表を読み取る力をどうつける

資料として数値の入った表を利用することがあると思います。表をもとに考えさせる、気づいたことを発表させるといった活動もよくあります。しかし、子どもが育っていなければ、「表を見て気づいたことない?」といった問いかけではなかなか気づくことはできません。表を読み取る力はつけるためにはどのようなことを意識すればよいのでしょうか。

表は数字がいくつも並んでいます。多くの場合、表を見るようにいっても、漠然と眺めるだけで一つひとつの値の違いを比較したりはしません。まず数字をきちんと意識させることから始める必要があります。
その方法の一つに表の数字を読み上げさせることがあります。全員で一斉に読み上げることで五感に訴えることができます。
表の一部を空欄にして書き込ませるという方法もあります。このとき、値を板書するなどして目で見て写させるのではなく、教師が値を読み上げて書き込ませるとよいでしょう。ただ写すだけだと漫然と数字の羅列としか意識しませんが、耳で聞いて書き込もうとすれば、数を数字に変換する過程で値を意識することになるからです。子どもたちが育ってくるまでは、値の変化を意識させるために「あっ、ずいぶん増えたね」「同じような値が続くね」といったコメントをはさんでもよいでしょう。
表を見る視点を明確にするために、「1番大きいのはどこ?」「小さいところは?」「1番大きく値が変化しているところは?」と問いかけたり、印をつけさせたりといったことも必要です。時間があれば、表を値の大きい順に並べ替える、グラフにするといった作業をさせることも有効です。

子どもたちが育ってくれば、意識して表を読み取ろうとするようになります。気づいたことをただ発表させるのではなく、「どこに目をつけた?」「何に注意した?」「どうやって気づいた?」といった、表を見る視点や読み取る方法を問いかけるようにするとよいでしょう。また、表の読み取りに入る前に、「表を見るとき、どんなところを見るとよかった?」と意識させてもよいでしょう。表から読み取ったことだけでなく、読み取り方を共有していくことで読み取る力を定着させるのです。

表を読み取る力をつけるためには、数値に注目し比較をする、変化を見るといった活動や作業を経験させることが大切です。子どもたちに視点が育って、はじめて「気づいたことは?」という発問で子どもたちが気づけるようになるのです。

ネタを活かすために必要なこと

授業にはいわゆるネタというものがあります。ベテランともなると、これはというネタをいくつも持っていることでしょう。子どもたちの予想を覆すような事象や興味・疑問を持たせ引き込むような課題が多いことと思います。インターネットを使えば簡単にネタを手に入れることもできます。俗にいう鉄板ネタであれば、子どもたちを惹きつける授業をつくることはそれほど難しくないと思います。
私も若手の授業づくりのお手伝いをするときに、ネタを提供することがあります。ところが実際の授業は、ネタを使うことで子どもたちの興味を引くものにはなるのですが、どんな力がついたかというと「???」ということが多いのです。何が足りないのでしょうか。

面白いネタを使った授業が考えるとき、どう見せれば子どもの興味を引けるか、どう与えれば子どもたちが活発に活動するかというところに目を奪われがちです。子どもたちに「うける」ことよりも、「何を考えさせたいのか」「何に気づかせたいのか」といったその授業のねらいが大切です。そこを明確にしておかないと、ただ「面白かった」で終わってしまうのです。

ちょっと難しいかもしれませんが、確率の有名なネタを例にして考えましょう。
「3つの箱の中に1つだけ当たりの箱があります。当たりだと思う箱を3つの中から1つ選んでください。選んだあとの残りの2つの内、はずれの箱をとり除きます。残った箱は2つです。当たりは、あなたの選んだ箱か残ったもう1つの箱のどちらかです。ここで、最初に選んだ箱ではなく、残ったもう1つの箱を選び直すチャンスを与えます。あなたは選び直しますか?」
子どもの多くは、当たりは2つの箱のどちらかだから、選び直しても直さなくても確率は1/2で同じだと予想します。しかし、実際にグループで実験をさせると予想と違って選びなおした方が当たりやすくなります。予想が外れるので、子どもが興味を持ってその理由を考えます。これがネタの力です。しかし、そこで終わってはいけません。この授業では、正しい確率(選び直すときは、最初にはずしていれば必ず当たり、逆に最初に当たりを選んでいれば必ずはずれます。選びなおして当たる確率は最初にはずれを選ぶ確率と等しくなるので2/3)を導くこと以外に、もう1つ大切なポイントがあります。それは、残った2つの箱のどちらに当たりがあるかは「同様に確からしい」が成り立っていないということです。だから、確率が1/2にならないのです。何が「同様に確からしい」かが、確率を考えるときに一番の基本となることです。確率の授業としては一番肝心なのはここなのです。ここを押さえなくては、なんとなく「面白いね」、「正解はなんとなくはわかるが、なぜ1/2にならないのかよくわからない」とモヤモヤした状態のままで終わってしまいます。
このこと意識すると授業づくりのポイントも見えてきます。子どもが1/2と予想した段階で根拠を問い、この「同様に確からしい」という言葉を引き出しておかなければいけません。結論が出たところで、「同様に確からしい」が成り立っていなかったことを確認することが必要になります。
教科、単元の本質的なところをきちんと考えておかなければ授業としては中途半端なものになってしまうのです。

このことは数学のネタに限りません。社会科であれば子どもが疑問を持ったことをどのような資料をもとに解決するのか、その過程で何を学ばせるのか。そういう視点が大切になります。理科の実験などでも、課題に興味を持ったあと、課題を解決するためにはどのような実験をすればよいのか考える、そういう場面が必要になります。
ネタの面白さも大切ですが、そのネタを使ってどんな力をつけるのか明確にすることがより重要なのです。教材研究の根本となる教科の本質や単元の持つ意味をしっかりと考え、身につけることがネタを活かすためにも必要になるのです。

子どもの発言をつなぐタイミングを考える

子どもの発言をつなぐことが大切(「子どもの発言つなぐことを考える」参照)ですが、自分の意見を発言したくてなかなか待てない子どもがいます。友だちの発言についてどう思うか問いかけてもうわの空で、自分が発言するチャンスが早く来ないかとイライラして待っている。そんな子どもの姿を見ることがあります。小学校の低学年に多いように思います。一人ひとりの考えをその場でつなごうとしても、子どもの聞く姿勢が育っていなければなかなか難しいものです。その場でつなぐことが難しいときはどのタイミングでつなげばいいのでしょうか。

発言したいという気持ちをまず満足させるために、テンポよく次々に指名していく方法があります。子どもたちに一通り発言させて、発言したい気持ちを落ち着かせるのです。子どもの意見が一通りでると、教師は出てきた子どもの意見を自分でまとめたくなります。そうではなく、このタイミングでつなぐことを考えるのです。そのためには、一人ひとりの発言を「なるほど」と受け止めると同時に、誰がどのような発言をしたか教師がしっかりと覚えておくことが必要です。子どもたちの発言の中から、深めたい考えや同じような意見など取り上げるべきものを選び、「みんな、○○さんの意見覚えている?」と問いかけます。ここで、「・・・という意見があったけど覚えている」と内容を教師が説明するのではなく、固有名詞で取り上げることが大切です。友だちの発言をちゃんと聞いていなければ、思い出せないので聞くことを意識させることができます。覚えている子どもがいれば、発言させてから本人に確認します。もしいなければ、「○○さん、もう一度聞かせてくれる。みんなしっかり聞こうね」と本人に再度発言させます。ここからつなぐことを始めればよいのです。他の発言とつなげるのであれば、「今の○○さんの意見と似た意見があったけれど、誰の意見だったか覚えている?」「似た意見を言った人はいた?」と問い返すことで、聞くことを意識させます。
このようにして、発言することから聞くことに価値の比重を移していくのです。

子どもたちは発言したい気持ちが強いため、初めはなかなか友だちの発言を落ち着いて聞くことができません。そのような場合は、とりあえず発言させることで、発言したい気持ちを満足させましょう。その上で子ども同士の発言をつないで、友だちの発言を聞き、かかわりながら考えを深めることを経験させます。しっかり聞くことが活躍のチャンスを増やすと知ることで聞く姿勢が育ち、一つひとつの発言をその場でつないでも、発言したい気持ちを抑えてきちんとかかわれるようになるのです。

高校入試問題に挑戦して考える

本日は愛知県の公立高校入試Bグループの面接試験です。多くの受験生にとってはこれが最後の試験となることと思います。教師時代は共通一次試験(現センター試験)や愛知県の公立高校入試の問題は、全教科に目を通すようにしていました。それぞれの教科でどのような力が子どもたち求められるかを知ることは、教える側にとってもとても大切なことだと考えていたからです。
どなたも自分の専門教科はチェックされますが、他教科に関してはあまりしっかりとは見てないように感じます。ちょっと意地悪な言い方をすれば、高校入試は義務教育の範囲ですから、基本すべて解けるはずです。他教科を解くということは、教える側ではなく子どもの視点に立つことになります。また、子どもたちは全教科を受験するわけですから、同じように教師も全教科を解いてみることで、子どもの立場でどんな学習が必要かに気づくことができるのです。

今回、新聞に掲載された筆記試験問題にちょっと力を入れて挑戦してみました。
どの教科にも共通して感じるのは、細かい知識を要求していないことです。その代り、一つの知識があればすぐに解けるという問題は少なくなっています。基本的な知識を組み合わせて考えることで初めて正解にたどり着けるように工夫されています。出題者の意図がよく伝わります。

数学は私の専門教科なので、紙と鉛筆を一切使わずに頭の中だけで解くことにしています。紙と鉛筆がなければ解けない問題は、ちょっと複雑か計算が面倒なものということになります。今回は紙と鉛筆の出番はありませんでした。簡単だということではありません。面倒な計算に時間を割かせるのではなく、考えることを重視しているのです。
社会科の細かい知識はもうすっかり忘れています。しかし、資料を読み取る力、社会人としての基礎的な知識や大きな歴史の流れをつかんでいれば、確実に解くことができます。
理科も、基礎的な知識やモデルをもとに、推論するといった論理的な力が要求されます。
国語は感覚ではなく、本文に書かれていることを根拠にしなければ解けないように設問が工夫されています。文章自体は難しいわけではありませんが、解答するために何度も本文に戻りました。
英語は、難しい単語や構文を知らなければ解けない問題はありません。しかし、問題の文章で示されているsituationを理解できなければ解答できないように工夫されています。コミュニケーションを意識した問題と感じました。

全教科に共通することは、知識の総量よりも考える力を要求しているということです。私が興味を持ったのは、受験対策をしている塾ではどのようにして教えているのかということです。問題のパターンを分析して解き方を教えているのでしょうか。もしそうであれば、子どもたちはたくさんのパターンを覚えることになります。パターンが変われば対応できません。不毛な学習方法になります。思考力をつけるのであれば、自分で考え、考え方を発表したり、議論したりすることが必要になってくると思います。受け身では力がつきません。よほど基礎となる思考力がなければ、集団でのかかわり合いが不可欠です。個別学習では、問題の答を教えることができても、子ども自身で気づくための働きかけをよほど工夫しなければ思考力はつきません。そのようなノウハウがあるのならすごいことです。しかし、私の知る高校生の実態は、勉強は覚えることだと錯覚している子がほとんどです。
これは学校でも同じことです。思考力は教えることでは身につきません。子どもが自分の問題として考える経験をたくさん積まなければいけません。

受験対策を口にする先生の授業が、知識伝達型がほとんどというのも不思議な気がします。こいう方は入試問題を見て、「こういう問題を教えておかなければ」「このパターンを事前に教えておいてよかった」といった感想を持たれているのではないでしょうか。このことがいかに教育の本質から外れているかは、説明する必要はないでしょう。
一方子ども同士のかかわり合いを大切にしている先生方はどうなのでしょうか。こういう入試問題は歓迎すべきはずです。もし子どもたちがこういう問題で点が取れないなら、「活動している」が「考えていない」授業だということです。知識が足りなくて解けないのなら、基礎的な知識すら身についていないということです。

日ごろ私の授業アドバイスでは、試験の結果がどうであったかをあまり話題にしません。それ以前の段階の授業がまだまだ多いからです。しかし、先生方の授業力の向上にともない、こういうことも話題にしていく必要があるように思いました。
ちなみに、入試問題に挑戦した結果は、とりあえず義務教育卒業レベルは維持できていたようでした。(笑)

研究に関する打ち合わせ

昨日あった打ち合わせで話題になったことを少しお伝えします。

授業「研究」と授業「研修」のどちらだろう。
研修は研究と修養という意味ですが、修養という言葉は、授業に関しては具体的にどのようなことを表すのでしょうか。たとえば、若い先生の中には子どもにどうなってほしいという目指す姿が明確でない方もいます。子どもの受け止め方、つなぎ方といった授業技術を伝えても、子どもにどうなってほしいという目的意識がなければ、ただ意味なく「なるほど」と答えたり、「今の意見に賛成の人」と問いかけたりするだけです。「なるほど」と受け止めた後、「それってどういうこと?」と深めるのか、「今の意見、なるほどと思った人いる」とつなぐのか、「いいね。みんなどんどん意見を言って」と次の意見を求めるのかといった判断が必要です。しかし、目指す子どもの姿が明確でなければ判断のしようがありません。個々の授業技術を教えることはできても、目指す姿を教えることはできません。教師として自らに問いかけ続けることで初めて明確になっていくものです。修養という言葉が示すのはこういうことだと思います。トータルに授業力を上げるという意味では、授業研修という言葉がふさわしいように思います。

基本となる授業のパターンの中に、本質が見える。
数学の飛び込み授業が話題になりました。・・・足して10になる2つの数を子どもに言わせる。ここまで聞くと次の展開が想像できました。この先生の問題把握の場面での進め方のパターンを知っているからです。
「1と9」「3と7」・・・、と答えさせながら、「どんな数でもいいの?」といった子どもから疑問が出るのを待ちます。疑問に対して、「それってどういうこと?」と問い返します。「負の数とかだったら、いくつでもできる」と子どもが具体的に説明できれば、「素晴らしい」とほめて、「じゃあ、整数ということにしようか」と子どもの疑問をもとに条件を与えます。
実際にもこのような展開になったようです。課題さえ決まれば、問題把握の進め方はこのパターンを使えばすぐに見えてきます。こういう基本となるパターンをいくつか持つことで、効率的に授業をつくることができるようになります。だれしもこのような基本パターンがあるものですが、そこにその教師の本質が見えてくるように思います。
この課題であれば、子どもが疑問を持たないように、最初から「整数」という条件を付ける教師もいます。子どもに「どんな数でもいいの?」と聞かれたら、「整数だよ」と教師が条件を付加するかもしれません。ここでは、最初に条件を付けないことで子どもの視野を広げています。子どもの疑問や気づきをもとに考えることで、条件が教師から一方的に示されるものではなく子どもにとって必然性のあるものになっています。「なぜこの条件が必要なのだろうか」と条件の持つ意味を考える。問題の意味を理解した結果、受け身ではなく、自分から解きたいと思う。そんな子どもを育てたいと考えた結果、このようなパターンが生まれたのです。基本となる授業のパターンの中に、その教師の授業に対する姿勢や目指す子どもの姿が埋め込まれているのです。

模擬授業は子どもを使えないので教師がその代わりをしているのか。
模擬授業では、教師が子ども役をすることに積極的な意味を持たせることができます。授業を子どもの視点で見ることで新たな気づきができます。子どもを使わないので、うまくいかなった場面をその場ですぐにやり直すことができます。実際の授業とはまた違った視点で学ぶことができます。模擬授業だからこそできる学びがあるのです。

というわけで、模擬授業を活かした授業研究(研修)をこの1年研究することになりました。模擬授業を通じて互いに学び合い、高め合うためのノウハウを蓄積していきたいと思います。どのようなものになっていくのかとても楽しみです。今後この日記でも報告していきたいと思います。

トータルコストを意識する

昨日参加した会議の合間に出た話題で、考えさせられることがありました。

営業の担当者が、顧客からの「こういう機能を付けてほしい」という要望を、文字通りそのまま開発の担当に伝えていることがよくあるのだそうです。開発の側からすれば、その機能が必要な理由やその機能をつけることで何を期待するのかがわからなければ、細かい仕様を決定することはできません。場合によっては、他の機能で代替するなど、別の実現方法を提案した方がよりよくなることもあります。しかし、情報がなければ何ともしようがないので、営業担当者に再度確認をお願いすることになります。きちんと情報を顧客から聞き取って伝えることはお願いしているはずですが、これがなかなかできないようなのです。
その原因の一つに、営業担当が忙しいことがありそうです。時間をかけて聞き取りをしていられない。要望を開発担当に伝えれば、取り敢えず前へ進む。その場はしのげる。そういう心理が働くのでしょう。

似たことにパソコンやケータイの設定の話があります。たとえば、メールの設定がわからないので教えてほしいと頼まれたときのことです。後々のことを考えて一つひとつの項目の意味を説明しながら進めると、何をすればよいかだけでいいと言われてしまうことがよくあります。結局、手順だけを教えることになりますが、別の機械に設定するときには、また一から説明をし直すことになります。たまのことなので、理解する手間をかける方が時間のムダと考えるのでしょう。

ここには、大きく2つの問題があるように感じられます。1つは自分の都合を優先して、相手のことを考えていないことです。1つ目の例では、もし開発担当が言われた通りのものを作っても、その目的がはっきりしていないため顧客が満足するものにならなかったり、使ってみたところ不都合が出てまたやり直しになったりというリスクもあります。顧客の言う通りのものをつくったのだから責任はないと言い訳できても、結局作り直すのであればだれにとってもいいことはありません。2つ目の例でいえば、その場は双方とも短い時間で済んで効率的に見えますが、次の機会にはまた1から同じことの繰り返しです。教える側はそれが嫌なので、次回は自力でできるようにと一つひとつ意味を説明しているのですが、聞く側はそのことを想像できないのです。
もう1つは、目先の結果だけを見て、先を見ていないということです。今は時間とエネルギーを節約できたように見えても、結局は何度も同じことの繰り返しになってちっとも先に進めないのです。このことは学校の現場でもよく見られます。答を教えて、手順を教えてという姿勢です。取り敢えず目先の試験で点を取れればよいという、その場しのぎの考え方です。そのような態度で勉強しても身につかないので、受験の前になって、もう一度はじめからやり直すという情けないことになってしまいます。本当に学力をつけるためには、基礎基本に時間をじっくりかけることが必要です。時間をかけて身につけたことはなかなか消えません。しっかりした土台ができると、ある時点から急速に伸びます。結果的により早く、より高いゴールに到着できるのです。
いずれにしてもトータルコストという考え方が欠落していると言えます。自分だけでなく、かかわる人すべての時間とエネルギーを考える。今だけでなく、将来も見通してトータルで費やす時間とエネルギーを考える。こういう視点がないのです。

このことは、個人の資質と言い切るわけにはいかないと思います。元来、教育の現場できちんとこのことを理解させ、そういう姿勢を身に着けさせているべきなのです。それができていないから話題になるのです。いかに効率的に答や手順を教えるかに力を注いでいる授業。試験に出るところを「大切」だと言って覚えさせる教師。いや、それ以前に校務処理のようすなどを見ていると、教師自身がトータルコストを意識できていないと思う場面にたくさん遭遇します。これでは、子どもたちにトータルコストを意識させることはできるはずがありません。
ちょっとした話題から、あらためて学校現場でトータルコストを意識することの必要性に思いを巡らせました。

学校評議員会で、学校の姿勢から学ぶ

昨日は、中学校の学校評議員会に参加してきました。先日卒業式に参加した学校です(「卒業式で学校と地域の連携を考える」参照)。学校側の説明から、この学校が課題や問題点に対して素早く対応しようとしていることがとてもよくわかります。ともすると原因や反省、ひどいときには言い訳だけで終わってしまうこともあるこの種の会ですか、次年度へ向けて着実な一歩を踏み出そうとしていることがよく伝わります。

子どもの実態調査から、読書は嫌いではないが実際の読書量が少ないことが以前の会で問題になっていました。その具体的な対策を今回は示してくれました。着実に前へ向かっています。子どもの読書量に関するデータも、市内と全国を3年分比較して、より詳しく見せてくれました。市内の他の学校がどのような対応をしているかも教えてくれます。私たちが考えるための材料をちゃんと与えてくれます。子どもたちの読書の機会を増やすことで何を目指すかについての質問にも、明確に答えていただけました。子どもたちの現状を冷静に判断していることが伝わります。その上での取り組みです。自然と応援したくなります。より成果が出る方向で意見を言いたくなります。

アンケートをもとにした学校評価については、資料の見せ方も改善されていて実態を推測しやすいものになっていました。実は、先日の卒業式の子どもの姿から想像していたものとアンケートの結果はずれていました。教師に対する信頼度や人間関係が思ったほどよくないのです。先生方もこの結果はショックだったに違いありません。表面的によい関係でも、深いところまでしっかりとかかわれていなかったということかもしれません。また、子どもの「積極的に学ぼう」という気持ちは、学年が進んでも決して下がっていないのですが、「授業がわかる」という割合が下がっているのです。これも、引っかかるところです。
一方保護者のアンケートでも気になることがありました。この学校はホームページや冊子でかなり積極的に学校のことを伝えようとしています。教員評価でも地域に関することはしっかりやっていると自己評価しています。実際、保護者の学校に対する評価も高いのですが、学校に関する設問に対して無回答が一定数存在するのです。子どもに関するものは、無回答がほとんどないので、決していい加減なわけではないと思います。学校に対する関心が薄い層ではないかと想像します。データを見るとこの層が広がりつつあるように見えます。保護者の意識が変わってきているのかもしれません。学校の広報のあり方をもう一工夫しなければならないように感じました。
教員の評価は、自分自身に対する評価は肯定的ですが、他学年や学校全体に対しては否定的な傾向があります。教員間の関係があまりよくない傾向が見て取れます。教師同士の価値観がずれているのかもしれません。基本となる目指す姿の共有化がうまくいっていないことが原因なのでしょうか。学校側はこの問題点をしっかりと意識しています。こういったネガティブな面もごまかさずにしっかりと伝えてくれる姿勢はとても好感が持てます。

次年度に向けては、これらに対して具体的にどのようにしていくかをしっかりと聞かせていただけました。
重点目標も抽象的でなく、具体的に示されました。その実現方法についても組織的な面まで考えられていました。担当者レベルで素早く動けるように具体的な方向性を明確にして管理職がバックアップすることをお願いしました。
そして、今回学校目標達成チェックリストが明示されました。年に1回ではなく学期に1回程度、目標達成の状況をチェックすることにしたのです。具体的なチェック項目が経営目標にリンクしているのでわかりやすくなっています。「チェックリストを意識させることで先生方の行動を変える方法もある」と、以前お話したことを受け止めていただいたように思いました。このチェックリストに基づいた評価がどのように変化していくのかとても楽しみです。

ネガティブもオープンにし、厳しい意見もしっかりと聞く耳を持つ姿勢は素晴らしいものです。私たちが忌憚のない意見を言えば、きっと学校がそれをうまく生かしてくれる。そう思わせてくれます。だからこそ、学校評議員の方々の姿勢も真剣なのだと思います。私自身、この学校にかかわらせていただいてとても多くのことを学べています。学校と評議員の皆様に感謝です。

会議で授業との共通性を感じる

先日、ある会議に参加しました。会議を多くの人から意見の出る活発なものにするポイントは、子どもが積極的に参加する授業と共通点が多いと思いました。

司会者が、できるだけ参加者に意見を出してもらおうと一人ひとりに声をかけます。笑顔で発言をポジティブに受け止めようとしていることもよくわかります。決して「それはおかしい」といった否定的な言葉は発しません。しかし、なかなか意見が出てきません。どこに問題があったのでしょうか?
発言に対して受ける言葉が大きく2種類ありました。「それもありますね。他にはないですか?」と「そうですよね」の2つです。どうやらここに問題がありそうです。この表現では、意見の価値を司会者が判断していることになります。具体的に言うと、「それもあります」というのは「他にもある」ということです。それが判断できるということは、司会者が他の考えを持っているということです。その上で、「他にはないですか?」と言えば、その司会者の持っている考えを言ってほしいということになります。こういうやり取りをした後に「そうですよね」と言えば、それが司会者の求めていた意見ということになります。司会者が自分の求める意見がどうかで評価していることになります。
「自由に意見を」と言われても、司会者の求める意見に収まるのであれば、あえて自分の考えを言う必要はありません。意見を言うにしても、司会者の求める意見を言おうとします。これでは、活発に意見は出なくなります。

司会者がある程度考えを持って議論を誘導することは必要です。しかし、それが前面に出てしまうと、多様な意見は出にくくなります。
他の意見を求めるならば、「○○さんの考えいいですね。こういう皆さんの考えをドンドン聞かせてください」というように、司会者はどんな意見も同じように評価する姿勢を見せる必要があります。もし、価値づけしたければ「○○さんの意見は、・・・が素晴らしいと思いました。皆さんどう思いますか?」と自分が評価した上で他の参加者につなぎます。参加者に最終的な価値の判断を委ねる形をとることで、参加意識が高まるのです。

このことは、授業にもそっくり当てはまります。ちょっとした言葉づかいで、子どもは教師の意図を感じ取ってしまいます。子どもの意見や解答に対する「他にはない?」という言葉は、「あなたの答は私の求めていたものではない」というメッセージとなることがよくあります。教師がこのようなメッセージを発し続ければ、子どもは教師の求める答探しをするようになります。その一方で、教師が最後には答を提示するのだからと、間違えるリスクを取らずに参加しない子どもも増えてきます。いずれにしても、子どもたちから自由な意見や考えは出なくなってしまいます。教師が正解かどうかを判断するのではなく、子ども同士が考えを伝えあうことで、自分たちで納得する答を見つけることが大切になります。

会議でも授業でも、まずどんな意見も尊重され、安心して発言できるという雰囲気をつくることが大切になります。その上で、たとえ目指す方向はあらかじめ決まっていても、結論は自分たちで出すように進めていくことが、活発で納得性のあるものにするために必要です。
授業で学んだことは、実は授業以外の場面でもいろいろと応用がきくのだと、あらためて感じました。

卒業式で学校と地域の連携を考える

昨日は、中学校の卒業式に来賓として参加させていただきました。

学校評議員として、日頃から行事等での子どもたちの姿を見せていただいているので、彼らの晴れ姿には感慨深いものがあります。私たちの席からは男子しか見ることができませんでしたが、子どもたちがこの式にどのような思いを持って参加しているのかとてもよくわかりました。
特に合唱での体を揺り動かしながら自分たちの思いを振り絞るようにして歌う姿は、一人ひとりがこの3年間、この学校で素晴らしい時を過ごしてきたこと示していると思いました。

この学校では地域との連携をとても大切にし、色々な活動やイベントを子どもたちと地域が一緒になって企画・運営しています。子どもたちと共通の時間を過ごした地域の方がたくさんいらっしゃいます。ふとその中心となっている方に目を向けると、泣いておられました。卒業式の雰囲気に流されて泣かれたのではありません。子どもたちの成長を願うが故に、時には厳しい態度で接したこともあったはずです、ぶつかることもあったでしょう。そういう濃密な時間を共に過ごしたからこそ、彼らの成長した姿を、保護者や先生と同じように誇らしく思い、感動して涙したのです。

最近は学校と地域の連携がよく言われますが、廃品回収や校庭整備といった学校に対する物理的なサポートのお願いにとどまっているところが多いように感じます。地域の方が子どもたち一人ひとりと直接かかわらなければこのような素晴らしい涙は見ることはできないでしょう。来賓の多くが、子どもたちとのエピソードを持っている方々でした。来賓控室では、卒業生との思い出話も聞こえてきます。
子どもたちの成長した姿に感動するとともに、学校と地域の連携がもたらしてくれるものが何かを感じることができた、とても素晴らしい卒業式でした。

「授業から学ぶ」とは

今年度の授業アドバイスは先週で終了しました。おかげさまでたくさんの授業を見る機会をいただきました。授業を見せていただいて気づくことがたくさんあります。毎年延べ数百人の授業を見ていることになりますが、いまだにその学びは尽きることがありません。というか、年々増えているように思います。私が授業から学ぶために、どのようなことを意識しているか少し書かせていただきます。

授業中に教師ばかりを見ていると、授業技術にとらわれてしまいます。説明の仕方、指名の仕方、板書の仕方、机間指導の仕方、・・・。どうしても批評家的に見てしまいます。これではダメだ、こうした方がよい。こんな目で見てしまうのです。もちろん名人・達人級の方の授業では、これは素晴らしい、なるほどこういう対応もあるのかと感動することがたくさんあるのですが、それでも冷静に、ここはこういうことを意図して、こういう技術を使ったのだなと分析していたりしています。私の場合、教師を見ることで学べることは実はあまり多くはないのです。
いつも多くを気づかせてくれるのは子どもです。子どもたちは、興味を持てば、目が輝いてきます。集中した瞬間、学級の空気が変わります。わかった瞬間に、思わず声を出したり、わからなくて頭を抱えたりもします。悲しい、悔しい思いに、時には涙を流すことさえあるのです。そんな教室のドラマから、実にたくさんのことが学べるのです。

同じような授業展開や教師の対応でも、子どものようすや反応は全く違うことがあります。それまでに子どもたちがどのような経験をしていたのか、どれだけ育っていたのか、その背景を想像します。ほんのちょっとした教師の言葉の違いが子どもの動きを変えてしまったのかもしれません。時間を空けて同じ学級をみると、大きくそのようすが変わっていることもあります。きっと子どもを変える何かがあったはずです。それは、何かを探ります。
子どもの姿から、子どもの視点から授業をながめると授業の風景は大きく変わります。教師だけを見ていれば、同じような展開の授業を2度見てもそこで学べることは増えません。しかし、子どもを見れば、必ず違いがあるはずです。逆に違いがなければ、その課題なり、授業の展開なりが本来持っている力だということです。授業を見ただけ学びが増えるのです。

私の若いころは、同僚の授業を見る機会はあまりありませんでした。わずかながらも私が教師として成長できた理由を考えてみると、子どもが私にその姿で大切なことを教えてくれたのだと気づきます。授業中に突然立ち上がり「わからーん」と叫んだ子ども、私の不用意な一言に涙を流した子ども、「よくわかった」と言っていたのに試験はさんざんだった子ども、・・・。その背景、理由を考え、どうすればいいのかを悩んだから、こんな私でも少しは成長し続けることができたのです。

子どもから学ぶ姿勢を持てば、他者の授業を見る機会がなくても、毎日の授業が即、教師としての学びの場に変わります。自分の毎日の授業から学べるのです。ですから、私は若い先生への授業アドバイスを頼まれた時、その先生の授業を見るより先に、まず一緒に他の先生の授業を見に行くのです。教師を見ずに子どもだけを見ます。そこに見える子どもの姿は、教師が日ごろ教壇から見る世界です。その子どもの姿から何がわかるか、何を知らなければいけないのか、それを伝えるのです。

「授業から学ぶ」とは「子どもから学ぶ」と言い変えてもいいと思います。この視点を持つことができれば、どんな授業からも学ぶことができます。子どもの成長を手伝うのが教師の仕事です。その子どもの姿からの学びが多いというのは当たり前のことかもしれません。しかし、そのことに気づいていない先生が多いのもまた事実です。

パネルディスカッションから学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」午後の部の「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」をテーマにおこなわれたパネルディスカッションについて書きたいと思います。
堀田龍也先生のコーディネートで有田和正先生、佐藤正寿先生に加えて、前小牧市教育委員会教育長の副島孝先生と私の4人がパネリストです。愛される学校づくり研究会の会員のブログ)にそのようすと素晴らしい考察が書かれていますので、詳しくはぜひそちらをお読みいただくとして、私はそこで特に話題になったことを中心に少し書きたいと思います。

副島先生は、学習指導要領の目標「社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」に照らして、後段部分が多くの授業で意識されていないことを指摘されました。一方両先生の授業が、「6年生最後の授業」ということもあり、共に後段部分を絶対はずさないという強い意志を感じたと続けられます。
佐藤先生の模擬授業では「我が国の国土と歴史」をその前半部分で、「平和で民主的な国家・社会の形成者」を後半部分で意識した授業構成です。一方有田先生の模擬授業では、「平和で民主的な国家・社会の形成者」に向かって知識や資料をもとに子どもたちの考えを深めることに絞っていた。私はそのように考えました。
堀田先生の、「前段と後段の関係は授業ではどう考えたらいいのか」という突っ込みに対して副島先生は、「後段は公民的な資質の基礎」と答えられました。具体的には、知識を習得するだけではなく、「資料や情報を主体的に集め、判断すること」と説明されました。私が指導要領の後段の「平和で民主的な国家・社会の形成者」の部分に注目していたのに対し、それを支える「公民的な資質の基礎」とは何かに着目されていたのです。私は「資料や情報を主体的に集め、判断すること」を「公民的な資質」と特に関連させずに、漠然と社会科、それ以外の教科にも通ずることとしてとらえていました。「公民的な資質」とは何かをもう一度考えるきっかけをいただきました。

お二人の資料の扱い方の違いが話題になりました。副島先生は、「佐藤先生の資料は地図資料が多く、有田先生は地図2枚と表1枚という厳選されたものだった。その違いはテンポの違いとなって表れていた」と分析されました。佐藤先生は、6年生最後の授業ということで指導要領の目標をできるだけ取り入れたかった。それに対して、有田先生はいつものように少ない資料で深く考えさせたかったということです。
それと同時に、子どもの反応に対する受けの技術の大切さも指摘されました。よい資料を使っても、受ける技術がなければ子どもの考えは深まっていかないと有田先生も重ねられます。子どもが考えを深めるためにはじっくりと時間をかけて資料に取り組むことが必要だ。だからこそ、資料は精選する必要がある、いつもの主張です。
資料の扱いについて、皆さんの議論を堀田先生は次のようにまとめられました。
佐藤先生の模擬授業から
・軽重があれば資料の点数は多くてもよい。
・ICTがあればテンポよく提示できる。

有田先生の模擬授業から
・教師の都合で資料を変えない。よく見て考えさせる。
・子どもに見つけさせる、見つける力をつける。

私も資料について発言したのですが、時間の制約もあり十分に伝えることができなかったと思います。補足しながらここで整理したいと思います。
資料の活用には大きく3つの段階があります(資料集をどう活用する参照)。「必要な資料を見つける」「資料を読み取る」「読み取った内容をもとに考える」の3つです。有田先生の授業ではこの3つの段階を意識して、それぞれの力を身に着けさせようとしています。しかし、通常の授業では、いつもこの3段階をすべて子どもに任せるだけの時間の保証はありません。子どもに資料を見つけさせるのではなく、教師が資料を用意し子どもに提示するところから始めることもあるでしょう。与えた資料を教師がわかりやすく解説し、そこからじっくり時間を取って考えを深めさせることも時には必要です。この判断は、子どもがどれだけ育っているかでも異なります。鍛えられた子どもであれば、短時間で3つの段階一気にこなすことができます。資料をもとに考える経験を積んでいない子どもたちであれば、1段階ずつ立ち止まりながら丁寧に進めたり、途中をスキップしたり、時には資料を読み取るための知識を与えたりする必要もあります(資料と知識の関係参照)。佐藤先生はこのことを意識して授業を組み立てられていました。また、有田先生も子どもでは絶対見つけることのできない資料や知識は与えています。お二人とも資料の活用のステップと子どもの能力・状況という2つの軸を考えた授業になっていました。

ICTの活用について、有田先生は、ICTでどう見せるかということよりも資料を読み取る力が大切なのだと主張されます。佐藤先生は、「資料と同じくICTは必要な時に使えばいい。ICTが得意な分野で使う。隠すことは有田先生の得意技ですが、棒グラフを隠して見せるのはパワーポイントで作ったからこそできた隠し技。古い資料もインターネットを使えば手に入れることもできる」とICTのよさを伝えます。
堀田先生は、「ICTは必要な時だけ使えばいい」、問題は「必要な時」の見定めであるとまとめられました。そう、この必要な時をどう見定めるかというのが問題なのです。
そのためには、ICTで何ができる、どんな効果が期待できるかを理解していなければいけません。そして、授業の各場面で何が大切か、何が必要になるのかを考えて、ICTを利用するか、利用するならどう使うのかを考えるのです。
資料の見せ方を一つとって、ICTにはいろんなバリエーションがあります。例えばズームアップで焦点化し子どもを集中させることができます。瞬時に切り替えることで、ムダな時間を省き、授業にリズムが生まれます。リモコンがあると先生は資料の前から離れることができ、その場で資料を切り替えながら子どもとのやり取りに集中できます。もちろん、有田先生のように、しゃべりながらじわっと見せて「何だろう」と思わせるといったアナログならではの見せ方もあります。しかし、ICTを取り入れることでそのバリエーションは圧倒的に増えるのです。小さくて見えにくい資料に対して子どもから「大きくして」と言わせる。「どこ?」「そこ」「そこじゃわからない」と子どもとやり取りしながら、学級全体で注目すべきことを共有化する。こういう使い方もあるのです。
この日の佐藤先生の授業では、今まで学んだ多くのことをもとに「考えさせる」ことをねらっていました。単に1問1答で知識を確認するのではなく、資料をもとに考え、思い出させ、生きた知識にしようとされていました。ICTを活用することで、資料を効率的に利用でき、1時間の授業の中で無理なく知識の確認・復習の時間と考える時間を確保できたのです。

では、今回のテーマである「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」の答はどうなのでしょうか。私の考えを述べたいと思います。
資料をもとにじっくり考えるといった社会科の本質的な授業観はICTを活用するか否かで変わるものではないでしょう。ICTを活用して資料を見つけることはできても、その資料をどう読み取るか、それをもとにどう考えるかということについては、たとえICTに集中させる、資料を焦点化するといった一定の効果があるとしても、授業観を変えるほどの大きな影響力はないと思います。しかし、ICTを使うことにより授業の進め方の選択肢は広がり、自由度は増します。今までとは違った授業の構成をすることや進め方を変えることはできます。1時限の時間制限を考えて、復習は1問1答形式がよいと考えていた方が、ICTを活用することで資料をもとに復習するように変わるといったことは十分あり得ると思います。ICTを使ったからこう授業観が変わるという明確な方向性はないもの、教師の授業観を個々に変える可能性は十分にあると思います。

ところで、副島先生は学校における授業研究のあり方を研究されていますが、その視点で語られたことがあります。そのことについて少し触れたいと思います。副島先生は「名人・達人から個人的に学ぶことは大切だが、学校の授業研究において名人と比べて議論することには疑問を感じる」と言われます。「授業名人がいることが学校にとってはよくないことになることもある」という言葉を以前に何度か聞いたこともあります。その先生の授業はよくても、子どもたちがその授業との比較で他の先生から離れてしまうこともある。学校としてはトータルでマイナスである。みんなが名人になろうとするのではなく、どのような子どもの姿を目指すのか、そのためにどうしていくのがよいのか学校全体で共有することのほうが大切である。そのようなことであったと理解しています。教育長という立場だったからこその視点に、なるほど感心したことを覚えています。
この話と直接関係あるとはいえないのですが、子どもの姿が授業者によって大きく変わる学校に出会うことがあります。特に中学校に多いのですが、今まで、似たり寄ったりの授業だったのが、よい授業を経験するようになるとその授業では真剣に参加するかわりにそうでない授業では今まで以上に参加意欲が落ちてしまうのです。学校としてどう子どもを育てるか、そのためにどうするのかを共有することの大切さがわかります。
このことを含め、「フォーラムで考えたこと」と題してコラムを書かれています。授業に関して教師はどう学んでいけばよいのか、次年度に向けて「愛される学校づくり研究会」に大きな課題をいただいた気がします。

この難しいパネルディスカッションを見事におさめた堀田先生の手腕にはいつもながら感服します。期待通りに、新鮮な視点で私たちをハッとさせてくれる副島先生。いつでもどこでも、たちまちまわりを有田ワールドにしてしまう有田先生。笑顔を絶やさず、しかし、粘り強く、たとえ有田先生といえども主張すべきところは一歩も引かない佐藤先生。こうして振り返ってみると、私はこのパネルディスカッションで役目を果たせたのか、甚だ心もとなくなります。
とはいえ、自分のふがいなさは脇に置いておいて、このパネルディスカッションからはとても多くのことを学べました。会場の皆さんも、楽しく有意義な時間が過ごせたことと思います。盛会の内にフォーラムが終えられたことを参加者、スッタフ、登壇者の皆様に感謝します。

最後に、授業名人有田先生と授業の達人佐藤先生がそれぞれの模擬授業で提案したことを私なりにもう一度整理して、今回のフォーラムに関する日記を終わりたいと思います。

社会科の授業では知識ではなく、その知識をもとに考えることが大切であることを訴えている点では共通です。
有田先生は、学習指導要領の目標がどう変わろうとも、自身の社会科の授業観、子どもが「自ら資料を探し」「読み取り」「考えを深める」という追究の鬼を育てることはいささかも揺るがないでしょう。常に有田先生が目指す社会科の授業をつくり続けられると思います。世の中が変わろうが変わらない社会科の授業、それこそが名人有田先生の授業だと見せつけてくれました。(パネルディスカッションの中で迷い続ける迷人だとおっしゃっていましたが、それは個々の授業をどうつくるかと迷うということで、授業の目指す姿に迷っているわけではないはずです)
一方佐藤先生は、社会科の授業の中で求められるいろいろな要素、知識の習得、復習、資料を探す、読み取る、活用する、コミュニケーション、言語活動などをどのようにして実現していけばよいのか、ICTも駆使しながら提案されたと思います。時代の変化によって、学校現場に要求されることは変化してきます。新しいテクノロジーもどんどん入ってきます。授業の根幹は揺るがないが、変化に対応し常に考え得る最上の授業を追究し、実現しようとする。まさに達人の名にふさわしいと思います。今回の模擬授業では、自然体にこだわりながらも、できるだけ多くの授業技術、ICT活用を盛り込もうとされました。それは、参加者に一つでも吸収してもらいた、参考にしてほしいという願いの表れだと思います。

私の授業はこう考えて、こうつくっていますとすべてオープンに伝える有田先生。しかし、それはどこまで行っても名人有田先生の授業です。
社会科の授業にはこんなやり方もあります。こんな授業はどうですか。その根底には確固たる授業観が流れていますが、より広がりのある、多くの人がまねできるようなものを見せ、伝えてくれた佐藤先生。それは、社会科のテンプレート(ひな形)といってよい授業でした。

有田和正先生の模擬授業から学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」からずいぶん時間がたってしまいましたが、午後の部の授業名人の有田和正先生の模擬授業について書きたいと思います。「6年生最後の社会科の授業」をテーマとした佐藤正寿先生との対決授業です。
素晴らしかった佐藤先生の模擬授業(「佐藤正寿先生の模擬授業から学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)」参照)と比較することで、有田ワールドとは何かということがよりわかるものになったと思います。

まずホワイトボードに如月/16と何も説明せずに旧の月名で書かれました。実際の子どもであれば、知らなければ知ろうとするはずです。もちろん有田先生の学級であれば、子どもたちはすでに知っているのかもしれません。教師が教えているのか、それとも子どもたちが調べているのか。教室で旧の月名を使うことは珍しくありませんが、有田先生の学級ではどうしていたのかちょっと興味がわきました。

今年が戦後68年になることを伝えて、この戦争が何戦争か問いかけます。第2次世界大戦という答えに、「素晴らしいですね」と返します。簡単な問いですが、称賛の言葉で返しました。簡単だからこそ、「答えて当たり前」と軽くながすのか、「よく答えたね」としっかりほめるのかの違いは大きいと思います。有田先生は、常に子どものやる気を引き出す方向で発言を受け止めることを忘れません。
「68年」と提示して、「これは何?」とクイズ形式で問いかける方法もあります。子どものテンションは上がるかもしれません。答がわかった子どもは第2次大戦に気づけていますが、第2次世界大戦を知っていても68年との関係に気づけない子どもは答えられません。あっさり「戦後68年」と示したうえで、「何戦争?」と問うことで、ほぼ全員が第2次世界大戦に気づくことができるはずです。そして「素晴らしい」とほめることで、全員がほめられた気持になります。何気ない導入のようですが、私の目にはムダのない素晴らしいものに映りました。

2枚のホワイトボードを横切る長い線を引き、68年と書きました。68年がいかに長いかを伝えます。さり気ないですが、こういうホワイトボード(黒板)の使い方は見事です。子どもたちが写すことを意識した「まとめ」的な板書と違い、授業が進むにつれてどんどん変化していくダイナミックな板書です。こういう技術を見せられると、確かにデジタルがなくてもいいと思わせられます。

世界大戦に参戦した国は何か国か問います。これは知識ですが、子どもが知っているはずはありません。考えても答えは出ません。では、調べさせればよいのでしょうか。いや、資料を見つけることさえも難しいかもしれません。ならば、なぜ問いかけたのでしょうか。ここでのキーワードは「予想」です。前回のフォーラムでも有田先生は、「そうぞう(想像、創造)」を大切にしたいとおっしゃっていました。「6か国」「もっとある?」「7か国」「8か国」「15か国」「だんだん増えてきましたね」「ちょっと増やす?」「もっと増やす?」。予想ですから、誰でも参加することができます。子どもたちに問い返しながら、参加をうながします。
「30か国」「うーん、なるほど」・・・。次々に子どもたちが答えます。子どもたちは自分が答えることでますます知りたくなっていきます。その上で、有田先生は「推測ですからね」と笑いをとりながら、根拠を元にした予想でないことを子ども役に意識させます。
ここで、当時、独立国は何か国あったのか問います。そもそも独立国がどれだけあったのかも知らなければ、「世界」大戦の参戦国を予想する手がかりは何もないことになります。とはいえ、これも子どもたちには知りようがありません。そこで、そのために、今世界に独立国が何か国あるかを「調べよう」と切り替えます。知識は「教える」か「調べさせる」かです。これで、子どもたちが調べられる課題となりました。通常であれば、子どもたちが持っている地図帳で調べさせるところですが、今回は用意した地図帳を示し、「どこに出てる?」と問いかけました。資料の使い方、探し方というメタな知識を問いかけています。資料の活用方法を身につけさせることを大切にしていることがよくわかります。

地図帳から195か国あることを確認して、当時何か国あったか再び問います。「半分くらい?」という子どもへの投げかけは、現在の独立国の数を根拠に考えることを意識させています。持っている知識を根拠に予想するという態度を育てようとしているのです。その上で、65か国だと教えます。予想することは大切ですが、結論は出ません。そこにあまりに多くの時間をかけるのは意味がないのです。子どもなりの根拠を持って予想したのなら、知識を教えればいいのです。

今と当時の独立国の数を比較することで、第2次世界大戦が世界に何をもたらしたかを考えさせることもできます。直接には触れないが、子どもが興味や疑問を持ち、調べてみたくなるような「?」がいくつも埋め込まれているのが有田先生の授業の特徴です。これもその1つでしょう。

65か国を元に、もう一度大戦の参戦国の数を問いかけます。今度は先ほどと違って、基本となる数がわかっていますが、それでもそこから先は推測でしかありません。ここで、有田先生は中立国に色が塗られた世界地図を資料として提示しました。この資料と先ほどの独立国の数から参戦国の数はわかります。「どうせこちらから情報を与えるのであれば、何もこんな回りくどいことをしなくても、ストレートに参戦国の数を教えればいいのではないか」と思われる方もいるでしょう。結果的には同じように見えますが、65か国という知識と、中立国の地図という資料を組み合わせ、そこから答えを見つけるということを経験させたいのです。算数では、答がわかっていても、何度も実際に計算させます。自分の手で経験することが大切だからです。これも同じ理屈です。
地図を少しずつ広げて見せることで、子どもを引きつけていきます。指名して各国の名前を答えさせていきます。本当ならば、子どもに地図帳を使って調べさせるところでしょう。「中立国は5か国」と言って終わるのではなく、地図で確かめながら自分で答を見つけることが大切です。答を知ることではなく、答を見つける過程を経験し身に着けていくことが目的だからです。

60か国もの国が参戦していたからこそ、世界大戦であることを強調しました。子どもたちが深く考えずに使っている「世界大戦」という言葉の重み、それがどれほどのものだったかは、単に60か国参戦したと教えただけでは伝わりません。自分たちが予想し、その予想をはるかに超える事実を知って初めて実感できるのです。そして、この戦争がどのようなものだったかを戦争の犠牲者の数で伝えていきます。
各国の犠牲者の数を書いた表をホワイトボードに貼り、全員に読み上げさせます。表は数字が並んでいるだけです。子どもたちは漫然と眺めるだけで一つひとつの値をちゃんと読まないことやその意味を考えないこともよくあります。ここは、その数の大きさを実感させたいところなので読み上げさせたのです。最終的に犠牲者の合計が6千万になることを伝え、日本の人口の半分にも達することに気づかせます。日本の人口と比較することで、よりリアルに伝わるのです。

ここで、「世界の人々は戦争に対してどう思ったでしょうか?」と問いかけます。これも想像です。この死者の数を目の前にして戦争に対して肯定的な答えは出るはずもありません。だからこそ、多くの子どもに発表させます。発表することで子どもの中に戦争を否定する気持ちが明確になります。それが、この後の問いとつながります。
「悲しい」「悲しいけど負けたくない」「なるべくなら2度と起こさない」・・・、どの答に対しても「なるほど」「いいですね」と受け止めます。「犠牲者が6千万人いたということは、それ以上に悲しんだ人がいる」という発言に対して、「すごいね、その背景、過程が見えた」とそのよさを具体的に示し、「素晴らしい、こういう考えを出してほしい」と全体に広げました。発言を価値づけすることで、子どもの視点を広げていくのです。「戦争は割に合わない」という意見に、過去に「戦争ほどいい商売はない」といった政治家が日本にいたと揺さぶります。こういう揺さぶりは、膨大な知識を持っている有田先生だからこそでしょう。同じ揺さぶりはできませんが、子どもの考えを深めるためにも揺さぶりは必要です。子どもの発言に対応するには、教師側にそれ相応の知識と力が求められることがよくわかります。ここは時間をかけて戦争を否定する気持ち(=平和を願う気持ち)を子どもに持たせました。
実際には6千万より多いとする資料もあることを伝え、資料が絶対でないこと、資料は比較し吟味する必要があることを意識させます。資料を大切にする有田先生だからこそ、こういう点はしっかりと伝えます。

「戦争は嫌だと世界中の人が思ったはず」とまとめた上で、「第2次世界大戦後、戦争はなかったのか」と問いかけます。「何回くらい?」と数を聞きます。数を聞くことで、客観性が求められてきます。「少し」「たくさん」といった聞き方では、なんとなく答えて終わってしまい、自分の予想と事実のギャップを強く意識できません。数を聞くことは、子どもたちに迫り、より深く考えさせるのに有効です。「朝鮮戦争」「湾岸戦争」「ベトナム戦争」・・・。具体的な戦争を子ども役から引き出しながら、意外とありそうだと気づかせます。「南北戦争」という間違いが出てきました。ここは、どう対処するのか気になるところです。「とても大切な戦争・・・、この戦争がなければ今のアメリカはない」「ちょっと時代は違うが素晴らしい」とポジティブに評価し、解説をします。とっさにこのような対応をするには、その背後に多くの知識がなければできません。このような場面も、有田先生をそのまま真似する必要はありませんが、少なくともポジティブに受け止め評価することが求められます。
「これは何を見たらいいですか」と問いかけます。これも「答の見つけ方」というメタな知識を問うものです。常に、どのようにして「考える」のかを意識されています。「社会科資料集」という子ども役の答を高く評価して続けます。ここで社会科資料を使わずに、「絶対当たらないだろう」と挑発しながら、相談させます。「何回か」を「相談」としました。相談しようとすれば、数に対して根拠を示す必然性が生まれてきます。子ども役の答には、それなりの根拠のあるものがでてきました。「(年に1回で)68回」「こういう出し方もあるんですね」と考え方を評価します。それぞれの答えに対して問い返すことで根拠を明らかにさせます。正解を求めるのではなく、また思いつきの答を求めるのでもなく、自分なりの根拠を持って考えることを求めています。子どもたちを育てるということはこういうことだとわかります。
ここでも資料によって答が違うことを断ったうえで、有田先生が正確だと選らんだ資料から300回以上という数を示しました。これだけ戦争があるのに、68年間戦争をしなかった国があるといいながら、その国に色が塗られた地図を示しました。一つひとつじっくりと確認します。その6か国(佐藤先生の資料とは数が違っている)の中に日本が入っていることがどれほどすごいことか、実感させてくれます。その上で、日本がその6か国に入っている理由を問います。「教育」「戦争放棄」「日米安保条約」、中には「資源がない」から攻められないという、子どもから出そうもない答が出てきます。尖閣諸島の問題を取り上げながら、戦争の原因の大きなものに「領土」「資源」があることをまとめ、「これからはわからない」「おもしろい」とポジティブに評価していきます。この他にも、「戦争を語り継いでいる」「国民の気持ち」といろいろな視点の考えが子ども役から出てきますが、すべてポジティブに受け止めます。最後に「平和は簡単に手に入らない」とまとめて終わりました。

有田先生は6年生最後の授業を、社会科の目標である「・・・平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の・・・」から「日本の平和」をテーマに、自身が考える社会科の根幹、「知識を手に入れる(資料を見つける)」「知識を元に考える(想像する)」「新しい価値を創造する」で構成されました。最後の「日本が68年間戦争をしなかった6か国に入っている理由」は、今まで学習した「平和憲法」や「日米安保条約」といった知識に「新しい価値」を見出ださせる発問と位置づけているのではないでしょうか。そして、最近よくおっしゃられる「奇跡を起こすのは教育しかない」との信念の具体例としてこの授業を提案されたのだと思います。「教育で平和を維持する」ことができる、それはこういう授業で可能になるのだと主張されているように思いました。
有田先生の考える社会科の授業がとてもよくわかる素晴らしい模擬授業でした。この模擬授業も素晴らしい子ども役の皆さんの協力があってこそのものでした。ありがとうございました。

有田先生と佐藤先生の授業が提案したものは何だったのか、名人と達人とは何が同じで何が違ったのか。このことついては、パネルディスカッションとあわせて述べたいと思います。

送辞・答辞の指導で子どもの力に感動

先週末に中学校で送辞・答辞の指導をおこなってきました。例年、プロのアナウンサーにお願いしているものです。

指導の前に原稿を読ませていただきました。どちらも自身の体験をもとにしたエピソードがしっかりと語られ、とても素晴らしい内容でした。子どもたちの力もそうですが、先生方の指導力の高さもうかがえます。特に答辞はどの段落も内容の濃いもので、逆にどこに力を入れて読むのがもっともよいのか、私たちが悩むほどでした。

まずは、図書館で基本的な読み方の指導です。送辞の男子はちょっと緊張していたのか声がうまく出ていません。句読点以外のところでも息継ぎが入り、切れ切れに聞こえます。抑揚をつけようとしているせいでしょうか、トーンを落とすところが暗く感じてしまいます。彼が本来持っている元気さが出てないようです。そこで、原稿の持ち方、できるだけ顔を上げて喉を開けること指導し、声を落とすことで抑揚をつけるのではなく声を強くすることで強調するよう意識してもらいました。2回目は元気さが前面にでた、思いが伝わるものになってきました。

答辞の女子は、全体的にペースが速く感じられました。原稿量が多いため、時間を気にしているのかもしれません。言葉を強調する時、ちょっと語尾が上がる癖がありました。こういったことを指摘したあと、再度読んでもらいました。全体的にとてもよくなったのですが、何か物足りません。気持ちのこもった読み方ですが、答辞として聞くと違和感があるのです。一つひとつのエピソードに対して個人的な思いが強いので、私的なものに聞こえるのです。いつもは具体的で明確なアドバイスをしてくださるアナウンサーの方なのですが、今回は困ってしまいました。伝わらないことを覚悟の上で次のようなことを話されました。

卒業生みんなの代表として読み上げてほしい。書かれているのはあなたの気持ちかもしれないが、そこにみんなの気持ちが重なっているはずだ。一人ひとりがあなたの言葉に自分のことを思い出すのだ。私たちという言葉は、文字通り卒業生みんなの思いだ。その思いを伝える気持ちで読んでほしい。

このような抽象的なアドバイスをされたことはかつてありません。強く読む、ゆっくり読むといった、具体的なことは伝えていません。言われたからといってすぐにできるようになることは難しいでしょう。しかし、こうとしか言えなかったのです。無理を承知で、彼女自身が考え、変化することを期待しました。

体育館では、本番同様にマイクを使い、BGMも流しての練習です。
送辞の男子は、マイクを意識して緊張したのか、声がこもって、先ほど直ったことがまた出てきました。身体を少し動かしてリラックスさせてから、よい姿勢をとるように意識させました。その上で、声が前に出るように、マイクから少し距離をとるよう指導しました。その結果、声がしっかりと出て、言葉がはっきりと伝わるようになりました。下手に感情をこめて抑揚をつける必要はありません。話の中身が濃いだけに、元気よく読み上げて内容をしっかりと伝えれば感動的なものになるのです。読み手のよさを活かすことが大切なことがよくわかりました。

答辞は、そのあまりの変容に驚いてしまいました。先ほどとは全くの別人です。堂々とした、聞き手を引き込む答辞です。あえて指摘しなかった細かい欠点もなくなっています。途中で原稿を見るのをやめて、聞き入ってしまいました。最初の印象では、彼女は文化部なのかと思ったのですが、聞いてみたところ実はバスケットボール部のキャプテンでした。これがきっと本来の姿なのでしょう。みんなの思いをしっかりと伝えてくれる、力強くまた感動的なものになっていました。後半に比べて前半の方がややトーンが強い感じだったので、前半を抑え気味にするようにアドバイスしましたが、すぐに修正しました。素晴らし対応力です。

BGMは聞こえなくてもいいのでできるだけ小さくするようにとお願いしました。BGMに頼らなくても、2人とも十分に思いは伝わります。BGMがかえってじゃまになるくらいなのです。
2時間ほど、一人4回ずつの通読でしたが、みるみる上手になっていく姿に、子どもたちの持つポテンシャルのすごさをあらためて教えられました。
この後の指導について、担当の先生から具体的なアドバイスを求められました。お話を聞くと、プロのアナウンサーに来てもらうので、あえてこと細かく指導をしないでいたそうです。今回の指導を元に、本番当日までブラッシュアップするように指導を続けてくださるということです。私たちとの連携を意識していただけたことをとてもうれしく思いました。先生方のきめ細かい心遣いが、子どもたちの素晴らしい姿の陰にあるのです。

卒業式当日は、2人とも素晴らしい送辞・答辞を披露してくれることと思います。毎回的確なアドバイスをしていただけるアナウンサーの方からだけでなく、子どもたち、先生方からたくさんのことを学ばせていただけました。ありがとうございました。

若手の授業から多くを学ぶ(その2)(長文)

若手の授業から多くを学ぶ(その1)(長文)」の続きです。

最後の授業は、1年生の国語でした。「これはなんでしょう」というゲームの1時間目でした。
授業規律を大切にしようと意識していることがよくわかる授業でした。教科書を全員で音読する場面で、「読むときの姿勢は?」と子どもたちに声をかけます。子どもたちは素早く教科書を持って読む姿勢をとり始めます。授業者は子どもたちがそろうのを待っていましたが、数人ができない状態で読み始めました。どうなるかと見ていました。まわりの子どもが大きな声で読み進むとちゃんと気づき、教科書を手に持ってしっかり参加します。なるほどと、思う場面です。子どもは意図的に指示を無視していたわけではなさそうです。授業者は指示が通るまで待つことの大切さはわかっていると思います。注意することで指示を徹底することは避けようとしていることも伝わります。ネガティブな言葉が授業中にほとんど聞かれなかったことからもわかります。以前はきちんと指示が通るまで待っていたのでしょうが、規律が少し弛んだ時点で、待ちきれなくなったのかもしれません。指示が通らない子どもも決して逆らっているわけではありませんので、できている子どもたちをほめることで気づかせていくとよいでしょう。
また、授業者は音読の際、手元の教科書をずっと見ていました。子どもの声がしっかりでているので参加していると判断していたようですが、やはり子どもたちのようすをしっかり見ることが大切です。子どもたちのテンションの高さも気になります。音読で目指すものが何かがはっきりしていないことが原因です。大きな声で読むことだけが目標になってしまっています。「句読点でしっかり間をあけよう」「○○を見つけながら読もう」というような目標を意識させるとテンションは下がります。
授業規律を維持するためにルールをつくって意識させるようにしています。たとえば、「答がわかっていても勝手にしゃべらない」というルールがあります。「答がわかっていても我慢してくれた人がいるんだね」とほめるとともにルールを全体に意識させていました。よい方法だと思います。学年が上がってくれば、固有名詞でほめることも必要になってくると思います。
授業者が子どもたち背を向けて板書しているとき、子どものようすがだれているのが気になります。笑顔が多く、子どもたちも安心して参加できているのですが、指示をするときや指示が通るのを待っているときの表情が硬いことが問題です。子どもたちをチェックしているという表情なのです。他の場面で笑顔が多いだけに子どもたちは緊張することになります。その反動で視線が外れると弛むのです。笑顔で指示をして、子どもたちが指示に従うことを喜んでいるという姿勢で接するようにしてほしいと思います。緊張と集中は違うのです。
授業者が用意した「これはなんでしょう」ゲームに挑戦させます。1問目はすぐに答がわかるもの用意していました。これは、ゲームのゴールは何かを理解させるためです。次の2問は、子どもから質問をしないと、ヒントだけでは答がすぐにはわからないものです。なかなかわからない状況を経験することで、このゲームのポイントや注意すべきことに気づかせるための活動です。授業者の出すヒントに「えっ」という声が上がります。わかった人と問いかけると半分くらい挙手します。質問する必然性が子どもに生まれました。できれば、「えっ」とつぶやいた子どもに、「どういうこと」と聞いてあげるとよいでしょう。「わかんない」といった発言に対して、「他にも困っている人いる」と問いかけ、「わかった人」ではなく、「困っている人」を起点に進めるとより必然性が増します。
順番に子どもに質問をさせますが、次第に集中力が落ちて聞かない子どもが増えてきます。答がわかることが目的となっているので、わかった人は聞く必要がなくなってしまうからです。ここは、「よい質問をして、全員答えがわかるようにすること」を目標にするとよいでしょう。わかった子どもも積極的に参加できますし、「今の質問の答でわかった人」「すごい、○人もわかったね」と質問を評価することもできます。また、国語の授業としては、表現にもこだわりたいところです。質問は語尾に「ですか」をつけるといったことを意識させて、「質問の形になっているね」と評価するのです。漫然と活動すると、テンションが上がっていき、その一方で参加できない子どものテンションが下がっていきます。一つひとつの活動に子ども目線の目標を持たせることが大切になります。
3つ目の問題では、答が「チーター」と「ライオン」に分かれました。授業者が正解を発表して終わったのですが、子どもたちに根拠を求めてほしいところです。「今の意見で答が変わった人」「納得した人」とつなぎ、友だちの考えを聞いて自分たちで答を見つけていく経験を早くから積ませたいのです。
後半は子どもたちに、次回は自分たちで問題をつくってゲームをすることを伝え、事前にゲームを進めるためのルールを考えることを課題にしました。ここでも、授業者が規律をとても意識していることが感じられます。
授業者の子どもの発言を受け止める力が、この場面では見事に発揮されました。子どもの発言には「なるほど、ありがとう」と受け止めます。「失格はなし」というルールを提案した子どもから「いやな気分になるから」という理由を引き出し、「すごいね。今の聞いた?」と他の子どもに復唱させます。ちょっと声が小さかった子どもに対して、「とってもいいこと言ってくれた。後ろの方の人、聞こえた?」と子どもにつなぎます。聞こえなかったという声に、「後ろの人に聞こえるように、もう少し大きな声で言って」と促します。しかし、せっかく言い直したのに、授業者がそのあとを引き取って説明してしまいました。もったいない場面でした。発表したあと出番が終わったと集中力をなくす子どもが多いのは、自分の発言を起点として、友だちとつながっていくことがないことが原因です。ここは、発表者に声を大きくするよう指示するだけでなく、「みんな、○○さんの意見をしっかり聞こうね。いい?じゃあ○○さん、もう一度聞かせてください」と他の子どもに聞くことを意識させるのです。そして、「○○さんの意見聞こえた?もう一度言ってくれる?」「○○さんの意見、どう思った?」「○○さんの意見のどこがよかった?」と、もう一度返すのです。
「間違えてもうるさくしない」「わからなければ、追加で質問できる」といった、友だちを思いやる言葉がたくさん出ます。他者を思いやることを基本に日ごろからルール作りをしていることがよくわかります。立派な学級経営だと思います。
気になったのが、ルールの決定プロセスです。提案に対して他の子どもの意見を聞くこともあるのですが、「いいね」「そうしようか」と教師が決定してしまうのです。結局、発表する子どもと教師で話が進むので、次第に集中力をなくす子どもが増えてきます。少し時間がかかってしまいますが、子どもたちが合意することも必要です。
手遊びをしている子どもに、「○○さんが話してくれるから、手の物を離そう」とちょっと強引にやめさせました。しかし、すぐにまた手遊びを始めました。「○○さんの話を聞こう。話を聞くときはどうすればいい?」と投げかけ、子どもが手遊びをやめて体の向きを変えたときに「よい姿勢だね。ありがとう」とほめるようにするとよいでしょう。注意をされたという気持ちにしないように工夫することが大切です。
「答を教室の中の物から選ぶ。答が見つかったらそこに行って、『これだ』と教える」というルールが提案されました。いきなり否定するわけにもいきません。授業者は苦しんだことと思います。「どうする」と問いかけ、他の子どもの意見を聞きます。否定的な意見も出ますが、「今の意見をどう思う」とつないで広げることはしませんでした。反対が多ければ考えが変わったかもしれませんが、単発の反対なので発案者は自分の考えにこだわる姿勢を見せます。ここで、授業者はこのアイデアは素晴らしいが学級では人が多いので大変になると子どもから出た言葉をうまく使いながら、否定しました。友だちと遊ぶ時にやるといいと認めて、「○○さんのアイデアに拍手」と全員に拍手させました。認めてもらえたので発案者も笑顔で納得しました。なかなかとっさにできる対応ではありません。子どもを否定しないということを原則としているからできた対応だと思います。授業者のこの姿勢は称賛に値すると思います。
最後は、子どもの集中力が落ちてきました。ここで、授業者は3回手をたたきます。すると子どもも「は、あ、い」と手を3回たたきながら答えます。これもルール(約束事)です。子どもたちに「話を聞いて」「こちらを見なさい」と注意をしないでも指示を通すためのよい方法です。1回では集中できなくて、2回やる場面がありました。子どもたちも悪い意味で慣れてきて、このルールも少し形骸化してきているようです。このやり方は、教師が声を出さないのがポイントなので、授業者もじっと声を出さないようにしています。時には原点に戻り、時間がかかってもきちんと指示が通るまで待つことも必要でしょう。声を出さずに、一人ひとりと目を合わせて、笑顔でうなずくという方法もあります。従わない子どもがいてもよしとするとそこから崩れていくので注意が必要です。
最後に、黒板に書いたルールを全員で読ませて、ルールに関するクイズを出しました。○×を手で示させます。子どもたちは、友だちの答を見て確認しています。授業者は、1問ごとに「正解は、」「○」「×」と発表します。子どものテンションはまた上がっていきました。まず、板書を読む目的を子どもに明確にする必要があります。「今から、しっかり読んでルールを覚えよう。この後クイズをするよ」と目標を明確にし、クイズは後ろを向かせて黒板を見えなくするとよいでしょう。正解の判定も、子どもにまわりを見ながら確認させればいいのです。もし、何人か間違えているようであれば、「さあどうだったかな?」と振り返らせて、子ども自身で修正させるのです。教師が正解を教えずに済むのなら、それにこしたことはないのです。

授業観がはっきりと伝わる、とても好感の持てる授業でした。目指すものがはっきりしているので、課題もはっきり見えてきます。このような授業であれば、アドバイスもどんどん具体的になります。今できていることがたくさんあるので、それを活かすことと、その上に何を足せばいいのかを意識して授業をしてほしいと思います。たとえばテンションを下げる技術です(テンションを上げすぎない参照)。無責任に参加できる活動を減らす。しゃべり方の間を工夫したり、トーンを下げたりすることを意識する。こうすることで、子どもたちがより落ち着いて授業に参加できるようになります。
授業者からは前向きな言葉をたくさん聞くことができました。これからの進歩がとても楽しみです。次の機会には、教材についてもう少し話ができればと思います。

実はこの学校は、昨年度の「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」で国語の授業で名人に挑戦してくれた先生の所属していた学校です。今回授業を見せていただいた先生方も提案授業の検討会(「実りある指導案検討会」「授業者も参加者も学びあえた模擬授業」「提案授業を通じて多くのドラマがあった」参照)に参加していたことがすぐにわかりました。そこで、話し合われたことが、彼らの授業にしっかりと反映されていたからです。あの授業づくりを通じて授業者以外も大いに学ぶことができたのです。とても素晴らしいことです。残念なことは、そこで学んだことを活かしてはいるのですが、次に新たな壁にぶつかって止まっているのです。あれから互いに学び合う機会があまりなかったようです。

研究を進めるにあたって、どのような子どもの姿を目指すのかをまずしっかりと共有すること。そのために必要なことは何かとそのステップ明確にすること。その上で、互いに学び合うための仕組みをつくること。ICTの活用については、できるだけ具体的な教科や場面に即して、目的を明確にした使い方を提示すること。そして、3月中には、どのようにして学び合うのかを実際に試し、具体的に共有し、4月からすぐにスタートできるようにすること。こういったことをお願いしました。
今回、どの授業もとても多くのことが学べるものでした。互いに学び合う素材が実にたくさんあるのです。たくさんの先生方に見ていただき、そこで起こっていることを共有すれば、学校全体として大きく進歩できます。研究を進める体制さえできれば、可能になることです。この1か月が勝負だと思っています。どのような体制がつくられ、どのように進化していくのかとても楽しみです。
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