授業者では見られない子どもの姿を見る

授業者の立場で子どもを見るときは、全体を見ることが大切になります、しかし、授業研究などで、第三者の立場で授業を見るときは、ふだんと違った見方ができます。それは、授業者では見られない子どもの姿を見ることです。

たとえば、特定の子どもの変化を追い続けることは授業者には難しいことです。そこで、授業に集中していない子どもを見つけるとその子どものようすをしばらく追い続けます。1時間中集中できない子どもはまれです。たいていはどこかの場面で授業に参加します。そのきっかけが何かを見るのです。多くの場合は、教師の説明から子どもの活動に移るときなど、場面が変わるときです。同じ状況が続くと集中力が切れやすくなり、状況を変えると集中力が戻るということに気づかされます。集中できない子どもを見つけたら注意するのではなく、場面に変化をつければよいことを学べるのです。教師の話は集中しなくても、友だちとの相談は積極的にする。問題を解いているときは、途中で投げ出していても解説になると聞く、解答だけは一生懸命写す。こういう集中がもどるときを見ることで、子どもについて多くのことが学べます。

また、授業中は次々指名していったり、発言を受けて説明したりするため、発言した子どものその後の状態を見続けることはなかなかできません。これを見ることからも、多くのことを学べます。たとえば、私がよく目にする発言後のようすには、大体次のようなパターンがあります。

発言後、次の発言者の話を真剣に聞いている。
これは、子どもの発言を「○○さんの考えと・・・」と教師がつないでいるときによく見ます。

うれしそうな表情、満足そうな表情をしている。
これは、教師が発言をポジティブに評価した時によく見られます。また、多くの挙手があったときに指名してもらえたときも満足した表情になります。しかし、このあと挙手、指名が続くときに、自分の出番は終わったと興味を失くしていることもよくあります。

発言後、あまり変化がない。
これは、比較的だれでも答えられるような質問に対して正解した場合によくあります。挙手ではなく順番に次々に指名しているときや、教師が「正解」としか評価せずにそのまますぐ説明を始めるときにこの傾向が強いようです。

発言後、顔が上がらない、意欲を失くしてしまう。
これは、不正解だったり、教師に評価してもらえなかったり、ネガティブな評価をされたりしたときによく見られます。多くの場合、次の場面に移るまでこの状態が続きます。ひどい時には、その後ずっとこの状態が続くこともあります。

このようなことから、教師が子どもの発言をポジティブに評価する、つなぐといったことの大切さに気づけます。

授業を見学するチャンスがあったときは、漫然と教室全体を眺めるのではなく、授業者では見ない、見られない子どもを意識して見てほしいと思います。そうすることで、より多くのことを学べるはずです。次に授業を見る機会には、ぜひこのことを意識してください。
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