最新更新日:2024/03/28

11.30 人権を考える《校長室》

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 「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
 これは、『世界人権宣言』(1948年12月10日、第3回国連総会において採択)の第1条の条文です。

 学校では、今週から「人権週間」(12月4日〜10日)に向けての取り組みをしています。昨日の人権映画鑑賞会を皮切りに、今日は担任による人権をテーマにした道徳の授業、来週月曜日には生徒による人権集会・人権学習会・生徒議会や教師による「一日観察日」など、本校人権教育の骨格となる取り組みが続きます。
 『世界人権宣言』第1条に明記されているように、人間は生まれながらにして自由であり、平等でなければなりません。ところが残念なことに、現実の社会には、学校における「いじめ」だけでなく、いたるところに「差別」や「偏見」が存在します。
 歴史的に見ても、これまでに世界中で「差別」や「偏見」をなくす努力が続けられてきましたし、今後も続けられていくことでしょう。そこには、人間の根源的な問題が潜んでいるように思えます。
 私が言えることは、人間は必ずしも完全ではないということです。自己中心的な考え方、いつでも崩れそうな心の脆さ、弱いものへの攻撃性、強いものへの隷属性……、人間は、だれしもがそんな一面も持っているのです。だからこそ、私たちは常に価値の葛藤に悩まされ、心が揺れ動くのです。その自覚があれば、お互いに認め合い、支え合うことができるのだと思います。
 昨日の映画鑑賞の生徒たちの感想を読んでいると、「いじめ」を自分のこととしてとらえている文章にたくさん出合います。そんな自覚を持つ生徒たちは、決して「いじめ」を是としたり黙認したりしない、そう信じます。

11.29 人権週間への取り組み《校長室》

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 「人権週間」にちなんだ取り組みの第1弾、映画鑑賞会を開催しました。
 鑑賞したのは、いじめをテーマにした『青い鳥』。原作は重松清の同名の短編小説で、俳優・阿部寛が主演の映画です。
 本校もいじめのない学校をめざして、日ごろから道徳教育や機能としての生徒指導に力を入れています。しかし、残念ながら心無い暴言・いたずら・悪ふざけが起きたり、級友や部活動をめぐる人間関係のトラブルが生じたりすることがあります。
 その都度、職員が関係者の話を丁寧に聞き、指導をしています。そのたびに感ずるのが、「いじめはいつでも、どこでも、誰にでも起きうる」ということです。そして、多くは、相手の気持ちを考えることができない、あるいは相手の気持ちに考えが及ばないことが原因となっています。
 今日の映画は、まさにその点に切り込むメッセージ性を持っています。この映画に笑いは一切ありません。さまざまなシーンが出てきましたが、生徒は真剣に画面を見つめ、自分だったらどうするのか、黙って自分自身の心と対峙していました。それは、自分のクラスでいつ起きてもおかしくない場面の連続だからです。
 もちろん、今日映画を観たからといって、明日から見違える人間関係になるわけではありません。あくまで、考える入り口に立ったに過ぎません。これから、さまざまなチャンネルを通して、さらに考えを深める取り組みを続けます。
 家庭でも、生徒たちから今日の映画の感想を聞きながら、人権について話し合うきっかけにしたいただければ幸いです。
 鑑賞会にご参加いただいた保護者のみなさま、底冷えのする体育館でしたが、温かな心を感じていただけたことと思います。ご参加、ありがとうございました。

11.28 近づく「人権週間」《校長室》

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 来週12月4日(火)から10日(月)は「人権週間」です。

 国際連合は、1948(昭和23)年12月10日の第3回総会において、世界における自由、正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため、『世界人権宣言』を採択しました。それに続き、1950(昭和25)年12月4日の第5回総会においては、12月10日を「人権デー」と定めました。
 我が国では、『世界人権宣言』が採択されたことを記念し、1949(昭和24)年から毎年12月10日を最終日とする1週間を「人権週間」と定めています。その期間中は、人権尊重思想の普及・高揚を図るため、全国各地においてシンポジウム・講演会・座談会・映画会などを開催したり、各種のマスメディアを利用した集中的な啓発活動を行ったりしています。【法務省HP参考】

 本校でもそれを受けて、「人権週間」前後にさまざまな取り組みを企画しています。その第1弾として明日行われるのが「映画鑑賞会」です。
 内容は、ベストセラー作家・重松清の原作を映画化したヒューマン・ドラマ『青い鳥』です。いじめによる自殺未遂が起きた中学校で、傍観者となったクラスメートたちと教師(俳優・阿部寛が熱演)との交流を丁寧に描いた作品です。
 いじめは、「どこでも、だれにでも起こりうる」ものです。本校とて例外ではありません。この映画鑑賞を通して自分自身の心と対話し、いじめ撲滅に向けた気持ちを高めてほしいと願っています。
 さらに、来週月曜日には、人権学習会を計画しています。集会時に生徒会執行部による提案劇、道徳の時間には学級討論会、生徒議会による人権アピールなど、人権意識の高揚をめざします。
 一連の取り組みを通して、いじめを許さない学校づくりを進めたいと考えています。

11.27 期末テストを終えて《校長室》

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 昨日、今日の2日間で期末テストが終了しました。
 このテストのために、生徒たちは目標を立て、計画的に学習を積み上げてきました。とりわけ、3年生にとっては進路決定につながる大事なテストでしたので、大きなプレッシャーを感じながらのテスト期間、テスト当日を過ごしたことでしょう。
 しかし、この期末テストが最終ゴールではありません。言ってみれば、竹の節のようなものです。一つの節目ではありますが、その先の成長のための通過点なのです。今日から3学期に向けて、あるいは4月からの進路先や新学年に向けての歩みが始まるのです。
 テストが終われば、採点を終えた教科からテストが返ってきます。いつも言うことですが、点数に一喜一憂するのではなく、結果を結果としてどう受け止めるかが肝心です。自分の立ち位置を確認するのがテストです。足りないところを補い、身につけるべき基礎・基本を定着させることこそ大切です。
 もちろん、3年生は今回の結果を受けて進路選択しなければならないという厳しい現実があります。後戻りはできないのですから、結果を結果として真摯に受け止め、自分の願いを実現させる可能性の高い道を選択してください。

11.26 「間」を考える《校長室》

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 連休中に、ビートたけし著『間抜けの構造』(新潮新書刊)を読みました。
 今や映画監督として世界中に著名となったビートたけしさんですが、漫才コンビ「ツービート」として活躍した時代のことは、今の中学生は知らないのかも知れません。
 この著書の中で、たけしさんは自身が漫才で会得した「間(ま)」について、さまざまな角度から分析しています。
 例えば、「間抜けなやつら」、「“間”を制すもの、笑いを制す〜漫才の“間”」、「司会者の“間”を盗め〜テレビの“間”」、「いかに相手の“間”を外すか〜スポーツ・芸術の“間”」、「映画は“間”の芸術である〜映画の“間”」などの章立てからも分かるように、さまざまな分野で「間」が重要な役割を担っていることを説いています。その一言一言に頷きながら一気に読み終えました。
 「間」が空き過ぎてもいけない、「間」がなくてもいけない。私は、集会時の講話を含めた日ごろの会話やこれまでの授業場面を想起しながら読んでみました。振り返ってみれば、いかに「間の悪い話」、「間延びした話」、「間が抜けた話」をしてきたか、反省することばかりです。
 たけしさんによれば、この「間」という感覚はどうやら日本人特有のものだそうです。英語では“space“(空間)、“time”(時間)、“interval”(間隔)という言葉がありますが、どれも日本語的な「間」と言ったときの微妙なニュアンスとは違います。
 日本人特有の「間」を意識し、磨くことで、コミュニケーション力をアップしたいものですね。

11.25 目標を見定めて《校長室》

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 3連休が終わります。
 期末テストに向け、たっぷり時間をかけて学習に取り組んだ生徒ばかりだと思います。それぞれ、自分自身の目標をしっかり見定め、計画に従って取り組んだことでしょう。明日・明後日にその成果を結びつけたいものですね。最後まで諦めずにがんばってください。
 私は、夕刻から名古屋に出かけ、所属する研究会の打ち合わせに向かいました。年明け2月に予定しているフォーラムで、研究会からどんな内容を発信すればよいのかを熟議する会議でした。
 出席者は10名ほど。予定されている会議時間は3時間以内。大枠は決まっていますが、その中身をどう肉付けしていくのかが今日の議題でした。さまざまな意見が飛び交い、議論が二転三転します。最終的にはフォーラムの目的・目標をしっかり見定めることで、話し合いが軌道修正され、方向性がどんどん固まっていきます。初めは、3時間で片付くのかと心配しましたが、2時間半ほどで終了しました。
 たとえ議論百出したとしても、参加者が一つの方向性をしっかり持っていれば、ちゃんと収束できる。改めてそう感じた2時間半でした。
 濃密な2時間半を振り返りながら、列車に揺られて帰宅しました。

11.24 地域の声《校長室》

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 11月も残り1週間となりました。
 冷たい風が吹くたびに、ハナミズキの残った葉がはらはらと落ちていきます。その様子を見ながら、師走がすぐそこまで迫っていることを実感します。。
 先日、ある地域の方とお話をしていて、今の木中生の生活について話題となりました。その方のお住まいの前が通学路となっていますので、長年にわたって木中生の登下校を見つめてみえます。最近の生徒の様子をお尋ねすると、「あいさつをよくしてくれる」ことや、「話に夢中になって、横に広がって歩くので、後ろから来る自動車に気づかないことがある」というお話をされました。
 確かにほとんどの生徒があいさつを意識し、実行する中で習慣化しています。しかし、無表情で通り過ぎ、あいさつの言葉を返せない生徒もいるのが現実です。その生徒は、世の中に出たときに、周囲の人とのコミュニケーションで苦労するのは目に見えています。根気よく指導を続けたいと思います。
 交通ルールやマナーについては、地域の方や地域を通行された方からお叱りの電話をしばしばいただきます。先日は、生徒を呼び止め、直接指導していただいた事例もあります。それだけ本校生徒のことを気にかけていただいているわけです。ありがたいことです。今後も気になることは、ぜひ学校にお知らせください。
 学校と家庭、地域が連携して子どもを育てる、そんな木中でありたいと思います。

11.23 3連休《校長室》

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 今日は勤労感謝の日。
 「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」として、1948(昭和23)年に制定された国民の祝日です。かつては、この日を「新嘗祭」(にいなめさい)と呼んでいました。宮中では、天皇が新しい米などを神殿に供える日となっています。
 金曜日が祝日となったので、この週末は3連休となりました。紅葉狩りなどの行楽にはよい季節ですが、生徒たちにとっては期末テストに備えて勉強の書き入れ時です。きっと、自分の立てた計画に従って、精一杯のがんばりをしていることでしょう。
 とりわけ3年生は、進路決定に直結する大切なテスト。不安を抱きつつも、ここはがんばって乗り越えるしかありません。この3日間は、わき目も振らず、最大限の取り組みをしてほしいと思います。担任の先生たちからも「今やらずしていつやるの!」と、叱咤激励を受けているはずです。悔いの残らないテストにしてください。
 1・2年生のみなさんも、これまでの学習をしっかり振り返り、苦手な部分に時間を割いて学習しておくことが必要です。
 勉強漬けの3日間になると思いますが、脳みそに活力を与えるためにも、適度な休息と栄養補給に心がけましょう!

11.22 携帯電話をめぐるトラブル《校長室》

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 携帯電話をめぐるトラブルが、増加の一途をたどっています。
 便利で使いやすい携帯電話。詳しく調べたわけではありませんが、本校の生徒もかなりの割合で所有していると思われます。
 機種も次々に開発され、スマートフォンのように高性能・高機能化しています。さまざまなアプリを取り込めば、携帯電話を利用してできることの範囲が飛躍的に大きくなります。もはや最近の携帯電話は「携帯パソコン」と呼んだ方がよいでしょう。中学生を含めて、最近の若者たちの情報収集や会話は、携帯電話で成り立っているといっても過言ではありません。
 特に、特定の仲間で構成されるネットワーク上でのメール会話は、相手の顔を見ることなく進んでいくので、書き込まれた言葉が独り歩きし、大きなトラブルを招く原因になっています。時には、特定の人物をターゲットにした誹謗中傷とも言える言葉が並び、集団によるいじめに陥ることさえあります。“face to face”でないデメリットを、利用者はもっともっと意識すべきです。
 中学生に携帯電話は必要か否か、さまざまな意見があります。学校では、携帯電話の使用はもちろん、学習に必要がないものとして持ち込みを禁じています。
 携帯電話を持たせるか持たせないかは、最終的には保護者の判断です。したがって、使用をめぐるトラブルは、最終的に保護者の責任でもあります。学校では、携帯電話やパソコンを利用する際の「情報モラル」を指導していますが、本来は保護者がすべきものではないでしょうか。
 「だれもが持っている」という子どもの主張だけで持たせる判断をするのは、保護者として安易過ぎます。今一度、お子さんと話し合ってみてください。

11.21 まじめ化する高校生《校長室》

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 本日の朝日新聞・教育欄に、高校生の意識調査の結果が掲載されました。
 これは、同志社大・尾嶋教授らによる兵庫県南部10校の30年にわたる追跡調査で、結果は東北、中部地方を対象にした別の調査でも同じ傾向がみられたそうです。
 結果を一言で言えば、最近の高校生は「まじめ化」しているのだそうです。授業や勉強に「熱心」と答えた生徒が57%で、30年前の1.7倍、授業に充実感を感じることが「いつも」「しばしば」あると答えた生徒が79%で、やはり39年前の1.7倍に増加したという結果が出ました。
 また、遅刻を「まったく」「ほとんど」しない生徒が73%で15年前より12ポイント、礼儀正しくするのが「大変」「少し」得意な生徒が75%で15年前より20ポイント増加。そのほか、「権威のある人に常に敬意を払わなければならない」、「授業で分からない点はいつまでもそのままにしておかないほうだ」「規則にしたがっている」などの項目で、大きくポイントを上げているという結果が出たそうです。
 尾嶋教授らは、高校生の「まじめ化」の原因を「学校も社会も厳しい規律を求めなくなったので、ぶつかるものがなく、自分がまじめでない感じなくなった」「学校以外の生活や生徒同士の関係が重要になり、教師にはあえて反発しなくなった」「ツッパリや反逆するヒーローへのあこがれがなくなり、まじめを格好悪いと思わなくなった」などの可能性があると見ているそうです。
 確かに、今の思春期世代は世の中や所属するものに逆らう経験が減っていると思います。かつての時代(中高生の親世代)とは違い、生徒への指導方法が衝突しにくいものに変わってきている事実があります。それはそれで大変よいことだと思います。
 しかし、語弊を恐れず言えば、成長過程の高校生が、果たしてそれだけでよいのだろうかという気持ちも私にはあります。乗り越えるべき壁の存在が必要にも思えます。これは、大いに議論の余地があるように思えてなりません。

11.20 デジタル化の波《校長室》

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 11月19日付けの毎日新聞に、「教科書にもデジタル化の波」と題した記事が掲載されました。
 教科書が将来どのようになる可能性があるのか、取材をもとに書かれた記事でした。最近は、書籍のデジタル化が進んでいます。デジタル配本は、日本ではまだまだ少ないようです。そこで、世の中には、所有する本の全ページをスキャンし、ipadなどに保存して持ち歩いている人さえいます。
 いずれ児童・生徒が学ぶ教科書もすべてデジタル化され、教科書を何冊も入れた重いカバンから解放される日が来るのかも知れません。一人1台のタブレット型端末があれば、教科書や辞書、資料集がすべて収まってしまうといいます。
 すでに、実験校では、子どもたちがタブレット型端末を操作しながら、デジタル教材を使って授業が進められている現実があります。また、今年度から、教師用のデジタル教科書が導入され、本校でも活用を始めています。
 教科書がすべてデジタル化されるまでには、教科書に関する法律や著作権に関する法律など、法的な壁をクリアする必要があります。しかし、すでに技術的には可能です。あとは導入コストや法的整備の問題です。
 教科書のデジタル化の波を止めることはできないでしょう。いつかは導入されていくでしょう。では、アナログは不要となるのでしょうか?
 私自身は完全な「アナログ世代」です。今の「デジタル世代」に完全に付いて行くことには無理があります。
 紙の本の匂い、手触りには何とも捨てがたいものがあります。当面は、「アナログ」と「デジタル」の取捨選択の時代が続くと思います。

11.19 地道に努力を《校長室》

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 土曜日の激しい雨、日曜日の強い風のため、校内の樹木がかなり葉を落としました。今朝は、落葉樹の枝筋がはっきりと見えるようになってきました。
 今朝の集会では、次のような話をしました。

 来週は、いよいよ期末テストを迎えます。テスト前日に、一気に力をつけようとしても、決して力がつくものではありません。
 一昨日の駅伝県大会で活躍した人たちも、体育大会以後、毎日厳しい練習に耐え、努力を続けながら徐々に力を伸ばしたからこそ、県下第16位という素晴らしい結果を収めたのです。
 身体の成長も同じこと。今日、たくさん食べたからといって、明日急に身長が伸びるわけではありません。必要な栄養源を、毎日少しずつ摂取することによって成長を遂げることができるのは言うまでもありません。
 学習も全く同じです。毎日、少しずつ、着実に学習を積み重ねることによってしか成長できません。この1週間を有効に使い、苦手な部分を鍛えるなどの努力をしていってください。
 また、風邪やインフルエンザに罹りやすい時期を迎えました。予防のマスクをする、教室の換気に十分気をつけるなど、体調の維持・管理に気をつけてください。

 学習であろうが、部活動であろうが、体調の維持・管理であろうが、日々、やるべきことを着実にやる、まさに「凡事徹底」に尽きますね。全校生徒の期末テストに備えたがんばりを期待します。

11.18 新カテゴリ スタート《校長室》

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 木中ホームページに、新しいカテゴリをスタートさせました。
 学校行事、部活動、授業、生活、さまざまな場面で木中生が感動し、その心にしっかりと刻まれたものを、文章を通してお伝えするコーナーです。
 先日の本欄でお伝えしたように、本校の生徒たちの感性には素晴らしいものがあります。その一端をみなさんにもご紹介したいと考え、「木中生の声」というカテゴリを新設しました。
 本校のホームページは、この先「マガジン化」をめざしていきたいと思います。情報の量と質を確保しながら、これを見れば木中の今が分かる、そんな学校ホームページをと考えています。この発想は、他市のホームページの先進校に倣ったものです。いろいろな視点から学校を見つめ、それを情報としてお伝えしていくことで、学校・家庭・地域が情報を共有化していければと思います。
 そのためには、学校の主役である生徒の視点が欠かせません。生徒たちの表現力は、私たち大人を上回るものを持っています。そこに期待をしています。
 今後、「木中生の声」を随時掲載していきますので、ぜひお読みください。

11.17 駅伝県大会 大健闘!《校長室》

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 県下各地の予選を勝ち抜いた50チームのみが参加できる駅伝県大会が行われました。
 会場の新城市総合運動公園は、紅葉真っ盛り。選手の気持ち同様に、燃えるような色合いを見せていました。しかし、あいにく冷たい雨が降り続くお天気となり、選手はコンディションを整えるのに苦労しました。
 第1区は、3000mで全国大会出場を果たしたチームエースが走りました。ふだんのトラック競技とは異なり、この新城市の駅伝コースは起伏に富み、アップダウンの繰り返しでしたが、それをものともせず、実力通りの力を発揮してくれました。走力だけでなく、プレッシャーに負けない精神力の強さも素晴らしいと思います。トップで襷を渡し、堂々たる区間賞を獲得しました。
 第2区からは、地力に勝る三河勢に追い上げられて順位を落としはしましたが、沿道で声援を送り続けたサポート部員や指導の先生方の声に励まされ、すべての走者が大崩れすることなく襷をつなぎ続けました。
 最後は、出場50チーム中の第16位(非公式)、西尾張地区出場10チーム中の第3位となり、大健闘しました。
 今回のチームは、3年生と2年生の混成チームでした。3年生は進路選択の大事な時期ですが、長期間にわたる練習に参加し、今日のレースに臨みました。そして、さすがは3年生という走りを見せてくれました。一緒に走った2年生もサポートした2年生も、今日のレースはしっかり目と心に焼き付いたはずです。そして、来年もぜひ出場したい、強い決意を持ってくれたと思います。
 選手、サポートメンバーのみなさん、長期間にわたる取り組み、お疲れさまでした。この経験が、きっと今後の生活に活きることでしょう。遠いところ応援に駆けつけていただいた保護者のみなさん、活躍を念じていただいた保護者のみなさん、ありがとうございました。

11.16 地域コミュニティ《校長室》

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 昨日、本校コミュニティ・スクール活動の重要な柱である「おしゃべり広場」が開催されました。
 「おしゃべり広場」は開設3年目。本校生徒と地域の方々とが直接対話する貴重な場として定着してきました。他校では例のない本校独自の取り組みです。
 地域の方々は、年齢や職業もさまざま。生徒との対話のシナリオはありません。時間は6分間。生徒が入れ替わりながら6回行いますので、地域の方も生徒も6人の人と対話することになります。
 初対面ですので、まずはお互いの自己紹介から始まります。初対面の大人と話すのは、生徒にとってはかなりのプレッシャーがあります。しかし、おしゃべり好きの地域の方々は、終始、話題をリードしながら、生徒の思いや考えを引き出してくださいました。そのお陰で、生徒の表情も次第に緩み、会場は和やかな雰囲気に包まれました。
 6分間があっという間に過ぎ、話し足りなかったという感想も多くありました。時間設定は、今後の検討課題としたいと思います。
 会の終了後、参加していただいた地域の方々にアンケート形式で感想を述べていただきましたので、そのいくつかを紹介させていただきます。

◇多くの生徒が、しっかり夢を持っており驚きました。

◇野球をがんばっている子、調理師になるためにがんばっている子と、中学生なのに夢に向かってがんばっている子がたくさんいました。すごいです!

◇家族のことを話してくれ、温かい家庭が想像できてよかったです。

◇親はうるさいと、ほとんどの子が思っているみたいですね。

◇みな笑顔で話してくれたので、楽しく過ごすことができました。この会の意義もあまりつかめず参加したのですが、何となく分かったような気がします。

◇控え目な生徒さんもいましたが、積極的に会話をしてくれる状況だったので、あっという間のトーク時間でした。

 たくさんのご感想、ご意見をいただき、ありがとうございました。
 この「おしゃべり広場」は、家族ではない、先生ではない地域の大人との対話だからこそ大きな意義や価値があると考えます。生徒たちにとって、地域の方々との対話は社会を見つめる目が広がります。地域の大人たちが、どんな目で自分たちを見守っているのかが分かります。
 参加していただいたみなさまに感謝申し上げます。ありがとうございました。

11.15 経験と知恵《校長室》

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 昨日の中日新聞夕刊コラム『紙つぶて』に、みなさんにぜひ読んでいただきたい文章を見つけましたのでご紹介します。執筆者は、ハリー・A・ヒル氏(オークローンマーケティング社長)です。
 
   『経験と知恵』
 「経験」と「知恵」の違いは何でしょうか?経験とは実際に見たり行ったりしたこと、知恵とはそれらの経験を生かすことだと考えます。経験だけなら誰にでもできますが、知恵をつけていくことは努力なしではできません。
 私は25年前の自分と今の自分を比べて、25年前の方が記憶力もあり頭の回転が速かったと思うことがたびたびありますが、その分、今は経験を生かす知恵がついたと感じます。知恵がつくと、いざという時にその先を想像することができ、より正しい判断ができると思います。
 そういった意味で「失敗したことがない人には大きな仕事は任せられない」というのが持論です。採用の面接官をする時も「失敗を生かしてどのように挽回を図ってきたか」を指標にします。
 若いころの失敗は経験となり、成功につなげていくことができますが、責任ある立場になってから初めて大きな失敗をしてしまうと、取り返しがつかない事態になりかねません。いざという時の想像力が働かず、対応しきれなくなってしまうためです。
 仕事はすべてが計画通りに進むわけではありません。外部要因も内部要因も、変化しなければならない状況は多々あります。そこに対応するための想像力は、失敗によって学ぶことが多いと思います。
 私の人生訓は「失敗を生かす」です。皆さんも失敗から多くのことを学び、ぜひ不屈の精神で前進してください。

 中学生は、将来の「知恵」を獲得するために「経験」を重ね、努力していく時期です。執筆者同様に、失敗を恐れることなくチャレンジしてほしいと思います。

11.14 惺惺着《校長室》

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 禅語に「惺惺着」(せいせいじゃく)という言葉があります。「目を覚ませ!」という意味です。
 『心がまあるくなる禅語』(リベラル社刊)には、この言葉を次のように説明しています。

☆☆☆☆ 以下引用 ☆☆☆☆
 
 心の奥深くに住むもう一人の自分。その自分に対して問いかける「目を覚ましていますか(惺惺着)」という声。変化や刺激のない生活を送るうちに、つい眠ってしまいそうになる自分の本心を励ます言葉です。
 人はつい、楽な道を行こうとしてしまうもの。それを正す本心が眠っていたら、どんどん怠けぐせがついてしまいます。日々の中でも、自分に問いかけることを忘れず、しっかり目を覚まし、本心を偽らないようにしましょう。

☆☆☆☆ 引用終わり ☆☆☆☆

 実際に眠ってしまう場合もありますが、やるべきことを放り出して遊びに興じるなど、自分を見失った状態、つまり、心が眠ってしまうことを諌める言葉です。また、逃げ出すわけではありませんが、毎日毎日が同じことの繰り返しで単調に思えてくると、やっていても「心はそこにあらず」のまま毎日が過ぎていくこともあります。
 そうした自分に気づいたとき、鏡に映った自分の顔に「惺惺着!」と喝を入れる必要があります。目を覚まし、もう一度、自分がどんな方向に向かおうとしているのか、心の軌道修正をしなければなりませんね。
 合唱コンクールが終わった今、燃えるものを失いかけているあなた。中学生の本分は「勉強」にあり。期末テストに向けて、3年生のみなさんは進路選択に向けて、眠りかけた心に「惺惺着!」と呼びかけてみてはいかがですか。

11.13 江戸しぐさ《校長室》

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 何気ないしぐさや行為が、周囲の人を傷つけることもあれば、周囲の人との関係を温かなものにすることもあります。
 みなさんは「江戸しぐさ」という言葉をご存知でしょうか?「江戸しぐさ」は、江戸商人のリーダーたちが築き上げた行動哲学です。よき商人として、いかに生きるべきかという商人道で、人間関係を円滑にするための知恵でもありました。江戸時代は、260年以上もの間、戦争のない平和な時代が続きましたが、その平和な安心な社会を支えたのが「江戸しぐさ」という人づきあい、共生の知恵です。【NPO法人「江戸しぐさ」HPより引用】
 その「江戸しぐさ」の代表例として有名なのが、「傘かしげ」という行為です。狭い路地で傘を差した人が行き交う場合、そのままでは傘と傘が触れ、お互いに滴がかかって濡れてしまいます。しかし、お互いが外側に傘を傾ける(かしげる)ことで、滴がかかるのを防ぎます。すれ違いざまに「ニコッ」と微笑めば最高の思いやり。これが、江戸の町人にとっては「カッコよさ」(「粋」と呼んだ方がよいでしょう)なのでした。
 「凡事徹底」が「精神」としてずいぶん浸透してきた本校ですが、それがまず生活の基礎・基本だと考えています。まだまだ完全に「行為」としてできるところまでには至っていません。「当たり前のことを当たり前にする」、言うことは簡単ですが、実行に移すことは結構難しいものです。ですから、それができるだけで十分に立派なことだと思いますので、指導を続けたいと思います。
 その「凡事徹底」の中に、「傘かしげ」のような「江戸しぐさ」の精神が吹き込まれれば、さらに高いレベルの「凡事徹底」になるように思います。
【※ぜひ「江戸しぐさ」について、さらに調べてみてください。→こちら

11.12 HPの方向性《校長室》

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 いつも本校のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
 本校では、学校から保護者・地域の方々にお届けする情報の量を増やし、その質を高めようと日々努力を続けています。少しずつ発信するカテゴリを増やし、学校の様子・生徒の様子をできる限り多角的にお届けできるようにしてきました。
 最近、生徒たちの様子を見ていて、ホームページに新たな視点を持たせることができるのではないかと感じています。道徳授業での生徒たちのさまざまな意見、授業でのプレゼンテーション、合唱コンクールで曲紹介したときの素晴らしい内容などから、本校の生徒たちは人に「伝える力」を十分に持っていると感ずるのです。これをホームページに活かせないかと考えました。
 つまり、生徒による情報発信コーナーを設けたいのです。委員会活動としてもよいでしょうし、自由投稿による発表の場としてもよいでしょう。あるいは、インタビュー形式でもよいでしょう。生徒の生の言葉を情報としてお届けできれば、学校ホームページに広がりが生まれます。中学生の感性には、私たち教師を上回るものがあります。ぜひそれを紹介したいと思うのです。(もちろん、ネチケットに十分の配慮が必要です。)
 まずは、終わったばかりの合唱コンクールの感想から始めてみましょうか。

11.11 合唱コンで得たもの《校長室》

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 合唱コンクールの歌声が未だに耳の中にこだましています。
 先生方が毎週末提出する学習進度表の反省欄には、合唱コンクールに関する記述が並んでいます。どの先生も、生徒たちへの賞賛の言葉を記しています。
 まとまりのなかった学級が、日を追うごとに一つになっていった様子。生徒同士の意思疎通を学級リーダーが中心となって図っていった様子。それぞれの学級にドラマがあり、いくつもの感動のシーンがありました。本番に至るまでの間に、合唱コンクールの目的や意義が明確化され、生徒一人一人が自分の為すべきことがらを自覚して取り組んだ様子が綴られていました。
 学校行事には、生徒を成長させる要素がいっぱい詰まっています。しかし、教師がそれを引き出さない限り、生徒の成長はあり得ません。同時に、生徒が教師の指導を素直に聞き入れ、時には反発しながらも、一つの方向性に向かっていこうとしない限り、生徒は成長することができません。
 昨日のような合唱ができるということは、教師と生徒、生徒と生徒の関係が良好である証です。だからこそ、感動を得られるのです。
 学校行事は、それだけが単独で存在するものではありません。言ってみれば、学校行事は日常と日常をつなぐものと考えています。日常の中に生きてこそ、行事の存在価値があるのです。それぞれの学級が合唱コンクールで得たものを、どう日常に生かすかが問われます。合唱コンクールの成果を、今後の日常の中に見つけられなければ意味がありません。
 3年生は、いよいよ進路一色となります。個々の選ぶ道は違っても、お互いに進路実現をめざすことは同じです。同じ方向に向かって、学級全体・学年全体でがんばってくれることを期待します。
【写真は、金賞に輝いた3年9組の合唱の様子です。】
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