ワークシートは親切な方がいい?

ワークシートを活用している授業によく出会います。手元にワークシートがあると何をすべきかわかりやすので、子どもたちの作業はスムーズに進みます。子どもたちの状況に応じて適切につくられたワークシートは授業を効率よく進めるのに効果的です。しかし、時として首をひねりたくなるようなものもあります。ワークシートはどのようなことに注意をしたらよいのでしょうか。

国語のワークシートの例です。

作者の気持ちが表れている部分を抜き出そう。
私は      と思った。

気持ちや考えは、「思った」という部分に注目するとよい。このことを意識させることを意図してつくられています。しかし、ここまで親切にすると、文章から「思った」が文末にあるものを探し、そのまま写す者も出てきてしまいます。これでは、ワークシートを埋めることはできますが、国語の力はつきません。少なくとも、「思った」という言葉がキーワードになることを意識させて、このようなヒントがなくても見つけられるように指導する必要があります。

社会のワークシートの例です。


○○条約は    年に    で、            の3国が、         をすることを目的に、             をすることを取り決めたもの。


○○条約について整理しよう。
調印した年
場所
締結した国
目的
取り決め(3つ)


○○条約について整理しよう。

この3つの例はどれが正解というわけではありません。子どもが自分で調べたり整理する力がなければ、教科書をほぼそのまま写せばできるAのワークシートでなければ手がつかないかもしれません。教科書に下線を引くのと変わらないが、せめて自分の手で写すことで少しでも覚えさせようという意図があるのかもしれません。
ここで意識してほしいのは、子どもは進歩していくことです。最初はAのようなものでなければ手がつかなかった子も、力をつければBのようなものでもきちんとできるようになります。ワークシートを通じて何度も作業をするうちに、どのような情報が大切なのかわかってくれば、Cのような指示だけでも何をすればよいかわかるのです。

4月のワークシートと3月のワークシートのレベルが同じということは、子どもたちの力が育っていないということです。最初はだれでも手がつくような親切なワークシートから始まっても、最後はワークシートに頼らず自分でできるようになっていることを目指してほしいのです。調べ方、整理の仕方、考え方といったメタな力をつけることを意識してワークシートを活用してほしいと思います。

「わかりません」を許さない

指名した子どもが「わかりません」と答えたとき、すぐ次の子を指名するのがよいのか、ヒントを出して何とか答えさせするのか迷うときがあります。「わかりません」と答えてすぐ次の子が指名されると、解放されてホッとしてしまい、そのまま集中力をなくす子もいます。また、ヒントを出してもなかなか答えてくれなくて、無駄に時間が過ぎることもあります。「わかりません」と子どもが発言したときはどのようにすればよいのでしょうか。

「前の時間学習した、○○はどういうものでしたか。△△さん、教えてください」
「わかりません」
「あっ、ノート見ている子がいるね」
ノートを見始める。
「△△さん、見つかった」
「はい、□□です」

質問内容が既修事項であれば、ノートか教科書に必ず書かれているはずですから、子どもにそれを調べさせれば答えが見つかります。教室の中に調べ始めている子がいればそのことを指摘することで、多くの子どもが動きます。そこで、本人が調べるのを待って答えさせればいいのです。それでも本人が見つけられなければ、「まわりの子助けてあげて」「どこに書いてあるかだれか教えて」と友だちに助けてもらうようにします。

「○○はどういうことですか。△△さん」
「わかりません」
「どこがわからないの」
「・・・」
「いいよ、また後で聞くからね。□□さん」
・・・
「△△さん。○○ってどういうことかな」
「××です」
「ちゃんとわかったね。えらいね」

ヒントを出してもすぐに対応できないときは、その子にかかわりすぎてもかえって追い詰められたような気持ちにさせてしまいます。再度聞くことを伝えて、次の子を指名するようにします。もう一度指名されることがわかっているので、友だちの発言をしっかり聞きます。たとえ友だちの発言をそのまま言うことになっても、自分で発言してほめられることで、達成感も味わえます。今わからなくても、友だちの発言を聞いて理解しようとする姿勢が生まれてきます。

大切なのは、「わかりません」と言えば許されると子どもたちに思わせないことです。「わかりません」を許していると、自信のない子は間違えるくらいなら「わかりません」と答えるようになっていきます。学級全体が消極的になっていきます。指名されたら、たとえわからなくても最後はきちんと答えて、ほめられて席に着く。これがあたりまえになっていくにしたがって、「わかりません」という言葉も学級から減っていき、子どもたちが積極的に授業に参加する様になっていきます。

子どもの言葉から課題を見つける

子どもの疑問から課題を見つける、子どもの言葉から授業をつくるということがよく言われます。とはいえ、あまりに子どもの発言が拡散しても扱いが大変ですし、授業のねらいに迫るような言葉が子どもから出てこなければ、これも困ってしまいます。どのように考えればよいのでしょうか。

子どもの考えを広げるような問いかけと絞っていく問いかけや活動をうまく組み合わせる必要があります。

「この詩を読んで、気づいたこと、わからないところ疑問に思ったところを箇条書きにしてください」
・・・
「それでは、グループで聞き合って、わからないことや疑問を相談しよう」
・・・
「どんなことを話したか聞かせてくれるかな」
「カタカナで書いてある」
「ボクがだれかわからない」
・・・

このような間口の広い問いかけであれば、子どもは何らかの意見や考えを持つことができますが、そのまま発表すると拡散してしまいます。机間指導で使える考えをピックアップしておいて指名することで、拡散を防ぐという方法もあります。しかし、多くの子どもは自分の考えを持てているので発表したくなります。この気持ちを無視すると、せっかくのやる気がなくなってしまいます。そこで、グループを活用します。自分の考えを聞いてもらう機会を与え、話し合うことで簡単な疑問を解決させておきます。全体での発表は整理されたものになっているので、効率的に課題を焦点化することができます。

このような時間がない時は、最初の問いかけを「この詩を読んで、どの言葉が印象に残った」「何を言っているかよくわからない部分に線を引いて」と、もう少し具体的にすることで、より早く教師のねらいに迫る言葉を引き出すことができます。

子どもにできるだけ自分の考えを持たせること、持った考えを受け止める場をつくることと、それに対して教師のねらいに迫る言葉をどう引き出すかのバランスが大切になります。こうすればうまくいくというものではなく、子どもの実態に応じてどのような問いかけや活動をするのか、どう働きかけるのかを常に考えながら授業を進めることが求められるのです。

いきなり、「○○ついて考えなさい」「△△をしましょう」と教師が迫るより、自分たちの疑問や自分たちで見つけた課題について取り組むほうが子どもたちの意欲も高まります。子どもの疑問や発言を活かす授業を目指してほしいと思います。

テンポのいい授業とは

テンポがいい、間がいい授業ということがよく言われます。ところがテンポのいい授業を目指して、次々に指名しても子どもが反応できない、かえって混乱してしまう。そこでゆっくりと間をとると今度はだれてしまう。こんなことがよくあります。テンポがいい授業について考えてみたいと思います。

テンポがいい授業というと、教師の話す技術、話すテンポに目がいきがちです。ここに目を奪われてはいけません。ベースになるのは子どもの状況を把握する力です。次の2つの例を見てください。

「どうやって考えたか教えてくれる」
「点Aと点Cを結びました」
「なるほど、○○さんは?」
「私も、点Aと点Cを結びました」
「いっしょだね。△△さんは?」
「私も2人と一緒で、点Aと点Cを結んで考えました」

と受容の言葉も簡単にして次々と指名していく。

「どうやって考えたか教えてくれる」
「点Aと点Cを結びました」
「なるほど、点Aと点Cを結んだんだ。同じように考えた人いる」
「何人かいるね。それってどういうことか説明してくれるかな。○○さん」
「点Aと点Cを結ぶと三角形ができて・・・」
「なるほど、今の○○さんの説明どう。納得した」

とじっくり受け止めて説明させる。

どちらかが正解ではありません。子どもの状況によって対応が変わるのです。
前の例はほとんどの子どもが気づいていて、確認をすればよい状態の時です。最初の発言にほとんどの子が納得しているので、丁寧にやってもだれるだけです。テンポを速くすればよいのです。
後の例は、多くの子どもが気づいてない時です。気づいていない子は発言を理解するのにも時間がかかります。一度復唱して発言を理解させ、その意味を十分納得させるためにじっくりと時間をとります。

子どもの状況を把握しないでテンポだけを速くしようとすると、多くの子どもはついていけなくなってしまいます。テンポのいい授業をしている教師は、子どもの反応や事前の机間指導、経験を通じて子どもが今どういう状況か的確に把握しているので、テンポを速くしたり、間をとるという判断を正しくできるのです。テンポのいい授業を支えているのは教師の話す技術ではないのです。
子どもの状況に応じて、速く進めるところは進めて、時間をかけるべきところにじっくり時間をかけるのがテンポのいい授業なのです。

子どもとの人間関係がベース

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。久しぶりの訪問でしたが、若手の授業が本当に進化していました。

特によくなったなと感じる先生に共通していることは、教科の力がついてきたということです。教材研究がしっかりとできていて、発問や進め方に工夫がされていました。しかし、同じ指導案で授業をすれば誰しもうまくいくわけではありません。ちょっとした子どものつぶやきをきちんと拾う。子どもの発言をきちんと受け止め、他の子どもにつないでいく。こういったことがきちんとできているからこそ、教材研究も活きてくるのです。

もう一つ共通して感じたのは、子どもを受容する言葉や表情がとても自然になっていたことです。以前は、受容的な言葉を言わなくちゃ、笑顔をつくらなければ、というぎこちなさがあったのですが、それがまったくと言っていいほど感じられなくなっていました。いつも意識して授業をしているので、すっかり自然になったのでしょう。その結果、子どもたちとの人間関係が非常によくなっていました。教師が子どもをしっかり受け止めれば、子どもたちも真剣に授業に参加してくれます。こういう状態であれば、授業の成否は、発問や展開をどうするかという教材研究にかかってきます。教科の力が自然についてくるようになるのです。

若い先生は、教科力、授業スキル等たくさんのことを一から身につけなければいけません。あれもできない、これもダメだと毎日失敗の連続で苦しむことと思います。まずは子どもとの人間関係をつくることから始めてほしいと思います。これができれば、自然に授業はうまくなっていきます。このことを再確認させていただきました。若い先生の成長を見ることで、とても楽しい時間を過ごすことができました。

学校が信頼を得る

先日、中学校の学校評議員会に参加しました。

学校評価アンケートに関する学校側の説明は、データをもとにその原因や今後の対応を明確にしたわかりやすいものでした。評議員としてもっと詳しい説明を聞きたいと思ったのも、しっかりとアンケートをもとに学校が考えていることがよくわかったからです。
また、次年度の学校目標も、一見すると言葉が多少変わっただけのように見えますが、学校の現状から、次に起こすべき動きと連動した、実によく考えられたものでした。
質問に対しても、学校に問題点があればそれをはっきり認め、どう対応するかをはっきり伝えてくれました。

説明責任とよく言われますが、説明をすればよいのではなく、最終的に学校を信頼していただけるようにすることが目的です。
学校の問題点も包み隠さず伝える。字面だけの説明ではなく、そこに込めた学校の思いも伝える。学校の今をきちんわかってもらいたいという姿勢がなければ、決して信頼は得られません。

参加された方から、学校の授業で新聞を活用する機会があれば提供するという申し出がありました。また、子どもたちの読書活動を活発にするために自分の経験をもとに具体的なアイデアを話してくださる方もいました。
この学校では保護者や地域が教育活動のいろいろな場面で実に協力的です。この学校がきちんと伝えるべきことを伝え、信頼を得ているからこそ、周囲の協力を得られるのだと思います。

学校は保護者や地域の協力なしには運営できないことがたくさんあります。都合のいい時だけ協力を求めるのではなく、普段から信頼を得るための努力をすることが大切なのだと思います。

生徒の授業アンケートから考える

昨日は中学校の現職教育全体会に参加しました。

メインとなったのは、生徒からとった授業アンケートの結果をもとしたグループでの話し合いでした。
アンケート結果で印象的だったのは、「仲間と一緒に活動すると、楽しく学習できる」に肯定的な生徒が80%を超えているのに、「仲間の考えを聞くのが楽しい」が70%程度、「自分の考えを仲間に聞いてもらうことが楽しい」が60%程度と相対的に低いことです。
このことについて話し合われたグループが多かったのですが、その視点が非常に多様であったことを大変面白く思いました。

・子ども同士が本音で話せないといった、「人間関係」の問題
・子どもがうまく話せない、聞く姿勢ができていないといった、「コミュニケーションスキル」の問題
・話し合うテーマ、問題のレベルといった、「教材・課題」の問題
・自分の考えを持てていないので、人の話も聞けない。自分の考えを持たせる時間を与える必要があるといった、「授業技術」の問題

同じ生徒を見ていて、同じデータを見てもこのようにいろいろなとらえ方が出てくるのです。どれが正しい、正しくないということはありません。今の時点でそれを判断する材料もなければ意味もありません。先生方がアンケートという子どもからのメッセージを受けて、その原因や対策を考えたことが大切なのです。
互いの考えを共有化し、自分たちの立てた仮設のもとに授業を改善していく。その結果、子どもたちにどのような変化が起きるかをしっかりと見て、また次の改善を考える。こうして学校全体の授業がレベルアップしていきます。今回のアンケートがこの学校の授業のさらなる進化のきっかけになると思いました。

この震災に教師は教壇で何をすべきか

東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた皆さんに心からお見舞い申し上げます。

直接の被害や大きな被害がなかった学校では今日からいつものように授業が始まります。先生方はどのように子どもたちと接するのでしょうか。もし自分が教壇に立つとすればどのような対応をするのだろうかと考えてしまいます。

子どもたちの中には、日本はどうなってしまうのかと不安に思ったり、自分にできることはないだろうかと真剣に考えている子もいると思います。まずは、今回の地震について先生が思うことを子どもたちに伝えることで、少しでも不安な気持ちを解消できるようにしてほしいと思います。不安をあおるような話ではなく、希望を持てるような話をすることが大切です。多くの人がこの震災に対して自分たちのできることを必死にやっていること、つらい悲しいことがあるがきっと乗り切れるはずだと信じていることを伝えてほしいと思います。
その上で、子どもたちの気持ちをしっかり受け止めてください。子どもたちがいろいろな思いを自分ひとりの中に閉じ込めないよう、できるだけグループや学級全体で共有できるようにしてください。そして、今自分たちにできることを考える機会をつくってください。

被害にあわれた方々には申し訳ないですが、悲惨な状況であるからこそ、子どもたちが学べることがあるはずです。この悲惨な状況を少しでもよい方向に活かすことも教育者にとっては大切なことだと思います。

活動の特性を意識する

例えば教科書を読むといった活動でも、音読、黙読、全員で読む、指名で読む、いくつものバリエーションがあります。漫然と活動を選んでいるように見える授業もあります。どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

大切なのはそれぞれの活動で何が身に付くか、どんな注意が必要か、何ができることが前提か、といった特性を意識することです。
先ほどの教科書を読むことで考えてみましょう。

音読は、漢字の読みや発音、文の区切りを意識して読むことにつながります。滑らかに読めるようになることは文の理解にも通じます。一方どうしても発音することに注意がいくため、内容を深く理解するには向かない面もあります。
黙読は、わかりにくいところは何度も繰り返して読むなど、自分の理解度に合わせて読めるので、内容を深く理解するのには向いていますが、字面を目で追うだけの流し読みになってしまうこともあります。「筆者の気持ちが表れている部分に線を引く」といった、内容を意識して読ませる工夫が必要になります。

また、音読も個人でするのか全体でするのか、全体でも、一斉に読むのか、指名して順番に読むのかでもいろいろと違ってきます。
個人で読むのであれば、うまく読めないところをやり直したりして自分のペースで練習できますが、自分で気づかない間違いを修正することはなかなかできません。読み終わるまでの時間もなかなかそろわないことも問題です。
全体で一斉に読む場合は間違いに気づくこともできますが、どんどん進んでいくのでその場で修正はできません。
指名して順番に読む場合は、指名された子どもはきちんとチェックできますし、またうまく読めなかったところはやり直せます。その他の子どもは、友だちの読みを聞くことで自分の読み方の確認ができます。しかし、受け身になって聞き流してしまうこともあるので、読んでいるところを指で追いかけさせるといった工夫も必要になります。

このようなことを意識すれば、「初めて目にする文章なので全体で読むことから始めよう」「しっかり読めるようになったから、黙読でしっかり内容を理解させよう」といった判断もしっかりできるようになります。

子どもたちにとって適切な活動を選ぶには、個々の活動の特性をしっかり理解し、そのことを意識することが大切になるのです。

子どもの顔を上げる

教師が話をしたり、教科書を音読したりする一斉指導の場面で、子どもの顔が上がっていないことがあります。教師にとって子どもの表情は理解しているのかどうか、きちんと参加しているかどうかを知る大事な情報源です。子どもの顔が上がっていないとその情報を得ることができなくなります。どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

子どもが板書を写していたり、まだ作業をしているのに話し始めてしまうと当然顔が上がらない子どもが出てきます。いったん作業をきちんと終わらせる必要があります。板書しながら話をするのであれば、鉛筆を置かせて話に集中させるようにします。
図を見せたり、身振りをつけるなど視覚的な情報を加えることで、顔を上げる必然性を与えることも大切です。そして、一方的に聞かせる姿勢ではなく、子どもたちの表情や反応に対して、教師もきちんと反応を返す必要があります。

「みんな鉛筆を置こう」
「○○さん。しっかり顔が上がっていていいね」
「みんな顔が上がったね。それでは、前の図を見よう」
「△△君、何か気づいたみたいだね。気づいたことを聞かせてくれるかな」
・・・
「□□さん、首をかしげてくれたけど、疑問に思ったことがあるの。みんなに教えてくれるかな」

このようにすることで、顔を上げて教師とコミュニケーションをとりながら話を聞く様になっていきます。

教科書の音読のように何かを見なければならないときは、どうしても下を向きやすくなります。教科書であればきちんと両手で持って目の前に置くことで顔が上がります。
「○○君、しっかりと読めているね」とほめることもしやすくなります。

何かを見て一斉指導するような場面では、ICT機器の活用がとても有効になります。デジタル教科書を使ってスクリーンに写すことで、顔を上げて音読することが可能になります。資料も手元に置いて見るのではなく、実物投影機を使うことで簡単に顔が上がります。
このとき注意してほしいのは、つい教師も一緒になってスクリーンを見てしまうことです。せっかく子どもたちの顔を上げているのですから、教師が子どもたちを見ようとしなければその効果は半減してしまいます。

大切なのは子どもの顔を上げて、表情を見ようとする意識を持つことです。このことを意識すれば、子どもたちの顔を上げるようにすることはそれほど難しいことではありません。子どもたちの表情や動作から子どもたちとコミュニケーションをとろうという姿勢を持ってほしいと思います。

卒業式に出席

昨日は中学校の卒業式に出席しました。入学時から行事、授業で接してきた生徒たちです。

卒業式の主役は卒業生でした。代表の出発(たびだち)の言葉と全員での合唱は彼らの3年間の仲間への思い、教師への思い、学校への思いにあふれたものでした。
入学時は子どもっぽさが抜けず、本当に中学生なのかと思うような言動も目につく生徒たちでしたが、3年たった今、実に堂々とした姿を見せてくれました。子どもの成長は早いものです。しかし、その陰には先生方の日々の指導がどれほどあったのでしょうか。あるときは厳しく、あるときはやさしく指導されている先生の姿をどれほど見たことでしょう。その指導に応えて立派に成長したことが、合唱での姿に表れていました。

卒業生とともに会場を後にする先生方の姿には、教育者であることの喜びと誇りを感じました。心の底から、「おめでとう」という言葉がわきあがってきました。

誰かが子どもとつながる

昨日は、私立の中高一貫校のお話しを伺ってきました。生徒と教師のコミュニケーションを大切にしている学校です。

面接の充実はもちろんのこと、行事等いろいろな機会をとらえて子どもたちとコンタクトをとるように努めています。いわゆる能力別学級編成をしているので、横のつながりが薄くなりがちなので行事も大切にしています。また、学年で生徒の様子について話し合う機会をたくさん持っています。気になる生徒に関しては、担任にこだわらず、教科担任、養護教諭、部活動の顧問…、誰かがつながっている体制をつくろうとしています。

実は先日授業の様子を外から見せていただいた時に、うまく授業に参加できていない生徒が少し気なったのですが、そういう生徒に対しても、個別にフォローしているので大きな問題になっていなかったようです。学校の中で誰かが受け皿になることは、学校の中に居場所があるということです。このことの大切さを改めて考えさせられました。

送辞・答辞の読み方指導

先週末は、中学校で送辞・答辞の指導に参加しました。プロのアナウンサーにお願いして読み方を具体的に指導していただくのです。

アナウンサーの指導というと、発音や抑揚などの技術的な指導が中心になると思いがちですが、もっと根本的なところから指導されます。
文章全体を通じて一番伝えたいところはどこであるか。何を伝えたいのかを生徒に意識させます。その上でどう読むのかを考えさせます。
生徒たちは事前にしっかり指導されてきたのでしょう。一つひとつの文の読み方も声の調子に変化をつけるなどの工夫がされていました。このまま本番を迎えても恥ずかしくないほどでした。しかし、前半から変化をつけてしっかり思い出を伝えているため、後半の伝えたい気持ちのところで相対的に盛り上がってくれないのです。だからこそ、よりよくするためには、今までの読み方をリセットしてもう一度全体を見る必要があったのです。

生徒たちは、指摘されたことを素晴らしい早さで吸収していきます。読むたびに確実に1ランク上に上がっていきました。指摘の内容も、語尾の発音、どの単語を強調するか、間の取り方など、ピンポイントなものに変わっていきます。何がいけないのか、どうすればよいのか、非常に具体的で説得力のあるものです。さすがにプロと感心させられました。

また、休みの日にもかかわらず、担当の先生だけでなく国語科の先生全員がこの指導に参加されていました。プロの指導から学んで自分たちの日ごろの指導に活かそうとしているのです。先生方の熱心さに頭が下がります。

プロのアナウンサーにうまくなったとほめられた生徒たちは、自信を持って本番に臨んでくれることだと思います。わずかな時間でこれだけうまくなった2人です。残された時間でもっとうまくなっていることでしょう。「できることなら卒業式に参加して聞きたいですね」と話をしながら学校を後にしました。

足場をそろえる

子どもたちに複雑な問題取り組ませると、最初の方でつまずいてしまい、答えの確認が始まるまで動きが止まってしまうことがあります。また、確認が始まっても最初の部分の説明を理解しようとしているうちに先に進んでしまい、ついていけなくなっていることもよくあります。
どのようなことに注意をすればよいのでしょうか。

複雑な問題は答えに到達するためにいくつかのステップがあります。最初の段階でつまずいてしまうと何ともなりません。教師は半数くらいの子どもがゴールにたどり着くまでは自力で解決させようとしますが、その間手がつかない子とそうでない子の差はどんどん広がっていきます。このまま答えを確認しても学級全体に理解させるのは難しい状態になっています。
教師が個別に対応しようとしても、つまずいている子が多ければ対応できません。友だちに相談するにしても、相手がまだ解いている途中であればなかなか声をかけづらいこともあります。

このような時は、いったん個別の活動を止めて最初のステップだけを全体で確認します。答えではなく、どこに目を付けたか、何をやってみたかを発表させるのです。例えば図形の問題ではどこに線を引いたか、資料を使う問題であれば資料のどこに目を付けたかを聞くのです。こうすることで学級全体を一つ次のステップに到達させることができます。子どもたちの足場がそろい、開いていた差も縮まります。
ここで再び個別に取り組ませます。場合によっては、何度かこれを繰り返します。
このようにすれば、たとえゴールに到達できなかったとしても、全体の確認の場面ではクリアすべきステップは減っていますので、より理解しやすくなります。

複雑な問題は、一気にゴールに到達しようとせず、一つひとつのステップを学級全体でクリアして、子どもたちの足場をそろえながら進めることで、より多くの子どもが積極的に取り組み、理解できるようになります。

若い先生のやる気に元気をもらう

先日の中学校訪問時(授業アンケートが生きる参照)に、とてもうれしことがありました。生徒指導を担当している2人の先生から相談されたのです。

その内容は、次のようなものでした。

子どもたちは授業がわからなくなると学校から離れていく。そのことが問題行動につながっていく。中学校に入学する時点で子どもたちの学力にはかなり差がついている。なんとか下位の生徒が中学校の授業についていけるような工夫をしたい。理科の授業でも簡単な計算ができないためにつまずく子がいる。そこで、数学と理科を連続授業としたり同時展開したりすることで、習熟度別等の学級編成を可能にし、下位生徒が授業についていけるような方策をとりたいと思うがどうだろうか。

たまたま、2人が数学と理科の担当でもあったことがこのようなアイデアにつながったようです。
学習指導と生徒指導の関係を意識して、教科の枠を超えて子どもたちに対してできることを考えようという姿勢はとても素晴らしいものです。
彼らの想い、考えを聞き、私もできる限りのアドバイスをしました。特に、彼らが何とかしたい下位生徒に対してどのような授業、どのような取り組みが効果的であるかの具体的な仮説を持つことが大切であることを強調しました。これが明確になれば、今の枠組みの中でも改善できることがたくさん見つかりますし、また、必要な対策がよりはっきりするはずです。
実際にカリキュラム的に実現可能かどうかはわかりませんが、何とか実現できるよう願っています。

まだ若い2人の先生から、このような相談を受け、私も大きな刺激と元気をもらいました。

授業アンケートが生きる

昨日は、終日中学校で授業アドバイスをおこないました。2年生の2つの学級を中心に見ましたが、授業者に影響されない学級の特徴がよくわかりました。

作業や課題に対する指示に対してあまり積極的に取り組まず、答えなどの結果が示されると、それはノートに写す学級。
作業や課題に対しては取り組むのだが、教師や友だちとはあまり積極的にかかわろうとしない学級。

作業や課題に取り組む度合いの差はありますが、基本的に教師と子どものコミュニケーションがうまくいっていないことが問題です。子どもは試験で点をとるために必要な知識、結果のみを求めていて、その過程、教師や友だちとのかかわり合いを求めていないようです。
この日見た授業に共通していたことは、先生が子どもたちをポジティブに評価している場面がほとんどなかったことです。

こんな場面がありました。
ある生徒に友だちの発言を確認したところ、声が小さいから聞こえないと答えたので、発表者に再度みんなに向かって大きな声で発表するように指示しました。
指示された生徒は、嫌がっていましたが、何とか再度発表してくれました。
ところが、それでもよく聞こえないと言うので、その生徒にはちゃんと聞くように注意をした上で、もう一度、もっと大きな声で、みんなの方を向いて発表するように指示しました。
今回はかなり抵抗しましたが、なんとか発表してくれて、確認もできました。

このやり取りの間、確認された生徒も、発表した生徒も注意されるばかりで、発言の内容や聞いていたことを評価されていません。このようなことが続くと、子どもたちは発表することを嫌がりますし、友だちとの関係も悪くなってしまいます。コミュニケーションがとれなくなってしまいます。
子どもが何らかの外化をおこなったときに、きちんと評価することはとても大切なことです。このことを先生方に意識してもらうことが改善への第一歩です。

授業後このことをアドバイスしましが、「先日おこなった授業アンケートで、『先生はよくほめてくれたり、励ましてくれたりする』の評価が低かったのですが、そのことがよくわかりました」と、驚くほど素直に納得していただけました。ほかにも授業アンケートの結果を受け止めて、子どもたちの接し方をどうしようかと考えている先生がいらっしゃいました。
それまであまり意識していなかったことが、授業評価をきっかけに意識され始めていたのです。授業アンケートに項目として入れることが意識してもらうことにつながるのです。また、このアンケートを受けて先生の授業に変化が見られれば、子どもたちも先生方を信頼してくれるようになります。授業アンケートにはこのような利点もあるのです。

先生方が、子どもたちからの評価を素直に受け止めていただいていることをとてもうれしく思いました。この授業アンケートをきっかけに先生方の授業が進化し、先生と子どもたちの関係も改善していくと確信しました。

考えるための足場をつくる

子どもたちが考える授業をしたいと誰もが思っていることでしょう。しかし、問題を提示して、「考えてごらん」と言えば考えられるわけではありません。子どもが考える授業にはどのようなことが必要なのでしょうか。

大切なことは、考えるためには知識が必要だということです。授業中に考えさせたい問題に対して、どのような知識が必要かまず教師がしっかりと押さえておく必要があります。その上で、子どもたちがその知識を使える状態にあるのかどうかを確認しなければなりません。
既修事項であっても全員が身についているわけではありません。授業の最初に復習したり、整理をすることから始めなければなりません。考えることに時間を使いたいのですから、この時間はできるだけコンパクトにしたいものです。そのために必要な知識を絞り込んでおくことが大切です。
必要な知識が未習であれば、どのようにして身につけさせるかを明確にしておく必要があります。原則、知識は教えるか、調べさせるかのどちらかです。授業の組み立てで、どの程度の時間を割けるかによって判断する必要があります。

教師は、どうすればこの問いに答えられるのか、考えることができるのかを意識していないことがよくあります。考えるにあたって、無意識のうちにいろいろな知識を活用していますが、そのことを意識下から掘り起こす必要があります。そして、この考えるための足場となる知識を子どもたちが利用できるようにすることが大切になります。この足場をつくるという発想を持つようにしてほしいと思います。

個人作業にこだわりすぎない

自分の考えを持たせようとグループでの活動の前に一人で考える時間をとったり、一人で問題を解かせるようにすることがよくあります。すぐに人に聞いたり、答えを写しては力がつかないと考えるからです。しかし、行き詰って何も考えずにじっとしていたり、手遊びを始めている姿を目にすることもよくあります。個人での作業はどのように考えればよいのでしょうか。

大切なことは、グループでも個人でも子どもたちがきちんと活動することです。たとえ手が止まっていても、思考していれば立派な活動です。しかし、何も考えず時間をつぶしているようでは困ります。それくらいなら友だちに答えを教えてもらった方がよほどプラスになります。
「どうしてもわからなかったら相談したり聞いてもいいよ」と自分の判断で相談できるように指示しておくとよいでしょう。注意してほしいのは、たずねられていないのに勝手に教えないように強く言っておくことです。自分で考えているのに横から教えられるとやる気をなくしてしまうからです。
また、一人では手がつかないような子は、なかなか自分からは相談できないものです。教師が子どもの様子に注意して、動きが止まっているようであれば、相談したり聞くように促す必要があります。

さて、私たちは答えを写しては力がつかないと考えますが、子どもは自分で答えを出せなかったことを悔しく思い、何故そうなるかを考えようとするものです。友だちにたずねたり、その答えになる理由をなんとか自分で考えようとします。また、確認の場面では、必ず理由や過程を発表させるようしましょう。こうすることが、答えを写すだけでなく理由も考えようとする子どもたちの姿勢を育てます。

個人作業は大切な時間ですが、一人でやることにこだわりすぎて子どもの活動が止まってしまわないように注意してほしいと思います。

採用2年目の先生の授業を見る

昨日は中学校で、採用2年目の先生3人の授業アドバイスを行いました。

3人とも新任から見ている先生ですが、当時を思うと驚くほど進歩していました。どの授業も、若い人にありがちなテンションが高くなるような場面も全くなく、子どもたちの活動を大切にしている、参観して心地よいものでした。
彼らに共通していると感じたのは、素直であるということです。私からの直接のアドバイスだけでなく、研修主任が発信している学校で取り組もうとしていることなど、実に誠実に取り組もうとしていました。
午前にアドバイスした先生は、指摘されたことを午後の授業ですぐに改善していました。この素直さが伸びる条件だとあらためて思いました。

また、共通していたのは自分の授業の課題が意識できていたことです。

・どの子もきちんと授業に参加しているが、どうしても発表等はできる子ばかりが活躍してしまう。
・体育で子どもたちの活動場面をたくさん作ろうとしているが、道具の制約で活動できない待ち時間が多くなり、だれてしまう。
・子どもたちで解答の確認をしたり、意見交換をしたりする場面をつくっているが、答えだけを見せ合って終わってしまう。

こういう課題が意識できることが伸びるためには大切な要素です。それぞれの課題について次のようなアドバイスをしました。

1番目の課題については、「正解」と言わない授業をしているので、できる子が正解を言ったあとで、手が挙がっていなかった子に答えを言わせる。表現を動作化するといった、質問に対する解答以外で子どもたち活躍できる場面を用意する。

2番目の課題については、道具を使わない練習を組み合わせることを話しました。待つ間にできることをする。1グループを半分の数にして、道具を使う活動と使わない活動に振り分け、時間で交代する。こんな発想を持つとよい事を伝えました。

3番目の課題については、子どもたちが考えや意見を交換するやり方を知らないことが問題でした。先生の板書や説明が式や結果に偏っていて、どこで気づいた、なぜこの公式を使おうと思ったといたことを子どもたちに問いかけていなかったことが原因です。まず子どもたちの意見交換のモデルを全体の場で見せるようにすることを話しました。

しかし、このようなアドバイスを受ける機会が、この先いつもあるわけではありません。自分で本読んで考えたり、同僚の先生に相談するというアクションも必要です。授業について学ぶ方法を自分の中に確立することが次の課題になっていくのでしょう。
若い先生の成長の場に立ち会えていることは、大変楽しいものです。このような機会を得ていることをありがたく思いました。

ほとんどの子が挙手するとき

ほとんどの子は挙手しているが、数人の子が手を挙げていない。そんな場面によく出会います。「わかった人」と確認したときであれば、多くの教師が次に進んでいきます。復習の場面であれば、指名します。このような進め方でよいのでしょうか。少し考えてみたいと思います。

ほとんどの子どもが手を挙げているときは、本当にわかっている場合と周りにつられて手を挙げている場合があります。そのような場合、指名するにしてもちょっと不安な子にするべきでしょう。
わかったかどうかの確認の時も、念のために指名することは大切になります。
しかし、それよりも挙手していない子たちはどのような状態なのか考える必要があります。ほとんどの子が挙手しているのですから、わかっているけど、授業に参加する気がない、かかわりたくないという状態なのでしょうか。それとも本当にわからない、自信がない状態なのでしょうか。

このような時はちょっと時間がもったいないような気がしますが、隣同士や周りの子と確認させるとよいでしょう。挙手をしている子どもはわかっているのでしゃべりたいという気持ちがあります。指名では数人しか発表できないので、挙手した子どもたちにとっても意味のある活動です。
このとき、挙手しなかった子どもの様子をよく観察してください。友だちの説明を聞いて納得できているようであれば大丈夫でしょう。周りとかかわれていないようであれば、全くわかっていないのか、授業に参加する気持ちがないということです。この場合、その場ですぐに対処できることは少ないので、機会をつくって、わかっているかどうか確認したり、声掛けをしたりしてフォローする必要があると思います。

ほとんどの子の手が挙がっているからよいと思うのか、だからこそ手の挙がらない子に注意を向けるのかが、授業の分かれ目になると思います。少数の子のために時間を割きすぎるのは問題があります。だからこそ、大多数の子も少数の子もともに活かすような工夫が教師には求められるのです。
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