パネルディスカッションから学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」午後の部の「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」をテーマにおこなわれたパネルディスカッションについて書きたいと思います。
堀田龍也先生のコーディネートで有田和正先生、佐藤正寿先生に加えて、前小牧市教育委員会教育長の副島孝先生と私の4人がパネリストです。愛される学校づくり研究会の会員のブログ)にそのようすと素晴らしい考察が書かれていますので、詳しくはぜひそちらをお読みいただくとして、私はそこで特に話題になったことを中心に少し書きたいと思います。

副島先生は、学習指導要領の目標「社会生活についての理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う」に照らして、後段部分が多くの授業で意識されていないことを指摘されました。一方両先生の授業が、「6年生最後の授業」ということもあり、共に後段部分を絶対はずさないという強い意志を感じたと続けられます。
佐藤先生の模擬授業では「我が国の国土と歴史」をその前半部分で、「平和で民主的な国家・社会の形成者」を後半部分で意識した授業構成です。一方有田先生の模擬授業では、「平和で民主的な国家・社会の形成者」に向かって知識や資料をもとに子どもたちの考えを深めることに絞っていた。私はそのように考えました。
堀田先生の、「前段と後段の関係は授業ではどう考えたらいいのか」という突っ込みに対して副島先生は、「後段は公民的な資質の基礎」と答えられました。具体的には、知識を習得するだけではなく、「資料や情報を主体的に集め、判断すること」と説明されました。私が指導要領の後段の「平和で民主的な国家・社会の形成者」の部分に注目していたのに対し、それを支える「公民的な資質の基礎」とは何かに着目されていたのです。私は「資料や情報を主体的に集め、判断すること」を「公民的な資質」と特に関連させずに、漠然と社会科、それ以外の教科にも通ずることとしてとらえていました。「公民的な資質」とは何かをもう一度考えるきっかけをいただきました。

お二人の資料の扱い方の違いが話題になりました。副島先生は、「佐藤先生の資料は地図資料が多く、有田先生は地図2枚と表1枚という厳選されたものだった。その違いはテンポの違いとなって表れていた」と分析されました。佐藤先生は、6年生最後の授業ということで指導要領の目標をできるだけ取り入れたかった。それに対して、有田先生はいつものように少ない資料で深く考えさせたかったということです。
それと同時に、子どもの反応に対する受けの技術の大切さも指摘されました。よい資料を使っても、受ける技術がなければ子どもの考えは深まっていかないと有田先生も重ねられます。子どもが考えを深めるためにはじっくりと時間をかけて資料に取り組むことが必要だ。だからこそ、資料は精選する必要がある、いつもの主張です。
資料の扱いについて、皆さんの議論を堀田先生は次のようにまとめられました。
佐藤先生の模擬授業から
・軽重があれば資料の点数は多くてもよい。
・ICTがあればテンポよく提示できる。

有田先生の模擬授業から
・教師の都合で資料を変えない。よく見て考えさせる。
・子どもに見つけさせる、見つける力をつける。

私も資料について発言したのですが、時間の制約もあり十分に伝えることができなかったと思います。補足しながらここで整理したいと思います。
資料の活用には大きく3つの段階があります(資料集をどう活用する参照)。「必要な資料を見つける」「資料を読み取る」「読み取った内容をもとに考える」の3つです。有田先生の授業ではこの3つの段階を意識して、それぞれの力を身に着けさせようとしています。しかし、通常の授業では、いつもこの3段階をすべて子どもに任せるだけの時間の保証はありません。子どもに資料を見つけさせるのではなく、教師が資料を用意し子どもに提示するところから始めることもあるでしょう。与えた資料を教師がわかりやすく解説し、そこからじっくり時間を取って考えを深めさせることも時には必要です。この判断は、子どもがどれだけ育っているかでも異なります。鍛えられた子どもであれば、短時間で3つの段階一気にこなすことができます。資料をもとに考える経験を積んでいない子どもたちであれば、1段階ずつ立ち止まりながら丁寧に進めたり、途中をスキップしたり、時には資料を読み取るための知識を与えたりする必要もあります(資料と知識の関係参照)。佐藤先生はこのことを意識して授業を組み立てられていました。また、有田先生も子どもでは絶対見つけることのできない資料や知識は与えています。お二人とも資料の活用のステップと子どもの能力・状況という2つの軸を考えた授業になっていました。

ICTの活用について、有田先生は、ICTでどう見せるかということよりも資料を読み取る力が大切なのだと主張されます。佐藤先生は、「資料と同じくICTは必要な時に使えばいい。ICTが得意な分野で使う。隠すことは有田先生の得意技ですが、棒グラフを隠して見せるのはパワーポイントで作ったからこそできた隠し技。古い資料もインターネットを使えば手に入れることもできる」とICTのよさを伝えます。
堀田先生は、「ICTは必要な時だけ使えばいい」、問題は「必要な時」の見定めであるとまとめられました。そう、この必要な時をどう見定めるかというのが問題なのです。
そのためには、ICTで何ができる、どんな効果が期待できるかを理解していなければいけません。そして、授業の各場面で何が大切か、何が必要になるのかを考えて、ICTを利用するか、利用するならどう使うのかを考えるのです。
資料の見せ方を一つとって、ICTにはいろんなバリエーションがあります。例えばズームアップで焦点化し子どもを集中させることができます。瞬時に切り替えることで、ムダな時間を省き、授業にリズムが生まれます。リモコンがあると先生は資料の前から離れることができ、その場で資料を切り替えながら子どもとのやり取りに集中できます。もちろん、有田先生のように、しゃべりながらじわっと見せて「何だろう」と思わせるといったアナログならではの見せ方もあります。しかし、ICTを取り入れることでそのバリエーションは圧倒的に増えるのです。小さくて見えにくい資料に対して子どもから「大きくして」と言わせる。「どこ?」「そこ」「そこじゃわからない」と子どもとやり取りしながら、学級全体で注目すべきことを共有化する。こういう使い方もあるのです。
この日の佐藤先生の授業では、今まで学んだ多くのことをもとに「考えさせる」ことをねらっていました。単に1問1答で知識を確認するのではなく、資料をもとに考え、思い出させ、生きた知識にしようとされていました。ICTを活用することで、資料を効率的に利用でき、1時間の授業の中で無理なく知識の確認・復習の時間と考える時間を確保できたのです。

では、今回のテーマである「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」の答はどうなのでしょうか。私の考えを述べたいと思います。
資料をもとにじっくり考えるといった社会科の本質的な授業観はICTを活用するか否かで変わるものではないでしょう。ICTを活用して資料を見つけることはできても、その資料をどう読み取るか、それをもとにどう考えるかということについては、たとえICTに集中させる、資料を焦点化するといった一定の効果があるとしても、授業観を変えるほどの大きな影響力はないと思います。しかし、ICTを使うことにより授業の進め方の選択肢は広がり、自由度は増します。今までとは違った授業の構成をすることや進め方を変えることはできます。1時限の時間制限を考えて、復習は1問1答形式がよいと考えていた方が、ICTを活用することで資料をもとに復習するように変わるといったことは十分あり得ると思います。ICTを使ったからこう授業観が変わるという明確な方向性はないもの、教師の授業観を個々に変える可能性は十分にあると思います。

ところで、副島先生は学校における授業研究のあり方を研究されていますが、その視点で語られたことがあります。そのことについて少し触れたいと思います。副島先生は「名人・達人から個人的に学ぶことは大切だが、学校の授業研究において名人と比べて議論することには疑問を感じる」と言われます。「授業名人がいることが学校にとってはよくないことになることもある」という言葉を以前に何度か聞いたこともあります。その先生の授業はよくても、子どもたちがその授業との比較で他の先生から離れてしまうこともある。学校としてはトータルでマイナスである。みんなが名人になろうとするのではなく、どのような子どもの姿を目指すのか、そのためにどうしていくのがよいのか学校全体で共有することのほうが大切である。そのようなことであったと理解しています。教育長という立場だったからこその視点に、なるほど感心したことを覚えています。
この話と直接関係あるとはいえないのですが、子どもの姿が授業者によって大きく変わる学校に出会うことがあります。特に中学校に多いのですが、今まで、似たり寄ったりの授業だったのが、よい授業を経験するようになるとその授業では真剣に参加するかわりにそうでない授業では今まで以上に参加意欲が落ちてしまうのです。学校としてどう子どもを育てるか、そのためにどうするのかを共有することの大切さがわかります。
このことを含め、「フォーラムで考えたこと」と題してコラムを書かれています。授業に関して教師はどう学んでいけばよいのか、次年度に向けて「愛される学校づくり研究会」に大きな課題をいただいた気がします。

この難しいパネルディスカッションを見事におさめた堀田先生の手腕にはいつもながら感服します。期待通りに、新鮮な視点で私たちをハッとさせてくれる副島先生。いつでもどこでも、たちまちまわりを有田ワールドにしてしまう有田先生。笑顔を絶やさず、しかし、粘り強く、たとえ有田先生といえども主張すべきところは一歩も引かない佐藤先生。こうして振り返ってみると、私はこのパネルディスカッションで役目を果たせたのか、甚だ心もとなくなります。
とはいえ、自分のふがいなさは脇に置いておいて、このパネルディスカッションからはとても多くのことを学べました。会場の皆さんも、楽しく有意義な時間が過ごせたことと思います。盛会の内にフォーラムが終えられたことを参加者、スッタフ、登壇者の皆様に感謝します。

最後に、授業名人有田先生と授業の達人佐藤先生がそれぞれの模擬授業で提案したことを私なりにもう一度整理して、今回のフォーラムに関する日記を終わりたいと思います。

社会科の授業では知識ではなく、その知識をもとに考えることが大切であることを訴えている点では共通です。
有田先生は、学習指導要領の目標がどう変わろうとも、自身の社会科の授業観、子どもが「自ら資料を探し」「読み取り」「考えを深める」という追究の鬼を育てることはいささかも揺るがないでしょう。常に有田先生が目指す社会科の授業をつくり続けられると思います。世の中が変わろうが変わらない社会科の授業、それこそが名人有田先生の授業だと見せつけてくれました。(パネルディスカッションの中で迷い続ける迷人だとおっしゃっていましたが、それは個々の授業をどうつくるかと迷うということで、授業の目指す姿に迷っているわけではないはずです)
一方佐藤先生は、社会科の授業の中で求められるいろいろな要素、知識の習得、復習、資料を探す、読み取る、活用する、コミュニケーション、言語活動などをどのようにして実現していけばよいのか、ICTも駆使しながら提案されたと思います。時代の変化によって、学校現場に要求されることは変化してきます。新しいテクノロジーもどんどん入ってきます。授業の根幹は揺るがないが、変化に対応し常に考え得る最上の授業を追究し、実現しようとする。まさに達人の名にふさわしいと思います。今回の模擬授業では、自然体にこだわりながらも、できるだけ多くの授業技術、ICT活用を盛り込もうとされました。それは、参加者に一つでも吸収してもらいた、参考にしてほしいという願いの表れだと思います。

私の授業はこう考えて、こうつくっていますとすべてオープンに伝える有田先生。しかし、それはどこまで行っても名人有田先生の授業です。
社会科の授業にはこんなやり方もあります。こんな授業はどうですか。その根底には確固たる授業観が流れていますが、より広がりのある、多くの人がまねできるようなものを見せ、伝えてくれた佐藤先生。それは、社会科のテンプレート(ひな形)といってよい授業でした。

有田和正先生の模擬授業から学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」からずいぶん時間がたってしまいましたが、午後の部の授業名人の有田和正先生の模擬授業について書きたいと思います。「6年生最後の社会科の授業」をテーマとした佐藤正寿先生との対決授業です。
素晴らしかった佐藤先生の模擬授業(「佐藤正寿先生の模擬授業から学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)」参照)と比較することで、有田ワールドとは何かということがよりわかるものになったと思います。

まずホワイトボードに如月/16と何も説明せずに旧の月名で書かれました。実際の子どもであれば、知らなければ知ろうとするはずです。もちろん有田先生の学級であれば、子どもたちはすでに知っているのかもしれません。教師が教えているのか、それとも子どもたちが調べているのか。教室で旧の月名を使うことは珍しくありませんが、有田先生の学級ではどうしていたのかちょっと興味がわきました。

今年が戦後68年になることを伝えて、この戦争が何戦争か問いかけます。第2次世界大戦という答えに、「素晴らしいですね」と返します。簡単な問いですが、称賛の言葉で返しました。簡単だからこそ、「答えて当たり前」と軽くながすのか、「よく答えたね」としっかりほめるのかの違いは大きいと思います。有田先生は、常に子どものやる気を引き出す方向で発言を受け止めることを忘れません。
「68年」と提示して、「これは何?」とクイズ形式で問いかける方法もあります。子どものテンションは上がるかもしれません。答がわかった子どもは第2次大戦に気づけていますが、第2次世界大戦を知っていても68年との関係に気づけない子どもは答えられません。あっさり「戦後68年」と示したうえで、「何戦争?」と問うことで、ほぼ全員が第2次世界大戦に気づくことができるはずです。そして「素晴らしい」とほめることで、全員がほめられた気持になります。何気ない導入のようですが、私の目にはムダのない素晴らしいものに映りました。

2枚のホワイトボードを横切る長い線を引き、68年と書きました。68年がいかに長いかを伝えます。さり気ないですが、こういうホワイトボード(黒板)の使い方は見事です。子どもたちが写すことを意識した「まとめ」的な板書と違い、授業が進むにつれてどんどん変化していくダイナミックな板書です。こういう技術を見せられると、確かにデジタルがなくてもいいと思わせられます。

世界大戦に参戦した国は何か国か問います。これは知識ですが、子どもが知っているはずはありません。考えても答えは出ません。では、調べさせればよいのでしょうか。いや、資料を見つけることさえも難しいかもしれません。ならば、なぜ問いかけたのでしょうか。ここでのキーワードは「予想」です。前回のフォーラムでも有田先生は、「そうぞう(想像、創造)」を大切にしたいとおっしゃっていました。「6か国」「もっとある?」「7か国」「8か国」「15か国」「だんだん増えてきましたね」「ちょっと増やす?」「もっと増やす?」。予想ですから、誰でも参加することができます。子どもたちに問い返しながら、参加をうながします。
「30か国」「うーん、なるほど」・・・。次々に子どもたちが答えます。子どもたちは自分が答えることでますます知りたくなっていきます。その上で、有田先生は「推測ですからね」と笑いをとりながら、根拠を元にした予想でないことを子ども役に意識させます。
ここで、当時、独立国は何か国あったのか問います。そもそも独立国がどれだけあったのかも知らなければ、「世界」大戦の参戦国を予想する手がかりは何もないことになります。とはいえ、これも子どもたちには知りようがありません。そこで、そのために、今世界に独立国が何か国あるかを「調べよう」と切り替えます。知識は「教える」か「調べさせる」かです。これで、子どもたちが調べられる課題となりました。通常であれば、子どもたちが持っている地図帳で調べさせるところですが、今回は用意した地図帳を示し、「どこに出てる?」と問いかけました。資料の使い方、探し方というメタな知識を問いかけています。資料の活用方法を身につけさせることを大切にしていることがよくわかります。

地図帳から195か国あることを確認して、当時何か国あったか再び問います。「半分くらい?」という子どもへの投げかけは、現在の独立国の数を根拠に考えることを意識させています。持っている知識を根拠に予想するという態度を育てようとしているのです。その上で、65か国だと教えます。予想することは大切ですが、結論は出ません。そこにあまりに多くの時間をかけるのは意味がないのです。子どもなりの根拠を持って予想したのなら、知識を教えればいいのです。

今と当時の独立国の数を比較することで、第2次世界大戦が世界に何をもたらしたかを考えさせることもできます。直接には触れないが、子どもが興味や疑問を持ち、調べてみたくなるような「?」がいくつも埋め込まれているのが有田先生の授業の特徴です。これもその1つでしょう。

65か国を元に、もう一度大戦の参戦国の数を問いかけます。今度は先ほどと違って、基本となる数がわかっていますが、それでもそこから先は推測でしかありません。ここで、有田先生は中立国に色が塗られた世界地図を資料として提示しました。この資料と先ほどの独立国の数から参戦国の数はわかります。「どうせこちらから情報を与えるのであれば、何もこんな回りくどいことをしなくても、ストレートに参戦国の数を教えればいいのではないか」と思われる方もいるでしょう。結果的には同じように見えますが、65か国という知識と、中立国の地図という資料を組み合わせ、そこから答えを見つけるということを経験させたいのです。算数では、答がわかっていても、何度も実際に計算させます。自分の手で経験することが大切だからです。これも同じ理屈です。
地図を少しずつ広げて見せることで、子どもを引きつけていきます。指名して各国の名前を答えさせていきます。本当ならば、子どもに地図帳を使って調べさせるところでしょう。「中立国は5か国」と言って終わるのではなく、地図で確かめながら自分で答を見つけることが大切です。答を知ることではなく、答を見つける過程を経験し身に着けていくことが目的だからです。

60か国もの国が参戦していたからこそ、世界大戦であることを強調しました。子どもたちが深く考えずに使っている「世界大戦」という言葉の重み、それがどれほどのものだったかは、単に60か国参戦したと教えただけでは伝わりません。自分たちが予想し、その予想をはるかに超える事実を知って初めて実感できるのです。そして、この戦争がどのようなものだったかを戦争の犠牲者の数で伝えていきます。
各国の犠牲者の数を書いた表をホワイトボードに貼り、全員に読み上げさせます。表は数字が並んでいるだけです。子どもたちは漫然と眺めるだけで一つひとつの値をちゃんと読まないことやその意味を考えないこともよくあります。ここは、その数の大きさを実感させたいところなので読み上げさせたのです。最終的に犠牲者の合計が6千万になることを伝え、日本の人口の半分にも達することに気づかせます。日本の人口と比較することで、よりリアルに伝わるのです。

ここで、「世界の人々は戦争に対してどう思ったでしょうか?」と問いかけます。これも想像です。この死者の数を目の前にして戦争に対して肯定的な答えは出るはずもありません。だからこそ、多くの子どもに発表させます。発表することで子どもの中に戦争を否定する気持ちが明確になります。それが、この後の問いとつながります。
「悲しい」「悲しいけど負けたくない」「なるべくなら2度と起こさない」・・・、どの答に対しても「なるほど」「いいですね」と受け止めます。「犠牲者が6千万人いたということは、それ以上に悲しんだ人がいる」という発言に対して、「すごいね、その背景、過程が見えた」とそのよさを具体的に示し、「素晴らしい、こういう考えを出してほしい」と全体に広げました。発言を価値づけすることで、子どもの視点を広げていくのです。「戦争は割に合わない」という意見に、過去に「戦争ほどいい商売はない」といった政治家が日本にいたと揺さぶります。こういう揺さぶりは、膨大な知識を持っている有田先生だからこそでしょう。同じ揺さぶりはできませんが、子どもの考えを深めるためにも揺さぶりは必要です。子どもの発言に対応するには、教師側にそれ相応の知識と力が求められることがよくわかります。ここは時間をかけて戦争を否定する気持ち(=平和を願う気持ち)を子どもに持たせました。
実際には6千万より多いとする資料もあることを伝え、資料が絶対でないこと、資料は比較し吟味する必要があることを意識させます。資料を大切にする有田先生だからこそ、こういう点はしっかりと伝えます。

「戦争は嫌だと世界中の人が思ったはず」とまとめた上で、「第2次世界大戦後、戦争はなかったのか」と問いかけます。「何回くらい?」と数を聞きます。数を聞くことで、客観性が求められてきます。「少し」「たくさん」といった聞き方では、なんとなく答えて終わってしまい、自分の予想と事実のギャップを強く意識できません。数を聞くことは、子どもたちに迫り、より深く考えさせるのに有効です。「朝鮮戦争」「湾岸戦争」「ベトナム戦争」・・・。具体的な戦争を子ども役から引き出しながら、意外とありそうだと気づかせます。「南北戦争」という間違いが出てきました。ここは、どう対処するのか気になるところです。「とても大切な戦争・・・、この戦争がなければ今のアメリカはない」「ちょっと時代は違うが素晴らしい」とポジティブに評価し、解説をします。とっさにこのような対応をするには、その背後に多くの知識がなければできません。このような場面も、有田先生をそのまま真似する必要はありませんが、少なくともポジティブに受け止め評価することが求められます。
「これは何を見たらいいですか」と問いかけます。これも「答の見つけ方」というメタな知識を問うものです。常に、どのようにして「考える」のかを意識されています。「社会科資料集」という子ども役の答を高く評価して続けます。ここで社会科資料を使わずに、「絶対当たらないだろう」と挑発しながら、相談させます。「何回か」を「相談」としました。相談しようとすれば、数に対して根拠を示す必然性が生まれてきます。子ども役の答には、それなりの根拠のあるものがでてきました。「(年に1回で)68回」「こういう出し方もあるんですね」と考え方を評価します。それぞれの答えに対して問い返すことで根拠を明らかにさせます。正解を求めるのではなく、また思いつきの答を求めるのでもなく、自分なりの根拠を持って考えることを求めています。子どもたちを育てるということはこういうことだとわかります。
ここでも資料によって答が違うことを断ったうえで、有田先生が正確だと選らんだ資料から300回以上という数を示しました。これだけ戦争があるのに、68年間戦争をしなかった国があるといいながら、その国に色が塗られた地図を示しました。一つひとつじっくりと確認します。その6か国(佐藤先生の資料とは数が違っている)の中に日本が入っていることがどれほどすごいことか、実感させてくれます。その上で、日本がその6か国に入っている理由を問います。「教育」「戦争放棄」「日米安保条約」、中には「資源がない」から攻められないという、子どもから出そうもない答が出てきます。尖閣諸島の問題を取り上げながら、戦争の原因の大きなものに「領土」「資源」があることをまとめ、「これからはわからない」「おもしろい」とポジティブに評価していきます。この他にも、「戦争を語り継いでいる」「国民の気持ち」といろいろな視点の考えが子ども役から出てきますが、すべてポジティブに受け止めます。最後に「平和は簡単に手に入らない」とまとめて終わりました。

有田先生は6年生最後の授業を、社会科の目標である「・・・平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の・・・」から「日本の平和」をテーマに、自身が考える社会科の根幹、「知識を手に入れる(資料を見つける)」「知識を元に考える(想像する)」「新しい価値を創造する」で構成されました。最後の「日本が68年間戦争をしなかった6か国に入っている理由」は、今まで学習した「平和憲法」や「日米安保条約」といった知識に「新しい価値」を見出ださせる発問と位置づけているのではないでしょうか。そして、最近よくおっしゃられる「奇跡を起こすのは教育しかない」との信念の具体例としてこの授業を提案されたのだと思います。「教育で平和を維持する」ことができる、それはこういう授業で可能になるのだと主張されているように思いました。
有田先生の考える社会科の授業がとてもよくわかる素晴らしい模擬授業でした。この模擬授業も素晴らしい子ども役の皆さんの協力があってこそのものでした。ありがとうございました。

有田先生と佐藤先生の授業が提案したものは何だったのか、名人と達人とは何が同じで何が違ったのか。このことついては、パネルディスカッションとあわせて述べたいと思います。

送辞・答辞の指導で子どもの力に感動

先週末に中学校で送辞・答辞の指導をおこなってきました。例年、プロのアナウンサーにお願いしているものです。

指導の前に原稿を読ませていただきました。どちらも自身の体験をもとにしたエピソードがしっかりと語られ、とても素晴らしい内容でした。子どもたちの力もそうですが、先生方の指導力の高さもうかがえます。特に答辞はどの段落も内容の濃いもので、逆にどこに力を入れて読むのがもっともよいのか、私たちが悩むほどでした。

まずは、図書館で基本的な読み方の指導です。送辞の男子はちょっと緊張していたのか声がうまく出ていません。句読点以外のところでも息継ぎが入り、切れ切れに聞こえます。抑揚をつけようとしているせいでしょうか、トーンを落とすところが暗く感じてしまいます。彼が本来持っている元気さが出てないようです。そこで、原稿の持ち方、できるだけ顔を上げて喉を開けること指導し、声を落とすことで抑揚をつけるのではなく声を強くすることで強調するよう意識してもらいました。2回目は元気さが前面にでた、思いが伝わるものになってきました。

答辞の女子は、全体的にペースが速く感じられました。原稿量が多いため、時間を気にしているのかもしれません。言葉を強調する時、ちょっと語尾が上がる癖がありました。こういったことを指摘したあと、再度読んでもらいました。全体的にとてもよくなったのですが、何か物足りません。気持ちのこもった読み方ですが、答辞として聞くと違和感があるのです。一つひとつのエピソードに対して個人的な思いが強いので、私的なものに聞こえるのです。いつもは具体的で明確なアドバイスをしてくださるアナウンサーの方なのですが、今回は困ってしまいました。伝わらないことを覚悟の上で次のようなことを話されました。

卒業生みんなの代表として読み上げてほしい。書かれているのはあなたの気持ちかもしれないが、そこにみんなの気持ちが重なっているはずだ。一人ひとりがあなたの言葉に自分のことを思い出すのだ。私たちという言葉は、文字通り卒業生みんなの思いだ。その思いを伝える気持ちで読んでほしい。

このような抽象的なアドバイスをされたことはかつてありません。強く読む、ゆっくり読むといった、具体的なことは伝えていません。言われたからといってすぐにできるようになることは難しいでしょう。しかし、こうとしか言えなかったのです。無理を承知で、彼女自身が考え、変化することを期待しました。

体育館では、本番同様にマイクを使い、BGMも流しての練習です。
送辞の男子は、マイクを意識して緊張したのか、声がこもって、先ほど直ったことがまた出てきました。身体を少し動かしてリラックスさせてから、よい姿勢をとるように意識させました。その上で、声が前に出るように、マイクから少し距離をとるよう指導しました。その結果、声がしっかりと出て、言葉がはっきりと伝わるようになりました。下手に感情をこめて抑揚をつける必要はありません。話の中身が濃いだけに、元気よく読み上げて内容をしっかりと伝えれば感動的なものになるのです。読み手のよさを活かすことが大切なことがよくわかりました。

答辞は、そのあまりの変容に驚いてしまいました。先ほどとは全くの別人です。堂々とした、聞き手を引き込む答辞です。あえて指摘しなかった細かい欠点もなくなっています。途中で原稿を見るのをやめて、聞き入ってしまいました。最初の印象では、彼女は文化部なのかと思ったのですが、聞いてみたところ実はバスケットボール部のキャプテンでした。これがきっと本来の姿なのでしょう。みんなの思いをしっかりと伝えてくれる、力強くまた感動的なものになっていました。後半に比べて前半の方がややトーンが強い感じだったので、前半を抑え気味にするようにアドバイスしましたが、すぐに修正しました。素晴らし対応力です。

BGMは聞こえなくてもいいのでできるだけ小さくするようにとお願いしました。BGMに頼らなくても、2人とも十分に思いは伝わります。BGMがかえってじゃまになるくらいなのです。
2時間ほど、一人4回ずつの通読でしたが、みるみる上手になっていく姿に、子どもたちの持つポテンシャルのすごさをあらためて教えられました。
この後の指導について、担当の先生から具体的なアドバイスを求められました。お話を聞くと、プロのアナウンサーに来てもらうので、あえてこと細かく指導をしないでいたそうです。今回の指導を元に、本番当日までブラッシュアップするように指導を続けてくださるということです。私たちとの連携を意識していただけたことをとてもうれしく思いました。先生方のきめ細かい心遣いが、子どもたちの素晴らしい姿の陰にあるのです。

卒業式当日は、2人とも素晴らしい送辞・答辞を披露してくれることと思います。毎回的確なアドバイスをしていただけるアナウンサーの方からだけでなく、子どもたち、先生方からたくさんのことを学ばせていただけました。ありがとうございました。

若手の授業から多くを学ぶ(その2)(長文)

若手の授業から多くを学ぶ(その1)(長文)」の続きです。

最後の授業は、1年生の国語でした。「これはなんでしょう」というゲームの1時間目でした。
授業規律を大切にしようと意識していることがよくわかる授業でした。教科書を全員で音読する場面で、「読むときの姿勢は?」と子どもたちに声をかけます。子どもたちは素早く教科書を持って読む姿勢をとり始めます。授業者は子どもたちがそろうのを待っていましたが、数人ができない状態で読み始めました。どうなるかと見ていました。まわりの子どもが大きな声で読み進むとちゃんと気づき、教科書を手に持ってしっかり参加します。なるほどと、思う場面です。子どもは意図的に指示を無視していたわけではなさそうです。授業者は指示が通るまで待つことの大切さはわかっていると思います。注意することで指示を徹底することは避けようとしていることも伝わります。ネガティブな言葉が授業中にほとんど聞かれなかったことからもわかります。以前はきちんと指示が通るまで待っていたのでしょうが、規律が少し弛んだ時点で、待ちきれなくなったのかもしれません。指示が通らない子どもも決して逆らっているわけではありませんので、できている子どもたちをほめることで気づかせていくとよいでしょう。
また、授業者は音読の際、手元の教科書をずっと見ていました。子どもの声がしっかりでているので参加していると判断していたようですが、やはり子どもたちのようすをしっかり見ることが大切です。子どもたちのテンションの高さも気になります。音読で目指すものが何かがはっきりしていないことが原因です。大きな声で読むことだけが目標になってしまっています。「句読点でしっかり間をあけよう」「○○を見つけながら読もう」というような目標を意識させるとテンションは下がります。
授業規律を維持するためにルールをつくって意識させるようにしています。たとえば、「答がわかっていても勝手にしゃべらない」というルールがあります。「答がわかっていても我慢してくれた人がいるんだね」とほめるとともにルールを全体に意識させていました。よい方法だと思います。学年が上がってくれば、固有名詞でほめることも必要になってくると思います。
授業者が子どもたち背を向けて板書しているとき、子どものようすがだれているのが気になります。笑顔が多く、子どもたちも安心して参加できているのですが、指示をするときや指示が通るのを待っているときの表情が硬いことが問題です。子どもたちをチェックしているという表情なのです。他の場面で笑顔が多いだけに子どもたちは緊張することになります。その反動で視線が外れると弛むのです。笑顔で指示をして、子どもたちが指示に従うことを喜んでいるという姿勢で接するようにしてほしいと思います。緊張と集中は違うのです。
授業者が用意した「これはなんでしょう」ゲームに挑戦させます。1問目はすぐに答がわかるもの用意していました。これは、ゲームのゴールは何かを理解させるためです。次の2問は、子どもから質問をしないと、ヒントだけでは答がすぐにはわからないものです。なかなかわからない状況を経験することで、このゲームのポイントや注意すべきことに気づかせるための活動です。授業者の出すヒントに「えっ」という声が上がります。わかった人と問いかけると半分くらい挙手します。質問する必然性が子どもに生まれました。できれば、「えっ」とつぶやいた子どもに、「どういうこと」と聞いてあげるとよいでしょう。「わかんない」といった発言に対して、「他にも困っている人いる」と問いかけ、「わかった人」ではなく、「困っている人」を起点に進めるとより必然性が増します。
順番に子どもに質問をさせますが、次第に集中力が落ちて聞かない子どもが増えてきます。答がわかることが目的となっているので、わかった人は聞く必要がなくなってしまうからです。ここは、「よい質問をして、全員答えがわかるようにすること」を目標にするとよいでしょう。わかった子どもも積極的に参加できますし、「今の質問の答でわかった人」「すごい、○人もわかったね」と質問を評価することもできます。また、国語の授業としては、表現にもこだわりたいところです。質問は語尾に「ですか」をつけるといったことを意識させて、「質問の形になっているね」と評価するのです。漫然と活動すると、テンションが上がっていき、その一方で参加できない子どものテンションが下がっていきます。一つひとつの活動に子ども目線の目標を持たせることが大切になります。
3つ目の問題では、答が「チーター」と「ライオン」に分かれました。授業者が正解を発表して終わったのですが、子どもたちに根拠を求めてほしいところです。「今の意見で答が変わった人」「納得した人」とつなぎ、友だちの考えを聞いて自分たちで答を見つけていく経験を早くから積ませたいのです。
後半は子どもたちに、次回は自分たちで問題をつくってゲームをすることを伝え、事前にゲームを進めるためのルールを考えることを課題にしました。ここでも、授業者が規律をとても意識していることが感じられます。
授業者の子どもの発言を受け止める力が、この場面では見事に発揮されました。子どもの発言には「なるほど、ありがとう」と受け止めます。「失格はなし」というルールを提案した子どもから「いやな気分になるから」という理由を引き出し、「すごいね。今の聞いた?」と他の子どもに復唱させます。ちょっと声が小さかった子どもに対して、「とってもいいこと言ってくれた。後ろの方の人、聞こえた?」と子どもにつなぎます。聞こえなかったという声に、「後ろの人に聞こえるように、もう少し大きな声で言って」と促します。しかし、せっかく言い直したのに、授業者がそのあとを引き取って説明してしまいました。もったいない場面でした。発表したあと出番が終わったと集中力をなくす子どもが多いのは、自分の発言を起点として、友だちとつながっていくことがないことが原因です。ここは、発表者に声を大きくするよう指示するだけでなく、「みんな、○○さんの意見をしっかり聞こうね。いい?じゃあ○○さん、もう一度聞かせてください」と他の子どもに聞くことを意識させるのです。そして、「○○さんの意見聞こえた?もう一度言ってくれる?」「○○さんの意見、どう思った?」「○○さんの意見のどこがよかった?」と、もう一度返すのです。
「間違えてもうるさくしない」「わからなければ、追加で質問できる」といった、友だちを思いやる言葉がたくさん出ます。他者を思いやることを基本に日ごろからルール作りをしていることがよくわかります。立派な学級経営だと思います。
気になったのが、ルールの決定プロセスです。提案に対して他の子どもの意見を聞くこともあるのですが、「いいね」「そうしようか」と教師が決定してしまうのです。結局、発表する子どもと教師で話が進むので、次第に集中力をなくす子どもが増えてきます。少し時間がかかってしまいますが、子どもたちが合意することも必要です。
手遊びをしている子どもに、「○○さんが話してくれるから、手の物を離そう」とちょっと強引にやめさせました。しかし、すぐにまた手遊びを始めました。「○○さんの話を聞こう。話を聞くときはどうすればいい?」と投げかけ、子どもが手遊びをやめて体の向きを変えたときに「よい姿勢だね。ありがとう」とほめるようにするとよいでしょう。注意をされたという気持ちにしないように工夫することが大切です。
「答を教室の中の物から選ぶ。答が見つかったらそこに行って、『これだ』と教える」というルールが提案されました。いきなり否定するわけにもいきません。授業者は苦しんだことと思います。「どうする」と問いかけ、他の子どもの意見を聞きます。否定的な意見も出ますが、「今の意見をどう思う」とつないで広げることはしませんでした。反対が多ければ考えが変わったかもしれませんが、単発の反対なので発案者は自分の考えにこだわる姿勢を見せます。ここで、授業者はこのアイデアは素晴らしいが学級では人が多いので大変になると子どもから出た言葉をうまく使いながら、否定しました。友だちと遊ぶ時にやるといいと認めて、「○○さんのアイデアに拍手」と全員に拍手させました。認めてもらえたので発案者も笑顔で納得しました。なかなかとっさにできる対応ではありません。子どもを否定しないということを原則としているからできた対応だと思います。授業者のこの姿勢は称賛に値すると思います。
最後は、子どもの集中力が落ちてきました。ここで、授業者は3回手をたたきます。すると子どもも「は、あ、い」と手を3回たたきながら答えます。これもルール(約束事)です。子どもたちに「話を聞いて」「こちらを見なさい」と注意をしないでも指示を通すためのよい方法です。1回では集中できなくて、2回やる場面がありました。子どもたちも悪い意味で慣れてきて、このルールも少し形骸化してきているようです。このやり方は、教師が声を出さないのがポイントなので、授業者もじっと声を出さないようにしています。時には原点に戻り、時間がかかってもきちんと指示が通るまで待つことも必要でしょう。声を出さずに、一人ひとりと目を合わせて、笑顔でうなずくという方法もあります。従わない子どもがいてもよしとするとそこから崩れていくので注意が必要です。
最後に、黒板に書いたルールを全員で読ませて、ルールに関するクイズを出しました。○×を手で示させます。子どもたちは、友だちの答を見て確認しています。授業者は、1問ごとに「正解は、」「○」「×」と発表します。子どものテンションはまた上がっていきました。まず、板書を読む目的を子どもに明確にする必要があります。「今から、しっかり読んでルールを覚えよう。この後クイズをするよ」と目標を明確にし、クイズは後ろを向かせて黒板を見えなくするとよいでしょう。正解の判定も、子どもにまわりを見ながら確認させればいいのです。もし、何人か間違えているようであれば、「さあどうだったかな?」と振り返らせて、子ども自身で修正させるのです。教師が正解を教えずに済むのなら、それにこしたことはないのです。

授業観がはっきりと伝わる、とても好感の持てる授業でした。目指すものがはっきりしているので、課題もはっきり見えてきます。このような授業であれば、アドバイスもどんどん具体的になります。今できていることがたくさんあるので、それを活かすことと、その上に何を足せばいいのかを意識して授業をしてほしいと思います。たとえばテンションを下げる技術です(テンションを上げすぎない参照)。無責任に参加できる活動を減らす。しゃべり方の間を工夫したり、トーンを下げたりすることを意識する。こうすることで、子どもたちがより落ち着いて授業に参加できるようになります。
授業者からは前向きな言葉をたくさん聞くことができました。これからの進歩がとても楽しみです。次の機会には、教材についてもう少し話ができればと思います。

実はこの学校は、昨年度の「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」で国語の授業で名人に挑戦してくれた先生の所属していた学校です。今回授業を見せていただいた先生方も提案授業の検討会(「実りある指導案検討会」「授業者も参加者も学びあえた模擬授業」「提案授業を通じて多くのドラマがあった」参照)に参加していたことがすぐにわかりました。そこで、話し合われたことが、彼らの授業にしっかりと反映されていたからです。あの授業づくりを通じて授業者以外も大いに学ぶことができたのです。とても素晴らしいことです。残念なことは、そこで学んだことを活かしてはいるのですが、次に新たな壁にぶつかって止まっているのです。あれから互いに学び合う機会があまりなかったようです。

研究を進めるにあたって、どのような子どもの姿を目指すのかをまずしっかりと共有すること。そのために必要なことは何かとそのステップ明確にすること。その上で、互いに学び合うための仕組みをつくること。ICTの活用については、できるだけ具体的な教科や場面に即して、目的を明確にした使い方を提示すること。そして、3月中には、どのようにして学び合うのかを実際に試し、具体的に共有し、4月からすぐにスタートできるようにすること。こういったことをお願いしました。
今回、どの授業もとても多くのことが学べるものでした。互いに学び合う素材が実にたくさんあるのです。たくさんの先生方に見ていただき、そこで起こっていることを共有すれば、学校全体として大きく進歩できます。研究を進める体制さえできれば、可能になることです。この1か月が勝負だと思っています。どのような体制がつくられ、どのように進化していくのかとても楽しみです。
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