子どもたちの成績がよいからと安易に妥協しない

子どもたちの成績がよく、通塾率も高い、いわゆる文教地区の学校を訪問してよく感じるのはが、授業における子どもと教師の関係の希薄さです。教師は淡々と説明をしている、子どもはとりあえず大人しく聞いている姿勢をとる。教師の質問に対して、わかっていても挙手しない。教師も質問しても反応がないので、ますます一人でしゃべっている。このような状態でも、子どもたちの成績はよいので、問題と思わなくなる。成績がよいことで、安易に妥協してしまっているのです。
ちょっと荒れた地区であれば、あっという間に学級が崩壊するような状況です。子どもたちのどこに原因があり、教師は何を変えていけばよいのでしょうか。

子どもたちがこのような状態になるのは、学習に対する価値観が試験の成績に偏っていることが大きな原因だと思います。こうなると、効率的に試験の点が取れるように子どもたちは行動します。試験に出題されることには敏感ですが、それ以外のことには興味をなかなか示しません。教師が、板書したことから出題するのであれば、板書だけは必ずきちんと写します。教師が話していても、写すことを優先します。こうなると教師も子どもの関心を引くために、「試験に出す」といった利益誘導の言葉を使うようなり、悪循環に陥ってしまいます。彼らは、勉強はおもしろいものだとは思いません。試験に出ることを覚える、点を取れるように訓練する作業に近いものなのです。また、教師も勉強とはそういうものだと思っていれば、この状態はまず変わることはありません。

では、試験でよい成績をとることの価値を否定すればよいのでしょうか。この価値を否定すれば、試験そのものの意味が大きく揺らいできます。ふだんの試験はまだしも、入学試験がある現実を考えればナンセンスです。
大切なのは、結果を覚えることではなく、その過程、学ぶことに価値を見出させることです。知識そのものではなく、知識を組み合わせて問題を解決することを大切にするのです。一人ではすぐに答が出せないことを、みんなでかかわりながら考え解決することの楽しさを経験させるのです。そして、試験でも単に知識を覚えれば解ける問題ではなく、授業で経験したような考える問題を出すのです。

たとえば歴史で、「ペリーが日本に来て開国を迫り、日米和親条約が結ばれ鎖国が終わった」。これは大切で試験にもよく出ます。しかし、ペリーが来たのは、なぜこの時期だったのか。日米和親条約の結果、世の中の何が変わることになるのかなどを問うのです。事実をもとに考え、それに関する他の事実を調べ、点の知識を線でつないでいく。このような課題を子どもたちに課すのです。正解は一つとは限りません。一問一答で知識を確認するのではなく、教師が言葉をつなぎながら、友だちのいろいろな考えを聞くことで自分の答えを見つけていく。そして、この課程で子どもたちの活動をポジティブに評価するのです。正解が評価されるのではなく、たとえ不正解やずれた発言でもその価値を認めるのです。

試験でよい点を取るのと同じかそれ以上の価値を、授業に参加することに見出す。そして、そのことを価値づけてくれるのが教師や友だちであれば、授業の雰囲気は間違いなく変わっていきます。
教師が子どもと同じように、試験の結果だけを評価するのではなく、より高いものを子どもに求めるのです。その価値を子どもと共有することで、子どもと教師、子ども同士がかかわりあう関係が育っていくのです。子どもに安易に妥協するのではなく、高いものを子どもに求めてほしいと思います。

研修の打ち合わせ

昨日は中学校で、子どもたちのようすを見せていただいた後、研修の打ち合わせをおこなってきました。夏休みと秋の2回研修をおこなうのですが、1回目の夏休みでは、子どもたちの授業中のようすを見ることができません、そこで、この時期におじゃますることになりました。

子どもたちは優秀なのですが、教師とは距離を置いています。教師とだけでなく、学級全体として見ると、友だち同士の関係も希薄のように感じました。

・一部の授業を除いて、教師の話を聞くときに顔が上がらない、反応しない、話を聞くよりも板書を写すことを優先する。
・教師が子どもを見ずに説明したり、指示したりする。
・スクリーンに写して説明しても、子どもたちは手元を見ていてスクリーンを見ない。
・1問1答で進行し、子どもの言葉にかかわらず教師が予定している説明をするため、子どもは友だちの発言を聞く必要を感じていない、自分が挙手して発言することに価値を見出していない。
・子どもの発言に対して、評価がない。
・教師の説明の時間が長く、集中して聞いてはいないが、騒いだり場を乱したりする行動はとらない。
・子どもが受け身の時間が多く、知識を問うことはあるが、思考する時間がほとんどない。
・指示の後の動きが鈍いが、作業には集中して取り組む。
・子どもの活動量が少なく、友だちとかかわる場面はほとんどない。

このような状況から、授業でのコミュニケーションが不足していると感じました。不登校の子どもが多い、多くなるのでは気になるところです。

研修をどのようなやり方で進めるかを考えるにあたって、担当の先生が感じる問題点を聞かせていただきました。もっと子どもを活躍させたい、発言させたい。自分の考えを書く力をつけさせたい。大きくはこの2点でした。私が見た授業中の子どものようすからも納得のいくものです。とはいえ、この部分にきりこむ前に、そもそも教師集団が子どもたちそうなってほしいと思っているのかという意識の問題、子どもたちを変えるための前提となる子どもとの人間関係の問題の2つをクリアする必要があるように思いました。前者については一方的に話をしても簡単に変わる問題ではありません。後者についてもその必要性を感じていなければ、なかなか言葉は届きません。子どもたちが優秀で、学習成績も高いため、先生方は現状に問題を感じないのです。

相談した結果、一気に変わることを期待するのではなく、自分の授業を振り返ってもらうところから始めることにしました。まず、1回目は私が見た具体的な授業の場面から何が起こっているのか、何が問題か、どうしていけばいいのかを話し、2回目は、この学校の授業を自分たちの目で見ていただき、それをもとにどんな授業を目指していくべきなのかを話し合うことになりました。

この地区では、授業を見せていただくことはなかなか難しいのですが、快く見せていただき、私自身、たくさんのことに気づき、学ばせていただくことができました。感謝です。皆さんのお役に立てる研修をすることで、少しでもお返しできたらと思います。

中学校と高等学校の情報交換を考える

小中連携が強く言われるようになり、小学校と中学校の情報交換も盛んになっています。また、中学校と高等学校でも連絡会議を持つことは珍しくなくなってきています。ところが、中学校と高等学校の情報交換にはまだまだ壁があるように思います。どういうことかというと、受験があるため、本人にとって不利になる情報はなかなか高等学校側に明らかにされないということです。

たとえば、対人関係に不安があったり、神経症などが原因で集団の中で学習ができない子どもがいます。通常の入学試験では、中学校からの情報がなければそのことには気づくことはできません。学力的に問題がなければまず合格するはずです。しかし、その情報が高等学校側に伝わらないため、進学してからの対応が後手に回ってしまうことがよくあるのです。問題が発生してからあらためて中学校に問い合わせ、はじめて中学校時代の情報が手に入ることが普通です。高等学校では、授業に出席できなければ単位を認められないことが一般的です。中学校とはかなり事情は違います。せっかく入学したのに、結局進路変更を余儀なくさせられることがよくあるのです。

入学試験に不利になる情報を伝えることは、本人の利益を損なうからできないということはよくわかります。また、環境が変わることによって、中学校ではうまく適応できなかった子どもが、問題なく過ごせることもよくあります。しかし、それと同じくらい高等学校でも不適応を起こすことがあります。そのリスクをきちんと本人・保護者と確認し、その上で進路を決定する必要があります。そして、合格したら、本人・保護者に納得してもらった上で、中学校での状況を高等学校に正しく伝えることが大切です。高等学校も引き受けた子どもを大切にすることは中学校と変わりません。互いに信頼し合い情報を交換することが子どものためにも必要なことなのです。

また、これは私の経験ですが、地元の中学校との連絡会で、気になる何人かの子どもの情報を中学校側にうかがったところ、「別に変わったところがない」の一言で終わったことがあります。残念ながら、その内の何人かは後に問題行動がありました。中学校時には本当に何もなかったのかもしれませんが、もう少し情報がもらえれば対処があったかと思わないでもありません。私たちが信頼していただいてなかったのかもしれませんが・・・。

子どもの個人情報の交換は微妙な問題がありますが、正しく伝えあうことが子どもにとってもよい結果をもたらすものだと思います。子どもを大切に思う気持ちに変わりはないはずです。この点で一致している限り信頼関係を築きあえると思います。子どものためにも、中学校と高等学校の壁を失くして、スムーズな情報交換ができるようになってほしいと思います。

授業者では見られない子どもの姿を見る

授業者の立場で子どもを見るときは、全体を見ることが大切になります、しかし、授業研究などで、第三者の立場で授業を見るときは、ふだんと違った見方ができます。それは、授業者では見られない子どもの姿を見ることです。

たとえば、特定の子どもの変化を追い続けることは授業者には難しいことです。そこで、授業に集中していない子どもを見つけるとその子どものようすをしばらく追い続けます。1時間中集中できない子どもはまれです。たいていはどこかの場面で授業に参加します。そのきっかけが何かを見るのです。多くの場合は、教師の説明から子どもの活動に移るときなど、場面が変わるときです。同じ状況が続くと集中力が切れやすくなり、状況を変えると集中力が戻るということに気づかされます。集中できない子どもを見つけたら注意するのではなく、場面に変化をつければよいことを学べるのです。教師の話は集中しなくても、友だちとの相談は積極的にする。問題を解いているときは、途中で投げ出していても解説になると聞く、解答だけは一生懸命写す。こういう集中がもどるときを見ることで、子どもについて多くのことが学べます。

また、授業中は次々指名していったり、発言を受けて説明したりするため、発言した子どものその後の状態を見続けることはなかなかできません。これを見ることからも、多くのことを学べます。たとえば、私がよく目にする発言後のようすには、大体次のようなパターンがあります。

発言後、次の発言者の話を真剣に聞いている。
これは、子どもの発言を「○○さんの考えと・・・」と教師がつないでいるときによく見ます。

うれしそうな表情、満足そうな表情をしている。
これは、教師が発言をポジティブに評価した時によく見られます。また、多くの挙手があったときに指名してもらえたときも満足した表情になります。しかし、このあと挙手、指名が続くときに、自分の出番は終わったと興味を失くしていることもよくあります。

発言後、あまり変化がない。
これは、比較的だれでも答えられるような質問に対して正解した場合によくあります。挙手ではなく順番に次々に指名しているときや、教師が「正解」としか評価せずにそのまますぐ説明を始めるときにこの傾向が強いようです。

発言後、顔が上がらない、意欲を失くしてしまう。
これは、不正解だったり、教師に評価してもらえなかったり、ネガティブな評価をされたりしたときによく見られます。多くの場合、次の場面に移るまでこの状態が続きます。ひどい時には、その後ずっとこの状態が続くこともあります。

このようなことから、教師が子どもの発言をポジティブに評価する、つなぐといったことの大切さに気づけます。

授業を見学するチャンスがあったときは、漫然と教室全体を眺めるのではなく、授業者では見ない、見られない子どもを意識して見てほしいと思います。そうすることで、より多くのことを学べるはずです。次に授業を見る機会には、ぜひこのことを意識してください。

子どもの「何」を見る

「子どもを見る」ということは教師の基本です。若手に対するアドバイスで最も多いのは「子どもを見なさい」かもしれません。私も子どもを見ることを大切にしていますが、ただ「子どもを見なさい」では、アドバイスにはならないと思っています。「子どもを見る」とは子どもの「何」を見ることかを明確にしなければならないのです。

先生方と一緒に授業を参観すると、同じ教室を見ていても入ってくる情報が人によって違います。たとえば、友だちの発言を集中して聞いていない子どもがいても、そのことに気づかない方がいます。教師と発言している子どものやり取りに注意がいって、他の子どもが目に入らないのです。また、子どもが顔を上げて聞いてはいるが、理解できていないなと感じる状態でも、「子どもたちは理解していると思いますか」と聞いてあげないと、そのことに気づかない方も多いようです。
当り前のことですが、見ようと意識しないものは視野に入っていても見えないのです。リラックスして見ることができる他の人の授業でこれですから、自分の授業ではなおさらでしょう。

授業中に友だちの発言を聞かない子どもが多いときは、友だちの発言を聞いているかどうかを教師が意識していないことが一つの原因です。子どもが理解していないのに先に進んでしまうのは、子どもが理解しているかどうか見ようとしていないため、その事実に気がついていないからです。
子どものどんな姿が見たいか意識していなければ、その姿を見ることはできません。見ていても気づかないのです。ですから、先生方と一緒に授業を参観して、具体的に「何」を見る、子どものようすから「何」が見えるかをお伝えするのです。

また、見ようとしているがよくわからないというのであれば、見えるようにすればいいのです。聞いているかどうかわからなければ、「○○さんの言ったこと、もう一度聞かせてくれるかな」とたずねればいいのです。理解できているかどうかわからなければ、「今言ったこと、もう一度説明してくれるかな」と確認すればいいのです。

反対に見たくないものからは目をそむけます。話すときに教科書やノートに視線を落として、子どもを見ない方にたまに出会います。こういう方に「子どもを見ましょう」と言ってもなかなか改善されません。多くの場合、授業中に子どもを見ると見たくないもの見てしまうからです。聞いていない子ども、音読していない子ども・・・。教室を見ると、きっとそういう子どもがいるはずです。教師が見ないからそうなったのか、そのような子どもがいるから見なくなったのかはわかりませんが、その状況に対応する方法を明確にしなければ、子どもを見ることができるようにはなりません。ですから、この場合は「子どもを見ましょう」ではなく、「このような子どもにはどう対応しましょう」と考えることが大切になります。

目指す子どもの姿を具体的に意識して、その姿を見よう、見たいと思わなければ決してその姿は見えません、見えるようにはなりません。子どもの「何」を見たいか、一度リストアップしてみることをお勧めします。

子どもたちの変化を感じた訪問

昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。初任者の社会科と若手(2年目)の数学のTTでの授業、全体のようすを見てきました。

この学校にかかわらせていただいて4年目ですが、昨年度の終わりと比べて子どものようすにいくつかの変化が見られました。

3年生は、1年生のときにベテランの担任と若手がうまくかみ合い、子ども同士がかかわりあえる落ち着いた学年でした。2年生になって中心となる先生が異動になった後も若手が頑張ってとてもよい状態でした。今回感じたのは、子どもたちの緊張感が緩んでいるということです。明るくよい表情なのですが、行動が緩慢であったり、すぐに集中しない場面があったりと、3年生のこの時期としては少し気になる状態です。進路意識を高めるなどして、今は何に集中すべき時期なのか考えさせることが必要なのかもしれません。

2年生も昨年は落ち着いて学習に集中していましたが、授業によって学習態度の違いが目につくようになりました。子どもの活動が少なく、教師がしゃべる時間が長い授業ほどにその傾向が強くなっています。研究指定の2年間を含む3年間でこの学校に定着してきた、子どもの活動を大切にする授業スタイルが崩れかけているように感じます。人事異動や講師の増加で今までつくり上げてきたことの継承が難しくなっているのでしょう。

このことは1年生の状況にも現れていると思います。子どもたちはとてもよいのですが、授業規律を含め、話し合ったり、かかわり合ったりという基本が、この時期になってもまだうまくできていないのです。先生方の授業スタイルのばらつきの大きさがその一因であるようです。学年として、押さえるべきことをきちんと共有することが求められているように思います。

初任者の社会科の授業は、子どもたちとの関係もよく、明るく進んでいました。しかし、どうしてもテンションが高くなる傾向がありました。他の先生の授業を一緒に見ることで、子どもたちが考えている、集中しているときはテンションが低めであることを伝えました。また、子どもたちへの指示が徹底できないていないので、まず、指示の内容をきちんと整理することを話しました。特に、求めるものは何か、子ども自身ができたと自己評価できる基準は何かを明確にしておかないと、話し合っても共通の評価基準や根拠がないため言いっぱなしで終わってしまうことを強調しました。それに足して、指示をしただけでは伝わったかどうかはわからないので、確認の必要性も伝えました。具体的には、例を1つ全体でやってみる、子どもに指示の内容を復唱させるなどです。復唱させて言えなかったときは、教師がもう1度言うのではなく、他の子どもに言わせるようにすることも注意しました。そうしないと、聞いていなくても教師がまた言ってくれると思ったり、聞いていた子どもは聞いていた意味がなくなって逆に聞かなくなってしまったりするからです。
もう一つ強調したのが子どもの目線で言葉を選ぶことです。教師は無意識のうちに自分の言葉でしゃべります。たとえばこの授業では、「気候」という言葉を教師が使いましたが、この言葉の意味を確認したり、説明したりする場面はありませんでした。教師にとっては当たり前の社会科用語ですが、子どもにとってはきちんと理解している言葉ではないのです。子どもの発する日常の用語を大切にしながら、教科の言葉に高めていくことが大切です。そのためには、教師は自分の発する言葉が子どもにはどう理解されるのかを常に意識して、日常用語や教科の用語を使い分けることが必要なのです。

数学の授業は、笑顔で子どもをほめることができ、教室の雰囲気も明るいものでした。しかし、常にわかった人に聞く、正解だけを黒板に書いていくため、つまずいている子どもが置いていかれる危険性のあるものでした。たとえば、入れ子になったカッコを使った式の計算の説明では、「最初に計算するのはどこ」という発問に対し、子どもが正解を言ったあと、そのまま計算して答をだしました。その後に「カッコを先に計算する」というルールを確認してすぐに問題演習に入りました。カッコを先に計算するというルールを知っていても、実際にどのカッコが先なのかわからない子どもは、説明がないためわからないままです。過程がすっぽり抜け落ちているのです。教師にとってその過程が当たり前すぎたのです。中学時代にわからない経験をほとんどしていないために、子どものつまずきが見えないのです。正解で授業を進めるのではなく、子どものつまずきから進めることの大切さを話しました。
あと、TTを活かすために、授業の中に○つけの時間を入れることを提案しました。2人であれば○つけの時間を短縮できるのでとても有効です。志水廣先生の提案する○つけ法について簡単に説明しました。自分たちでより深く勉強してくれることを期待しています。

この日うれしいことが2つありました。1つはこの学校で3年講師を務めている先生の授業がずいぶんと進化していたことです。少しの時間しか見ることができませんでしたが、努力の跡がよくわかります。子どもが集中して友だちの発言を聞いていますし、まわりと相談するときの姿勢や表情もとてもよいのです。
もう1つは、教育実習生が数学の授業についての先生方との検討の場面に自主的に参加してくれたことです。教育実習生が自分から参加させてほしいと申し出ることはなかなか勇気のいることです。その積極性に感心しました。また実習生と話をしていて、以前私が司会をした研究会に参加していたことがわかり、その偶然もうれしい驚きでした。

今回、忙しい中、教務主任、研修担当者がそれぞれ1時間ずつ一緒に校内をまわってくださいました。学校の現状について意見を交換することで、現状の認識を共有化でき考えを深めることができました。彼らが中心となってこの学校をよりよい方向に持っていってくださることと思います。今後の学校の変化が楽しみです。

授業アドバイスと講演

昨日は、中学校で授業アドバイスと講演をおこないました。授業アドバイスに手を挙げる先生が7人もいて、とても充実した時間を過ごせました。

この学校は文部科学省の研究指定を受け、その軸足を授業に置き、協働学習を進めようとしています。グループやペア活動を取り入れ始めていますが、そのポイントがまだつかめていないようでした。
何人かの先生と授業を見ながら、その場で子どものようすを解説しましたが、授業のスタイルの基本が、まだ教えること中心から脱却していないようでした。子どもの活動が止まると、すぐに先生がアドバイスしたり、ヒントを説明したりしてしまいます。どうしても教師がしゃべりすぎるのです。また、課題のありようにも苦しんでいるようです。グループ活動に入っても、子どもたちが何をしてよいかわからない状態をよく目にしました。課題が自分たち共通のものになっていない、課題を解決するための見通しを持てていないのです。課題を共通のものにするためには、子どもたちが疑問を持つところから出発し、その疑問を全体で確認することが必要です。そのことが意識されず、教師が一方的に課題を提示してしまうので、何をすればいいのかわからなくなってしまうのです。課題解決の見通しに関しては、グループ活動の経験がまだ少ないので、グループ活動を始める前に全体で話し合うことや、グループ活動が止まっている状態で一度止めて、結論ではなく、何をやったか、どのようにアプローチしているかを発表させるなどの手立てが必要になります。課題を解決するために必要な知識や資料も教師自身が明確にしていないように感じました。知識を教えるか資料を与えるかとは別に、これらを意識できていないと子どもの状況に応じて適切な対応ができないのです。

講演前に1時間、数学の公開授業がおこなわれました。学区の小学校の先生もお呼びして、この中学校が目指す授業を伝えるものです。
ポイントを絞った導入。明確な課題提示。子どもが安心して話をできる柔らかい雰囲気。子どもの言葉をつなぎ、子ども自身で問題解決していく展開。子どもの発表の時の立ち位置、ちょっとしたつぶやきなど、ぼんやり見ていると気づかないような、細かところにも工夫が感じられるものでした。講演をやめて、解説したくなるような授業でした。以前からよく授業を見る機会のあった方ですが、この数年の進歩は素晴らしいものがあります。
授業の終盤で指名した子どもがずれた発言をしました。このとき、その発言を子どもたちで修正させました。そのため、本時のゴールである、文字を使って式をたてるところにたどり着きませんでした。この判断には賛否両論があると思います。そのことがわかっていて、あえて子どもに返すというところに、授業者の強い思いを感じました。こうして鍛えていくことで、より高い課題に挑戦できる子どもたちに育っていくと思います。次の機会にどのような子どもの姿を見せてくれるか楽しみです。

私の講演は、協働学習を支えるものとして、子どもの受容の仕方、教師の聞く姿勢、子どもへの外化の働きかけなどを中心に、公開授業の場面とできるだけ関連づけて話させていただきました。限られた時間の中でどれほどのことを伝えられたかわかりませんが、参加された方の授業を見直す機会になれば幸いです。

先ほどの授業者は、若手を中心に多くの先生方を巻き込んで、互いに授業を見せ合い、授業について話し合う機会をつくろうとしています。先輩としてよきアドバイザーになろうとしています。授業見せていただいた2人の若手の数学の授業はこの先生のよい影響を受けていることがよくわかります。公開授業はその前に見た若手と同じところでしたが、そのとき気になった場面を意識して見せていたように感じました。またその若手も、そのことにちゃんと気づいて、自分の授業に生かそうとしていました。よき先輩と後輩です。

この日授業を見せていただいた先生方に共通していたのは、子どもたちを受容しようとする姿勢と授業をうまくなりたいという向上心、アドバイスを受け入れる素直な態度でした。これだけで間違いなく授業はよくなっていきます。その上に一緒に学ぼうとしてくれる素敵な先輩がいるのです。彼らの今後の成長がとても楽しみです。私もとてもよい刺激を受けました。ありがとうございました。

「協働」という言葉を考える

「協働学習」や「地域との協働」のように、「協働」という言葉がよく使われるようになりました。しかし、ただ共同で何かをしているだけ、一方的にお願いをする、されているだけのようにしか見えないことがよくあります。「協働」という言葉に出会うたびに、どのような思いを込めて使わるているのか考えずにはいられません。

学習の場面で使われるのであれば、かかわり合うことにより一人ではできないことができる。一人では気づけないことに気づく。一人で学べなかったことが学べる。このような視点があるのかどうかです。課題や活動が一人ひとりに何をもたらすかを意識して「協働」という言葉が使われているかが気になるのです。このことを明確に意識せずに、ただグループ活動をさせている。まわりと相談させている。このような、ただ一緒に何かをしているだけのことを「協働」という言葉でくくってほしくないのです。

地域との「協働」のように、立場が違うものが一つのことを協力して成し遂げようとするのであれば、互いに対等の立場で話ができる関係である。互いに目的・目標を共有している。互いに知恵を持ちより、自分ができること、自分にしかできないことをやろうとしている。このようなものになっているかどうかです。「協働」とは名ばかりで、こちらが助けてほしいことを一方的にお願いするだけ、ひどいときは、「子どものため」という一言でその目的や趣旨を詳しく説明もせずに、協力しないのは子どものことを考えていないことだと脅迫しているようにしか見えないこともあります。お願いされる方からすれば、ただで使える労働力としか見られてないのかと言いたくなります。「協働」という言葉を使うのであれば、少なくとも何をするか具体的に計画する段階から一緒に考えるべきです。

とりあえず「協働」という耳当たりのよい言葉を使っておけばいいという発想ではなく、「協働」という言葉にどのような思いを込めるのか、意識をして使ってほしいと思います。

授業の導入を考える

授業の導入で大切なことは何でしょうか。前時の復習でしょうか。落語のまくらのように子どもたちのテンションをあげることでしょうか。子どもたちが興味・関心を持つようなものを見せることでしょうか。

国語で目の錯覚について書かれた教材を扱う授業でのことでした。教科書には有名なルビンの壺(壺にも、2人の人の顔にも見える絵)が載せられていました。授業者は子どもに興味を持たそうとネットから見つけてきた、いろいろなトリックアートを子どもたちに見せていました。子どもたちもよく反応しています。授業者が準備したものを見せ終わったのは授業が始まって10分以上過ぎたときでした。その後、教科書の文章を読むのですが、子どもたちは集中して取り組んだでしょうか。実はすぐには集中しませんでした。トリックアートに夢中になっても、教科書の文章を読みたい、理解したいとはならなかったのです。また、トリックアートに興味をもつことはこの文章を理解することとにはほとんど役立ちません。10分以上もかける価値はあまりなかったのです。

導入で大切なことは、できるだけ早くその時間の中心となる課題につなげることです。授業時間は内容に対して決して多くはありません。子どもが集中できる時間は限られています。導入はその目的を達成できるなら、できるだけ短い方がよいのです。復習であれば、その時間で使うもの、必要なものに絞ることが大切です。興味・関心を持たせるのなら、できるだけインパクトの強いものを与えて、すぐに本題に入るべきなのです。先ほどのトリックアートであれば、子どもたちが「えっ!」と思う、これぞというものを見せて、すぐに本文に入るべきだったのです。

導入を考えるときは、その時間の中心となる課題、活動をまずしっかりと組み立て、そのために必要なことは何かを明確にしなければなりません。子どもたちにとって必然性のない課題であれば、必然性を持たせる。前提となる知識が必要であれば、その知識を復習する。求められるものによって導入の形も異なるのです。中心となる課題、活動に限られた時間、エネルギーを集中させるためにも、導入は効率よく、できるだけ短くするのがポイントです。漫談のような授業の内容と関係のない話をするのは論外です。このようなことを意識してほしいと思います。

昔の同僚と会う

先日、高校教員時代の同僚と食事をする機会がありました。今は管理職となっていますが、当時と変わらず授業のことを楽しそうに話す姿に、彼の教師としての原点を感じました。

管理職ですので、保護者からの苦情やトラブル対応も結構大変なようです。その話しぶりからすると、どちらかというと保護者より教師の方に苦労しているようでした。教師が保護者とコミュニケーションをうまく取れないことが原因のようですが、管理職が注意をすれば改善されるというわけでもないので、ストレスがたまるようです。本人が自分でそのことに気づくことが一番よいのですが、これはなかなか難しいことです。自分と保護者とのやり取りを第三者の視点で観察するのが近道ですが、ビデオに撮っておくというわけにもなかなかいきません。ロールプレーイングによる研修が増えてきているのもうなづけます。

自分の授業を生徒に評価させるなど、授業をよくすることにこだわりを持っている教師ですから、他の教師の授業のことも気なるようです。しかし、根本的に授業感が違うとなかなか話もかみ合わないということです。高校ではよくあることなのですが、学校が目指す子どもの姿が不明確で共有されていないことがその原因の一つのようです。進学率を上げるといった表面的なものを価値基準の中心に置くことが多い、高校の問題点だと思います。

初任を対象の研修会の授業検討会で、初任者たちが抽象的にほめ合うばかりで、授業者の解釈間違いや正しい解釈につながる子どもの発言をとりあげなかったことがとても気になったようです。水を向けても食いついてこず、日ごろは温厚な彼もさすがに厳しい言葉になったようです。互いにほめ合うだけで、深く議論しないのは最近の若者の特徴だと感じているようでした。たしかに、私もそのように感じる場面があります。これは、日ごろの授業検討会でも言えることのように思います。互いによいところを指摘し合うのはいいのですが、それで終わっては深まりません。たとえば、「子どもが活発に発言してよかったと思います」に対して、「それは具体的にどのような場面ですか」「他の先生はその場面をどのように感じましたか」「子どもが活発に発言した理由は何でしょう」・・・と、切り返していくことが大切です。授業と同じですね。

3時間あまり楽しく話をさせていただきましたが、高校の管理職の抱えている課題も色々と見えました。一番感じたのは、このような話を気軽する相手が管理職にはいないということです。彼のストレスが私と話したことで少しでも軽くなってくれればよいのですが。

研修の事前打ち合わせ

昨日は、夏休みにおこなう市の研修の打合せをおこないました。受講者の模擬授業を中心に2回おこなうもので、今年で3年目となります。3年目ともなると、昨年と同様でと依頼されることも多いのですが、担当者からいくつか提案がありました。

一つは、模擬授業のポイントを「導入の工夫」と「子どもの考えを活かす話し合い」の2点に絞ることです。担当者が先生方の授業を見ていて弱いと感じられているところです。
もう一つは、代表の数人がおこなっていた模擬授業をグループ内で全員がおこなうというものです。一人あたりの時間はあまり多くはとれませんが、参加者に少しでも多く学んでもらうためにです。また、受け身の時間を減らしたいということもあります。実習がグループ単位で個別にコメントできないので、打合せの結果、教材を絞ることにしました。共通の教材で模擬授業をおこなうことで、互いの授業からより深く学べると考えたからです。

この提案を受けて、私も講義の形を少し変えようと思いました。最初の講義は互いの授業をより深く見るために、導入の視点を中心に話し、次にグループでの模擬授業を具体例として、どのようにすればよりよくなるのかを話すことにしました。こうすることで、私も皆さんの模擬授業からより多くのことを学べると思います。

市町の研修は、内容にあまり注文をつけずに講師にお任せしますということがよくあります。また、何年も続く研修となると、その企画はマンネリになりやすいものです。今回のように、担当者の視点でよりよい研修にするための改善点を提案いただけることはとてもうれしく、ありがたいことです。担当者の提案によい刺激を受けることができ、今後他の研修にも役立つようなものが生まれてくる予感がします。本番が今から楽しみです。

子どもへの呼びかけを考える

「掃除をしっかりしよう」「身の回りの整理整頓をしよう」というように、子どもたちに呼びかけることがたくさんあると思います。4月当初はきちんとできていても、そろそろ中だるみをしてくるかもしれません。きちんとできるようにするためにはどのようにすればよいのでしょうか。

まず、子どもたちへの呼びかけが、具体的にどのような行動をすればよいのか明確になっている必要があります。「掃除をしっかり」とは、具体的にどのようなことか客観化しておく必要があります。子どもによって「しっかり」の内容は大きく違います。教師が考える「しっかり」と子どもの考える「しっかり」のずれを埋めておくのです。(目指す学級の姿を具体的にする参照)
また、「しないさい」と命令するのではなく、「しよう」と促すことも大切です。命令形に慣れていくと、命令されなければ動かない受け身な子どもになっていきます。
そして、呼びかけるときに大切になるのがそのタイミングです。できるだけ、その行動と近いタイミングで話すのです。給食後に掃除をするのであれば、その直前、給食が終わった後に呼びかけるのです。朝に話をしておいて、もう1度軽く念を押すというのもいいでしょう。こうすることで、よい行動を引き出しやすくなります。その上で、きちんとできたことをほめるのです。初めのうちは「うれしい」「ありがとう」といったIメッセージを多用します。できなかったことを叱るのではなく、できたことをほめることが大切です。ほめることでよい行動を強化するのです。

往々にして、掃除がきちんとできていないことに気づくと、できるだけ早く修正しようと、その日の帰りの会で掃除の悪かった点を指摘し、明日はしっかりやろうと呼びかけてしまいがちです。大切なのは次の行動です。言われたことは時間がたてばどうしても意識から薄れ、そのときはちゃんとしようと思っていても、次の日には呼びかけられたことを忘れて行動してしまいます。その結果、怒られたりすれば嫌な気持ちになります。こういうことが何度かあると、教師からの呼びかけが負の気持ちに連動するものになってしまい、教師の呼びかけを嫌だなと感じ、逆の方向に行動してしまいます。

また、整理整頓のように、そのための特別な時間が取られていないことであれば、気をつけようと言って終わりにするのではなく、できるだけすぐに実行させます。その場で、机やいすを整頓したり、まわりのゴミを拾ったりさせるのです。言いっぱなしで行動の確認を取らないと、教師の言葉が実効のないものになり、「聞き流しておけばよい」と思うようになっていきます。できていなかったことに気づかせ、行動させ、できた(やった)ことを評価することでよいサイクルができていきます。

4月当初と比べて、掃除が雑になってきた、教室が乱れている。そのようなことを感じるようでしたら、ここで述べたようなことを確認して、修正を心がけてください。

学業にかかる費用を考えさせる

子どもにはお金のことを話さない家庭が多いのではないでしょうか。学校の集金もほとんどが振込で、子どもが自分の学業にかかる費用を意識することはあまりないように感じます。せいぜい学用品を自分の小遣いで買う時ぐらいなのではないでしょうか。少なくとも高校進学までには、自分の学業にかかる費用を考えさせる必要があると思います。義務教育が終われば、自らの意志と負担で学生生活を送るという自覚を持つべきなのです。高校授業料の無償化で、このあたりのことがますます曖昧になっているように思います。

学校運営にかかわる費用を児童生徒の人数で割ってみると、驚くほど高額であることに気づきます。教師の給与だけを考えても、その額の大きさがわかることと思います。1人当たりの年間の費用はほとんどの場合、保護者が払っている年間の税金を上回っているはずです。それだけ公費が教育に投下されているのです。
一方、それだけ社会が費用を負担しているにもかかわらず、保護者の負担もかなりのものになるはずです。学用品や、体操服、修学旅行の積立金などばかになりません。
こういった金額を子どもたちに示して、自分たちが学ぶ意味を考えてさせてほしいのです。子どもは保護者や社会の庇護を受けています。それを当たり前のことのように考えすぎているように思います。感謝しろと言っているのではありません、自覚してほしいのです。
「勉強しなくて困るのは自分だ」ということは間違いではないのですが、個人の問題だけではないのです。家庭や社会の問題でもあるのです。
奨学金の手続きのとき、「誰がお金を借りるのか」と確認すると、驚くことに「親」と応える子どもがたくさんいます。こういう子たちは自分が学ぶために、自分が借金するのだという自覚がないのです。

学校や家庭で学業にかかる費用を話題にしてみてください。学業にかかる費用を考えることを、自分たちが学ぶ理由や意味を問い直すきっかけにしてほしいと思います。

特定の子どもと関係が悪くなったとき

教師と子どもの関係はちょっとした行き違いでこじれることがあります。相性が悪いとしか言えないようなこともあります。「あの先生は私のことをわかってくれない」「私のことを嫌っている」と感じたり、「あの子はどうも私に反抗的だ」「私の言葉を素直に聞いてくれない」と感じたりして、ぎくしゃくした関係になってしまうこともよくあります。特定の子どもとの関係が悪くなったとき、どのようにすればよいのでしょうか。

教師が関係改善を意識して今まで以上にかかわろうとすると、かえって反発が強くなることがあります。あせらず、少し距離を置いて、子どものようすを観察してみてください。このとき、子どものよいところを見るように意識してほしいのです。関係が悪いときは教師も無意識のうちに子どもの悪いところを見てしまいます。悪いところを見れば、ますます関係が悪くなります。この負の連鎖を断ち切るのです。距離を置いて、子どもを冷静にみるだけでも、関係は改善してくることが多いように思います。

とはいえ、教師への反発が、周りの迷惑になるような行動や、宿題をしてこないといった形で表れてくればほっておくわけにもいけません。特に他者に迷惑をかける行為はきちんと叱る必要があります(規律を守れなかった子どもの指導参照)。その一方で、第三者の助けを借りることも考えてください。その子どもとの関係が良好な同僚がいれば、事情を話して不満な点を聞いてもらうのです。大切なことは、諭してもらうことではなくその子どもの本音を聞いてもらうことです。第三者に打ち明けることで、気持ちが整理され自然によい方向に向かうこともありますし、不満の原因が教師の思ってもみなかったことだとわかることもあります。また、その子と仲のよい友だちと教師とが良好な関係であれば、その友だちに聞いてもらうように頼んでもよいかもしれません。いずれにしても、その不満の原因に思い当たることがあれば、そのことを子どもにきちんと説明することが必要です。誤解であればきちんと解く必要があります。教師の立場から一方的に話をするのではなく、たとえ子どもの言っていることが理不尽であっても、まずはきちんと受け止めることを忘れないでください。教師の方が大人なのですから。このとき、間に入ってくれた同僚や友だちに同席してもらうのも互いに冷静になるには有効です。

時には保護者に間に入ってもらうことも解決を早めます。保護者に子どもの言い分を聞いてもらうのです。そのことをお願いするのに、教師が自分の立場や都合を前面に押し出し、言い訳じみたことや上から目線で話をしないように注意してください。あくまで、保護者に助けてもらうという姿勢を崩さないことです。お願いする時点で、保護者が子どもから話を聞いていて、一方的に攻撃される可能性もあります。その場合でも、まずは言い分をしっかり聞いて、その上で、冷静に伝えるべきことを伝えてください。子どもにとって一番よい解決を保護者と一緒に考えようとしていることを、まずは理解してもらうようにします。このことを理解していただければ、問題の解決に向かって大きく進むはずです。

教師も人間です。相性のよくない子どももいます。無理して自分一人で解決しようとせず、時にはまわりの人たちに助けてもらうことも大切です。うまくいかなくなった子どもとの人間関係は、あせらずに時間をかけて改善しましょう。

「学校、家庭、地域の連携」について講演

昨日は小中学校の保護者対象に「子どもたちの健やかな成長を目指して」と題して、学校、家庭、地域の連携についてお話をさせていただきました。

はじめに、健やかに育つとは具体的にどういうことか何人かの方に質問しました。「元気」「笑顔」「楽しい」といったキーワードと「体」「心」というキーワードが出てきました。子どもたちが元気に笑顔で心身ともに健康であってほしいということです。
子どもたちのそのように育ってほしいと考えたとき、学校、家庭、地域にはそれぞれの役割があり、互いに連携を取ることが大切です。そのとき、大切にしてほしいことは、何かをするから、このことを「手伝ってほしい」と、お願いするのではなく、子どもたちにこのような「成長をしてほしい」、そのために「手伝ってほしい」と目指すものを共有することです。目指す子どもの姿を共有し、また、その結果、子どもがどのような姿を見せてくれたかきちんと伝えあう。こういう姿勢が必要なのです。

家庭の役割としてお願いしたのが、「子どもの居場所をつくる」「存在を無条件に認めてあげる」ことです。「あなたはいい子だからおかあさんは大好き」「勉強を頑張っているから」「やさしいから」といった条件をつけるのではなく、何があっても大好き、愛しているというメッセージを送ってほしいのです。子どもに自己有用感を持たせるためにも、家庭での役割を与えて、「ありがとう」という言葉を子どもにかけてほしいのです。
学校の役割は、子どもを次代の社会の担い手に育てるための、知識や力を獲得させることです。
地域の役割は、子どもたちを取り巻く身近な社会として、子どもを見守り、社会的な成長の場を与えることです。

地域との連携という意味では、子どもに役割を与えること、活躍できるチャンスを与えること大切にしてほしいことを伝えました。観客席から舞台に上げるのです。
具体的には、たとえばイベントであれば、お客から、企画や運営する側に参加させるということです。子どもたちに、大人と一緒に何かをつくり上げる、大人から感謝される、時には大人から叱られる。こういう経験を積ませてほしいのです。子どもに対して上から目線ではなく、正面から向き合い、時にはぶつかりあい、一緒に悩み苦しみ、一緒に感動する。そういう場をつくってほしいのです。こういうことが、子どもたちに自己有用感を持たせ、成長するきっかけを与えるのです。

私の見てきた取り組みの具体的な話も交えながら、このようなことをお伝えしました。

大変熱心に聞いていただけ、質問もたくさんいただきました。また、個別に教師にかかわることも相談されました。若い教師が保護者とうまくコミュニケーションをとれていないと感じるものと学級規律をきちんと確立するためのスキルがないと感じるものでした。保護者ではなく、実際にその教師とお話しすることができれば解決が早い内容でしたが、それもかないません。保護者の立場からできることをアドバイスさせていただきました。私にとっても保護者の視点からの相談は新鮮で、とても勉強になりました。

今回の話が、この学区の子どもたちを育てる取り組みに少しでも参考になればと思います。私にとっても、とても楽しく、勉強になる時間をでした。このような機会をいただけたことに感謝です。

試験が終わった後、何を意識すればいいのか

多くの中学校では中間試験の時期だと思います。特に1年生は初めての定期試験で緊張していることと思います。試験が終わった後、担任はどんなことを意識すればよいのでしょうか。

試験が終われば先生方は採点業務で忙しいと思いますが、一方の子どもたちはプレッシャーから解放されて気持ちが緩むときです。中途半端に緩めるのではなく、試験が終了したその日は思いっきり解放させ、翌日からリセットしてまたふだんの生活に戻すことが大切です。

「今日1日は、思いっきりリラックスして、明日は全員元気な顔を見せてね」

このような話をするとよいと思います。ポイントはリセットして次の日からいつもの生活に戻ることを意識させる言葉を入れることです。

試験の結果が出ると、自信を失くし落ち込む子どもも出てきます。また、よい結果に満足して気が緩んだままになってしまうこともあります。いずれにしても、子どもに何らかの心の動きが起きるときです。このタイミングをうまくとらえて働きかけることで、子どもたちをよいい方向へ変化させることができます。試験の結果を反省することより、次の行動を促すようにすることが大切です。「次の試験では、早めに勉強して頑張る」といった反省はあまり意味がありません。今日からできることを考えて実行させるようにします。うまくいかなかった子どもにとっては、試験の結果が出た直後が一番頑張らなければと思うときです。ここでうまく生活のリズムをよい方向に持っていくことを意識させるのです。毎日の学習をうまくやれた子どもの体験を共有し、学級に対して「今日から○○しよう」と前向きな言葉をかけるようにしたいものです。

一方で、深く落ち込んでいる子どもには、個別の対応が必要です。特に1年生は、学校内での相対的な自分の位置を初めて知らされ、自己有用感を失くしてしまうことがよくあります。励ましたり、あれこれアドバイスしたりすることよりも、まず子どもの気持ちを聞いてあげることが大切です。「なるほど」と、その気持ちを受け止めた上で、「どうしようと思う」と問いかけることや、「どうすればいいか一緒に考えよう」と寄り添うことをします。子どもの口から、今できることを何か一つ引き出せればとりあえずOKです。思い悩むことから、行動することへとフェーズを変えることが大切だからです。そのあとも、ふだんの様子を観察し、ときどき「調子はどう」とたずねます。もし、うまく行動に移せていないようだったら、「そうなんだ。また君の時間がある時にでも話を聞かせてよ」ととりあえず次につなげる言葉をかけておき、しばらく様子を見ます。すぐに話をしようと反応すると、先生が気にしている、先生にチェックされていると感じることがあるからです。その後も改善されていないようだったら、そこでもう一度話を聞きます。このような子どもとのかかわりの距離感を大切にします。

学習面にかかわらず、担任にとって学級全体に対してメッセージを発信することや一人ひとりの子どもの話を聞くことなどの働きかけは大切な仕事です。全体へはどのようなメッセージをどのタイミングで発するか、一人ひとりの子どもには声をかけるべきか、しばらく様子を見るべきかといった距離をどのくらいにとるかがポイントになります。試験が終わった後というのは、子どもの心に動きが起きる、担任が意識して子どもたちに働きかけるべきときなのです。

PTAのHPに注目

学校HP(ホームページ)が変化してきている話(学校HPの変化参照)を以前しましたが、最近注目しているのがある中学校PTAのページです。

「PTAの部屋」という学校HPから見ることができるブログ形式のものですが、今までは教頭が随時更新をしていたそうです。ところが、今年度学校HPがリニューアルされ、学校の思いが明確な形で発信されるようになったことに刺激されてか、PTAで更新をしたいと要望があったそうです。それを受けて更新・内容をすべてお任せすることになったようです。学校HPの中に入っているようにみえますが、まったくの独立サイトのようです。
とはいえ、学校HPと連動しているサイトの運営をPTAに完全に任せることには、勇気がいります。単なる連絡掲示板のようになってしまうのか、それとも学校とうまく連携がとれたものになるのか、どのようなものになるか注目していました。

ふたを開けてみれば、学校の発信と連動して、保護者の視点でそれどう受け止めているか、どうあろうとしているかが発信されています。学校の発信をただ受けて理解しているだけではなく、それを我が事として考え、深め、こうありたいと発信しているのです。

これも1歩進んだ学校HPのあり方だと思います。学校の発信に対して保護者がどう感じ、どう応えようとしているかが伝えられることで、学校の思いが多くの方により深く理解され、また学校側もそれに応えようとより一層の努力をすることでしょう。学校の発信とPTAの発信がうまく共鳴し合い、学校にかかわる人たちを色々な方向から包み込むようにして、学校の教育活動に巻き込んでいくように思えます。

PTAにサイトの運営を任せればうまくいくというものではないでしょう。サイトを運営する役員の方の個人的な力量の問題もあるでしょう。しかし、学校側が伝えたいこと、伝えるべきことを明確に発信してれば、どの学校でも起こりえることでもあります。
学校の発信の質の変化が学校にかかわる人たちにも変化を促していくように思います。この学校で起こっているようなことが、他の学校でも起こってくると思います。新しい学校とPTAのかかわり方の形として、しばらくこのサイトから目が離せません。

長瀬拓也先生から学ぶ

本年度第1回目の教師力アップセミナーは、中津川市立蛭川中学校の長瀬拓也先生の講演でした。会場を大口町立大口中学校へ移しての初めてのセミナーということで、運営上のいろいろな課題もありましたが、多くの方の協力で無事に終えることができました。

長瀬先生は教職9年目という、まだ若手と言ってもよい方です。今回の講演は「教師の成長」にスポットをあてたものでした。若い先生とお話をしていると、すぐに使える How to を求められることが多く、またそれに応えようとしていたのですが、成長するための方法、アプローチを一緒に考えることが必要だと気づかせていただきました。
失礼な言い方かもしれませんが、お話を聞きながら長瀬先生は「発展途上人」だと思いました。自分を見つめ、自分が成長するために必要な行動をとり、日々前へ向かって進んでいる。その勢いを感じました。この先5年、10年とどのように変貌していくかとても楽しみな方でした。

年齢の近い方から「共感を持って聞くことができた」「自分の教師としてのこれからの生き方の参考になった」という感想を聞くことができました。私のように年齢を重ねたものにとっても、自分の原点はどこにあるか見直すよい機会でした。
私の成長のキーワードを振り返ってみると「見る」ということでしょうか。自分の目で見た授業やできごとからいかに多くのことを「学ぶ」か、そしてそれを自分の言葉でどのように整理し「語る」かが私の成長の原点であると再認識できました。
話は少しそれますが、かつて私はよい授業を見ることが成長への近道だと考え、よい授業を見ることにこだわっていました。しかし、よい授業にこだわるのではなく、目の前の授業から何を学べるかが大切だと思うようになりました。たとえ未熟な新任の授業でも、子どもの事実と、その原因、授業者の思いとの関係などを見つけようとすることではまた違ったものが得られるからです。このことに気づいてからは授業を見ることからの学びが豊かになったように思います。私が学校から講演をお願いされるとき、たとえ廊下からでもよいから授業を見せていただくことを条件にしている理由がここにあります。

若手の先生方に、目先の問題解決ばかりでなく、いかにして教師として成長していくかを一緒に考えることをもっと意識しなければいけない。このことに気づけた、私にとってとても有意義なお話でした。また、自分の成長のキーワードが「見る」であることを意識できたことで、今後、若手の先生に「見る」ということと教師の「成長」とを結びつけて伝えることができるようにも思います。充実した時間を過ごせたことを長瀬先生に感謝します。

「学級経営のポイント」について講演

昨日は中学校で「学級経営のポイント」についてお話をさせていただきました。特に学級の状態の「チェックと修正」を中心に話しましたが、たまたま5月の連休明けという大事なチェック時期ですので、例としてこの時期にすべきチェックをリストアップしてみました。

・基本的生活習慣の確立(特に1年生)
 学習と部活動の両立
 学習習慣の確立
 欠席・遅刻・早退

・人間関係(友人関係の再構築の時期)
 どういうグループがあるか
 学級内の友人関係と他の学級との友人関係
 孤立していないか

・学習規律の確立(授業態度)
 集中力・指示への反応
 聞く姿勢(教師・友だち)

・生活規律の確立
 時間を守れるか
 規則を守れるか
 掃除がしっかりやれているか

・進路指導面(特に3年)
 真剣に向き合えているか
 不安を感じていないか

・・・

こういうチェック項目を時期ごとにリストアップするのは個人では意外と大変かもしれません。学年や学校全体で時期ごとのチェック項目をつくっておくとよいと思います。

チェックの方法ですが、大きく3つあると思います。

・毎日の観察
 定点チェック
  欠席・遅刻・早退
  下駄箱
  ロッカー
  トイレのスリッパ
  始業前のようす
  ・・・
 声かけ
 空き時間に他の教科の授業を覗く
 他の先生からの情報(授業・部活動・委員会活動etc.)

・データ
 成績
  絶対と相対
  平均より度数分布
  個人の変化
 アンケート
  平均と個人の差を見る
  同じ項目で変化を見る
  相談したいことがあるかを問う
 生活記録・学習記録
  変化に注目

・面接・面談
 個別
  個人カルテをつくっておく
 グループ
 保護者

特に観察は、意識していないことは目に入らないので、何を見るかを明確にしておくことが大切です。また、ベテランと若手の差のつきやすいところでもあります。観察するには、比較の基準を持つことが大切ですが、多くの学級を見てきたベテランは色々な学級の状態を知っているので、しっかりとした基準が持てているのです。経験の少ない若手は、他の学級のようすを学級経営の視点で観察し、その変化を見ることで経験値を増やしてほしいと思います。よい方向に変化していれば、間違いなく担任の働きかけがあったはずです。そこを知ることで観察のポイントと対応が明確になります。それがわからないときは思い切ってその担任に質問してみるとよいでしょう。きっと快く教えてくれるはずです。

チェックの結果、問題点が明らかになれば修正が必要になります。その視点の一つが、個の問題であるか、全体の問題であるかです(個の問題か全体の問題か意識する参照)。

要所要所で学級の状態をチェックし、早めに対応することが学級経営のポイントになります。
今回、若手だけでなく、ベテラン(特に女性)の方にも熱心に聞いていただけました。私の話がこれからの学級経営に少しでもお役に立てばうれしく思います。

何が大切か判断する力をつける

授業中、「ここが大切」だと教師が強調することがよくあります。子どもたちに意識させて、しっかり身につけてほしいからです。「大切だから試験に出します」といった表現もよく耳にします。しかし、いつも教師がここが重要だ、大切だと子どもに示していると、自ら判断する力がいつまでたっても身につきません。

自分で学習することを考えれば、何が大切か、どこがポイントかを自分で判断する力が重要なのは間違いありません。いつも受け身で教師の指示に従い、板書を写し、教師が示す重要なところに線を引き、それを覚える。確かにその教師がつくる試験にはこれで十分対応ができますが、これが勉強だと勘違いしてしまっていては困るのです。自ら学べる子どもにするためには、判断する場面をたくさん経験することが大切です。たとえ判断を間違えても、その経験を積み重ねることで正しい判断ができるようになります。

最近はあまり聞かなくなりましたが、私が学生の頃は試験に「山を掛ける」ということをよくやっていました。あまりほめられてことではありませんが、試験の範囲をすべてやる代わりに、出題されそうなところを集中して勉強することです。山が当たる当たらないで、結果は大きく違います。しかし、試験には重要なことが出題されるわけで、何が重要かを判断するという意味では、あながち間違っているとはいえない学習方法なのかもしれません。

要は何が重要かを判断するというメタな力をつけることを意識してほしいのです。子どもは楽をしてよい点数を取りたい。教師は大切なことを身につけてほしい。両者の思惑が一致して、「ここが大切」と教師が伝える授業をつくっているのです。しかし、ここで止まってしまっては、結局誰かに教えてもらわなければ、極論すれば「ここが試験に出る」と言ってもらわなければ、勉強できない子どもになってしまうのです。目先のことにとらわれすぎてはいけないのです。

「今日の授業で何が大切だったか」
「何がわかれば、よかったか」
「他の場面でも利用できそうなものは何か」
「いつでも言えることは何か」
「共通していたことは何か」
「何が今までと異なったか」
・・・

教師が常にこのような問いかけをし続けることで、自ら問いかけるようになっていきます。その結果、何が大切か、重要かが明確になり、自ら判断できるようになるのです。

人は一生勉強を続けなければいけません。子どもたちにその基本となる「学ぶ力」をつける必要があります。その一つが、「何が大切かを判断する力」です。こういう目に見えにくい力をつけることも意識してほしいと思います。
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