何ですかとう発問で子どもの興味を引き出した
・日本が外からどのように見られているかに注目させた
改善点
・子どもの意見がからまなかった

2つ目のグループは
よいところ
・しっかり起立して発言させるなど、「授業規律」が意識されていた
・どう思う、どんなことを知っていますか問いかけ、そこから子どもの言葉をうまく拾いながら進めていく「授業技術」
・説得力のある資料
改善点
・知識中心になってしまった

でした。

このまとめに至るまで、たくさんのよいところがグループ内で紹介されたことと思います。この検討法は、まとめそのものよりも、その過程をグループで共有することにそのねらいがあります。若手、中堅、ベテラン、個人のフェーズに合わせて多様な学びがあることと思います。

コーディネーターは、2つのグループが共に着目した資料に関連して、どこから探すのかを授業者に質問しました。基本は、「文献を探す」でした。文献には新しいものがないので、そういうときはインターネットを使うが、信用できないデータも多いので、できるだけ信用ができそうなものを探すようにしているそうです。ICTを活用されている佐藤先生だからこそ、文献に当たることの大切さを実感されているのでしょう。こういう言葉を引きだすのも、コーディネーター(司会者)の大切な役目です。

今回の授業では「知識」を与え、写真や資料によって「関心・意欲」を持たせ、隠したもの、隠されたものを意識することで「資料の見方」を教え、部分と全体を見ることで社会科的な「ものの見方」を考えさせました。社会科の4つ観点を意識してすべて扱っていることを授業者が説明してくれました。

最後に、この検討法の感想を佐藤先生に聞きました。
若い人やベテランの授業者にとってはよい方法ではないか。若い人は力がないので自信がない。よいところをたくさん言われれば元気が出る。一方ベテランはプライドがあるから、批判的なことが多く出れば授業者になろうとしない。そういう点でこの「3+1授業検討法」は価値があるということです。もちろん佐藤先生にとっても、自分が気づかなったよさを指摘されることで、意図的にそのよさを活かすことができるようになるので参考になるということでした。しかし、佐藤先生は、「3+1」ではなく、「3+3」でも「3+10」でもいい、改善点や課題をたくさん言ってもらいたい。その方がたくさん学べるということでした。たしかに、「3+1」にこだわる必要はありません。授業者や学校の集団の状況に応じて、柔軟に対応すればいいことです。よいところと改善点の比率をあらかじめ示しておくという仕組みを活かし、あとは、その比率をいくつにすればよいかを状況にあわせて決めるだけです。そのことを佐藤先生から改めて気づかせていただきました。

次のICTを活用した授業検討法については、「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)」で。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その1)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」は、授業研究を活性化させるための授業検討法の提案です。最初に私から、今回のフォーラムで授業検討法について提案する理由と各授業検討法についての簡単な説明を行いました。

・ほとんど意見がでずに、司会者が順番に指名して無理やり発言させる。
・発言がつながらず、一向に議論が深まらない。
・授業者に対する質問ばかり続き、それに対して「私ならこうする」と持論ばかりが主張される。
・一部の力のある教師が場を仕切り、他の意見を押さえてしまう。
・若手が意見を言うと否定されてしまい、発言意欲を失くしてしまう。
・発言しようにも、何を言っていいかわからない。

私たちはこのような状況を変えるための授業検討法を研究しました。目指したのは、どんな提案授業でも、どんな参加者でも、そしてどんな司会者でも、検討会が焦点化され教師集団が成長することです。
3つの模擬授業に対して、それぞれ異なった方法で検討会を行う形で進めていきました。

最初の模擬授業は一宮市立尾西第一中学校教頭の伊藤彰敏先生の国語の授業でした。中学1年生対象の「俳句を読む」でした。子ども役は、毎回会場と愛される学校づくり研究会の会員から8名ずつが選ばれます。授業検討者は会員のみ8名が務めます。
松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を音読させます。「古池や」でいったん止めてちゃんと全員がしっかり言えているかどうかをチェックします。子ども役の読み方に「元気がない」と挑発します。声が大きくなったところで、順番に指名します。、一人ひとりの読み方をほめて、きちんと評価しています。さすが私たち研究会の国語のエース、こういった基本は外していません。列で読ませたりして、大きな声で読めるようにしてから、「目を閉じてゆっくり読みましょう」と指示をします。このコントラストも見事です。子どもたちが俳句をじっくり味わって読むことになります。
作者を確認しますが、指名した子どもが「小林一茶」とぼけます。「おしい、同じ江戸時代」とポジティブに受け止めます。松尾芭蕉がでてきたところで、どんな古池のイメージが浮かぶかを書かせます。
子ども役は一生懸命書いていますが、時間で切ります。「途中でも書かない」と明確に作業を止めてから、列で発表させました。「たくさん書いているけど、これが1番だと思うものを言ってください」と条件をつけます。ただ書いたものを発表するのではなく、もう一度振り返って吟味をさせるよい働きかけだと思います。最初の発表者が、古池の情景とは違うずれた意見を発表しました。質問とずれていることを指摘するかと思ったのですが、「なるほど」と受け止めて次の子ども役へと続けました。「苔むしている」という意見がありました。すかさず「どういうこと」と切り返します。そのままスルーして進むのでもなく、授業者が自分で説明するのでもなく、発言者に説明を求めます。しかも、「どういうこと」と答えやすい言葉で切り返しています。地味な場面ですが、授業者の実力がよくわかります。
「素敵だと思った」意見はどれかを聞きます。とても上手な聞き方です。「いいと思った」は上から目線に聞こえることがあります。「素敵」は共感的な表現です。子ども同士の人間関係をつくることにもつながります。聞いていれば答えやすい問いかけですが、聞いていなければもちろん答えることはできません。このような問いかけをいつもしていれば、子どもたちは必然的に、友だちの発言を聞くようになると思います。

ここで、五感とは何かを子どもに確認します。子どもの発表に合わせて、準備したカードを貼っていきます。五感を貼り終わったあとに、「他にもある」と第六感という言葉を引き出します。授業者の「第六感を具体的にするのが国語」という言葉から、根拠を大切にする国語を目指していることが伝わってきます。
この句でどんな感覚が使われているか、五感を一つずつ取り上げながら、全体に挙手で確認します。挙手が多いとカードを上にずらし、少ないと下げてどの意見が多かったかをわかるようにします。子どもの意見を視覚化する面白い方法です。「味覚」に手を挙げる子ども役がいました。五感全部の確認が終わったあと、だれの意見を聞きたいか問いかけます。当然、味覚に手を挙げた子どもに聞くことになります。「池の水の味」という言葉が出てきます。「なめちゃったんだ」と受け止めて、「なるほどと思った人」と他の子ども役にたずねます。何人かの手が挙がります。こういったちょっとずれたように感じる意見でも、否定せずに「なるほど」ということばでつないでいるのは見事だと思いました。子どもが安心して発言できる雰囲気づくりにつながると思います。

この俳句はどのような感覚が中心であるかを個人で書かせます。1人の子ども役を指名して発表させました。「書いてあったね」と促して、「心の視覚」という言葉が出させました。子ども役から笑いが起きました。「今、笑うところじゃない」とたしなめます。この言葉がすぐに出てきたということは、変わった意見を言った子どもが恥ずかし思いをしないように日ごろから意識をしているということです。
「心の視覚」とはどういうことかを発言者に確認します。発言者はうまく自分の考えを言えません。「実際には視覚ではなく・・・」といった発言に対して、「どういうこと」と聞き返しながら、言葉を足させます。「水の音だけを聞いて想像した」という言葉を引き出しました。拍手が起こります。授業者は大切な言葉なので、もう一度言わせます。「感動しちゃう」というつぶやきを拾い、「どういことに感動したか」と問い返します。子どもの言葉を大切に受け止めながら、問い返すことで根拠やその内容を常に明確にしようとします。

「どんな音だと思う?大きい音?小さい音?」と聞いていきます。答えられない子どもには「もう一度聞くから、考えておいてね」と、すぐにとばして次の子どもを指名しました。もう一度聞くとしておけば、とばされてもその後集中して参加します。テンポを崩さないよい方法です。「小さい音」から情景が広がっていくことを子ども役の発言から共有しましたが、それで終わりではなく、最後に「俳句を読むときは五感に頼る」と俳句を読むための方法を明確にしました。「古池や」の句を読むことを通じて俳句を読む力をつけようとする授業でした。
20分と短い時間でしたが、子どもの言葉を活かす授業、根拠をもとに考える国語の授業とはどのようなものかが具体的に示されたと思います。

この模擬授業の検討は、「3シーン授業検討法」を用いて行われました。この授業検討会のコーディネーター(司会)は午前の部でもコーディネーターを務めた、小牧市立小牧中学校の校長の玉置崇先生です。「3シーン授業検討法」は、授業検討者が「よかった」「気になった」などと心が動いた場面を、授業の開始から1分ごとに挙手してもらい、多くの人の心が動いた3つのシーン(今回は時間の関係で2つとなりました)に絞り、その場面をビデオで確認しながら検討をする方法です(詳しくは教育コラム「楽しく授業研究をしよう」参照)。

授業検討者の心が動いた場面は、何と言っても「心の視覚」の場面でした。皆さんの意見を聞いていきます。心が動いた場面ですので、どなたもしっかりと意見を発表します。「『心の視覚』という言葉を投げかけることで、共通の問題意識を持ち始めた」「『心の視覚』を『聴覚』に結びつけたことが素晴らしい」といった意見です。「心の視覚」を取り上げたことで子ども役に変化が起きたこと、考えを深めた授業技術が焦点化されていきました。ここで玉置先生は、「心の視覚」が子どもから出てくるとは予想はしていないはずと、授業者はどのような展開を予め予定していたかを聞きます。「静かさを表現している句なのに、なぜ『水の音』と音なの?」という疑問から考えさせるつもりだったそうです。なるほどと思わせる展開です。だからこそ、それをあっさり捨てて子どもからでてきた「心の視覚」を取り上げたすごさが浮かび上がります。「心の視覚」は子ども役からでてきた笑いでもわかるように、「わけわからない」言葉です。「だからこそ、ここから出発することで、子どもに考えさせることができると判断をした」という授業者の言葉から学ぶことは大きいと思いました。授業検討者の意見と授業者の考えを見事につなげる進行です。

もう一つの場面は、古池のイメージを発表させた場面でした。「これが1番だと思う」という言葉のよさ。発表に対する切り返しなどの授業技術について意見が出ました。玉置先生は「どの意見が素敵だと思った」と問いかけたことについて、「素敵」とした意図を授業者にたずねます。「素敵」とすることで、子どもたちの考えが「かきまぜられる」という答が返ってきました。「よかった」は答につながるものが選ばれます。「素敵」とすることで子どもの考えを一度混乱させ、多様な考えを引き出せるということです。ですから、日ごろから「素敵」という聞き方よくするそうです。私の考えとはまた違った意図になるほどと納得しました。

玉置先生は、「司会者の特権で気になるところを聞くのもいいです」と、古池のイメージの発表でずれた答えが出たとき何を考えたかを授業者に質問しました。このように、随所で司会者の意図的なかかわりを解説しながら進めます。授業者は、正直困ったと話しました。机間指導の時にいいことを書いていたので、その子ども役の列を指名したのだそうです。なるほど、受け止めながら、その間対策を考えていたそうです。「他にも書いていたでしょう」などと教師の都合で発言をし直させるのではなく、ここはすっぱりあきらめて、次に進めたということのようです。

多くの人の心が動いたところを取り上げることで、たくさんの発言を引き出すことができます。「3シーン授業検討法」のよさがよく伝わったと思います。そして、司会者がそれを焦点化し、この授業のよさを引き出し、授業者の意図とつなぐことでより多くのことが学べる検討会になりました。「検討会を授業としてみれば、全員参加をさせなければならない」という玉置先生の締めの言葉が司会者の重要性を象徴していると思います。玉置先生の司会者(授業者?)としての実力を見せつける検討会になりました。午後の部の最後のまとめで、3つの授業検討法を見て心が動いたかという問いかけをした時に、「3シーン授業検討法」に会場の手が一番挙がったことでもよくわかります。

次のグループを活用した「3+1」授業検討法については、「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その2)」で。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午前の部)

2月9日に愛される学校づくり研究会主催の「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」が開催されました。関西では初めての開催でした。前日の太平洋側の大雪で交通事情の悪い状態にもかかわらず、多くの方に参加いただけ、盛況のうちに終了しました。確認したところ、当日欠席者はほんの数人だったようです。会員の中には大変な思いをして会場にたどりついた者もいます。参加者の中にもそのような方がたくさんいらっしゃったのではないかと思います。ありがたいことです。
午前の部は、昨年に引き続き校務の情報化を劇で伝える、「劇で語る! 校務の情報化 パート2」、午後の部は、授業検討法を模擬授業と共に提案する「楽しく授業研究をしよう」でした。劇の役者に、司会者、コメンテーター、模擬授業の授業者、子ども役、コーディネーター、授業検討者、一部のゲストを除いてすべて私たち研究会の会員です。どの会員も1人何役の大忙しでした。そんな私たちを支えてくれるのがいつもの企業会員のスタッフの皆さんです。おかげで、私たちは自分の出番に専念することができました。感謝以外の言葉がありません。もちろん裏方だけでなく、劇の役者に、模擬授業の子ども役、授業検討者にと大活躍していただきました。

午前の部は、基本的に昨年度のフォーラムの内容(「劇で語る! 校務の情報化」で、校務の情報化のポイントを伝える(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午前の部)参照)を踏襲しています。それぞれの劇をバージョンアップし、より主張を明確にしたものです。

・校務支援システムの導入によって学校がどのように変わるか。
・情報をデジタル化し共有することで業務の質がどのように向上し、効率化されるか。
・学校ホームページで学校が比べられている。あればいいのではなく、その質が問われている。
・学校ホームページは外部だけでなく、校長の考えを職員に伝える内向きの発信として活用できる。
・学校ホームページだけでなく、印刷物などの特性を生かし、さまざまな手段で学校の様子を伝えることが大切である。
・緊急時のメール配信は日ごろから家庭に届くかどうかのチェックをしてこそ活用できる。
・学校評価は学校の情報提供と合わせて、小刻みに行うことでより鮮度の高い情報が手に入り、学校経営に反映させやすくなる。

このような内容を、各劇団が、時にスクリーンに情報を映し出しながら、笑いと共に皆さんに伝えました。練習時間もほとんどない中、昨年以上に洗練された「芸」を皆さん見せてくれました。逆に、昨年の素人くささが懐かしくなるほどでした。

劇団ごとに、司会の玉置崇先生からコメンテーターや座長に質問を投げかけて、主張をより明確にする予定でしたが、今回はその必要がほとんどありませんでした。昨年と比べて劇がブラッシュアップされ、シャープに伝わったからです。ということは、コメンテーターの出番もあまりないということです。おかげで私は昨年と比べてずいぶん楽をさせていただきました。その代り、特別ゲストとしてお呼びした小牧市立小牧中学校のPTA副会長の斎藤早苗さんとのやり取りが今回の目玉です。斎藤さんはPTAの部屋というページで保護者の立場で発信しています。このページは学校のホームページとはリンクされていますが、その管理は学校からは独立しています。校長の考えを受けて、保護者の立場で他の保護者へ再発信したり、時には学校に対しても厳しい指摘をします。小牧中学校では、学校の戦略会議にPTAや地域コーディネーターも参加しています。これからの学校と保護者、地域との関係のあり方を示してくれているように思います。参加された管理職の方は、斎藤さんのような方に是非PTA役員になってほしい、小牧中学校がうらやましいと思ったでしょうか。それとも、そこまでPTAに胸襟を開くのはちょっととしり込みをしたでしょうか。本当のところを聞きたいところでした。また、開催地の京都の先生にも登壇いただき、京都市の校務支援システムの現状をお話しいただきました。
コメンテーターの国際大学GLOCOMの豊福晋平先生のコメントで印象に残ったのが、保護者は通知表などの一部のものを除いて、紙ではなくネットでの情報提供で十分だと思っているというデータでした。学校からの情報提供は、紙からネットに変わろうとしているのです。
私からは、学校評価を活かすかどうかは、学校をよくしたいと思っているかどうかであることを伝えました。義務だからと年に1回アンケートを取って集計し、それで終わりでは何の意味もありません。学校の目標に対してその評価方法を必ず決め、アンケートを利用するのであれば、どの項目と連動させるかをはっきりさせ、年度途中で必ず中間評価をし、その結果をもとに対策を取り、その結果どのように変化したかを再度評価することが必要です。学校をよくしたいのなら、このような取り組みをお願いしたいと伝えました。

笑いを交えながらも主張の明確な劇と、いつもながらの玉置先生の名司会で校務の情報化について参加者の方も、楽しみながら考えを深めることができたと思います。
午後の部については、愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その1)で。

授業研究に学校の進歩を見る

昨日の日記の続きです。授業研究は、3年生を担任している初任者の算数の授業でした。

小数の大きさの学習です。まず最初に教科書とノートを開かせます。めあてを板書しますが、脱字をしました。それに気づいた子どもが指摘をします。そのとき、「ごめんなさい、ありがとう。よく気づいてくれましたね」と言葉を返しました。とてもよい対応だと思います。以前と比べて、子どもたちとの人間関係がよくなっていると感じたのもこのようなことが影響しているのかもしれません。

黒板に最初の課題、「2.3は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また2.3は0.1を何こ集めた数ですか」を貼ります。課題を黒板に貼るのであれば教科書を開く必要はありません。黒板への集中を妨げる可能性があります。授業者はノートに答を書き、考えをまとめるように指示をします。子どもが書き始めてすぐに、黒板に数直線を貼りました。ここで、数直線の性質の確認をします。なぜこのタイミングか疑問がわきます。課題に取り組む前にヒントとして提示するつもりだったのを忘れたのかもしれません。子どもか書き始めているということは自分の考えを持てているということです。ここであえて提示するということは、子どもに数直線で考えろと誘導していることになります。もし、違ったことを考えている子どもがいれば、混乱する可能性があります。

できた子どもに、いつものようにしていいと指示します。できた子どもから友だちと確かめ合います。5人のうち真ん中の2人がちょっと手間取っています。端にいる子どもが移動して3人となり、真ん中の子どものすぐ横で確かめ合いが始まりました。ノートを手に、立って話をします。これでは、できていない子どもにはプレッシャーがかかると同時に集中力を乱されることにつながります。人数が少ないので確かめ合うのに移動が必要になるのはわかりますが、それならば最初からグループの形にしておけばいいでしょう。5人ですので、全員の考えを全体で確認することもできます。できた子どもへは、「他の説明を考える」といった別の指示でもよかったかもしれません。

子どもに答を言わせます。「1が2個、0.1が3個」と答えます。子どもたちから「いいと思います」という声が上がります。続いて、考え方を問いました。まず答はあっていると安心させてから、説明させようということなのでしょう。
子どもが説明している間、授業者はしゃがんでいます。教師ではなく、友だちに説明するという意識を持たせようとしています。しかし、黒板の数直線を使って説明している時に、聞いている子どもの視線は発表者を向いているのですが、発表者は黒板の方を向いてしまっていました。ここは指導したいところです。

子どもが説明しをした後に、授業者は余計な説明をしません。次の子どもを指名します。数直線を使って、「0.3は3つの小さい線です」と目盛りを指して説明した子どもがいました。授業者は「図を使って説明してくれところがよかった」と評価して、先に進みます。評価するのはとても大切なのですが、ここで「図」を使ったことをよかったと言うのはちょっと疑問です。算数的な道具である「数直線」を使ったと評価すべきでしょう。また、「小さい線」は用語として「目盛り」に修正する必要があります。「小さい線って何?」「なんて言ったっけ?」と子どもたちに問い返して、確認すべきところです。目盛りという言葉を子どもたちから引き出して、「目盛りが3つなんだ。目盛りが3つってどういうこと?」「目盛り1つはどれだけ?」「何が3つだと目盛りが3つなの」といった問いかけをし、「目盛り1つが、0.1」「目盛りが3つで、0.1が3つ」と数直線の目盛りの意味から、「0.3は0.1が3つ集まったもの」を説明させたかったところです。子どもたちに、ただ続けて説明を重ねさせても考えが深まるわけではありません。教師が子どもに問い返したりして、焦点化することが必要です。昨日の日記にも書いたように、他の先生方と共通する課題でした。
とはいえ、以前に子どもが説明するとすぐに自分で説明を始めていたことを思うと格段の進歩です。発表がよく聞けていないと思えば、子どもにもう一度言わせます。授業者が説明をしないので、子どもは自分たちで積極的に説明しようとします。授業への参加意欲が高くなっています。

1人の子どもが困っています。何がわからないかを言うことができません。「答はわかるけどまとめ方がわからない」というのです。子どもたちは、わかってもらおうとその子に向かって一生懸命説明します。何がわからないかを聞かれる、わかったかを確認されるので、責められているように感じたのでしょうか、わからない子どもの表情が暗くなります。何がわからないかが明確でないまま、いろいろとを言われてもなかなか納得できないようです。こういう状況であれば、とりあえず答はわかったのだからと、納得して見せる子どもが多いのですが、この子どもは「考え方がわからない」と言い続けました。この子どもがわからないと言い続けてくれたので、他の子どもたちは何とかわかってもらおうと頑張ります。この間授業者はしゃがんだままです。子どもたちは互いに見合って、よい表情で話し合っていました。子どもたちのかかわり合う力を感じることができました。そういえば、昨年の担任はグループを活用しながら、教師ができるだけ前に出ないで子ども同士をかかわらせることをしていました。今年度になって、そのような姿を見なかったのですが、授業者がしゃべることを控えたことで引き出すことができたようです。

子どもたちは、自分の説明を繰り返すしかありません。どこがわからないかわからなかったからです。わかっている子どもに説明させるのではなく、わからない子どもに、わかっていること、気づいていることを言わせる発想も必要です。ノートを見ると「1/10の位が3こ」と書いてあります。授業者が位取り記数法しっかり意識して指導してきたことがわかります。このことを説明させればよかったと思います。途中で数直線を出したため、それを使って説明しなければいけないと思ってわからなくなったのではないでしょうか。「1/10を小数に直すといくつ」と問い返し、「0.1は数直線のどこにある」と数直線につなげれば、様子は違ったかもしれません。また、答は「1が2個、0.1が3個」でよいのですが、「2.3は、1が2個、0.1が3個合わさったもの」と言葉を足してやることも必要だったと思います。「数直線のどこに、1が2個、0.1が3個ある?」と数直線とつなぎ、「合わせるとどこになる?」「いくつになる」と問い返すという方法もあったように思います。

わからない子どもが納得してくれないので、授業者も手詰まりになってしまいました。そこで、次の問題をとばして、教科書の類題に取り組ませました。「3.8は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また3.8は0.1を何こ集めた数ですか」です。子どもたちは先ほどと同じように集まって確かめ合います。最後には全員立って話し合っています。授業者はその様子を後ろから覗いていました。この状態になるのであれば、やはりグループにして話し合わせた方がよいでしょう。あらためて、全体で発表しますが、説明の苦手な子どもが、指で数直線をなぞりながら数を言って説明しました。指の動きも立派な表現手段です。「みんな気がついた。○○さんは指を使ってくれたね。どうよくわかった」といった評価をしたいところです。しかし、類題ですから説明自体は先ほどと大きくは変わりません。結局、「考え方がわからない」といった子どもは最後までわからないと言ったままでした。

以前見た2回と比べると授業者は大きく変化していました。子どもの言葉を大切にしようとしています。授業者がしゃべらなくなっただけ、子どもの発言意欲が増しています。また、友だちとのかかわりを大切にするようになっています。とてもうれしい変化でした。

授業検討会では、この授業をどのように皆さんが評価するかとても楽しみでした。
まず子どもたちがしっかりとかかわっていたことが評価されました。授業者が自分で説明しなかったことも、肯定的に見ています。わからなかった子どもが最後までわからないと言えたことは、とてもすごいことだと評価した上で、どうすればよかったのかに話し合いが集中しました。授業者への批判は一切なく、自分が授業者だったらどう対応しただろう、どう対応すればよかったのだろうと、自分のこととして考えていました。とてもうれしいことです。検討会の場ででた疑問や課題を次の授業研究へ引き継いでいくようになってほしいと思います。

今回授業者が苦しんだのは、どこがわからないのかが明確でなかったことです。子どもは一気に説明します。その説明がわかったかどうかを聞いても、どこがわからないかは明確になりません。説明を途中で止めながら、「ここまで、納得した?」と確認することで、つまずいているところが明確になります。説明を授業者が意図的に区切ることも大切です。
この場面が多様な意見を出させたいのか、数直線を使って説明できるようにしたいのかでも進め方は違ってきます。もし後者であれば、最初に前時の復習をするといいでしょう。定規を使って小数を導入していたのですから、2.3cmを定規をつかってあらわすのです。「2cmだから1cmの目盛りが2つ、0.3cmだから1mmの目盛りが3つ」「1mmの目盛りはcmでいうと0.1cm」「1cmの目盛りを2つ、0.1cmの目盛りを3つ」といったやり取りをしておくのです。こうすることで、最初の課題は自然に数直線に結びつけることができます。

わからなかった子どもは、2.3を序数でとらえていたのではないかという意見がありました。「合わせる」「集める」が強調されていなかったのでその可能性はあります。類題ではなく、教科書の「0.1を28こ集めた数をかきましょう」に取り組ませた方がよかったのではないかと言うわけです。逆の視点で考えることで理解できることはよくあります。「数直線上で、0.1を23個集めることを、数えながらおこなうと、2.3になる」「0.1を10集めると1だから、1を2個と0.1を3個として、数直線上で合わせると2.3になる」「23は10が2つと3を合わせたもので、0.1が10で1だから、2と0.1が3で2.3となる」といった説明をひかくすることで、数直線での考え方、位取り記数法での考え方をつなぐことができたかもしれません。

授業検討会は前向きな意見ばかりで、とてもよい雰囲気でした。授業だけでなく、授業検討会もよい方向に変化してきていると思います。
足かけ2年間のおつき合いでしたが、とても貴重な学びをすることができました。私にとって小規模校でのアドバイスは初めての経験でした。小規模であるが故に、教師が子どもとかかわりすぎてかえって子ども同士のかかわりが弱いということは盲点でした。また、少ない人数ですの、子どもたちの変化もよく見ることができます。先生方の変化がどう子どもたちに影響するのかもよくわかりました。このような素晴らしい学びの機会を得られたことに心から感謝します。
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