この1年を振り返って

今年度もいよいよ今日で終わりです。この1年間たくさんの授業を見せていただく機会がありました。授業を見る機会を与えてくださったすべての先生方に感謝です。
10年以上教育コンサルタントとして授業を見続けてわかったつもりになっていても、まだまだ気づかなかったことがたくさんあることを教えてもらった1年でもありました。

特に若い先生の成長の過程を見ることで、授業の基本は何かということをあらためて学ぶことができました。若い先生は当然未熟なところがたくさんあります。だからこそ、それを一つずつ克服していくにつれ授業は驚くほど進化していきます。教師のかかわり方がほんの少し変わるだけで、子どもたちが大きく変化することもあります。
授業の変化とともに子どもたちがどのように変化するかをみることで、教師のかかわり方と子どものあり方の関係を私の中でより明確にすることができました。

若い先生の中でも他者のアドバイスを素直に聞く、他者から学ぼうとする姿勢を持っている先生の進歩は本当に素晴らしいものがあります。特に子どもから学ぼうとする、いいかえれば、子どもの姿をしっかりと見よう、とらえようとすることを意識している先生はわずかの期間でも見違えるほど成長していきます。子どもを見ることができる。このことが、教師としての成長の第一歩であるとあらためて思いました。

この1年、多くの若い先生の成長の過程に立ち会えたことは本当に幸せなことでした。
明日からの1年にどんな出会いがあるか、今からとても楽しみです。

私立小学校から学ぶ

昨日は私立の小学校でお話しをうかがってきました。幼稚園から高校・大学まで併設している総合学園です。

子どもたちの目に見える学力だけではなく、目に見えない学力、学ぶための基本となる力をつけることを大切にされている学校です。そのために、子ども同士の学びあいを進め、教師の聞く姿勢を大事にされています。また、年に1度全教員が授業公開するなど先生同士の学び合いにも積極的です。
ICTの活用にも積極的ですが、いかにもICTを使っていますという利用の仕方ではなく、教科書を黒板に拡大して写すといった、そのよさが生きるところで気軽に使うものとなっています。
お話ししていて感じたのは、こういった試みが無理なく自然におこなわれていることです。急激に変化するのではなく、日々の活動の中で着実にレベルアップしているということです。教員の異動を考えると、ある程度限られた時間で結果を出していかなければいけない公立校と違い、じっくりと取り組める私立のよさをそこに感じました。

また、幼小連携、小中連携にしっかり取り組むことで、小1プロブレム、中1プロブレムにも積極的に対応されています。
また、各校種ごとにそれぞれの教育活動をおこなっていたのを学園全体としてより一貫性のあるものにしようというプロジェクトも進んでいるようです。

私が考えているこれからの学校経営に大切なことの多くを実践されている学校でした。大変多くのことを学べました。感謝です。

「比較」を大切にする

子どもたちの発言に対して、「なぜ、そう考えた、そう思うの」と根拠を聞いてもなかなかきちんと答えることができません。根拠を意識して考える力をつけるにはどうすればよいのでしょうか。

考えるための基本は「比較」することです。
たとえば、地理で資料からその地方の特色を見つけるのであれば、その地方のデータだけみてもわかりません。全国のデータと比較することで初めて特色が見つかります。
国語の読解でも、ある場面の描写と他の場面の描写を比較して、その違い、変化を考えることで筆者の伝えたい意図が見えてきます。
したがって、子どもたちが「比較」するという考え方に慣れるまでは、できるだけ具体的に何と何を「比べる」、「違いを見つける」という指示をすることが大切です。
「この地方の特色をみつけよう」という問いに対しては「全国平均のデータと比べて、どんな違いがある?」。
「主人公は成長したのだろうか」という問いに対して、「主人公の考え、行動について書いてあるところを抜き出そう」「どう違う?」というステップを踏むことで、根拠を持って考えることができるようになっていきます。

また、比較の対象がすぐに見つからないときでも、「もし、・・・でなかったら」「もし、・・・だったら」と仮定することで、比較の対象をつくりだすことができます。
「抜けるように青い空だった」という表現を考えるのであれば、「『青い空』でなかったら」「『抜けるように』がなかったら」どうだろうと発問することで、比較の対象がつくられます。こうすることで、根拠を明確にして考えることができるようになります。

考え方の基本となる「比較」することが子どもたちに身につくように、発問や授業の展開を工夫してほしいと思います。

キレる子どもと言語活動

言語活動の重要性がよく言われます。子どもの精神面の発達においても言語活動は大きな意味を持っています。
たとえば、「キレる子どもは、言葉が先にキレる」ということをよく聞きます。自分の気持ちをうまく伝る言葉が見つからなくて、言葉が途切れて、そしてキレた行動をしてしまう。大人だってこのような状況になることはあります。人がキレるときは、コミュニケーションがうまくとれないときが多いのです。自分の気持ちを表現する、うまく相手に伝えるということは決して簡単なことではありません。

こういうキレやすい子どもの対応を考えることは、学習活動における言語活動を考えるヒントにもなります。
実際に子どもがキレてしまった場合、大きな声で叱ったりすることはより興奮させて逆効果になります。大丈夫だとやさしく抱きかかえてあげる、落ち着くまでじっと見守る、別の場所に連れて行って一人にしてあげるなど、まず落ち着かせることが一番です。
ここで、子どもをしかるのではなく、自分の気持ちを言葉にすることを意識します。

「どうしたの」
「むかついた」
「何にむかついたの」
「よくわからない」
「むかつく前に何があったか教えてくれるかな」
「△△君に『ボールを貸して』って言った」
「ボールがほしかったんだね。そしたら」
「『今、□□君と使っているから嫌だ』と言われた」
「嫌だと言われたんだ。それで」
「むかついた」
「そうか、その後どうしたの」
「ボールをとって、放り投げた」
「○○君は、ボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない。気がついていたら、放り投げていた」
「本当にボールを放り投げたかったのかな」
「よくわからない」
「○○君はボールを放り投げたかったんじゃないと思うよ。○○君は、本当はどうしたかったんだろう。一緒に遊びたかったのかな」
「うーん、そうかもしれない」
「一緒に遊びたかったんだ。それなのに嫌だと言われて仲間外れになった気がしたのかな」
「なんか、はじかれた気がした」
「そうか、はじかれた気がしたんだ。それで、ボールを放り投げちゃったんだ。じゃあ、どうすればよかったんだろう」
・・・

言葉がキレてしまう子です、なかなかうまく伝えることができないかもしれません。辛抱強く一つひとつ聞いてあげます。うまく言えないときには「・・・と思ったのかな」とこちらから言葉を向けたり、それはこういうことではないかと整理してあげます。そして、自分の感情は何だったかを気づかせ、言葉にしていくのです。

言葉を習得していくには、実際にその言葉が生きた状況で使われる、使う必要があります。「むかつく」という言葉でしか伝えられない子どもには、そのときの自分の感情や状況を言葉を使って相手に伝えるという経験をさせる必要があるのです。学習活動における言語活動も同じです。伝えるべきものがあって、それを伝える経験をすることが大切です。そして、このとき伝えるべき相手がきちんと聞く姿勢を見せる、またわからないことがあれば質問するといったコミュニケーションが成り立つような工夫が必要なのです(言語活動を支える力をつける参照)。

ありがとうを大切に

母親向けに子育てについてお話しする機会が増えています。そのとき必ずお話しするのが、「ありがとう」という言葉を大切にしてほしいということです。感謝の言葉が家庭内で意外とかわされていないように感じるからです。

お手伝いをしてくれたから、勉強を頑張ったからご褒美を上げる。そうすると、子どもはご褒美を得ようと頑張ります。しかし、物質的なものを得るために頑張るのでは、結局損得でしかものを見られなくなってしまいます。
一方「えらいね」とほめることで認めると、子どもの自己有用感は高まります。しかし、「えらいね」は上からの目線でもあります。自分が下に見られていると無意識のうちに感じてしまいます。ですから、私がうれしい、感謝しているというIメッセージが大切になるのです。

「勉強頑張ったね。お母さんはうれしい」
「お手伝いをしてくれて、とても助かった。ありがとう」

こういう言葉をたくさんかけられて育った子どもは、自己有用感を持ち、自分の居場所があります。いろいろな困難にぶつかってもなかなか崩れません。
このことは学校でも当てはまります。先生や友だちに「ありがとう」と言われることはとても大切です。家庭でも学校でも子どもたちに「ありがとう」の言葉をかけることを意識してほしいものです。

ワークシートは親切な方がいい?

ワークシートを活用している授業によく出会います。手元にワークシートがあると何をすべきかわかりやすので、子どもたちの作業はスムーズに進みます。子どもたちの状況に応じて適切につくられたワークシートは授業を効率よく進めるのに効果的です。しかし、時として首をひねりたくなるようなものもあります。ワークシートはどのようなことに注意をしたらよいのでしょうか。

国語のワークシートの例です。

作者の気持ちが表れている部分を抜き出そう。
私は      と思った。

気持ちや考えは、「思った」という部分に注目するとよい。このことを意識させることを意図してつくられています。しかし、ここまで親切にすると、文章から「思った」が文末にあるものを探し、そのまま写す者も出てきてしまいます。これでは、ワークシートを埋めることはできますが、国語の力はつきません。少なくとも、「思った」という言葉がキーワードになることを意識させて、このようなヒントがなくても見つけられるように指導する必要があります。

社会のワークシートの例です。


○○条約は    年に    で、            の3国が、         をすることを目的に、             をすることを取り決めたもの。


○○条約について整理しよう。
調印した年
場所
締結した国
目的
取り決め(3つ)


○○条約について整理しよう。

この3つの例はどれが正解というわけではありません。子どもが自分で調べたり整理する力がなければ、教科書をほぼそのまま写せばできるAのワークシートでなければ手がつかないかもしれません。教科書に下線を引くのと変わらないが、せめて自分の手で写すことで少しでも覚えさせようという意図があるのかもしれません。
ここで意識してほしいのは、子どもは進歩していくことです。最初はAのようなものでなければ手がつかなかった子も、力をつければBのようなものでもきちんとできるようになります。ワークシートを通じて何度も作業をするうちに、どのような情報が大切なのかわかってくれば、Cのような指示だけでも何をすればよいかわかるのです。

4月のワークシートと3月のワークシートのレベルが同じということは、子どもたちの力が育っていないということです。最初はだれでも手がつくような親切なワークシートから始まっても、最後はワークシートに頼らず自分でできるようになっていることを目指してほしいのです。調べ方、整理の仕方、考え方といったメタな力をつけることを意識してワークシートを活用してほしいと思います。

「わかりません」を許さない

指名した子どもが「わかりません」と答えたとき、すぐ次の子を指名するのがよいのか、ヒントを出して何とか答えさせするのか迷うときがあります。「わかりません」と答えてすぐ次の子が指名されると、解放されてホッとしてしまい、そのまま集中力をなくす子もいます。また、ヒントを出してもなかなか答えてくれなくて、無駄に時間が過ぎることもあります。「わかりません」と子どもが発言したときはどのようにすればよいのでしょうか。

「前の時間学習した、○○はどういうものでしたか。△△さん、教えてください」
「わかりません」
「あっ、ノート見ている子がいるね」
ノートを見始める。
「△△さん、見つかった」
「はい、□□です」

質問内容が既修事項であれば、ノートか教科書に必ず書かれているはずですから、子どもにそれを調べさせれば答えが見つかります。教室の中に調べ始めている子がいればそのことを指摘することで、多くの子どもが動きます。そこで、本人が調べるのを待って答えさせればいいのです。それでも本人が見つけられなければ、「まわりの子助けてあげて」「どこに書いてあるかだれか教えて」と友だちに助けてもらうようにします。

「○○はどういうことですか。△△さん」
「わかりません」
「どこがわからないの」
「・・・」
「いいよ、また後で聞くからね。□□さん」
・・・
「△△さん。○○ってどういうことかな」
「××です」
「ちゃんとわかったね。えらいね」

ヒントを出してもすぐに対応できないときは、その子にかかわりすぎてもかえって追い詰められたような気持ちにさせてしまいます。再度聞くことを伝えて、次の子を指名するようにします。もう一度指名されることがわかっているので、友だちの発言をしっかり聞きます。たとえ友だちの発言をそのまま言うことになっても、自分で発言してほめられることで、達成感も味わえます。今わからなくても、友だちの発言を聞いて理解しようとする姿勢が生まれてきます。

大切なのは、「わかりません」と言えば許されると子どもたちに思わせないことです。「わかりません」を許していると、自信のない子は間違えるくらいなら「わかりません」と答えるようになっていきます。学級全体が消極的になっていきます。指名されたら、たとえわからなくても最後はきちんと答えて、ほめられて席に着く。これがあたりまえになっていくにしたがって、「わかりません」という言葉も学級から減っていき、子どもたちが積極的に授業に参加する様になっていきます。

子どもの言葉から課題を見つける

子どもの疑問から課題を見つける、子どもの言葉から授業をつくるということがよく言われます。とはいえ、あまりに子どもの発言が拡散しても扱いが大変ですし、授業のねらいに迫るような言葉が子どもから出てこなければ、これも困ってしまいます。どのように考えればよいのでしょうか。

子どもの考えを広げるような問いかけと絞っていく問いかけや活動をうまく組み合わせる必要があります。

「この詩を読んで、気づいたこと、わからないところ疑問に思ったところを箇条書きにしてください」
・・・
「それでは、グループで聞き合って、わからないことや疑問を相談しよう」
・・・
「どんなことを話したか聞かせてくれるかな」
「カタカナで書いてある」
「ボクがだれかわからない」
・・・

このような間口の広い問いかけであれば、子どもは何らかの意見や考えを持つことができますが、そのまま発表すると拡散してしまいます。机間指導で使える考えをピックアップしておいて指名することで、拡散を防ぐという方法もあります。しかし、多くの子どもは自分の考えを持てているので発表したくなります。この気持ちを無視すると、せっかくのやる気がなくなってしまいます。そこで、グループを活用します。自分の考えを聞いてもらう機会を与え、話し合うことで簡単な疑問を解決させておきます。全体での発表は整理されたものになっているので、効率的に課題を焦点化することができます。

このような時間がない時は、最初の問いかけを「この詩を読んで、どの言葉が印象に残った」「何を言っているかよくわからない部分に線を引いて」と、もう少し具体的にすることで、より早く教師のねらいに迫る言葉を引き出すことができます。

子どもにできるだけ自分の考えを持たせること、持った考えを受け止める場をつくることと、それに対して教師のねらいに迫る言葉をどう引き出すかのバランスが大切になります。こうすればうまくいくというものではなく、子どもの実態に応じてどのような問いかけや活動をするのか、どう働きかけるのかを常に考えながら授業を進めることが求められるのです。

いきなり、「○○ついて考えなさい」「△△をしましょう」と教師が迫るより、自分たちの疑問や自分たちで見つけた課題について取り組むほうが子どもたちの意欲も高まります。子どもの疑問や発言を活かす授業を目指してほしいと思います。

テンポのいい授業とは

テンポがいい、間がいい授業ということがよく言われます。ところがテンポのいい授業を目指して、次々に指名しても子どもが反応できない、かえって混乱してしまう。そこでゆっくりと間をとると今度はだれてしまう。こんなことがよくあります。テンポがいい授業について考えてみたいと思います。

テンポがいい授業というと、教師の話す技術、話すテンポに目がいきがちです。ここに目を奪われてはいけません。ベースになるのは子どもの状況を把握する力です。次の2つの例を見てください。

「どうやって考えたか教えてくれる」
「点Aと点Cを結びました」
「なるほど、○○さんは?」
「私も、点Aと点Cを結びました」
「いっしょだね。△△さんは?」
「私も2人と一緒で、点Aと点Cを結んで考えました」

と受容の言葉も簡単にして次々と指名していく。

「どうやって考えたか教えてくれる」
「点Aと点Cを結びました」
「なるほど、点Aと点Cを結んだんだ。同じように考えた人いる」
「何人かいるね。それってどういうことか説明してくれるかな。○○さん」
「点Aと点Cを結ぶと三角形ができて・・・」
「なるほど、今の○○さんの説明どう。納得した」

とじっくり受け止めて説明させる。

どちらかが正解ではありません。子どもの状況によって対応が変わるのです。
前の例はほとんどの子どもが気づいていて、確認をすればよい状態の時です。最初の発言にほとんどの子が納得しているので、丁寧にやってもだれるだけです。テンポを速くすればよいのです。
後の例は、多くの子どもが気づいてない時です。気づいていない子は発言を理解するのにも時間がかかります。一度復唱して発言を理解させ、その意味を十分納得させるためにじっくりと時間をとります。

子どもの状況を把握しないでテンポだけを速くしようとすると、多くの子どもはついていけなくなってしまいます。テンポのいい授業をしている教師は、子どもの反応や事前の机間指導、経験を通じて子どもが今どういう状況か的確に把握しているので、テンポを速くしたり、間をとるという判断を正しくできるのです。テンポのいい授業を支えているのは教師の話す技術ではないのです。
子どもの状況に応じて、速く進めるところは進めて、時間をかけるべきところにじっくり時間をかけるのがテンポのいい授業なのです。

子どもとの人間関係がベース

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。久しぶりの訪問でしたが、若手の授業が本当に進化していました。

特によくなったなと感じる先生に共通していることは、教科の力がついてきたということです。教材研究がしっかりとできていて、発問や進め方に工夫がされていました。しかし、同じ指導案で授業をすれば誰しもうまくいくわけではありません。ちょっとした子どものつぶやきをきちんと拾う。子どもの発言をきちんと受け止め、他の子どもにつないでいく。こういったことがきちんとできているからこそ、教材研究も活きてくるのです。

もう一つ共通して感じたのは、子どもを受容する言葉や表情がとても自然になっていたことです。以前は、受容的な言葉を言わなくちゃ、笑顔をつくらなければ、というぎこちなさがあったのですが、それがまったくと言っていいほど感じられなくなっていました。いつも意識して授業をしているので、すっかり自然になったのでしょう。その結果、子どもたちとの人間関係が非常によくなっていました。教師が子どもをしっかり受け止めれば、子どもたちも真剣に授業に参加してくれます。こういう状態であれば、授業の成否は、発問や展開をどうするかという教材研究にかかってきます。教科の力が自然についてくるようになるのです。

若い先生は、教科力、授業スキル等たくさんのことを一から身につけなければいけません。あれもできない、これもダメだと毎日失敗の連続で苦しむことと思います。まずは子どもとの人間関係をつくることから始めてほしいと思います。これができれば、自然に授業はうまくなっていきます。このことを再確認させていただきました。若い先生の成長を見ることで、とても楽しい時間を過ごすことができました。

学校が信頼を得る

先日、中学校の学校評議員会に参加しました。

学校評価アンケートに関する学校側の説明は、データをもとにその原因や今後の対応を明確にしたわかりやすいものでした。評議員としてもっと詳しい説明を聞きたいと思ったのも、しっかりとアンケートをもとに学校が考えていることがよくわかったからです。
また、次年度の学校目標も、一見すると言葉が多少変わっただけのように見えますが、学校の現状から、次に起こすべき動きと連動した、実によく考えられたものでした。
質問に対しても、学校に問題点があればそれをはっきり認め、どう対応するかをはっきり伝えてくれました。

説明責任とよく言われますが、説明をすればよいのではなく、最終的に学校を信頼していただけるようにすることが目的です。
学校の問題点も包み隠さず伝える。字面だけの説明ではなく、そこに込めた学校の思いも伝える。学校の今をきちんわかってもらいたいという姿勢がなければ、決して信頼は得られません。

参加された方から、学校の授業で新聞を活用する機会があれば提供するという申し出がありました。また、子どもたちの読書活動を活発にするために自分の経験をもとに具体的なアイデアを話してくださる方もいました。
この学校では保護者や地域が教育活動のいろいろな場面で実に協力的です。この学校がきちんと伝えるべきことを伝え、信頼を得ているからこそ、周囲の協力を得られるのだと思います。

学校は保護者や地域の協力なしには運営できないことがたくさんあります。都合のいい時だけ協力を求めるのではなく、普段から信頼を得るための努力をすることが大切なのだと思います。

生徒の授業アンケートから考える

昨日は中学校の現職教育全体会に参加しました。

メインとなったのは、生徒からとった授業アンケートの結果をもとしたグループでの話し合いでした。
アンケート結果で印象的だったのは、「仲間と一緒に活動すると、楽しく学習できる」に肯定的な生徒が80%を超えているのに、「仲間の考えを聞くのが楽しい」が70%程度、「自分の考えを仲間に聞いてもらうことが楽しい」が60%程度と相対的に低いことです。
このことについて話し合われたグループが多かったのですが、その視点が非常に多様であったことを大変面白く思いました。

・子ども同士が本音で話せないといった、「人間関係」の問題
・子どもがうまく話せない、聞く姿勢ができていないといった、「コミュニケーションスキル」の問題
・話し合うテーマ、問題のレベルといった、「教材・課題」の問題
・自分の考えを持てていないので、人の話も聞けない。自分の考えを持たせる時間を与える必要があるといった、「授業技術」の問題

同じ生徒を見ていて、同じデータを見てもこのようにいろいろなとらえ方が出てくるのです。どれが正しい、正しくないということはありません。今の時点でそれを判断する材料もなければ意味もありません。先生方がアンケートという子どもからのメッセージを受けて、その原因や対策を考えたことが大切なのです。
互いの考えを共有化し、自分たちの立てた仮設のもとに授業を改善していく。その結果、子どもたちにどのような変化が起きるかをしっかりと見て、また次の改善を考える。こうして学校全体の授業がレベルアップしていきます。今回のアンケートがこの学校の授業のさらなる進化のきっかけになると思いました。

この震災に教師は教壇で何をすべきか

東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた皆さんに心からお見舞い申し上げます。

直接の被害や大きな被害がなかった学校では今日からいつものように授業が始まります。先生方はどのように子どもたちと接するのでしょうか。もし自分が教壇に立つとすればどのような対応をするのだろうかと考えてしまいます。

子どもたちの中には、日本はどうなってしまうのかと不安に思ったり、自分にできることはないだろうかと真剣に考えている子もいると思います。まずは、今回の地震について先生が思うことを子どもたちに伝えることで、少しでも不安な気持ちを解消できるようにしてほしいと思います。不安をあおるような話ではなく、希望を持てるような話をすることが大切です。多くの人がこの震災に対して自分たちのできることを必死にやっていること、つらい悲しいことがあるがきっと乗り切れるはずだと信じていることを伝えてほしいと思います。
その上で、子どもたちの気持ちをしっかり受け止めてください。子どもたちがいろいろな思いを自分ひとりの中に閉じ込めないよう、できるだけグループや学級全体で共有できるようにしてください。そして、今自分たちにできることを考える機会をつくってください。

被害にあわれた方々には申し訳ないですが、悲惨な状況であるからこそ、子どもたちが学べることがあるはずです。この悲惨な状況を少しでもよい方向に活かすことも教育者にとっては大切なことだと思います。

活動の特性を意識する

例えば教科書を読むといった活動でも、音読、黙読、全員で読む、指名で読む、いくつものバリエーションがあります。漫然と活動を選んでいるように見える授業もあります。どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

大切なのはそれぞれの活動で何が身に付くか、どんな注意が必要か、何ができることが前提か、といった特性を意識することです。
先ほどの教科書を読むことで考えてみましょう。

音読は、漢字の読みや発音、文の区切りを意識して読むことにつながります。滑らかに読めるようになることは文の理解にも通じます。一方どうしても発音することに注意がいくため、内容を深く理解するには向かない面もあります。
黙読は、わかりにくいところは何度も繰り返して読むなど、自分の理解度に合わせて読めるので、内容を深く理解するのには向いていますが、字面を目で追うだけの流し読みになってしまうこともあります。「筆者の気持ちが表れている部分に線を引く」といった、内容を意識して読ませる工夫が必要になります。

また、音読も個人でするのか全体でするのか、全体でも、一斉に読むのか、指名して順番に読むのかでもいろいろと違ってきます。
個人で読むのであれば、うまく読めないところをやり直したりして自分のペースで練習できますが、自分で気づかない間違いを修正することはなかなかできません。読み終わるまでの時間もなかなかそろわないことも問題です。
全体で一斉に読む場合は間違いに気づくこともできますが、どんどん進んでいくのでその場で修正はできません。
指名して順番に読む場合は、指名された子どもはきちんとチェックできますし、またうまく読めなかったところはやり直せます。その他の子どもは、友だちの読みを聞くことで自分の読み方の確認ができます。しかし、受け身になって聞き流してしまうこともあるので、読んでいるところを指で追いかけさせるといった工夫も必要になります。

このようなことを意識すれば、「初めて目にする文章なので全体で読むことから始めよう」「しっかり読めるようになったから、黙読でしっかり内容を理解させよう」といった判断もしっかりできるようになります。

子どもたちにとって適切な活動を選ぶには、個々の活動の特性をしっかり理解し、そのことを意識することが大切になるのです。

子どもの顔を上げる

教師が話をしたり、教科書を音読したりする一斉指導の場面で、子どもの顔が上がっていないことがあります。教師にとって子どもの表情は理解しているのかどうか、きちんと参加しているかどうかを知る大事な情報源です。子どもの顔が上がっていないとその情報を得ることができなくなります。どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

子どもが板書を写していたり、まだ作業をしているのに話し始めてしまうと当然顔が上がらない子どもが出てきます。いったん作業をきちんと終わらせる必要があります。板書しながら話をするのであれば、鉛筆を置かせて話に集中させるようにします。
図を見せたり、身振りをつけるなど視覚的な情報を加えることで、顔を上げる必然性を与えることも大切です。そして、一方的に聞かせる姿勢ではなく、子どもたちの表情や反応に対して、教師もきちんと反応を返す必要があります。

「みんな鉛筆を置こう」
「○○さん。しっかり顔が上がっていていいね」
「みんな顔が上がったね。それでは、前の図を見よう」
「△△君、何か気づいたみたいだね。気づいたことを聞かせてくれるかな」
・・・
「□□さん、首をかしげてくれたけど、疑問に思ったことがあるの。みんなに教えてくれるかな」

このようにすることで、顔を上げて教師とコミュニケーションをとりながら話を聞く様になっていきます。

教科書の音読のように何かを見なければならないときは、どうしても下を向きやすくなります。教科書であればきちんと両手で持って目の前に置くことで顔が上がります。
「○○君、しっかりと読めているね」とほめることもしやすくなります。

何かを見て一斉指導するような場面では、ICT機器の活用がとても有効になります。デジタル教科書を使ってスクリーンに写すことで、顔を上げて音読することが可能になります。資料も手元に置いて見るのではなく、実物投影機を使うことで簡単に顔が上がります。
このとき注意してほしいのは、つい教師も一緒になってスクリーンを見てしまうことです。せっかく子どもたちの顔を上げているのですから、教師が子どもたちを見ようとしなければその効果は半減してしまいます。

大切なのは子どもの顔を上げて、表情を見ようとする意識を持つことです。このことを意識すれば、子どもたちの顔を上げるようにすることはそれほど難しいことではありません。子どもたちの表情や動作から子どもたちとコミュニケーションをとろうという姿勢を持ってほしいと思います。

卒業式に出席

昨日は中学校の卒業式に出席しました。入学時から行事、授業で接してきた生徒たちです。

卒業式の主役は卒業生でした。代表の出発(たびだち)の言葉と全員での合唱は彼らの3年間の仲間への思い、教師への思い、学校への思いにあふれたものでした。
入学時は子どもっぽさが抜けず、本当に中学生なのかと思うような言動も目につく生徒たちでしたが、3年たった今、実に堂々とした姿を見せてくれました。子どもの成長は早いものです。しかし、その陰には先生方の日々の指導がどれほどあったのでしょうか。あるときは厳しく、あるときはやさしく指導されている先生の姿をどれほど見たことでしょう。その指導に応えて立派に成長したことが、合唱での姿に表れていました。

卒業生とともに会場を後にする先生方の姿には、教育者であることの喜びと誇りを感じました。心の底から、「おめでとう」という言葉がわきあがってきました。

誰かが子どもとつながる

昨日は、私立の中高一貫校のお話しを伺ってきました。生徒と教師のコミュニケーションを大切にしている学校です。

面接の充実はもちろんのこと、行事等いろいろな機会をとらえて子どもたちとコンタクトをとるように努めています。いわゆる能力別学級編成をしているので、横のつながりが薄くなりがちなので行事も大切にしています。また、学年で生徒の様子について話し合う機会をたくさん持っています。気になる生徒に関しては、担任にこだわらず、教科担任、養護教諭、部活動の顧問…、誰かがつながっている体制をつくろうとしています。

実は先日授業の様子を外から見せていただいた時に、うまく授業に参加できていない生徒が少し気なったのですが、そういう生徒に対しても、個別にフォローしているので大きな問題になっていなかったようです。学校の中で誰かが受け皿になることは、学校の中に居場所があるということです。このことの大切さを改めて考えさせられました。

送辞・答辞の読み方指導

先週末は、中学校で送辞・答辞の指導に参加しました。プロのアナウンサーにお願いして読み方を具体的に指導していただくのです。

アナウンサーの指導というと、発音や抑揚などの技術的な指導が中心になると思いがちですが、もっと根本的なところから指導されます。
文章全体を通じて一番伝えたいところはどこであるか。何を伝えたいのかを生徒に意識させます。その上でどう読むのかを考えさせます。
生徒たちは事前にしっかり指導されてきたのでしょう。一つひとつの文の読み方も声の調子に変化をつけるなどの工夫がされていました。このまま本番を迎えても恥ずかしくないほどでした。しかし、前半から変化をつけてしっかり思い出を伝えているため、後半の伝えたい気持ちのところで相対的に盛り上がってくれないのです。だからこそ、よりよくするためには、今までの読み方をリセットしてもう一度全体を見る必要があったのです。

生徒たちは、指摘されたことを素晴らしい早さで吸収していきます。読むたびに確実に1ランク上に上がっていきました。指摘の内容も、語尾の発音、どの単語を強調するか、間の取り方など、ピンポイントなものに変わっていきます。何がいけないのか、どうすればよいのか、非常に具体的で説得力のあるものです。さすがにプロと感心させられました。

また、休みの日にもかかわらず、担当の先生だけでなく国語科の先生全員がこの指導に参加されていました。プロの指導から学んで自分たちの日ごろの指導に活かそうとしているのです。先生方の熱心さに頭が下がります。

プロのアナウンサーにうまくなったとほめられた生徒たちは、自信を持って本番に臨んでくれることだと思います。わずかな時間でこれだけうまくなった2人です。残された時間でもっとうまくなっていることでしょう。「できることなら卒業式に参加して聞きたいですね」と話をしながら学校を後にしました。

足場をそろえる

子どもたちに複雑な問題取り組ませると、最初の方でつまずいてしまい、答えの確認が始まるまで動きが止まってしまうことがあります。また、確認が始まっても最初の部分の説明を理解しようとしているうちに先に進んでしまい、ついていけなくなっていることもよくあります。
どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

複雑な問題は答えに到達するためにいくつかのステップがあります。最初の段階でつまずいてしまうと何ともなりません。教師は半数くらいの子どもがゴールにたどり着くまでは自力で解決させようとしますが、その間手がつかない子とそうでない子の差はどんどん広がっていきます。このまま答えを確認しても学級全体に理解させるのは難しい状態になっています。
教師が個別に対応しようとしても、つまずいている子が多ければ対応できません。友だちに相談するにしても、相手がまだ解いている途中であればなかなか声をかけづらいこともあります。

このような時は、いったん個別の活動を止めて最初のステップだけを全体で確認します。答えではなく、どこに目を付けたか、何をやってみたかを発表させるのです。例えば図形の問題ではどこに線を引いたか、資料を使う問題であれば資料のどこに目を付けたかを聞くのです。こうすることで学級全体を一つ次のステップに到達させることができます。子どもたちの足場がそろい、開いていた差も縮まります。
ここで再び個別に取り組ませます。場合によっては、何度かこれを繰り返します。
このようにすれば、たとえゴールに到達できなかったとしても、全体の確認の場面ではクリアすべきステップは減っていますので、より理解しやすくなります。

複雑な問題は、一気にゴールに到達しようとせず、一つひとつのステップを学級全体でクリアして、子どもたちの足場をそろえながら進めることで、より多くの子どもが積極的に取り組み、理解できるようになります。

若い先生のやる気に元気をもらう

先日の中学校訪問時(授業アンケートが生きる参照)に、とてもうれしことがありました。生徒指導を担当している2人の先生から相談されたのです。

その内容は、次のようなものでした。

子どもたちは授業がわからなくなると学校から離れていく。そのことが問題行動につながっていく。中学校に入学する時点で子どもたちの学力にはかなり差がついている。なんとか下位の生徒が中学校の授業についていけるような工夫をしたい。理科の授業でも簡単な計算ができないためにつまずく子がいる。そこで、数学と理科を連続授業としたり同時展開したりすることで、習熟度別等の学級編成を可能にし、下位生徒が授業についていけるような方策をとりたいと思うがどうだろうか。

たまたま、2人が数学と理科の担当でもあったことがこのようなアイデアにつながったようです。
学習指導と生徒指導の関係を意識して、教科の枠を超えて子どもたちに対してできることを考えようという姿勢はとても素晴らしいものです。
彼らの想い、考えを聞き、私もできる限りのアドバイスをしました。特に、彼らが何とかしたい下位生徒に対してどのような授業、どのような取り組みが効果的であるかの具体的な仮説を持つことが大切であることを強調しました。これが明確になれば、今の枠組みの中でも改善できることがたくさん見つかりますし、また、必要な対策がよりはっきりするはずです。
実際にカリキュラム的に実現可能かどうかはわかりませんが、何とか実現できるよう願っています。

まだ若い2人の先生から、このような相談を受け、私も大きな刺激と元気をもらいました。
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